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1年を過ぎたJDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動概要と防災対策提案

JDF被災地障がい者支援センターふくしま
代表 白石 清春

1.JDF被災地障がい者支援センターふくしま活動報告

(1)2011/03/11 郡山市総合福祉センター3Fで地震に遭う。

 私は仲間たちと総合福祉センター3Fで気功体操を行っていた。携帯のアラームが鳴ってすぐにものすごい揺れが襲ってきた。その揺れがだんだん激しくなって、5分ぐらい続いただろうか。その後も余震が短い間隔で襲ってくる。エレベーターが止まってしまって、ヘルパーさんや隣の部屋で会議をしていた方たちに抱えてもらって1階に降りる。電動車いすも降ろしていただく。倒壊している建物は数えるほどであったが、塀のブロックや屋根の瓦が道路に散乱していた。

 あいえるの会(白石が理事長を務めている障がい者団体。自立生活センターや生活介護事業所を運営)の事務局長があいえるの会事務所の近くの利用者宅を自転車で回る。次の日は、あいえるの会の職員が手分けして郡山市内の全利用者宅を回って安否確認を行っていく。

安否確認

(2)障がい者用避難所設置を郡山市に要望

 利用者宅を回った結果、家が半壊したり、家の荷物が散乱しているために生活が困難な者が大勢いる。その者たちの避難先をと、郡山市に掛け合った結果、一般避難所であった郡山市障害者福祉センターを障がい者用避難所にしていく。あいえるの会職員等が三交替で利用者の介助にあたる。障がい者福祉センターには多い時で30名にのぼる障がい者が避難をする。長い人で1か月間避難生活を続ける。

障がい者用避難所設置を郡山市に要望

(3)被災地障がい者支援センターふくしまを立ち上げる

 3/18に滋賀の障がい者事業所から支援物資が届けられた。支援物資と共に大阪のゆめ風基金の方がみえられて、福島県に被災地障がい者支援センターふくしま(以下、支援センターと略す)を立ち上げたらという提案がある。次の日に関係者で協議した結果、支援センターの活動を行うことになる。初めあいえるの会に支援センターの事務所をおいていたが関係者が大勢みえるようになり、支援センター独自の事務所を借りて、さらに福島県内22の障がい者団体に支援センターの構成団体に加盟していただくことができる。4/6には新しい事務所を構えてJDF(日本障害フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしまを正式に立ち上げ開設式を行った。

被災地障がい者支援センターふくしまを立ち上げる

(4)支援物資を被災地に届ける活動から始める

 全国各地から支援物資が届けられてくるようになり、地震や津波によって多大な被害をこうむった浜通り各地(いわき市、相馬市、南相馬市)に物資運搬拠点(障がい者事業所)を設けていき支援物資を運んでいく。

(5)福島県障がい者相談支援強化・充実事業が始まる

 福島県内の被災した障がい者の相談支援を、2011年の6月以前には郡山の相談支援事業所の仲間たちが連携して行っていたが、片手間には相談体制が図れないので、福島県に再三にわたって要望していく。2011年の6月からあいえるの会で委託するという形で、支援センターに相談員を置くことができるようになった。障がいを持つ事務員も併せて雇うことができる。2012年度の相談支援強化・充実事業は、福島県内各地の相談員の充実を図った形で継続が図られている。いわき地区、相双地区、県北地区、会津地区に支援員を配置していくようになっている。

 相談支援強化・充実事業の事務職を勤めていたMさんが2012年8月から12月までデンマークの大学に保養留学で行っている。Mさんは20才の頚椎損傷なのだが、完全に自己受容ができていて度胸もあって、デンマークから帰ってきた後の成長ぶりを見るのを楽しみにしている。

(6)福島県全域の避難所を回って、被災障がい者の所在確認とニーズ調査を行う

 JDFの構成団体であるJD加盟のきょうされんからボランティアさんが大勢みえるようになる。ボランティアさんたちにお願いして、福島県全域の避難所を回っていく。約200か所の避難所を回り、100名以上の障がい者に会うことができた。しかし、重度の身体障がい者は避難所ではあまり見かけなかった。避難所に入ることができずに駐車場に車を止めての生活を送っていた自閉症児の家族、避難所内で堅い床に寝ることができずに10日間ものあいだ車いすの上にいた身体障がい者、1か月もの間お風呂に入ることができずにいた障がい者等、避難所での生活は障がい者にとっては過酷なものであった。避難所の多くは学校の体育館を使用していて、出入り口に段差があったり、トイレにしても車いす対応にはなっていないところが多く、障がい者の多くは避難所の生活を嫌って違うところに避難したのではないだろうか。

福島県全域の避難所を回って、被災障がい者の所在確認とニーズ調査を行う

(7)南相馬市から障がい者名簿をいただいて、被災障がい者の実態調査を行う

 地震、津波、原発事故の影響から南相馬市では7万人の人口が1万人まで減ったことがあり、現在は4万人まで戻ってきているが…。そのような過酷な状況下で在宅の障がい者はどのような生活を送っているのかを調べていかなければならないということから、支援センターの関係者たちが南相馬市に幾たびも足を運び、地元の障がい者事業所の代表の方と連携し、南相馬市に働きかけた結果、南相馬市から障がい者名簿の開示があってようやく障がい者の実態調査を行うことができた。その実態調査によって、障がい者福祉サービスに結び付いていない者が大勢いたり、年老いた親御さんが障がい者であるわが子の面倒を見ていたり、大変な状況であったことが判明する。大震災当初、避難できないでいた者は高齢者や障がい者を抱える家族であった。

(8)障がい者の支援(入所)施設を回って

 私たちの仲間が郡山市にあるビッグパレットに設置された大規模避難所を回った折に、その避難所の担当のドクターに話を聞くことができた。そのドクターは富岡町で病院を経営していて大震災に遭われ、避難の際に酸素ボンベが無くなって、多くの患者さんを死に追いやってしまったという経験があり、高齢者や障がい者が避難所での生活から命を落とすことにもなりかねないと思ったそうだ。そして、福島県内外の施設に割り振って避難させたという。県内の自立生活センターの仲間たちが連携して福島県内の支援(入所)施設を回って現状を把握していった。大震災当初は避難していた障がい者はいたが、落ち着いてきてから自分の家やもといた施設に戻っているということであった。高齢者施設に障がい者が入所させられているケースもあるかもしれないので、今後その調査も必要であると思われる。または、県外の支援(入所)施設の調査が必要であると思われるが、なかなか難しい課題である。

障がい者の支援(入所)施設を回って

(9)南相馬市等の障がい者事業所に職員の補佐役を派遣

 原発事故による影響から南相馬市等の障がい者事業所では、若い職員が県内外に避難しているところが多く、職員が少ない状況で事業がひっ迫している。なお、震災で立ちいかなくなった事業所があり、行くところのなくなった利用者さんたちが職員の少なくなった事業所に集まってきている状況がある。職員の少なくなった事業所に対して、きょうされんや全国社会福祉協議会から職員の補佐役の人材を派遣していただいている。この活動が福島県から認められることとなり、2012年の1月から福島県福祉・介護員マッチング事業が始まっている。支援センターに職員を配置して、福島県内の事業所と全国各地から来られる方たちをうまくマッチングさせていく事業を始めている。しかし、このままの状況を維持することには限界があるだろう。福島県内で福祉関係事業所の職員等を確保していく方策を考えていくことも必要ではないだろうか。

南相馬市等の障がい者事業所に職員の補佐役を派遣

(10)仮設住宅の調査

 2011年の夏ころから福島県内に仮設住宅が建設されてきた。ボランティアさんの力を借りて大部分の仮設住宅を回って調査活動を行ってきた。仮設住宅にはスロープ付きのものがあるが、その住宅に障がい者が住んでいないなどのミスマッチが起きている。なお、車いすの障がい者に対応した仮設住宅にはいまだかつてお目にかかれていない。今までに何度となく大きな大震災を経験しているにもかかわらず、今回の大震災においても仮設住宅のつくりはいっこうに変わらなかった。

(11)被災障がい者交流サロン「しんせい」をオープン

 2011年の11月に被災地障がい者交流サロン「しんせい」をオープンしていく。サロンは、被災障がい者の交流の場に活用していきたいという目的があって開設した。サロンの活動が福島県に認められた形となって、2012年の1月から福島県障がい者自立支援拠点整備事業という形で事業を展開している。新たに障がい者のスタッフ等を雇って、郡山市の近くの仮設住宅やみなし住宅に住んでいる障がい者等に対しての支援を展開していくシェルパ(移動カフェ)活動を始めているが、仮設住宅で付き合っているのは高齢者が多く、障がい者との交流がはかれてはいない。今後の課題である。または毎週火曜日にヨガ教室、シネマカフェ、バルーンアートなどのミニイベントを開催し、被災障がい者や近隣に住む障がい者等に呼びかけている。1年間の活動を通して、ようやく被災地の行政との関係ができつつあり、これから被災障がい者の個別支援が行われると思われる。

被災障がい者交流サロン「しんせい」をオープン

(12)サテライト自立生活センター(避難拠点)を神奈川県相模原市へ

 原発事故の影響からいまだに放射性物質が飛散している福島県である。放射性物質による被害で一番はじめに子供たちが犠牲となる。次に免疫力の低下した障がい者や高齢者に犠牲の矛先が向けられていくと思われる。また、障がい者は避難先での住環境が整っていないと避難することは難しい。そのような点を考慮して、相模原市に旧ケア付き住宅(私が相模原にいた時分に建設された)を借り受けて避難拠点とした。2012年の5月末に1人の脳性まひ者が相模原に避難していった。8月の終わりにはもう1人の脳性まひ者が移住して、相模原を中心に自立生活センターをつくっていく運動等に取り組んでいくことになっている。その他に東京都、新潟県、兵庫県、広島県に各地の自立生活センターの仲間の支援を受けて数名の障がい者が避難している。2012年の夏には、障がい児の保養ツアーを実施していった。保養ツアーに関しては継続していきたいと考えているが、支援センターの人材不足と活動資金の不足で活動が立ち往生しているのが現状である。

(13)UF-787プロジェクトの活動

 福島県内の障がい者事業所では農業などの就労関係作業を行っていた所があったが、その農地のベクレル量が非常に多く農作業ができないでいる。農地の除染を行うために放射性物質を吸着するという菜の花やひまわりを植えていこうという活動を行っている。ひまわりの茎や葉や根に放射性物質が吸着することは確かめられたが、ひまわりなどの残滓をどのように処分していくのかがまだ決まっていない。2012年6月2日にひまわりの種を障がい者事業所の農場に蒔いていく「みんなで植えようフェステバル」を行っていった。UF-787プロジェクトでは、ベクレル量の高い農地にひまわりの種を蒔くこととは別に、全国各地の提供者からひまわりの種を分けていただき、その種を搾った油でなんらかの商品を生み出していきたいと考えている。

(14)つながり∞ふくしまプロジェクト

 大震災によって、福島県内の事業所に企業等からの仕事が回ってこないなどの事態が起きている。利用者さんたちに工賃が支払われない事業所が存在している。南相馬の7つの事業所が連携し、南相馬ファクトリーというグループを作って、缶バッジのデザイン制作、缶バッジづくり、缶バッジの包装等と各事業所で仕事を分担して、インターネット等による缶バッジの生産、販売を行っている。支援センターとしても全面的に応援している。また福島を応援している全国の企業家等との連携のもとに、仕事のなくなった障がい者事業所の利用者さんの新しい仕事おこしを考えていくワークショップなども開催していっている。

南相馬の7つの事業所が連携し、缶バッジの生産、販売

(15)原発事故による賠償問題に関する学習会

 2012年の1月29日にJDF・日本弁護士連合会・福島県弁護士会との共催のもと、「障がい者のための分かりやすい東電賠償学習会」を郡山市のホテルハマツで開催した。関係者も含め参加者は100名を超えかなりの関心度であった。勉強会開催後、支援センターに原発賠償に関する問い合わせが多くなってきている。支援センターの職員が初歩的段階での対応が出来るように内部の勉強会を行っていかなければならない状況になってきている。支援センター内部の勉強会と併せて、福島県内の弁護士さんや賠償関係団体との連携をさらに深めていかなければならないと考えている。第2回目の勉強会は2012年5月29日にいわき市で開催された。5月に行われた学習会では障がい当事者だけでなく、支援者にも勉強していただくことを目的とした。その後、南相馬市(6/29)、福島市(8/25)、会津若松市(8/26)でも学習会を開催していった。

2.支援センターの活動を通して浮き彫りとなった問題点とそれを解決するための提起

(1)障がい者の避難のあり方

 大災害の際には、誰もがパニック状態になってわが身の安全を図るのに精いっぱいだろう。そのような状況下では障がい者など手のかかる者の救助に関してはどうしても後回しになってしまう。大災害の際には、誰もが平等に避難しうる体制をどう作っていくのかという一点に集約されるだろう。その具体的対策として、

ⅰ 障がい者の住む地区では、住民間の情報の共有とふれあいの強化を図っていく。住民同士の顔の見える関係を作る。そして、地区間で継続的に避難訓練を行っていく。

ⅱ 地方自治体がもっと積極的に市民に対する防災に関するマニュアルを作り、それに沿った形で防災訓練を行っていく。防災に関するマニュアルづくりの際には、その作成委員の中に障がい者の参加を図る。

ⅲ 東日本大震災の際の支援体制で明らかになったことは、障がい者が主体的に運動している団体のある地域では「仲間たちの支援にあたっていこう」という掛け声のもと積極的に支援活動を行っていった。それに対して障がい者自身が動いていない地域では、障がい者の支援活動が後手後手に回ってしまっている。または、障がい者の自立志向が高まっている地域では、自立障がい者の意識の反映により施設入所ではなく、地域での生活を求める障がい者の数が多いことも考えられる。それから、自立生活センターのある地域では、多くの障がい者に対して福祉サービスを提供しているので、サービスを利用している障がい者とのつながりは大きい。このようなことを踏まえ、障がい者が主体的に活動をできるような団体の育成を図っていくことも大事な要素ではないだろうか。

(2)被災地における障がい者の名簿開示

 1995年の阪神淡路大震災の際には、障がい者団体の積極的な動きによって行政から開示された障がい者名簿を頼りに、障がい者の安否確認を行ったという話を聞く。今回の東日本大震災の際には、個人情報保護法の厚い壁があって障がい者の名簿開示には至らない場合がほとんどであった。今後も大震災が起こるだろうから、障がい者の名簿開示を明確に図っていく必要がある。それを実現していくために、

ⅰ 大災害が起きた際には、各地方自治体は要援護者名簿を含め障がい者の名簿開示を行い、迅速に障がい者の避難にあたること。名簿開示にあたっては、法制化や条例化を行うこと。

ⅱ 各地方自治体と各地の障がい者団体等、町内会等との間で綿密な協議を行い、障がい者の名簿開示に関する具体的な方策・手順を決めていき、具体的防災対策を企画していく。

(3)避難所のあり方

 今回の大震災においても避難所として指定される場所は学校の体育館や公共施設など、まだまだバリアの多い建物を活用している。避難所を訪ねて、過酷な避難生活を強いられていた障がい者が存在していた。過酷な避難生活になることが分かっているので、障がい者の多くは避難所による避難生活を避けたのではないか。望ましい避難所のあり方は、

ⅰ 避難所として活用していく建物はすべてバリアフリーの構造に改修していく。

ⅱ 車いすの利用者等誰でもが利用できるユニット形式のバス・トイレをあらかじめ作っておいて、災害時の時に避難所に据え付けられるようにしていく。

ⅲ 避難所には最小限のプライバシーの守れるスペースを確保して、ベッドを入れたり、障がい者等が気兼ねなく避難生活が送れるようにしていく。

ⅳ 集団生活が苦手な障がい者の避難生活のあり方も考えていくこと。例えば、民間の建物を活用した障がい者用避難所(障がい者関係事業所の活用等)を設ける等、様々な方法を駆使して実現化していく。

(4)仮設住宅、復興住宅、一般住宅のあり方

 支援センターの活動の一つとして仮設住宅を回って、どのような障がい者が住んでいて、どのような支援を望んでいるのかを調べていったが、仮設住宅に住む障がい者の数も少ないものであった。スロープの付いた仮設に住んでいるのは健常な者というミスマッチもかなりあった。阪神淡路大震災等大きな震災を何度も経験してきたはずなのに、車いすの障がい者等が生活できない仮設住宅がまかり通っているのである。そこで提案だが、

ⅰ 仮設住宅のすべてを誰もが生活しやすいように、ユニバーサルデザイン化したものにしていく。

ⅱ 仮設住宅は生活環境スペースが狭すぎる。なるべくゆとりのある生活スペースの確保を図るなら、プライバシー空間と共用空間とに分けた仮設住宅を造ることも考えていく。例えば、バス・トイレを共用で使うとか、洗濯機は共用部分に置いてみんなで使うなど、プライベート空間をもっと広くとることができるような仮設住宅のあり方を検討していく必要があるだろう。

ⅲ 福島県内に建てられている仮設住宅の中には、放射線量の高い地域に造られているものがある。そこに住む避難住民の健康と安全を図っていくのであれば、放射線量の高いなどの危険な地域には仮設住宅を建てないなどの方策を取っていく必要がある。

ⅳ 今回の大震災の際に避難所に旅館やホテルを活用していったものがあった。障がい者、ことに車いす使用者や個室を必要とする知的障がい者などは旅館やホテルでの避難生活は、設備がある程度整っているので、制度的に旅館やホテルを障がい者の避難施設として活用していく方策をとっていただきたい。

ⅴ 仮設住宅と併せて民間住宅を活用したみなし(借り上げ)住宅があるが、仮設住宅よりみなし住宅の方にかなりの障がい者とその家族が避難生活をしているのではないか。民間住宅はユニバーサルデザイン化されたものは皆無に等しいと思われるので、今後大震災が起こった場合には障がい者が安心して住めるように、みなし住宅として利用する民間住宅の改造・改修がいち早くできるような制度を創っていく。

ⅵ 仮設住宅、みなし住宅の次には復興住宅がクローズアップされていくだろう。復興住宅建設の際にも、すべての復興住宅をユニバーサルデザイン化したものにしていく。そして、福島県の場合には放射線量の少ない地域に復興住宅を造るようにしていく。

ⅶ 仮設住宅、復興住宅と併せて一般住宅のユニバーサルデザイン化を図る必要があるのではないか。一般住宅がすべてユニバーサルデザイン化していれば、大震災が起こった場合に車いすの障がい者でも、友達(健常者)の家に避難することができるだろう。また、人間は誰もが高齢になれば身体に障がいが現れてくることだろう。そのようなことを十分考慮して、これから造る一般住宅は玄関などの段差をなくし、車いすがスムーズに入れる幅に、トイレは車いすでも利用できるように、ある程度法律に縛りをかけた法制度を設けていく。

ⅷ 福島県の人口は原発事故の影響によって減少を続けている。人口流出層は若い働き手とその子供たちが多い。このまま人口流出が続けば、福島県は全国にさきがけて超高齢化社会を迎えることであろう。介助者の少ない社会の中で高齢者と障がい者がどのような住環境の中で生活していけるかを考えていく必要があるだろう。住民が手を取り合って最少の介助量で生活していける住居のありかた、ヨーロッパなどで進んでいるコーポラティブハウスの建設を進めていくことも考えていくべきである。

(5)被災障がい者とのつながり

 被災障がい者の支援活動を通して痛切に感じることは、東北の田舎に行けば行くほど福祉サービスにつながっていない障がい者が多く存在していることだ。または、養護学校などを卒業してすぐに施設に入所してしまっていたり、家族間での介助で間に合わせ地域の人々との関わりのない所でひっそりと生活している障がい者が何と多いことか。そのような障がい者が無くなるように、

ⅰ 各地方自治体が真剣に障がい者の生活実態を把握して、つながりを作っていき安心して地域での自立した生活が可能となるようにしていく。

ⅱ 支援(入所)施設をできるだけ少なくしていき、障がい者の地域移行を推進して地域で自立生活を可能にできる環境を整えていく。

ⅲ インクルーシブな教育を目指していく。1979年に養護学校義務制化が図られていき、障がい児は養護学校へという線路が牽かれているのが現状である。障がい者に対する差別や偏見を軽減していくためには、幼少時から障がい児と健常児がふれあって生きていくのが理想である。

(6)障がい者福祉サービスの充実

 東北(だけではないと思うが)の障がい者の福祉サービスは、地方自治体の経済状況などもあり、十分な支給量になっていない所が多い。そのような地域が大震災に遭った場合、障がい者が避難する際に同行するヘルパーの支給量が出ないという問題などが発生する。このようなことが起きないように、

ⅰ 全国どこの地域でも十分なサービス支給量を受けることのできる状態を創っていく。財政状況の良くない地方自治体には、国からの配分割合(国が1/2を支給していく配分を、2/3にするような)を多くするような方策をとっていく。

ⅱ 大震災等において、いつ強い余震が来るか分からない状況下では、単身での自立生活をしている者にとって、恐怖におびえる時間を過ごしたり、避難する際にはヘルパーが同行することになる。そのようなことも鑑みて、震災時等における重度身体障害者のヘルパーの派遣時間を大幅に増やしていく。

(7)わが国における障がい者の人権の確立が急務

 2012年3月の終わりにハワイで行われた環太平洋障害者学会の集会に参加してきた。そのワークショップに出席してきて、アジア全土が障がい者の人権がまったく確立していない地域であるという報告があった。わが国もその例に漏れないだろう。わが国は、国連の定めた障害者権利条約を批准していない。障がい者自らも自分たちの権利の確立に向けて果敢な運動を展開していく必要があるだろう。

ⅰ 障がい者団体の意見をよく聞いた段階で、なるべく早くに国連の定めた障害者権利条約を批准していくこと。

ⅱ JDFなどの障がい者団体の意見を取りまとめた形の障害者差別禁止(人権確立)法を制定していくこと。

 

※最後に、福島県における震災による障がい者死亡者数実態調査
(書籍「あと少しの支援があれば」中村雅彦著から抜粋)

 身体障がい者
死亡者数
(手帳所持者の%)
手帳所持者の総数住民死亡者数
(%)
人口知的障がい者
死亡者数
精神障がい者
死亡者数
相馬市17(1.06)1,605430(1.19)36,21233
南相馬市16(0.47)3,412572(0.85)70,87800
広野町1(0.63)1601(0.02)5,41800
楢葉町1(0.24)42310(0.14)7,27700
富岡町1(0.18)55815(0.10)15,44300
大熊町0(0.00)41636(0.32)11,09900
双葉町1(0.28)35426(0.40)6,57800
浪江町21(2.12)98991(0.46)19,91611
新地町14(3.60)38986(1.10)7,83521
いわき市30(0.17)17,271277(0.09)324,97832
102(0.40)25,5771,544(0.31)502,06297

対象:手帳所持者で2011年3月11日から6月30日に震災が原因で死亡した数。
※住民死亡者数と人口には障がい者を含まない。
身体障がい者手帳保持者…2010年4月1日現在(福島県障がい者総合福祉センター調べ)
人口…2010年10月現在(総務省人口等基本集計結果)