特集/総合リハビリテーション研究大会'87 総合リハビリテーションの理念と課題

特集/総合リハビリテーション研究大会'87

《基調講演》

総合リハビリテーションの理念と課題

上田敏 *

 Ⅰ.リハビリテーションの理念

 「リハビリテーション」という言葉は今や知らない人はないと云ってもよいものとなっている。しかしその内容が正しく理解されているとは限らない。一般には医学的な意味でだけ、しかも非常に狭く、「機能回復のための訓練」という意味でとらえられているのが普通である。これでは「教育的リハビリテーション」(障害児教育)、「社会的リハビリテーション」はおろか「職業的リハビリテーション」でさえ正しく理解することはできない。

 語源から

 リハビリテーションという言葉を語源的にみるとリ(再び)+ハビリス+エーション(にすること)という3つの部分からなるラテン語起源のものである。ここでハビリスという形容詞の意味が問題になるが、これは「適した」、「ふさわしい」という意味であって、人間にとってふさわしい、望ましい状態ということである。すなわちリハビリテーションとは、人間が何らかの原因によって人間にふさわしくない、望ましくない状態におち入った時に、それを「再び人間にふさわしい状態にする」ことなのである。

 歴史的な用法から

 このことはこの言葉の使われ方の歴史をみると一層はっきりする。

 中世のヨーロッパでは、リハビリテーションの語はまず「身分・地位の回復」という意味で使われた。つまり王などによって任命された地位や与えられた(貴族、騎士などの)身分が、何らかの原因でとり上げられた場合、それらが後になって回復され、元の身分・地位に復帰することをこう云ったのである。

 中世ではまた宗教的な意味で「破門の取消し」という意味でもこの語が使われた。キリスト教が支配的であったヨーロッパ中世で、原因のいかんを問わず教会から破門されるということは、人間の社会から追放されるということとほとんど同じであり、それが取消されるということは再び人間の社会に仲間として迎え入れられるという全人格的な意味をもっていたのである。

 近代に入るとリハビリテーションの語は「無実の罪の取消し」という意味でも使われるようになった。これは「名誉回復」でもあり、同時に市民としての「権利の回復」をも意味していた。ジャンヌ・ダルクが魔女であるとして火あぶりの刑に処せられた後、その罪が取消され名誉が回復された(同時に破門も取消された)が、これは二重の意味でリハビリテーションであり、事実この名誉回復のためのやり直し裁判は「リハビリテーション裁判」と呼ばれたのである。

 20世紀に入ると、無実でさえなく実際に罪をおかした犯罪者の社会復帰のことをもリハビリテーションと呼ぶように用法が拡大された。これはそれまでの報復刑主義でなく教育刑主義に行刑思想が進歩したことの表れであった。わが国にはこの段階でリハビリテーションの語が輸入され、「更生」という訳が与えられた。そのため戦後になって障害者のリハビリテーションが盛んになった時、それを「更生」と呼ぶことが行われ、障害者の反撥を招いたりもしたのである。

 現在われわれが使っているような意味で、障害者についてリハビリテーションという言葉が使われたのは第一次大戦の末、1917年にアメリカ陸軍医務局の中に「身体的再訓練およびリハビリテーション」という部局が設けられて戦傷兵のリハビリテーションが行われたのがはじめてである。興味あることにその場合でもリハビリテーションと身体的再訓練とは別ものであって、リハビリテーションとは職業復帰を中心とした社会復帰のことを意味していたのであった。

 障害者の「全人間的復権」

 以上のような歴史を考えると、障害者のリハビリテーションとは決して単なる訓練のことではなく、障害のために人間らしく生きることが困難になった人(障害者)の「人間らしく生きる権利の回復」、すなわちその「全人間的復権」であるととらえるべきものである。

 自立生活の思想

 リハビリテーションの理念をこのように広い視野に立ってとらえ直すと、自立生活(independent living,I.L.)の思想はその重要な一部を構成することがわかる。自立生活とは障害者運動の中から生まれた思想で、「障害者の自己決定権」の主張を中軸としている。そしてそれを実現するための方策として、専門家やボランティアの協力の必要を否定はしないものの、障害者同士の相互援助(仲間によるカウンセリング――peercounseling――など色々の形態の)を重視する。また従来の障害者施設が障害者の人間性を侵害することが少なくなかったことに対する批判から「脱施設」と、そのための地域サービスの充実を強調する。もちろん一方では「施設の人間化」をも主張しており、決して施設一般を否定しているものではない。

 これからのリハビリテーションはこのような自立生活の思想を大きくとり入れ、それを組込んだものにならなければならない。それは障害者による自立生活の思想の主張の中には、従来のリハビリテーションが、あまりにも専門家中心に固まりすぎ、障害者の権利の尊重が時に不十分であったことに対する強い抗議が含まれているからである。その意味でも今こそ「全人間的復権」としてのリハビリテーションの初心にたち戻ることが重要なのである。

 リハビリテーションのめざすもの

 このように考えてくると、障害および障害者に対する従来の考え方にも反省が必要である。これまでともすると障害者をその障害の面だけから見ようとする傾向が強かったが、障害者とは一部に障害をもってはいるものの、より多くの部分では健常な機能・能力をそなえた一個の個性ある人間である、とのとらえ方が重要である。いいかえれば障害者とは、「障害をもった能力者」なのである。

 リハビリテーションとは単に障害を軽減すること(マイナスを少なくすること)だけではない。むしろ健常な機能・能力を開発・増強すること(プラスを増やすこと)が重要であり、この二つの方向の努力があいまって、その結果、障害者の「人生の質(quality of life,QOL)」が向上することでなければならない。この場合、障害をもつ以前の状態に復帰することのみを目標とするのではなく、むしろ「新しい人生の創造」をめざさなければならないのである。そのためには障害者本人の努力と、仲間である障害者の協力と、社会全体の連帯心にもとづく援助と、そしてやはり我々専門家の技術とが不可欠である。

 Ⅱ.リハビリテーション各分野の協力

 全人間的復権という大きな目標を達成するためには、障害者のニーズ(必要)の多様さに応じて多種多様なサービスが必要である。そのためにリハビソテーションの事業あるいは場は大きく次の4つに分けられる。

 1.医学的リハビリテーション

 2.教育的リハビリテーション(特殊教育、障害児教育)

 3.職業的リハビリテーション

 4.社会的リハビリテーション

 これらの4つの分野は決して互いに完全独立ではなく、緊密に連携し協力していかなければならないものである。しかしこれらの分野はそれぞれ歴史的背景を異にし、価値観、人間観までを含む、ものの考え方においてもかなりの違いをもっている。またそれぞれに良い意味でも悪い意味でも独立意識が強く、他の分野と混同されることを好まないという面もある。このように種々の点で異なった分野同士が相互によく理解し、協力し合うというのは至難のわざである。しかしそれにもかかわらず、一個の障害者に対し、そのすべてのニーズを満たすことのできる、「全人間的復権」というにふさわしい総合的なサービスを提供しようとすれば、これらの各分野の何らかの形での統合は避け難い。われわれは種々の行きがかりや私心をすてて、統合を少しでも前進させるために努力しなければならないのである。

 ここで仮にリハビリテーションの各分野の統合に向けての歩みを図式的に示せば図のようになろう。

図 リハビリテーションの各分野の統合への歩み

図 リハビリテーションの各分野の統合への歩み

 ここで、統合に向けての第1段階とは、それぞれ歴史やものの考え方を異にする各分野が「リハビリテーション」という共通の理念をめざして、歩みよりをはじめる段階である。しかし相互の壁あるいは溝はまだかなり高くまたは深く、相互の理解も不十分である。

 第2段階とは、いちおうの統合が達成され、各分野は互いに隣同士であり、目的を共有しているとの自覚をもつようになる。患者(障害者)がその必要(ニーズ)に応じて、ある分野から他の分野に紹介されたり、あるいは同時にいくつかの分野に属するサービスを受けるといったこと(リハビリテーションの世界内部での移動)も相当スムーズに行われるようになる。しかしまだ各部門の間の壁は厚く、いわば隣り合っているだけで、隣りのことは深くは知らないという状態であり、患者(障害者)の紹介などもしばしば見当はずれだったり、長く待たされたりする。この時期は「医学的リハビリテーション」、「社会的リハビリテーション」などと、一応別な独立の分野であるという意識が強い。

 第3段階は統合が完成され、真の意味の「トータル・リハビリテーション」の態勢がととのった状態である。この時点でも、技術的・学問的性格、専門職、場の性格、等々の違いによるある程度の境界線はもちろんある(図では点線を示す)。すべてが混合して均一の状態になるのではもちろんない。しかし、その境界線は壁ではなくなり、オーバーラップする部分もかなり出てきて、そこでは異なった部門に属する専門職の協力が日常的に行われることも珍しくなくなる。また患者(障害者)がニーズに応じて、リハビリテーション界のなかを動き回ることもスムーズに無駄なく行われる。従事者の意識のうえでも、自分たちは「トータル・リハビリテーション」という一つの大きな事業のなかの医学的あるいは職業的、等々の側面を担当しているのだという意識が強くなる。もちろん他の側面についても深い理解と敬意をもつようになる。

 この第2段階と第3段階との違いは、比喩的に明治維新前後の藩と県との違いに近いものと言うこともできよう。幕末においてさえ、藩と藩との境界の出入りは一般人にはきわめて困難であり、閉鎖的であったのにたいして、現在の県境は行政的な意味はあるものの、鉄道で行っても車で行っても、いつ別な県に入ったかも意識しないほどのものでしかないということである。そのような大きな違いが第2段階と第3段階の間にはあるわけである。

 このような3段階説が正しいとした場合、われわれは今どの段階にいるのであろうか。もちろん、各施設、各個人の状態はまちまちなので、同じ国のなかでもあるところではすでに第3段階に達しているのに、他のところではまだ第1段階に低迷しているということもありうると考えなければならない。しかし、全体として眺めた場合、現状は欧米の先進国では第2段階から第3段階への移行がほぼ半ばまで進んでいる(しかしまだ完成とはいえない)が、わが国ではまだやっと第2段階の初期から中期にいるというのが正直なところであろう。先ほどの比喩でいえば、まだ幕末にも達していないということである。「夜明け前」だといってもよいかもしれない。

 このような各部門の協力態勢の不十分さの理由として、しばしばあげられるのが行政の「縦割り」ということである。たしかにこれは大きな問題であり、障害者のリハビリテーションのための各種の施設や制度は、厚生省ひとつとっても健康政策局、保健医療局、児童家庭局、社会局の4つの局に分かれて管轄されており、さらに文部省、労働省、科学技術庁、通産省などに管轄された多くの事業がある。心身障害者対策基本法の規定や国際障害者年(および国連障害者の10年)の精神にもとづき、これらの政府施策は総理府において一元的に統合整理される建前になっているが、現実には総理府にはまったくそのような機能も権限も与えられていない。さらに問題なのは、わが国にとくに顕著な中央集権(地方自治の弱さ)のために、中央各省庁におけるこのような権限・管掌の縦割りが、市町村の末端にいたるまで貫徹され、少なくとも地域の「草の根」のレベルにおいては統合され一体化されていなければならないはずのリハビリテーションあるいは障害者福祉行政が、一貫性を欠きバラバラに分断されたものになっているということである。この点が総合的なリハビリテーションの進展を妨げている最大の客観的原因であることはいかに強調してもしすぎることはない。

 しかしすべてを行政の責任にしてよいわけではなく、われわれ専門家の努力の足りなさを反省しなければならない点も少なくない。

 システムとネットワーク

 ここで考えなければならないのは、このように多面的な事業を障害者のニーズに正しくこたえることができるようにおしすすめていくためには、よいシステムとよいネットワークを開発しなければならないということである。

 ここでシステムとは、行政の制度をその典型とするもので、比較的固い、組織と組織との関係であり、ともすれば閉鎖的・固定的になりがちである。われわれ専門家についていえば、自分だけの狭い専門性の世界に安住していてもやっていけるのがシステムだといってよい。しかしこのような問題点がある一方で、システムには法令、行政、財政の裏付けがあるために安定性があり、日本中どこでもほぼ均等なサービスが保証されるというよい面もある。

 ネットワークとはシステムにくらべてより柔軟な人と人とのつながりであり、より開放的で流動的である。専門家のあり方としては狭い専門にかたまるのではなく、ジェネラリスト的に視野の広い専門性が必要となる。このように良い点が多い反面、個人の努力によるところが多く、不安定になりがちである。

 結局のところシステムとネットワークとは対立するものではない。良いシステムを基礎としてこそ良いネットワークが発展しうるのであり、逆に良いネットワークによって補われ、柔軟性を与えられるのでなければどのように(形の上だけでは)よいシステムでも本当によい機能を発揮することはできない。総合的なリハビリテーション事業の発展のためにはわれわれはよりよいシステム(全国及び地方の行政を含む)とよりよいネットワークを作っていくことにより一層の努力をはらわなければならない。

 まとめ――トータル・リハビリテーションの実現のために

 いま総合的なリハビリテーション事業のためにわれわれリハビリテーション専門家がなさなければならないことは次の3つにまとめることができると思われる。

 第1には「リハビリテーション」すなわち「全人間的復権」という共通の理念の確認である。

 第2には各分野の相互理解、相互尊重を一層促進することであり、これは個々の障害者のケースを通じての地域の専門家同士の恒常的な協力と、(今回の総合リハビリテーション研究大会もそうであるが)全国レベルでの交流との2つの道で実現されるものであろう。

 第3は全国、地域のシステム作りとネットワーク作りであり、これは、まずシステム(制度)の整備・充実であり、同時に人的なネットワーク作りである。この目的のためにも第2として述べた各分野の従事者同士の相互理解、相互尊重が深まることが重要なのである。

 以上の様々な努力を通じて、わが国の障害者リハビリテーションが、ますます総合的になり、障害者の真のニーズにこたえうるものになることを心から希望するものである。

*東京大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1987年11月(第55号)7頁~11頁

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