特集/第7回 アジア・太平洋地域リハビリテーション会議 お金で買えないリハビリテーションなーに?

特集/第7回 アジア・太平洋地域リハビリテーション会議

お金で買えないリハビリテーションなーに?

視覚障害の分科会

戸田 繁

 一口に『視覚障害』と言ってもその領域は広範で、しかも内容が複雑である。そのリハビリテーションとなれば単に医学的な事柄だけでなく、心理学的な側面ひいては社会的教育的職業的分野での幅広い知識と理解が要求される。そこで「視覚障害者リハビリテーション」とはこれらの専門手段を─総合又は調整して用いることにより(視覚に)障害のある者が最高レベルの機能を取得し、社会に統合して行けるよう支援する過程─と一応提議しておこう。今回の会議はこの提議を断片的になぞっただけで内容的に不満足であった。しかしお陰でリハビリテーションの基盤とも言える思想の核心について貴重な教訓を得たように思う。

 視覚障害に関する分科会は会議期間中5回に分けて開かれ4人の代表者からそれぞれ失明の予防、リハビリテーションの心理的社会的局面、職業訓練と雇用、機器の開発について発表があった。失明の予防のところで注目したいのはこれまで無能者として長い間社会の片隅に置き去りにされてきた障害者に新たな価値が認められたことであった。現在失明者は世界に4千から5千2百万、その半分以上がアジアに集まっているといわれる。安全と衛生管理を徹底し偏った栄養をとらないよう風俗的文化的習慣を改善すると共に定期的に眼科検診を受けさせる体制を整えれば、その4分の3が助かるという。それを支えるのが第一に失明者自身であるというのである。この考え方は最近欧米できかれるようになったばかりだというのに、それがもうこんな形で東南アジアにまで波及していようとは正に英語を公用語としている国の強さとしか言いようがなかった。ぐずぐずしていたら技術大国、経済大国と騒がれるようになった我が国日本も思想的にこの国に遅れをとってしまうのではないかと危惧した。

 リハビリテーションの心理的社会的局面のところでは、先天盲児を持つ親ならびに中途失明者の心理的動向や態度について詳しい説明があった。つまり中途失明者と先天盲児ではリハビリテーションの形態が異なること、従って障害そのものに焦点をあてるのではなくそれをたまたま負わされたひとりの人間に着眼する必要があること、更にはソーシャルワーカーが主体となって専門分野間の統制を保ちリハビリテーションの能率をあげること等である。又職業訓練と雇用のところでは、あくまで適性と能力にあった職業という考え方を元に一般雇用から保護雇用、自営業、専門雇用、農村雇用、協同組合等あらゆる雇用体系の必要性が訴えられた。特に農村での雇用体制を整えることが今後のアジアの課題として強調された。日本で三療の道がほぼ必然的に視覚障害者に開かれていることは─ある意味で便利であっても一方で他の職業への可能性から視覚障害者を締め出してしまう恐れがある─ときつい評も受けた。

 上に述べたことは、いずれも真に進歩的なリハビリテーション思想として驚嘆させられるものであった。ロービジョンや先天盲児の空間概念形成等まだまだ物足りなく感じた点は確かにあったが教えられることも十分にあった。何と言っても失明の予防のところで感じさせられた戦慄はとかく高慢になりがちな我々日本人に対する警告であった。現状に甘んじている者は、たとえ経済的技術的に富んでいても「蟻とキリギリス」のような運命をたどることになる。もしかすると今までにそれが始まっているのかもしれない。日本に盲学校が75校あるときいて「えー? 日本の盲人は一般学校に通わないの」とたずねるマレーシァ人には統合教育が当然のこととして頭に入っているではないか。

 リハビリテーションは思想から始めなければならない。虚心坦懐な思想から。これだけは自ら学びとる以外金や力ではどうにもならない。マレーシアにはその貴重なものが急速に育ちつつあるような気がする。金で買えないリハビリテーション、それが今回の会議を通して学んだ教訓であった。

参考文献 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1983年7月(第43号)31頁~32頁

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