音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年11月号

生き方・わたし流

「障害者」としての歩み

油田優衣

私は、一人暮らしをしながら大学に通う、世間からは“重度障害者”と言われている女子大学生だ。本稿ではそんな私のこれまでの歩みとこれからの目標を書きたい。

1 特別支援学校から普通学校へ

自分が障害者であることに初めて真剣に向き合ったのは、中3の進路選択の時だった。小中と特別支援学校(以下、特支)に通っていた私は、次第に特支での“狭い”生活に疑問を抱くようになり、普通高校への進学を望んだ。当時の私は、もっと“広い”世界を見たい欲求に動かされていたのだ。

・特別支援学校での生活

特支では障害に対する先生の理解があった。学校行事は皆が参加できるようさまざまな配慮があり、障害があるゆえに悔しい思いをすることは無い。特支はいわば“守られた”環境だった。

しかしその一方、私は地域から孤立していた。休日に一緒に遊ぶ友達はおらず、地域の同年代の人々との関わりはほぼ皆無。私にとって、特支は“閉ざされた”環境でもあったのだ。

私は、地域や地元と呼ばれる環境の中では、自分がどこにいるのかわからなかった。特支から出て広い世界を見たい、その世界での自分の力や居場所を知りたい。そう思って、私は普通高校進学を志した。

・高校進学時に経験した初めての壁

普通高校進学を目指す中で、私は希望の進路の上に大きな壁があることを思い知る。建物内のバリアに加え、高校では人的支援が受けられないという問題に直面したのだ。私は初めて、障害者はいまだ社会から隔絶されている存在であることを痛感し、憤りと悔しさを感じた。そして気付いた。「この現状を変えなければ私や他の障害をもつ人の未来は無い」と。社会の理不尽さを突きつけられたこの経験は「障害者としての自分」を自覚させるきっかけとなった。

2 高校から大学へ

・「DO-IT Japan」に参加して

結局、私は公的な人的支援もないまま普通高校に飛び込んだ。最終的に、県からの支援を得て学校生活の環境は整ったものの、その実現にはさまざまな機関との交渉を要した。この配慮を求める取り組みの中で、合理的配慮について学びたいと思い、高2の時に参加したのが、東京大学が主催する障害者リーダー育成プログラム「DO-IT Japan」だった。

研修中に最も影響を受けたのが、他の障害をもつ人たちとの出会いである。ここで、実際に介助者をつけながら一人暮らしをする大学生と知り合ったことで、私にも同じことができる(かもしれない)自信が湧いてきたのだ。このプログラムのおかげで、私は進学や生き方について前向きに考え始め、実家を離れて京都大学を目指すことを決めた。

・特色入試への挑戦

京大の特色入試の存在を知った当初、私は「どんな凄(すご)い才能を持った人たちが集まるのだろう」と他人事のように考えていた。私にはそんな才能や特色など無いと思っていた。しかし、特色入試の募集要項を見ているうち、障害者として生きてきた私の経験こそ、この入試で活かせると思い始めた。障害者だからこそ感じられた壁、培ってきた問題意識。これらを武器にして私は「障害」を「特色」に変えて京大の特色入試に挑戦した。

3 現在の生活と将来の目標

特色入試で合格し、念願の一人暮らしが始まった。当初は慣れなかった介助者との生活や家事、それと勉学の両立も1年半経った今は余裕も出てきた。今、私は臨床心理学や哲学などの勉学に励みつつ、好きな時に好きなことができる“当たり前”の生活を楽しんでいる。

最近の生活の中で感じるのは、障害という“特殊性”から、さまざまな“普遍”を見直し、考え直すヒントがあることだ。

今後、私は学術的な視点から“障害”を生かした研究ができればと考えている。また、私の今までの経験と現在の生活の中に、同じように困っている人々に伝えられるものがあると感じている。そこを丁寧に掘り出し、発信し続けていこうと思う。

これからの私は、「障害」から学んだ自分の経験をいかに社会に還元できるのかを考え続け、誰も排除しない社会のために私ができることを実践していきたい。


プロフィール

油田優衣(ゆだゆい)

1歳の時に、全身の筋力が次第に衰えていくSMAII型(脊髄性筋萎縮症II型)の診断を受ける。現在は電動車椅子を用いて移動。ほぼすべての日常生活動作に介助が必要で、夜間は呼吸補助装置を着ける。中学までは特別支援学校に通い、高校からは普通学校へ進学。新設の特色入試により京都大学に合格。昨年4月から、実家(福岡)を離れ大学に通う。進学にあたり24時間介助者の支援を受けて一人暮らしを始めた。