国際障害者年と私 千載一遇の機会

国際障害者年と私

千載一遇の機会

滝沢武久

 はじめに

 我が国における精神障害者とりわけ精神分裂病を中心とし躁うつ病等の診断名の下にある病者に対して、果たしてどの程度リハビリテーションの立場からのアプローチがなされているか、現実を見ると実に悲観的にならざるを得ない。現場に携わる医者や看護婦、数少ないOT、PT、PSWなどはそれぞれ主観的には「努力している」「治療の初期から目的にしている」という返事が多い。しかし本音と建前ならぬ、主観と客観的現実のギャップは世界で冠たる先進工業国としての我が国には、類例のない30万人という巨大な数の収容者群が存在しているのである。そのうちの大半は3年ないし5年からおよそ20年以上も鍵や格子、多量の向精神薬でコントロールされているといっても過言でない。精神科における医療とは果たしてどの様な処置をいうのか、保護とはどの様なケアの状態をいうのか、私は多くの疑問を持たざるをえない。現在の日本の精神科医療は余りにも多くの要因による構造的欠陥からむしろ巨大な「ホスピタリズム群の型取りの役目」を果たしてしまっているともいえます。(注1)そうした状況の中で一般国民を対象とした精神衛生運動もまったく育たず、わずか関係者の実績づくり的行事が毎年催されたにすぎなかった訳です。日本リハビリテーション医学会やリハ交流セミナー等への精神科関係職員の出席は極めて少ないのがうなづけます。

 他人の芝生は緑

 身体障害、精神薄弱者のリハビリを考え、あるいは外側から見ると精神病の場合より「幾分良い」といえるのだろうか?多くの障害関係者と付き合ってみて少なくとも私にはそう見えるのです。福祉大学を経て精神医療界に入って職業者として15年余の経験から感じたのはやはり身障リハビリから多くの示唆を与えられ参考になりました。一般的に精神科は不可視的で難かしいといわれますが、果たしてそうでしょうか。私は精神科の川崎リハビリで痛感したのが技術と制度の無さでした。前者は言語的あるいは非言語的コミュニケーションを唯一の道具とせざるを得ない持続的な精神的緊張を必要とし、後者は職業的、社会的リハビリシステムが皆無の中でもろくも再発再燃をするいくつかの症状を補完できなかった事でした。精神症状はしばしば生活条件により発現する事を抑えきれなかったのでした。川崎リハビリ以後いくつかの職業的ケア活動で精神病回復途上者に接近したところ、彼等の社会生活確保に従来以上に資することが出来るという体験を得ました。それこそが職業リハビリであり社会的リハビリの模索でした。従来精神科医療の範囲内で行われたことの多くは、作業療法と文字どおりいう、小規模で、小手先だけで、小額の生産効率で、実社会との交流なしで対象者(被治療者)扱いをし、しかも治療者側の狭い視野と社会体験、少ない技術内におさえこんできた様に感じます。職業、社会リハ共に制度化されてゆく方向が今後強く望まれるのです。

 国際障害者年を契機に

 一昨年以来国際障害者年運動に参画する中で、国連が精神病をその対象にしたことの意義が徐々に大きく感ずるようになりました。国連のいう障害の定義が、従来日本では欠陥固定→障害認定イコール福祉対象という誤った認識を変える大きな根拠にもなりつつあるし、従来「福祉」概念の[埒]外におかれた精神障害が少なくとも総論においては検討段階に入った訳です。昨年設置された政府部内の国際障害者年推進本部の特別委員に精神病者側利益代表として全家連川村理事長が任命された事も日本の政治や行政の仕組上から大きな変化です。身体障害や精神薄弱者福祉が今日まで行政等により整備されるにはどんな経過があったかを私は資料を集めて考えています。障害者本人の積極的訴えや、それをバックアップする関係者団体の動き、あるいは障害者に代わり代弁した親の団体、あるいは著名人の発言や行動、それに援助をした民間人有志、それらを宣伝したマスコミ、高度経済成長下に施策化した立法、行政関係者等。この図式は当たらずとも的外れではないと感じています。こうした図式とは正反対に精神病問題はあるといったら言い過ぎでしょうか。本人の主張がなかなか信頼されにくい「精神病」という偏見、企業採算を必要とする民間精神病院群、医療と同様閉鎖的な関係者の社会性、病人を隠し本人とトラブルすら持って、次第に高老齢化した家族群、著名人にも忌避される精神病というラベル、低経済成長下で医療福祉行政は節約ムード、さほど数多くない精神障害者による不祥事件を針小棒大に報道するマスコミの姿勢と電波機構等すべてが手遅れの様に感じて来た中で国際障害者年は、文字どおり千載一遇の機会でした。

 いま精神衛生界は何を成すべきか

 精神科医療の一スタッフとして、PSWの末席を汚しながら本会の立場に立つ時、まず関係者に大きな期待を持っています。東京世田谷リハビリの報告(注2)の様に、第一に研究的実践の積み重ねが大切でしょう。約15年地域精神医療活動が叫ばれていますが、日本の現実の中では90%近くに及ぶ民間精神病院の地域社会開放化なくしては効果が限られようし、その為に必要なのが社会、職業リハビリのシステム化なのです。英国の地域精神衛生活動、コミュニティーケアは、そこをスタートにして展開されているのです。限られた医療技術論的視点だけでなく社会学、行政学的な発想で取り組まれるべきと思います。その中で大きな働らきをするのが精神科医、看護者、PSWであり彼らの体験はやがてボランティアや企業家群に報告されてゆくことが必要です。この様な体験の情報の公開化が時にはレポートで、雑誌や本で、テレビや映画や新聞等で精神障害者の社会復帰、社会参加の実際例が宣伝されることは、従来のマイナス報道への歯止めになるでしょう。国際障害者年の1年間、私は全国25都道府県を車で回わり精神障害者の社会復帰、福祉施策の充実化を自治体為政者や民間精神病院長に依頼して歩き、市街地では精神病理解を訴えるチラシを配り、各地の家族会には仲間として会員拡大と結束強化を説きました。あるいはILO出版物を翻訳して「精神障害回復者の職業的リハビリテーション」を刊行し関係各界に配付したり、全国10地区で「精神衛生文化講演と映画の集い」と題し、文化人としての斉藤茂太氏やヴリーゲン氏(注3)、それと関連したベルギー「ゲールの里親」という精神病、精神薄弱者と市民との共同生活を撮った映画やイギリスの「障害者の社会参加、一緒にやろうよ」「地域ぐるみの精神医療」、西ドイツ「てんかん患者の街」「ベーテルの心」「デンマークの車椅子」等を上映して回りました。我が国で精神病を中心とする当事者団体としては全国で唯一の本会は今後の9年間をいや長期間にわたって誰よりも率先してこれらの諸活動をいかに継続できるかが私達に与えられた使命だと思料しています。御指導を期待しています。

(注1)ジュリスト 増刊 総合特集 24, P306 「精神障害の特色と問題点」
(注2)ジュリスト 増刊 総合特集 24, P236 「精神障害者のリハビリテーション」
(注3)日本ベルギー文化交流インスチチュート館長、ベルギー名誉領事
全国精神障害者家族連合会事務局長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)32頁~33頁

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