特集/総合リハビリテーション研究大会'87 リハビリテーション工学の進歩

特集/総合リハビリテーション研究大会'87

《講演Ⅴ》

リハビリテーション工学の進歩

土屋和夫 *

 Ⅰ.はじめに

 リハビリテーション工学の名前が世の中に現われてすでに十数年が経過した。どうしてこのような工学が誕生したかといえば、一般民生機器がおびただしく市場に氾濫し、日常生活を営むにはこれらの機器を自由に使いこなすことが必要になってきた。ところがこれらの機器が、いわゆる『誰でも使える』ように作られておれば問題はなかったのに、医学的にいう障害者では使えないところから、障害者の社会復帰に使える機器が必要になってきたためと考えられている。しかし、この考え方の基本が少し間違っていたのではないかということに最近気付いた。そこでリハビリテーションの原点に遡って、『障害』と『ハンディキャップ(ここではリハビリテーション用語の社会的不利の意として解釈してほしい)』に関する基礎考察を行なった後、リハビリテーション工学の進歩について述べさせていただくことにする。

 (1)『障害者』の解釈について

 すべての面において、完璧な人間はおそらくこの世には存在しない。ある分野ではきわめて優秀な人でも、他の面からみたら、一般の人と比較しても著しいハンディキャップをもっていることが多い。であるから、本来ならば『なんらかのハンディキャップをもっている者こそ人間である』と考えるのが最も自然ではなかろうか。そして、『障害』というのは『ハンディキャップ』の一因にしか過ぎないのである。それにもかかわらず、社会では『ハンディキャップを持った人=障害者』という通念が罷り通っているのは不思議でならない。

 今年は国際障害者年の折り返し点であるだけに、障害者の概念をもう少し明確にして、その平等な社会参加の対策を考えてみたい。

 精神障害者、肢体不自由者、視覚障害者、聴覚障害者、内臓障害者などというような分類は、単なる医学的な見地からなされた障害の分類の一つに過ぎない。

 たとえば、オンチといわれる音楽に関するハンディをもった人とか、機械オンチと称する人は、音楽や機械操作という面からみれば上述の社会通念に従うと障害者に属することになる。しかし、一般には本人がその障害を克服しようと努力してさえおれば、決してその人を除外しようとはせず、社会も対等な人として受け入れ、立派に社会参加をし自立生活を営んでいる。

 さらに、最近のように第一次産業や第二次産業が自動化やコンピュータ化してできるかぎり省力化の努力をしたにもかかわらず、国際貿易摩擦の激化や円高、労働賃金の増加に伴い、産業の国外流出や開発途上国の追い上げによって、産業構造が変革したため、やむをえず規模を縮少したり生産対象を変えなければ会社自体の生き残りが困難になってきたという場合、従来の中高年者や熟練労働者は必要なくなり、新しくプログラム作成やキーボード操作のできる労働者が必要になるといった社業転換が日常茶飯事になってきた。

 現在の状態では、配置転換をさせたくても作業内容や理解度が全く異なり、再教育も困難で、直ちに職域を変更させることが困難になってきた。

 また、教育面においても、コンピュータを導入した教育支援システム(CAI)を利用したくても、中高年の教育者(これは教育のべテランである)がコンピュータの基礎知識や操作法が理解できないため、問題が起こってきている。

 これに加えて急激な高齢化社会が到来し、一般機能の衰えた人達の働く場所も考慮しなければならなくなってきた。このような人達も、企業社会やコンピュータ社会という雇用面からみれぱ、すべて障害者ということになる。しかし、彼等を障害者と呼ぶ人はほとんどない。また、かかる人達を社会復帰させる場合には、リハビリテーションという言葉を使わず、配置転換とか再雇用と呼んで社会全体で彼等を受け入れるために相互に努力、工夫をしている。

 それなのに、どうして医学面から分類した障害をもつ人達を社会復帰させるときだけにリハビリテーションと呼ぶのか不思議でならない。多分、リハビリテーション診療科という言葉が、医学における理学療法や作業療法を近代化し統合化するために用いられ、それが省略されてリハと呼ばれるようになってきてから、リハといえば医療行為の一部であるという誤解を社会に与えてしまったのではなかろうか。医学や社会学または教育学の力をもってしても、なんとも対処できないリハビリテーション問題が多くなってきている現在においては、まず一般社会におけるかかる誤解を訂正しておく必要がある。

 そこで本稿では、単なる医学的障害をもった人達のリハビリテーションだけに限定しないで、上述のような各種の面からみて障害をもった人の社会復帰も含めた、総合的な立場からみた『リハビリテーション工学』の役割とその進歩についての概要を述べたい。

 (2)リハビリテーション工学の内容

 リハビリテーション(以下は必要のないかぎりリハと略記する)工学については、1972年以来各方面に紹介してきたので詳しいことは省略するが、従来は前述したように医学的リハに必要な機器を開発する学問と解釈されてきた。しかし、この意味ではリハ工学の中にもソフトウェア的(機能回復訓練プログラムのシステム化とか部品の標準化施策とかメンテナンス・ネットワークの完備などの環境整備が含まれる)な面とハードウェア的な面とがあり、本格的なリハ施設あるいは福祉社会を建設するにはソフトウェア的リハ工学のほうがはるかに重要であると指摘してきたにもかかわらず、社会一般ではトピック性が強かったためか、ハードウェア的リハ工学の進歩のみに注目し、先端技術の導入ばかりを取り挙げて問題にしてきた。

 ここでは、ハードウェア的な進歩もトピックスとして多少触れはするが、それよりはむしろソフトウェア的リハ工学の進歩の重要性に重点をおいて述べることにする。

 Ⅱ.ソフトウェア的リハ工学の重要性と進歩

 (1)ゲーム理論からみた平等社会参加

 元来ソフトウェアは形がないため、社会の注目を浴びる機会が少ないのは当然である。しかし、現在の医学的解釈による健常者対障害者という分類法では、障害者の絶対数がたかだか数%にしか達していないから、多数決原理を基本とするデモクラシー社会では、障害者が対等な立場で社会参加する、つまり、生存競争をしようとすれば、ゲーム理論からみて明らかなように絶対少数者が不利になることは当然である。

 (2)平等競争のルールとしてのハンディ

 しかし、競技の世界の一部、すなわち、ゴルフ、囲碁、将棋などでは弱者でも強者と公平に勝負できるよう『ハンディ』をつけることを当然とみなしている。最初に『障害者』という言葉の解釈を定義しておいた本意はここにある。

 国民のすべてが、自分も社会環境の変化に対しては、何等かの面でハンディをもっているということを自覚し、自力でそれを克服したいと努力している人には『ハンディ』をつけることを認めて、それにより平等に生存競争をしていこうというのが人権尊重を基底とした正当なリハの精神である。

 このことを全国民に理解させるには、まず医学、心理学、社会学、教育学、経済学、政治学および工学などの学際的な協力で、そのための戦略を立てることが基本問題となる。

 幸いというと、我田引水のそしりを受けるかもしれないが、最近の工学は、制御工学の誕生以後、生体工学、システム工学、教育工学、知識工学などの戦略研究手法や評価手法ばかりか、最適手法決定のためのシミュレーション技術が著しく進歩してきた。この基本戦略を確立し、普及させることが先決問題であるといえよう。

 (3)リハ医学における戦略の研究の進歩

 リハ医学の領域でも、こうした工学的手法を導入した戦略的研究が取り上げられるようになってきたのは大きな進歩といえる。

 例えば、窪田らは、片麻痺患者の歩行訓練過程にPERT(Program Evaluation & Review Techniqueの略語、NASAの宇宙ロケット打ち上げ計画のために開発された手法で、現在では研究計画、建築工程、道路開発計画の立案等に利用されている)を導入し、リハ訓練プログラムの再検討を試みた。

 明石らはOR(Operations Researchの略語、わが国では作戦計画ともいわれ、改札口における待ち行列の最適化や販売戦略や政策などの立案に利用されている)手法を導入し、リハ訓練過程の比較や評価に応用した。

 大西らは下肢切断者の荷重訓練や片麻痺の歩行訓練開始前にウエイト・バランスアナライザを用いて体重移動時の過渡特性を測定し、その特徴パラメータを抽出して主要因分析を行ない、ブルンストロームの回復ステージによく一致する評価法を開発し、さらにこの訓練法にゲーム理論を応用し、被験者のモチベーションを高めながら楽しくリハ訓練を実施する戦略手法を報告している。

 山本らは歩行分析によって得たデータからクラスタ分析法を用いて歩容評価を定量化した。山崎は下肢切断後の歩容予測のシミュレーションを試みている。

 また、伊藤はAI(Artificial Intelligence,人工知能の略語)手法をパソコンに応用して歩行分析用支援システムを作成した。

 このように、ソフトウェア的リハ工学は、ようやくリハ医学の分野でも着目されるようになり、医学と工学の共同作業もようやく順調な滑りだしが開始されつつある。

 (4)職業訓練への応用

 さらに、労働省や雇用促進協会は身体障害者のみならず精薄者の雇用の場の拡大のために有効なソフトウェアやインターフェースの開発に着手した。

 このような、ソフトウェア的手法は、配置転換や中高年者の雇用問題解決における再教育や施策の面においても次第に浸透していくことになると思うが、これを速くできるかどうかは、ハードウェア・メーカーの態度如何によることになろう。

 (5)今後のハードウェア生産の在り方

 ソフトウェアという言葉は、コンピュータが誕生してから作られたものである。コンピュータは巨大かつ複雑なシステムであり、これを効率よく動作させるためには信号処理のむだをなくさねばならない。つまり、プログラムを合理的に構成し、人間が扱い易くするために生まれたのがソフトウェアである。

 コンピュータが作られた当初は、専門家が使うという前提でソフトウェアが構築されたから、その内容を理解することがかなり困難でも、それを使えるようになるためにプログラマーは文句もいわずに懸命に努力して勉強してきたし、それが使えることにモチベーションと誇りを感じて活躍してきた。

 しかし、LSI(大規模集積回路の意)の発達により、20年前には個人では手の届かない特殊な機械として、空調設備の整った大きな部屋で数千万円以上もしていたものが今では数10万円で個人的にも容易に入手でき、机の上に楽に置けるほど小型化され、しかも機能的には上述の特殊機械よりはるかにすぐれたものができるようになった。そこで、メーカーはパーソナル・コンピュータ(略してパソコン)と改称して量産し普及を志した。

 ハードウェアはこのような驚異的な進歩を遂げたにもかかわらず、ソフトウェアのほうは多少の改良や簡易化は試みられているものの、昔の専門家が学んだものと比較してそれほど大きな改良や変革がなされなかった。

 さらに、まずいことには企業エゴから自社製品のマーケット・シェアを拡大するため、他社製品はもちろん、自社製品でもほとんど半年ごとに改良と称して新型を飯売し、その製品間のソフトウェァの互換性をなくして激しい販売競争を展開してきた。ソフトウェアの互換性がなくては、これから使おうという人はよほどの決意をしないかぎり、覚えようというモチベーションは持ち得ない。

 そのために、コンピュータ・アレルギ一が生じ、コンピュータ障害者が続出して前述したように産業構造の変革に追随できない落伍者を多量に生み出すことになってしまった。

 こういう欠点を排除するには、一般民生用機器というものは、医学的分類による障害者を含めて、誰でも容易に使えるようなものに改良することが、平等な社会参加を可能にするために極めて重要な条件の一つである。それにもかかわらず、今まで工学や企業は社会の情勢を深く考えずに、もっぱらハードウェアにハイテクノロジーを導入して付加価値を高めたり生産量を増加しマーケット・シェアを拡大することのみに血道をあげてきた。その結果生じたのが上述の現象であることを十分自覚し、失いかけた工学の市民権を回復するためにも是非発想を転換してソフトウェアの改善に努力を傾注すべきではなかろうか。

 Ⅲ.ハードウェア的リハ工学の進歩の現状

 (1)技術移転による進歩

 エレクトロニクス等の先端技術の導入により、リハの戦術的兵器に相当するハードウェアの開発は確かに進歩した。これらは、マスコミがトピックスとして競って報道したため現実以上の期待感を社会に与えたようであるが、実用普及という視点からみると大きな問題がある。

 科学技術庁や工業技術院などが巨額の研究費を投入し福祉機器の開発を実施してきた。特に工業技術院は医療福祉機器研究所に委託して、昭和50年以来肢体障害者用機能回復訓練装置を始めとして10数件におよぶハイテクを導入した福祉関連機器の開発に努力している。これらについては度々報告してきたので詳しいことは省略するが、これらの機器のなかで、本当に実用化され普及したものは比較的少ない。これは、開発方法や対象の選び方がまずかったということではなく、

 (a)福祉関連機器のマーケットが極めて小さいため、大企業の生産意欲を高め得なかったこと。

 (b)こうした機器は、サービス・ネットワーク作りまでを含めたきめこまかい配慮のできるシステムがないかぎり普及が困難であるという認識が不足で、国家的プロジェクトとして取り上げる場合の政策の配慮を欠き、ハイテクノロジーの技術移転のみを対象としてきた。

 ことなど、ソフトウェアの重要性に対する配慮がなかったためであることを強調したい。

 (2)ハードウェアの進歩に必要な条件

 従来の補装具類を例にとってみれば、義眼や義耳にみられるように、単なる形態的な補完を目的にして作られたものが多く、機能的な補完に有効なものは極めて少なかった。社会構造が、工学の発達につれて新しいハードウェアで充満されるようになってくると、もはや形態的な補完では平等な社会参加は不可能といっても過言ではない。しかし、これら補装具を作っている技術者達は鈑金作業や木工作業あるいはプラスチック・ラミネーションといった加工技術を主として学び、習練を積んできた人が多い。この人達にいまさらハイテクノロジーに属するエレクトロニクス技術やメカトロニクス技術を習得せよといっても無理なはなしである。

 せっかく国が巨額の研究費を投入して、機能的補完のできる福祉機器を開発し実用化を計画するならば、リハ機器に欠かすことのできない小型大容量の携帯型電池を開発することや、単なるハイテクノロジーを導入したハードウェアを開発することだけでは不十分で、マーケットの小さい、企業の生産意欲をかきたてうるような政策を検討したり、それらの機器が使用中に万一故障しても、使用者達が容易に短時間で修理できるようなメインテナンスネットワークを準備し、修理技術者を短時間で再教育するソフトウェアを開発するなどのシステム的配慮がなされないかぎり普及させることは期待できない。

 リハ工学にはハードウェアに対してもこうしたシステム的配慮をすることが極めて重要な問題として含まれており、この見地からみればハードウェア的リハ工学の進歩は一見著しいように思われるが、総合的なリハ工学の進歩は学際的アプローチが不十分なため遅々としたものであるといわざるをえない。

 Ⅳ.おわりに

 今までのリハ工学は、あまりにもハードウェアの開発に熱心なあまり、肝心なシステム化や、使う人の心を考えることを忘れて技術的立場からのみ研究を進めてきた。もうこのあたりでハードウェア中心の研究態度を改めて、もっと人間の心や立場を中心としたソフトウェアの構築のほうに重点をおき、それに基づいてハードウェアの設計法を再検討するという発想法の転換をはかるべき時期にきているのではなかろうか。

 筆者はこのような研究法をハートウェア(Heartware)と名付け、これをいかに開発すべきかということを現在検討している。

 この開発が進めばバランスのとれたリハ工学の進歩が期待できると思うけれども、何分学際的な研究テーマだけに医学、教育学、心理学、社会学、経済学、政治学などの多分野にわたる研究者と、実際に福祉機器を使用しておられる方々のご理解とご協力を得ないかぎり、早急に実現を期待することは困難と考える。

 本研究大会こそリハビリテーションを総合的に研究する場であることに甘えて、かかる貴重な機会をあたえていただいたことに感謝しながらも、平素各専門分野で努力しておられる方々に対してきわめて失礼な言辞を弄したことについては心からお詫びを申しあげる。

引用文献 略

*労働福祉事業団労災リハビリテーション工学センター所長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1987年11月(第55号)37頁~41頁

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