特集/聴覚障害者のリハビリテーション―第11回世界ろう者会議から― ヨーロッパ共同体における特別なニーズをもつろう大学生の権利

特集/聴覚障害者のリハビリテーション―第11回世界ろう者会議から―

ヨーロッパ共同体における特別なニーズをもつろう大学生の権利

THE RIGHTS OF STUDENTS WITH SPECIAL NEEDS AT UNIVERSITY IN THE EUROPEAN COMMUNITY

Colin Davies

1.はじめに

 本稿は、1991年7月9日に第11回世界ろう者会議で発表した「ヨーロッパ共同体におけるろう大学生の権利宣言」の論文を修正加筆したものである。

 本論文では、イギリスにおけるろう大学生を対象とした最初の特別サービスの展開について述べていく。

 ダーラム大学では、1978年に初めて入学したろう学生に対して特別サービスが行われた。それ以来、入学したろう学生が全員無事に卒業している。

 この実績に基づいて、「高等教育における特別なニーズをもつろう学生の権利宣言」の原案が作成され、1990年3月に世界ろう連盟ヨーロッパ地域支局発行のジャーナルに「大学教育におけるパートナー」という論文として、発表された。これは、1990年9月にベルギーのモンズ大学において、ヨーロッパ共同体エラスムス・プログラム(注)が「ヨーロッパにおける特別なニーズをもつ学生のための大学」というテーマで主催するヨーロッパ会議のための準備でもあった。

 一方、1990年5月にポルトガルのリスボン市で、「ろう者の職業訓練と雇用」というテーマのもとに世界ろう連盟ヨーロッパ地域支局会議が開催され、「大学における公平なアクセスと機会均等の権利」に関する発表があった。その会議において、1991年9月21日から24日までイタリアのパデュア大学で、「大学とろう者」をテーマとするヨーロッパ地域会議を開くという提案が出された。

 また、1990年8月のイギリス・ブライトン市でのイギリスろう協会の100周年記念大会においても「社会宣言」(1989年9月27日ヨーロッパ委員会採択)に対応して「大学におけるろう学生の権利宣言」を推進するための研修が行われた。なお、上述した「社会宣言」の中では、障害者に関して次のように言及されている。

 「いかなるハンディにもかかわらず、職業と社会生活への最大限の統合を障害者に保証するためには、職業訓練、職業リハビリテーション、アクセス、モビリティ、交通手段及び住居対策を含めた具体策を採らなければならない。」

2.ダーラム大学における聴覚障害学生への援助サービスの発展

 まずは、援助サービス開始にご協力をいただいたアメリカのさまざまな高等教育機関及び、1972年から放送大学学生に対して援助を行っているイギリスの“オープン・ユニバーシティ”に謝意を表したい。しかし、何よりも、アメリカのメリーランド聾学校長ディヴィッド・デントン博士に啓発されたことを記しておかなければならない。デントン博士は、1976年、イギリスろう協会の招へいを受けて、イギリス各地でトータル・コミュニケーションの理念について講演し、ダーラム市にある聖ヒルド聖ベッテ大学に立ち寄った。当時、教員養成を中心としていた同大学では、教員養成機関の削減と再組織をねらった国家計画による影響を受けていた。大学では存続を図るために、より多くの学生を募集しなければならなかったが、ろう学生に対する特別な配慮はなかった。そこで、同大学では、ろう学生の教育指導のために個人指導担当者を2名配置し、既存の学科に、年間20名のろう学生を募集することになったが、残念ながらこの数字は楽観的すぎたきらいがあった。

 1977年、教員養成コースの一環として、イギリスろう協会の後援で、アメリカの高等教育機関、特にギャローデット大学(現在は総合大学であるが、当時は単科大学であった)、国立ろう工科大学とカリフォルニア州立大学ノースリッジ校によるろう学生への援助サービスの状況を視察した。視察で印象に残ったのは、人口がイギリスのたった4倍程度の国で、1975年にろう学生172名が学士号を、45名が修士号を修得したということであった。

 1977年6月、「聴覚障害学生のための高等教育への援助サービス」に関する助成を教育科学省に申請する際に、アメリカの例が非常に参考になった。その後、1977年9月28日、教育科学省から助成申請に対する回答があり、基本的に「ダーラム地域で高等教育を受けている聴覚障害学生への個人指導サービス」を支持し、「この種の援助サービスの設置がイギリス内にある他の地域にとって有効なモデルとなる」という考えを示した。続いて、聖ヒルド聖ベッテ大学が、ダーラム大学の寄宿制大学の一つとなる1981年まで、教育科学省から助成があった。国際障害者年である1981年に、私は大学側より「教育学部ろう学生指導官」就任の依頼を受けた。私は聴覚障害学生を12名まで受けもつことになったが、実際には、18名もの聴覚障害学生が援助サービスを受けることになった。

 ダーラム大学でろう学生が、「健聴学生と共に学ぶ」ために必要な援助サービスの実施にあたっては、規模の違いこそあれ、当時はノースリッジ校のろうセンターの例が最も適していたように思われた。ノースリッジ校のろう学生に対する4つの主な援助サービスであった、個人指導、カウンセリング、ノートテーキングと手話通訳は、難聴学生に対してのFMマイクの用意や特別な設備の勉強部屋の提供などのサービスと共に、ダーラム大学においても考慮された。これは、聴覚障害学生が授業についていけるために必要な援助サービスを行うことが目的であったためである。当初は、「授業についていける」ということが、「健聴学生と共に学ぶ」ことであると考えていた。しかし、現在私は、「授業を受けるにあたって、どのような援助サービスが必要か」、また、2名いる盲ろう学生に対しては、「科目の修得のためには、どのような条件の調整を行えばよいか」といったことを聞いている。私は、学生がその科目を修得できるかどうかは、自身の責任にあることを強調したい。というのは、1978年にはじめてろう学生が物理学の専攻を認められて以来、聴覚障害学生はみんな優れた成績を修めているという実績があるからである。物理学専攻をした最初のろう学生は、現在、天文学博士号を取得しており、他の学生についても、生物学、化学、地球物理学、経済学やエンジニア工学などにおける研究に励んでいる。現在、ダーラム大学の学生数は6,000名で、そのうち、15名の聴覚障害学生が在籍している。

 1978年から10年間に実施された援助サービスは、特に手話通訳とノートテーキングに関して予期しなかった状況が生じたため、当初の計画とちがうものになった。例えば、通訳サポートを要請したのは、2名だけであったが、そのうちの一人である英文学専攻の学生は、口話法で教育を受けており、ワープロ利用による個人指導を希望した。もう一人の学生は、自分の慣れている手話通訳者を手配するために、地元の手話通訳者と相談してその調整をした。ノートテーキングについては、当初、本学スタッフと結婚した専門知識をもっている卒業生をノートテーカーとして用意することになっていたが、結局、同じ授業を受けている健聴学生がカーボン紙をはさんでノートにし、その写しをもらう方法がほとんど好まれていた。口話通訳のサービスを求める学生がいたことは、予想外であった。この場合、通常国立保健サービスの協力によっているが、他から助成金を得て、口話通訳サービスを含めた非常勤の個人指導助手を採用することができた。

 財源については、課題の一つである。大学には、法律上、障害をもつ学生のために予算を組む義務がない。1984年11月にイギリスろう教育研究大会に来賓として出席したのが縁ではじめた、キース・ジョセフ元教育科学省長官との手紙のやり取りで、望みはあると励まされてきたが、障害学生に対しては国による特別奨学金の支給があっても、大学に対しては、国からの特別助成金が直接でない。ジョセフ氏には、当時の特別奨学金、すなわち障害学生手当540ポンドが、ダーラム大学の学生一人にかかる特別費用25パーセントにすぎないと説明した。私が現在事務局長を務めている全英障害学生連絡協議会が、王立聾学校及び王立盲学校の支援で運動を進めた結果、現在年間1,000ポンド支給されている障害学生手当のほかに、1990年9月1日より手当が新しく2件予算に計上されるとの教育科学省による提示があった。その内容は、次のとおりである。

a)非医療援助手当 年間最高4,000ポンド

b)特別備品手当  授業科目の全期間最高3,000ポンド

 この助成金が国から出ることで、より多くの大学が支給対象になる障害学生に入学の申請をするように呼びかけることができるはずである。

 ダーラム大学では、イギリスろう協会の協力によって、ろう学生にとって学びやすい環境が整ってきた。イギリス手話通訳養成所によるろう学校教員の手話指導、社会学部ろう学科研究チームによる大学院課程及び大学課程レベルの手話研究と、ろう者コミュニケーション推進協議会によるコミュニケーション技術の指導・評価及び手話通訳者の資格調査・認定がその例である。そういうわけで、世界ろう連盟加盟団体の一つであるイギリスろう協会が、1990年8月に設立100周年記念大会を催した時、ヨーロッパ共同体におけるろう大学生の科目修得に関する完全な保障を推進するに当たって発表の機会を得られたことは、喜ばしいことであった。その後、「平等と自立」をテーマに掲げた第11回世界ろう者会議(東京)で発表したらどうかと勧められた。

3.ヨーロッパ共同体における大学の発展

 1986年に、ベルギーのモンズ市で「高等教育における聴覚または視覚に障害をもつ学生」というテーマでヨーロッパ共同体会議が開催されたあと、それまで5年間、ダーラム市では、聴覚あるいは視覚に障害をもつ学生に関しては、ヨーロッパ共同体にあるかなりの数の大学と連携を保ってきた。ヨーロッパ共同体エラスムス・プログラムで、大学スタッフと学生EC間の移動に関する研究チームが設置され、1989年、イギリスのマンチェスター市で、学生の権利宣言に関して、次のような同意が得られた。

 「(耳や目が不自由な学生のように)特別のニーズをもっている学生を含めて、すべての学生はヨーロッパ共同体加盟国の大学で修学ができる平等の権利をもつ」

 a)すべての学生がヨーロッパ共同体で高等教育を受けられるのに適切な施設設備を行うこと。

 b)特別のニーズをもっている学生への援助サービスに要する人員や技術とそれにかかる経費を考慮すること。

 a)とb)については、後に必要な事項として決められたものである。

 このエラスムス・プログラムの研究チームは、1990年9月、ベルギーのモンズ市で「ヨーロッパにおける特別のニーズをもっている学生を対象とする大学」をテーマに掲げてヨーロッパ共同体会議を開催した。私は、修得の保証に関する学生の権利についての発表論文をまとめるために、世界ろう連盟ヨーロッパ地域支局事務局長アーサー・ヴェルニィ氏と話し合った。氏は、私にろう学生の権利宣言を含めた、ダーラム大学の実績について同支局ジャーナルに寄稿するように勧めた。しかしながら、我々は、特別援助自体そのものは一様ではないということはいうまでもないが、ろう学生の権利は特別のニーズをもつ学生の権利と変わらないものであると考えていた。

 支局ジャーナル(1990年3月号)に寄稿した「大学教育におけるパートナー」という論文の中に、次のように権利宣言の案文が掲載された。これは、「障害者が、いかなる障害にもかかわらず、職業及び社会生活に最大限の統合が可能になるように具体策を採ること」というヨーロッパの社会宣言に沿って練られたものである。

「高等教育における特別のニーズをもつ学生の権利宣言」

1.他のどの学生とも同様な修得の保証の権利

2.高等教育を受ける他のどの学生とも同様な、自己の修得に対する責任をもつ権利

3.修得の課程におけるパートナーとして、スタッフと、必要ならば他機関との協力をして、必要に応じて修得における特別なニーズの評価、あるいは再検討をする権利

4.大学当局、また適切であれば他の機関による特別援助サービスの中から希望する援助を選択する権利

5.大学の研究活動やそれ以外の活動においても平等に参加する権利

 この案に対する詳しいコメントを添えた支持の手紙が多く寄せられた。また、1982年から1987年までヨーロッパ委員会障害者行動事務局長を務めたパトリック・ダウント氏からは、追加すべき権利として、次のような提言があった。

6.授業科目及び特別の配慮に関する情報入手の権利

 上記の1から5までの権利宣言は、「ろう者の職業訓練と雇用」のテーマのもとにポルトガルのリスボン市で開かれた世界ろう連盟ヨーロッパ地域支局会議で発表した「大学における公平なアクセスと機会均等の権利」に関する論文で触れている。その時の会議において、ヨーロッパ地域支局は1991年9月、イタリアのパデュア大学で「大学とろう者」というテーマで開催する会議を後援することを決めた。エラスムス研究チーム及びクロード・マルコ氏(ベルギー)と私は、科学委員として協力することになっている。なお、同会議はイタリアの全伊ろうあ協会が、世界ろう連盟を設立したアントニオ・マガロット博士生誕100周年を記念して開催する予定である。最終的に、権利宣言は、ブリュッセルで行われる支局定例会議と発表予定のパデュア大学での会議を控えて、1991年9月8日にヨーロッパ地域代表による運営委員会の会合で検討される。

 学生の権利の実現を目指すものとして意を強くしたのは、1988年にイタリアのボローニャ市でヨーロッパ最古の大学が創立900周年記念行事を催した際、参加した約400の大学が、基本的な原則を明らかにし、効率的な方策を呼びかけるために、次のような例を挙げてヨーロッパの大学の「マグナカルタ(大憲章)」に署名したことである。

a)「いずれの大学も、特別な状況にある学生の自由の保護、さらに学生にとって知識と教養の修得といった目的が果たせる環境の確保に努めること」

 すなわち、修得を可能にする方法を指す。

b)「大学が対話に対して先入観をもたず、常に寛容を以て臨めば、知識の伝授や研究と斬新な着想で知識を探究する真剣な教授陣と、修得した知識で自らの精神を豊かにしようとする意欲的な学生たちにとって、大学は理想的な出会いの場となる」

 すなわち、「修得におけるパートナー」という原則を指す。

 さらに、大学に関する定義は、1989年9月にダーラム大学で開催されたヨーロッパ大学学長会議で、すべての高等教育機関に適用を広げることに決定した。したがって、「マグナカルタ」は、今にヨーロッパのどの大学にも適用されよう。

 1990年3月に発表した私の論文では、「おそらく、ヨーロッパの大学において、ろう学生や他の特別なニーズをもつ学生が、障害をもたない他の学生と同等に学べるために、高等教育機関における援助サービスを要求する時が、今まさに来ているのではないだろうか」と結んでいる。

 2カ月後の5月31日、ヨーロッパ協議会と教育省において、次のことがらについて決議された。

 「インテグレーションによる完全な統合教育は、すべての適切なケースにおける最初の選択として考慮され、さらに、すべての教育体制は、障害をもつ生徒・学生のニーズに対応すること」

 東京で開催された第11回世界ろう者会議の最終日に、教育学委員会において次のような勧告が提出された。

「世界ろう連盟は、すべての国における教育行政局向けのろう教育について包括的なマニュアルを作成すること」

 ヨーロッパに限らず、世界各国にもまさしくその時が到来しているのではないだろうか。

(注)ヨーロッパ共同体加盟国において、自国の大学で学ぶ学生が、一定期間他国の大学で学ぶことができ、しかも、それが学位修得にもつながるような大学間の協力関係を作ることを奨励するプログラム。他の国の政治・経済を深く理解したよりよいパートナーを育成することを目的としている。プログラム名はオランダの人文学者“エラスムス”(1466~1536)にちなんでつけられた。

イギリス・ダーラム大学教育学部聴覚障害学生サービス部長
**土谷道子 訳


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1991年11月(第69号)11頁~15頁

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