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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年7月号

私たちが暮らしていくこと

清水三季

私は、いろんなことに介助が必要な障害者です。西宮で一人暮らしをして18年目になりますが、私よりももっと前に一人暮らしを始めた青葉園の仲間がいます。その人は、身体的にもコミュニケーション的にもかなり重度な人です。言葉で話すことはできませんが、考えていることは雰囲気でこちらにも伝わります。何度も聞いていると、自己主張をしていることが分かります。それがその人の自立です。

私の学生時代は、まだ日常動作を訓練することが絶対に必要とされてきました。それはそれで良かったと思いますが、できないことを自立や一人暮らしのボーダーラインにされてしまうのは、違うなと思っていました。自分ができることをしながら周りの人たちに協力してもらうことが、私たちの自立だと思ってきました。当事者が集まる研修会でも、なかなか受け入れられない考え方でしたが、その人は周囲を少しずつ巻き込んで今の暮らしを作ってきました。その姿を見て、私も自分なりの暮らしができないかと考えるようになりました。

写真で見るその人の部屋や、趣味を堪能する旅行を自由にしているさまは、楽しく生きてるな、と感じさせられました。言葉で意思を伝えられない人も、介助者が隣りにいると、何か分からないけど分かるような、言葉のように明確なものではないけれど、何かその人が思っていることが分かるように感じます。ただ順番に介助して回るだけでは生まれないコミュニケーションが、一人暮らしにはあるからです。

一見、寝たきりのように見える方でもいろいろ思うことがあって、とても微妙な表現で伝えてくれます。だから、周りの友人や支援者は感覚でコミュニケーションをとれるようになるのです。

好きな時に好きなところへ旅行できる、会いたい時に会いたい人に会える、好きなライブにも行く、新幹線にも乗る、これは普通のことですが、施設の中の生活では、それは表に出ることもなく埋もれてしまう要望だと思います。

重度障害者こそ普通の街で暮らして、いろいろな支援者と人生を充実させていってほしいと思います。それが周りを変え、社会を変えていくことになります。だから、私たちの存在は無駄ではないのです。もっとたくさんの人が、自分の選んだ暮らし方ができるようになってほしいと思います。

(しみずみき 西宮市社会福祉協議会ふれぼの通所者)