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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年12月号

列島縦断ネットワーキング【大阪】

スポーツを通して地域活動の実現

真庭大典

WEARE設立の経緯

障害者スポーツと言えば、皆さんは何を想像するでしょうか。

パラリンピックでの日本代表選手の活躍は記憶に新しいところです。東京2020に向けてさらに注目されている障害者スポーツですが、私たちも2006年から障害者スポーツに取り組んでいます。高槻精神障害者スポーツクラブは2006年に大阪府高槻市で産声を上げました。当時、精神障害者のスポーツといえば、リハビリを中心としたものが主流で、バレーボールがオープン競技として全国障害者スポーツ大会で開催されていました。

私たちの活動も、最初は高槻市にある精神科病院のデイケアのプログラムの一環で行なっていました。デイケアプログラムで参加した全国障害者スポーツ大会の予選で負けてしまったメンバーの「悔しい」「もっとできる」「もっと続けていきたい」という声から始まりました。

当時は精神障害者を対象としたスポーツは、今以上に知られておらず「精神に障害をもった人たちが競い合って負けた時の感情のコントロールはどうするのですか」というような否定的なことを言われていたと、当時関わっていたスタッフから聞いたことがあります。そんな逆境とも思える環境から、なぜ地域のクラブが誕生したのか、それは先ほどのような選手の声があったからです。

私が本格的に関わるようになった2006年のクラブ設立時には、バレーボールの選手は自主的に公共の体育館の抽選に応募し、自分たちで居場所を地域で確保するといったことを当たり前のように行なっていました。

私たちの団体名の「WEARE」は、私たちの未来は、私たちで決めることができる。そこに障害ということや苦悩や困難が待ち受けていたとしても、それは自分たちで障害ではなくなり、乗り越えられない苦悩や困難はないという思いが込められています。

精神障害のある人は、自分自身に自信がなかったり、希望や夢が持てなくなったりするということがあります。実際に私たちの仲間もそんな人がいます。でも、そんなこともスポーツによって乗り越えていくことができるということを、このクラブを通して誰もが気づくことができています。

それはこの10年の間に、今まで多くの人が抱いていた「精神障害の人ってこんな感じだよね」というイメージを自分たちや仲間の力で変えていくことができているからだと思います。

活動を通じて変わってきたこと

活動に初めてやってくる選手は、入ってすぐの頃は、いるのか、いないのか分からないくらいに静かです。それは障害の有無にかかわらず誰もがそうだと思いますが、特にコミュニケーションが苦手な人が多いという特性があるので余計にそれを感じることがあります。

そこで私は、いつも選手に「ここにきてしまえば仲間。その仲間が困っているようであれば手を差しのべるのは当たり前」「障害のあるなしではなく気持ちよく、心地よい居場所を提供しよう」「また来てみたいという場所であることが大事」と伝えています。

フットサル2チーム、バレーボール1チームを抱える活動のすべてに私が参加することはできません。だからこそ、全員で新しい選手などを迎える時に一流のキャストとして迎えることが大事です。もちろんコミュニケーションが苦手な選手、スタッフもいます。そんな時は自分ができることを一生懸命にやればよいので、それがなんでもよいわけです。

スポーツクラブだから上手くないといけないわけではなく「一生懸命、真面目に取り組む」「どんな時でも笑顔を絶やさない」「声を出す」「いじられる」等々できることは人それぞれにあるので、自分らしくいられる居場所になればよいと思っています。

数年かけて自分の思いや考えを言葉にして相手に伝えられるようになったと言われると、周りの人間は、そのパワーに引き寄せられ笑顔になります。

試合に勝って喜び、負けて悔しがり、喜びも悲しみも味わって涙することが多々あります。みんながそれぞれに、それぞれの心を揺さぶってくれるのです。感情のコントロールを適切に導いてくれるのです。そんな感情が出てくるのは、日々私たちが努力をしているからです。だからこそ沸き起こるのです。

私たちの活動

バレーボールもフットサルも毎週のように練習やミーティングを行い、休みの日には地域で開催されるリーグ戦や、プロの試合を見にいくことがあります。それは、自分たちの活動に何かしら取り入れることができる練習方法がないか、今の練習がこのままでよいのか、常に自問自答しています。

週に1~2回の練習や練習試合を繰り返し、振り返りを行い、次に向けて見通しを立てるようにしています。そうすることで、未来に向けていろんな場面に役立つのではないかと思っています。

実際に、こうした振り返りや見通しを立てて物事を進めていくことは、先を読む力を養うことや、視野が広がり、仕事をすることが苦手だった選手が、役立ったと聞いています。僕自身もチームのマネジメント能力や、組織の中でのリーダーシップの役割が求められる時に、この活動での経験を通じて多くの場面で助けられています。

これからの私たち

活動を始めて10年が経ち、全国障害者スポーツ大会のオープン競技であったバレーボールが正式競技になりました。

それまで全国大会出場の際にさまざまなサポート体制が整わず、悲壮感が漂っていたバレーボールの関係者の環境が整い、今では、開会式や閉会式などの公式行事などにも参加ができるようになりました。

私が大きく関わっている、ソーシャルフットボールという名称のフットサルは、全国でも130~150チーム、選手の人口は1,500~2,000人以上いるといわれています。

私は、NPO法人日本ソーシャルフットボール協会(http://jsfa-official.jp)、(一社)大阪ソーシャルフットボール協会(http://osfa.jp)の理事として、国際大会の実行委員長としても活動することができています。

また、日本障がい者サッカー連盟(http://www.jiff.football)という、さまざまな障害のあるフットボールを統括する団体もできました。私たちの住む大阪には、インクルーシブフットボールクラブHalf Time(http://halftimeosaka2.wixsite.com/top-page)という団体もできて、障害のあるなしにかかわらず、フットボールを通じて多くの人と関わりを持つ機会を増やしていこうという共生社会の実現が言われるようになりました。

ここ数年で、NPO法人日本ドリームバスケットボール協会(http://chibadreambasket.web.fc2.com)が設立され、スポーツを通じて共生社会の実現がますます増えていくことが予測されます。

精神疾患は平成26年度の厚生労働省の資料では400万人にも達し、今や5大疾患とも言われています。

近年では発達障害もマスコミで大きく取り扱われるようになり、私たちのフットサルチームでも毎月1回2時間、フットサルスクールを開催し、多くの児童が参加しています。

このように当団体が活動を始めた頃に比べると、病気を抱える人口が増え、それに伴い、多くの社会問題が取りざたされています。そこにスポーツをすることがよいという研究も多く発表されており、それが前記のような団体が増えてきている要因なのかもしれません。

以上のようにスポーツをする環境が劇的に変化していますが、地域のクラブとしての役割は変わることなく、自分たちの環境を整えるために自分たちで日々積み重ねていくことが大事です。

「WE ARE」私たちの未来は私たちが作っていくことができる。その文化を作るために、多くの人たちと協力しながら作りあげていくことに真摯(しんし)に向き合うことは、障害のあるなしにかかわらずできるのではないかと考えています。

(まにわだいすけ 高槻精神障害者スポーツクラブWEARE代表)


・高槻精神障害者スポーツクラブWEARE(http://www.t-weare.jp/index.html

・問い合わせ先 TEL:072-693-1881 (新阿武山病院訪問看護室 真庭大典) Eメール:weare2006@gmail.com