なぜアジアは拒否するのか―西洋のアドバイス―

なぜアジアは拒否するのか―西洋のアドバイス―

Why Asia Rejects: Western Disability Advice

Mike Miles*

中島 和**抄訳

 西欧諸国の専門家や国際団体は、西洋のリハビリテーションの歴史がたどった苦々しい誤ちが繰り返されることのないよう、アジア諸国政府に対し、予防や地域リハビリテーション施策について助言するのだが、実際にアジアの国々がしていることは、しない方がよいと助言されたことばかりである。威容を誇る施設、障害者の宮殿、巨大収容施設、西洋のハイテクノロジー施設のコピー等々。理由はどこにあるのだろうか。

心理社会的要因

 一般の健常者が自分自身の食料を得、露を凌ぎ、子を育て、地位を確保することに汲々としている時、障害者のニードに対してまで気を配ることは期待できない。農村開発計画は地域社会自身の自己決定と実践力を育てることを目的としている。水迫からのきれいな水、道路、電気、作物の改良などを達成するために協力し労働力を提供すれば、すべての家族が恩恵に浴する。しかし最低の生活水準にある人々が、障害者、弱者で地位も低くほとんど声もない少数者のリハビリテーションに熱心に参加することなど期待するほうが無理である。障害者の向上は、一般の人々に目に見える利益をもたらさず、障害者のいない家族には何ら直接的利益はないのであるから。

 絶対的貧しさの中にある幾百万の家族にとっては、障害児が1人生まれることも、家族の誰かが事故や病気で重度の障害を得ることも、それは隣人よりも少々悪い状況をもたらすだけである。家族の結婚に差しつかえよう。余計な費用がかかる。その子が家族に発展をもたらすことはない。したがってどんな素晴しいリハビリテーション・プログラムも、病いや不況、借金などに脅かされながら飢えと飢餓の間をさまようというあたりまえの状況を回復する以上のことはないのである。リハビリテーションを受けることの唯一の意義は、村中にこの家族に障害者がいると知らせることである。

宗教的要因

 世界中の宗教が、弱き者、病人、障害者のために尽くすよう説いている。だが善行の勧めも、伝導的環境でなければ、ほとんど顧みられない。一つの誘因として、来世への保証を得るために盲人の乞食の椀にお金を入れ、来世での罰をのがれようとする。アジアの障害者の乞食は、施す人に礼を言わない。施す人々の目的は来世への保証を得るためなのだから。障害者の乞食は「正義」を求めるのである。運命が、因縁が、神が彼をなさしめたのであるから、物乞いは彼の当然の義務であり職業である。正義が、彼の椀を満たすのである。もし見えざる力が貧しい家族に奇形児をつかわされたのなら、その奇形から経済的利益を得るのが家族の務めである。曲った手足を伸ばすことは、神に反抗することである。

評判とわかりやすさ

 評判となるためには同情と慈善を大々的に目に見えるように実施する必要がある。ぴかぴかの装置が一杯の大きな建物は、「何かを障害者のためにしている」証拠となる。外国からの客には素晴しい行為の証拠として、発展途上国の近代性のあかしとして見せられる。人々の関心を今まで無視されてきた分野に向けることができる。地位の高さは、まき散らされる金の額と直結しているので、リハビリテーション専門家もこれを認める。1千万ドルかけた障害者の宮殿が大統領の手で開所されたというほうが、先生の態度を変えることによって、1銭の費用もかからずに1万人の障害児が普通学校に通えるようになったというよりニュース価値がある。

絶対支配とエゴ

 福祉計画の立案に障害者が参加することはまずない。それよりもリハビリテーション専門家やソーシャル・ワーカーは熱心に小さな絶対支配を作り上げ、クライエントの利益とは関係なくリハビリテーション市場を独占し、新入りを拒絶するのが通例である。誰もが支配者になりたがるわけではないが、支配者の宮廷内に地位を求める人は多い。都市の「障害者宮殿」で働き、目に見えて利益の上がる慈善を行うか、それとも免疫事業や在宅リハビリテーションのために人知れずせっせと働くかどちらをとるかと言われれば、平均的なリハビリテーション専門家なら、自分のエゴを満足させられる道を選ぶであろうことは疑う余地がない。

政治的不平等

 どの国でも金と権力をもつ人々は、一級の施設をまず自分達のために建て、一般大衆のための安い一般的施設はあとまわしにする。外国へ治療に行くことは、高すぎて困難となってくるとなると、有力者達は西洋の都会にあるものと同じものを要求する。不幸なことにこれは少数の特権階級しか利用できない。同じ金額で、全国に小さなリハビリテーション・センターをいくつも作れるはずなのだが。

予防は票にならず

 30人の障害児のために施設を作ったほうが、3万人にワクチンを接種しポリオから救うよりも、政治家にとってはイメージの向上に役立つ。施設は、映画にとることもでき直接見せられるが、ワクチンの効果は年月を経ねばわからず、しかも正確な統計と疫学の基礎がなければ記録もとれない。その上、後者は複雑な作業と多くの人間を要するのである。

 予防接種による予防は、論理的原因主義の世界の世界観である。人間の寿命や健康をある程度コントロールし、未来を予測し、効果も統計的に証拠に基づき期待する。しかしこれはアジアの世界観ではない。アジアの人々は、自然の慈悲のもとに、ほとんど教育も受けず農村で暮しているのである。

適切な訓練の不在

 障害者のための施設作りの最大の難関は、リハビリテーション技術の不足である。これまで海外へ派遣しての教育、もしくは専門家を招聘しての国内教育が行われてきたが、現場で働く人を十分に育ててはこなかった。教育を受け理論を身につけた専門家と、現場の技術者間の格差も大きく給料も歴然とした差がある。海外で教育を受け働いたことのある人々は、西洋のシステムに慣れていて、西洋式障害者宮殿で働くほうを好む。

地域リハの問題

 低コストの農村地域リハビリテーション計画を勧告する人が多いが、実際には問題が多い。プライマリー・ヘルス・ケアの実施に伴う問題と共通のものとしては a)専門家や現状の惰性の反発。b)低コスト計画を受け入れれば、決して病院は建たないであろうことを知っている地域の人々の反対。c)第一線で働く人材の確保、情熱の維持、十分な援助とスーパービジョンの提供、ある程度の出世コースの創出などが難しい。d)交通と伝達手段の問題。e)治療医療を好み、予防や教育は排除される。さらに加えて障害の分野の問題として f)病気に比べ障害に対するスティグマはずっと強い。g)治療医療に比べ、結果が現われにくい。h)西洋においてもリハビリテーションに地域や障害者の家族を巻き込んだ経験は少ない。i)医師の誤った障害に関する情報への人々の信頼。など。

1つの方策

 大都市の施設と農村のプライマリーなレベルの計画との間を埋めるものが必要である。地方の資源を用い、短期間に広い地域で目に見える効果をあげるため、パキスタン北西部の地域リハビリテーション計画では、次のような優先順位を決めた。1)大人より子供。2)村より町。3)理論的計画よりも地方で感じているニード。4)大規模より小規模。5)見えない末梢のことより、見てわかるセンター。6)無関心な親より、熱心な親。7)収容施設より通所。そのため町に住む障害児の熱心な親を探し(当初50,000人以上の町から開始した)、その人々が障害をどうとらえるか、何を望んでいるかを調べ、親と地域の専門家で運営する小規模な通所センターを作るようもっていく。世界的にも、障害児の親や近親者は一度動機づけられると、適切なサービスを築き監視していく最大の原動力となることが知られている。そしてアジアではまだ手のつけられていない資源である。

(International Rehabilitation Review 1982 No.4)

*北西パキスタン:保健センター所長
**日本障害者リハビリテーション協会


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1983年7月(第43号)38頁~39頁

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