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障害者救援活動開始1年の総括とこれからの展望

東北関東大震災障害者救援本部
代表 中西 正司

1.障害者救援本部の発足

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災は、地震、津波の天災に加え、さらに追い討ちをかける原発事故災害により、障害を持つ者にとっては、まさに生き延びるための過酷な現実と向き合うこととなった。

 私たちは、今回の大災害で被災された障害者に対して早急かつ継続的に必要な支援をするべく、DPI日本会議、全国自立生活センター協議会、ゆめ風基金、その他多方面の支援団体の協力のもと「東北関東大震災障害者救援本部」(以下、救援本部)を3月17日に立ち上げた。阪神淡路大震災の被災経験や支援経験、そして重度障害者が地域で自立生活をするために作り上げた全国のネットワークを活用すべく、東京と大阪に「人材・物資等の協力申込」「支援相談窓口」「支援金受付」等の機能を有する事務局を設置し、東北地域の自立生活センターや他団体と連携し、被災障害者の支援活動を開始した。

 震災直後は現地と連絡が取れない状況にあったが、通信手段が復旧すると被災地から続々と必要な物資の依頼が入り、救援本部事務局では、大震災から約1か月間は、物資の調達や発送に追われることとなった。あわせて、被災地の障害者に関する状況の問い合わせや、支援金・助成の申出が全国・世界各国から届き、それらの対応と情報発信を行ってきた。一方、全国の自立生活センターや障害者団体は各地で募金活動を展開し、救援本部の財政的なバックアップを担ってくれていた。障害者団体のネットワークの強さに気づかされることとなった。ここに改めて感謝の意を表したい。

2.救援物資を被災障害者に

 断水によりトイレが使用できなくなったため大量のおむつや清拭剤、ポータブルトイレ、呼吸器の充電池、口から栄養をとることが難しい方に対しては栄養剤、医療器具や医薬品など障害固有のニーズに基づく物資が次々と現地に届けられた。また車両が津波で流されてしまったため現地での被災障害者の支援活動が困難な状況にあり、リフトカーなどの福祉車両も届けられた。その間、宮城・福島・岩手の順に各県の「被災地障がい者センター」(以下、被災地センター)が立ち上がり支援活動をスタートさせていった。しかし、支援が必要な障害者を見つけ出すことは困難を極めた。

 プライバシーがなくバリアフリーでもない避難所での生活は、情報の収集が難しい視覚・聴覚障害者、集団生活が困難な精神・知的障害者、体温調節が難しく介護ベッドや医療ケア等の必要な重度障害者にとっては非常に過酷で、障害や症状を悪化させてしまうという状況にあった。そのため、危険を承知で全半壊した自宅にとどまる者も多く、行政や支援団体からの支援の手が届くことがさらに難しい状況にあったのである。そこで各県の被災地センターでは、まずビラを配り、人づてに障害者がどこにいるのかを探すところから活動はスタートした。安否確認、情報収集、各避難所での聞き取りニーズ調査、物資の提供など、被災地では目まぐるしい日々が続いていった。

 被災地センターが掲げた活動内容は、以下の3点であった。

① 被災された障害者への物資、支援金・人員の提供

② 被災された障害者に関する情報収集・提供・情報交換

③ 被災された障害者に関する調査・行政などへの政策提言

3.いわきからの集団避難の受け入れ

 その間、救援本部では同時に福島の自立生活センターの避難支援体制を作り上げることに尽力していた。原発事故の影響でガソリン不足に陥り、物流や訪問看護など医療体制が途絶えてしまったことから、これ以上自宅での生活を継続することは困難であると判断したいわき自立生活センターの利用者・ヘルパー・家族ら33名が、集団避難を決断したのである。集団避難の受け入れにあたっては、全館バリアフリーの戸山サンライズ(東京・新宿区)を借り受け、都内の自立生活センター等が連携し介助派遣するなど、障害者の避難生活を支える体制を作り上げていった。

 3月19日から約1か月に及んだ避難生活中で、いわき自立生活センターのメンバーは、原発問題の対策として放射能を防ぐためのハンドブックを作成し、避難訓練を実施するなど、正しい知識の周知と地域の再生へ向けての活動を進めてきた。現在は、在宅人工呼吸器使用者へ緊急時のバッテリー供給の体制整備や、事務所のあるいわき市中央台に建てられた約1,000戸の仮設住宅の支援等を行っている。

いわき自立生活センター作成のハンドブック
(いわき自立生活センター作成のハンドブック 画像テキスト

4.緊急支援から個別支援へ

 現在では、宮城に南三陸・石巻、岩手には宮古・大船渡に各県支部が立ち上がり、被災地での活動は個別支援に移っている。宮城・岩手の沿岸部は震災以前から家族介助や施設入所傾向が強く、重度障害者が地域生活をするための社会資源が圧倒的に不足している状況にあった。今回の震災で、医療機関や障害者の日中活動の場の多くが津波被害を受け、家族の離散を余儀なくされ、ますます通院・通所先の確保が困難な状況にある。また、仮設住宅が比較的山間部に設営されているために、独自での移動手段を持たない移動制約者は日常の買い物等にも支障をきたしている。

 沿岸部の被災地センターでは、障害者の相談・移動支援、日中活動の場づくりなどの個別支援を中心に活動している。被災地センターが安定的な活動を継続していくために、救援本部としては今後も財政的バックアップを行っていく。同時に、スタッフ・組織体制の整備を行い、各拠点が救援活動から継続的な障害者の地域生活支援へと徐々に活動をシフトし地域の社会資源となるべく事業化の方向性を探りそのための支援を行っていく。

 また、最もニーズが高い移送サービスについては、岩手は田野畑村、宮城は気仙沼市の団体に協力を依頼し、被災地センターとの連携や救援本部からの資金提供などにより、いずれも毎月100件近くのサービス提供を行っている。

(1)被災地障がい者センター南三陸(NPO法人奏海の杜)

 津波で甚大な被害を受けた宮城県北部地域(石巻、南三陸、気仙沼地域)の支援をカバーすべく、各地域から等距離にあって比較的被害の少ない内陸部である登米市に事務所を構えた。いずれも南三陸町で被災したスタッフ3名により、7月から活動を開始したが、北部地域の仮設住宅・個別支援に対応するためには人員が足りず、石巻の拠点設立や気仙沼の他団体との連携により、県北支部としては南三陸町での活動を中心に据え、移送サービスや障害児の日中預かりなどの個別ニーズに対応している。2012年は夏休み期間中に児童デイサービスを実施し、今後は放課後の児童預かりを南三陸町内で行う。

 支援体制・活動場所共に手探りの状態ではあるが、今後、南三陸町での活動を本格化するために、町内への移転と町との連携の強化していく。

夏休みの児童ディ
<夏休みの児童デイ>

(2)被災地障がい者センター石巻

 地元の障害当事者を含むスタッフ3名により11月から活動を開始した。「誰にとっても住みよい街・石巻」をめざして、調査・広報活動等を継続して行っている。市内の仮設住宅へのポスティングや情報誌の発行、アクセスチェックなど、被災障害当事者による活動は、各種メディアにも取り上げられた。

 また、障害児とその家族への支援を積極に行っており、絵画や音楽等のワークショップやイベントの開催、県内・県外団体への見学・研修などを開催、石巻市内に設置した事務所を交流・意見交換の場としても活用している。2012年度は、1年を通し「共に生きる石巻を作り出す連続公開講座」と題し、インクルーシブ教育に関する講座を企画・運営している。

タッチドローイングのワークショップ
<タッチドローイングのワークショップ>

(3)被災地障がい者センターみやぎ県南支部(2011年6月~2012年3月まで)

 被災沿岸地域の支援拠点第1号として宮城県亘理町に、6月設立。運営は、事務所・施設が全壊し運営が困難となった山元町の介護保険サービス事業所「ささえ愛山元」に委託した。物資提供、見守り支援、移送サービス、仮設住宅支援といった活動と並行して、自団体の事業再開の準備を進め、2012年3月末をもってセンターみやぎ県南支部としての活動を終了したが、個別支援ケースについては継続され、センターみやぎとの連携や救援本部によるバックアップも引き続き行っている。

仮設住宅でのパラソル喫茶
<仮設住宅でのパラソル喫茶>

(4)被災地障がい者センターみやこ

 2011年12月に設置。2012年4月からは、地元スタッフを加え、それまで盛岡市にあったセンターいわての機能・スタッフを宮古市に移し活動を再始動させた。宮古駅前の商店街の中にある事務所では、地元の方を招いての交流会を定期的に開催している。

 「いわて障害当事者派遣プロジェクト」※も引き続き行われており、個別支援と並行して、2012年8月実施の「みちのくTRY」の準備を進めてきた。宮古市から陸前高田市まで120kmの道のりを、「復興に向けて障がい者も住める街づくり」をテーマとして障害当事者が歩きながら、復興計画等に対する要望活動、アクセス運動、バリアチェック、地元住民を巻き込んだイベント、そして鎮魂を目的として実施される。

 ※ 自立生活運動に関わる障害当事者が非常に少ない岩手県へ、自立生活を実践しており、当事者支援をしている障害当事者のボランティアを交代で派遣し、被災障害者に対してピアカウンセリング・自立生活プログラム・情報提供等を行い、障害者が地域で自立した生活ができるようエンパワメント支援を行う。介助者とのペアで、2011年度は16組、2012年度は7月までに8組が派遣された。

みちのくTRY
<みちのくTRY>

(5)被災地障がい者センターおおふなと(NPO法人センター1・2・3)

 岩手県沿岸部の拠点として、2011年8月から活動を開始。大船渡市内の仮設住宅をまわり、さんま焼きなどのイベントを行う中で、活動のアピールを行ってきた。現在の活動は、大船渡市保健福祉課とも連携し、移送サービスを中心に見守り支援など個々のニーズに応える活動と、利用者や市内の他障害者団体との交流イベントを開催している。大船渡・陸前高田の仮設住宅から病院や買い物のための送迎は、月100件を超えるニーズがあり、3名のスタッフで対応している。

 また、2012年4月にはNPO法人格を取得し、今後、活動拠点を整備し、サロンの開設や視覚障害者の同行援護サービス等を視野に入れながら、大船渡市での継続的な活動のため、精力的に準備を進めている。

利用者の皆さんとのバーベキュー
<利用者の皆さんとのバーベキュー>

5.模索する福島支援

 福島県においては、今なお続く原発事故の影響から介助者の離職が続き、重度障害者の介助体制を維持することに困難が生じ始めている。長時間の介助枠を短時間枠で繋ぐなど、少ない介助者でなんとか障害者の生活を支えている状況にあり、すでに外出や旅行、社会参加等には支障が出ている状況にある。制度的には認められていることが、介助者の不足により認められなくなってきており、障害者の生活ニーズに応えることが難しいという事態となってきているのである。今後、ますます介助者不足の現状は厳しくなることが予測される。

 被災地からの当事者の避難も大きな課題である。障害者が避難を決意した時には、地域の受け入れ体制が必要である。そこで、相模原に福島からの一時・長期避難拠点として「MUGEN(ムゲン)」を開設した。今後も「MUGEN」を軸とした障害者の避難支援を進めるとともに、移住を希望する当事者の個別支援を行っていく。また、現地の介助体制を維持するための関係事業所の支援・調整と福祉介護職員のコーディネイト機能を担っていく。福島の障害者をどのように支援していくことができるのか、その答えは簡単に出るものではないが、現地の状況に寄り添った支援を行っていきたい。

MUGEN 避難体験ツアー
<MUGEN 避難体験ツアー>

6.そして、これから

 今回の震災では、震災以前から抱えていた障害者を取り巻く地域の課題が浮き彫りになった。社会資源の不足、バリアだらけの避難所、サービスとつながらずに地域で孤立する障害者、緊急時の個人情報の取り扱い、そして、災害時の情報保障や支援体制はどうあるべきか。平時にできないことが、はたして緊急時にできるのか。バリアフリー計画、復興・防災(避難)計画に当事者が参画していくことは言うまでもなく、今後、私たちがどのように地域づくりに携わっていくのかが問われているように感じる。

 救援本部では、この大震災の教訓を後世に残していくために、被災障害者の証言記録映像を製作した。「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者~」は、2013年2月に完成となり、今後、全国各地での上映活動を通して、被災地の状況を伝えていくことも計画している。

 今後も、救援本部を構成する各団体の機関誌やブログ・ホームページなどを通じて、引き続き被災地の障害者を取り巻く状況や被災地センターの活動についての情報発信を行っていく。皆様からの息の長いご支援と協働をお願いしたい。