音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

日本精神保健福祉士協会からの提言

社団法人日本精神保健福祉士協会
常務理事 木太 直人

1.今回の震災全体を通じての見解

 東日本大震災は広域にわたり被害が極めて甚大であり、行政機能が壊滅的な自治体もあった。さまざまなデータからは、障害者の死亡率の高さや障害者の生活再建の困難性が指摘されている。また、障害者の利用施設等の被害状況の把握は比較的迅速に行われたものの、在宅を含めた障害者の被害実態の全容はいまだに明らかになっていない。

 精神障害者に焦点を当てると、大震災は、いまだに根強い偏見のなか家族とともにひっそりと暮らしていた人を掘り起こすこととなってしまった。大きな津波被害や原発事故による避難区域となった東北の太平洋沿岸部は、一様に精神保健医療福祉の過疎地域でもあった。発災から1年6か月が経過したものの、10年後を見越した息の長い生活支援が求められている。

2.当協会の取り組み、対応

(1)東日本大震災対策本部の設置

 2010年に作成した当協会の「災害支援ガイドライン」に則り、3月12日に東北地方太平洋沖地震による被災地域住民等への支援活動を行うため、本協会内に「東日本大震災対策本部」を設置し、①被災地における精神保健福祉に関する情報収集および構成員等への情報提供、②被災地支援活動等に係る構成員間の募金活動、③被災地の行政機関等からの要請等に基づく構成員(精神保健福祉士)等の支援活動への参加調整等に取り組んだ。

(2)被災地支援活動

 3月23日から4月22日の1か月間の中で、3回にわたる福島県、宮城県、岩手県の現地視察や被災地支部等との連絡調整を経て、以下に示す支援活動を展開した。また、支援被災地の調整に合わせて全国の構成員に呼びかけを行い、3月28日より被災地支援活動に参加可能な構成員の登録受付を開始した。

  • ①福島県いわき市における心のケアチームのコーディネーター派遣

 福島県いわき市での支援活動をしている心のケアチームの情報集約およびいわき市保健所との間に入って具体的な支援調整等を行うコーディネーターが求められたことから、いわき市内在勤の大学教授である会員にその役割を担ってもらうこととなり、4月6日から5月2日まで継続的な活動を行った。

  • ②宮城県における心のケアチームへの要員派遣

 大震災発生の翌週から活動を始めていた東北大学病院を中心としたこころのケアチーム(以下、「東北大チーム」)には宮城県精神保健福祉士協会の会員が交替で参加していたが、石巻市での支援活動を行っている1チームについては、全国から途切れなくおよそ1週間交替で1名を要員として派遣することを決定し、4月9日から6月1日まで7名の会員が活動を行った。

  • ③福島県南相馬市への支援者派遣

 現地視察の中で、南相馬市には他の自治体からの保健師派遣もなく、精神科の診療機能もようやくクリニックが再開する程度であり、南相馬市に支援ニーズが高いことが分かり、4月18日から当面の間支援に入ることを決定した。

 南相馬市は、人口約7万人、福島第一原発の北10~40キロにほぼ収まる地域である。市内には5か所の避難所に400人が避難している一方、原発事故による避難指示等により群馬県や新潟県などの他県に避難をしている人が3,000人を超える状況となっていた。

 大震災発生後、各地に医療チームが派遣されていたが、南相馬市には、被爆経験地である長崎大学の医療チーム、歯科チームと長崎県医師会チーム、南相馬市立総合病院のケアチーム等しか派遣されていなかった。原発事故による避難指示区域や屋内退避区域にあった精神科病院では、全入院患者さんが転院となり病院自体も休院している状況で、ようやく精神科クリニックが外来診療を再開する状況のなかで、本協会の支援活動が始まった。

 支援活動は避難所を中心とした巡回相談から始まり、時間の経過とともに、仮設住宅・借り上げ住宅や自宅に留まっている住民への訪問活動に推移していった。南相馬市の支援活動は10月28日まで続けられ、68人の構成員が参加し、延べ活動日数は386日となった。

  • ④宮城県東松島市への支援者派遣

 宮城県保健福祉部障害福祉課と東松島市健康福祉部福祉課障害福祉班から要請に基づき、4月25日から活動を開始した。

 東松島市は仙台市の北東に位置し、人口約4万2千人の自治体である。今回の津波により市街地の65%が浸水し、津波浸水区域の割合は全国の津波被害市町村の中で最も高い地域であった。震災による死者・行方不明者が約1,800人、支援開始当時は避難所50か所以上、避難者も3,000人を超える状況であった。

 精神保健福祉士には、訪問等による、①精神科要受診者を精神科医につなぐ役割、②精神科医の診察までは要さないと判断した場合の相談対応、③元々受療歴のある精神障害者等で避難所生活に不適応状態となっている人の相談対応などが求められた。

 活動開始当初は、1週間交替で1名の派遣体制であったが、5月14日からは、2名体制で支援者を派遣することとなった(図2)。東松島市の支援活動は、12月28日まで続けられ、71名の構成員が参加し、延べ活動日数は401日となった。

  • ⑤現在の取り組み

 対策本部による被災地支援活動は2011年末をもって一旦終了し、対策本部も年度末をもって閉じることとなった。しかしながら、被災地の復興には程遠い状況があることから、対策本部の活動を継承し、改めてPSW協会として復興に向けた取り組みを行うため、2012年度からは新たに東日本大震災復興支援本部(以下、「復興支援本部」)を設置し、これまで3回の会議を東北で開催し、被災地で奮闘している精神保健福祉士を支える、つまりは「支える人を支えるため」の具体的な活動を模索・展開している。

3.震災発生直後から今日までで見えてきた課題

 すでに、東日本大震災の発災から1年6か月が経過しているが、これまでの精神保健医療福祉分野における東日本大震災の災害支援活動の中間的総括(出来たこと、出来なかったことの整理)が必要であろう。そのうえで、今後必ず起きるであろう広域災害への平常時の備えとして以下の課題を指摘しておきたい。

  • ①全国からの派遣型支援チームの活動スキームの構築

 東日本大震災でも数多くの心のケアチームが支援活動にあたったものの、地域によっては有効に機能しなかった面も否めない。厚生労働省、都道府県行政、病院団体、職能団体等による平常時からの活動スキームの構築は「備え」として重要である。

  • ②被災地の行政機関の下で十分に機能しうる現地コーディネーターの養成

 被災地において行政の保健師等が最も腐心しそして疲弊したことは、全国から派遣された支援者の振り分け作業であり、一般医療チームとの調整であった。大規模災害においては、現地にあってコントロールタワーとして機能する機構、人が欠かせない。そのような機能を果たせる現地コーディネーターの養成や体制整備が急務の課題である。

  • ③平常時の精神障害者の地域生活支援の充実

 普段できていないことは、災害時に限ってできるわけではない。全国どの地域にあっても精神障害者が安心して地域生活を送ることができる体制を作っておくことが、災害時にも必ず役立つはずである。

4.今後に向けての提言

 災害時の精神保健医療福祉分野の取り組みとして、以下の点が重要と考える。

  • ① 発災直後からのD-MATや一般医療チームと心のケアチームの連動・連携を可能とする体制整備。
  • ② 職種別の災害支援専門職の登録・研修制度の確立。
  • ③ アウトリーチ型支援活動における資質向上。

 東日本大震災では、生活再建の見通しが立たない中、徐々にアルコール依存などのメンタルヘルス課題が顕在化してきている。疲弊した被災自治体職員の離職も気になるところである。障害のあるなしにかかわず、すべての被災住民が明日に希望をもてることが何よりも大切であることは言うまでもない。