特集/第7回 アジア・太平洋地域リハビリテーション会議 アジア・太平洋地域会議を通して見た社会リハビリテーションの動向

特集/第7回 アジア・太平洋地域リハビリテーション会議

アジア・太平洋地域会議を通して見た社会リハビリテーションの動向

小島蓉子 *

はじめに

 社会リハビリテーションの動向を伝えるには、第7回アジア・太平洋地域会議の中で持たれたソーシャルワークの分科会の内容を追うことが適切であろう。しかし、此の度の会議での12の分科会構成は、言語障害、脳性マヒ、麻薬中毒、らい等、対象分類によるものと、医学、職業、ソーシャルワーク、特殊教育など、アプローチの専門性によるものとが無系統に並んでいたことに加えて、部会で発表される論文の内容が、大衆の意識操作に関わる広報メディアなど、まさに社会的な問題が特殊教育として扱われ、ソーシャルワーク部門は、療育への親の関わりとか、ボランティアによる家族へのアプローチとか、開発途上国志向のものに限定された課題設定であったという、主催団体の組織上の制約を受けざるを得なかったということを前提として述べざるを得ない。

1.ソーシャルワーク部会の動き

 社会福祉の視点からの発表と討議は、4月11日から13日までの3日間にわたる分科会の中で行われた。第1日目には「リハビリテーション援助の消費者と提供者としての障害者」というニュージーランド論文と、「障害者援助のための地域介入」というインド論文が発表された。第1論文ではすべての政策規定に障害者自身の参加が求められているが、国の成熟度によって達成のされ方が異なる。殊に雇用政策においての障害者統合の国際格差は最も際立っているとされた。第2論文は農村地帯での障害児対策を社会事業の学生などを通じて行うという事例を示したもので、障害児の療育施設を特別に作るのではなく訓練を受けたソーシャルワーカーが村や部落に出向いて家族ぐるみに障害児の療育指導を行う方法が予防と早期発見と治療に効果を果たしているとされ、地域ぐるみの家族介入モデルの有効性が議論された。

 2日目には「障害児リハビリテーションへのソーシャルワークによる接近」と題するマレーシア論文が提示され、それに続く討議では、ソーシャルワーカー養成教育におけるリハビリテーション準備教育の必要性が強調された。加えて、働きながら障害児を育てる母親へのボランティア保育の重要性が指摘され、更には障害者ニーズに対する一般人の理解を高めるマスメディア活用の重要性が論じられた。

 3日目には「障害者の個人的、社会的適応を高める上での親の役割」とした飯笹義彦氏による日本論文及び、「予防とリハビリテーションのための地域、家族、障害者自身の課題」と「障害児のための地域に根ざしたリハビリテーション」という2つのインド論文が発表された。何れも、障害児のリハビリテーションに関しては、家族と地域社会のレベルでの取り組みがリハビリテーションの効果を決定するきめ手になるというものであった。3日間にわたるソーシャルワークの討議を通して各国の経験とそれらへの考察が提示されたが、各国情に合う方策は各国の国情中でのみ有効であるので、他国の表面的な模倣はさけなければならない。そして、これからも各国が自国のモデル作りに努めようということで3日間にわたる討議を終えた。

 日本にとって特に目新しい思想や、実践例が上げられたという訳ではなかったが、アジアの国々が開発途上国なりの素朴な出発点に立って、先進国に対しての背のびや模倣をすることもなく、時には居直りとも思われる自信をもって自国流のリハビリテーション実践のあり方を求めているのだということがよく理解された部会の動きであった。

2.マレーシアの社会変動と日本への熱い視線

 普通、国際会議に参加していると主催国の熱意からか、相当程度、その国のリハビリテーションの特長や優位性が喧伝されやすいのであるが、温和な人のいいマレーシア人気質の故か自国流を売りつけるという攻略性は全く見受けられなかった。医師で、障害者リハビリテーション協会会長のスーティ・ハシュマ大統領夫人は、家族こそが農村を中心とする開発途上の障害児・者ケアの有力な拠り所であるとし、急激な都市化現象によって分断される近代産業社会の中での家族に警告を発していたが、それは単なる体制批判に飛躍したものではないマレーシアの現実主義とすら思われた。現代文明の中で崩壊されやすい社会連帯の中に人間性をとりもどそうとする日本の試みに将来の自国の運命と課題を模索しようとする姿勢をすら示していた。

 会議参加者以外のマレーシアの知人に接した筆者が聞かされた興味あることは、1980年以降のマレーシアの政治変動と民衆の関心の変化についてである。

 1957年独立に至るまで歴史的には英国の植民地として英国の配下に置かれて来た。またマレーシア人口の5分の2は回教を信じる土着のマレー人であるにもかかわらずこれまでは華僑の経済・社会的進出が著しく、進学率も中国系人が高く社会の上層部は中国人に支配されて土着民の地位は低いものであった。しかし、マレーシアは、アジアとして西欧に屈することなく、またマレーシアはマレー人の手でというナショナリズムが徐々に高まり、1980年代にマレー人の血を引く新大統領が選ばれて以来、中国人の大学、官界、管理職進出には、割当制さえ敷かれて、中国人系の実力主義には歯止めがかけられ始めた。また、英国の植民地離れの上に芽ぶいた新しいマレーシアの国作りに当たっては、大統領以下、国民が戦後日本の復興の姿に関心を寄せ、そうかと言っても一部有識者は、日本の産業の進出にネオ・コロニアリズムの危惧と脅威を感じつつも、努力次第ではマレーシアも日本のような発展がとげられるかもと、期待の熱い視線で日本を見つめているようだ。マレーシアの国立大学のすべてに今年度より日本語コースが設けられ、片や各地には日本産業の工場の建設が進んでいる。30歳までの世代 の人の青年期の夢は英国留学だったが子供世代の願いは日本留学だ、というのも変動するマレーシア国民の関心を物語るよい例であろう。

3.国際リハビリテーション協会(RI)社会委員会の動き

 マレーシア会議の期間中、RIの専門委員会がそれぞれに開催されていた。この中、社会委員会は、4月14日の午後、委員長のゴークリ氏(インド)の召集のもとに開催された。会議参加国29か国に対して委員会出席国は極めて少なく、インド、タイ、香港、ニュージーランド、日本とわずか5か国に止まった。

 議事は各国の社会委員会からの報告であったが、社会委員会は各国の委員の集まりであって、委員が必ずしも組織を代表しているものでないため、委員会事業を独自に持つ国はなかった。この中、障害者に対する法制度の進展が国のセールスポイントであるニュージーランドは、自国の労働者災害補償法、障害者地域福祉法、社会福祉法の情報を関心あれば、メンバー国に提供する用意がある旨述べられた。

 最後にゴーリク委員長が、社会委員会が各国の状況把握を行うための質問票による調査を実施したいと提案した。その調査の内容は次の5領域である。

1)リハビリテーション政策

 各国にリハビリテーション政策が存在するか、その内容は何であり、いかなる領域をカバーし、政策の実施がどこまで実施されているか。

2)行政

 行政の準拠する立法の内容と機能、行政権限。

3)コミュニケーション

 意識操作に関わるメディアの普及と課題。

4)農村地帯におけるリハビリテーション

 アジア・太平洋地域では未着手領域であるが、各国は農村の貧困障害者にはいかに対応しているか。

5)リハビリテーションにおける社会資源の活用について

 以上の事柄が社会委員会で約2時間にわたって話し合われた。

4.第2回アジア・リハビリテーション中堅指導者研修計画への期待

 この会議にアジア各国の代表が参会されるのを機会に4月13日(火)の6時から8時半まで国際障害者年日本推進協議会の国際連合海外協力委員会が主催する本計画についての準備会がこれに参加する8か国の代表を招いて、会議と同会場のフェデラルホテル、ペナンルームにおいて開催された。

 本計画参加者の正式推薦窓口とされている各国のRI事務局長が、会議に参加されている場合はその方が、不在の場合は代理者を日本側が指名して全8か国の代表を招いての説明会をすることが出来た。

 参加者は、香港のディビッド・ロー氏、台湾のトーマス・チュー氏、韓国のジョン・アン・ソン教授(ユンーシーン・ミン氏の代理)、インドネシアのダーマ氏(スハルソー夫人の代理)、フィリピンのエリナー・エレクィン教授(フローロ教授の代理)、シンガポールのダルワラ博士及びロン・チャンドラン・ダッドレー氏(タン夫人の代理)、タイのコブラブ・イェンマノー夫人(バエドヤグン氏の代理)、マレーシアのチャン・カム・コーチ氏(チョン氏の代理)の8か国代表、そして日本側は小島委員長と玉木事務局長はじめ2人の事務局担当者、それにオブザーバーとして厚生省の丸山専門官が加わった。小島委員長から、1981年に実施された本計画の報告及び、国連での反響、参加者からの反応などを折り混ぜて各国の協力に対する謝意が述べられ、更に1983年8月28日(日)より9月19日(日)までの間に実施される第2回アジア・リハビリテーション中堅指導者研修計画に関する具体的な説明が行われた。

 第2回の研修計画の特長は、わが国の財政事情により各国1名とするが、8名の構成は1つの専門職に偏らないようソーシャルワーカー、理学療法士、作業療法士、教師、職業カウンセラーなど各国より選出された人を日本側が最終的に選択する。本計画に並んで今年度からは、厚生省主催になるアジアの行政官研修が行われるようになったので、本計画は、それとの競合とならぬようあくまで民間中心とし、行政官が加わる場合には障害者の直接処偶にかかわるワーカーに限定する方針であることを明らかにした。

 昨年の場合は締切日を過ぎても反応の遅い国もあった事情にかんがみ5月30日を申込者募集締切日とし、それに遅れた国は参加適任者なきものとして他の国に権利を委譲することもある旨、伝達した。

 訓練計画は、各国1人分に限り往復の航空費、国内移動交通費、滞在費(小使いを除く宿泊費と食費)、及び訓練期間中の旅行疾病保険をカバーするが、今回より50ドルの登録費を推薦者たる各国のRI又は研修者個人が納入することを前提とすることとして報告した。これに対して全額めんどうを見ようとする気なら登録費も日本側持ちにならぬのかという強硬依存論も出された。50ドルについては、日本はそれを財源に何をしようとするものではないが、本計画は主催団体も委員たちも、研修者を受け入れる日本の民間施設機関も、通訳のボランティア学生個人も、各々に共同奉仕をして成り立っているのであり、こうした日本の計画への協力の意志の表明のしるしとして各送り出し国が協力して欲しいと説得した。

 本計画による体験が、研修者の各国における実践の大きな支えになっている事は、第1回の研修計画参加者で、此度現地で再会したマレーシア盲人リハビリテーション・センター所長のクー氏やその夫人の言葉からも十分に理解されうるものであった。

 かつて欧米に向けられていた関心をしのぐといっても過言ではないほどの関心が、今やアジアのリハビリテーション指導者によって日本の人間サービスに向けられているということは、アジア・太平洋会議を通して与えられた実感の1つでもあった。

*日本女子大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1983年7月(第43号)12頁~15頁

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