WH0(世界保健機関)の国際障害分類の改訂作業と障害者のリハビリテーションヘの影響

■特集■

 

WH0(世界保健機関)の国際障害分類の
改訂作業と障害者のリハビリテーションヘの影響

 

アメリカ国立精神保健研究所 Dr. Cille Kennedy


 今日はこの「国際障害者リハビリテーションセミナー」にお招きいただいたことを大変嬉しく思う。中央競馬馬主社会福祉財団と日本障害者リハビリテーション協会にお礼を申しあげたい。
 さて、今日話すようにと依頼されたのは、「WH0における国際障害分類の改正」ということ、さらにそれが障害者のリハビリテーションにどういう影響を与えるのかというテーマである。
 「国際障害分類」についてであるが、その必要性というのは、年々高まってきた。世界中でこの医療保健の変化が見られる。すなわち、これまでは急性の病気に対するケアが中心であったのが、ますます慢性的な疾患に注意点が移ってきた。つまり、どんどんこのような疾病、そして障害の結果に対して、どのように対処すればよいのかということに対する関心が高まってきたのである。それと同時に、このような障害をもつ人たち、これは多様な障害を伴うと思うが、この人たちに対してどう対処するべきか、に関心が高まってきた。(図1)
図1 ICIDHの必要性
 これはリハビリテーションという観点から大変な関心を呼んでいる。すなわち、医療ケアという分野の中で、リハビリテーションをどのように位置づけるのかという関心に転化してきたのである。この国際障害分類が、今改正されているが、これは障害をもったことによって、1つの結果がそこに存在すること。これにもっと多角的なアプローチを使わなけれぱいけないということが、その背景にあるわけである。
 これには2つの角度がある。1つは、社会的な問題、それから機能の問題、その両方を考えなければいけない。そして、医療の分野だけを扱うのではなく、社会経済的、心理的な分野も考えなければいけない。またソーシャル(社会的な)アクション、これにはプロの支援や個人の責任などが含まれるだろうが、そのようなことも考えなければいけない。また個人の適応、環境的な改善、また行動や他の人たちの態度もかかわってくる。またケアだけに焦点をあてるのではなく、人権のことも考えなければいけない。社会の変化に個人が適応しなければいけない、しかしその適応に対して社会も変容していかなければいけないという両方の意味がある。(図2)
図2 障害モデル「医学と社会の対立モデル」
 このICIDHの重要なコンセプトは、最初のものから変わってきている。まず、機能障害、能力障害、そして社会的不利ということが使われてきたが、いろいろなことを同時に扱っていたという欠点がある。しかしながら、新しいICIDHでは、それらの言葉をいろいろと分けて新しい定義をつけている。まず、機能障害であるが、身体構造、そして生理的、心理的機能、その両方において欠損している、あるいは異常があるといわれている。(図3、図4)
図3 機能(働き)と障害のキー概念
図4 諸次元の定義
 また、これには重篤度や部位、またその期間がかかわってくる。それから2番目に挙げられているのは、活動ということである。人間としての活動という観点から作られたものであり、すなわち、人間としての機能のレベルの本質、そして期間、質というようなもの、これに注目したもので、これらに制約がある場合、それをアクティビティーの制約といういい方で捉えていく。
 3番目は、参加ということである。これは日常生活におけるその人のかかわりあいである。機能障害、そして活動の程度、また健康の状態、また状況要因などを考えた場合その人のかかわりあいということが取りあげられる。であるから、その身体、活動している身体、そして社会で活動する人間という3つのレベルで考えていくことになる。(図5)
図5 国際的なシンポル「機能障害-活動の制限-参加の制約」
 これは国際的に使われているシンボルで、3つのシンボルが使われている。まず1番左のシンボルは機能の障害で、真ん中のシンボルは、活動が制約されていること、一番右は社会に対する参加が制約されていることで、これは社会の方の環境的な因子が大いにかかわっていることをいわなければならない。
 1990年の初冬に改訂作業が始まった。1980年以降どういう批判が寄せられたのかを見直した。
 ICIDH2の分類においては、定義が見直され、また特別な考慮で分類が行われた。そしてそれぞれのアイテムのコンセプトやルールができて、ICIDH2をどのように使えばよいのかが定められた。このコンセプトは、新しいものである。すなわちハンディキャップの代わりに、参加ということを使うので、それをどのようにすれば一番良い使い方ができるのかを考えた。(図6、図7)
図6 ICIDH-2
図7 1997年版 ICIDH-2「概念モデルの相互関係図」
 そして国際的なフィールドテストをした。経験的にエキスパートの意見を取り入れることにより改訂作業を進めていた。今世紀末、1999年にICIDH2が最終的なものになり、WHOが認定し、その総会で採決される。それから初めてこれが適用される。
 1980年のICIDHとICIDH2の差について、これはICIDHの基礎となったコンセプトの変化を背景にしたものである。つまり、そのぺースとなったのは、まず個人に何か異常なことが起こることによって、健康の状態が変わると。そうすると、「疾病」という状態になる。(図8、図9)
図8 ICIDH
図9 1980年版 ICIDH「概念モデル図」
 そのことから、機能異常、機能障害が起こってくる。つまりその障害は、外から見てわかる、見えるものになっていくということである。そしてその間、「ディスアビリティー」という言葉が出てくる。これは能力障害である。すなわち機能障害から個人のレベルにおいて、何らかの能力の発揮ができないというレベルがある。その状態の次が、ハンディキャップである。これは他の人とのかかわりあい、社会における意味あいがある。すなわち社会的不利である。これにはいくつかのモデルがある。
 ただ、このような分類は、この3つのレベルがどのようにかかわりあっているのかを示すことができない。機能障害、そして能力障害、社会的不利がどのようにかかわっているのかがわからないのである。また、原因のモデルとしての意味あいを強くもっており、はっきりとしたコンセプト観の関係を解き明かしていない。そこでコンセプトを変えること、つまり、この3つのかかわりあいを考えることになった。
 今考えられているコンセプトモデルは、まず図7をみると、左側に機能障害があり、中央に活動の制限があり、右側に参加の制限があるということである。そして状況的な要因も考えられている。こういうものが発現する場合の状況的要因がある。まず、その機能障害があったとしても、ディスアビリティーにならない場合も考えられる。また、その能力障害があったとしても、社会的な参加が制約されることにならない場合もある。
 ICIDH2で強調しているのは、環境である。個人的なことも、その人の習慣やライフスタイルも考えるが、現在提案されているのは環境を強調しようということである。
 参加について、個人がその状況にどう参加できるのかであるが、その人が社会に参加する能力というよりは、環境的な因子の方がずっと大きな意味をもつことがわかるだろう。次に活動であるが、どれぐらい機能障害があるのか、つまり身体の状況として機能障害があるのか、これが大きくかかわってくる。また、その機能障害というレベルから生じてくる身体の健康上の状況が随分かかわってくる。アクティビティーというのは、個人のレベルだからだ。
 ICIDHの機構図についてだが、まず木を切ったら枝が出ていて、葉がある。その枝葉にいけばいくほど、非常に細かくなっているが、機能障害、活動、参加の3つに分けられている。これが3つの大きな木である。森の中の3本の大きな木がこの3つということである。(図10)
図10 ICIDH levels:forest-tree-stem-branch-1eafs
 その次のラインが、枝である。いろいろな領域になるが、まず機能障害の下に精神的な障害というさまざまなものがあるだろう。例えば記憶障害であるが、この記憶障害の中には、長期的な記憶と短期的な記憶、その両面が考えられる。それから、身体のいろいろなシステム、精神的なシステムが含まれるだろう。活動が中央にあるが、個人的な活動という意味である。個人のケアや、家庭内のこと、あるいは仕事、社会とのかかわりあいという、いろいろな領域があるだろう。一番右側が社会への参加で、もっとグローバルな意味あいをもつ。市民社会への参加や、その社会の中で仕事をしていけるのか、ずっと働きつづけられるのか、などいろいろな切り口があるので、ここにいろいろと設けられている。
 今作業の最中であるが、現在やっていることは「べータフェーズ」といわれているもので、フィールドテストをしているところである。そして、もう1度フィールドスタディの結果を洗い直して、もう1度ICIDH2のコンセプトを見直すという解釈の段階でもある。システマティックな形でフィードバックをするということだ。さまざまな文化的要因もあるので、そのような文化的な配慮もするということである。文化を越えて、これが使えるのかどうか、それが意味があるのかどうかという検討も行っている。(図11)
図11 ICIDH-2ぺ一夕1フィールドテスト
 他に同時に行われている作業としては、国際的に法律面での見直しをしている。それから国際基準協会の基準との調整がある。「ICIDH2」という文言が、他の基準とあうかどうか、ICIDHを使った場合でも、世界中の障害者に対してマイナスの影響は出ないかどうかもいわれている。元々のICIDHは、北米、あるいはヨーロッパの概念を大いに取り入れたものなので、新しい国や文化的な特徴などを入れて、もっと幅広いものにしようということが行われている。またできるだけ他の国際機関の参加も求めているわけで、NGOだけではなく、障害者の協会などの参加も求めている。それから、年に1回の再検討会議が行われる。次は東京で行われ、佐藤さんが中心に1998年の3月に開かれることになっている。(図12)
図12 ICIDH-修正の経過
 ICIDH2の目的について、非常に明示的であり、幅広いものである。このICIDH2は、健康の1つの結果に対して、非常にはっきりとしたコンセプトを表している。科学的なべースを提供するために、いろいろなデータを集めている。その中には、専門家の意見もあるが、何らかの障害を受けた場合、その結果としてどのようなことが起こるのかということである。それがわかれば、もっと理解を深めることができるだろう。(図13)
図13 ICIDH-2の目的
また、コミュニケーションを改善するために、共通の文言を作る、言葉を作っていくことだ。かつては、機能障害、社会的不利、能力障害というのは、どれもこれも混ぜこぜに使われていた。従って、それぞれに対して、きちんとした定義がなかったが、それを是正したい。
 実にアメリカでは43の定義があったそうだが、ICIDH2には、よりよいケアを促すという意味がある。社会における人たちの参加を促すという意味、新しいレベルの参加を促すことが狙いとして設けられている。そのICIDH2では、データの比較もできるようになっている。国際的な文言を使い、標準化されたコードを使うことになっている。
 そうすると、障害についてもっと国際的な理解を深めることができるだろう。また、そのシステマティックなコード化システムも作ろうとしている。これは国連だけではなく、もっと地域社会で使えるものだ。また、研究活動も刺激し、促進したい。そうすることで、障害者のためのケアがすすむことを考えている。さらに、このような人たちが社会参加できない理由、そのような障害についてデータを集めたい。
 ICIDH2の内容について、まず「ICIDH2の世界」という言葉が掲げられているが、全ての人たちを参加させようということであり、いつでも、どこでも多くの人たちが参加できることが考えられている。第2番目には、範囲であるが、機能と機能障害の説明の枠組みとになっている。(図14)
図14 ICIDH-2の内容
 対象範囲について、いつでも、誰でも含まれるということであり、全ての人たちが対象ということである。普遍的な人間の経験がその中に含まれる。この分類の単位は、その機能であり、その人ができること、それからの活動などが対象になっている。最初のICIDHには批判もあったが、決してラベル付けするわけではない。例えば人の機能やその人の個人的な活動や社会に対する参加の状態などを考えている。従って、今度のICIDH2は、機能障害と活動と参加が3本柱になっているわけである。
 その新しいところは、いろいろな操作的定義が行われている。前述したように、このようにきちんとした構造で運営されているので、それぞれのアイテムがはっきりとした意味づけをもっている。つまりどのような運営上の意味があるかがはっきりしているのだ。できるだけ中立的な言葉を使いたいので、その意味でディスアビリティーはアクティビティー(活動)に、ハンディキャップはパティスペーション(参加)に変わったのである。(図15)
図15 ICIDH-2の新しい点
 ただ、機能障害については今のところ中立的な言葉を見つけることができなかったので、このままになっている。機能障害となると、機能と身体の構造という両方の意味をもっているので、もっと良い言葉があれば取り替えられると思うので、ご意見を伺いたい。
 もう1つは、その人が何をするのかということ、これを中心に考えている。出来得る、ひょっとしたら出来るのではないか、という可能性を扱うのでなく、実際にやれること、やっていることを中心にやっている。ハンディキャップは、実は非常に幅広い意味をもち、時にその運営上、あまりにも曖昧という欠点がある。その状況的な要因だが、これは新しく導入されたもの、つまり、ICIDH2に新しく付け加えられたものである。環境的な要因、個人的な要因の両方の意味がある。その用語の定義も行われているし、マルチリンガルな開発も行われている。まず英文で作るわけだが、その後、いろいろな言語に翻訳される。まだはっきりと固まっていない段階でも翻訳をしてみて、いろいろな国の人がこれで使えるのかを調べながらやっているので、マルチリンガルということを強調している。(図16)
図16 ICIDH-2で初めて確認されること
 ICIDHの新しい理解について、この基本になっているのは、例えばべートーヴェンは耳が聞こえないのに「第九交響曲」を書いたというような理解が根底にあって、これは普遍的な人間の経験である、障害というものはそのような性格がある、というものがべースになっている。機能について、もちろんプラスとマイナスの面があるといういい方をしている。障害は、個人を他の人から区別する特徴として扱われるべきではない、ということがべースになっている。
 ICIDH2でこの機能障害がどのように扱われているか。決して1つの臓器などを取りあげるのではない。例えば循環器系の問題があるとしても、心臓だけが悪いわけではない。身体になると、当然、脳を含むが、心の問題も含む。精神的な障害も前よりはずっと強調して扱われている。精神障害が社会の参加に大きな障害となっていることも強調している。(図17)
図17 ICIDH-2における機能障害
 また、臓器の機能、身体の構造の機能障害、の両方を考えている。細胞レベル、あるいは顕微鏡で観察できるレベルのいろいろな障害があるが、外には現れないこともある。つまり、目で見える、外に現れるレベルのもの、それを障害と考えている。もちろん、機能障害の中には進行性のものもあれば退行性、そのまま静止しているものもある。一時的なものもあれば、継続的なものもある。このような見方をすること、病因、特に原因は関係ないという立場をとっている。原因は何であれ、それがシステムとしてどのような状態なのかに注目することだ。
 機能障害は決して病気と同義ではない。もちろんその病気の一部であるという可能性はある、他の障害を作ってしまう可能性もあるだろう。例えば、ある1つの障害から身体が動かないと筋肉が痩せていくこともあるだろう。そのようなことも考えなければいけない。
 日常生活における活動は単純なものか、複雑なものか、どちらかに入っている。例えば筋肉のマッサージをする、または義足を使うことによって活動のレベルが随分変わってくる。例えば料理をする、順番どおりに操作を行うことにより、施設の中で学ぶだけでなく、家庭の中などが変わってくる。シンプルなものより複雑なものへ、基礎的なものからより実際的な歩行や、いろいろな参加まで、この活動がかかわってくる。関連的な活動が強調されなければならないだろう。(図18)
図18 ICIDH-2における活動
 活動について、その中に機能的、活動における機能性も考えなければいけない。機能障害の所で前述したように、目と視覚、耳と聴覚、という分類がある。時には、そのように分類するのは難しいこともあるだろう。何かを見るという行為と視覚、つまり機能障害と活動の障害を分類するのは難しいことがある。しかし統合された人格や人間を考えると、見ることだけではなく、それを識別し行動に移すことがある。それが活動のレベルのところで考えるべきことだ。
 活動の困難点は質的にも量的にも見ることだろう。つまりこれはどの程度行動できるのか、またどの程度上手に行うことができるのかということである。修飾要素という言葉があるが、これはWHOで使われている言葉で、行動がどのように変化するかを示す要因のことである。つまり、特定の行動を個人が行う時の困難さ、また他人の援助がどれだけ必要か、が修飾要素として挙げられている。
 次に第3番目のレベルが参加である。社会における個人、これはドイツ語の「ゲシュタルト」という言葉の方がよく使われているようであるが、経験、そして人が生活の中でその機能障害や活動を制約するものを考えながら社会参加していくことで、これは社会に根ざしたリハビリテーションが大きくかかわってくる。ICIDHにおいては、他の人と同じことをする、参加をすることは個人だけでなく環境も考慮しなければならないと考えている。健康の状況、生態的、環境科学的な相互作用モデルが必要になってくるだろう。(図19)
図19 ICIDH-2における参加
参 加というものには、価値観が付与している。当然、価値というものが考えられる。参加、社会参加というものはいい。しかし、良い参加をどのように評価していくのだろうか。そのためには、障害をもつ人々が不当なレッテルを貼られないことが必要だろう。これが障害者の機会均等化に関する基準規則が使われているところだ。参加が非常に重要である。その分類が異なる領域、個人の生活での経験、交通手段、市民活動への参加などを含むのである。
 また、阻害要因も見ていかなければならない。私が昨日街を歩いていたら、路肩の段差がないようになっており、非常に大きな感銘を受けた。車いすの方は、段差があるとアクセスが相当害されて困ってしまう。道を渡ることも難しくなるが、その路肩の段差がなくなると、非常によくなる。ワシントンではそのような配慮を見たことがない。日本でそのような配慮が行われていることに非常に感動した。社会においても人々が活動し参加するためにこのような配慮が必要になってくるのである。
 最後に「役割」や「生存のための役割」という言葉は排除される傾向になってきている。そうではなく、個々、また社会の義務というもの、例えば路肩の段差をなくす、というのは社会の義務になっていくのである。ゆえに、「役割」また「生存のための役割」ではなく、生きていくための代替という手段を考えていかなければならない。
 新しい国際障害分類の範囲について、「ICIDH」は前と同じ略語で、「ハンディキャップ」という言葉は使っていないが、略語の方は現在でも使っており、以前は「機能障害、能力障害、社会的不利に関する国際分類」といっている。少なくとも略語は改訂版という意味で「ICIDH2」としているが、将来的には「国際的な機能障害、行動、参加に関する国際分類」と名前が変わっていく。また文化に対する配慮なども考えて、このように用語が変わっていった。いずれにしても、改訂版はICIDHだが、その大部分は用語の解説になっている。(図20)
図20 ICIDH-2
 またアセスメントガイドラインに関しての印象的な記述評価およびガイドラインや、研究のための評価基準が行われている。また専用の評価ツールも開発されつつあり、異なった障害の領域に関してのツールがさまざまな研究、調査結果で構築されつつある。アセスメントのツールは、WH0関連の機関より支援されている。また、アルコール中毒、精神障害者協会などさまざまな専門領域の協力を得て構築されつつある。
 ICIDH2の改訂版の実施方法、またフィールドトライアルについて簡単にのべる。グループは実際には参加していないが、WHOでインターネット(WHO.CH/ICIDH)をもっているので、参加されていない方で、もっと知りたい方はこのインターネットに充分な情報が入っているので接触してみるといいだろう。
 さてフィールドトライアルの目的は、これにより社会的、文化的に提案されているコンセプトが適用可能かどうか評価するという目的をもっている。コンセプトが1つあっても、その概念が1つの文化と別の文化では違うかもしれない。アメリカと日本では同じ概念を異なってとらえるかもしれない。また3つの領域も設定しなければならない。それからどのぐらいの尺度を国際的に共用できるかということである。例えば行動の制約というとき、どのような尺度を使ったらよいかを決めていかなければならない。また現行の慣行について、またICIDHがどのように使われているかの状況をまず判断していかなければならないだろう。また潜在的な利用も考えていかなければならないだろう。
 このフィールドトライアルは、フィードバック用紙を用いている。ICIDHのホームページをご覧いただくと、その草案があるので、その用紙がどのような形態になっているかをご覧になれる。フィードバックグループがあるので、実際にその用紙をご覧いただいてコメントをいただくこともできる。
 フィールドトライアルに関しては、まず翻訳、そして言語学的な分析も行わなければならない。日本語版はほとんど完了していると聞いている。いろいろなコンセプトや項目や用語は、翻訳するとわかりにくくなる。また文化的な配慮も行わなければならない。それに加え、英語から他言語への翻訳だけでなく、さまざまな専門分野においての書き換えも行っている。わからない文言を使っても何の役にも立たないので、例えばリハビリテーション関係者や政策決定者にはわかる言葉でも書き換えてわかりやすくする。
 また基本的な問題や設問も出していく。モデルは役に立つのか、明快か、人のニーズを満たしているか、で見ていく。個々のベースでなっているのか、またはコンセンサスパネルでの決定も見ていかなければならない。最も難しく紛らわしいコンセプトや用語に関しては、文化に配慮しているかどうか、配慮していないとしたら、言葉の言い換えはどうするのか。子供や高齢者やさまざまなサブグループの人々がわかるものになっているかも検証していく。
 またオプションのテストもしていく。新しい再編成なので、いろいろな提案のやり方がある。であるから、さまざまな情報を集めて、ICIDH改訂版が受け入れられるかをさらに徹底していく。これは、各項目または各章レベルでも行う。参加という言葉はハンディキャップに代替されたが、そのような次元で理解されるかどうかもみていく。
 また参加者は、トピックの専門家が集まるフォーカスグループである。重要な情報提供者なども面談して、情報を収集していき、さらに完全なものにしていくために努力をする。翻訳に関しては、障害問題の専門家が行う。英語から他の言語に翻訳していく。または英語1ヶ国語内においても、さまざまな分野の当事者のための書き換えも行っていくだろう。またキーコンセプトに関して、翻訳が適当かということを言語学的に分析していく。もっと言い換えた方がわかりやすいとか、項目が明確に提示されているかどうかをみていく。
 英語から他言語においても、専門用語を使いすぎないか、また内容が明確に提示されているか、文化的な配慮を行っていかなければならない。それから内容や用語やモデルをみていく、定義または境界である。この境界というのは、例えば目という構造、視覚という機能、そして見るという行為である。それにより、行動や活動というものが明確に提示されているか、社会に参画というものが明確に提示されているかということである。個人またはコンセンサスパネル両方からの評価を行っていく。
 項目の評価は、文化は勿論、さらに細かいグループヘの適応可能性もみていかなければならない。特に項目の重要性だが、関連性のあるものを使っていきたい。人がほとんど使わない用語を使うべきではない。またその文化的配慮、つまりタブーに触れていないかどうか、ICIDHが拒否されないようにしなければならない。1つの文化で充分に適応されるものが、別の文化ではタブーとなることがあるので、充分配慮して、ICIDHを作成していく。
 オプションのテストは、記述、また構成していくこと、これはさまざまな項目のレベルを変えていく。多くの項目を集めた領域のレベル、次元のレベル、これが最高限になる。境界の分離、また新しいものと古いもの、また限定要因、またそれをどのように測定していくか、に触れていく。
 これは必須ではない、選択的にフォーカスグループを行うことは、なかなか有効ではないだろうか。方法は、まず障害モデルということで新しく構成されたものを使っていく。心身の障害に関して作成していく。また障害においては、まるで悪いことのようなStigmatizationが行っているものがある。例えば精神障害をもつ方々が社会で厳しい試練に遭っていることに関してのフォーカスグループを行っていくことも、オプションとしてある。
 このようなさまざまな手続きが終了すると、次にICIDH2は子供、高齢者、一般診療、プライマリケアにも適当かをみていかなければならない。またコミュニティーリポートを提出しなければならないだろう。また臨床医、研究者、リハビリテーション専門家のニーズを全て満たしているかをみていかなければならない。そうでない場合には特別な調整が必要になってくるだろう。例えば小冊子が必要になる。地域社会に根ざしたリハビリテーション(CBR)に関しては、ICIDHの特別な小冊子により、どういうものが重要かを一層詳しく解説していくことが必要ではないか。CBRにおいては、特有なニーズがある。(図21)
図21 特殊な適用の必要性のある分野
 将来のニーズは、例えばより短いバージョンのものを提案していくことも必要だ。非常に長い用語を使っている、フルのバージョンだけでは使いにくいこともある。であるから、それをもう少し短い形で提示したり評価ツールを提供したり、またマネジメントリンクが必要だろう。例えば介入のすりあわせ、またはケアの整合性に沿っていくことだ。
 サービスに関してのニーズである、その有用性、結果、また経費について、みていかなければならないだろう。また例えば財務に関しても、経費または資金調達、運用に関してもどのような形で行っていくのか、償還性、補償性、保険のいずれで行うのか、また社会政策として、さまざまなプロセスや指標をどのように導入していくのか、またはモニターしていくのかどうか、またはラベル付けの問題も、リハビリテーション施設の認証の問題もあるだろう。(図22)
図22 ICIDHの重要な側面
 また情報の発信についてトレーニング、ネットワーク化は国内だけでなく、国際的なものも必要になってくるだろう。そのようなことが将来のニーズとして出てくる。ICIDHで重要な側面というのは、やはりサービスを構造化していくことだ。それによりサービスヘのアクセス、利用、ニーズカバー、範囲、経費がより良くなっていき、完全なる参加と平等が実現されるのである。それこそが人々のもつ権利であり、社会の義務だ。
 ICIDHは社会政策に関しても、大きなかかわりをもつだろう。まず機会均等のチャンスを与えていくことだ。特に広範囲な参加、日常生活において、全ての領域での参加が強調されることになる。また社会の対応や義務、つまり人々の自立と選択の機会を拡大することが社会の義務であるという認識を進めていくことができるだろう。(図23)
図23 ICIDH-2の社会政策上の意義
 障害をもつ人々の生活の質、生活条件を改善することができることを願っている。また社会慣行への意識を高め、それを変えていくわけであり、それにより、普遍的に設計されたこのような障害分類が大きく貢献していくのではないか。また品質保証や社会による監視という手続きも今後も実現し、継続していくだろう。

図訳:於保真理
監訳:佐藤久夫

 


 

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1998年3月(第94号)2頁~12頁
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