身体障害を持つ主婦のリハビリテーション

身体障害を持つ主婦のリハビリテーション

―家族を対象にしたプログラム―

Rehabilitation of Physically Disabled

Women In a Family-Oriented Program

Lois O. Schwab, Ed. D.*

奥野英子**

 一つのプロセスとしてのリハビリテーションは、真空状態の中では行われない。人における変化、すなわち「リハビリテーション」と呼ばれるものは、医師、カウンセラー、およびその個人になんらかの影響を与える数多くの人々との人間関係から生み出されるものなのである。ある個人の人生において最も重要な人はたぶん、その人の家族であろう。家庭生活は今日の社会において重要なものであり、ほとんどの幼児、児童および青少年は、家族との関係の中で成長する。成人男女の約95パーセントは、人生の一時期において結婚し、家庭生活を営む。

 障害児を持つ親のための各種プログラムに焦点をあてた調査・研究は、非常にたくさんある。また、リハビリテーションプログラムを受けている期間中に、どのような変化が現れたかに関して、当事者の記録をまとめた資料などもある。しかし、身体障害者本人ばかりでなく、その家庭をも含めて、リハビリテーションプログラムがどのように行われ、どのような成果があげられたかに関する調査・研究はほとんどないのである。

 また、従来の調査・研究は、工場、事務所、学校またはその他の職場における男性の職業的役割(vocational role)についてばかりを対象にしており、家族全体を取り巻くリハビリテーションプロセスとしての、母親の職業的役割には、ほとんど注意が向けられていない。

 障害を持つ主婦とその家族に焦点をあてた研究が時を得た課題であることが、今日の社会についての統計によっても明らかにされている。1969年度米国国勢調査(1969 United States Census)によると、家事に従事している主婦は米国中に約5千万人いる。家事の金銭的価値は、家族の構成員数や行われる家事作業によってもかなり差異があるが、家事の経済的価値を控えめに見積っても、家族2人の場合は5千ドル(約150万円)で、家族7人の大家族の場合は1万ドル(約300万円)となる。主婦の約10パーセントは、身体障害のために、家事を処理する上で困難な思いをしている。主婦が家事をできなかったり、家計の管理ができない場合には、その家族は経済的にも苦境に直面し、ストレスも高まることが多い。

 家事に従事している身体障害婦人のタイム・レコード研究の結果、身体障害を持つ主婦の家事を手助けする主なる者は、当然予想されるその夫ではなくて、子供たちであることが判明した。したがって、主婦のリハビリテーションに対して、家族の観点からアプローチする必要性があるのである。

文献の検討

 Fieldingは、身体障害主婦が自分の機能障害(disability)に対してどのような態度をとっているか、またその態度が、その人の家族、友人、団体、学校、職業および結婚にどのような関係を及ぼしているか、を追求した。この目的のために、ローゼンツヴァイク絵画欲求不満テスト(Rosensweig Picture Frustration Test)、人物画テスト(Draw-A-Person Test)、態度調査票(Attitude Inventory)、物語完成テスト(Story Completion Test)、ベル適応検査(Bell Adjustment Inventory)などが使用された。

 その研究の結果、社会的関係に非常に積極的に参加している婦人は、自分の機能障害に対してもネガティブな態度をとっておらず、すべての面で適応性も優れていることが、明らかにされた。医学的にその機能障害が非常に軽い場合には、被験者の約20パーセントは、機能障害が身体的活動に大して影響を及ぼしていないと述べている。また、被験者の98パーセントは、身体的欠陥(the physical defect)を不利な者(a disadvantage)と折にふれて感じており、また70パーセントの者は、その身体的欠陥が生きる上でのプラスになると、報告した。

 DeutschとGoldstonは、家族の者の側からの身体障害に対する反応の仕方についての観察結果を報告した。適応の一つの形態として、家庭生活はその患者のみを中心にして進められ、必要以上の、またしばしばこれ見よがしの犠牲が家族の者たちによって払われている。このような状況においては、患者は病人とみなされ、それは、「過去において病人であり、現在は障害者である」というふうにとらえられていない。患者のネガティブな身体的側面のみが強調され、彼は<人となる>ことさえ許されず、また家族の一部とさえ考えられていない。もう一つの適応形態としては、家庭生活が患者を全く無視して営まれているケースである、患者が自宅に帰ってきても家庭生活が崩壊するなどということはなく、その家族の日常生活は、患者と全く切り離されたところで進められていく。前の二つの形態よりもっと積極的な、三番目の適応形態は、家族が患者を特別に保護したりするものではなく、その患者も家族に前向きに働きかける家族の一員であるとみなし、そのような考えでもって接触しているかたちである。このように、適応の仕方を研究してみた結果DeutschとGoldstonは、家族が障害を持つ者との接し方を知り、家庭に受け入れることができるならば、どんなに設備の整った施設よりも家庭の方が患者にとって居心地がいいものであると、主張している。

 NagiとClarkは、一方が若いうちに機能障害を持つようになった夫婦の別居率や離婚率が高いことを、明らかにしている(離婚ケースの36パーセントは、28歳以下で障害を受けている)。また、別居したり離婚したケースのほとんどは、機能障害を受けてから約5年以内に起こっている。

 Skipper、FinkおよびHallenbeckは、障害を持った主婦の身体的可動性(the physical mobility)と、彼女の日常のニードおよび夫のニードの満足度との関係を研究した。全体的なニードの満足度と可動性との間には重要な関連性は現れなかったが、安全性に関するニードの満足度に関しては、かなり高い関連性が出された。したがって上記の著者たちは、障害を持つ主婦の身体的可動性が大きければ大きい程、彼女の安全性と満足度が大きくなることを、提言している。身体的可動性の低い主婦は、自分の身を安全に守ってもらうために、他者に完全に依存してしまう。主婦の身体的可動性から、その人の結婚生活全般に対する満足度を推し測ることはほとんどできないことが、データによって判明した。しかし、夫の側からの夫婦としての満足度は、妻の身体的可動性が低ければ低い程、夫の満足度も低くなっている。結婚生活に対する満足度については有意な統計が出されており、障害を持つ婦人の性的満足度が高ければ高い程、彼女の結婚生活に対する満足度も高くなっている。

 Nauは、機能障害が起こった時点で、家族の者はみんな非常に大きな影響をこうむるという前提に基づいて、ファミリー・リハビリテーション(family rehabilitation)の概念を打ち出している。同氏は、フォード財団(Ford Foundation)が、アリゾナ州のカサグランテにおけるアリゾナ職業大学ファミリー・リハビリテーションプロジェクト(Arizona Job Colleges' Family Rehabilitation Project)の主要スポンサーになった理由も説明している。このセンターは、米国にある八つのファミリー・リハビリテーションセンター(入所制)の一つである、このセンターのクライエントには、障害者、貧しい農夫、アリゾナ州の南部・中部にいる移住者などがいる。このセンターは120家族を同時に受け入れサービス提供できる施設、職員、収容能力を備えている。一家族につき1年間が、トータルなリハビリテーションの期間となっている。広範囲にわたる評価に基づいて、個別化されたプランが立てられ、リハビリテーションを受ける。このセンターでサービスを受けた者についての調査データによると、彼らの職業持続性が長く、家族の収入のレベルも非常に高くなり、子供の成績、栄養状態、健康状態も良くなっている。

 BepplerとKnowlesは、34名の障害を持つ家事従事者を対象にして、彼らの集団行動(organization activities)、家族の協力、リハビリテーションの成功度について研究した。これらの三つの分野がお互いに、0.01レベルで関連し合っていることが明らかにされた。集団活動の得点が高い者は、男性の家事従事者、年とった者、視覚障害者、身体的能力の限界によって身のまわりの世話が必要な者、大家族に属する者に多かった。家事作業に積極的に参加している者は、身体障害を持つ30歳代もしくはそれより若い既婚女性と、ほとんど可動性に問題のない者たちであり、視覚障害者は家事参加度が低かった。また、彼らは心理テストの得点もよく、家事リハビリテーションの訓練もより多く受けており、料理や洗たくをひとりでこなせる。家事作業への参加率が高い家族は、2~3名の小家族構成であり、女性の参加率が高い。

 この研究において7人の男性が、リハビリテーションの成功度という面で高い得点を示した。

方法論

 今までに説明した調査や、数多くの実践家による経験の結果、家族関係の重要性がリハビリテーション分野のカウンセラーによって認識されてきた。家族との関係が密接であるかどうかが、リハビリテーションの成功を左右する。

 身体障害を持つ妻や母親にとって最も身近な人は夫であり子供であるので、彼らが、障害を持つ妻または母親を励ますかまたは無関心であるかによって、リハビリテーションを受ける者が心理的に影響を受け、リハビリテーションプログラムにもその影響が現れてくる。

 それではここで、障害を持つ母親が機能の評価を受け、個人に合わせた適切な教育プログラムを受けるリハビリテーションプログラムの効果について、考えてみよう。

 家事従事者リハビリテーション(homemaker rehabilitation)の専門的訓練を受けたコンサルタントが、家事の責任分担、役割、ニードなどについて、その妻・母親とその家族と話し合った。詳しく述べると、以下の4点について追究されたのである。

 1.身体障害を持つ妻・母親が在宅リハビリテーション(home rehabilitation)を受けている期間中に起こった、その夫や10代の子供たちの妻・母親に対する態度の変化と、リハビリテーションに参加していないケースの家族たちの態度とを比較・検討する。

 2. 在宅リハビリテーションを受けている身体障害主婦の自己認知(self-perception )の変化と、そのプログラムに参加していない身体障害主婦の自己認知の違いについて比較・検討する。

 3. 父親と身体障害を持つ母親と十代の子供が一人以上いる、というような家族構成の家庭で、一方は在宅リハビリテーションサービスを受けており、他方はそのプログラムに参加していない、という二つのグループの人間関係を比較・検討する。

 4. 身体障害を持つ母親とその家族が、リハビリテーションを受ける前よりも家事をより多くするようになった場合、その変化を記録する。

サンプル

 実験群として22名の主婦とその家族、対象群としての22名の主婦とその家族がサンプルされた。両群の中に、多発性硬化症、ポリオ後遺症、関節炎のカテゴリーに属す主婦が4名ずついた。また両群に、心臓器疾患、整形外科障害のカテゴリーに属す主婦が5名ずついた。これらの家族は障害を持つ母親の機能状態、社会経済階級、家事の責任分担という観点から選び出された。主婦の年齢は32歳から61歳にわたり、平均年齢は38.8歳であった。

表1 主婦の年齢群と障害カテゴリー
年齢群 障害カテゴリー*とパーセント
合計
実験群                        
30~39 1 4.5         3 13.6 2 9.1 6 27.2
40~49 3 13.6 1 4.5 4 18.2 2 9.1 2 9.1 12 54.5
50~59     3 13.6         1 4.5 4 18.1
60~69                        
合計 4 18.1 4 18.1 4 18.2 5 22.7 5 22.7 22 99.8
対象群                        
30~39 2 9.1         1 4.5 3 13.6 6 27.2
40~49 2 9.1 3 13.6 3 13.6 1 4.5 1 4.5 10 45.3
50~59     1 4.5 1 4.5 3 13.6     5 22.6
60~64                 1 4.5 1 4.5
合計 4 18.2 4 18.1 4 18.1 5 22.6 5 22.6 22 99.6

*障害カテゴリー:Ⅰ=多発性硬化症 Ⅱ=ポリオ後遺症 Ⅲ=関節炎 Ⅳ=心臓器疾患 Ⅴ=整形外科障害

 両群のうち、主婦8名ずつが車イスを使用し、そのしめる割合は36.4パーセントとなる。すべての主婦が、日常生活上や家事作業を自分でするために、何らかの補助具(adaptation)を必要としていた。

 障害が起こった後に経過した期間はそれぞれ差があり、数か月の者のいれば、先天性障害のように、生まれた時点から始まっている者もいた。

 しかし実験群と対象群の両群ともに、障害を受けてから5年ないし7年経過した者が最も多かった(全体の26.7パーセント)。

 全体の68.2パーセントをしめる家族は、子供が一人という核家族であった。しかし子供が2名、3名、そして4名もいる家庭もあった。15家族は、子供の数と主婦の障害とのバランスがとれていた。

 対象群の50パーセントは高卒の学歴であり、その他の27パーセントは大学に通っていた。実験群の40.9パーセントは高卒で、その他の36.6パーセントは大学に通った。したがって、両群の77パーセントが高校を卒業するか大学に通っていたことになる。

 夫の職業としては、両群に多くの職種を取り入れるようにしたが、半熟練職業(semiskilled occupation)の者が一番多かった。

 4家族(両群それぞれ2家族ずつ)は生活保護を受けていたが、その4家族を除くと、年収1万5千ドル(約450万円)を越える家族が2家族で、あとは5千ドル(約150万円)から1万4,999ドルまでの年収であった。

手続き

 この研究は実験計画法(experimental design)にもとづき、まず22家族(身体障害を持つ主婦、夫、10代の子供が1人以上いる家族構成)が、家事従事者リハビリテーションコンサルタント(homemaker rehabilitation consultant)によって実施されるリハビリテーション活動・相談を18か月間にわたって受け、その間にどのような変化が見られたかを調べた。そしてその結果を、活動に参加しない対象群に起こった変化と比較した。

 データ収集には以下の方法が使われた。

 1.「家事遂行テスト」(Household Activities Performance Test、略号HAPT)によって、家族がどのように家事を分担しているか、特に身体障害を持つ主婦がどの程度の能力を持っているかを調べる。 

 2.「主婦自己報告測定法」(Homemaker Self-Report Inventory、略号HSRI)が、主婦の自己認知(self-perception)を知る方法として用いられた。これによって、本人が自分の家事に関する役割をどのように考えているかを知ることができた。

 3.BurgessとWallinによる「結婚成功度測定法」(Marriage Success Schedule、略号MSS)によって、結婚関係を測る。夫婦のそれぞれが自分たちの結婚をどのように評価しているかを調べると同時に、相手はどう考えていると思うかを聞き出す。

 4.Margaret M. Hoffmannが考案した「夫の態度測定法」(Husband's Attitude Scale、略号HAS)によって、Maslowのニード分類法(Maslow's hierarchy of needs)によるニード5分野における夫のニード満足度を測る。

 5.「青少年の態度測定法(Youth's Attitude Scale、略号YAS)によって、Maslowのニード分類法によるニード5分野における青少年のニード満足度を測る。

 また、300語の中から自分にぴったりする形容詞を選び出すことによって、パーソナリティ24項目を測る「形容詞チェックリスト(Gough Adjective Check List、略号GACL)」が、両群の主婦に配られた。また家族に対しては、自分たちの住居環境(residential environment)がどうなっているか、リハビリテーションを受けられるコミュニティ資源についてどれ位知っているかが問われた。

リハビリテーションプログラム

 実験群が受けたリハビリテーション活動は、まず初めに、身体障害を持つ主婦の諸問題に焦点が向けられた。一人一人の作業能力を評価し、本人の希望する目標に基づいて教育プログラムが立てられた。その他のプログラムは家族から出されたニードに基づいて立てられた。コンサルタントは家族を全体として扱うとともに、家族の一人一人に対しても配慮をした。

 各家庭に出向く、リハビリテーション移動実験室である<家事無限バス(Homemaking Unlimited Coach)>が、主婦とその家族の初期訓練に利用された。利用可能なコミュニティ資源を効果的に活用するために、このリハビリテーション体験は、本人の家庭やその地域社会を本拠にして実施された。

データ

 本研究でのデータは実験群と対象群の両群に関して、実験前後の観察比較の方式に従った。その結果を簡潔にまとめたものが以下の通りである。

主婦自己報告測定法(HSRI)

 HSRI総得点は実験群および対象群ともに低下した。しかし、実験群の方が全体的に、得点の下がり方が大きかった。

 自己報告質問表のうち11の質問事項は、主婦としての自分の能力に対してどのような態度をとっているか、に関するものであった。これらの質問事項を、「家事作業小尺度(homemaking subscale)」として扱った。この小尺度は、統計上の必要性から、他の項目とは別個に扱われた、家事カテゴリーにおける変化は、統計的には有意ではないが、実験群は進歩を示し、対象群は退歩を示していた。

表2 両群における主婦自己報告測定法得点変化の比較

HSRI

サブグループ平均得点

F値*

実験群22名 対象群22名
合計 -4.64 -1.00 1.111
小尺度:家事 1.04 -0.59 0.193

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

HSRI、HAS、YAS実験前後の得点の比較

 実験群において、9名の主婦(40.9パーセント)はHSRI得点が上昇するかもしくは以前と同じであった。HSRI得点の平均上昇値は6.0であり、その他の13名の主婦については、平均下降値が12であった。

 HASにおいては、夫の得点の下降傾向が見られた。5名の夫はこの得点が高くなり、平均上昇値は1.2であった。その他の17名の夫は平均0.66の下降が見られた。YASにおいては、実験群の青少年には特別なパターンが現れず、得点の変動は明らかに個人的な理由によるものであった。12名の青少年(54.4パーセント)は母親との人間関係がよくなり、その上昇平均値は0.45であったが、10名の青少年は平均0.76の下降が見られた。

 対象群においては、50パーセントの者のHSRI得点は上昇するか以前と変化しなかったが、一方、50パーセントの者の得点は下降した。平均上昇値は6.1であり、平均下降値は8.1であった。

 HASとYASの得点については、明瞭な傾向は得な何も見られなかった。両群とも、母親と子供の人間関係得点は、約50パーセントが上昇を示し、残りの約50パーセントが下降を示した。

ニード5分野(Maslow)におけるYAS得点差の両群比較

 表3は、障害を持つ母親が青少年のニード5分野(Maslow)を満たす能力について、10代の青少年がどのように見ているか、その見方はどのように変わったかを表している。

表3 ニード5分野(Maslow)におけるYAS得点差の両群比較
青少年のニード分類 サブグループ平均得点 F値*
実験群22名 対象群22名
身体面 ポジティブ -0.10 0.01 2.89
ネガティブ 0.01 -0.13 3.10
安全性 ポジティブ -0.02 -0.04 0.08
ネガティブ -0.01 -0.07 0.64
愛情・帰属感 ポジティブ 0.00 -0.01 0.03
ネガティブ 0.00 -0.02 0.11
尊敬 ポジティブ -0.03 0.00 0.39
ネガティブ 0.02 -0.05 3.27
自己実現 ポジティブ -0.04 0.05 1.86
ネガティブ -0.03 0.05 0.90
合計差 -0.19 0.25 2.04

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

 18か月の期間の前と後に行った質問表の得点差は、統計的に有意なものではなかった。

 有意ではないが、合計得点差に高いF値が表れ、またそれは、身体面(ポジティブとネガティブの両方)、尊敬(ネガティブ)、自己実現(ポジティブ)のニード分野においても、同じように表れた。これらの分野におけるサブグループの平均得点は、実験群においては、ニード満足度が下降し、対象群においてはその得点が上昇した。

 カウンセラーが家庭訪問した数か月間に、家族の者たちが以前よりもオープンになり、また正直に話すようになった。得点(テスト後の)がそれを何よりも正直に表していると思われる。また、すべての家族が問題のある状況に対する「感受性」を強めたようである。

ニード5分野(Maslow)におけるHAS得点差の両群比較

 実験群が18か月間の訓練を受けた後に、障害を持つ妻が夫のニード5分野を満たす能力について、夫がどのように見ているか、その見方はどのように変わったかを、表4は表している。

表4 ニード5分野(Maslow)におけるHAS得点差の両群比較
夫のニード分類 サブグループ平均得点 F値*
実験群22名 対象群22名
身体面 ポジティブ -0.09 0.01 4.82*
ネガティブ 0.01 -0.03 1.32
安全性 ポジティブ 0.01 0.04 0.11
ネガティブ -0.03 -0.04 0.03
愛情・帰属感 ポジティブ -0.06 -0.01 0.96
ネガティブ -0.02 0.00 0.21
尊敬 ポジティブ -0.03 0.02 1.49
ネガティブ 0.05 -0.02 2.36
自己実現 ポジティブ -0.04 0.03 1.30
ネガティブ 0.02 0.04 0.10
合計差 0.26 0.16 2.57

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

 HASにポジティブに表れているように、夫の身体面でのニードの満足度は、統計上有意に変化した。全般的に、サブグループ平均得点は実験群としては低くなり(テスト後)、対象群としては多少高くなっている。表3および表4は青少年と夫の態度を表しているのだが、同じニード分野のF値を高くなっている。「実験群の夫」と「実験群の青少年」の平均得点は同じような変化を見せている。

態度3分野におけるHAS得点の比較

 表5において、<受容>分野においてはポジティブ得点の上昇が向上を意味している。<忌避>および<意識の集中>では反対となっており、これらの分野のポジティブ得点の上昇は向上を意味していないことになる。

表5 態度3分野におけるHAS得点の比較

夫の態度

サブグループ平均得点

F値*

実験群22名 対象群22名
受容 -0.06 0.02 3.18
忌避 0.01 -0.02 0.80
意識の集中 0.01 -0.03 1.42

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

 統計的には有意ではないが、受容と意識の集中の分野のF値は高かった。この両分野の平均得点差は、対象群における上昇、実験群における降下を示している。

態度3分野におけるYAS得点の比較

 実験前と実験後の青少年の態度には、有意な変化は見られなかった。忌避の態度は、統計的に有意ではないが、F値は高かった。

表6 態度3分野におけるYAS得点の比較

青少年の態度

サブグループ平均得点

F値*

実験群22名 対象群22名
受容 -0.03 0.00 0.36
忌避 0.03 -0.04 2.67
意識の集中 -0.02 -0.02 0.01

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

 対象群は、平均得点がネガティブに高くなっていた。実験前と実験後の得点差がネガティブに高くなっているのは、対象群の青少年は、母親が自分を受け入れ、無視しなくなってきたと感じたことを意味する。実験群の得点がポジティブに高いのはたぶん、忌避の態度が増加していることを意味するのであろう。

結婚成功度測定得点の変化

 表7に表されているように、18か月間には、結婚に対する反応は両群の夫・妻ともに、統計上有意な変化は見られなかった。

表7 両群の夫・妻における結婚成功度測定得点変化の比較

結婚反応

サブグループ平均得点

F値*

実験群22名 対象群22名
妻の結婚反応得点 0.09 2.09 0.49
夫の結婚反応得点 0.54 2.41 0.29

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

主婦の作業および設備における変化

 実験群における主婦の一般的作業、家事作業および設備に起こった変化について、詳しい記録がとられた。表8は、これらの変化を分散分析したものを図表化したものである、実験群の主婦は、家事従事者リハビリテーションのカウセリングを受けた18か月間に、作業遂行レベルを有意に上昇させた。最も高い上昇を表したのは掃除作業においてであり、食事の支度、食事の給仕、洗たく作業もかなり進歩している。また、その他の家事作業や家事に必要な設備においても向上がみられた。

表8 主婦の家事遂行、家事作業、設備に関する分散分析
変化項目 自由度 平均平方 F値*
<作業進行>
合計 43  
両群間 1 1501.113 6.250*
同一群内 42 240.161  
<家事作業>
合計 43  
両群間 1 420.363 1.920
同一群内 42 218.961  
<設備>
合計 43  
両群間 1 1489.454 1.545
同一群内 42 963.935  

*0.05水準で有意差ありとするF値は4.07

リハビリテーション資源

 個々の主婦は、自分がサービスを受ける側としてとか、または、何らかのサービスを実施しているとわかっている、リハビリテーション関係施設をリストアップするよう質問された。17名の主婦は、そのような機関を一つも知らなかった。その他の27名の主婦は総計で46か所の機関の名称をあげた。

 知っているという回答数は38で、31か所の機関名をあげ、サービスを受けたという回答数は40で、22の機関名をあげていた。数名の主婦は1か所以上の機関からサービスを受けていた。リハビリテーションサービス課およびMarch of Dimesの機関が、最もよく利用されていた。

 パーソナリティ特質については、両群に統計上有意なパターンはみられなかった。対象群はリハビリテーション体験の終わりに行われた形容詞チェックリスト(GACL)の各種項目において、一貫して自分自身を高く評価していた。

ケース・スタディ

 この教育プログラム中に起こった変化を明らかにするためには、簡潔なケース・スタディが最も効果的であろう。主婦、夫、および子供たちの生活状況を明らかにするために、いくつかのケースを紹介してみよう。

ケース・スタディ1

 このプロジェクトと初めて接触を持つようになったころ、A夫人は大腿切断後回復期にあった。これは、夫婦ともにアルコールを飲み、夫婦げんかになり、夫に撃たれ、その傷によって大腿切断しなければならなくなったのである。初めての面接のときA夫人はクラッチを使用しており、義足の装着を拒否していた。外出するのもいやがった。家族は生活保護を受けており、A氏は州立病院でアルコール中毒の加療中であった。5人の子供がおり、その子たちにも問題があった。

 20歳の養女が自宅に住み、家事のほとんどをこなしている。彼女には重症の情緒問題があり、A夫人をかばおうとすると同時に、A夫人に依存的である。12歳の少年は肥満児であり、非常に陰気になっている。10歳の少年は学校で風紀問題を起こしている。

 A夫人は家族に家事をするよう要求し、自分では何もしようとしない。A氏は病院から帰ってきても不機嫌だが、A夫人の命令に従順に従っている。A氏は料理・洗たくをすべてし、また、子供の面倒もよくみる。A夫人に「どんな家事なら上手にこなせますか」と質問したところ、「何にも自信はありません」と答えていた。

 プロジェクトが始まったとき彼女は、栄養関係の資料に興味を示した。四つの基礎栄養素とA家族の献立を比較し、どのような栄養素が不足しているかがわかった、次に食事計画が強調され、献立を事前に立てること、特売品を中心にして計画すること、買物リストを完全に作ること、値段をよく検討した上で買うこと、などを徹底させた。事前に計画を立てるということは、家事のすべてに共通して重要であることが強調された。A夫人は、自分もうまくやりくりできるのだと、自信を持つようになった。

 子供の問題についての相談にウェートが置かれた。養女は夫人をかばうが、その代償として自分の情緒的問題に対してA夫人の時間、注意、関心をかなり受けていた。彼女は精神科の治療を受けていた。リハビリテーションサービス部(Division of Rehabilitation Services、略称DRS)の手配により就職先も決った。その仕事のおかげで自動車も購入できたので、自由に動きまわれるようになった。彼女の問題がすべて解決されたわけではないが、A夫人はその養女を扱いやすくなったようである。したがって養女にそれまで向けられていた注意が10歳の少年の方に向けられるようになったため、彼は学校で風紀上の問題を起こさないようになった。

 A氏はDRSのクライエントとして、管理人になる訓練を受けた。しかし訓練が終わっても、重罪の過去がつきまとい、就職できなかった。DRSのカウンセラーと連絡を取り、情況を説明した。カウンセラーは情況を評価しなおし、A氏は次に溶接学校に入った。彼はこの仕事がすごく気に入り、5か月間の訓練中に最高点を取った。彼は先生や同僚に好かれ、尊敬もされたと、非常に誇らしげに報告している。

 A氏も養女も日中は家にいなくなったので、A夫人は自分で家事をしなければならないことを自覚し始めた。彼女はまた不安定な状態で、彼女にケガをさせた夫を責めていた。彼女は自分の心の状態を「混乱している」と言い、また何事もやる気を出していなかった。この時点で、彼女は「自分のことを『肢体不自由者』と考えているのか、それとも、片足をなくしはしたが賢く、有能な人とみなしているのか」と問われた。「ただ片足を失っただけではなく、すべてのものを失ってしまったと考えている」と彼女は答えた。この会話が、A夫人に再び家事に責任を持たせる転機になったようである。

 安全性を確保し、作業を簡素化するために、洗たく室を改造した。A夫人にはまだ台所の作業がしにくかった。食事の支度をするとき、クラッチで何度も台所内を行ったり来りするのは骨の折れることであった、戸棚の一番下にある鍋を取り出すためには、クラッチをまずはずし、それから床にすわり込み、鍋を取り、それを調理台の上に置き、それから自分の体を起こし、クラッチを元どうりにし、それで初めて料理にとりかかれるのであった。したがって鍋がすでに用意されていなければ料理に取りかかる気になれず、家族の者が帰って来るまで待っているのであった。DRSはA夫人を職業訓練のクライエントに認定し、家事を職業とみなしたのである。DRSの配慮により台所の収納部が改善され、仕事がしやすいように物の位置が変えられた。戸棚はプルアウト式にし、ターンテーブルやレンジの中の収納部を取り付けることにより、すべての器具が出しやすくなった。養女が手伝うべきことをリストアップしなおした。それまで彼女の手伝ってきたことを変えるについては、その理由を彼女に説明し、彼女もそれに協力してくれた。

 みんなに励まされてA夫人はセラピストに相談に行った。その結果、もう一回手術をし、義足の調整をしなければならないことがわかった。A夫人は義足を再び装着できるまでに回復した。今では義足を完全に受け入れるようになり、「以前の自分の態度が信じられない」と言う程になり、義足を装着すると仕事がしやすくなった。 

 彼女は教会の活動にも参加しだし、昔は「飲み友だち」とつき合っていたのに、今では「教会の友だち」が多くなった。(18か月間のプロジェクト期間中は、A夫人もA氏もアルコールは口にしなかった)。「私たちはみんな幸せなので、飲む必要がなくなったのよ」とA夫人は言っている。

 A夫人は有能な主婦となった。A氏も自分から好きで料理を手伝ってくれるし、子供たちも家事を分担するようになった。

 最後の会合でA夫人は、「プロジェクトが始まったとき、私はただすわっているだけで何もする気がしなかった。どこへも行きたくなかったし、また行けないと思っていた。でも次第に、問題を持っているのは私だけではないことがわかり、いろんなことを勉強しなおしてみようという気になった。今では自分でできないことは何もない」と言っていた。彼女が現在のように幸せになれたのはプロジェクトのお陰だと感謝していたが、それは「あなた自身がそれを希望し、やる気になったからですよ」と話した。

ケース・スタディ2

 「多発性硬化症にかかった者は迷える小羊である。自分もこの世の中の一部として考えたいのに、世の中は多発性硬化症患者を無視している。一般の人々は丁寧な態度をとるけれど、多発性硬化症患者の立場に無関心である。」これは45歳の多発性硬化症患者、G夫人の言葉である。彼女は小学校教諭として18年間つとめていたが、多発性硬化症の進行により、職場を去らざるえなくなった。現在彼女は車イスに乗り、夫と11歳の息子がいる主婦である。自分の限られたエネルギーを超越して活動的でありたいと願い、興味を豊富に持っている。

 G夫人は小型トラクターに乗って、家庭の年中行事である造園プロジェクトを楽しんでいる。趣味で小説を書き、それによって時には収入を得ることもある。息子や夫の趣味である鉱石捜しや家族の系図をたどったりして楽しんでいる。夫が取り付けてくれた手動装置付の自動車を運転し、ガレージには、これも夫が作った自動製エレベーターで出入りする。

 G夫人は積極的な人で、どんな作業をするにも簡単な方法を考え出すことができた。家族は特定の目的をもってこのプロジェクトに参加することに同意した。台所仕事をする際の大きな問題点は、カウンター、流し台、ガス台などが車イスに乗った状態からでは高すぎることであった。

 <家事無限バス>を見てから、G夫人が家事をしやすいように台所を改造し、カウンターなどを低くした。参考になる本、雑誌を見たり助言を求めたが、最終的な設計や財政面は自分たちで決めた。彼らはすべての情報を注意深く検討し、収納部や器具の配置を注意深く計画した。台所がよくなったために非常に満足げであった。コンサルタントが呼ばれたときはいつでも、一つの改良がなされたときで、それに対してコンサルタントのコメントを聞きたがった。その工夫は必ずしも「理想的」なものではなかったが、それでも彼らにとっては満足のいくものであった。すべてのカウンターが低く下げられG夫人は車イスからでも使いやすくなった。電気ロースター、フライパン、ミキサーはすべり引き出しに納められた。雑誌やその他の情報によって、収納部を適切な場所に設計した。カウンターの上の戸棚はまだ取り付けていないが、これも財政が許せば設置する予定である。

 G夫人と夫は、台所がG夫人にとってより安全になったと喜び、夫人が自分でなんでもできるようになったので、夫としても工夫のしがいがあったと言っている。食事の支度をするにも、以前より時間とエネルギーを節約できるので、料理が以前よりも好きになり、「できない仕事は嫌いになるものですよね」と彼女は感慨深げに言っていた。

 最後の訪問のとき、G夫人はコーヒーとクッキーを用意してくれた。今までは友だちが家を訪ねてくれたときに出したくても、コーヒーを出すエネルギーはなかったと言っていた。今では自分でそれができるようになったのである。

ケース・スタディ3

 J夫人は49歳であり、18年前に関節リウマチになった。彼女の手足はひどい障害を受け、可動域も限定され、痛みにもしょっちゅう襲われた。彼女は一貫してセラピイを拒み、自宅にこもりきりであった。

 彼女の家族は心よく手を貸してくれるのだが、家事はできるだけ自分一人でこなしたかったし、自分なりの水準を保ちたかった。しかし、数多くの作業がむずかしくなったため、家事に興味が持てなくなり、落胆してしまった。

 プロジェクトが始まると、日常の家事をやりやすくするディバイスが紹介されたり、よい助言が与えられたので、家事に対する興味もだんだんにわいてきた。ピストルのような握りのスプレー、ドアにぎり部のホルダー、すべり皮、せん抜き、ボール安定器などのお陰で、手指が楽になった。

 このボール安定器を見て彼女は、「自宅のオーブンの中に重い鍋をいくつも積み重ねており、そのために、パンを焼きたくてもその重い鍋を取り出さなければならないので、オーブンを使えなかったんですよ」と言っていた。鍋類はレンジの垂直線上に配置するとよいと助言された。J氏はすぐに、鍋類をかける吊り具を作ったので、一つ一つの鍋が簡単にとれるようになった。

 鍋類の置き場所が変わることにより、食事の支度が簡単になり、無理な負担がなくなったばかりでなくエネルギーと時間の節約になり、台所の収納部をもっと改善することに熱中しだした。すべての戸棚に手が届くようにすることが次の課題となった。ひざの上に載せるお盆があったのだが、その上にいろんな物が積み重ねられているためにほとんど利用されていなかった。大きなコーヒー沸かし器も、その上に何かが載せられているために使える状態ではなかった。戸棚には、どうしても必要な物だけを選び出して入れるように注意された。コンサルタントの手を借りて、戸棚のサイズを注意深く測り、大きなお盆や皿は垂直に置くように計画し、一番多く使われる食器類には、それ用の置き場所を工夫した。このときにもJ氏がかなり協力してくれた。

 収納部のスペースが十分に取れたので、食器類の出し入れが簡単になり、その結果、J夫人は台所の改造に興味を持ち出した。彼女はプルアウト式の棚、ターンテーブル、レンジの中の収納部などにも非常に興味を示した。台所の収納場所の再配置計画は完成し、今年の後半には改造プロジェクトにも参加する予定である。「私は家事に興味が持てなかったけど、お陰様で、面白くなってきたわ」とJ夫人は話していた。

 収納場所を変えることにより作業が簡素化され、それによって自分なりの水準が保てるようになった。リラックスしたり、関節炎患者に必要な休養を取る時間も持てるようになり、趣味の裁縫も楽しめるようになった。

 縫い物をするとき、すわった姿勢から立ち上がって、何か必要な物を取るのは大変なのでキャスター付のイスを利用し、ミシンに向かっているときはその背もたれに寄りかかり、必要な物を取りたいときには、すわったままで移動できるようになり、痛い思いをしなくてすむようになった。

 J夫人はほとんど外出をせず、セラピストや医師に診てもらうのさえ拒んでおり、訓練プログラムも守っていなかった。彼女はYMCAの障害者水泳教室に参加するよう強く勧められ、今では毎週YMCAで泳いでいる。自分が再びコミニティに参加しているのだという実感があると述べている。彼女は今では人との交わりを楽しみ、その活動も彼女の一週間にとって価値深いものとなっている。

 立派な主婦であり、コミニティや家庭生活に個人として参加しているという気持ちを持つことは、心理的にも重要であり、それがJ夫人の幸せを築いている。

ケース・スタディ4

 V夫人は交通事故で脊髄に傷を受け、6年間車イスを利用している。V家には三人の子供がいたが、そのうちの二人はすでに結婚し、一人の娘だけが家に残っている。V夫人の母親も一緒に住んでいる。コンサルタントが初めてV夫人を訪ねたとき、V夫人は車イスに乗っている事実について話すのをいやがった。事故のあと長い間家の中に引きこもり、人の中に出ていくのがいやだったが、人と交わることが自分には非常に大切で、残りの人生を家の中でじっとしているわけにはいかないのだと考えるようになった。

 V家は2階建てであり、事故の当時はバスルームが2階にしかなかった。そのために、寝室、バスルーム、洗たく室を1階に増築した。これによって1階ですべての用が足せるようになり、また家族の者の洗たくも自分でできるようになった。V氏は、妻は事故前と同様に家事をこなすべきである、と主張した。V夫人は洗たくや掃除はできたが、やけどがこわくて料理をしようとしなかった。食事の支度を母親にまかせたのである。

 <家事無限バス>が自宅に来たとき、V家の人々は驚きの声をあげ、「バスルームの増築をする前にこのバスを見たかった」と感想を述べていた。増築されたバスルームのトイレやバスタブは非常に低く、V夫人には使用しにくいものであった。高くなっているトイレの座イスやシャワーの座イスにとても興味を持った。彼女はすべての情報を注意深く読み、将来このような器具を購入するつもりだと言う。

 プロジェクトの期間中に、V夫人は自分が車イスを使用せざるをえないという事実を受容するようになった。リーチャー(reacher)がとても便利なものであることを知り、非常に興奮していた。これによって、新たな自立の道が開かれたわけである。例えば、リーチャーを使って、玄関の新聞も取れるようになった。これがあれば、家族の者が家に戻るまで新聞を待たなくてもすむようになった。台所においても、以前は自分で取れなかった物を取れるようになることが明らかになった。これによって、料理にも再び興味を持ち出した。電気フライパンのように持ち運び可能な器具を使った調理法を、コンサルタントが教えたら、V夫人は非常に喜び、「家族のためにできるだけ料理を作っており、先日はお客を8名夕食に招待し、その準備はすべて自分でしました」とコンサルタントに報告してきた。

 V夫人は自分が車イスを使用しているという事実を認め出し、主婦としての役割を以前のように果たせる方法があることに気づき始めたのである。新しいやり方を受け入れ、今では、車イスに乗っているための制約を克服する方法を自分で探し始めた。

ケース・スタディ5

 R夫人は2人の息子の母であるが、下の息子が3歳のときに、リウマチ熱によって心臓がひどく冒された。R夫人は常に家事を自分の天職と考え、病気になってからも、なんとしても自分は妻と母親としての役割を果たし続けたいということが、第一に重要な目標であった。病院から退院後もしばらくR夫人は床に伏していなければならなかったが、彼女が体力を回復したので彼女や家族の者は、彼女の体の状態に合わせた新しい生活形態をつくり始めた。病気になる前は、R夫人はコミニティ活動にも積極的であった。しかしこのような活動や家族と一緒の室外活動はもう不可能になってしまったので、家族中でかつては楽しんでいたスポーツのかわりに、カード遊びやその他の静かな活動を楽しむようになった。

 <家事無限バス>が回って来てからR家は、R夫人が家事をしやすいように自宅を改造することにした。台所が広すぎて、動きが大きすぎるために、食事の用意もむずかしかったが、台所を勝手口の方に移動し、コンパクトな設計にした。台所の収納部分を入念に設計し、ポットや鍋類はプルアウト式の収納ユニットに入れ、回転したり高さを調節できる棚、ペグボードによる収納、垂直式収納を取り入れた、新しい台所に入れる器具も慎重に選び出され、腰をかがめなくてもいいようにオーブンが上部についているレンジを購入した。以前台所だった場所を食堂とし、地下にあった洗たく室を、もとの食堂に移動してきた。作業を簡素化するために、このように改造することによって、R夫人は以前と同じように洗たく、食事の支度ができるようになったのである。

 R夫人は、一つの作業を簡素化する方法を開発するために何年もの年月がかけられていること知り、彼女が試みてみた方法を常に公表し、自分も他の障害者のために役に立ちたいと思った。家庭を管理するための数多くの作業をやりやすくする方法を発見するまでの失敗談を、コンサルタントに話した。

 家事をこなすと同時に、趣味にさく時間がより多く持てるようになった。最近、R氏が彼女のために裁縫室を建てた。キャスター付きのイスを使うことにより、イスに乗ったままで裁縫に必要な物を何でも取れるようになった。高さを調節せきるアイロン台を裁縫室に設置したので、すわったままで快適にアイロンをかけられる。

 R夫人は体力を回復し、ボーリングやミニ・ゴルフなどのスポーツにもほんの少しなら参加できるようになった。彼女は活動的になるにつれ、休養時間の確保の重要性に気づき、また、時間が足りなくなったためにあわてなくてもすむように、準備時間を十分に取るように心がけるようになった。家族でつくりあげた新しい生活形態は、R夫人が病気になる前の生活よりも、もっとリラックスできるものとなった。この新しい生活形態のお陰でR夫人は妻と母親としての役割をまっとうできるので、息子たちもR氏もこの生活形態に満足しており、R夫人も、自分が最も望むこと-主婦としての天職をまっとうすること-ができるので非常に喜んでいる。

まとめ

 ファミリー・リハビリテーションという奥行の深いプログラムは、家族のすべての者にこの問題についての感受性を高めさせたが、統計上のデータはポジティブな変化を適切に反映してはいなかった。家事リハビリテーションカウンセラーは確かに、家族の者たちに変化が表れたことを見届けた。これらの変化は、障害を持つ主婦、夫、子供たちからの感想によっても明らかであった。態度上の変化は統計上のデータには表れなかった。初期のデータには、家族の者が障害を持つ主婦をかばっている様子が反映されている。家族と交渉を持ってから1か月か1か月半後の家族の態度や関心の持ち方は、初期のデータとはかなり違ってきた。

 これらのリハビリテーション体験において示されたように、主婦が家事を自分でこなせるようになったことは、家族の者が職場で自分を発揮したり、社会的関係や自己達成の自由を再び持てるようになったことを意味している。家事従事者リハビリテーションは、障害を持った主婦に自己達成の道を見い出させるばかりでなく、家族の者にとっても自己達成を意味するのである。

参考文献 略

*Dr.Schwab はネブラスカ・リンカーン大学の助教授(人間発達・家族学)である。同女史は家事リハビリテーション(homemaking rehabilitation)を専門に研究してきた。
 本稿において報告されている調査は、イースター・シール研究財団の1971~1972年度助成金およびネブラスカ農事試験場の援助金およびネブラスカ農事試験場の援助によって実施されたものであり、Paper No.3868,Journal Series,Nebraska Agricultural Experiment Station として出版されている。
**本誌編集協力者


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1975年10月(第19号)12頁~24頁

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