音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年5月号

列島縦断ネットワーキング【香川】

小豆島特産品オリーブの栽培と商品つくり
~「ひまわりの家」の取り組み

岡裕

はじめに

小豆島と言えば、高峰秀子演じる女教師と12人の生徒たちが織りなす友情と愛と平和の尊さをうたいあげた名作「二十四の瞳」の舞台で有名ですが、最近は「オリーブの島」としても注目を集めています。

そんな小豆島にあって、島特産のオリーブの栽培を通して、障害者に月約2万円の工賃を渡している就労継続支援B型事業所「ひまわりの家」があります。もともとは「小豆郡手をつなぐ親の会」が中心となって、昭和62年に立ち上げた心身障害者のための共同作業所が母体です。

平成12年(2000年)に社会福祉法人の認可を取得して「知的障害者授産施設(通所)『ひまわりの家』」(定員20人)としてスタートしました。

この頃、利用者さんがやっていた作業は、地域の事業者さんからいただく、佃煮用昆布のゴミ取り作業や箱折り作業、清掃作業といった請負作業と空き缶や牛乳パックのリサイクル作業が中心で、利用者さんの工賃は月額3~4千円がやっとでした。

小豆島の特産品を活かして工賃向上を

「ひまわりの家」がオリーブ事業に乗り出したきっかけは、平成18年(2006年)に施行された「障害者自立支援法」でした。

新しくできた事業体系の中の「就労継続支援B型」には工賃向上計画が求められました。自主商品がなく、地元事業者さんからの請負作業だけではこれ以上の工賃アップは難しいと思っていた時、「小豆島にはオリーブがあるじゃないですか、オリーブで障害者の自立を支援していきましょうよ」という支援者が現われて、農業に素人の私たちでもできるかもしれないと思うようになりました。

もう一つの理由は、オリーブが地中海沿岸では神の木として崇められ、人間の健康と美容に良いだけでなく、平和と繁栄の象徴として大切にされ、国連の旗にも使用されているということを知ったからです。

ひまわりの家がオリーブ栽培に力を入れることは、障害者の幸せの追及でありますが、併せて人の健康と美容に役立つことであり、地域の活性化にも寄与することができると思いました。

オリーブ苗木88本の寄贈を受ける

平成18年(2006年)、旧池田町の八木壮一郎さんから縁起の良い数の88本のオリーブの苗木を寄贈していただきました。

オリーブ栽培の始まりです。土庄(とのしょう)港近くの畝木という地区にある法人の土地を整地し、寄贈された苗木をこの地に植えました。

中心になって植樹計画をつくり、みんなを引っ張ってくれたのは毛利さんでした。職員や一緒に手伝ってくれた家族の方たちと、小雨の中、雨合羽(あまがっぱ)を着ての作業だったことが懐かしく思い出されます。

平成19年(2007年)には、ヤマト福祉財団さんからビニールハウスを寄付していただき、オリーブ苗木の育成を始めました。

地元でオリーブ苗木育成をやっている山本さんの指導を受けて、ビニールハウスの中で、オリーブの穂木から苗木を育てる方法をゼロから教えていただき、10,000本の苗木つくりに挑戦しました。オリーブ苗木の販売は、オリーブの木が成長して実を収獲できるようになるまでの収入源として、とても貴重なものでした。

強力な支援者現れる

平成20年(2008年)、大阪の赤木一朗さんが「ひまわりの家」のオリーブ栽培を応援してくれることになりました。

赤木さんは足利市にある「こころみ学園」の相談役として、知的障害者施設を陰ながら応援している方ですが、その方が「ひまわりの家」を応援してくれることは本当に心強く嬉(うれ)しいことでした。

赤木さんは、早速、「オリーブアカデミープロジェクト34」を立ち上げ、土庄町に土地を自費で購入し、「オリーブの丘」と命名して、そこにオリーブの苗木200本を植えて、「ひまわりの家」の利用者に就労の場を作ってくださいました。

赤木さんは「利用者」という言葉が嫌いで、いつも「子どもたち」と呼んでいました。80歳になっても元気に飛び回る行動力には、頭の下がる思いで、人間として魅力一杯の大先輩です。

また、平成20年は「小豆島オリーブ植栽100周年」の記念式典が、小豆島で盛大に行われた年でした。小豆島全体がオリーブの良さを再認識し、島の産業の柱の一つにしようと動き始めた気がします。「オリーブ牛」や「オリーブはまち」「オリーブ茶」などが商品化され市場に出てきました。

オリーブの6次産業化目指して

平成22年(2010年)、香川県が行う専門家派遣事業を受けました。オリーブ事業に精通した専門家の意見を聞き、オリーブオイルの製造・販売にチャレンジすることに決めました。

平成23年(2011年)には、大規模生産設備建設の補助金を申請して認可され、オリーブ搾油機を購入、施設内の厨房倉庫の一角を改修し「ひまわりの家オリーブ工房」を整備することができました。

「食用油脂製造業」の許可を取得し、いよいよ「ひまわりの家」製造のオリーブオイルの商品化がスタートしました。6次産業の始まりです。「オリーブ搾油機」の設置が決まると、あとはいかに多くの実を収獲し、搾油するかが課題となります。

平成24年(2012年)、法人が所有しているオリーブ農園に隣接している耕作放棄地を地主さんにお願いして貸していただき、オリーブ農園として使用できるようになりました。総面積11,000m2の土地に成木130本、幼木330本のオリーブ農園ができました。また、この年には、赤木さんの口利きで、横浜のナイス株式会社さんが土庄町に障害者の就労の場にと「ナイス小豆島オリーブの森」をつくり、その管理を「ひまわりの家」が行うことになりました。

平成25年(2013年)には、土庄観光協会より「オリーブ100年の森」の農園管理を依頼されました。町役場が障害者の就労の場として役立てばとの思いで声を掛けてくださいました。有難いことです。

平成26年(2014年)には赤木さんの口利きで、足利市の「こころみ学園」が行なっているワイン醸造所ココファームワイナリーのオリーブ農園を「ひまわりの家」が管理することになりました。知的障害者施設同士がやっている栃木県足利市のワインと、香川県小豆島のオリーブとのコラボレーションを夢見る赤木さんのロマン溢(あふ)れる計画ではありませんか。何とか発展させたいと思っています。

おわりに

平成18年から現在までの「ひまわりの家」のオリーブ栽培と商品つくりの足跡を時系列に振り返ってみました。

改めて、人と人との結びつきの大切さ、人の心の温かさを感じます。現在、「ひまわりの家」が管理しているオリーブ農園の総面積は約22,650m2、オリーブの木の本数は約1,000本になりました。そして、オリーブの実の収穫量は4トンを超え、エキストラバージンオリーブオイルの製造量は300キロとなりました。

赤木さんが「オリーブの丘」をつくった時に話された「夢・10年~オリーブへの恋」は、子どもたちの笑顔で叶ったのではないかと思っています。

(おかゆたか 社会福祉法人ひまわり福祉会理事長)