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「JANNET NEWS LETTER」
(January 2000 第24号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<メンバーズプロジェクト>

アジアの障害者文化交流協会

代表 五十嵐 紀子

組織づくりのきっかけ
1988年、私は視察訪問で、シンガポールとマレーシアの各視覚障害者施設を訪れた。両国の比較の中で、シンガポールはかなり諸施策は進んでいるが、マレーシアは、未だ未だの感が強かった。そこで、何かで役に立てるとしたら、どうすればよいのかを考えた。その結果、ただわずかな資金だけを贈る形はとらず、日本とマレーシアの当事者も含め、交流を深めながら、手伝えることができたらと考え、翌1989年にアジアの障害者文化交流協会を設立した。そして、具体的な活動を始めることとなったのである。

スポーツの交流
最初に何を手がけるかを皆で相談した。元来視覚障害の方々との関係を深めていたわれわれの活動分野で、スポーツと音楽の交流を中心に始めてみようということになり、盲人卓球を行うことにした。そのための盲卓球用具を贈るため、50万円目標の募金活動が始まった。2か月足らずで目標額を達成し、盲卓球台とラケット、ボール等用具一式を船便で送り、私たちは7月に約20名で先方に出かけた。私たちが到着した日に卓球台が届き、贈呈をすると同時に、ルール説明、実技を通して交流ができたことは今でも鮮明な記憶となって残っている。その後、盲バレーの用具贈呈、交流をマレーシアで実施するとともに、中国天津市、ベトナムにおいても、その交流を行った。

音楽の活動を通して
1990年春、マレーシア・日本両国の音楽交流をしようということになり、事前に2回訪問し、打ち合わせを行った。そして、11月22日、藤沢市内の約700名規模のホールでコンサートを行ったが、日本側からも視覚障害者中心のバンド、グループの協力をいただき、マレーシアからは3名の演奏者と2名の付き添いで来日された。先方5名分の旅費と出演料のほかに、ライオンズクラブの方々の協力も得て、50万円の寄付ができて、これはその後建て替えられる先方の訓練センターの建設資金の一部となった。
また、1993年には、2回目の音楽交流を、国王出席のもと、クアラルンプール市内のホテル・シャングリラで行った。こちらからは、プロの視覚障害の声楽家と、全盲のハーモニカ演奏者に同行・協力をいただいた。これも大成功で、約200万の寄付と、日本より持参した30万円の寄付の贈呈をおこなった。その他マレーシアの視覚障害者授産施設製品の委託販売などを通して、クアラルンプールの新し い訓練センターづくりに協力したが、その建物内のコンサートホールにピアノの寄贈をした。

中国天津市の視覚障害者との交流
前述のように、天津市の視覚障害者たちとの交流は盲人バレーから始まったが、その時先方のテレビ局の取材で、中国の障害者はまず生活のことを考えなければならず、な ぜスポーツなのかとの質問を受けた。いきなり頭を強くたたかれた思いもしたが、ハングリー精神とスポーツマンシップをもつことは、長い目で見て人格形成にプラスに働く と確信していると答えた。その後盲バレーを継続して練習するために必要な経費の一部を寄付する形で支援している。
このほか、日本から中国へ、中国から日本への視察も相次ぎ、天津市の行政の方々、障害者団体の役員等も来日、2000年3月には婦人団体の役員の訪日も受ける予定である。 こうした活動を通じ、今ではEメールを通してマレーシアや中国関係団体などと、タイムリーな活動を推進している。

  • 1988年  MAB(Malaysia Association for the Blind)訪問。寄付をする。
  • 1989年
    アジアの障害者文化交流協会設立。盲卓球台贈呈の募金活動。
  • 〃   7月
    MAB訪問。盲卓球台贈呈。
  • 〃   9月
    光友会他神奈川県福祉施設視察受入
  • 1990年
    マレーシアを2回訪問。
  • 〃  11月
    交流コンサート、寄付贈呈式(藤沢市)
  • 1993年
    チャリティディナーショー(マレーシア)日本より応援出演。寄付持参、贈呈。
  • 1994年
    授産施設所長来日。北京盲学校見学(盲バレー普及)
  • 1995年
    天津市において盲バレー用具一式寄贈と講習会
  • 1996年
    MABにピアノ寄贈
  • 1997年
    日本の盲老人施策について講演
  • 1998年
    ゆめ国体観戦来日グループに対し、京都、神戸等案内と文化の紹介
  • 1999年
    マレーシア盲人柔道普及のための畳の寄贈