国際障害者年の成果と今後の課題 宴の後

国際障害者年の成果と今後の課題

宴の後

―国際障害者年日本推進協議会の取組みから―

松友 了

 はじめに

 国際障害者年(以下「障害者年」と略す)が、一応その幕を閉じて3か月を経、行政区分としての新年度を迎えた4月上旬の今日、マスコミを初めとした一般社会はもちろん、障害者関係分野においてさえ昨年のことは夢であったのかと思わせるような静寂がただよっている。予想されたと言うか期待されたとも言うべきスケジュール的虚脱感である。どういう訳か、ひとり政府および関係機関そして地方自治体のみが矢つぎばやに「長期行動計画」や「答申」を発表して気を吐いている。

 宴の後のごとき無気力さの中で、多くの人々が各種各様の結論と総括を下してきた。私もその例にもれない。評価と批判・反省は、五色の布のごとく織り重ねられ、その美に酔いしれる。原稿だけでも五本目に達する「総括」を求められた私は、反省においては成果を、展望においては課題についてのみに絞り、今回の稿を進めたい。すなわち懐古趣味ではなく、今後へつながる問題提起として、とくに国際障害者年日本推進協議会(以下「推進協」と略す)を中心にあえて論及したい。

 1. 国際障害者年の歴史的成果

 人類の英知を積み重ねた歴史の到達点として決議された障害者年は、国連の「行動計画」に盛られた科学的方向性において関係者一同へ快い衝撃を与えた。とくにわが国においては、そのラジカルな問題提起は、一種のショックとさえも言えた。

 事実が示すとおり、官民双方において出遅れたわが国は、同時に急速な追い上げにも似た形で、挙国一致的盛り上りを作り上げた。この組織性と集中性は、あらゆる面におけるわが国民の特徴であり評価されることであろう。多くの調査が示すとおり、国民のほとんどすべては、障害者年という年の存在と進行を知ることができたのである。

 このような盛り上りは、かつての国際年、すなわち婦人年、児童年には見られなかったことであり、障害者問題への関係各位の熱意とともに、市民社会の成熟度の高まりを感じることができる。また、幾多の困難と弱点をかかえながら、とくにマスコミ関係が強くかかわってきた点が評価できる。これら官民総体の具体的取組みについては、総理府および推進協の「記念誌」において詳述されている。

 障害者年の認知は、障害をもつ人々の存在と彼らのDisabi1ityおよびHandicapへの理解へと拡がるであろう。社会関係があらゆる面で希薄になっている現在、知と行動によってのみ多くの人々はこれらの事実を知るのである。すなわち、当初の期待どおり、障害者年行事を通じての社会啓発は、不十分であり質的な疑問は残しているが、一応の成果を挙げたと言えよう。

 これらの取組みの中で、とくに民間レベルにおいて一定の中心的役割を担い、その責を果たしたと言えるのが推進協である。この連合体の編成の画期的意義や事業については改めて述べるまでもないが、それゆえ逆説的に言えばそれまでの民間運動の弱さと今後の民間の質を問われるということである。その事自体決して批判されるべきことではないが、黒船を見て初めて団結する人間の性は、何年たっても変わっていない。もっとも、黒船を前に内紛をおこさなかったのは進歩ではあるが。しかし、船は港を出た。これからが本番である。

 2. 今後の課題

 障害者年の総論的評価を終了すると,そこには各論としての苦い反省および厳しい批判が群立している。早急にかつ強力に対応されるべき問題である。

 まず行政の対応についての片想いから語らねばならない。前述のとおり、わが国の政府・自治体は、そのまじめな体質を遺憾なく発揮して各種の行事はもちろん「長期行動計画」および「答申」として具現化した。しかし、問題はその質である。わが国の行政システムおよびそれを取り巻く政治状況は、理想や決意はもちろん、真の意味での「長期計画」さえ許さないのであろうか。各種プランは、その細目においては、あるいは総論においてはそれなりに光るものがあるが、中心的課題に至っては何ら障害者年の思想(科学)をうけとめていないと断言できる。つまり換言すれば、従来の発想パターンと施政方針に何ら変化がないのである。見事な片想いであった。

 その最大のことが、「障害」概念の不動であり、「障害」間の格差である。いや後者に至っては、促進さえしたと言えよう。身体障害者福祉審議会の答申などでは、一部その拡大と是正が指摘されているが、元来分離して対応されているその一方においての試みであるゆえ、十分なはずがない。

 「障害」の個別性と普遍性、それも社会関係においての科学的とらえ方は、政治および財政的思慮の前にあえなく放棄され、またもやバラックのつぎ足しで終わり、多くの人々は今も土管暮しを余儀なく続けるのである。

 しかし愛は不変である。一度ソデにされたくらいで華厳の滝には飛び込めません。この「長期」どころか「ドロ縄」的時差ボケ計画が、真の歴史を切り拓くプランへと飛躍することを願い、われわれ関係者は、想いを込め続ける必要があろう。これからは、われわれ自身が黒い船にならなくてはならない。

 しかし一方、その黒い船であるべき民間の活動はどうであったか。どうあるべきか。ドロ船になって沈んだり、ノアの箱舟になってひとり逃げ出すことはないのだろうか。

 推進協の活動を通じて知らされたことは、とくに民間運動の財および人的力量の弱さであり、他力本願的不平不満の渦であった。「いきの思想」も意地もない集団(群衆)に、歴史を展望する力は生み出されるはずもない。個と組織、社会の問題およびその相互関係についてさえ明確に分離・総合されて整理されていない「理論」は、もはやグチ以下のものであろう。

 私は、民間サイドにおいては、障害者年は戦後障害者運動の到達点であるとともに、一つの終着点すなわち次代への出発点であるべきであると考える。つまり、思想および政治中心主義から、政策中心へと転換され、それに対応できる組織と行動、それ以前に発想が必要とされる時代になるべきだと考える。

 本音とタテマエは時として必要としても、その間のあまりにもかけ離れた、時として矛盾する論理・行動は、処世術を越えるものがある。真に社会参加を求め、真に平等をねがうならば、「社会」とは何か、「社会」はどう動いているかを的確にとらえ、それへ対応できる方法論を選ばなければならない。観念的「理論」の時代は終わった。と共に、閉鎖的あるいは超現実的方法論にも別れを告げたい。官民ともに情報の公開を原則とし、自身の力量について冷静な判断はもちろんだが、現状を固定的にとらえる消極的態度も困ったものである。歴史、とくに科学技術と市民意識の進展に私は大いなる期待をもつとともに、自らの任を果たすべきと考えている。

 発展途上国の問題、平和追求の課題、財政確立(財源確保)、人材養成、組織強化等々、われわれの課題は山積している。これらを解決し、文字どおり「完全参加と平等」を成し遂げるには、最後は個々の熱意と努力、そして何より歴史への信頼が不可欠であろう。

国際障害者年日本推進協議会 広報委員会委員長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)16頁~17頁

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