特集/重度障害者の介護 介護労働の性質と方向

特集/重度障害者の介護

介護労働の性質と方向

―療護施設の介護場面から考える―

山田 明*

1.介護の仕事と“坂道構造”

 療護施設で重度肢体不自由者の介護をするということはむずかしい仕事かどうか。介護の内容を起床・就寝、排尿・排便、衣服の着脱、洗顔・整容、食事・飲食、入浴、移動、作業・趣味活動、その他日常のこまごまとしたことがらへの援助と考えると、まず1か月もするとむずかしさは感じなくなる。そのどれも例外的な場合を除いて高い精度や専門性を要求されるわけではないし、その個々の作業内容も自分がふだんやっているようにやればよいわけだ。だから、ふつうの体力をもった人間なら誰もができる仕事だと考えることもできよう。

 しかし、今わたしは「介護の仕事はとてもむずかしい」とつよく思い、そのむずかしさの中で日々、難渋している。その内容をあえて言葉にすれば、介護の一つひとつの場面で介護員としての自分の人間的力量が問われながら、それに応じきれないということであろうか。そうした場面は毎日のようにあるわけだから、自分の人間的未熟さを晒す踏んぎりさえつけばいくらでも披露することはできる。そのひとつ。

 ある脳性マヒ者は食事がある程度すすむと尿意を催すことが多い。しかも脳性マヒによる神経因性排尿障害があって、本人としては今催したらもう待ったなしの状態らしい。「はやく、はやく。出ちゃうよ」ということになるが、ここで食事を中断してトイレに行き、排尿をすませて戻るまでふつうで5分から10分かかる。この間、同時に食事介護を受けている人は待ちぼうけとなり、その後で食事を再開すると、介護の流れが10分から15分遅れる。「あと5分がまんできないかなあ。そしたら2人とも食事が終わるんだけどなあ」というようなことを、こういうことを言うのはほんとうは問題だなと思いながら言ってみることもあるが、今にも出そうに感じているわけだから、どうにもならない。こうしてトイレに行ってシビンをあてるが尿は出てこない。排尿障害の概論書を読んで、神経性排尿障害の場合はこういう具合になかなか出始めないことが多いということを知識としては知っていても、食事介護をはじめとするこの時間帯の仕事の流れを気にかけながら5分、6分と尿が出てくるのをじっと待つのはなかなか難儀なことである。つい、「はやく出してくれないかなあ」などと、言ってはならない ことを言ったりする。そして言い終わったとたんに悔やんでいる自分がある。尿が一応出終わった後も、「まだ出る」と本人が言うのでしばらくシビンをあてる。これも神経因性排尿障害のひとつの特徴であるようだ。

 わたしたちのこうした介護の仕方に対して、「手順が悪い」という問題指摘を受けたことが何回かある。食事の時の排尿のほかに、労働密度がもっとも高い入浴時間にも排便を訴える人がいて、その人の排便姿勢上、1人の職員が30分余りつきっきりになったりすることがあるからだ。「食事や風呂の時間は決まっているんだから、その前にオシッコやウンコは済ませればいいじゃないか」と言われるのだが、療護施設でくらす人たちの排尿便をそのように管理することや、排尿障害や便秘のために自分でも意のままにならない人に排泄の時間を指定することに、少なからぬ疑問を感じる。

 こうした一つひとつの介護の場面で、職員の側の判断・考えや仕事としての流れから、介護される側の気持ちや尊厳を律してしまっていいというのなら、介護職員が自らの仕事に難渋することは少ないであろうし、少なくとも仕事の困難の性質が違ったものとなるであろう。

 療護施設でくらす人たちの話をきくと、職員はだいたい長くて3~4か月で変わってしまうという。「はじめは一つひとつの仕事に対してていねいで、自分たちの気持を尊重してくれるけど、慣れてくるにつれて職員ぺースになり、仕事もぞんざいになっていく」―その転換期が入職後3~4か月だというのである。わたくしはこの傾向を“坂道構造”という言葉で捉えることにしている。療護施設の職員は、下り坂の坂道に立っているボールのようなもので、この坂道に対して踏みとどまる努力をしつづけない限り、転がり落ちていくことになる。これはあらゆる仕事につきまとうマンネリ化ということに連らなるものでもあろうが、ただそれだけで片づけるには、3~4か月という時期は早すぎる。ここには療護施設における介護の仕事そのものがもつむずかしさがあるのではないだろうか。

2.介護労働の消極的性質

 では介護労働が独自にもっている仕事としてのむずかしさとは何であろうか。わたしの中でこのことに対する捉えが十分熟しているわけではないが、今のところは介護労働の消極性だと考えている。

 消極的労働としての介護労働というのは、介護労働の究極的性質ではないはずだが、現実の介護場面ではつねにぶつかるものである。たとえば、わたしはある人の爪を切るのに1年ほどの時間がかかった。その人の爪は手も足もずいぶん伸びていて、衣類の着脱、くつ下をはく時などにひっかかってやりにくいし、本人にとっても不随意的に握りしめた手に爪がくいこんで痛いだろう。しかし「爪を切ろうか」と水を向けてもイエスの返答は返ってこない。「爪は長くのばしっぱなしにするもんじゃない」というような社会常識で、介護職員としてその長い爪に積極的に介入していくことも一つの方法だろうが、やはり爪を切るかどうかの決定権は本人に帰属し、職員はその意を受けてはじめて爪を切れるというのが、わたしの介護労働に対する考え方である。

 同じような例をもうひとつ挙げよう。ある時ひとりの人からベンジンを買ってきてほしいと頼まれた。「いいよ。だけど何に使うんだい」とたずねたら、書けなくなったマジックインクに入れるのだと言う。「ベンジンを入れたらまた書けるようになるんだよ」とその人は言うのだが、わたしはそれはその人のまちがいのように思えた。マジックインクの補充液があるというのは聞いたことがあるが、ベンジンでその代用ができるとは思えない。「ベンジンだと一時はまた書けるかもしれないけど、黒いインクの成分が減ってしまってるんだから、だんだん薄くなって書けなくなるんじゃないのかい」と言うわたしに、「いや、ベンジンで書けるんだよ」とその人はつよく主張する。それで「まあやってみて考えよう」ということにした。

 介護の仕事は、本来、相手に添っていくものだと思う。部分的であれ、全面的であれ、ともかく相手の意をうけて手助けするのが介護であって、介護者の考え方に相手を従わせることではない。施設経験を経て在宅生活をおくっているある脳性マヒ者は「介護」という言葉よりも「介助」を用いるべきだと言い、ある視覚障害者は「介護される者の心をくんだ介護などと言うけど、介護される時にいちいちこちらの心の中をのぞきこまれたのではかなわない。そんなことより、やってほしいと頼んだことを機械的にやってくれる介護を望みたい」と言っていた。これらの事例も、介護労働が相手に添い、相手の意を生かすための消極的労働であることを求めているとみてよいであろう。

 このような介護労働の消極性は、教師や看護婦あるいは授産施設の指導員などの労働過程にある積極的側面とは異なった困難を、本来的に含みこんでいるように思う。介護労働に対比してあげたこれらの労働も、本来は介護労働と同様の消極的性質を少なくとも今以上にもつべきであって、今はその転機にあるとも考えられるが、それにしても介護労働は一歩先んじてこの困難に直面し、消極的労働のありようを模索しているともいえる。

 教師、看護婦、指導員などの労働の従来的ありように即して述べるのだが、教師は教育課程を、看護婦は医師の指示に含みこまれた治療方針を、指導員はリハビリテーションゴールをめざしたリハビリテーションプログラムを、自らの内にあらかじめもっている。これらを総称して労働プログラムと言うとすると、どのような労働プログラムを自らの内に確立しえているかどうかは、教師、看護婦、指導員の専門性の内容として社会的に評価されるところであり、専門職員としてのオリジナリティを発揮できるところでもある。そしてこれらの専門職員の労働過程は、対象に対して自らのもつ専門労働プログラムを積極的に適用していくものである。概念装置として熟していないのだが、わたしがこれらを積極的労働と規定したゆえんである。

 わたしの言わんとすることのイメージを具体化するために、やや事例的に述べてみよう。たとえば小稿の最初に示した神経因性排尿障害について看護労働プログラムに従えば、尿袋やオルボンを装着すればよいということになるかもしれない。爪が伸びた事例については、看護・衛生上よくないからと即座に切ってしまうのかもしれない。あるいはこのような展開には実際はならないかもしれないが、少なくとも専門労働プログラムに依ってその具体的場面・症状は解釈され、執行されるのであろう。解釈の主体ないし権限は職員の側にあり、その根拠は労働プログラムの専門性だということになる。

 そしてその実際の労働過程は、対象を教育し、治療し、指導することを通して自己の中に築きあげた専門労働プログラムを検証し、部分的にはフィードバック作用によって修正し、より高次のものにつくりあげていく過程である。このように自己の考えや判断を積極的に打ち出し、労働過程に自己のオリジナリティを作りうるということは、労働過程で自己疎外感に捉われることが少ないし、心理的ストレスを感じることもより少なくてすむということであろう。

 これに比して、介護労働は本来的に消極的労働であるべきだ、とわたしは考える。一見すると、誰もができるような簡単な労働内容で、しかも実際の労働場面では、介護を要請する側と介護する側の考えが往々にして相違、対立する。この対立に対して、職員の側が専門的判断を示して押しきるとか、仕事の流れなどの働く側の都合を示して押しきると、押しきられた方がスポイルされ、職員に対する自己の無力感を大きくしていく。一方、職員の側は新鮮な気持ちをまだもっている時にはその[葛]藤に悩み、自己の労働をどう方向づけるべきかについて内省的志向をつよめるが、やがて時の経過とともに内省的志向は弱まり、しだいに相手の“痛み”を感じなくなっていく。介護職員の人間的資質というボールは、坂道を徐々に加速をつけながら転がり落ちてゆくのである。介護労働がもつ“坂道構造”とは、どの仕事にもあるマンネリ化を言ったのではなく、介護の労働が本来もっている消極的性格のゆえに、介護職員が働きがいを実感しにくいこと、そのゆえに人間的にスポイルされやすいことを言ったのである。

3.施設利用者の生活と介護

 介護労働がなぜ消極的でなければならないか。その最大の担保要件は、施設生活の主体は施設利用者そのものにあるということにある。ここでいう施設とは、とりあえず療護施設を考えているのだが、他種の生活施設についても基本的には同じはずだと、わたしは考えている。

 「教育の主体は子どもたちにある」というようなことが言われながら、その専門労働過程の主導権は教師にある。わたしが施設生活の主体は…と言うのは、このような修辞的意味あいからではない。日々の現実態がそうならなければならない。なぜなら療護施設は利用者の生活の場であり、本質的には一般住居と同じような、重度障害者のための居住の場だと考えるからである。近年ケアつき住宅の実現を求める声がつよいが、療護施設も本来は、あるいは将来的方向としては、このケアつき住宅の一種になるべきだと思うのである。そこでは物的空間の居住性のありようが問われるのと同レベルで、人的設備としての介護のありようが鋭く問われる。そして現在の療護施設で創りあげることが求められている介護論は、ケアつき住宅や在宅ケアのケアのありように連らなっていくべく方向づけられなければならない。

 さて、施設を利用者の生活の場として方向づけるとは、施設における実際的展開の中ではどのようにすることなのであろうか。このことに関わってよく言われるのは、プライバシーの確保ならびに雑居部屋から個室化への要求である。施設における個室の実現という課題は、福祉先進国に比してわが国が大きく立ち遅れた点であり、早急に実現しなければならないことではある。しかしこのこと以上に施設における生活の確立ということから重要な課題として、施設生活における自己決定の確立ということがあると、わたしは考えている。生活の場であるためには、自分に関わることは自分で決定する権利が保障されなければならないということである。

 このような自己決定権について、レオナード・チェシャー財団は「生活様式にかかわるすべての事項について保障されなければならない」とし、その内容を、「どこで生活するか。誰とどのようにつきあうか。何を食べるか。どのような援助を必要とし、誰にどのような形で援助してもらうか。起床時間。就寝時間。一日をどう過ごすか。どこへ行くか。どんな仕事をするか。どのような危険を冒すか。」と例示している。わが国でも原田政美は「障害者の人生は障害者自身が決定すべきものである。私どもは、そのための情報を与え、必要な援助を与える身に徹しなければならない」と述べ、寺山久美子も、自分のリハビリテーションプログラムは障害者自身が立てられるようになるべきだと強調している。

 排泄をいつするか。爪をいつ、誰に切ってもらうか。何時に起き、何時に寝るか。書けなくなったマジックインクにベンジンを入れるか補充液を入れるか。きょうは青のくつ下をはくか黄色にするか。ベルトを右から通すか左から通すか。―これらの決定は、それぞれの人の人生のもつ本来的意味からしても本人に帰属すべきものである。そしてわたしが小稿で言いたいのは、これらのほとんどすべてが療護施設で実現可能だということである。あるいはこういう形で自己決定の実現可能性を言うことに反論があるかもしれない。そのために、可能とするわたしなりの論拠ないしは本意を示しておこう。

 これらのことを利用者自身の自己決定にゆだねきれない理由として、「集団生活だから」「他の人に迷惑がかかるから」「介護の手が得られているから」というようなことが言われる。たとえば入浴時間に排便介護をした件で考えてみよう。「風呂はいちばん大変で、職員が他の介護で1人でも欠けると仕事の流れがくずれるし、他の利用者にも迷惑がかかるんだから、大便は風呂の前にすませておくか、風呂が終わるまでがまんするかどっちかにすべきだ」というのが、考えうる職員側の主張の大綱であろう。しかしここには相手への人間的思いめぐらしが欠如している。そういう大変さをわかっていながらも、それでもなお排便介護を頼まざるをえない生理的事情があるのかもしれない。あるいはその人がまだ風呂の時の大変さをほんとうのところよくわからなくて、介護依頼をしたのかもしれない。もし後者だとしたら、その大変さがおのずと伝わるような情報の提供があたたかい人間的交流の中で行いえていたのかどうか。少なくとも双方の心が開きあっていないと、こういう点での心からなるわかりあいはむずかしい。あたたかいまなざしのもとで自己決定が保障されることを通して、全体の中での 的確な判断もできるようになるものである。

 「施設生活なんだから無理だよ」と言われていることのかなりの部分が、施設という形態そのものに不可分なものとしてあるのでなく、その運営方法やそこで働く職員の人間的資質などの属人的要素で無理となっていることが多いのである。これらの点が抜本的に改善されてもなお残る困難とは、かなり少ない、部分的なものになるのではなかろうか。

4.絶対的価値から関係的価値へ

 利用者の自己決定を支え、保障する―これが介護労働の中心的理念であり、したがって消極的労働でなければならないということであろう。では消極的労働はどのような方向で行うべきなのであろうか。

 ある人がテレビで見たというのをまた聞きした程度の耳学問なので真偽のほどは未確認であるが、ホスピスを志向するある病院には“叫びの間”という一室があるという。終末的患者が利用するためのものかと思ったら、そうではなくて職員用のものらしい。明日のない患者を相手にして、その患者のすべての言い分を受容することを基本としているため、職員の中にたまりにたまったうっぷんを吐きだすための一室だという。もしこれが事実だとしたら、患者も職員も救われない。これとよく似たことを職場内の自主的研究会である職員から聞いたことがある。入職後数か月のその若い職員は、ともかく利用者の言うことは受容しなければならないと思ってしているのだが、その一方でだんだんがまんしきれなくなってくる自分があるというのだ。

 この職員に対してわたしは、がまんして受け入れられているということはその相手の人にもわかっているはずで、このように人と人の対面的関係の中にあるすべてのことがらは、ちょうど、ひとつの荷物を一本のてんびん棒に通し、その両端を2人でかついでいるように、2人の関係の中で存在している、だからがまんしたりしてごまかすのでなく、2人でしっかりかつぎあうことが大切なんだというようなことを言った。

 消極的労働とは、“叫びの間”が必要となるような形で自分を殺して相手を形式的に受け入れることではない。積極的労働ではない、すなわち自分の中の考えや判断、あるいは自分がそうだと思っている社会的規範や常識をそのまま介護場面に押し出していくのではない、ということである。自分の考えや既成の社会常識などの一般論で、介護場面に生起する一つひとつのことを解釈してしまわないということでもある。

 わたしたちは、ややもすると、「夏にはスキー用のような部厚いくつ下ははくものではない」というような規範を無条件に認めてしまいがちである。例が飛躍するが、たとえば直角三角形の三辺a、b、cの間にa+b=cという関係性があるということについても、無条件にそう言えるのであると教え、アルキメデスがその法則性を発見する過程で煩悶したであろう生活性や具体性は捨象してしまう。こうした今日の支配的価値観は、くつ下や直角三角形を間にしたAという人間とBという人間がどのような条件であろうと、その規範や法則性は絶対的に正しいと主張する。それはclosed-systemとして特徴づけられよう。

 こうした価値の絶対性を前面に押したてた考え方からすると、夏に部厚いくつ下をはき、風呂時間に大便をする障害者は絶対的価値としての社会常識をわきまえない人非人ということになってしまう。しかし価値には、もうひとつ関係的価値としての側面がある。「それはそうだけど、あなたとわたしの関係だから…」などという論理もそのひとつであろう。

 もし、食事や風呂の前に排泄をすませておくという大綱的規範があるとすると、このこと自体が絶対的価値として生き、運用されるのではない。この規範をぶら下げたてんびん棒を、介護される者と介護する者の双方がかついでいる。この2つの力点の関係として価値が存在している。そしてこの関係的価値の特徴はopen-systemだということである。てんびん棒をかつぐ双方とも、相手の条件の変化を受け入れる開かれた感性(sensibility and capacity)があり、規範そのものもその関係の中でflexibleだということである。

 介護を通して何より重要なのは、介護される者と介護する者の関係が、人間的に熟成してくることである。そのためには社会常識などの価値の絶対的認識から離脱して、双方の関係の中で新しい価値を生みだす努力が必要なのであろう。

注 略

*東京都清瀬療護園


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年11月(第41号)28頁~33頁

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