音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年9月号

時代を読む95

日本身体障害者団体連合会の結成と歩み

全国の都道府県身体障害者団体等を統合し強力な運動を展開するために、1958年に日本身体障害者団体連合会(以下、日身連)が発足した。構成団体は44都道府県身体障害者団体と全日本聾唖連盟、日本盲人会連合、日本肢体障害者団体連合会であった。1958年は東京タワーが完成し、新一万円札(聖徳太子像)が発行された年である。

終戦から10年を経てわが国は高度経済成長期に入り、雇用状況の好転に伴い一般国民の所得は上昇していたが、身体障害者は経済成長の恩恵を受けられずに困難な生活を強いられていた。そのような中、第1回全国大会(東京)の決議では即時実現を目指すこととして、国民障害年金の実施、身体障害者雇用法の制定、国税地方税の減免、ラジオ聴取料の割引、国鉄割引乗車距離制限の撤廃、更生資金貸出し、盲人の職業安定対策、ろうあセンターの充実の実現が挙げられた。

日身連の要望もあり1959年に国民年金制度が創設されたが、保険料を拠出した人に対する障害年金と無拠出(20歳前傷病等)の障害福祉年金の二本立てになっており、障害福祉年金では適用される障害の範囲も狭く、年金額も低額であるなど、極めて不十分なものであった。そこで、日身連は運動を重ね、1974年に障害福祉年金の適用範囲が拡(ひろ)がり2級が創設され、さらに、1986年には無拠出年金を拠出年金と同額に引き上げることが実現した。

身体障害者にとって働く機会を得ることはとても重要であった。日身連の運動もあり1960年に身体障害者雇用促進法が施行されたが、その内容は極めて不十分で、雇用率達成は努力義務にとどまり、改善を求める運動が展開された。そして、ようやく1976年に民間企業に対する障害者雇用の義務化が実現し、1986年に知的障害者も対象になった。その他の決議項目も徐々にではあるが、実現していった。1967年からは身体障害者相談員の活動の促進や研修事業等も担っている。

1984年に日身連は社会福祉法人の認可を得た。その後の活動は多岐にわたり、他の中央障害者団体と連携して国際的な取り組みに関わる一方、府省庁の審議会などに参加したり、障害者制度の改革に関わったりした。また、地方分権の中、加盟団体との連携をもとに、障害者の視点から障害の社会モデルを基に誰もが暮らしやすい地域社会づくり等に取り組んでいる。

現在、日身連は全国63都道府県・指定都市の障害者団体と公益社団法人日本オストミー協会、一般社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会の計65の団体が加盟しているが、それらの団体を構成する市町村組織等の数は1400に及んでいる。

(阿部一彦(あべかずひこ) 社会福祉法人日本身体障害者団体連合会会長)