〈海外リポート〉 タイの障害者福祉―その新たな出

〈海外リポート〉

タイの障害者福祉―その新たな出発

萩原康生 *

発展途上国タイ

 タイはまさに発展途上国である。一人当たりの国民総生産額をみると、1970年に173米ドルであったものが、1975年にはその倍額、1980年には1975年の倍額というように成長を続けて700米ドルを突破し、さらに1988年には1,000米ドルを超えた。経済成長率も1990年前後には10%前後にのぼっており、経済的側面だけを見れば、開発途上国の優等生である。

 これらの経済指標の動向からすると、国民生活が豊かになったかのように見えるが、必ずしもそうとは言えない。すなわち、都市の産業化が進行し、農村から都市への人口移動が促進されたことにより、農業部門の衰退と農村の疲弊がもたらされ、さらに首都バンコクへの人口の一極集中化に伴う公害やスラム化という都市問題が発生するようになった。スラムだけをとってみても、1985年に1,020ヵ所あったスラムが1988年には1,500ヵ所に増加している。これは産業化のプロセスで安価な労働力に対する需要が増大し、その労働力の供給源としてスラムが役割を担うようになったところからきている。

 このようにタイの経済発展は国家の経済力の強化をもたらした反面、新たな社会問題を創出することとなった。

社会問題への対応

 タイの社会福祉にかかわる立法の動向をみると、1968年までの立法は、社会問題を抑圧しようとする主として社会秩序の維持を目的とする治安維持的色彩の濃いものが中心であった。しかし、1968年の“児童の居宅保護に関する社会福祉局規則”や1970年代の“児童の搾取防止と福祉保護に関する閣議決定”になると、福祉的色彩の濃いものとなってきた。これらの社会福祉立法は、都市化や産業化によってもたらされた社会問題を抑圧するのではなく援助することによって問題解決のために対応しようとするものであった。

 これらの社会問題に対応しようとする立法の中でも特筆すべきものは、1990年に施行された社会保険法と1991年に制定された障害者社会復帰法である。

 前者は、1954年に制定されたがその施行を裏付けるだけの経済的基盤が整備されていなかったために36年間にわたって施行が凍結されていたものである。後者は、10年以上の準備期間を経て、ようやく立法化されたものである。いずれの法律もタイ社会の経済的発展の上に成り立つものであり、1970年代に社会抑圧的統制立法から福祉的立法へと質的転換の図られた法制度の一つの帰結として位置づけられるものである。

タイ社会の障害者

 タイは仏教国であるとともに、民間信仰の盛んな国である。霊(ピー)への厚い信仰が見られる。このような精神構造を有する人々の構成する社会にあっては、障害は前世の悪行の結果であると一般には信じられている。この考え方は人々の間にふたつの態度を生み出す。すなわち、一方では人々は障害者を哀れみ、したがって障害者は過保護に扱われる。他方、前世の悪行を恥じる家族は障害者を家の中にひた隠しにしようとする。こういう精神構造を有する人々を前にして、障害者に対する公的措置がとられるためには、まず国民に対する障害者への正しい理解を求める教育が必要となってくるが、これは十分ではない。

 ところで、タイにおいては障害者は大きく二つに分けて考えられている。第1は「身体障害者」であり、身体的になんらかの機能障害を有するか損傷を受けているかの状態、すなわち手足の機能損傷・喪失、視覚障害、聴覚障害及び発声機能の喪失の状態にある個人を意味する。第2は、「心的障害者」であり、精神障害、神経症、知的障害、性格異常、薬物濫用又は不適応のような異常な心理状態にある者、感情異常、学習能力障害にある者を意味する。

 このような障害の発生する原因はおおむね次のように考えられる。

  •  ① 出産の際の障害
  •  ② ポリオや風疹のような疾病あるいはビタミンの欠乏に起因する障害
  •  ③ 有害な金属の中毒に起因する障害
  •  ④ 産業災害又は交通事故に起因する障害
  •  ⑤ 戦争に起因する障害

 それでは、タイの障害者の実数はどの程度であろうか。1970年に最初の戸別の聞き取りによる障害者の実態調査が行われ、1974年には障害者についてのサンプリングによる聞き取り調査が実施された。さらに1986年に調査が行われ、その結果タイには38万5,560名の障害者がおり、これは全人口5,200万人の約0.74%であることが明らかにされた。この障害者総数の58.2%が男性、41.8%が女性である。また、障害者総数の84.9%が農村部に居住しており、15.1%が都市部に居住していることが明らかにされた。地域別に見ると障害者の最も多く居住しているのはタイの最貧地区と言われる東北部であり、30.7%であった。年齢層別では、障害者の最も多いのは15~19歳の層で17.8%、ついで60歳以上の14.1%であった。

 その後、1989年に国勢調査が行われ、部分集計の結果、障害者が全人口の0.5%と推計されており、また地区別の障害者の居住状況では最も貧困であると言われる東北タイに障害者の36.1%が居住しており、そして中央部、北部、南部及びバンコクの居住者はそれぞれ22.6%、19.0%、11,9%、及び10.4%となっている。これらの数字から、農村部への障害者の偏在が明らかであり、貧困と障害の関連のあることが想像される。おそらくさまざまな栄養問題などが障害を生み出すことになっているのであろう。なお、東北タイの貧困は凄惨なものであり、少女売春を含む売春女性の主たる出身地となっている。ここでは健常者さえ困難な生活を強いられる。まして、障害をもつ者にとっての生活がいかに悲惨なものであるかは想像に難くない。

障害者社会復帰法前の障害者へのサービス

 障害の予防、障害者の社会復帰のために福祉的教育的措置がとられており、これはこの法律の施行後も引き続き実施されている。

 まず、医学的措置としては、NGOのボランティアに障害の原因やその予防方法を理解するための研修を実施している。これは特に農村地域の保健サービスを充実させる中で行われており、障害の原因となる疾病や栄養不足の予防を重視している。

 教育の面での障害児への援助も行われており、全国で聴覚障害児のための学校が18校、身体障害児のための学校が10校、知的障害児あるいは学習遅滞児のための学校が20校設けられている。

 福祉の面での障害者への援助は、入所保護が中心となっているが、地域ケアへの転換は一応視野に入れられているようである。入所保護は身体障害者、精神障害者及び知的障害者を対象としており、全国で10ヵ所の入所施設がある。

 また身体障害者に対しては入所型の授産施設に近い職業訓練のための福祉工場が全国に4ヵ所あり、17歳から40歳までの医療措置を終わった障害者を入所させて、洋裁・皮革製品製造・ラジオやテレビの修理・自動車修理を行わせている。しかし、ノンタブリ県にあるパク・クレド入所訓練所が1991年に53名の障害者を受け入れたのみであるというように、このサービスの享受できるのは限られた障害者のみであり、知的障害者や精神障害者に対するサービスはさらに遅れているというのが現状である。

 なお、身体障害者の場合は、車椅子や松葉杖などの供与、自営業を始めるための開業資金の貸与などのサービスが実施されていた。

 しかし、タイの障害者に対する援助・処遇は必ずしも満足のできるものではなく、したがって障害者社会復帰法の立法化によりこれらの者に対する援助を量的質的に向上させることが望まれていた。

立法化に向けて

 タイの障害者社会復帰法は、国連障害者の10年を記念して制定されたのではあるが、それに先立って立法化の準備が進められていた。すなわち、1976年11月に内閣の諮問機関として「障害者の社会復帰と福祉に関する委員会」が設立された。この委員会は29の政府機関及び非政府機関の長によって構成されており、内務大臣が議長を務め、事務局は内務省社会福祉局に置かれた。

 この委員会の内部に4小委員会が置かれており、そのひとつが「障害者の援助のための行政及び立法に関する小委員会」である。この小委員会の主たる業務は、障害者のための福祉並びに社会復帰に関する計画及び法制を研究し、制度化することであった。

 1979年、この小委員会は障害者社会復帰法の草案を起草したが、内務省の承認を得られなかった。そこでこの小委員会は再度草案を起草するための実務家グループを作り法案の再検討に入り、数度にわたってこの草案の書き直しを行い、ようやく1989年に内務省の承認を得るところとなった。その後内閣の承認を得るために閣議に3回提出され、閣議の承認を得た後司法委員会に回付されて法律としての検討を受け、さらに国会の議決の後国王に言上されて、1991年法律として制定された。

障害者社会復帰法の構成

 障害者社会復帰法は、全文20条からなっている。その構成は、障害者社会復帰委員会の構成、その権限と機能、障害者の登録、障害者社会復帰基金の創設と給付、障害者保護のための建造物の設備及び交通機関の障害者用設備の設置からなっている。

 本法で活動の中心となるのが、障害者社会復帰委員会である。この委員会の業務内容は障害者社会復帰法第6条で次のように規定されている。

  • ① 障害者の援助、発達及び社会復帰に関する実行政策及び運営計画の承認を得るためこれを内閣に提出し、またその後の実施責任と義務を関係政府機関に指示するための提言を大臣に行うこと
  • ② この法律の施行に関して、大臣に助言、提言及び意見具申を行うこと
  • ③ 政府機関あるいは民間団体が障害者を援助し、発達を助け、社会復帰の援助をすることに関連して、適切と考えられる理論的援助、助成金の交付、施設あるいはサービスの提供を行うことによって、これを支援し助長すること
  • ④ 障害者を援助し、発達を助け、社会復帰の援助をするプロジェクトを準備すること
  • ⑤ 障害者社会復帰基金の資金を利用するプロジェクトまたはプログラムを承認し、この基金の資金の管理及び支出に関する規則・規定を制定すること
  • ⑥ この法律の施行を確保するために、障害者の援助、支援、及び社会復帰に関する活動の範囲内で規則及び規定、条例並びに通達を制定すること
  • ⑦ 大臣によって定められたその他の業務を遂行すること

 この障害者社会復帰委員会は、内務大臣を委員長として、国防省官房長、内務省官房長、教育省官房長、公衆保健省官房長、大学省官房長、予算局長、医務局長、社会福祉局長、普通教育局長という関係省庁の代表者及び学識経験者ならびに障害者社会復帰委員会事務局長よりなっている。

 このように関係省庁の代表者を委員として網羅していることは、功罪相半ばする。すなわち、政策決定にあたって連絡を密にし総合的政策を立案できるという反面、それぞれの代表者が各省庁の利益代表としてのみ機能する可能性があり、実効のある政策の立案の阻害される可能性がある。

 なお、この委員会の委員の中に学識経験者として障害者代表2名が加えられることになっており、これらの代表によってある程度の障害者のニードは汲み上げることは可能であろうが、どのような人物を障害者代表である学識経験者として選ぶかによってその意義はかなり違ったものになる。

 次に委員会事務局の特徴を見ておきたい。事務局は、行政事務を行う総務課及び委員会事務課のほかに、障害者の治療及び社会復帰並びに予防に関する計画・福祉プログラムを実施している内外の政府機関及びNGOとの協力体制を形成維持する企画計画課、医療・教育・社会訓練・職業訓練等に関係する政府機関の調整を行う障害者社会復帰課の内部の課制をもっているほかに、入所施設の障害者職業開発センターを付設している。このセンターは、すでに職業訓練を修了した障害者で貧困あるいは無職の状態にある者を入所させ、宿泊場所と食事を提供するとともに職業経験と技術の向上をはかる訓練を行う。これらのセンターは、既存の職業訓練施設を利用することになっており、すでに14ヵ所の施設がこのセンターとして指定されている。

 現時点(1993年8月)ではこの障害者社会復帰法によるサービスは準備段階にあるが、これが実施されると障害者はこの法律による次のようなサービスを受けることとなる(ただし、このサービスのある部分はすでに実施されており、また障害者社会福祉委員会のもとに、登録、就労、経済援助及び資金造成の各小委員会が設けられ、それぞれが活動をはじめている)。

  • ① 政令に規定されている医療、身体的・精神的・心理的リハビリテーション施設の利用と費用の援助
  • ② 義務教育・職業教育・高等教育を受けることに対する援助
  • ③ 障害者のための特殊教育
  • ④ 身体的状況及び潜在能力に相応しい職業訓練に関する相談助言
  • ⑤ 障害者の社会参加の督励
  • ⑥ 法律扶助及び役所との折衝についての援助

障害者の登録とサービスの提供

 この法律によってサービスの提供を受けようとする者は、障害者社会復帰委員会事務局にある登録センターまたはその者の居住する県の社会福祉事務所で障害者であることの登録を行わなければならない。これらの登録をした者に対するサービスの提供機関は次の通りである。

  • 障害者社会復帰委員会;障害者の社会復帰のための政策及びプログラムの策定を行う。
  • 同委員会事務局及び社会福祉局;障害者社会復帰基金に基づく医療・教育・職業訓練についての登録及びその実施を担当する。
  • 公共企業局;障害者のための設備について建造物及び公共交通機関の監督を行う。
  • 労働局;障害者の雇用について企業の監督を行う。
  • 公衆保健省;障害の予防及び障害者の処遇と社会復帰のための医療の供与を行う。
  • 教育省;障害者の能力に応じた初等教育から高等教育までの教育を行う。

 さらに、登録を行った者は、次のようなサービスを受けることができる。

  • a.医療、身体的・精神的・心理的リハビリテーションのためのサービスを利用すること。なお、その費用が給付されることもある。
  • b.義務教育、職業教育、及び大学教育に対応する特殊教育を実施すること。なお、これらの特殊教育は、教育省付属技術開発センターによって作られた教育課程にしたがって実施される。
  • c.身体的状況並びにその潜在能力に相応しい職業訓練についての相談助言を行うこと。
  • d.障害者が社会活動に参加し、さらに施設やサービスを利用するように彼等を督励すること。
  • e.障害者が法律問題に直面したり行政機関との折衝が必要となった時に法律扶助等のサービスを提供すること。

障害者社会復帰のための予算

 障害者社会復帰法はまったく新しい立法であり、この法律の実施には多くの予算的裏付けを要する。まず、1991年には立法後の法の施行に要する経費として6,000万バーツ(約3億円)を予算計上しており、その内容は次の通りである。

  • 事務経費;1,500万バーツ
  • 障害者社会復帰基金経費;2,500万バーツ
  • 障害者社会復帰プロジェクトへの助成;2,000万バーツ(医療措置、スロープ・障害者用信号機設置、補装具の供与・整形手術の施行等の助成)

 それでは、この予算が果たして他の社会福祉行政の運営と比べてどの程度の規模なのであろうか。1991年の社会福祉局予算総額は15億2,500万バーツである。そうすると、この6,000万バーツは社会福祉局の予算の3.9%に当たる。比率だけを見るとかなり高いものと映るが、これには建造物の改造等への助成金も含まれており、直接障害者の受けるサービスに関わる予算(障害者社会復帰基金経費)は2,500万バーツ、すなわち社会福祉局の年間予算の1.6%にしか当たらない。これは必ずしも高い比率ではないだろう。

 このように障害者社会復帰については必ずしも十分な予算措置が講じられているわけではないので、この業務を直接担当する社会福祉局の管理職が企業や団体に寄付を呼び掛けるという努力を重ねている。

法律の問題点と今後のタイの障害者福祉

 まず第1にあげなければならないことは、法律施行に当たっての省令や規則が未整備であることである。特に障害者の定義、「障害の程度」の定義はできていないことが指摘される。これは、この省令及び規則の制定が多くを保健省におっており、社会福祉局を所管している内務省(1993年6月労働福祉省が設立され、社会福祉局は同者に移管された。)だけの努力だけでは制定できないという問題による。また、法律施行の準備を行うだけの職員が配置されていないことにもひとつの原因がある。さらに、基本的には予算的裏付けが不十分であることに起因する。

 なお、この経済的な問題は社会福祉が社会経済開発の中で十分な位置を占めていないことによるところが大きい。ちなみに1987年から1991年までの5年間の社会福祉局の予算規模の動向を総予算の動向と比較してみると、5年間の国家総予算の増加率が約1.7倍(1987年:227,500百万バーツ、1991年:378,500百万バーツ)であるのに対して社会福祉局予算は2.0倍(1987年:749百万バーツ、1991年:1,525百万バーツ)になっているものの、国家総予算に占める社会福祉局予算の割合は0.3%台(1987年:0.33%、1991年:0.39%)であり、かならずしも高いとはいえない。このことは、タイ政府が総合的社会福祉政策の立案に対して消極的であることによる。これは偏に社会福祉の充実が政府にその高負担をもたらすという危惧によるものである。

 第2の問題点は、障害者に対してのサービスの供与という点が強調されてはいるが、障害者の権利性がまったく等閑に付されているということである。冒頭に述べたように、タイでは障害者は憐憫の対象として考えられてきた。したがって、新たな法律ができてすぐに障害者の権利が確立することは望むべくもないが、すくなくとも新たな法律にそれが触れられるべきであったろう。

 第3の問題点は、広報活動の不徹底である。社会福祉局の内部においてもこの法律についての広報活動を促進することが必要であると指摘されている。

 第4の問題点は、障害者にサービスを提供し障害者を保護するには現在の施設だけでは不十分であるという点である。

おわりに

 タイはアジアの中でも経済発展へ向けて離陸のできた数少ない国のひとつである。しかし、残念ながらその経済発展も先進諸国の経済状態には比較しうべきもない。したがって、障害者社会復帰法ができたからといって先進諸国並みに障害者への援助が促進されるとは言い難い。ただ、この法律ができたことにより、少なくとも障害者福祉に光があてられるようになったと言える。しかし、種々の問題点を指摘したように、この法律が施行され障害者がそのサービスを実質的に享受するには、まだかなりの時日を要するし、そのために多くの努力が払われなければならない。そして、タイの経済状況を勘案すると、やはり政府の活動だけでは不十分であり、この法律が障害者への援助を実現するにはNGOの協力を欠かせないのが現実である。器はできた。この器を使用に供するにはタイの人々の今まで以上の努力が必要となってくる。

*日本社会事業大学 社会事業研究所


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年9月(第77号)30頁~35頁

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