〈社会〉 年少障害児に対する医療・教育サービスが家族関係に及ぼす否定的影響

〈社会〉

年少障害児に対する医療・教育サービスが家族関係に及ぼす否定的影響

Some Negative Effects on Family Integration of Health and Educational Services for Young Handicapped Children

Nanette L.Doernberg,Ph.D**

西口和美***

 年少の身体障害児に対する治療的アプローチを普及させることは、アメリカ予防精神衛生学会(American Orthopsychiatric Society)のある基本理念、すなわち家族という組織は非常に重要である、という理念に脅威を与えるものである。これらの子供たちに治療や訓練を行うサービスシステムは、明示されてはいないが、ある二つの仮説に基づいている。すなわち一つは、そのような子供たちの療育は非常に重要で、効果的な治療が子供のために行われねばならず、これは子供にとって意義あるものになろう、という仮説である。もう一つは、子供にとって意義のあることは、その家族にも意義があるというものである。

 このような仮説に従い、現在のサービスは、子供の障害の治療にのみ重点を置く。そしてこれらのサービスを利用することは、その障害をもつ子供だけでなく、家族それぞれにも有益となると考えられている。

 これらの仮説には何ら議論の余地が無いように思われる。しかし、長年障害児を持つ家族とかかわってきた私の臨床経験から言えば、これらの仮説に基づく治療計画は、家族関係に危機をもたらす。治療を行った結果、その家族は何を得、何を失うかという相互の可能性はほとんど考慮されず、家族全体という観点から、治療の重要性が考えられることもない。障害の改善という観点からのみ、その利点が主張されているだけである。

 これらは決して誤まった仮説ではない。「障害児の療育」と「障害児とその家族の利益」にのみ、限定して用いられた基準である。しかし、障害児とその家族の一般的な幸福を無視して、障害の治療にのみ重点が置かれるような場合には、障害児自身にも、その家族にとっても、有益なサービスとはなりえない。

 治療の概念をこのように狭義に限定すると、わずらわしく、有害でさえある治療が、障害児とその家族とに押しつけられる。これは障害をもつ子供だけでなく、家族それぞれから、健全な家庭の機能を奪ってしまうことになる。家族の特別な一員の治療が、治療本来の緊張に加え、家庭を脅かしたり、破壊さえもたらす圧迫を与える。こうした事実が考慮されないと、その治療は障害児と家族とが助け合うのを妨げることになり、その家庭は一般の家庭がもつ役割を果たすことができず、まさに「障害」に縛られてしまうことになる。

 子供が重大な障害をもっている家庭に既に存在している緊張の上に、サービスの否定的な影響(私はここでは標準以下や不適切なサービスではなく、適切なサービスについて話しているのだが)が付け加えられる。すなわち、苦悩や怒り、罪悪感、非嘆、欲求不満、無力感、毎日の子供の世話など、障害児を持つ家族に特有な問題に加え、新たな問題が生じてくる。

 児童精神衛生合同委員会(The Joint Commission on Mental Health of Children)は、以下のように主張している「子供に関係のあることはすべて、その家族にもかかわってくる…。家族の一員に影響するあらゆるサービス、またはサービスの欠如が、両親、兄弟姉妹、すべての家族に影響してくる、という事実を我々は見落としてはならない。」(Crisis in Child Mental Health;Challenge for the 1970s;Report,New York;Harper & Row,1970)。

 障害児にかかわっている臨床家は、実際にはいつもこのようなことを見落とし、ただ口先で唱えているだけだ、というのが私の実感である。臨床家は障害児の家族、一般には母親に向かって、彼女が良い親とみなされるよう、障害をもつ子供のためにあらゆるサービスを受け、役立てなければならないと主張する。他方で、世間の人々や彼女自身も、その他の子供や夫、そして自分自身が必要とすることにも答えるよう要求する。それゆえ母親は二重の束縛を受けるが、これらを満たすことはとても不可能である。夫婦の関係、母親と他の子供たちとの関係、父親と障害児及び健康な子供たちとの関係、兄弟それぞれの関係などは、すべてゆがめられてしまう。

 障害児のサービスのあらゆる場面に、セラピストや教師、トレイナー、また少なくとも子供の運搬者として、母親は直接にかかわらざるをえない。もしも子供が特別な病院で治療を受けている場合には、彼は理学療法、補装具、作業療法、言語療法、薬物治療、外科手術などを受けることが可能となる。病院やその他の機関に入所した場合に、遊びの仲間に入るよう勧められることもあろう。また障害児が週に何回も医師の所に行き、家で両親がその治療を補う訓練をするというのもめずらしいことではない。それゆえ家族間や、まして外部の人と人間関係を形成するためには、時間や金銭、エネルギーなどを使うことがほとんどできなくなってしまう。これはその障害をもつ子供にもマイナスになる。このようにして、その子はもちろん他の兄弟たちも、普通の家庭生活に参加する機会を奪われてしまう。すると、家族とはどのようなものであるか、という自分の意見を形成する際、病気よりほかに家庭を特徴づけるものはなく、真の家庭の意義は、とうてい理解できないことになってしまう。

事例1

 Ralphは6歳の、知的には普通の少年である。彼はかわいらしく、おしゃべりで、いわゆるおませな子である。てんかん発作を投薬で抑えていた。中産階級である彼の家族は、両親と4歳の妹のSusie、Ralphの4人である。彼は普通学校に通い、教科学習を行うことができたが、書字動作に障害があり、行動にも少し問題があった。彼は家庭でのしつけと行動にも問題があった。そこで彼の両親が彼をもっと気持ちよく理解し、取り扱えるようになることを目的として、私の指導を受けにきた。彼は既に病院で作業療法を受けており、また母親も、家庭での緊張を緩和するためにサービスを受けていた。というのはこの緊張が、彼女の高血圧や抑うつ気分、他の家族に向けられるヒステリックな怒りの発作などに影響していたからである。

 その家庭は混沌としていた。RalphとSusieはいつもひどいケンカをした。Ralphの父親は、息子はどこも悪くはないのだという考えと、彼が重度な障害をもっているという考えとを交互に抱き、息子の障害を正しく理解してはいなかった。父親は自分がスポーツに強い興味や関心をもっていたので、Ralphのぎこちなさに特にいらいらしていた。彼は息子の行動を自分がコントロールできると考えた。しかしRalphの障害は非常にとらえにくく、これは不可能であった。父親は高額な医療費の支払いをするため、職業を二つもたねばならず、過重な仕事のスケジュールに追われ、Ralphの治療について十分に考える余裕はなかった。彼は毎日、それも一日中外出していたので、Ralphと一緒に楽しむような時間も持てなかった。

 教師の代わりをも務めていた母親のMrs.J.は、度が過ぎていた。彼女は病院へ週に5回も通い、家でもRalphの訓練を行うよう努めていた。彼が行った行動や、Susieとケンカをした理由を夫のMr.J.に聞かせ、SusieはRalphに対して良い子でなければならないと言ったりした。Mrs.J.はまたRalphを毎日学校へ送り迎えし、Susieを遊び仲間から引き離し、毎日一緒に連れていった。私が初めてMrs.J.に会った時、彼女はどこかに消えてしまって、もう戻ってきたくはないなどと話していた。その夫のMr.J.は、彼女がRalphの行動の扱いに失敗したと考えていたので、彼女に話しかけもせず、文句も言わなかった。

 母親とその障害をもつ子供とは、家族の中で小さな2人だけの関係を作ってしまった。月曜から金曜まで毎日、午前9時から午後5時まで予定がぎっしり詰まっていた。ところが父親の方は、子供とこのような経験を共にしたり、慰めとなる言葉や、専門的な意見を聞いたりできる機会は全くなかった。Ralphは訓練を受けるなど特別なことが必要であったが、母親だけがこの訓練に参加し、父親はずっとそれにはかかわらなかった。父親が治療や訓練を行えるようになるためには、どのように行い、なぜ行うのかを妻から教えてもらわねばならなかった。彼女は障害をもつ子供に関して、この家の専門家であるということを、夫に繰り返し示すという、居心地の悪い、耐えられない地位に押しやられていた。障害児をもったため、既にその結婚に緊張が生じていたが、このような状態はそれをさらに悪化させることになった。

 こうした状況に置かれた父親は、まさに「孤立した人」であった。彼は訓練について知る機会がなかったために、妻ほどの知識もなく、身体的にも心理的にも子供をどう扱うのかわからず、びくびくしていた。子供に対する役割もはっきりせず、その子の母親の夫であるに過ぎず、このような地位のため、妻に怒りさえ感じ、彼の落胆に間接的に影響している医師にも腹を立てたりした。その家族がこうした状況を理解し、対処していく助けとなるはずのカウンセリングでさえ、ほとんどいつも「母親のグループ」に、昼間実施される。それゆえ子供に関する母親の役割がさらに強化され、この問題についても妻ほどの知識をもたない父親は、またも妻から学ぶという地位に置かれ、ますます遠方に押しやられてしまうのである。

事例2

 Janieは茶色の目の、背が高くてやせた6歳の女の子である。最近の診断によると、彼女は痙直性の両マヒをもつ、不定型の混合型脳性マヒ児で、精神薄弱、表出言語の障害、難聴、斜視を併せもつ。現在てんかんは投薬によって抑えられている。彼女は歩行ができず、短下肢装具(S.L.B.)を装着している。彼女の歩行は、ほんの少しずつながら進歩を示している。

 最近まで行動にも問題を示していた。無目的な反復行動、手ばたき、固執性、相手の顔を正視できないなど、多くの行動異常を示していた。彼女は母親に身体の世話をしてもらう時、ぎゃあぎゃあ泣き、ほんの2分間も一定の状態を保っていられないほどだった。

 最近彼女は重複障害児のための特殊学級に入った。彼女もまた毎週、作業療法、理学療法、言語治療などのサービスを受けている。彼女は母親のMrs.L.と毎週診察を受けに行き、母親は家庭で彼女をどのように取り扱うべきかについて、助言を得ている。さらにMrs.L.は、それぞれの家族が障害児をもっと気持ちよく、効果的に扱えるよう、指導を行っている親の会にも参加している。Janieは補聴器もつけている。

 Janieは父、母、12歳の兄のJohnと一緒に住み、その家族はイタリア系のやや下層の階級に属している。両親ともアメリカ生まれで、父親のMr.L.はウェイターとして長時間働いている。母親のMrs.L.も家事に加えて障害児のための組織に入り、週に8時間、精神薄弱児をもつ家庭を訪問するなどして、その組織の有力なメンバーとなっている。

 Mrs.L.はJanieに対して非常に責任を感じている。彼女はそのすべてをJanieのためだけに費し、家庭でも治療を行っていた。彼女はJanieに対してだけでなく、年少の障害児に関する専門家と言えるまでになった。Janieの障害は母親の人生における最大の関心事であった。

 29歳のMrs.L.は、車いすを利用できないJanieを抱いて運んでいたため、ひどい腰痛を訴えるようになった。そして彼女は自分の運命について愚知を言うだけの、憐れな犠牲者となり、まもなく愚知をこぼすことに罪の意識を感じ、すっかり疲れ果て、最後には怒りっぽくなってしまった。

 これはその夫のMr.L.ばかりでなく、障害をもたない兄のJohnにも少なからぬ影響を与えた。Mrs.L.は自分がJanieの世話だけに追われ、Johnのことを心配してやれないということに十分気づいていた。そして彼女がそのことを腹立たしく思っているように、Johnも不満を感じていた。また逆に彼女もJohnもそんな怒りを感じたりするのは罪深いことだとも考えていた。Mrs.L.がJohnにもっと多くの時間を費していたなら、Janieに打ち込むことはできなかったであろう。しかし彼女がいつまでもそうしていたらいつかJohnは傷つくであろう。しかし彼女は自分自身のために時間をさくことさえ、価値のないことだと思い、罪悪感を抱いたりするのである。妻、人間、普通児の母親としての欲求より、Janieのために何を行うべきかということが優先した。Mrs.L.はその犠牲となることに甘んじ、Johnにも同じ道を歩むことを強いていた。Janieが期待以上の進歩を示したので、このような傾向は一層著しいものになった。とはいえ、Janieが重度の障害児であることには変わりない。しかしMrs.L.がJanieとの進歩について賞賛されたため、彼女はさらに努力を重ねなければならないことになった。

 このような結果、母親にどのようなことが起こったであろうか。彼女が好むと好まざるとにかかわらず、彼女は家族の中で障害児に関する知識の貯蔵庫となった。彼女はこの役割を拒否するわけにはいかなかった。なぜなら、彼女の罪悪感がそれを許さなかったし、彼女の代わりになってくれる人もだれもいなかったからである。彼女はそれをただ自分一人の責任であると考えてしまった(それは実際のところ正しいのかもしれないが)。こうして彼女は「何ら得るものもない」状況へと追いやられる。彼女は障害のない子供たちの要求にも敏感で、それに答えたいと思っていた。しかし彼女はいつも多忙で、家族の予定を考慮することもできず、障害をもつ子供のために、家庭で行わなければならないことも多かった。

 母親がやむなく、障害のない子供をベビーシッターに任せ、自分は障害児のために訓練スケジュールをこなしていく、というケースに私はいつも出くわしている。彼女たちがその治療の意味を誤解し、取り違えているような場合には、私は彼らを「過保護」とか「不安症」などと診断した。他方、彼らが治療の予定をキャンセルしたり、時によっては家庭生活だけを重視したりしようとする場合には、「非協力的」とか「無関心」とみなした。彼女たちは、他の子供が学校から帰ってくる時は家にいようと努め、その子供たちを迎えるのを、友人や他の家族に頼もうとはしなかった。しかし彼女たちは、障害児の治療のために何時間も待たねばならないことがあり、ほかの子供たちがだれもいない家に戻ってくるということもよくあった。幼児を保育園に預けたり、年長の子供をも、幼児の世話をする機関に無理に頼み込んだりして、障害の治療を続けていく。他の障害をもたない兄弟は、学校から帰ると留守番をしているか、母親に治療場面に連れてこられ、彼女の手伝いをすることになる。母親が平日に年長の子供を連れてくることもある。これは放課後、その子のめんどうをみてくれる人がおらず、母親は予定どおり帰宅できないということがわかっているからである。そして障害のない子供も、母親と一緒に治療場面にとどまることになる。しかしそれはおもしろい経験ではないし、彼らは治療に関心もない。けれどもこれは、障害をもつ彼の兄弟には必要なことなのである。

 母親と障害児とは家族全体から分離してしまい、母親のエネルギーが不均衡に家族の一員にだけ向けられるので、父親と他の子供たちはすっかり疲れきってしまう。言うなればパートタイムの母親と過ごしているようなものである。こうなると母親は健康な子供にとって重要な「特別の出来事」には参加できなくなる。彼女は他の母親すべてが参加しているような時でさえ、障害のない子供やその仲間と一緒にボーリングに行くことなどはできない。なぜなら彼女は障害児を連れて病院に行かなければならないからである。そこで可能な場合には、しばしば父親が障害のない子供のめんどうをみることになる。するとこれらの子供はますます母親から離れ、父親の方は障害児から遠のいてしまう。兄弟それぞれもバラバラになり、母親も他の家族とはあまりかかわりがなくなってしまう。障害児とその兄弟とは、お互いを理解し合えなくなり、障害児に対する思いやりに欠け、障害児の方はそれに感謝することもなく兄弟相互の愛情を育てる機会も限られてしまう。健康な子供たちは、障害をもつ自分の兄弟を一人の人間としてとらえられず、むしろ治療や訓練を続けている者とか、彼らの母親の時間とエネルギーを奪っている者とみなし、最終的には彼を憎んだり、罪ある者と考えたりすることにもなってしまう。

 要約すれば、家族それぞれが障害そのものばかりでなく、その障害の治療にも苦しめられている。罪の意識をますます強め、怒りをつのらせている。障害児をもつ家族が治療を受けた結果はほとんどこのようなものになってしまう、というのが私の実感である。誇張しているとも思われそうな冷酷な事柄について述べてきたが、すべて私の経験に基づいており、決して誇張ではない。このような現状を改善するためには、家族側から専門家に働きかけていくよりも、むしろ専門家の方から積極的にアプローチしていくことが重要である。そこで家族の立場から、この問題を解決するための方法を考えてみよう。

 どのような訓練においても重要なことは、すべての家族に対して治療がどのような影響を与えるかという問題にそれぞれの専門家が関心をもつことであろう。最近の訓練プログラムは、子供とその家族とに対する障害の影響を強調する傾向にあるが、家族の生活治療が与える副作用とも言うべき問題については何ら研究されていない。あらゆる訓練について、その開始時から、家族すべてに対するオリエンテーションを行うべきである。また計画を立てるにあたり、家族が治療に対してどのような感情を抱くかに注目し、専門家と家族とが協力し合うよう努めることもできよう。我々はマヒした腕、失禁、などにだけ目をうばわれてならない。ある子供が「痙直性の片マヒである」ということから「障害児」と呼ばれることもあろう。このような場合、我々はその子供の四肢に注目するだけでなく、彼がその一部をなしている家族へも注意を転換する必要があろう。我々はその子の四肢を治療するとともに、その家族に治療がどのような影響を与えているのかも認識しなければならない。

 家族全体の有用性という観点から、サービスのパターンを再構成していく必要があろう。平日以外に治療を行う計画を立てるのも一案である。週末に行うサービスは、父親を治療に参加させることができ、父親自身にも、障害児にも有益なものとなる。母親も他の子供と過ごしたり、自分の楽しみのために使える自由な時間が持てることになる。治療について家族と議論し、計画を立て、専門家の立場と家族の立場とを考慮しあって予定が立てられねばならない。治療の予定について「呼び出し状」を送るなどというのは言語道断である。両親が最も都合が良いのはいつかをたずね、彼らの便宜を図るよう努めなければならない。治療の予定を立てたならば、その時間は厳守し、両親と子供を何時間も待たせるようなことがあってはならない。治療にあたっては、最も重要なことは何かが決定され、すべてを同時に行うというのではなく、何段階かに分けた治療という方法も考慮していく必要があろう。

 両親の訓練に対する負担を軽減するために、補助的なスタッフを育成することも考えられよう。日常の仕事の多くは、簡単な訓練を受けただけの地域の若者が完全に処理してくれよう。補助金の支給方法を変え、ポリオが流行していた時に行われた全国財団(The National Foundation)のように、このようなサービスが家庭の当然受けるべき援助としてとらえられるようになろう。これは家族が病気のため、支払い不能とならないうちに、家族に援助を与えるという原理である。同じ方法が、非常に財政が圧迫されている家庭にも適用されねばならない。

 医師は同じ仲間の中から、自分以外の人を1人、直接に治療を行う家族の協力者として選ぶべきである。これは2人の医師が管理を競うのでもないし、家族に異なる意見を与えて混乱させるというわけでもない。医師の意見が異なっている場合には、それを正直に家族に伝え、子供についての医学的な決定には、絶対的に「正しい」という判断などはない、ということが明らかにされなければならない。

 家族にとって治療が、有益にも障害にもなっているような場合には、治療の目的と重要性とが調整され、周期的に再検討されねばならない。このような検討が多ければ多いほど良いというものでもない。我々の社会においては、死を迎えつつある患者は自分に対する治療を拒否することもできる、という権利が認められるようになってきている。我々も、子供に対するある種の治療や訓練が、家族によって拒否されたなら、その方がこの家族にとって有益かもしれないということを認めていくことが必要であろう。ある家族にとって利益と損失とが同じくらいであるような問題は、その時間、金銭、エネルギー、家族の崩壊などの観点から再検討し、その子供を少しでも改善できるか否かによって決定を下すのが医師の責任である、と私は確信している。

 我々は、感情的な面でも経済的な面でも、自分たちの治療法は価値があるとみなしている。しかし我々は長期的な展望を持たなければならない。障害児とその家族との生活に、それぞれの治療がどのような意義をもっているのかを明らかにすることが必要である。そのために家族と一体となって働く、洞察力もあり、正直で有能な医師の育成が急務とされる。

 家族に子供の障害の実態とそれがもつ意味とを理解させることの重要性を、我々はいつも強調している。そのためにはまず、我々治療者と家族とがお互いに理解し合わねばならない。我々は治療の限界を知り、家族がその可能性にどう対処していくべきかを指導していかなければならない。

 どのような訓練にたずさわる者であろうと、治療者それぞれが、家族のカウンセラーとしての役割を果たさなければならない。我々の役割は非常に重大である。我々は各家族がどのように家計をやりくりすべきかについても、その決定に重大な影響を及ぼす。理学療法に金を費すより、家族の休暇のために用いた方がずっと意義があるという場合もあろう。また子供にあまり意味のない矯正手術をするよりは、夫婦そろって週に一度外出することに、その時間と金とを使う方が有意義であるということもあろう。我々は、治療が家族に与える緊張と、その結果の重大性に敏感になりつつある。Ralphに次のようなことを言わせた治療のパターンは、これから改めていかねばならないということを、ここではっきりと認識しておかねばならない。

 「僕は絶対に結婚なんてしないよ。だってお母さんのすることって、子供を医者に連れていくだけで、お父さんはお金を払うだけなんだもの。」

*Rehabilitation Literature.,39(4),1978,pp.107―110.
**アルバート・アインシュタイン医科大学(Albert Einstein College of Medicine)の小児科と精神科の助教授
***筑波大学大学院生


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1979年1月(第29号)29頁~34頁

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