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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年9月号

在宅の被災障害者への支援の取り組み

東俊裕

1 熊本学園大学におけるインクルーシブな避難所運営

震源地を中心として壊滅的な打撃を与えた熊本地震。ピーク時の避難所は885か所に達し、そこに避難した人だけで183,882人(熊本県人口の約1割)を数える。車中泊、軒先避難、その他を含めると膨大な数の人が避難せざるをえない状況であった。2017年8月現在で関連死を含む死者は244人、全壊半壊の家屋だけでも42,000棟を超えている。

本震後、東日本大震災後に見られた障害者の大変な状況を同じように繰り返してはならないとの思いで、最初に取り組んだのは、勤務している熊本学園大学でのインクルーシブな避難所運営であった。

避難所となった14号館はもともとバリアフリーな造りではあった。しかし、身動きもできないほど多くの人が避難する中では、車いすでも寝起きが可能でかつ介助を受けることができるスペースやトイレ、緊急時に外に出られる動線等の確保が必要不可欠であり、人的には介助や緊急時のための24時間支援体制、さらには、全避難者のための炊き出し体制が必要であった。

幸いにも学生や専門家を含む大学の教職員等による24時間体制での支援、避難してきたヒューマンネットワークくまもと(自立生活センター)の介助者や学外の福祉経験者による介助など、多くの人の協力で、最後の一人が帰宅できるようになるまで避難所を閉めることはなかった。こうして50~60人の重度障害者を含め、700人ほどの人が障害の有無に関係なく避難できるインクルーシブな避難所を運営することができた。

2 被災障害者に対する福祉や医療サイドからの支援の可能性

ところで、日頃、障害者が福祉や医療とどういった繋(つな)がりを持ちながら暮らしているのか、といった観点から考えると、1.入所、入院している障害者もしくは、グループホームなど夜間においても一定の支援体制があるもとで生活している障害者、2.通所、通院している障害者、3.在宅で居宅介護などの在宅福祉サービスを受けている障害者、4.在宅で生活しているが、障害福祉サービスを受けていない障害者、といった分類が考えられる。

こうした分類に基づけば、災害が発生した場合に、1から3の障害者は、日頃結びついている社会資源による支援を受けられる可能性が高い。しかし、この場合でも1から3においては、24時間体制であるか否か、施設や職員の被災状況、災害時における対応能力に相違があり、障害者が受けられる災害時支援には格段の差があると言っていい。ましてや、4の在宅で生活しているが、障害福祉サービスを受けていない障害者に対しては、福祉や医療サイドからの支援は望めない。

熊本市は、市内在住の障害者(約4万2,000人)の一部である9,000人について、安否確認の調査をしたが、その過程で、65歳未満で日頃福祉サービスを受けている障害者(上記の1から3までに分類される障害者)は7,000人程度に過ぎず、そのほかに、本来であれば、福祉サービスを受けてしかるべき重度の障害者が約9,000人いることが明らかとなった。軽度障害者も含めると、実に多くの障害者が障害福祉サービスを受けていないのである。

また、何らかの障害福祉サービスを受けているとされる7,000人についても、東日本大震災と異なり、熊本の場合は地震がいずれも夜に発生しており、災害発生時点においては、多くの場合、福祉や医療といった社会資源との結びつきが切れている時間帯であったこと、2や3のサービスを提供している事業者自体が被災し、事業再開が困難な状態であったことを考えると、1以外に分類される大部分の障害者は、特に、発災当初は福祉や医療サイドからの支援は期待できない状態であったと言える。

3 公的支援の網の目からこぼれ落ちる障害者

こうした中で、多くの一般避難所もしくは福祉避難所が、在宅の障害者に初期の一番大変な時期に支援を適切に提供できたかというと、残念ながらNOといわざるを得ない。発災直後であればあるほど避難所から事実上排除され、かなり時間が経って避難所にも余裕ができてからは、障害者の姿も散見されるようになった状況であった。

紙数の都合上、詳細は省くが、避難所による支援の後に続く応急仮設住宅の提供も含め、災害支援時に必要となる障害者に対する合理的配慮はほとんど提供されなかったといえる。行政との交渉の結果、ほんの一部だけに終わっている(詳細は本誌の2017年4月号「障害者差別解消法施行1年と熊本地震」を参照)。

このように、災害時における公的支援の網の目からこぼれ落ちた障害者は、一般の被災者が避難所に顕在化するのに対して、障害者はどこに居るのか、見えない存在となった。

4 被災地障害者センターくまもとの取り組みと今後の課題

こうしたなかで、地震直後の4月20日に「被災地障害者センターくまもと」を立ち上げ、その存在をSOSと書いたチラシに記載し、これを配布するところから活動を始めた。後には、熊本市のお知らせとして、熊本市在住の全障害者に熊本市から郵送してもらい、多い時には1日70本もの電話が鳴り出すようになった。これに対して、全国から集まった延べ約2,000人を超える福祉経験者により、これまで500人以上の障害者からきたSOSに対し、1チーム2~3人のボランティアにより、多い時には10回以上継続的に支援に入るなどの活動を続けてきた。

支援の内容は、時間の経過とともに変化している。緊急事態が続いていた頃は、食料や水などの緊急物資の提供、夜間の介護、入浴介護、洗濯支援、病院などへの移動支援などのSOS、その後は住環境・生活環境の復旧に関するSOS、住宅探しや引っ越しなどのSOSが増えていった。現在も公的解体の準備としての壊れた家財道具の処分であったり、家の片づけであったり、先が見えない状況での精神面の相談であるなど、新規のSOSが途絶えない。

SOSの内容は時の経過とともに変化するが、その多くは、地域からも孤立している障害者からのものが多く、内容的には破壊された生活環境や住環境の再建であって、法定の福祉サービスをいくら柔軟に運用しても賄えないものである。だからこそ、現状では、当センターのように法定の福祉サービスの枠に縛られないボランティアによる無償の支援による以外に術がない状態となっている。

しかしながら、災害によって如何(いかん)ともしがたい状況に陥った障害者への支援は、障害者権利条約第11条がまさに締約国に求めるものであることに鑑みれば、日頃の福祉サービスとは別に、災害時の障害に特化したニーズに応える体制を災害対策基本法、もしくは災害救助法に地位づけることが必要であると思われる。

(ひがしとしひろ 熊本学園大学教授/弁護士)