特集/第7回 アジア・太平洋地域リハビリテーション会議 アジア・太平洋地域における医学的リハビリテーションの現状

特集/第7回 アジア・太平洋地域リハビリテーション会議

アジア・太平洋地域における医学的リハビリテーションの現状

高橋 純 *

 先般マレーシアで開催された第7回アジア・太平洋リハビリテーション会議に出席するについて、表題のような報告を課せられた。気やすく引き受けて見たものの、アジア地域を回わって視察して歩いたわけではなし、覚束ないの域にも達しない筆者の英語力を媒体に、会議場内外で得た断片的知識、クアラルンプールとシンガポールの施設見学での見聞、程度のものからアジア・太平洋を語るのは、葭の髄から覗いて天井をさぐるよりも無謀なこと、行って見て初めて気付いた次第。したがって、会議に参加しての、医学的立場を多少加えた漫談的印象記をしるして責めを果たさせていただくことにする。

 会議のスケジュールは、全体会議と分科会が半々で、全体会では身障福祉全般に関係した一般的な主題を、専門的な主題は分科会で、という趣向になっていた。筆者のお目あては専ら脳性マヒであったので、それ以外の分科会はほとんど無視してしまったのであるが、プログラムによれば分科会、いわゆるワークショップは12に分かれており、その中で医学的リハビリテーション、整形外科的障害、ハンセン氏病(実際はこの病名を用いずレプロシーと呼んでいた)、それに脳性マヒ、の4つが医学的色彩の強い分科会であったが、知能障害、聴覚言語障害の分科会にも医師による医学的な演題が出されていた。

 試みに医学的リハビリテーション分科会の演題と演者を並べて見ると、プログラム順に、デュシャンヌ型筋ジストロフィの側彎および呼吸機能に対する重力牽引法の効果(広島大リハビリテーション科畑野医師)、小児科的リハビリテーションにおけるリハビリテーションチーム、家族および地域社会の役割(Mr.H.ホプカー、イギリス、リハビリテーションマネージャー)、脊損患者のリハビリテーション(Dr.T.R.ハムート、マレーシアのクバンサアン大整形外科助教授)、麻痺性膀胱障害のリハビリテーション(Dr.Z.マハムート、クアラルンプール総合病院泌尿器科主任)、軍隊および工業における職業的リハビリテーション(Dr.A.H.A.カディル、マレーシア陸軍、整形外科)、医療陣のになうリハビリテーションの任務(マレーシアの指導的整形外科医、リハビリテーション医、PT、OT、MSWによるシンポジウム)、という内容である。聴いたわけではないが、広島大の畑野博士の演題が異質に感じられるほどに、理念的演題が主流で研究発表の場でないように見受けられた。整形外科障害分科会にはもう少し研究的なものと思われる演題が多かったが、やはり理念的な色彩が強い。ただし、一 つだけ一寸覗いたものは、スポーツによる整形外科的障害のハビリテーションという演題で、よく鍛えられた障害者の若者を数名連れて来て、ジムでするようなダンベル、バーベルなどの体操を供覧していた。演者は医師ではなかったが、見事なものであり聴衆に感銘を与えた。車イスの青年が大部分であったが脊損であろうか。道路は良く、高速で自動車が走り、マナーは今一つという印象であるから、交通外傷は少なくなかろうと想像された。

 研究発表的演題が少ないといういい方をすると、医学的水準が高くないのではないかと思われる読者もあろうが、脳性マヒ分科会に参加してえた印象からは、そのような見方は全くの誤解であると断言できる。ここでの演題は、脳性マヒの予防(ユソフ教授、産婦人科、マレーシア)、脳性マヒ:診断と予防(ナタン助教授、小児科、マレーシア)、脳性マヒとその障害(ダルワラ博士、整形外科、シンガポール)、脳性マヒの早期発見(ロー博士、産婦人科、マレーシア)の4題であり、十分な時間をとって蘊蓄を傾けた。聴衆は医師は少なく、PT、OT、教師その他が多いこともあり、レクチャーのようなものであったが、肩書きから見て、脳性マヒは医者としての守備範囲の一部に過ぎないと思われるにかかわらず、知識は豊富で考え方はしっかりしており、なかなかのものであると感心させられた。シンガポールのダルワラ博士は同国の脳性マヒ児療育の中心であるスパスティック・センターにも関わっている様子で、治療経験も豊富な若手の俊才という印象であったが、歩行分析の研究の一端を披露した。まだ研究をはじめてからそれ程長くはないようであったが、エレクトロニクスを用いた、最 新の金のかかった研究で、そのうちに何かの雑誌で研究成果を見せて貰えるのではないかと思う。

 講演のあと、質疑応答や討論にも十分の時間がとってあり、過密ダイヤの急行列車のような、日本の学会とは全く違う雰囲気で、活発なやりとりがあるのが常であった。分科会数が多いから個々の分科会の参加者は多くはなく、脳性マヒ分科会も20名前後であったが、参加者はマレーシアが多いのは当然であるが、シンガポール、ホンコン、インドから、南はオーストラリア、遠くフランスからの参加もあり、最も印象に残ったのはフィジーの老教師が謙虚に熱心に、医学的な疑問につき教えを乞うている姿であった。

 討論の様子を見ていると、可愛らしい娘さんが熱くなって論じるのに、ドクターが意見をさしはさんだり軽くいなしたりしながら熱心に耳を傾けたり、日常の悩みを切々と訴えるのにいろいろとアドバイスを与えている様子が、日本での通園施設職員などの研究会と全く同じ光景であり、世界中のどこでも、同じような問題にぶつかり、同じように苦労しながら、コツコツとやっていることをしみじみと感じた。日本の肢体不自由施設のような、収容による療育は、経済的に実施困難であるということで、通園施設が話題の中心であったが、その分布や配置、辺地での問題などが話題となったので、日本での肢体不自由児施設と通園施設の普及状況を、筆者が述べ、皆さん方のお国でもいずれはこうなると思います、と結ぶと、「遠い先のことだナー」という嘆声がきかれた。

 クアラルンプール郊外の脳性マヒセンターを見学したが、PT室、OT室、学校、室内プール、成人のための授産施設を持っており、贅沢ではないが必要なものを一通り揃え、小人数ながら専門職員も配置して、働きざかりの整形外科医の所長と、70歳すぎの元大学教授の副所長(教育学関係?)が指導を行い、なかなか良い仕事をしていた。

 ここでも、シンガポールでもホンコンでも、療育組織は主として民間の力で推進されているように見うけた。障害者福祉をすべて行政に押しつけ、障害者との人間的連帯感に乏しいわが国よりも、これらの国々の方がもしかすると先進国なのではないかというのが、筆者の悲しい感想である。

 漫談漫文に結論は不要であるが最後に一言。アジア・太平洋地域にはおびただしい数の大小の国々があり、発展途上といわれる国も多いが、それぞれの国に障害者福祉に身を捧げている人達がいて、不利な社会的・経済的条件のもとでシコシコと努力を続けている、ということを感得できたのは、この会議に参加して得た最大の収穫かも知れない。これらの人々はいわばお互いに同志ということができる。わが国の障害福祉は数々の問題を抱え、われわれも発展途上国の一つであるといえなくもない。しかし経済力のお陰で、これらの国々に較べれば遙かに恵まれた状態にある。器材や技術の提供、専門職員の養成などの形で、これらの国々の同志に力を貸すことを、真剣に考える時ではなかろうか。

*筑波大学心身障害学系


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1983年7月(第43号)10頁~11頁

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