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「JANNET NEWS LETTER」
(April 2000 第25号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<海外便り>

タイ国を巡ってCBRを考える

日本理学療法士協会・青年海外協力隊技術顧問 田口順子

  中近東における隊員たちの巡回指導に次いで、昨年11月にはタイ国へ出かけた。今回は首都バンコクを基点に北部を西から東へ縦断する形でピサヌローク、ターク、コンケンと巡回、各地で活動する隊員達の姿からは、任地赴任前のあの不安そうな表情は失せ、山積する難題に正面から取り組んでいる積極さが伺われ、頼もしい限りであった。
青年海外協力隊は現在、59か国の開発途上国に約2,500名の隊員を派遣しており、その職種は約160職種、中でも福祉分野の隊員派遣数は年々増加の方向にある。これまで経済協力優先であった方針から21世紀の人道的援助として人間開発、社会的弱者の救済等が打ち出されている。
タイ国と協力隊の取り決めは1981年に行なわれて以来、タイ国と日本の人と人との繋がりは深まり、層の広さ、厚さの面でも信頼関係の構築ができているといわれる。現に96年NGOの活動をみても、国際協力に300万円以上使っている217団体のうちフィリピン58、タイ48、ネパール39、カンボジア34、インド30等となっておりタイ国は第2位、仏教国タイ国はNGOのメッカともいわれる。
協力隊ではタイ国への協力支援の重点事業として1)日本語教育、、2)山岳民族自立支援、3)障害者福祉支援、4)地域農村開発を打ち出した。タイ国の協力隊員数は現在、50名でうち福祉隊員は養護教員、理学療法士、作業療法士等10名にのぼっている。
首都バンコク周辺には全土の障害児・者入所を対象とした公共保健省下の大規模な施設が点在しており、福祉隊員もほとんどこの地域にかたまってIBR(Institution Based Rehabilitation:施設型)援助に従事している。NGOのCBR活動に比較すると国の政策としてはかなり立ち遅れているが、教育局所轄下のセーサチアン聾学校では早期発見、早期治療にCBR活動を専任とする隊員の増員を要請している。NGOタイ障害児財団ではこれまでに隊員がアウトリーチ型CBRとしてタイ東北スリン県のCBR活動の拠点に積極的に加わり15か所以上の村々に出かけている。
CBRに参加する隊員の心構えも専門職意識を棄てプロ過ぎない技術の提供とワキ役に徹することでキーパーソン不在の村では障害児・者の直接指導と母親たちのネットワークづくりをはかれることは見事である。しかし、隊員の任期は2年、最初の1年は現地語が充分にできないこともあって拠点とする施設が地域ケアに出したがらないこと、隊員たちもコミュニケーション力量不足を認識して積極的に出かけられない因子がある。結局、隊員たちのCBR活動は実践の積み重ねとはなれず、モデル事業、パイロットスタディの域を越えず、障害者達を主役として押し上げ、CBR基盤を定着していくまでにはいかず、継続性、連続性のないことが残念である。語学の問題さえなければ、自由裁量の広い福祉隊員の連続性をODAとして支援していくべきか、臨機応変に対応できるNGO参加型で広く村落開発の中で行なうべきか障害福祉分野における国際協力の課題であろう。モン族、ヤオ族の集落に隊員がCBRとして入った経緯があるが、現在は山岳民族自立支援に7名の隊員がプロジェクトチームとして入り込んでいるが、障害福祉隊員は参画していない。総合された村落開発に障害者の存在を無視した開発はありえない。また、今回要請のあったハンセン病部落への派遣についても日本では5年前、らい予防法がなくなり、時の厚生大臣も「らいの隔離政策は誤りであった」と公言したにもかかわらず、まだまだ一般の理解は得られず公募しても充足できるかどうか。ハンセン病の人1,000人、健常者2,000人の住む村には活気があふれ、適合していない義足をつけ農耕する姿、手指のない腕で原付バイクのリヤカーで学童達を送り迎えしている姿などリハが行なわれていればこうはならなかったと言われたハンセン病センター長のことば強く印象に残った。