センター・インダストリーズ・ノート

センター・インダストリーズ・ノート

―その思想と現況―

大塚達雄

 このセンター・インダストリーズ(Center Industries)はニュー・サウス・ウェールズ州のスパスティック・センター(The Spastic Center of New South Wales)の一部門であるが、他の部門とは別個の独立採算企業としての工場である。スパスティック・センターの他部門には、乳幼児期から青年期に至るまでの障害児の療育、母子入園・母子通園、郡部からの子どものホステル等々の内容のものが、Treatment Centre and SchoolやCountry Hostelなどの名称をもって、シドニー市のモスマン地区やアランビー地区などに設置されている。

 さて、センター・インダストリーズは、アランビー地区の一角に、一階は工場、二階は事務所や会議室等(側面からはこれが一階になるが)のきわめて広大な建物をもって事業を展開している。第12回世界リハビリテーション会議の分科会の一つはここの会議室で開かれた。その会議での講演と、総支配人ヒューム氏およびイスラエル氏(ともにセンター・インダストリーズの設立者)が、とくに私たちに語ってくれた貴重な体験談などをもとに、このセンターの概観を紹介しよう。

 この工場創設の発想は、身体に障害があっても自立することこそ、最もたいせつだというところからでている。創設者たちは、身体障害者への安易な同情が自立を助けはしないと仕事そのものに関心を集中し、これなくしてはリハビリテーションもないと考えたのである。まず、この工場の特徴の一つが、庇護授産場ではないということである。他社と競争して利益をあげている普通の工場である。多くの身体障害者を擁してそれがどうして可能なのか、以下漸次解明されよう。

 創設者たちは、たとえ重度の身体障害者であっても、能率的に仕事ができるように訓練できるのであって、それは医学上の問題ではなく機械技術の問題だという。

 センターに健常者の従業員がいるが、これは主として生産性、費用、また社会性の面で、普通の職場と同じような環境にするためである。身体障害者を健常者との競争からまもることがよいとは考えない。むしろ、身体障害者も健常者と同じ時間働き、同じ機械を操作し、同じ基準で給料が支払われる。

 身体障害者は隣りの健常者と同じように有能であることを知っており、仕事でそれを証明している。士気こそが筋肉より重要であり、生産力は手先の器用さよりも意欲による。最も重度の障害者も経済的につりあう仕事ができるようになるし、地域社会の中の日々の職場生活で、新しい有意義な人生を送ることができるようになる。障害度が重いということで拒否してはならない。何ができるかを重視すれば、何ができないかは重要ではなくなる。以上がこの工場運営の基本的な考え方である。

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 センター・インダストリーズは、1961年に営業を始めた。当時の従業員は健常者80人、脳性マヒ者32人であった。現在は健常者550人、脳性マヒ者194人、その他の障害者50人となっている。ここでは、オーストラリア郵政省と契約して電話交換機を製造しているほか、米国の巨大企業のゼネラル・エレクトリック社の半導体製品、ニューヨークのゼネラル・テレフォン・アンド・エレクトリック・コーポレーションの超短波ラジオの部品などをつくっている。昨年度の生産高は400万ドル(オーストラリア・ドル、1ドルは約360円)をこえた。身体障害者は健常者と並んで同じ機械を使い、高能率で同じ仕事をしている者もいる。

 センター・インダストリーズは、一般企業や他のリハビリテーション・サービスで拒否された重度の身体障害者を対象としているので、訓練を始めてから能率的に仕事ができるようになるまでに1年は必要である。108人の身体障害者が、食堂と便所で手助けを要することから、障害の程度がだいたい想像できよう。それでも身体障害者の個々の作業能率の平均は訓練部では健常者の37%、製造部では58%になった。そして生産能率において、それよりもはるかに高い比率を示しているのは、野田氏の論文に述べられているとおりである。

 入所に先だって、身体障害訓練生の能力評価はしない。スパスティック・センターの学校の最終学年を終えた者、知能指数が相当低い者も含めて、広い範囲の身体障害者を入所させている。程度はどうであっても身体障害に違いない。何がどれだけできるようになるかは、使用者側の能力いかんにかかってくる。最初は、新しい職場環境でのオリエンテーションが行なわれ、そして身体能力に応じた仕事が与えられる。彼らが安定するとMODAPTS法を用いて、1か月間隔で6回の能力評価をするか、訓練期間中仕事を変えてみたりする。このMODAPTS法は普通の作業能力の判定のために開発されたオーストラリア方式であるが、身体障害者の機能評価に特に有効で、身体障害者と機械をうまく組み合わせるのに重要な役割を果たしている。

 身体障害の従業員の多くが自宅から通っているが、センターではマイクロバスを走らせ、無料で身体障害者の通勤に供している。36台のバスは年間何百万マイルも走り、毎日の往復走行時間は平均3時間となっている。このような輸送や特殊な訓練を行なうのに必要な年間30万ドルの経費をカバーした上で、なお、利益をあげることが求められている。このことでもわかるように、センター・インダストリーズは普通の企業と同じで、電子工業界の巨大企業と競争しながら、品質・価格・納品期限をモットーに勝負している。そして毎年だいたい利益目標を達している。

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 一企業としての経営分析や予算のわく組みは、訓練部門にも同じように及ぼしている。センター・インダストリーズは、作業訓練部門として、その管理チームは生産指導技師を長としている。そのスタッフは、医師、理学療法士、作業療法士、言語訓練士、看護婦その他の医療部門職員、カウンセラーや心理学者、訓練技師などである。そして、このセンターが作業訓練部門であることからも、技師が中心的位置を占める専門家となっている。

 ここでは訓練期間に期限をもうけていない。それは、訓練生を退所させることで解決不可能な問題のケリをつけることはさせないからである。創立以来10年間に、落伍者となったのは5人以下である。かつては解決不可能と思われた問題をもった障害者が、たえざる根気強い指導でよくなっていくその人数の多さには驚くばかりである。

 医師や機能回復サービスも、新知識や経験で発展した。たとえば、作業中の姿勢の改善、休憩の配慮、機能回復手術等、また能力評価、作業訓練、職業選択や機能訓練にあたる専門家の緊密な連携活動など具体的なものとなってあらわれている。

 心理部門では、より効果的な評価やカウンセリングを実施し、仕事と趣味の指導計画を作成したりしている。

 機械技術の面では、最も無力な身体障害者でも何かが作れるように、また高い作業安全率が維持できるように、さらに効果的な訓練法が行なえるように、機械を改造し、それによって、より多くのことができるようになった。

 しかし、産業競争の中で、利益をあげるのに手いっぱいで、新知識や経験を駆使すれば可能となるいくつかのプログラムをなかなか伸展させられないままでいる。ともあれ、脳性マヒの従業員が、これまで肉体的にも知的にも限界だときめられていたものより、はるかに高い内容の仕事ができることが事実によって証明されている。より可能性を信じた訓練によって刺激が与えられると、いっしょうけんめい努力するようになる。仕事量がふえるとか責任が重くなるとかすると、かえってやり甲斐を感じ、がんばって働く。

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 このような話をきいて、重度の身体障害者が訓練によって相当困難な仕事をりっぱにやりとげるようになるなど、全くすばらしいと感心するのだが、果たして一般企業として経営がなり立つのか私たちは疑問を感じざるをえない。イスラエル氏は次のようにいう。

 政府からの援助や身体障害者の年金でやっていけるのだろうという人もあるが、そうではない。1967年までは、政府から何ももらえなかった。数年前からやっと政府から補助金が出るようになった。機械・設備等に対して3分の2の補助がある。しかし、身体障害者のために働きよい職場であるために、便所など諸設備にしても、一般に比べてずっと金がかかる。第一広い場所が必要だ。便所そのものもそうだし、機能訓練室その他の場所もいる。機械類も改善して、各人が最もよい条件で働けるようにしなければならない。建物は耐用年数が長いが、機械道具類はこわれやすいし、償却費がかさむ。このようなことだけからでも、他の会社に比べたら経費は高くつくし、利益は少なくなる。利益の大部分は、訓練のために要する費用や機械の改善に使われる。センター・インダストリーズとして内容を高めながらの経営維持ができればよいのである。

 一方、従業員の給料はどうか。身体障害者も健常者と同じ率で支給される。194人の障害者の受けとった給料総額は、71年度で31万7,200ドル、総売上高400万ドル余のうち身体障害者のものは74万ドルであった。給料はでき高払いであるから、障害者の給料は健常者よりかなり低くなる。ここに「年金」(Pension)が登場する。障害者には週20ドルの年金がある。給料が20ドルになれば、年金と合わせて週40ドルの収入である。ところが給料が20ドルを越すと、越えた分の半額分が年金のほうで減額になる。つまりたとえば、給料24ドルとなると超過の4ドルの半分2ドルが20ドルの年金から差し引かれ、給料24ドル+年金18ドル=42ドルの週収入となる。またたとえば給料60ドルを稼げば、(60-20)÷2=20で年金は0になる。無拠出制の「障害福祉年金」というよりむしろ「扶助」に近い感じである。生産高が0の場合は、努力料として4ドルが支払われるので、年金と合わせて24ドルの週収となる。週24ドルあれば、親や収入のある家族といっしょに生活していればやっていけるようであるし、親や家族のないものは、スパスティック・センターのホステルにはいれるので生活できるていうことである。

 とにかく生活できる年金ということでは、日本と大きな違いがある。ただ日本人的感覚からすると、給料額に応じて年金の減額は勤労意欲を喪失させないかということになるかもしれない。しかし、センター・インダストリーズではそうは考えない。身体障害者も年金なしで独力で生活できるようになることこそが、終局の目的であり、現在、年金なしになっている者はまだないが、6ドルくらいのところまではいっているということであった。

 彼らの社会福祉や社会保障の考え方は、政府から金を出させることだけではない。センター・インダストリーズは、身体障害者が受けとる年金を減らすことによって、社会福祉補助金を返済することになると誇っているし、身体障害の訓練生が、スパスティック・センターで幼児期にうけた訓練の費用はコミュニティからのものであるが、これも将来州や国の生産高引上げの一部を受け持つことによって、返済できる機会があると考えている。

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 この考え方は、センター・インダストリーズの人たちだけではない。一般に募金活動が盛んで、政府の金だけを目当てにしていない。募金も「共同募金」はあまり発達せず、具体的なもの―たとえば盲導犬の育成のためにというように―がアピールしている。復活祭の日は一日じゅうテレビの全チャンネルが社会福祉の番組で、寄付申込を電話で受けつけている。子どもたちからの申込も多いようである。また美人コンテストも福祉団体のチャリティになっている。さらにまた登録された福祉団体への2ドル以上の寄付は、その領収書が税金の基礎控除の対象になる。私たちの泊っていたホテルのメイドが数枚の寄付領収書をみせて、自分も社会福祉に寄付していると語っていた。彼らは自分たちの出した浄財が具体的に生きていることを知っている。このように、年齢や社会階級に関係なく、寄付などで社会福祉にかかわる気風が感じられる。また税制などもそれを促進する形になっている。

 もちろん社会福祉にかかわるのは金だけではない。スパスティック・センターの障害児療育施設では、入園児の母親は週1回、料理・排便・の世話・看護助手などで、また父親は月1回、大工・左官仕事などで、その施設のボランティアとして奉仕している。

 政府の補助金の出し方も日本とは違っている。民間福祉団体が新しい活動をするために募金などで、たとえば2万ドル集めたとすると、政府が同額を補助する。同額以上を政府からもらったほうがよいという考え方もあるが、政府の圧力をうけないためにも同額以上にしないほうがよいと考える向きが強いようである。補助のしかたは、日本では国が決めた細かい基準に合致する事業をするなら補助金を出すということで、ちょうど逆の発想といえよう。オーストラリアでは、民間福祉団体は行政の下請け的存在ではなく、政府は民間団体の発展を助け保障するといった形であろう。そして、国民ひとりひとりが社会福祉を自分のものとして、自分でできることをしようとするボランタリーな活動が根底にあって、社会保障が進められているといっては過言であろうか。

 ともあれ接した人々との話の中で、通じていえることは、いかなる身体障害者も少しでも、もてる可能性を実現の能力とすることができるように助けるのがたいせつで、社会福祉や社会保障の金は、ある人間が安穏に時を過ごすために提供されるべきものでない、という考え方が強く流れていることであった。

 いささかセンター・インダストリーズから脱線したが、とにかく以上のようなことから、センター・インダストリーズは、若い人たちに新しい人生を与えているといえる。身体障害者の全生活を通して、はじめてここで社会に貢献する道をえたのである。活発に生産にいそしむグループの一員として働くことができれば、何百枚もの金属板に穴をあける作業も単調なものでなくなる。身体障害者は自分でかせいだ金を自分で使っているのであり、気の合う友だち、それも男性の友だちをもちうるのである。彼らは自分が重要な役目を果たしており、忙しいことを知っているので、また工程の全部が、自分がいないと動かなくなることを知っているので、休んだりできないと考えている。彼らは一日の困難な仕事を終えてバスで帰宅すると、家族の者にきょう一日の興味ある話をしてやることができるのである。

同志社大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1972年10月(第8号)35頁~38頁

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