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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年8月号

列島縦断ネットワーキング【福岡】

日本ピアスタッフ協会の設立と生活訓練事業所の開設
―ピアスタッフとして16年の経験から

磯田重行

私が初めてピアスタッフになったのは16年前、平成13年の10月からだった。当時、私は32歳で、通院していた大学病院の精神科デイケアに通っていた。当時の私は昼夜逆転の生活が続き、精神的にも肉体的にも不安定な状況であった。しかしさまざまなアルバイトに挑戦し、失敗した時期であったにもかかわらず、地元の福岡県久留米市の障害者生活支援センターが精神科の病気をもった当事者を雇用するという求人に応募し、なんとか採用されることになる。この精神科の病気をもった当事者職員は4人雇用され、ユーザー職員と呼ばれていた。

この障害者生活支援センターピアくるめで働き始めたころは、全国的にも福祉の支援職としてのピアスタッフは珍しく、もちろん業務も確立されておらず、暗中模索で自分の仕事を作っていった。福祉の知識もなく、勉強もしていない私たちユーザー職員4人は、最初のころ何をしてよいのかも分からなかった。ただ来所した利用者の人たちと休憩室で延々と煙草を吸って、ジュースを飲みながら過ごしていたのを思い出す。

まず、この職場で私が最初に取り組んだのは、自分自身のひきこもりの経験を活かした、「ひきこもりの人の集まり」を始めたことであった。当初、ひきこもりの人はなかなか集まることは難しいのではないかという私の思いは外れ、最初から4、5人の人が来てくれた。特にプログラムなどは準備せずに、みんなでジュースを飲みながらゆっくり過ごした。この「ひきこもりの人の集まり」を口コミで知った、家から出ることができない息子や娘を持った親からの相談が少しずつ増えてきた。

そこで私は、そのひきこもりの方がいる自宅を訪問するようになった。最初は会って話をするだけだったが、一緒に買い物に出かけたり食事に行けるようになった方もいる。精神科を受診したことがない人には同行してクリニックを受診したこともある。

このころ、私が取り組んだもうひとつの仕事は「ピアサポート講座」の開催だった。これは精神障害をもってピアサポート活動をしている先輩方を講師に呼んで話を聞いたり、精神障害以外の障害分野の方からピアカウンセリングを学んだりした。

この時期に、生活支援センターで自分で仕事を作り、自由に活動させてもらった当時の上司にはとても感謝している。生活支援センターでの勤務は6年ほどだったが、この経験が今の私の支援観の礎になっていると思う。

またピアスタッフとして3年間働き、資格をもった健常者の職員との待遇の差を感じ、精神保健福祉士の通信制専門学校に入学した。2年後に国家試験に合格し、有資格者になったが、待遇はほとんど変わらず退職することになった。

このころ、同じ時期にWRAP(元気回復行動プラン)と出合うことになる。私にWRAPを伝えてくれたのは当時、アメリカで研究していた久野恵里さんである。WRAPを知って、実践することは私の価値観と生活、福祉の現場で仕事する方向性を大きく変えてくれた。それはたとえ精神病になっても、必ず回復し、自分の希望に向かって歩むことができる、そのことを本当に信じることができるものだった。ピアスタッフの仕事をしていく上でも、WRAPの価値観は私のすべてであると言ってもいいだろう。支援についての知識や技術は経験を積めば蓄積されるものであるが、自分自身の病気の経験とWRAPの価値観は私にとって最高のツールであり理念である。

7年前、私は以前の職場である福岡市早良区の社会福祉法人つばめ福祉会に入職した。つばめ福祉会では3か所の事業所の施設長を務め、二つの障害福祉サービス事業を立ち上げた。最初は、就労継続支援B型事業所の立ち上げであった。以前から共同作業所としてあった施設を移設して、障害福祉サービスであるB型にするために指定申請の書類作りをほとんど私が行なった。もともと私は書類作りが苦手だったが、そんなことも言ってられず、何とかやり遂げることができた。

当初、立ち上げたB型事業所の資金面の運営は厳しかった。そこで私は、以前からやりたかった自立訓練(生活訓練)事業を立ち上げた。福岡市では、精神障害に特化した生活訓練事業所は少なかったため、職員を研修のために東京や沖縄に派遣し学んでもらった。私自身も、全国で先駆的に生活訓練事業を実施している事業所に行って学ばせてもらった。そして、B型と生活訓練の多機能事業所を作ることができた。

また2014年には、私たちピアスタッフの全国組織である日本ピアスタッフ協会を立ち上げた。この日本ピアスタッフ協会はまだ任意団体ではあるが、全国のピアスタッフの交流と地位確立を目的として毎年、「全国ピアスタッフの集い」を開催している。これまでこの集いは5回開催し、今年は埼玉の聖学院大学で6回目を開催する予定である。

現在、全国に支援者としてのピアスタッフが数多く活躍している。しかし、不当な雇用形態で雇われているピアスタッフもいると聞いている。また健常の職員のなかで、ピアスタッフが1人だけという「ひとり職場」でピアスタッフが孤立しているという現状もよく聞く。このような状況を改善することや、ピアスタッフの権利擁護も日本ピアスタッフ協会の役目であると考えている。

団体の立ち上げ当初より私は副会長であったが、今年7月の29年度総会でもって会長に選出された。これからも全国で働くピアスタッフが活き活きと仕事ができるように、自分なりに活動していこうと思っている。

この間、私が常に考え実践してきたことは、精神障障害者はもちろん、それを支援する職員もリカバリーし幸せにならなければならないということである。利用者、職員が共に元気に、自分らしく生活することが私の目標であった。

昨年の11月からはつばめ福祉会を退職し、新たな新事業所を開設することができた。この事業所の名称は「利生院」という。利生院にはもちろん、私以外にもピアスタッフがいる。

利生院は生活訓練の事業所である。ここではさまざまなプログラムを準備し、実施している。書道教室や調理、ガーデニングなどさまざまなプログラムを通じて、利用者の自尊感情の向上と自己肯定感の回復を目的としている。もちろんWRAPも実施している。

利生院に来る利用者は、他の通所事業所になかなか通うことができなかった人ばかりである。そんな利用者がプログラムを、また職員や仲間と交流し元気になっていく姿を見ることは、私自身が「幸せ」を実感できる瞬間である。これからもこれまでの経験とWRAPから学んだ理念を実現するために、仕事を作っていきたいと思っている。

これから自分の経験を活かしてピアスタッフになりたいと考えている人には、「ピアスタッフ」の枠を超えて仕事をしてほしいと思う。自分の限界を設定せずにチャレンジしてほしい。それが新しい精神保健福祉の価値になるし、ピアスタッフの地位を向上させる。楽な道ではないが、これから私も一歩一歩、前進していくつもりである。

(いそだしげゆき 株式会社でかぬーて 利生院施設長)