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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年7月号

19の軌跡 忘れちゃいけない
~私たちは相模原市やまゆり園障害者殺傷事件を風化させない~

見形信子

2016年7月26日未明に相模原市の「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件…。19人の命が忘れ去られないように私を含め音楽集団「歩笑夢」は、毎、月命日の周辺でさいたま市中心に街頭アピールを行なっています。

私はこの報道を知った瞬間、日本の出来事ではない。どこか外国のことであってほしいと願っていたかもしれません。障害者に対する大量虐殺であること、障害者は社会のお荷物であり、生きてる価値のない存在であると言われたこと、明らかに差別であること、不幸を作り出す存在でしかないと言われたことが胸に突き刺さりました。

ナチスドイツでは、まずユダヤ人より先に障害者がガス殺されていきました。精神病院のドクターですら彼らを殺すことが正義だと信じて、最近まで疑っていなかったのです。

日本でもそんなことが起きていくのかと恐怖に陥りました。優生思想が昔から消えることなく、意識下に存在し続けているからなんだと感じます。

犯人が特別、優生思想に狂信しているわけでもなく、この事件は社会が生み出した事件なのです。確かに犯人は大量殺人にまで及ぶ必要があったのか疑問ですし、これは正義だと信じて疑っていないところが恐怖としか言えません。しかし、現存のこの社会は能力主義により、いろんな人間のふるい分けが行われ、ランク付けがされます。学歴で人を量(はか)ったり、職業で人柄を区別します。障害のある人の中でもランクがあります。言語障害のある人とない人、知的障害がある人とない人、私もそのランク付けの中に生きてきました。社会的弱者と呼ばれ、施設に長期に入所を強いられ、社会とはっきり分けられて大きくなりました。

障害のある人は決して弱い存在でもないし、力がないわけでもないこと、人間であることを世の中の人に伝えられる手段はないかと思いました。このままでは、社会が障害者を排除していくことが正当化されてしまう!それを止めたい!存在を消し去ることが間違ってると叫びたかったです。

そのひとつの方法として、長年私と活動してきたバンド仲間と「歌を作ろう!」ということになりました。「人が死んで虐殺されているのに何で歌なんて作るんだ」と言われ、批判があるかもしれません。でも自分が当事者の想いとして地道に歌っていくことで、それぞれが大切にされ、尊重し合える社会にしていきたいと切に願います。

(みかたのぶこ 自立生活センターくれぱす/神経筋疾患ネットワーク/歩笑夢(ぽえむ))