国際障害者年の成果と今後の課題 愛知県での国際障害者年の成果と今後の課題

国際障害者年の成果と今後の課題

愛知県での国際障害者年の成果と今後の課題

中村幸男

 本県の国際障害者年への取り組みは昭和55年1月1日付けの「愛知県国際障害者年準備推進連絡会議」の設置に始まる。この会議は副知事を議長に関係部局長17名からなるもので国際障害者年に関する情報の伝達、準備及び、関係行政施策に関連する事項の連絡調整を目的とするものであった。この会議において、本県として国際障害者年をどのような体制で迎え、推進するかについての構想が練られたのであるが、その結果、9月に「国際障害者年の取り組み」として、本県の基本的な考え方、事業の推進体制、各種記念行事の骨格を発表した。そしてこの基本構想に基づき準備推進連絡会議を「愛知県国際障害者年推進本部」に改め、知事を本部長に全庁的な取り組みをおこなうとともに、県民あげての組織として、「愛知県国際障害者年推進会議」を発足させ、行政と県民が一体となって国際障害者年を推し進めることとした。

 同年11月に開かれた第1回推進会議には、障害者福祉団体の代表者は勿論のこと、県、市町村議会代表者をはじめ、一般団体代表者、学識経験者、報道関係代表者及び、行政機関の代表者等90名の構成員が一堂に会し、協議の結果、国際障害者年に対する県民の理解と認識を深めるために啓発活動や、各種の記念行事を全県あげて実施すること、及び本県における障害者福祉について長期的視野にたった検討をおこなうことを決め、そのために学識経験者、障害者団体代表者を中心とする5つの専門部会(福祉、リハビリテーション、保健医療、労働、教育)を設けたのである。こうして本県の国際障害者年を迎える準備は整った。

 一方県はプレ国際障害者年事業として、障害者の意識調査を実施するとともにリハビリテーションプロジェクト班を設け、県下のリハビリテーション施設の見直しとシステム化についての研究、調査をおこなった。

 これらの成果は推進会議のもとに設けられた専門部会に引継がれた。

 11月にはポスター10,000枚が出来上り、県下の国鉄主要駅、郵便局、病院、銀行、保健所、市役所、町村役場などあらゆる場所に配付、掲示され県民への呼びかけがおこなわれた。

 昭和56年1月、いよいよ国際障害者年の幕開けである。元日の県内主要新聞は、いっせいに仲谷知事の国際障害者年を迎えるメッセージを掲載した。「今年は国際障害者年、お互いに人間の尊さを認めあい、思いやりのある社会を」と訴えた。テレビ、ラジオ、新聞等もそれぞれの企画で、国際障害者年の強力なキャンペーンを開始した。まさに国際障害者年一色である。

 以後1年間、4月の標語、作文の募集を皮切りに、「障害者のつどい」「車イスジャンボリー」「障害者技能競技大会」「スポーツ大会」「特殊教育研究発表大会」「作品展示即売会」「シンポジュウム」等数多くの県主催の行事を次々に開催、多くの障害者団体が企画の段階から参加し、ボランティアの強力な支援のもとに、それぞれが大きな成果をおさめた。

 “これほど多くの障害者が、障害の種別を乗り越え、ちえを出しあい、協力しあったことはかつてなかった。”“障害をもつ人たちとじかにふれあい、同じ人間同志であることを実感した。”“自分たちもその気になれば、一寸した手助けがあればどんなことでもできることがわかった。”etc…行事に参加した人たちの述懐である。これこそ国際連合の提唱する「完全参加と平等」の第一歩であり、ノーマライゼーションの具体化である。

 本県ではこのような県主催の行事を実施するとともに、民間の障害者団体等が全県的な行事を行う場合、その経費の一部を補助し、啓発活動のより効果的な推進を図ることとしたが、この結果多くの団体が積極的に事業に取り組み、この面からも「障害者による国際年(IY of DP)」ということができた。

 一方、長期的視野にたった障害者福祉の検討であるが、第1回の推進会議において議長より指名された各専門部会長は、それぞれ委員を選任し、1月に第1回の部会を開催、推進会議より与えられた課題を中心に具体的な検討に入った。以後各部会は、それぞれ隔月に会議を開き熱心な討議を重ねていった。この間6月には、これらの検討状況を第2回の推進会議に報告し、意見を求めた。こうした検討の成果は12月24日の第3回推進会議において「愛知県における障害者福祉のあり方」として報告され、同会議で慎重に審議されたうえ、県に対する提言となったのである。

 県ではこれをうけ推進本部で調整し、昭和57年3月に策定の第5次「愛知県地方計画」(目標達成年次昭和65年)に盛り込み、今後の障害者福祉推進のための指針として、具体的な推進をはかってゆくこととしている。

 なお昭和57年度において、これらの計画推進のための組織として県と地域に、それぞれ「障害者福祉推進会議」、「地区障害者福祉推進会議」(5地域)を設けることとした。

 ここで提言の内容にふれてみよう。

 各専門部会は検討にあたって理念について共通の認識をもつ必要から再三にわたり部会長会議を開いた。ここでのテーマは一言でいえば“いかにしてノーマライゼーションの実現を図るか"であり障害者を特別視せず、国民共通の基本的ニーズ、即ちシビルミニマムの充足を目指すなかで障害者福祉を考えること。そのためには、地域福祉、コミュニティケアの確立を図る必要があり、障害者のライフサイクルの各ステージに応じた対応を考えることであった。

 これらの共通認識のうえにたち検討された内容は、福祉部会では「福祉の心をどのように育てるか」を中心に啓発の問題をはじめ、生涯設計、生活保障、地域療育体制の整備をとりあげ、また福祉医療として遷延性意識障害者(いわゆる植物人間といわれる人びと)と歯科医療についても福祉的アプローチの必要性を提言している。

 リハビリテーション部会はプレ国際障害者年事業であるプロジェクト班の調査研究を引継ぎ、県下のリハビリテーションシステムの整備について具体的な提言をおこなった。

 保健医療部会は障害の発生予防、早期発見、早期治療についての具体的な方策をはじめ障害者の医療と精神障害者対策について検討し、医療従事者の理解促進と精神障害者の社会復帰施策の充実を強く求めている。

 労働部会においては、障害者の働き易い職場の整備、事業主をはじめとする一般理解の促進、身体障害者雇用促進法における法定雇用率の早期実現などをとりあげ、特に今後は重度障害者の雇用対策に重点がおかれるべきことを提言している。

 教育部会は障害の重度化、多様化に対応したきめ細い教育の充実をおこなうとともに、就学前教育から、学校教育終了後の教育にいたる生涯教育の必要性を提言したものである。

 こうして本県の国際障害者年事業は所期の目的を果たし幕を閉じた。国連では1919年を国際障害者年の成果を見直す時期としている。その意味では国際障害者年は始まったばかりといえる。本県における提言はそのための大切な種子を播いたものである。この種子を大事に育て大きな花を咲かせなければならない。

 提言の序章で今後の障害者福祉のあり方を次のようにいっている。「それぞれの地域において障害者を中心に、家族、隣人、職域そして地域社会全体の自立と連帯の上にたって国および地方自治体が必要なサービスをおこなうことが必要である」と。本県では県民すべての人びとに福祉の心をしっかりと育ててもらうため、国際障害者年を契機に福祉基金を創設した。その果実でボランティアの育成など福祉を県民の身近なものにしようというものである。国際障害者年のテーマである「完全参加と平等」の実現を目指し、障害者をはじめすべての人びとが心にともった火を大切に育てあげることが必要と考えるものである。

愛知県民生部


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)20頁~21頁

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