司会 小島蓉子*
20世紀の情報と航空科学の進歩は、国の別を超えた地球住民、相互の人間関係の距離を急速に縮めつつある。
日本は車と先端技術機器等を世界に売って富を確保し、その代り輸入は、石油を中近東やアフリカに依存し、食糧は北米、東南アジアに依存し、その他生産物の原材料を世界中の国々から買い付けて生存している。それを考えると、日本人の生活は、地下で世界中から支えられていることに気づく。それでいながら、わが国のみが平和と自立を享受し、国内的には失業や原始的貧困を一応脱却する発展水準になったからといって、間接にわが国の発展に貢献している開発途上の国々の住民の切実な苦痛を見逃しにすることは、あまりに勝手すぎるということになる。
ましてや、わが国がすべてを失った戦争の後、他の先進国からの協力を受けて、やっと国民の生命をつなぎとめ、国の再建を果したことを思えば、今病気や障害に苦しむ人々を多く抱え、かつては日本軍国主義によって被害を受けた同胞国に、援助の手をさしのべることは、わが国の人間福祉の当然の責務と考えねばならないことであろう。
国際障害者年は、この機にあって、世界中の障害者福祉の後進地帯の存在に気づかせ、共存と共生の理念を明らかにしてくれた。
リハビリテーションにおける国家間、地域間の協力は、その理念とルーツを同じくする。
このシンポジウムにおいては、国際リハビリテーション協会(RI)という非政府機関、日本政府、および日本国内の非政府機関、とりわけ障害者自身の自助団体が、いかなる形で国際協力の実践を行い、そして、将来に向けていかなる行動をとろうとしているのかを明らかにし、その上で受入国、援助提供国双方に、最も効果的にして意味深い国際協力のあり方は何であるかを、立場を異にする5人の論者の発言から解析していこうとするものである。
このパネルには、民間国際団体、政府機関、民間機関および異なる障害種別の自助団体の代表の5人がパネリストとして参加された。
聴覚障害者の自助団体「全日本ろうあ連盟」を代表する高田英一氏は、次のように報告した。日本ろうあ連盟に属する日本のろうあ者が世界の同志と触れ合ったきっかけは、20年前(1967年)、ワルシャワでの第5回世界ろうあ者大会に少数の参加者が出席したことに始まる。以来定期的な国際会議が日本のろうあ者の人的交流と情報交換をする窓口となり、1991年には第11回世界ろうあ者大会のホスト国として立候補を申し出るまでの、国内的団結を作りあげた。
非政府機関の性格上、経済的、政治的取決めを伴わない自由な立場で、ろうあ者同志が相互理解を深める人的交流、情報交換を、今後とも国際会議を通じて図っていきたい、とされた。
視覚障害者の立場を代表する「日本盲人職能開発センター」所長の松井新二郎氏の発言は次の通りである。盲人の連合体である世界盲人連合の傘下で、リハビリテーション、訓練、雇用等における国際協力が行われている。日本は1955年以来、国際会議開催の他、失明防止のための医療団の海外派遣、教育・福祉・リハビリテーション等の従事者への技術援助、留学生の受入れ、教材や日常生活用具の援助等をしてきた。だが、国際協力に熱心なのはすべての盲人団体でなく、一部の団体なので未だ充分に機能しているとはいえない。
国際協力には物理的、経済的、技術的、文化的援助等があるが、その中でも人材教育こそが、国際協力のプロジェクトの最重要であるとのことであった。
職業リハビリテーション分野で一民間人として労働省や、国際協力事業団(JICA)、民間機関の国際協力計画に協力してきた職業訓練大学校助教授の松井亮輔氏は、様々なチャンネルの人材養成計画をふり返り、問題は次の5点にあるとされた。第1は受入れ側が意図する研修生が相手国から送られてくるとは限らない。第2は日本側の提供するプログラムが、研修生の要望と時にマッチしない場合がある。第3は研修方法が主に集団研修なので、研修期間や研修内容に弾力性がない。第4は英語が研修の媒介となるが、そのコミュニケーションの手段でつまずく人が出てくる。そして第5は、研修の成果が研修生の母国で生かされているか否かを確認するチャンネルがない、といったことである。それらの点を改革して、研修計画を恒常化できるよう「リハビリテーション国際交流基金」(仮称)を1988年の第16回リハビリテーション世界会議の成果を記念して設立したらどうかとの提案をされた。
日本政府の立場からは国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所々長の初山泰弘氏が、統計とスライドを駆使して、日本政府の行う国際協力プロジェクトの多様な様式の紹介を行った。プロジェクトとしては(1)アジア開発途上国からの医師、看護婦、義肢装具士、エンジニアその他の職種にわたる研修者の受入れ、(2)中日協力による中国肢体障害者リハビリテーションセンターの設立と技術援助である。
これらの体験から国際協力の留意点は次の3点であると指摘された。(1)技術協力には、資金、技術、物の3要素が揃わねばならない。(2)実施期間は少くとも3年以上の幅をもつこと、(3)技術援助は受領国の文化を考慮して提供すること。
最後に、国際リハビリテーション協会(R.I.)事務総長のスーザン・ハンマーマン女史がグローバルな立場で、世界の技術革命はその恩恵を受くべき世界の障害者の8割と無縁な所で進んでいるという矛盾を指摘し、開発途上国の障害者は最高のリハビリテーション技術でも対応出来ないほど量質共に悪化していると警告された。先進技術の開発と、劣悪な開発途上国の障害者問題の乖離を防ぐためには、問題の発生予防と、幼少時期での早期介入が必要であるという信念から、ユニセフとの協力で開発途上国の幼児障害の早期撲滅事業を、すべての地域の一般行政計画の中に組み込むべきとの提言を行ったと報告された。障害児だけでも西暦2000年までに1億5千万人となり、その子らが放置される最大の要因は「一般大衆の無関心」であると訴えた。人と科学と金の資源にめぐまれた日本こそ、世界のリハビリテーション進展の指導者たるにふさわしい国として、その期待を熱っぽく語りかけたのであった。
1時間半にわたるパネラーの討議の結果から、司会者によって導き出された国際協力の原則とも言えるキー・コンセプトは次の7点に集約された。
(1)国際協力・国際間の技術援助は、援助受入国の文化とニーズに合わせて提供されるべきである。提供国が優位に立って、自国流のやり方を押しつければ、文化的帝国主義として反発を受け、金と時間と人力を消費しながらも、その国際援助は自己満足と相手国から見なされて、有効性を失うことになる。
(2)援助には“与える”という家父長的な姿勢は禁物である。与えるという上下関係でなく、国際協力は、それによって提供国自身も受領国側から文化や価値観の多くを学ぶことが出来る。国際協力は「相互依存」であり、両サイドが対等な立場で共に発展し合う相互関係であると考えることが妥当である。
(3)国際協力の主体は国レベル、民間レベルが共にフルに機能することが大切である。国家的プロジェクトでの協力には外交や財政措置が必要である。一方、民間団体の人間的で弾力的な協力は、国交がない故に国家では援助不可能な国にもアウトリーチ出来るし、とりわけ障害者同志の人間的な絆が、フォーマルな関係のぎこちなさを緩和するクッションとしても国際的には機能するものである。
(4)リハビリテーションの国際協力が障害者不在の官僚主義的交渉で進められることは障害者中心の原則に反する。障害者自身が国際協力に介入することによって、障害者のニーズに合致した援助を実施せしめるよう、障害者自身こそが国際協力に責任をもち、国際協力に障害者の声を反映する責務があろう。
(5)国際協力には様々のプロジェクトがあるが、人材育成こそ、物資や資金の援助以上に受領国の将来にとって意味ある援助になる。相手国の望む人材が求める学習体験を保障するには、研修を弾力的、個別的に運用することが望まれる。
(6)国際協力事業は即効薬ではない。その評価には長時間をかけ、目先の計算でプログラムを評価することは、慎しまねばならない。人はよく、“これだけの投資をしたのに”として、目前の反応を期待しがちである。しかし、今海外の研究生にかける教育的投資は20年、いや半世紀かけて海外研修者に受肉され、相手国に真に役立つ人材が出来上ることを思えば、長期的見通しで国際協力事業を大らかに温く見守る必要がある。
(7)1988年に第16回リハビリテーション世界会議がせまっている。もし何かの成果が残りうるものならば「リハビリテーション国際交流基金」(仮称)の設立も考えられよう。
日本が人間サービスの面でも世界に役立つ国となっていくために、障害の有無を問わず、一人ひとりが世界市民としてこれら国際協力の一瑞にたずさわっていきたいものである。かかる司会者のまとめを以て、シンポジウムは閉幕となった。
高田英一 **
財団法人全日本ろうあ連盟の国際活動への参加は、世界ろうあ連盟(W.F.D)の主催で1967年にポーランドのワルシャワで開催された第5回世界ろうあ者大会への参加に始まる。今を過ぎる20年前のことである。
その当時の連盟は戦前から続いた健聴者による運動の支配を脱して、自主自立の路線を確立しつつあり、自立の過程にありがちな内部的な対立を克服して全都道府県に網の目の組織体制を次第に広げつつあった。
しかし、代表派遣について財政上の負担も大きくそのため深刻な論議を呼んだが大局的にみて、ろうあ者の福祉の未来のためには世界の大勢に学ぶことが重要である、との理解は一致を見て二名の代表派遣に踏切った。これが我が連盟の最初の国際活動への参加である。
次回の4年後、1971年にパリで開かれた第6回世界ろうあ者大会ではまた、財政上の問題がネックになって残念ながら不参加としたが、その後厚生省の協力で船舶振興会の補助が受けられるようになり、連動の発展、国際的視野の向上とあいまって確実に、しかも次第に多くの代表団の世界ろうあ大会の派遣が可能となった。
即ち、1975年の第7回世界大会(於アメリカ・ワシントン)に20名、1979年第8回大会(於ブルガリア・バルナ)に25名、1983年第9回大会(於イタリア・パレルモ)に85名と4年毎に開かれる世界ろうあ者大会に毎回多くの代表を派遣するにいたった。
また、組織化が遅れているアジア地域の活動の強化のためにアジア地域事務局の設立とその活動の責任を果たしてほしいという世界ろうあ連盟のたっての依頼を受けて、全日本ろうあ連盟の事務所内にアジア地域事務局を設置して、地域事務局長に当連盟の竹島事務局長をあてることとした。
そして、その最初の事業として61年10月に京都で会期7日間にわたる第1回アジアパシフィック地域国際ろう者会議およびアジアパシフィック・サッカートーナメントを開催した。
これは我が国に於けるわが連盟の初めての国際イベントであり、長期にわたる準備期間、7日間の会期など、日常の勤務をゆるがせに出来ない多くの役員にとっては費用の調達と共に非常な困難を伴ったが、地元自治体はじめ市民各層の暖かい協力もあって、見事といえる程の成功を見せて無事に終了することが出来た。
このアジア会議の意義は何であったか、一言にしていえば次のように言えるのでないか、国際協力の基本は人と人の関係であり、その人と人の関係の輪の広がりである。短い期間の集いに交換出来る情報は決して多くはない。けれども対面して初めて国境を越えた人類としての共感が生れ、人間同士の交流を深める事が出来る。我々はここで異国人としてでなく、同じ障害に悩むろうあ者同士として友情を暖め得たのである。
地域的にも人種的にも最も近いアジアに於いてこそ友情を深めることが大事である。ともすれば経済大国としてアメリカ、ヨーロッパに目をむけがちであるが、ここを出発点として世界に目を向けていきたい。
そして平和を守ることがすべての人々の幸せの為にいかに大切であり福祉の発展に欠くべからざるものである事が実感出来たことである。
本年はフィンランドのヘルシンキで第10回世界ろうあ者大会が開催されるが、わが連盟は本部、地方協会、全国手話通訳問題研究会、現地で手話劇などを上演する文化芸能団等々、総勢116名の代表団を派遣した。
これら代表団の派遣費用は連盟本部8名分については船舶振興会の補助をうけているが代表団の大部分は自己負担と会員などのカンパによって賄われた。これは一部に海外旅行ブームに便乗している面はあるとはいえ、参加者の自覚と会員の協力なしには決して果たされる事のない事業である。
この参加者数は開催地フインランドの500名を除けば隣国ノルウェーの85名、アメリカの60名を凌いで最高の参加者数となった。
連盟がこの様な大型の代表団の派遣に踏切ったのは実は前年の当連盟の評議員会で満場一致で次回の1991年に開催予定の第11回世界ろうあ者大会の日本招致を決定しており、ヘルシンキ大会に開催国として立候補することになっていたからである。
連盟は評議員会で第11回世界ろうあ者大会の日本招致を決定して後、厚生省にこのむねを報告して、開催の承諾を求めていた。幸い前述のアジア会議成功の実績を認められ厚生省には社会局長名で世界連盟長宛てに会議開催を歓迎する旨の内諾書を発行していただいた。
この様な手順を踏んだ以上、万難を排して日本開催をかちとる決意の意思表示として史上空前の代表団の派遣となったのである。この原稿の清書中に派遣代表団から連絡が入り日本は対立選挙となった次回開催国の採決でトルコを67対16で破り、次回開催国と決定した。この大差の表決には昨年のアジア会議に参加したアジアの国々の支持が大きくものをいったと派遣代表団は語っている。
連盟はアジアの覇者としてでなくアジアの一員として、謙虚に世界的な責任を果たし、平和と福祉の発展に貢献したいと決意している。
全日本ろうあ連盟の国際協力、また活動は今のところ国際会議への参加に、ほぼ限定されているが、それでも国際会議への参加を軌道にのせるためには相当論議が必要であった。
国際会議への参加が問題となるのは、それが財政的にも人的にも非常に大きなエネルギーを必要とすることである。それゆえに、それは常に国内的な福祉の向上とその条件となる運動の必要性、即ち国内的な運動か国際的な活動か、どちらにより多くのエネルギーを注ぐべきかを論議しなければならない。
そして、連盟の運動は一部幹部の独走的な請負いでなく常に会員大衆と共に考え、共に行動する民主主義の基本を踏まえたスタイルを堅持したものであるので、なおさら論議を尽くすには非常に時間がかかり、深刻な論争を伴った。
しかし、この様な慎重な過程を経て国際協力の方針を確定したので、決定には時間がかかっても一旦決定した場合は会員の末端まで確実に責任をもった行動を展開出来る。
全日本ろうあ連盟に於ける国際会議への参加への理解が定着し、世界会議の日本開催が決定するなど次第に国際協力の方針を強めてきた背景に連盟が国内の運動の発展になみなみならぬ力を注ぎ、その成果として福祉の向上を勝ちとるなど、条件を整えてきた活動方針の正しさがあった。
また、連盟全体の論議を通じて成員の間に国際的な視野を広げるために払った努力を見落とす事は出来ないであろう。
国際協力とは国と国の関係である。それには国家政府間の協力と民間の協力と二つの側面がある。私は現在の国家政府間の協力で、その重要な柱の一つである経済援助が相手国の事情よりも、我が国の経済的なバランスシート、それも近視眼的に重きをおきすぎているために、多くの貧しい国の本当に必要としているものを提供出来ず、民衆の反感をかって大局的にあまり成果をおさめていないのではないかと疑っている。
それだけに民間に於いて本来の意味での国際協力、――国境を越えて人間同士の友情を深め、平和を守り各国の福祉の発展に貢献すること――が非常に大切となろう。
しかし、民間に於ける国際協力には条件があろう。それはそれをすすめる主体が責任をきちんと果たすことである。民間に於ける国際協力は、特にリハビリテーション分野に於けるそれは経済的な利益を直接伴うものでないだけに我が連盟の例をまつまでもなく、非情な困難を伴う。それゆえに政府はそれに援助をすることが大事である。
しかし、政府はその場合に民間の創意工夫を尊重して、またその良識を信頼して金は出すが口は出さない援助を行うことが大事である。そうすることによって初めて主催団体は責任をもって任務を果たし、国家政府間におけるその二番せんじでない国際協力を我が国全体から見て幅広く進めることが出来る。
世界の国々は大きくは先進国と開発途上国に分けられるが、それを以て、与える国と与えられる国に区分するとすれば大きな誤りであろう。経済的、政治的な取決めを伴う事のない障害者同士の国際協力とは、会議参加、人的交流、情報交換を通じての民主主義、デモクラシーの実践が第一義的に重要と考えられる。それは経済的、政治的な取決めを伴うが故に、本来的な国際協力が歪められている現状では、むしろ、より正しい形でそれが可能な分野と確信するものである。
松井新二郎 ***
私は昨日まで台湾の台北で開催された“第1回アジア太平洋地域盲人コンピューター応用セミナー”に参加して参りました。このセミナーは、視覚障害のために情報処理にもっとも困難をきたしている視覚障害者に、今日の進展した科学技術をどのように導入していけばよいのか。またそれにより視覚障害者の教育、職業、生活がどのように拡大されていくかについて討議された。参加した国は、台湾、アメリカ、韓国、日本、マレーシア、オーストラリア、香港、シンガポール、スペイン等、関係者50人に及んでいる。そして、このセミナーで結論として出した問題はつぎのことであります。
(1)世界の各国はこれらに関する情報を常に提供しあうこと。
(2)各国は他国間との技術交換を積極的に行なうこと。
(3)このセミナーを積極的に世界の各地域で開き、これが促進を図ること。
(4)おくれている国々に対しては、その国情にふさわしい協力を行なうこと。
このようにセミナーが行なった決議は、世界の盲人団体が目標として掲げている活動を如実に物語るものでありました。
従来より世界には2つの盲人団体がありました。それは国際盲人連盟(IFB)と、世界盲人福祉協議会(WCWB)であります。しかし国際障害者年を前後して、この2つの盲人自身の(of)団体と、盲人のための(for)援護機関の統合化の声が高まり、1984年サウジアラビアでの合同の世界会議で、統合が実現し、世界盲人連合(WBU)の誕生をみたのであります。このWBUの目的は、失明予防と視覚障害者の福祉の増進であり、その事業の内容は、
(a)盲人の教育、健康、福祉、社会保障、リハビリテーション、雇用、スポーツ、レクリエーション等に影響を与える社会や国の政策習慣の改善、および近代化を世界中で実施する。
(b)国内に盲人の(of)団体および盲人のための(for)援護機関が存在しない場合、このような団体の創設と発展を推し進める。
(c)WBUの目的と関連する活動を行っているような、すべての団体間での情報、及び経験の交流を準備し奨励する。
(d)世界中の人々に対し、盲人に関する正確な情報を広め、又、盲人に対する啓蒙的な態度を促進する。
(e)失明予防を含む視覚障害のあらゆる分野に於ける調査、研究を奨励し、指導、調整を行う。
(f)WBUの目的を推進するために、必要とされている地域での技術的かつ物質的援助を提供し、促進し、調整をする。
(g)WBU及び(of)と(for)の盲人団体のプログラムや政策を支援するために、全世界の国家政府、国内組織及ぴ国際組織に支援を要請し、又、それらのプログラムや政策の実行にあたって盲人団体に助言と援助を行なう。
(h)WBUの目的実現にとって必要あるいは有効なあらゆる方策を講ずる。
これらの事業を実施するため、社会開発委員会、情報文化委員会、開発途上国援助委員会、盲婦人地位向上委員会、盲聾[唖」活動委員会、リハビリテーション・訓練・雇用委員会、調査委員会、ルイスブレイル記念委員会が設けられています。
また、当初形成される地域は、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、中東(the Middle East)、北アメリカ、ラテンアメリカ、汎太平洋地域(East Asia Pacific)であり、各地域ごとに会議をもち、その地域間の問題の討議と解決にあたっています。
本年11月は、香港並びに中国において汎太平洋東アジア盲人福祉会議が行われ、また、明年9月にはスペインにおいて世界会議が行われ、各地域から出された問題を総合的に検討することになっています。
このようにして比較的盲人関係の問題は世界盲人連合の誕生と、その活動により国際協力が極めて順調に進められるような態勢づくりは確立しています。しかしこれの成果はこれからにあることは言うまでもありません。
振り返ってわが国の国際協力の問題について考えてみますと、わが国の視覚障害者の教育、リハビリテーション、さらには福祉サービス等は、1953年、第1回アジア盲人福祉会議が東京で開かれて以来その進展はめざましいものがあり、世界のレベルにおいても決して劣らない状態にまできていると思います。しかし、これまでには先進諸国からの技術援助等多くの協力をうけ、今日に至っていることは見逃がすことのできない事実と言わなければなりません。たとえば、盲人の歩行訓練技術のひとつをとってみても分るように1970年からアメリカの技術援助をうけて今日の訓練が確立したように、また、その他のリハビリテーション技術において、先進諸国からうけた技術協力は同様であります。
また一方わが国が行なってきた開発途上国への国際協力も少なくはありません。たとえば1970年よりネパールを中心としてはじめられたアジア眼科医療協力隊による眼科医教材の整備、眼科治療、失明防止運動、また、1982年からはじめられたミクロネシア連邦に対する眼科検診治療班の派遣をはじめとして、韓国、台湾、マレーシア、タイ、ネパール、シンガポール等に対する視覚障害者関係施設職員のリハビリテーション技術援助、さらにはまた、アジア盲人留学生の受け入れ、点字図書、点字出版、盲人用具、盲人教育用教材等の援助が行われてきています。なお、盲人施設の中には海外の施設と姉妹提携を結び、その技術交換を行なっている施設もあります。しかし、これらの国際協力はいずれも一団体あるいは一施設、また、あるグループが意欲的に行なってきたにすぎず、必ずしも長期的展望にたっての一貫性をもっての協力施策とは言えません。昨日まで行われていた台北での第1回アジア太平洋地域盲人コンピューター応用セミナーの際にも、また、1983年シンガポールで行われた盲人国際会議でも要望されたことでありますが、将来を考えての人づくりのための日本での指導者の技術援助は喜ばしいことであります。しかし、その受け入れ対象は、国の関係者並びに施設職員と共に、障害者の指導者を加えてほしいということであります。また、日本から帰った指導者の国に日本側からもでむいて、養成された指導者に長期的協力態勢を図ってほしいという要望であります。このような実状にかんがみ、今後の国際協力のあり方はいかにあるべきかが問題となります。アジア諸国からわが国によせられる国際協力へのニーズは、施設建設の援助、経済的援助、指導者の技術援助等、その国の実情により極めて多様化であります。従ってこれらニーズに応えるためには、アジア諸国に対する視覚障害者の国際協力プロジェクトが組織され、その組織が綿密な調査研究を行い、海外協力への窓口となることが望ましいと思われます。
幸いにも現在わが国には、海外の視覚障害者諸団体と連携をもっている団体があります。
しかし、その団体は必ずしもその目的を果たし得る団体ではありません。従って、この団体が諸外国のニーズに応えて、協力できるような機能並びに経済力をもつ団体としての組織の充実強化が速やかに図られることが望まれます。
国際協力に関する事業は、地球人間の立場からみて、わが国が行うべき国際協力はどのようにあるべきかを根本的に検討しなければならないと思います。それがためには政府並びに民間による障害者のための国際協力プロジェクトが組織され、的確な情報調査にもとづき、どの国の、どの障害者に、どのような協力を、また、国レベルと、民間レベルにおける協力はいかにあるべきかの対策を樹立しなければなりません。また、これが実践にあたっては国内のそれぞれの団体と、有機的な機能をもつ一貫した実施機関の必要性が痛感されます。
いうまでもなく国際協力には経済的、技術的、文化的各種問題がありますが、もっとも根底にあるものは、国境をこえ、人種をこえて共に生きようとする人類愛に根ざすものでなければならないものであります。
松井亮輔 ****
わが国においてリハビリテーション分野での国際協力に関係者の関心が向けられるようになったのは、1980年前後からである。それは、1981年が国際障害者年であったことや、わが国のリハビリテーションサービスが、先進国である欧米諸国とくらべ、一応の水準に達したことにもよるが、むしろ経済的および政治的に東南アジア、とくにASEAN諸国との関係が深まり、国民一般の関心がこれらの国に向けられるようになったことの反映と思われる。
現在わが国によって行われているリハビリテーション分野の国際協力を大別すると、国際協力事業団(JICA)べースのもの(タイ労災リハビリテーションセンター等、政府機関のプロジェクトおよび精神簿弱者福祉連盟や日本障害者リハビリテーション協会等、民間団体に委託して行われる専門家研修等)ならびに民間ぺースのもの(国際社会福祉協議会日本国委員会や日本キリスト教奉仕団等による専門家研修等)があるが、今回は、J1CAによるタイ労災リハビリテーションセンター(以上IRCという)プロジェクトおよび日本障害者リハビリテーション協会によるアジア・リハビリテーション中堅職員研修とのかかわりを通して筆者が経験したこと―それもきわめて限られた経験ではあるが―を中心にレポートすることとしたい。
(1)IRCプロジェクト
IRCプロジェクトは、タイ政府(内務省労働局)の要請に応じて日本政府(労働省)がJICAを通して行った、いわゆるセンタープロジェクト方式(つまり、建物・機械設備に対する無償援助と、専門家の派遣等による技術協力がセットになった援助方式)による援助である。
IRCは、労働災害による障害者の職場復帰援助を目的としたリハビリテーションセンターで、1985年3月に建物が完成し、同7月よりサービスが開始されている。計画では、年間延240名の障害者に対して、職業準備訓練および職業訓練等のサービスを提供することとなっているが、開所後1年間の実績では障害者の利用率は約50%の水準にとどまっている。
同プロジェクトの運営に技術面から協力するため、わが国から7名の専門家が長期派遣されるとともに、タイ側の専門職員の日本での研修が順次実施されている。
IRCへの技術協力期間は、1984年から89年までの5年間で、協力期間終了後は、タイ側が自力で同センターの運営にたずさわることになる。
(2) アジア・リハビリテーション中堅職員研修
アジア・リハビリテーション中堅職員研修は、1984年度よりJICAの委託で、日本障害者リハビリテーション協会が実施しているグループ方式の研修である。
同研修は、アジアの開発途上国のリハビリテーション中堅職員に、わが国のリハビリテーションに関する知識・技能を修得させることにより、その資質向上をはかることを目的としたもので、毎年アジア各国から10名程度の専門職員(ただし、昨年度よりそれに加え5名程度の障害者リーダー)を受け入れている。研修期間は、個々の研修生の専門分野等に応じた個別研修(約1週間)も含め、6~7週間である。
研修生の選考は、各国政府機関の推せんのあった候補者について、日本側で行う仕組みとなっている。
なお、(1)のIRCプロジェクトおよび(2)のリハビリテーション中堅職員にかかわる経費は、すべてわが国(JICA)が負担している。
(1)IRCプロジェクトについて
IRC開所後約2年を経たばかりではあるが、労働災害による障害者の職場復帰およびタイ側専門職員の養成に徐々に成果をあげてきている。
また、同センターの運営経費については、タイ政府(内務省労働局)が必要な予算措置を行っており、わが国の協力期間終了後も、同センターの運営が確実に縫続される見通しがついている。
そうした意味では、センタープロジェクト方式によるリハビリテーション分野でのわが国初の国際協力プロジェクトとしては、比較的順調に行っていると云えよう。
しかし、その一方で、同センターは、治療および医学的リハビリテーションを終えた障害者に対し、主として職業リハビリテーションサービスを提供することを前提につくられたにもかかわらず、タイにおける医療事情の悪さ等により、実態としては、必要な治療や医学的リハビリテーションを終えないまま、同センターに入所を希望してくる障害者が多く、そうした対象者のニーズにどう対応するか、つまり、同センターの医学的リハビリテーション機能をどこまで拡充するかが課題となってきている。
(2)アジア・リハビリテーション中堅指導者研修について
同研修に参加した各国の専門職員や障害者リーダーから、日本で行われている多様なリハビリテーションサービスを直接見聞することは、自国におけるリハビリテーションサービスのあり方を考えるうえで参考になる点が少なくない、と同研修を積極的に評価する感想が寄せられていることからも明らかなように、同研修はそれなりの成果を上げてきていることは事実である。
しかし、いまの研修方式に伴う問題点として次のようなことがあげられる。
①研修参加者が受入れ側が意図したものとマッチしないことが少なくないこと――それは各国における研修生の選考の窓口となっている機関・団体や選考方法にも問題があると思われること。
②研修生が希望する研修内容と受入れ側が提供するものとの間にもギャップが見られること――研修生のニーズを事前にじゅうぶん把握する態勢ができていないことにもよる。
③集団研修が主となっているため、研修期間やプログラムに弾力性が乏しいこと。
④英語を媒介することによるコミュニケーション上の問題
⑤研修参加者を帰国後フォローアップし、その結果を将来の研修にフィードバックしたり、研修プログラムにかかわる関係団体間で情報交換をするようなネットワークシステムが確立されていないこと――研修成果を活用する意味でもこうしたシステムは必要。
(1)センタープロジェクトについて
協力対象国のニーズをじゅうぶん把握し、そのニーズにそう形でプロジェクト協力をすすめる必要がある。そのためには、すでにオーストラリア等が実施しているように、協力プロジェクトの推進母体を必ずしも政府機関に限定せず、事情に明るい非政府団体(NGO)を通してのプロジェクトも考慮されてよい。
また、最近開発途上国では、従来の施設を中心としたリハビリテーションサービス供給システムではなく、地域の各種資源を最大限に有効活用しながらすすめる、いわゆる「地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)」が注目されているが、できればこうしたCBRプログラムをバックアップしうるような協力プロジェクトの推進が望まれる。
(2)専門家等研修プログラムについて
現在の専門家等研修プログラムは、日本でのグループ研修が主であるが、今後個別研修に重点を移すとともに、研修期間や内容についても個々の研修生のニーズに応じてもっと弾力性を持たせるべきであろう。資格取得が可能な分野については、長期研修(または留学)への道がひらかれてよい。
また、研修の場としては、わが国にこだわることなく、開発途上国で先駆的なリハビリテーション・プログラムを持っているところを選び、そこに依頼しての研修(いわゆる第3国研修)も必要に応じて考慮されてよいであろう。
また、開発途上国からわが国に一方的に研修生を招くばかりではなく、わが国の専門職員を一定期間派遣するといった、相互交流方式の研修も考慮されてしかるべきであろう。
(3)リハビリテーション国際交流基金創設についての提言
来年9月に東京でひらかれるリハビリテーション世界会議では、その主要テーマの一つとして、開発途上国のニーズに応じた国際協力がかかげられているが、今後わが国関係者が開発途上国のリハビリテーション分野の専門家の養成について積極的かつ継続的に協力するためにも、同会議を記念して、「リハビリテーション国際交流基金」の創設を提唱したい。
わが国のリハビリテーション分野にかかわる多くの関係者が戦後欧米諸国から受けてきた様々な形の援助を、何らかの形でアジア諸国を中心とする開発途上国関係者に還元するという意味でも、こうした基金創設は時宜にかなったことと考える。
初山泰弘 *****
今回のシンポジウムでは政府機関の関連する国際協力について紹介を試みる。
厚生白書に依れば国際協力体制は一般に国際交流と経済協力に分かれ、国際交流は会議や学術総会などを介して関連する情報の交換などを行い、経済協力は資金援助を中心とした協力体制を指している。
表1 国際協力
協力の形式としては、国際的な機関、国連(UN)世界保健機構(WHO)などを介して複数の国々と協力する多国間協力と、特定の国との間でのみ行なう二国間協力に分けられる。
多国間交流の代表的なものとして例をあげれば、国連の活動は傘下にある委員会を中心に保健・福祉に関する世界的な問題を取り上げており、1975年には「障害者の権利宣言」を採択、1981年には「完全参加と平等」のスローガンをかかげ、世界各国に於ける障害者対策の促進に大きな役割を果している。
1974年 | (昭和49年) | 世界人口会議 |
1979年 | (昭和54年) | 国際児童年 |
1980年 | (昭和55年) | 国連婦人の10年中間年世界会議 |
1981年 | (昭和56年) | 国際障害者年 |
1982年 | (昭和57年) | 高齢者問題世界会議 |
1986年 | (昭和61年) | 国際社会福祉会議 |
1988年 | (昭和63年) | 国際リハビリテーション世界会議 |
政府が関与する政府開発援助(Official Development Assistance)ODAは、わが国全体の経済援助の約30%を占めている。このODA保健福祉関係の国際協力体制は表3に示される通りで、この中、二国間贈与は無償資金協力と技術協力があり、無償資金協力は外務省が中心となり建物、機材の供与なども含まれ、技術協力は専門家の受け入れと共に専門家に依る現地指導およびそれに伴う機材の供与などを含むもので、この技術協力は国際協力事業団(JICA)、国際厚生事業団、国際看護交流協会などが行なっているものである。
表3 我が国の国際協力の形態と保健福祉協力の関係
下段の国際機関への出資は多国間協力に属するものでその主要な機関は表のように政府機関と非政府機関に分けられている。
表4 国際交流の概要
現在、世界保健機構(WHO)の主力は、世界人口の4分の3を占めている開発途上国、特に生活環境の悪い、保健医療サービスの不十分なLLDC(Least Less-Developed Countries)に対する援助で、高い出生率、高い死亡率、栄養不足による種々の合併症などに対す対策、感染症の予防、給水体制の整備、食糧不足の解決など保健衛生に関する分野が多く、21世紀に向けてPrimary Health Care体制の確立のため、生存に直結する需要(Basic Human Needs)対策が重要課題となっている。これは一見我が国のリハビリテーションと掛け離れているように見えるが、或る意味では、障害の予防というリハビリテーションの目的と直結する問題でもある。
我が国のWHO分担金は1974年以降年々増加し、当初4.86%であったのが、本年度は10.64%となり、アメリカ・ソビエトに続き第3位を占めている。また政府開発援助金も1984年には1兆258億円となり、経済協力機構(OECD)17か国中、金額的には第2位を占めている。
年 次 国 名 |
1974 | 1976 | 1978 | 1980 | 1982 | 1984 | 1986 | 1987 |
アメリカ | 29.18 | 25.54 | 25.00 | 25.00 | 25.00 | 25.00 | 25.00 | 25.00 |
ソ連 (白ロシアとウクライナを含む) |
14.90 |
15.14 |
13.23 |
13.33 |
12.73 |
12.00 |
11.98 |
11.59 |
日本 |
4.86 |
7.00 | 8.49 | 8.50 |
10.14 |
10.14 |
10.13 |
10.64 |
西ドイツ |
6.12 |
6.90 |
7.52 |
7.58 |
8.39 |
8.39 |
8.38 |
8.10 |
フランス | 5.40 | 5.73 | 5.53 | 5.73 |
6.39 |
6.39 |
6.39 |
6.25 |
イギリス | 5.31 | 5.31 | 4.44 | 4.45 | 4.59 |
4.58 |
4.58 | 4.77 |
しかし、国民総生産比(GNP)や国民一人相当の額をみると11位となり必ずしも上位とは言えず、またそのODAの内容も資金贈与の割合は55.2%、技術協力は10.2%と諸国に比べ平均以下で、このような点からみるとまだ改善の余地があるものと考えられる。(表6)またODA資金の中、保健医療関連には3.5%が払われ、資金の配分についてみると、2国間が6割、協力先はアジア地域66%を示している。このODA政策は既に第2次の倍増計画は達成され、第3次倍増計画に入っている(表7)。なおこのODAの協力国の主なものを挙げると表8の通りである。
ODAの内訳 |
|||
総額 |
1兆258億円 | ||
(1)2国間 | 有償資金協力 | 3,238億円 | (31.6%) |
無償資金協力 | 1,290億円 | (12.6%) | |
技術協力 | 1,238億円 | (12.1%) | |
(2)多国間協力 | 4,492億円 | (43.8%) | |
ODAの量 |
|||
(1)総額 | 第2位 | (43億ドル) | |
(2)対GNP比率 | 第11位 | (0.35%) | |
(3)国民1人当たり | 第11位 | (8,531円) |
ODAの質(1983年) |
||
(1)贈与の割合 | 第16位 | (55.2%) |
(2)技術協力の割合 | 第14位 | (10.2%) |
(3)グラント・エレメント | 第16位 | (79.5%) |
ODAの配分 |
||
(1)バランス | 2国間:多国間=6:4 | |
(2)地理的配分 | アジア66% 中近東、中南米、アフリカ、各10 |
|
(3)所得別配分 | 最貧国、低所得国へ54% | |
(4)セクター別配分 | 生活関連(公共事業、農林漁業)53% 保健医療3.5% |
|
ODAの政策 |
||
(1)3年倍増 | 1978~80年 | |
(2)5年倍増 | 1981~85年 | |
(3)7年倍増 | 1986~92年 |
10カ国総数 |
64.6 |
中国 |
14.4 |
タイ |
10.2 |
インドネシア | 9.7 |
フィリピン | 6.1 |
インド | 5.4 |
ビルマ | 4.7 |
バングラデシュ | 4.3 |
マレイシア | 3.8 |
スリランカ | 3.1 |
パキスタン | 3.0 |
保健福祉関係の二国間の協力体制については、1974年に合併し発足した国際協力事業団では全事業の約20%が保健医療関連事業に用いられている。無償資金協力関係は全体の32.6%、技術協力は全体の6.7%とアンバランスが認められる。
最近、JICAでは協力支援体制をより効果的にするため、無償資金協力に続き、プロジェクト方式の技術協力を進めている。これは、研修員の受け入れ、専門家の派遣、機材の供与と三者を一つのプロジェクトとして組み合わせ技術協力しようとするもので、表9のように要請された項目について外務省は事前調査団を派遣し、協力の目的、規模、期間、効果予測などを明らかにした上で両国間で協定を結び、実施に移し、後半には事後の調査も行ない成果を確認しようとするもので、1984年10月に無償資金協力に依り北京に完成した中日友好病院は、その後引き続きプロジェクト方式の専門職の交流を行なっている。また現在建設中の中国障害者リハビリテーション研究センターも無償協力に続きプロジェクト方式に依る5年間の技術協力が本年から実施されている。この形式は今後の国際協力をより効果的にするための一つの方向を示唆するものと考えられる。
表9 プロジェクト方式技術協力の手順
現在までのJICAの技術協力の推移は表10の通りで1984年には新たに7件のプロジェクトが追加されている。
年 度 内 容 |
55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 |
研修員受入 〔保健医療〕 国際協力事業団(JICA) |
625 |
625 |
560 |
585 |
622 |
630 |
世界保健機(WHO) |
50 |
56 |
66 |
80 | 86 | 86 |
国際厚生事業団(JICWELS)等 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 |
〔環境衛生〕 国際協力事業団 |
32 | 36 | 37 | 39 | 34 | 40 |
〔福祉行政等〕 国際厚生事業団 |
- | - |
- |
15 | 30 | 45 |
専門家派遣 〔保健医療〕 国際協力事業団 |
410 |
453 |
359 |
300 |
347 | 398 |
〔環境衛生〕 国際協力事業団 |
9 | 17 | 15 | 24 | 30 | 34 |
集団コ-ス | 定 員 | 期 間 | 受け入れ |
障害者リハビリテーション指導者 | 10 | 1か月 | 日本障害者リハビリ協会 |
障害者 | 6 | 1か月 | 日本障害者リハビリ協会 |
義肢装具製作技術者 | 4~5 | 4か月 | 国立身障リハビリセンター |
精神薄弱者福祉 | 8 | 6か月 | 日本精薄者福祉連盟 |
本年度実施予定のリハビリテーション関連の技術協力は表の通りで、集団研修を除くとタイ労災リハビリテーションセンター、中日友好病院、中国リハビリテーション研究センターなどのプロジェクト研修によるものである。
個人研修 | 定員 | 期間 | 受け入れ |
タイ労災リハビリテーション関係 | 4 | 6か月 | 中部労災病院 国立職業リハビリセンター |
中国中日友好病院 | 1 | 4か月 | 東京大学附属病院 |
中国リハビリテーション研究センター | 5 | 1年 | 国立身障リハビリセンター |
同上 | 5 | 6か月 | 同 上 |
タイ労災リハビリテーション |
3 |
3~6か月 | 国立職業リハビリセンター国 |
国立身体障害者リハビリテーションセンターは、昭和54年発足以来いくつかの技術協力を行なって来たが、その経験からリハビリテーションの国際協力で、特に技術協力の分野で次のような点を考慮に入れる必要があると考えている。
1)リハという広い分野の中で現在何が技術協力の対象となりうるか。目的意識を明確にした協力体制を作ることが重要である。
2)技術協力の内容に見学、学会参加など知識・情報の収集を目的とする場合と、特定の技術を修得し自国でその技術の伝達を行なう目的のものがある。前者は主に短期研修で、後者は数ヶ月から1年近くを要する。このいずれもが研修受講側の能力による所が大きい。研修希望側を十分調査した上で研修計画を作成することが大切で、同一職種であっても国により、時には同一の国でも格差のあることは良く経験する所である。また長期研修では受け入れ側にも可成の負担となることを覚悟の上で計画を立てること肝要と思われる。
3)技術協力計画の期間は少なくとも3年ないし5年間を要する。開始当初から円滑に進むことは少なく、初年度の経験を生かし年々改善され、良い技術協力体制が生まれることが多い。
4)国際協力の成果をあげるには長い年月を要する。現在のリハ医学会の中検医師の多くは昭和30~40年代に米国に留学した経験者であり、また現在我が国で普及している大腿義足の吸着式ソケットも昭和40年当初に開かれた研修会を契機として広がったものである。技術協力の真の成果は早急に問われるべきものでなく、10年単位の評価が必要と考える。
同じアジアであっても個々の国々が異なって風俗習慣を背景に成立している事実を十分承知した上で交流を深めることが大切と考えている。また政府間の交流に乗り得ない国々との協力については民間側の支援が必要である。
スーザン・ハンマーマン ******
私はこの席で世界の障害者とそのリハビリテーションについての展望をお話しするよう招待を受けて参りました。国連の障害者の10年の中間年が近づくにあたり、障害の予防とリハビリテーションおよび機会の均等化の問題がその状況の中で益々複雑になるであろうと思われる将来を展望することはまことに時宜をえていると思われます。
近年、障害者問題が初めて国の発展の基本的な側面として捕らえられるようになりました。国の基礎的保険、教育、およびソーシャルサービスの基盤が確立され、また、多くの障害をもつ人々が生存し、工業化された世界の人々の大部分が高齢で虚弱な人々で占められるにつれて、これらの問題は益々重要になってまいります。
経済の下降やソーシャルサービスおよび社会福祉プログラムの縮小で特徴づけられる現在の世界経済の状況は、障害者のための職業の開発を行なうものにとって大きな挑戦であります。ヨーロッパ共同体委員会がおこなった加盟国の失業者に関する調査によって、どの加盟国においても障害者の失業率はその他の人口構成グループより2~3倍も高いことが分かりました。このEEC報告にあげられた極めて危惧をもようさせる傾向として、障害者の雇用における就職率の低下があります。このことは、職場における要因としての身体的あるいは精神的機能障害による制約をほぼ完全に取除くことのできる現在のテクノロジーの驚異的な力を考慮するとたいへんアイロニーに思えるわけです。ですから、現在の経済基盤の上で、また障害者のリハビリテーションへのアプローチのしかたや既存のプログラムの中で、新しい技術開発をどのように組み入れていくかと言うことが重要な課題なのです。
さて、世界の人口の様相が変わりつつあります。開発途上国においては出生率が急速に高まりつつあり、先進国では活動的な人生を送る老人がふえています。障害の予防やリハビリテーションプログラムへの要求は、この人口構造の変化と共に変わりつつあります。
情報分析や伝達の世界的システム、情報のマイクロプロセス化における革命、これはすべて障害分野における国際的コミュニケーションの激的な拡大を意味しています。障害分野における情報や専門技能の交換に対する現在のニーズは、リハビリテーション・インターナショナル(以下RIとする)が設立された50数年前、リハビリテーション分野において初めて国際協力を達成しようという動きに匹敵するものであります。しかし、世界の開発途上地域に住む5億の障害者の大半が直面している問題は、コンピューター・テクノロジーへのアクセスや社会保険給付のより平等な分配でもなければ、ライフサイクルを通じての彼らへのサービスの質の問題でもないのです。
今日、世界の障害者の大半―およそ8割と思われる―が直面している問題は、生存に関わる問題であり、食物の入手、住居の確保、社会関係を維持していけるか、あるいは、生計をたてる手段が見つけだせるかどうかの問題であります。リハビリテーションや適切な療法、福祉機器や自助具、特殊教育、職業訓練が得られるかどうかすら、彼らにとっては、手に入れることのできない贅沢―あまりにも縁のない、高価で、ほとんど得ることのできないものに思えるのです。
第三国と呼ばれる国々からみた世界の状況についていくつかここで紹介してみましょう。
まず、開発途上国の人口は若いということです。ある地域においては、全人口の半分が15歳以下というところがあります。貧乏な国の一年間の人口増は、豊かな国の2倍にもなります。ですから、西暦2000年にはヨーロッパや北米に住む人は全人口の20%より少なく、また世界の人口の3分の2は子供で、その大多数は途上国に住むようになります。
この様な条件の中で、伝染性疾患、妊婦や幼児の栄養不良、出生前および出生時の傷害、事故や他の外傷等、特に幼児の傷害の主な原因はほとんど制圧されていません。ですから、若い人口が最も速い率で増加している国は、すなわち、幼児の重度の障害の原因が最も制圧されていない国ということになります。
ということは、先進国のリハビリテーションシステムでほとんどとりあつかっていないタイプの障害の蔓延であり、またその原因が制圧されていないということであります。すなわち未治療のポリオや、炎症、脳炎、結核、らい病、ビタミンA欠乏症による失明、伝染病、中耳炎による失聴、はしかや小児黄だんによる失聴、間違った出生習慣や妊娠時の危険な状態における身体や精神の障害等の結果なのです。
公衆衛生対策やプライマリ・ヘルス・ケアが発達するに従い、多くの幼児が出生時を無事乗り切り、同時に障害をもって生き延びる幼児の絶対数が増えています。故に、現在開発途上国には1億2千人の傷害児がいると推定されていますが、次の15年以内にはこの数が1億5千人に増えるとおもわれます。
RIは、7年前に国際連合児童基金(UNISEF)のために傷害児の状態を調査する機会をえました。ユニセフに私達が結論として報告したことは、現在障害をもっている幼児で障害が予防できたと思われるものが数百万人もいたということです。障害をもったとき、早期発見を含む、適切な指導とリハビリテーションが欠如するということは、すなわち、障害だけの状態以上に、障害が重度化するということです。すべての幼児の発育と成長に必要な基本的ケアと刺激が、しばしば、身体、精神および感覚に障害をもった幼児には与えられていません。
また、何をしたらいいかが分からない、児童のための既存のサービスの中や新しいサービスを創設する時に障害予防やリハビリテーション対策をどのように組み入れるかが分からないという大変な無知が蔓延してることが分かりました。この無知はコミュニティー・ワーカーから国の政策立案者まで、すべてのレベルに渡っているのです。
そのため、障害児は、身体、精神あるいは感覚の障害の結果より以上に、児童の発達における通常の過程が遮断されることによるダメージが大きいのです。
もちろん、この様な状態で障害があるということは、貧困ということと深く結びついているのです。この2つの要因は互いに影響しあっています。開発途上国における幼児障害の主な原因―栄養不良、難産、予防可能な疾病、感染や事故―は困窮者や基本的ヒューマン・サービスが得られない人々により重大な影響を与えています。
このユニセフの調査をおこなって、開発途上国における私達の結論が、世界の最も工業化された国の不利な条件にある地域で働くコミュニティー・ワーカーの結論と大変似通っているということを、ここで付け加えたいと思います。そしてまた、これは、いくつかの先進国の農村・過疎地のコミュニティの状態にも言えることです。この結論が単に第三国の児童にのみに該当するとは私は思いません。この種の一般化を許容する状態のもとで私達の研究が行われたということは、否定できない事実であります。
ユニセフのためのRIの研究と、ユニセフ内で幼児障害のための新しい政策ができてきたので、これまでの調査で分かった状況を改善するプログラムを実施するためRIはユニセフと緊密な関係を持つようになりました。ユニセフは、次の3つの目的を達成するために、児童とその家族のための保健、栄養、教育、社会福祉プログラムを豊かにする戦略を採用しました。
1.より多くの障害児の予防
2.0歳から6歳児グループでの障害の早期発見。
3.コミュニティの中で家族によって可能な限り適切な療法が行われること。
このプログラムでは、児童とその家族のトータルなニーズが重要視されます。障害ではなく、児童一人ひとりの発達が一番大切なのです。
幼児障害分野におけるユニセフとの共同プログラムを始めた頃、それは6年前のことになりますが、ただの一つのユニセフのフィールド・プログラムすら地域を基盤にしたリハビリテーションと障害対策を支援していませんでした。しかし、現在では、34か国においてユニセフは、障害の影響を減少させるためのコミュニティレベルでのサービスを積極的に支援するプログラムを援助しています。
開発途上国が直面する障害者の困難な状態を改善するためのポテンシャルは、今、途上国の中に充満しています。各国政府の意識は国際障害者年や中間年を迎えた障害者の10年を通じて高められてきました。リハビリテーションサービスやシステムの構築の際に、これまで多くの先進国が経験したような、融通のきかない、矛盾だらけの、調整されていない法律体制や社会援助体系におちいる誤ちを避けえる可能性は十分に残っています。建築上の障壁のない新しい建物を建てることが可能です。障害を最大限に予防するためにプライマリー・ヘルス・ケアのすべてのシステムを強化することも可能です。
しかし、まだ世界の障害者のもつニーズに対する一般大衆の理解が欠如しています。特に、開発途上国に住み何の援助も受けていない障害者のニーズは。世界の人々は、例えば、4億5千人が毎日飢餓の状態にあるということは良く知っています。しかし、同じ数の障害者が人間としての尊厳もなく、必要な援助を受ける権利もなく、また、地域社会の生産的な構成員となる可能性もなく生きているという事実は人々にはあまり知らされていません。この緊急事態は、寡黙で、あまりよく伝えられていません。その結果、私達は、この世界の、そして社会の中で貢献できる多くの人々を失っているのです。
RIと80か国にある120の加盟団体のネットワークは、この様な状態を変革するために努力しています。RIは、広範な情報提供プログラムをもっています。また、障害の予防とリハビリテーションに関する問題に焦点を当て、多くの人々の関心を引き付けるために4年毎に世界会議を開催しています。次の第16回世界会議は1988年9月に東京にて開催されます。世界の現在の社会・経済環境に関係する新しいテクノロジーに関したテーマになります。RIの世界組織は、障害の予防、リハビリテーションおよび機会の均等化に関するすべての政策を再検する多分野の専門家をあつめたフォーラムを設定します。私達の加盟団体にて組織されたこの様なフォーラムを通じて前述の課題に関する世界的ダイアローグが広がることを、私達は希望しています。RIやその加盟団体の努力は注目に価するかもしれないが、しかしそれは、世界の障害の予防とリハビリテーションに投入可能な、またされるべき資源全体のほんの一部にしかすぎません。私達の努力は、この面での国際協調と交流を強化することに向けられるべきであります。この国際協調と交流は、格段の効果をあげることのできる、また世界中の他のすべての組織に対して私達の組織の持つ特別な資質を最大限に活用できる分野である。
リハビリテーションの同業者の皆さん、あなたはこのプロセスの中で何をしますか?
地球の他の地域にいるあなたの同業者が明日のあなたにとって重要になるであろう問題を今日予測してくれたら、どれほど彼らの経験があなたにとって有益でしょうか。
最も大切なことは、世界の障害者の状況をすべての地域の人々に知らせるために、あなたの技術、専門知識および障害者サービスへのコミットメントをどの様に共有するかです。
私はこの分野に関心のあるすべての組織がともに働き、そしてアフリカの飢えで苦しんでいる人々のためのライブ・エイド・コンサートに寄せられた様な沢山の支援が寄せられる日を祈念しています。また、障害のため自分でニーズを表現できないひとや、貧困から抜け出して援助を求めることができない人を理解してもらえる日、そして、また、リハビリテーションを受けている人は実は、地域社会の積極的なメンバーになれ、この社会の発展に寄与できることを、人々が認識する日を。RIでは、障害者の状況や、彼らが直面する寡黙な緊急事態、そして世界中で私達が直面している状況の改善を行なうための方策、に対して皆さんの様な障害を扱う専門家が私達と一緒に一般大衆に目を向けさせるよう共に働くことに大きな期待を寄せています。
*日本女子大学教授
**財団法人全日本ろうあ連盟理事長
***日本盲人職能開発センター所長
****職業訓練大学校助教授
*****国立身体障害者リハビリテーションセンター更生訓練所長
******国際リハビリテーション協会事務総長
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1987年11月(第55号)60頁~76頁