Roberta B.Trieschmann, Ph.D.
奥野英子*訳
1980年代および1990年代における諸問題に焦点を当てて職業リハビリテーションサービスを見てみると、従来からの考え方よりもっと広い見方をしなければならないことに気付かされる。雇用は、広義における生産活動の一つのかたちにすぎないと考えられるようになるであろうし、生産活動がすべてであるとは考えなくなるであろう。どのような人にとっても生産活動は、個人的、知的・身体的、環境的という三つの要素の相関関係に影響されるものであり、それゆえに、すべてのリハビリテーションサービスは、クライエントの意欲にのみ焦点を当てるのではなく、その人の生活に影響を及ぼしている多様な変数すべてに焦点を当てるべきなのである。
米国におけるリハビリテーション運動の大きな特徴の一つは、リハビリテーションを職業や雇用との関連の中でのみ考えてきた傾向があったことである。リハビリテーションのゴールは、医学的回復(機能回復)から、障害者が社会的生活者としてのニーズにできるだけ適応できるように援助すること、に移っている。また、米国の社会において、一人前の市民として認められるためには、生計を支えられる雇用に就いていることが常に前提条件であった。各種リハビリテーションプログラムを財政的に支えている連邦機関の事業目的に明白に規定されていることもあって、「リハビリテーション」と「職業リハビリテーション」が同意語のように使われてきた状況がある。
しかし我々自身の生活をじっくりと見つめてみると、我々は生産性のある個人であっても、雇用は我々の生産的な諸活動の一つでしかなく、生産的な人間であるための能力は、我々の身体的、心理的、社会的なすべての機能の複合体から切り離すことはできない。従って本稿において私は、「職業リハビリテーション」とは、「各種多様な生産的活動(productive activities)に従事するための能力を伸ばすための試み・介在(interventions)である」と考えている。「生産性(productivity)」とは、「職業的(在宅または外勤)および教育的活動であり、家族もそこに参加し、コミュニティーサービスでもあり、趣味的なもの、芸術に係わるもの、学究的なものなどすべての活動を含む、包括的な活動であり、そしてひいては社会的にも貢献するものであり、また個人に生き甲斐を与えるものである」と定義したい。また、個人個人がその人の人生における様々な時点において、これらの活動を様々に組み合わせて参加するものである、と私は信じている。そのような中で、雇用という形態が適切な時期もあれば、それが適切でない時期もあるであろう。あるクライエントにとっては雇用がぴったりであっても、他のクライエントにとっては雇用が適切でないこともある。しかしすべての人は、人生におけるほとんどの時点において、何らかのかたちで生産的でありうるし、また、生き甲斐をもつという意味からも、そうあるべきである。
その人が障害(身体的、精神的もしくは発達上の障害)をもっていようといなかろうと、社会において健康的で充実した生活をするためには、少なくとも以下の三つのカテゴリーの活動が必要である。表1に示されているが、第一番目のカテゴリーは生存のための活動(survival activities)である。すなわち、健康の維持、医学的問題の予防、食事・入浴・衣服の着脱;整容・家事・移動などの日常生活動作の遂行、などである。もし、これらのすべての活動において自立していない人がいるならば、その人を援助し、その人の機能を最大限に伸ばすための環境を用意しなければならない。
第二番目のカテゴリーは安定した生活環境を維持する活動であり、そのためには、社会・家族・友達仕事仲間から要求されるニーズと責任に対処するための社会的技能(social skill)が必要とされる。第三番目のカテゴリーは生産的活動である。
1.生存のための活動
a.健康の維持 2.安定した生活環境の維持 a.家族関係 3.生産的活動 a.雇用(在宅または外勤) |
これら三つのカテゴリーを見ると明らかなとおり、第一番目の生存のための活動や、第二番目の安定した生活環境を維持する活動におけるその人の能力を考えずに、第三番目の生産的活動だけを他の活動と切り離して考えることは、全く無意味である。というのは、一つのカテゴリーにおける問題は他の二つのカテゴリーにおけるその人の機能に影響を与えるからである。また、これら三つの、カテゴリーにおける技能(skills)には階層(a hierarchy)があり、第二番目のカテゴリーの活動は第一番目の活動に、第三番目のカテゴリーの活動は第二番目の活動にと、それぞれの一つ前のカテゴリーの活動の基盤の上に次の活動が打ち建てられるからである。従って、リハビリテーションへのシステムアプローチがどうしても不可欠なのである。なぜならば、我々の生活は数多くの変数のダイナミックな相互作用の中にあり、その変数とは我々の性格特徴、身体的能力、知的能力、我々が生活している環境などであるからである。
従って、職業リハビリテーションを成功させる鍵は、「生産性とは各種様々な活動の組み合わせであり」、「生産性は個人的(personal)変数、器質的(organic)変数(身体的及び知的)そして環境的(environmental)変数の相互作用から生まれる」と考えるアプローチにある。個人的変数には、パーソナリティーの下に包含される個人の生まれながらの特性のすべてが含まれる。しかしそれは、個人の精神的特性以上のものを意味しており、ここではそれらが重要なのである。職歴、受けた教育、文化・民族的経験などがその人の諸側面を構成するのであるが、その人の育った環境も重要な要素なのである。器質的変数とは、遣伝的および環境的影響から導き出される身体的および精神的機能をいう。知能、身体能力、適性、健康などは、その人の静的特徴であると考えられがちである。しかし、これらのいくつかは、ある程度、リハビリテーションシステムによって潜在的に影響を受けうる。環境的変数はその人にとって一番遠くにある変数のようにみえるが、その人が生産的であるために、その人の個人的および器質的な能力を発揮できるか否かを決定づける程重要な変数である。これらの変数は生産的機能を左右する長所とも障害物ともなりうるものであり、できうるならば、これらの影響力の多くを操作し、障害物を取り除き、長所を最大限に活用できるように、その人を援助したいものである。
職業リハビリテーションを成功に導くためには、個人的変数、器質的変数、環境的変数のすべてを評価し、援助を求めている個人の生産性をあげるためにどのようにしたらよいかというアプローチが必要である。しかしながら、我々は従来、器質的変数は静的なものと考え、他の影響力によって変わることがあるとは考えてこなかった。つい最近まで我々は、環境的変数を無視してきた。そして、リハビリテーションが成功するか否かの鍵として、個人的変数を評価することのみに視点を当ててきた。従って、職業リハビリテーションが成功するか否かの変数に関する研究活動の多くは、対象者の精神内の変数にのみ焦点を当て、それは職歴、教育、知能などと同じように、外からの力によって影響力を与えようのない、動かしがたいものと考えがちであった。
個人的変数 | 器質的変数 | 環境的変数 |
社会的技能
ストレスに対処する方法 コントロールの核 自信 判断力 問題解決能力 教育 職歴 職務技能 文化的・民族的集団 性格 創造性 |
知能と認知力
身体的状況 耐久力 体力 健康 知覚・運動協応 移動能力 感覚機能 適性 |
移動・交通手段
建築上・地理上の障害 医療機関・教育機関の利用可能性 意欲を阻む経済的要因 家族の支援と対人関係 社会・経済的状況 介助が受けられるかどうか(必要な場合) 行動のスーパーヴィジョン( 〃 ) |
このように、諸要素を限定して考えるやり方は、リハビリテーションが成功するか否かを決定するのは対象者のもつ能力次第であるとする、リハビリテーションの従来からの考え方から来ている。すなわち、対象者に対して、「あなたの素質が良ければ、あなたは障害を克服でき、あなたは“正常”な人たちと同じようになれるのですよ」と言うことと同じなのである。しかしながら、リハビリテーションが成功するか否かの責任のすべてを障害者自身にかぶせてしまう傾向は、リハビリテーションに従事している我々すべての面子を保つための策略以外の何ものでもない。もし対象者が成功し、職業的に生産性をあげられるようになると、我々は、「対象者が必要とするサービスを提供できた」ことに自己満足する。しかし、もし対象者が雇用に就くことに失敗したとしたら、我々は悲しそうに頭を振り、その不成功の理由は、「対象者自身に成功するための資質がなかったからだ」と理論づけがちである。このような考え方でいくために、我々は、対象者のうち、誰が“適切な資質”をもっており、誰が“適切な資質”をもっていないかをより正確に予測するための評価方法を考え出したり、研究を進めがちである。
これまでの私の論法で明らかになったと思うが、このような従来からのリハビリテーションの進め方・考え方は、心理職員、リハビリテーションカウンセラー、就職あっ旋担当官、経済学者、医師など、我々専門職者側の逃げの姿勢から発していると私は考える。リハビリテーションが成功すれば、それは、我々専門職員の手柄にし、もしリハビリテーションが失敗すれば、その責任は対象者に転嫁してしまうのである。障害者の生活をめぐっては膨大な数の変数が存在しており、それは本人自身には容易にコントロールできるものではなく、それこそが我々専門職員の対応・介在を必要としているものなのであるが、そのような現実の中で、リハビリテーションの成否の責任のすべてを障害者自身に負いかぶせることはできない。適切な移動・交選手段がないこと、および建築上の障壁があることは、生産性のある生活をするための重大な障害物となることが多い。レベルの高い所得保障などは生産性ある生活にとっては意欲をくじく原因ともなり、この点が最近注目されている。それでも現実には、所得保障は障害のある人々にとって重要な生活構成要素である。障害をもちながら日々生活することはお金がかかるものであるから、障害手当や公費保健ケアサービスをなくすことはできない。家族のサポートや相互人間関係によるサポートは、経済保障と同様に、「生産性」にとって重要な変数である。
従って、リハビリテーションを成功に導く鍵として、対象者の精神面にだけ焦点を当てることは、「夜間、街灯の下で、四つんばいになって何かを探している人」のようなものである。隣人がそこにやってきてその人に何をしているのかとたずねると、「私は家のドアの鍵を探しているのです」と答える。再び隣人が「鍵をどこでなくしたんですか」ときくと、「私の玄関の近くで落としたんです」と答える。それで隣人が驚いて、「あなたの家はずっとむこうじゃないですか。なんでこんな所でそれを探しているんですか」と聞くと、「だって、ここの方が明るいんですから」と。すなわち、対象者の精神的なことばかりに目を向けてリハビリテーションを進めていくと、この笑い話のようなことになるのである。
本稿において提示している概念的枠組は、個々のケースに対して我々のゴールや目的を達成しようとする時、とても難しく、フラストレーションを起こさせそうに見えるので、リハビリテーションを成功させるために、障害をもっている人そのものを研究することの方が根本的には容易である。従って、前述の変数の多くはあなた方のコントロールの範囲を越えているように見え、ケースを終結にもっていくためには容易に操作できないように見えるでしょう。しかし、我々に可能なことも現実にはたくさん残されているのである。
まず第一番目は、我々の一人ひとりが知的におよび専門職者として正直でなければならない。リハビリテーションの結果に影響をもたらすような多様な変数が障害者に作用していることを、我々は認めなければならない。我々はこれらの変数の特質を評価し、対象者の長所と短所(個人的、器質的、環境的変数)を勘定しなければならない。リハビリテーションの成功度を高めるために、対象者の生活における個人的、器質的、環境的影響力を修正したり改善するためのどんなサービスを提供できるかを、我々は前向きに検討しなければならない。数多くの変数に大きな変化をもたらすことは明らかに不可能であるが、それらの変数のいくつかを修正する試みはできるのである。
第二番目に、リハビリテーションが成功しなかったり、最大限の生産性をあげられなかったことの原因を、ケースレポートに記入する時には、その原因は「対象者の意欲が足りなかったからである」などと簡単にかたずけてしまわないよう、我々は十分に気をつけなければならない。この点について検討してみると、対象者の意欲の問題がしばしば、環境的な問題を覆い隠す方法に使われたり、対象者の自信の欠如と結びつけられてきた。このような作業が、問題の範囲をはっきりとさせるためのデータ収集の基礎であり、このような過程を通して、現行のリハビリテーションサービスシステムを改善し、変化をもたらすことができるのである。
第三番目には、スーパバイザーや政策立案者に対して、影響要因の多様性について、我々は常に訴えていくことができるということである。我々の一人ひとりがはっきりと発言することによって、現状を変革するための力となりうるのである。より広いシステムの中では変革をすることができないが、集団としての我々にはそれが可能である。専門職者として我々は、政策立案者や他の専門職者そして政治家の意識を高めることはできる。そして、過去何年にもわたってこの点を訴え続けてきた障害のある方達とも、我々は連帯し、共に運動してゆけるのである。
サービスを求めてやってくるクライエントに対応するためには、幅広い見地に立つことが必要である。対象者の長所と短所を評価する必要があるばかりでなく、その人の器質的機能とその人を取り巻く環境も評価しなければならない。評価の結果を、誰が教育や訓練を受けるべきかを決定するための選考手段として使うのではなく、対象者が生産性を高め、人間としての生存と社会的生活の機能を向上させ、より良く生きるために、三つの機能カテゴリー(個人的、器質的、環境的変数)を前向きに見ていかなければならない。例えば、自宅で両親と生活していることが、その人の自信と自立をそこない、マイナスの心理的影響を与えているならば、集団生活の場や自立生活の場を見つけるよう援助することによって、コミュニティーにおける活動や生産的活動へのより積極的な参加を促進することになるであろう。
社会の中で成人としてより充実した生活をするためには、社会的技能(social skills)が非常に重要な要素である。成人になってから障害をもった人は、非障害者が態度に表わす偏見に直面し、戸惑うことが多い。このような偏見は底深いものであり、また、拒絶の態度は、健康的な自己概念をも腐食し壊してしまう。幼少時期または出生時期に障害を受けた者は、発達過程において社会的経験を十分に経ることができなかったり、親の過保護のために、社会的関係における適応能力を十分に身につけられないことが多い。これら二つの状況の両方ともがどんなに知能が高い人であっても、その人の自信を損なわしめる原因となりうる。従って、職業リハビリテーション機関は、対象者が自分自身について前向きに考えるために、各種のサービスと社会適応訓練を重視しており、これらの訓練・サービスによって、対象者がより生産的になれるよう援助しているのである。
このような考え方においては、心理療法、カウンセリング、集団療法、家族療法などについて検討することが大事になってくる。これらの治療方法は、個々のケースによって効果の表われ方が異なってくるが、しかし決して看過することはできない。心理療法(およびその他の治療方法)はそれ自体が対象者に自信をもたらすものではない。コミュニティーにおいて指導を受けながら参加する、行動変容を目的とした諸活動とともに併行して心理療法を受けることによって、対象者が徐々に自信を培っていけるのである。洞察だけでもって、非障害者または障害者の幸せが高められるものではない。従って、、日常生活の中で社会的技能をテストし、カウンセリングの中でそれを強化したりフィードバックするという、現実に即したカウンセリングを行うことが効果的である。また、このようなカウンセリングは、社会的活動や就労活動の中で自信を培っていく機会を提供するというように、段階づけた経験をさせることができる。
雇用は生産的活動の一つの形態でしかなく、雇用が適切であるか否かは、個々の障害者によって異なる、というように考えていくべきである。もし雇用が適切でない場合には、その対象者を他の領域において生産的となるように援助しなければならない。充実した生活を営むための三つの活動カテゴリー(生存のための活動、安定した生活環境を維持するための活動、生産的活動)についてすでに述べたが、再び強調すると、生産的活動は三つの活動の中の一つにしかすぎず、これは、生活のあらゆる領域の複雑な機能から孤立してはならない。我々の日常の機能は、個人的、器質的、環境的変数の相互作用の結果であり、これらの変数のすべてについて、リハビリテーション機関はサービスの対象として注意を向けなければならない。従って、我々の概念的枠組を拡大することによって、我々がサービスの対象としているクライエントの日常生活の複雑性・現実性に、直接係わるようなサービスを提供できるようにならなければいけないのである。
参考文献 略
著者紹介
Dr.Trieschmannは1966年にミネソタ大学において臨床心理学の博士号を取得し、過去18年間、障害をもつ人々のリハビリテーション分野に従事してきた。すでに30冊以上の著書を執筆しており、その中には「脊髄損傷:心理的・社会的・職業的適応」(ニューヨーク,Pergamon Press, 1980)がある。同女史は現在、全国障害者研究所(National Institute for Handicapped Research)の研究員であり、「リハビリテーションと保健ケアの普及」についての本を執筆中である。
*国立身体障害者リハビリテーションセンター
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1985年7月(第49号)8頁~13頁