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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2018年3月号

「アジア太平洋障害者の十年」第1次からの十年の意義

中西由起子

アジア太平洋障害者の十年は1993年の第1次十年から始まり、昨年のいわゆる新十年中間年まで四半世紀にわたり実施されてきたことになる。その間には障害者権利条約が制定され、アジア太平洋の社会経済発展に伴い障害施策も発展してきた。その歴史的背景も検討しながら、その意義と成果を検証してみる。

ユニークな第1次十年(1993~2002)

第1次アジア太平洋障害者の十年がユニークであったのは、国連の他の十年と異なり、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)で採択された地域単独での実施であったこと、広範にステークホルダーが関与して行動計画が策定されたこと、綿密にモニタリングが実施された点にある。そのユニークさが第1次十年の成功につながったと言える。

(1)地域単独での十年の実施

国連障害者の十年は、その発端となった1981年の国際障害者年ほどの影響を世界に及ぼせると考えた関係者の期待を裏切った。そのため「十年」の延長は、次の関心を障害者の権利条約の成立にシフトさせた欧米を中心とする反対で実施されなかった。しかし、十年の成果が不十分であったことを懸念したアジア太平洋地域は、独自の十年を推進しようとした。当事者がイニシアチブを取り、1992年12月に北京でDPIアジア太平洋総会を準備していた日本と中国のDPIが、第48回ESCAP年次総会で「アジア太平洋の十年」を日本と共同提案するように中国政府に働きかけた。各国DPIもそれぞれの国でロビーイングを行い、4月のESCAP総会で33か国による提案「1993~2002年アジア太平洋障害者の十年」が全会一致で採択された。

アジア太平洋での成功が徐々に知れ渡るようになると、アフリカ、アラブ、最終的には南北アメリカまでが各自の十年を宣言する国際的モデルとなった。

(2)広範なステークホルダーの関与が許された行動計画策定

DPIブロック総会に続いて開催された国連障害者の十年最終年評価会議では、今後十年の戦略として、「アジア太平洋障害者の十年のための行動課題(アジェンダ・フォア・アクション)」が採択された。28か国の政府代表の出席は関心の高さを意味し、日本の代表団には厚生省、労働省、文部省も含まれた。

出席した国際レベルや国内レベルの障害当事者団体、国連関係機関、研究者などが、「緒言」、「問題分野」、「地域協力と支援」の3部からなる構成と、国内調整、法律の制定、情報収集、啓蒙活動、アクセスと情報伝達、教育、職業訓練と雇用、障害原因の予防、リハビリテーション、福祉機器、自助グループ組織化、地域協力の12を主要「問題分野」とする提言をした。アジェンダは、焦点がはっきりしないというきらいもあったが、当時の国連組織としてはかなり民主的にESCAP事務局が用意した草案に広く各種の意見を拾い上げる努力がなされた点は評価できる。

(3)慣例に従わない綿密なモニタリングの実施

「地域協力と支援」においては、ネットワーク作りに加えて2年ごとの報告書の提出と行動計画のモニタリングと見直しが含まれている。権利条約の締約国報告では当たり前であるが、2年という短期に区切った報告も当時では画期的であった。

1995年の第1回モニタリングは、24か国の政府に対して44ものNGOが出席した。政府代表の中に障害者が入るなど、当事者主体の時代への変化を感じさせた。会議は、行動計画の過去2年間の実践に基づいて問題分野ごとの優先的到達目標と到達年を決定した。プレ会議として開催されたワークショップでは、アジェンダを女性障害者の視点で再構築した行動計画も作成されるなど、従来の形式的な政府報告中心になりがちなモニタリングとは異なった会議となった。しかし他方、ロビーでの展示に力が入りすぎて、お祭り騒ぎ的雰囲気があったとの批判もあった。

1997年の第2回モニタリングは、韓国でRNN(アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)が中心となって開催したソウル国際障害会議の一部として位置付けられた。政府報告を中心に、NGOの参加も制限し、24か国、国連の1団体、国連事務局1部署、オブザーバーとして28のNGOが集って少人数で行われた。過去2年の進展が少ないため2年間に限った進捗報告をしなければならないことに反対する政府もあったので、中間年の高級事務レベル会合の扱いとなった。

第3回は予定どおり1999年に実施され、「アジア太平洋障害者の十年到達点の達成とESCAP地区での障害者の機会の均等化」と題された。会場に障害者は少なかったものの、20か国、7国連機関、25のNGOと企業の代表、専門家として6人の顧問が参加した。大半の国での障害者団体の代表を加えた国内調整委員会の結成、法整備、統合教育を中心に障害児教育による教育の推進、アクセスへの関心の高まりなど、1995年からの成果が語られた。また参加者による到達目標の検討、修正、追加も行われた。

最終評価は、2002年10月の滋賀県大津市でのアジア太平洋障害者の十年最終年ハイレベル政府間会合で行われた。障害問題は単に福祉のみでなく、人権の問題であるとの視点が明確化したことが大きな成果とされ、問題分野では「国内調整」、13政府が包括的な障害者立法を成立させた「法律の制定」、「訓練および雇用」、「障害原因の予防」、「障害者の自助団体」において進捗が語られた。しかし「教育」で依然問題が残っていると指摘された。

障害者権利条約の影となった第2次十年(2003~2012)

2002年5月に開催されたESCAP第58回総会において、「21世紀におけるアジア太平洋地域の障害者のためのインクルーシブで、バリアフリーな、かつ権利に基づく社会の促進に関する決議」が採択され、日本政府の主唱で「十年」を延長する決議が採択された。十年の方式でさらなる改善を図ったNGOが運動した成果である。

同じく2002年にはニューヨークの国連本部で「障害者の権利及び尊厳を促進・保護するための包括的・総合的な国際条約に関する諸提案について検討するためのアドホック委員会」が開催され、障害者権利条約の討議が始まった。そのため、ESCAP加盟国や障害者団体を含め大半の関係者の関心が第2次十年よりも、むしろ2006年の第61回国連総会本会議での条約採択やその後の実施に向けられた。

(1)難解な行動計画

DPIアジア太平洋ブロックが提案した次の十年のテーマ「アジア太平洋障壁からの開放」は、専門家会議を経て、行動計画の題名「アジア太平洋障害者のための、インクルーシブで、バリアフリーな、かつ権利に基づく社会に向けた行動のためのびわこミレニアム・フレームワーク(BMF)」に取り入れられた。2007年には、BMFを補足する文書として、「びわこプラス5年:アジア太平洋地域における障害者のための、インクルーシブで、バリアフリーな、かつ権利に基づく社会に向けたさらなる行動(BMFプラス5)」も採択された。

BMFは、「「行動のためのびわこミレニアム・フレームワーク」の原則と政策方針」、「行動のための優先的領域」、障害者の自助団体および家族・親の団体や女性障害者など7項目からなる「優先的領域における目標と行動」(図1)、国の障害関連行動計画など4項目からなる「「行動のためのびわこミレニアム・フレームワーク」の目標達成のための戦略」、準地域間の協力と連携など3項目からなる「「行動のためのびわこミレニアム・フレームワーク」の遂行における協力と支援」、中間評価など3項目からなる「モニタリングと評価」で構成されている。これにBMFプラス5が加わり、計画全体の実施をESCAPですらまとめきれないとの印象をもった。

図1 資料:内閣府
図1 資料:内閣府拡大図・テキスト

7つの優先分野は分かりやすかったものの、BMFやびわこプラス5は完璧な官僚文書ゆえに複雑であり、行動計画を107の目標に整理した第1次十年に比して、評価基準を欠き、障害当事者団体が納得できる第2次十年の成果の検証が十分にできていない。

(2)進展は条約成果か

第1次十年と比較すると、第2次十年の成果の多くは障害者の権利条約によってもたらされたとも考えられる。ちょうど第2次十年の期間とも重なり、ESCAPが何回も繰り返したように、BMFと権利条約は車の両輪の関係にあり両者は補完しあうとの主張は、BMFから関係者の目を逸らせて締約国に実施報告を義務付けている条約重視の方向を助長した。第1次十年では2年ごとの評価会議が開かれ、各国関係者は情報を共有できる機会があった。しかし、第2次十年では2007年の中間年の評価会議を除いては一堂に会する場がほとんど設けられなかったこともあり、関係者間でさえ、第1次十年と比べ、第2次十年への関心は極めて低かった。

2004年の調査では、物理的環境やコミュニケーションでのアクセシビリティ、障害のある女性のエンパワメント、障害関連のデータや統計の整備、貧困削減などに成果が見られたが、明確にこれが「十年」の成果であると示すことは難しい。また権利条約に関しては、ESCAPからバンコク草案を国連に提示し、それが条約討議のたたき台となるなどの貢献も行なっている。これらは条約とBMFが補完し合った結果とみてもいいかもしれない。

再び域内の障害問題活性化のための新十年への期待(2013~2022)

十年という枠組みは、障害への関心維持のためにも重要であると考えた障害当事者団体は、2010年のESCAP社会開発に関する委員会第2セッションで「十年」の継続の必要性を訴えた。幸いなことに次の十年への反対意見は出なかったが、第3次十年とすると新鮮味が乏しい、政府が繰り返しに嫌気を示すなどの意見があり、日本のNGOは障害者の権利条約に的を絞って権利条約実施の十年にしようと提案した。2011年第68回ESCAP総会で障害者の権利実現のための十年が提案された。「権利の実現を(Make the Right Real)」と題したキャンペーンが開始され、2012年10月の韓国・仁川(インチョン)で開催された第2次十年実施最終評価のためのハイレベル政府間会合では、出席した日本政府も第1次、第2次の十年で日本が中心的役割を果たしたことを述べ、原則として今後の十年についても積極的に関与していくと表明した。そして、「インチョン戦略」と題した新十年行動計画案が提出された。

終わりに

昨年末の新十年中間年評価会議を経てインチョン戦略での権利性の重視は、十年後半の戦略の進捗状況の監視にかかっている。ODAの減額に端を発した障害分野での国際協力は弱体化しているが、さらに最終案に賛成し、会場で採択に加わった日本政府はその実施の責を負うはずである。障害当事者団体も権利条約を中心にインチョン戦略を活用しながら「権利の実現」に努めるべきである。

(なかにしゆきこ アジア・ディスアビリティ・インスティテート)


【参考資料】

・長瀬修(1997)アジア太平洋障害者の十年――その背景と意義、ワールド・トレンド、6月号

・中西由起子(2002)インパクトのあったアジア大平洋障害者の十年、『点字毎日活字版』2002年1月3日

・中西由起子(2012)第1次アジア太平洋障害者の十年から始まる新十年への流れ―成立と第1次十年の評価を中心に、ノーマライゼーション、377号

・中西由起子(2010)第二次アジア太平洋障害者の十年」に向けて、福祉労働、129号

・日本障害者リハビリテーション協会情報センター、世界の動き―国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)のアジア太平洋障害者の10年に関する取り組み、http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/twg/bmfscm.html