特集 第36回総合リハビリテーション研究大会 総合リハビリテーションの深化を求めて-当事者の主体性と専門家の専門性- シンポジウム 第1部 『自己実現』を支える総合リハビリテーション ―当事者の主体性を支える専門性の追究―

シンポジウム 第1部
『自己実現』を支える総合リハビリテーション
―当事者の主体性を支える専門性の追究―

【座長】
松矢 勝宏(東京学芸大学名誉教授)
阿部 一彦(東北福祉大学教授)

【パネリスト】
河合 隆平 (金沢大学人間社会研究領域学校教育系准教授)
杉江 哲治(石川県立教育センター指導主事)
永野 椎奈(金沢大学人間社会学域地域創造学類3年生)
橋 美由紀(石川県立いしかわ特別支援学校教諭)

【指定討論】
木村 伸也(愛知医科大医学部教授)
矢本  聡(仙台市泉区保健福祉センター障害者支援係長)

要旨

 当事者パネリスト永野椎奈さんは中学1年生の時に階段から転落,頸椎損傷になり肢体不自由特別支援学校に転校した。日常生活では部分的に介助を必要とし,車椅子による移動と少し麻痺がある上肢を使いながら生活と学習を進めた。受傷当時の苦悩からニーズ・要求・目標の創出,自己実現の目標に向けた実行・努力の過程を経て,現在は大学生活を送っている。今回のパネルディスカッションは,永野さんの教育にかかわった教師を専門性のある支援者として迎え,あわせて総合リハビリテーションの観点から医療と福祉の現場から指定討論者をお願いした。また,このシンポジウムを表題のテーマとして準備するコーディネーターを務めた金沢大学准教授の河合隆平氏にも登壇していただき,パネルディスカッションの先導役をお願いした。

 まず,全体のプロットについて金沢大学准教授の河合さんから,おおよそ次のような提言があった。
 「私は教育学が専門で障害の重い子どもの教育について現場の先生方と考える機会が多いものです。2006年,ちょうど特別支援教育への制度転換が始まるころ,国会議員の発言として肢体不自由学校の教員にはなぜこのように一般教員免許取得者が多いのか,教員をもっと減らし,PTやOTの配置をするべきではないかという発言がありました1)。この発言には特別支援教育における教員の役割,あるいは教育についての一つの見方を反映しているように思えるのです。個別の教育支援計画,個別の指導計画というときに,個のニーズをどの水準でとらえるか,という問題にかかわる観点です。たしかに一定の時間的な経過の中で身体機能の改善や変容が見られたという客観的な評価は重要です。しかし,昨日の上田先生と吉川先生の対談で取り上げられていたように,成長発達の過程にある児童生徒の願い,思いという主観,あるいは主体性という当事者のニーズにかかわる評価が教育にとって,また教師の専門性にとって最も重要であるということです。教育の現場に心理職やPT,OT等のリハビリ専門職が参加することは意義あることですが,障害特性への働きかけや変容に評価の水準が収れんするのではなく,児童生徒本人にとって何のためにという観点が大切であると考えるのです。今日はこのような当事者の主体性支援の観点について,ご本人の永野さん,そして伴走者という立場で支援に当たった先生方,さらには指定討論者を交えて明らかにできることを期待したいです。」
 パネルディスカッションは,ここから石川県立いしかわ特別支援学校(肢体不自由児学校)の教師であった杉江哲治さん(現,石川県立教育センター指導主事)と当事者の永野椎奈さんとの対談から始まる。永野さんが石川県立いしかわ特別支援学校中学部に転校した当時,教師の杉江さんは当校の地域支援室に所属し,特別支援学校のセンター機能を担って相談支援に当たっていた。地域支援室とは地域の幼児療育や小学校,中学校における特別支援教育,さらには他の医療,福祉,就労等の支援機関と連携し,地域の求めに応じて相談支援に当たり,障害のある子どもたちの成長・発達を支援する地域センターである。杉江さんは,当事者である永野さんが同校の高等部に進学してから,彼女の担任や進路指導教師等と協力して,彼女の支援に重要な役割を果たしてきた。
杉江:いしかわ特別支援学校に転入してきたときの印象はどうでしたか。
永野:受傷するまでは特別支援学校と接点が全くなかったです。もちろん障害のある子どもたちの学校であることは知っていましたが,実際,自分がそうなることで,最初はとても戸惑いを感じていました。
杉江:そうでしょうね。きっとそうなのだろうと私も思っていました。このシンポジウムの準備の過程で,永野さんは過去を振り返るのが嫌だとおっしゃっていたのですが,進めさせてくださいね。永野さんは学業成績がとても優秀なので,進学校といわれる高等学校に合格できる力があると聞いていました。先生方のそのような話題の中で,特別支援学校から高等学校に進学する生徒が出るのはすごいことで,センター機能を持つ特別支援学校にそのような役割があってもいいと思いつつも,しかしそのような方向にどんどん話が進んでいくことに,それでいいのか少し危惧を持ちました。というのは,永野さんが受傷して間もないということ,そこで,一般高校の中で同世代の生徒たちと学校生活を送ることについてどのように考えているか,聞いてみる必要があると感じていました。しかし,地域相談室の私としては,直接お話しする機会はなかったのです。そこでお聞きしますが,当時の永野さんは進学校への高校受験についていろいろ先生方から聞かれたと思うのですが,どのような気持ちでしたか。
永野:私はそのように学力が優秀とは思っていませんでしたが,学校というところは成績がいいとより高いレベルを期待するというか,進学校の高校受験が望ましいと考えるところなのかなと感じていました。しかし,杉江先生がおっしゃるように受傷して間もないということもありましたが,私が進学についてどのように考えているか,中学部の時には私の意思をきちんと聞いてもらえる機会があまりなかったように思います。結局は,ちょっと申し訳ないと思いながら,自分で特別支援学校の高等部を選びました。
杉江:そうですね。私はとても成績が優秀と聞いていましたが(会場笑い),学校というところは,そういうころがあると思います。学校としては,永野さんの気持ちをちょっと置いといて,あなたの将来の夢の選択肢からすれば進学校を受験するほうが望ましいと考えていたのかもしれません。実際,その年の忘年会で,当時の進路担当の先生とかなり私は議論した記憶があります。私自身も含め,永野さんの気持ちとか思いを十分に聞くことが足りなかったのではないかと思います。そんなことがあって,私はセラピストに聞いて頸髄損傷者の心理について書いてある文献を集め,転任してきて間もないとても熱心な担任の先生に読んでほしいと手渡しました。特別支援学校の教師が心がけておかなくてはならないことは,生まれながらに障害を持った子どもの自己理解と,中途で障害を持った子どものそれとはかなり違いがあることの理解が必要ということですが,担任の先生は,私が説明するまでもなく,そのことを理解してくれたようです。
 永野さんが高等部に進学してからは,給食の時や廊下で会った時など彼女と接する機会や話す機会がたくさん増えました。そんな時に,「永野さんは将来なにになりたいの」と聞くと,「社会福祉士になりたい」という答えをもらいました。そこで,当時の永野さんが社会福祉士になりたいと考えたきっかけを話してほしいです。
永野:まず,福祉は私のこれからの生きていくうえで必要なことなので勉強したいということと,2番目には,自分と同じように障害を持っている人に学んだことを役立てたいと考えたからです。
杉江:そうですね。当時,聞いたことと同じですね。私は社会福祉士よりも心理職になってくれるといいのにと思って提案したのですけれど。高等部3年生の時に,どの生徒も就労をめざして職場実習に出るのですが,彼女の場合,社会福祉士という夢を実現する実習先がなかなか見つからない。将来のことを考えれば,児童相談所が一番いいのでしょうが,高等部生徒の職場実習ということでは難しいことが予想される。ということで,地域支援室はどうか,と提案しました。障害のある母子相談等の来談者への対応,これは相談ではなく記録を少しとったり,お茶出しをしたりの事務補助,発達障害のある子どもたちの小集団活動への参加など,児童相談所と全く同じとは言えないけれども,職場実習の場が提供できるのではないかと考えました。(中略。ここから地域支援室における永野さんの職場実習の様子をビデオで流しながら,杉江さんの説明がなされた。実習中に支援機器の展示会があり,永野さんが日頃支援を受けているリハビリテーションセンターの職員から説明を受けている場面,発達障害のある子どもたちの小集団活動に参加している場面,夏休みの宿題の支援,うどん作りの活動に参加したりした場面などが紹介された。)
杉江:椎奈さんは,この職場実習での印象はいかがでしたか。
永野:この時の印象は,今ビデオで見た発達障害の子どもたちと楽しく遊んだ記憶しかないです。発達障害という視点で見ると,こういうところが特徴なのかという理解もあったかもしれないけれど,むしろ子どもたちとの遊びを一緒に楽しんだということでしょうか。
杉江:実習の後にも,小集団活動がある時に積極的に参加してもらいました。地域支援室に通って来る発達障害の子どもたち,学校の知的障害のある児童生徒たち,また5類型という教育課程に属する障害の重度な子どもたちに積極的にかかわっていく様子,そして彼らがみな親しく近寄っていく姿を見ながら,彼女には不思議な魅力がある,と感じました。これはのちのちに聞いたことですが,彼女の担任の先生でしたか,信頼のおける先生の話では,椎奈さんはこの5類型で学ぶ障害の重い子どもたちとかかわっている時には「素」になれるというのです。永野さんのいう「素」になれるという印象は,どういうことですか。
永野:「素」ですか。だれに言ったのかしら。「素」ですか。(会場,笑い。)
杉江:質問を代えます。知的な障害がある子ども,肢体不自由の子どもと接する時に,「障害」をどのように感じていましたか。
永野:私が子どもたちと接する時,障害というのはあまり意識していないし,仲良くしていた子でも,その子がどのような障害であるか知らなかった。知的障害の子どもでも,その子がどういう障害かぜんぜん考えていないし,障害のある子どもたちと接するうえでは,ただ話したいから,楽しいからという感じでした。
杉江:でも,あなたは音声言語をもたない児童生徒にも積極的に話しかけようとしていましたね。それはどういうことなのですか。相手からの反応を読み取るということは,教師という私たちにとっても,難しいことですが,椎奈さんにとってどうですか。
永野:私には難しいです。分らないことが多いです。だから分らないときには,こういう反応はこういうことを伝えようとしているのです,と子どもの担任の先生に教えてもらいながら接してきました。
杉江:ありがとうございました。彼女は大変鋭い感覚を持っていて,教員についてもそうです。椎奈さんにとって『ダメな』教師とは,どういう教師ですか。はっきり聞いたほうがいいかなと思って。
永野:(ジッーと考えながら)いい教師とは,「待つ」ということができる人。障害のある子どものたちの反応とか,動きとかを見て,待ってくれる人です。
杉江:そういう待ってくれる姿というか,そういうことが,永野さんにかかわる教師にはありましたか。
永野:(少し考えながら)いました。
杉江:ありがとうございました。そこで社会福祉士になりたいということでしたが,金沢大学を選択したのは,どういう理由ですか。その志望に合った大学は金沢大学のほかにも,関東とかほかにもあったのではないでしょうか。
永野:ただなんとなくというか。(会場,笑い。)
杉江:金沢大学に余裕で入ることになるのですけれども,進学することが決まって10月頃だったと思うのですが,地域支援室にふらふらっと来て,「大学進学を1年間延ばし,訓練施設でADLの力を上げてから大学進学しようかな」というのです。今考えれば非常に乱暴な言い方ですが,「あなた,そんな考えだったら,一生大学に入れんよ」と即答したことを覚えています。その時の気持ち「一年延ばしてADLの力を上げたいから」というのは,どういうことでしたか。
永野:家を出て一人暮らしをして,自分の力で大学に通うというのが,たぶん当時考えていた自立かな。
杉江:私の応答の意図は,今言ったような投げすてた気持ではなかったのですが,その時の私の言葉をどう感じましたか。
永野:「ないなって」と思いました。(会場,笑い。)
杉江:「どうして」とか,「少しまたゆっくり考えよう」とか言いようがあったと,今になって後悔していますが,本当の気持ちは,訓練がどうかという評価のことではなく,今向かおうとしている道に進みながらADLの力をつけるような選択のほうがいいのかな,と思っていたのです。それではここで,当時の担任である橋先生から報告してもらいます。
橋:私は,彼女が1,2年生の時には教科担当として,3年生で担任になりました。先ほど杉江先生がおっしゃっていたように,彼女にはたくさんの先生がかかわっていただいて,私はたまたま担任であったに過ぎない立場だと,今振りかえって思います。最初は1,2年生頃には授業中でも物思いにふけることがよく見受けられましたし,自分からも「今,ちょっとよくないことを考えているの」と授業中にボソッと言ったりすることもありました。3年生になってもそのような過程に苦しんでいる様子が見られました。この報告も,そのような彼女の言葉や表情,そういうところからくみ取ったことを,私が感じたままにまとめています。
 1年生の時には,他の高校生と一緒に参加する行事の機会があっても「いやだな」と言ったりしていましたが,2年生になると一緒に交流の授業を受けたりすることができるようになりました。3年生の時には外部の公開会場で模擬試験を受けたり,その会場でたまたま他の高校で教えた生徒から声をかけられ,私が会話するのを傍で聞いて笑ったりすることができ,その頃から少しずつ健常者の中に入っていくことができるようになってきたのかと感じるようになりました。
 本校の進学体制ですが,彼女が入ってきた頃は学校が開設されて3年目ほどで,まだ大学進学を志望する生徒もあまりいない状況がありました。その時に彼女の自己実現を目指し,大学進学を見据えた指導体制を整えようと進学指導委員会を設置することになりました。委員会には担任,進路指導,各教科担当者が参加し,また推薦入試には小論文が必要ということで,担当する先生にも入ってもらいました。そして,彼女の3年間の指導をどう進めていくか考えることにしました。月1回ぐらい委員会を開いていました。彼女は覚えているかどうか知りませんが,1年次の総合的な学習の時間があまり好きでなく,進路科の先生は個人的に好きだけど,進路の時間はいやだと言ったりしていました。私としては当時,彼女は進学に対して意思を固めていないのかと感じていました。まだ自分でなにができて,なにをしたいのかまだ整っていない段階で,進路の課題を見せられていると彼女が感じ取っているように見受けられました。しかし,いろいろ当時の資料を見返してみますと,2年生の後半になってから,先ほど出ていましたが,社会福祉士になりたいなという気持ちが芽生えてきて,まだ進学先ははっきりしていないけれど,なにを目指したいのか固まってくるにしたがって,授業に対する姿勢が変わってきたと感じています。
 小論文を書くということでは,彼女は自分の思いをどうまとめるかで,とても葛藤を感じていたようです。受験の志望理由欄の記入についても,はじめは自分の障害には触れず,子どもとかかわる仕事が好きだから,ということでした。やがて,受傷前の自分と障害を持った自分の立場という2つの視点から社会福祉の仕事に従事したいという志望をはっきりまとめることができるようになりました。彼女の性格からして,自分の気持ちが固まらないで書くということはできなかったようです。そこに行くまでとても大きな葛藤を感じていたのだと思います。書くということは,この小論文だけでなく,国語の時間でもそうですし,「17歳へのメッセージ」にも挑戦したりして,自分に向き合うことだったのかと思います。この内面の成長の過程で多くの先生がかかわってくださったことがありがたかったですし,大きな支えとなったのだと思います。
 彼女の成長に大きく影響を与えたことがもう一つあります。それは同級生に脳性麻痺のある生徒がいて,彼女の行動力が永野さんを圧倒し牽引していき,高等部進学へのきっかけとなったと思います。この同級生は,京都で大学生になり一人住まいをしています。卒業時の永野さんの作文に,彼女の行動力,挑戦力は到底まねできないと書いています。彼女とは「DO IT JAPAN」のプログラムにも一緒に参加することで,障害観が大きく変わったのかと思います。このプログラムには自分の障害についての質問項目がたくさんあり,1年生の時には参加できなかったのですが,2年・3年次で参加できたのは,この欄に書いたことが認められるように成長したのだと思います。彼女とのつながりは今現在も続いていて,障害のある人の生き方に刺激を受けながら今日があるのかと思います。(中略。金沢大学への入学が決まってから,本人・保護者が参加し,大学や県リハビリテーションセンター等との協力・連携による永野さんの個別の教育支援計画が作成されることが述べられた。)
杉江:ありがとうございます。いま永野さんと橋先生のお話を聞いて,いくつか質問をしたいと思います。まず永野さんから。先ほど進路科の先生は個人的に好きだけれど,進路の話は嫌というのは,どういう理由ですか。
永野:たぶんその時の先生のしてくれた進路の話が,自分の考えていた将来のイメージと合わなかったので,たぶん私の問題です。
杉江:そのイメージはどういうイメージですか。
永野:もう覚えてないかもしれません。(会場。笑い。)
杉江:うまいですね。総合的な学習で同世代の他の高校生との交流があったのかと思いますが,交流へのハードルがだんだん低くなり,その後には公開の模擬試験を受けるとか,そのような気持ちの変化をどう感じていましたか。
永野:今,橋先生が他の同世代の高校生と徐々に付き合うことができるようになったことを話してくれましたけれど,やはり嫌なものはずっと嫌で変わらないのですが,自分を納得させる方法がうまくなっていったのかな,と思います。
杉江:それは折り合いをつけることが自分でできるようになったということですか。
永野:そう思います。
杉江:橋先生にうかがいます。進学指導委員会の場で進学の体制をどうするかということが多かったと思いますが,内面的にはこんな壁にぶちあたっているのではないか,という彼女の内面の支援についてはどうでしたか。
橋:記憶は定かではないですが,はじめは授業時数とか補習をどうするとかの指導体制に多くの時間が割かれたと思います。小論文が入ってからは,彼女の内面についての話は出たかと思います。しかし,どのように支援するかまではいかなかったように思います。
杉江:組織としてはそういう体制ではなかったと私も思います。しかし,進路担当と1,2年次の担任の先生と橋先生と私の4人の間では,十分でなかったけれど,その時々の支援の必要性について結構頻繁に情報を共有しようとしていたといえるのではないでしょうか。
 この大会の発言要旨集に,受傷後にリハビリを受けた時の印象について椎名さんが話してくれたことをまとめたのですが,最後に当時のことを少し説明してくれますか。
永野:当時,受傷したばかりなので,今後の自分がどうなっていくのか,将来の自分のイメージというか,どんな生活になるのか全く見えていなかったです。リハビリの先生方は,将来の私のことを考えて必要なことを提供してくれたと思いますが,なんのためにリハビリをするのか,説明を受けることは全くありませんでした。また,どんなリハビリが受けたいのかと聞かれても,当時の私にはわからなかったのではないか。しかし,漠然となんのためのリハビリか,という気持ちがありました。
 今は杉江先生や橋先生とこのように対等に話せるけれども,当時にPT・OTや教師の方々とそういう関係かあったらよかったと思います。私がその時に考えていることに対して否定をしないで,一緒に考えてくれたり,ときどき専門的な立場から意見を言ってくれる関係性があれば,もっと精神的に楽になることができたのではないかと思います。そのようことを当時の私が気づけばよかったのかもしれませんが。
杉江:ありがとうございます。先ほどの進路科の先生の話のように,永野さんの将来のイメージと,教師というか専門家のイメージとが重なり合わなかったということが,今日はじめて明らかになりました。私たちが永野さんの将来の生活のイメージや不安について早く聞き取ってあげられたらよかったと思います。また,今日の永野さんとの語り合いの中で,成長とはいつも右肩上がりばかりでなく,内面の揺れ動きと変容の中で達成されていくということも明らかになりました。
 ここで対談が終わり,河合先生のパネルディスカッションのプロットについての再度の提言があり,指定討論に移った。

<指定討論>

 医師である愛知医科大学教授の木村伸也さんは「『自己実現』を支える総合リハビリテーション~リハビリテーション医療に求められるもの~」という観点から提言された。事前に河合さんから送られていた当事者である永野さんの声,「なんのためのリハビリテーションか分からなかった(当事者の結論)」,「PTや医師からも,そのことについてはひとつも話がなかった(専門職の行動)」,「自ら聞こうという気持ちも失せていた(当事者の態度)」という問題と背景をリハ医療の立場から深く反省し分析された。そこにはリハ・プログラムの画一化がある,という。①専門職としては同じ病気・同程度の機能障害というと一定の機能訓練を想定し実施しがち,②移動・身の回りなどの生活動作について,入院中の自立と将来の実行状態の非連続性に気づかない,③情報収集範囲の狭さ(家屋・介助者の範囲)があり,潜在的な促進因子まで目が届かない,④当事者の個性を理解することなく,狭い(希望の)選択肢を設定し,個人史を知ろうと努めない(潜在するニーズをイメージできない),⑤結局,リハ・プログラムの画一化になり,マイナスを減らすことを優先するあまり,将来その人でないと果たせない独自な役割をイメージして,リハ・プログラムを創造することができない。木村さんは外来患者42名の調査「当事者困難度と医療側評価との違い」の結果から,当事者困難度と医療側評価との間にはほとんど相関がないことを指摘し,リハ・プログラムの画一化を克服する必要を鋭く提起した。そのことに関連して,いくつかの事例から患者さんの思いを紹介した。
 かつてリハビリ専門職の経験を持つ神経難病で呼吸器使用の患者さんの悔しい思いは,いつも重度の障害者として扱われる中で,「私に『復職したいのでしょう。だったらそこを目標にすればいい』といってくれた人(セラピスト)は1人だけです。」「そのような関わりで自分の存在感や人としての尊厳のようなものを感じることができたような気がします。」(スライド資料から)という当事者の思いを紹介した。口頭説明の事例では,患者(主婦)には「入院中に夫がすでに家事の代行をしてくれている。不自由な身体で調理して時間がかかることを家族が待ってくれないかもしれない。」という不安がある。しかし時間がかかってもその人でしかできない得意な料理を作ったらどうか,という支え方はできるのではないか。聞く姿勢の徹底,本人のプラスの芽を伸ばす見方が専門職に必要ではないか。当事者と共感しながら支えるリハビリの在り方を深く考える提言をいただいた。 次に仙台市泉区保健福祉センターの福祉職である矢本聡さんは,「主体性と専門性」の観点から支援の在り方について提言した。永野さんの話に関連させるために,ある事故で車いす生活になった16歳の女子高校生の事例で考える。まず,客観的事実として彼女の体がどうなっていて,なにができるのか,ということがある。しかし,彼女がこれからどんな生活をしたいのか,また16年間という今までの人生でなにを大切にしてきたのか,それがわからなければ支援ができない。そうこうしているうちに退院の時期がきて,車いすはどうするか,自宅のトイレ,風呂はどうか。自室が2階というが,1階に移すことができないか,それがダメなら住宅改修等々の課題対応に時間が費やされる。ようやく一段階が過ぎて,これからの支援計画をどうするかとなる。昨日の厚生労働省専門官の講演にあった計画相談支援で考えてみよう。相談事業所を紹介したいがどうかと提案すると,なかなか「うん」と言ってくれない。らちが明かないで困っていると,彼女自身の方がどんどん変わっていく。どういうことかというと,彼女の車いすを作ってくれた業者が車いすバスケットをしている方で,一緒に見学しようということになった。彼女は小学校の時にミニバスケットをしていたので興味をもったようだ。会場に行って,バスケットをしている車いすの女子大学生と親しくなり,自分もやってみたいと思うようになった。自分もやって楽しむことができそうだ。
 このことがきっかけで,彼女のこれからの生活について一緒に具体的に考えていくことができるようになった。まず学校生活をどうするか。いま在籍している高校はどうかというと,復学は同意するが,エレベーターがないので,保健室登校にしてほしいという。彼女としてはとても納得できない。そこで肢体不自由特別支援学校はどうかということで,これから学園祭があるから見学に行ってみたいという。このような過程を経て,今,相談事業所を入れて計画相談を進める段階にきている。
 ここから福祉の仕事の専門性ということになるが,彼女の希望する生活から目標を立てたい。すでに病院の医師,OT・PTがいる。訪問リハや相談機関等のPT・OTやケースワーカー等の従事者,それから特別支援学校に転校することになれば教員にも加わってもらいたい。関係する支援者全員が連携して計画を作りたい。計画を作るには共通する軸が必要であるが,昨日の研究大会で学んだICFの考え方を生かしたい。彼女はいますぐに新しい生き方はできないかもしれないが,一人一人に自分らしい人生があるということから,彼女らしい目標を立てることができればいいなと思っている。そこから支援の方略を立てていきたい。しかし,支援者は本人の主体性を支える黒子であるべきでないのか。そのような立場から支援者が全員連携して個別性や柔軟性のある,そして当事者の将来を大切(先見性)にする支援を開始し,まずは小さな一歩を進めたいと考える。
 このように前半の永野さんの支援の在り方をさらに深める2つの指定発言があり,全体協議に入ることができた。

<全体協議>

 最初に杉江さんから高等部1,2年生の担任をしていた先生の紹介があり,発言をしていただいた。永野さんが1年生の時期の沈んだ様子から2年生,3年生と積極的な学校生活を送るようになっていく様子を振り返りながら,彼女が生徒全員の名前を覚えたいと登校する一人一人に挨拶をしたり,卒業前には「徹子の部屋」をまねた「緑の部屋」で自分の障害について語る姿を見て,彼女の成長ぶりに感動したこと,担任としてはどう話し,どう聞いたらいいか正直にいって戸惑いがあり,今日ここで明らかにされた「生徒の気持ちを聴き,待つことができる教師」について,これからも考えていきたい,と述べられた。
 次に日本リハビリテーション連携科学学会理事長である奥野英子さんから,今日はとても内容のあるシンポジウムに参加できてありがたいが,今,石川県の学校における実践と仙台市における取り組みを聴き,後者にはソーシャルワーカーが大きな役割をもって展開しているのに,学校における支援については,社会リハビリテーションの立場について全く取り上げられていない点に疑問をもつ。社会リハビリテーションは国際的に障害がある人の社会生活力を高め,自己実現する権利を行使することと定義されている。かねてより特別支援学校で児童生徒にこのような力を育てることが必要と考えてきたが,いかがだろうか,という意見である。この点について杉江さんは,その趣旨に賛成であるが,今回の準備でそこまで組織する時間的な余裕がなかったので,率直にお詫びしたいとの応答があった。
 またこの大会の準備に当たった大川弥生さんから,特別支援学校の校医から始まったご自身の経歴から,多職種の連携の在り方について提言された。総合リハビリテーションの立場からは,学校にすべての職種をそろえることが最重要事項ではなく,職種を異にする専門職がいる場合に,お互いの立場を尊重しながら率直に意見を言い,学び合うことができる教師の在り方が一番大切なことではないか。そして,児童生徒が幼い時にはいろいろな状況を判断し理解することができない,年齢と経験を積むとわかってくることがあるので,その子の状況に応じて選べる選択肢をなるべく多く用意することが発達過程にある子どもにとって大切で,今思い出すと特別支援学校の難しい課題ではないか。
 このような提言と協議から,冒頭の河合さんによる生徒本人の主体性の尊重,教育の専門性の在り方の問題提起から当事者本位の総合リハビリテーションの在り方へと理解を深めることができたシンポジウムであった。

(文責:松矢 勝宏)

1)第36回総合リハビリテーション研究大会要旨集,2013年10月,30ページで,河合さんは第164国会衆議院文教科学委員会第18号(2006年6月9日)から「何のためにこれほどたくさんの一般教員免許状を持った先生ばかり配置しているのか,さっぱりわからぬわけです。これを,先生の数を思い切って半分くらいに減らして,PT,OTなどの訓練士をその分入れれば,すばらしい療育機関になると考える,これはどなたも同じように考えられると思うんですよ。」という国会議員の発言を引用している。


主題・副題:リハビリテーション研究 第158号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第158号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第43巻第4号(通巻158号) 48頁

発行月日:2014年3月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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