〈報告〉 「アジア太平洋障害者の十年」キャンペーン'93第1回国際NGO会議/障害者の社会参加に関する沖縄会議

〈報告〉

「アジア太平洋障害者の十年」キャンペーン'93第1回国際NGO会議/障害者の社会参加に関する沖縄会議

リハビリテーションにおけるマンパワー開発およびネットワークに関するソウル会議

佐藤久夫

 「アジア太平洋障害者の十年」キャンペーン'93第1回国際NGO会議/障害者の社会参加に関する沖縄会議

はじめに

 1993年10月の第1回国際NGO会議は、海外からの約80人を含む約1,600人の参加で大きな盛り上がりを見せた。

 1992年4月の国連・アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)総会において、33ヵ国の共同提案で決議された「アジア太平洋障害者の10年」(以下「AP10年」)とはいえ、ESCAPレベルでも各国レベルでも障害関連施策の優先順位は決して高くはないのが残念ながら現状である。こうした中で今世紀中に完全参加と平等の実現に向けて大きな前進を図りたいと考えて奮闘しているNGO、GO関係者にとって、今回の沖縄会議の成功は大きな励ましをもたらしたといえる。

 以下、印象的だったことを記してみたい。

ろう運動が一歩リード?

 沖縄会議で私が一番驚いたのは、全日本聾唖連盟がろう者リーダー研修会を並行して開き、そこにアジアから6人の聴障者を招いていたことだった。国内からも100人近くの聴障者が参加していた。役員の方に聞いたところ、1~2年後にアジアのろう運動のリーダーを育てるより大きな規模の長期セミナー(日本に数十人を招きたいとのこと)の計画があり、その企画に当たって、アジア各国の聴障者がどんな実情の中で何を求めているかを具体的に知る必要があったからだという。当事者が力をつけることがおそらく「AP10年」成功のための最も重要な要件であると思われるが、聴障者の分野でそのための具体的な取り組みがすでに開始されていたのである。

 また、共同作業所全国連絡会(共作連)は全社協・授産施設協議会や日本障害者リハビリテーション協会などと協力して、タイからの要請に応えて作業所を現地に建設するための技術的・資金的援助を開始し、すでに現地調査も行ったという。さらに鈴木共作連委員長が「われわれの運動体としての特徴を生かして、たとえばアジア作業施設(職員)連絡協議会のようなものを作る可能性を探りたい」という抱負を述べていた。

 これまで障害者分野で日本からも援助がなされてきたことは私も少しは聞き知っていた。しかしこれまでは政府機関や障害者「のための」団体によるものがほとんどであった。今回沖縄で知ったのは障害者「の」団体がアジア太平洋地域との交流・支援に本格的に取り組み始めたということであった。沖縄会議から帰ってまもなく、東京八王子のヒューマンケア協会から英語版の自立生活技術訓練マニュアルが送られてきたが、アジアへの自立生活運動の普及を通じて「AP10年」に貢献しようとする同協会の特徴を生かした試みといえる。

 このように国際交流が障害者「の」団体によって大きな拡充を示しつつあることを沖縄会議から学ぶことができた。80年代の障害者運動と最も違う点はここにあるように思われた。

 なお、障害者「のための」団体による交流と援助も一層豊かに展開されつつあることはいうまでもない。この面で特に注目を浴びていたのが澤村誠志氏が報告したアジア義肢装具センター設立への訴えであり、ESCAPのサンユー担当官も、理念はたくさん論じられてきたがこれは「AP10年」を前進させる具体的な案であり大いに励まされる、と述べていた。

イチャリバ兄弟の心

 沖縄会議のスローガンは「イチャリバ兄弟(ちょうでい)」(会えば皆兄弟)であり、そのあたたかさ、心配りが随所にみられた。

 例えば、前日から沖縄入りしていた県外・国外の参加者約150人が「沖縄交流会」に招かれ、おいしい手作りの料理と琉球泡盛や生ビールでもてなされた。この交流会の最後には、沖縄国際大学などのバンドが聴障者も踊り出すほどの音量でロックを楽しませてくれた。

 美しい沖縄民謡で開会式を飾った盲学校生徒たちなど200人のボランティアが参加したといわれ、この他にも参加者に配るアクセサリーを作った主婦たち、手作りドーナツを提供してくれた市民グループなど、全県民をあげての歓迎であった。

 特に沖縄の授産施設で働く障害者たちが、いつもはお客さんになることが多かったが、今回はお客さんを呼ぶ側に回ったという。役割分担をしてチームを作り、例えばネームカードの作り方なども障害者を含めてボランティアのひとりひとりの知恵が寄せ集められたという。大規模な会議には失われがちな手作りの暖かさが感じられた。

低価格・高品質・文化適合性―援助のあり方

 このlow cost, high quality and culturally appropriateという言葉は会議でよく使われ、やがて夕食のために食堂を探す時にもジョークに使われるようにさえなった。もちろん主に補装具等の福祉機器援助のあり方を示す言葉であり、例えばフロアの生活といすの生活の違いがあり、普通の車いすでは視線が高すぎて家族の中にとけ込めなくなってしまうから、低い車いすが望まれる。

 さらに物や金を提供するよりも、技術を教えること、人を育てること、援助がいらなくなるように援助することの大切さも強調されていた。また地域によっては、あるいは事情によっては、障害者に援助するのでなしに、村全体に援助する方がよいことも多いという。魚、米、栄養がほしい村には、作物の種や魚の稚魚が本当は必要なのかもしれないという。海外資金が有効に活かされた話や資金援助によって民間団体が腐敗してしまった話なども紹介され、援助を考えるに当たっては現地に入り込んで、その国にふさわしいやり方でやれるような援助が必要だとされた。

第2回国際NGOマニラ会議へ

 今年7月20~23日には第2回国際会議がマニラで開かれる。テーマは「地域協力」であり、さまざまな分科会や芸術発表、施設見学などが予定されている。

 お互いの国々で障害者がどのような暮らしをしているか、そして民間団体や政府がどのような活動をしているかということを直接知り合うことから「AP10年」への参加が始まる。航空料金は国内遠距離とさほど変わらないので、日本のNGO各団体や施設などからメンバーを派遣することも可能ではないかと思われる。地域の障害者サークルでもなんとか取り組めそうな事業といえる。また都道府県社会福祉協議会や地方自治体も「AP10年」への参加の一環としてこの会議を位置づけてほしいと思う。より大きな団体では、その活動の特徴を活かしてプレ・ポスト会議や交流会を企画するのもよいし、数ヵ国の交流ツアーなども考えられる。

リハビリテーションの人材開発とネットワークに関するソウル会議

 この会議は沖縄会議の直後、10月22~23日に韓国・ソウル市で開催された。主催は韓国リハビリテーション協会でRIアジア太平洋地域委員会などが共催した。全体で約200人の参加者の多くは韓国人で、13人参加した日本を除くと各国は2~3人ずつの参加であった。

 発表も韓国からのものが中心であったが、よく準備されたレポートが多く、しかも30歳代くらいの比較的若い人々の活躍が印象的だった。日本からよく学んだとみえて、法律や制度の名称までそっくりのものが多かった。1981年の国際障害者年や1988年のソウルパラリンピックという機会を活かしてリハ対策が大きく拡充してきたことが報告された。とくに保健福祉省の障害者対策費はこの10年間で9倍に増えたという。

 このソウル会議に組み込まれた形でRANAPシンポジウムが半日使って行われた。RANAPとはアジア太平洋リハビリテーション従事者行動ネットワーク(Rehabilitation Action Network for Asia and the Pacific)のことで、個人加盟というユニークな国際団体である。現在18ヵ国の79人の障害者・非障害者が加入している。委員長は香港ジョセフ・クオックである。

 このシンポジウムでは各国での各自の生き生きした活動が報告され共感を呼んでいた。

 なお、このソウル会議では日本と韓国のリハ協会の会長が今後のさらなる協力を進めるという声明にサインした。

日本社会事業大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1994年3月(第79号)26頁~28頁

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