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高次脳機能障害の立場から

NPO法人日本脳外傷友の会
理事長 東川 悦子

はじめに

 2011年3月11日、国土交通省8階の会議室で、交通事故後遺症者の介護者亡き後の問題、および短期入所の促進等を図るための会議に出席していた。

 午後2時30分過ぎたころ、下から突き上げるような感じとともに大きな揺れが来た。全国遷延性意識障害家族会連合会の桑山雄二氏が「やばい!」と叫んで、部屋を飛び出した。彼は阪神大震災の経験者であり、ご自宅には人工呼吸器をつけたご子息がいらっしゃる。

 私は頭上にある時計が落ちてくるかな? と一瞬見上げたが、その気配もなく、部屋が左右に揺れるのを体感しながら、「国土交通省のビルが倒壊するようなら日本はおしまいでしょう」等と軽口を叩いて平然としていた。

 会議は中止となり、自動車交通局保障課の事務室で、TVに映し出される映像を眺めていたが、時間を追うごとに東北各地の深刻な状況が画面に表れて、東北の仲間たちの被災状況が気になってきた。外では救急車のサイレンの音が鳴り響いているし、自分の家族のことも気になるが、「今、じたばたしても仕方がない」と腹をくくって、その夜は、会議室に段ボールを敷いて横になり、夜の明けるのを待った。国土交通省の職員も、部局によってはてんてこ舞いだったのかもしれないが、冷静に応対してくれていた。

 翌日神奈川の自宅に帰ったが、被害らしきものは何もなく、家族もそれぞれ帰宅困難者として、職場待機したり、学校の体育館に泊まったりで、無事であることが、分かった。各地の当事者家族も必死で、安否確認をされていることと思いながら、岩手、宮城、福島にある当会の会員団体の被災状況が気になったが、連絡手段が取れるまでは何とも仕方がないので、自重した。

1.当団体の取り組みと対応

 会の歴史も浅く、日常活動に精一杯で、このような災害時にどのような対策をとったらよいかなど、全く取り決めてもいなかったことを反省した。

 まずは、会員・家族・関係者の安否確認が必要と考え「緊急メールつうしん」を全国に発信した。その夜のうちに岩手とメールが通じ、やがて宮城、福島との連絡が取れたが、被害状況の詳細は不明であった。

 とりわけ支援拠点機関である宮城の東北厚生年金病院、福島の総合南東北病院が被災していること、交通事故後遺症の遷延性意識障害者の療護センターである仙台の広南病院、千葉療護センターが被災している報道に、命にかかわる医療に直結した方々がどうなっているのかという、不安の念が大きかった。

 反面、復興は必ずやり遂げられるであろうから、それまでには、阪神大震災の時には見落とされた頭部外傷後遺症者の問題を今回はしっかり把握せねばという思いを強くした。

 救援活動と、実態把握をしっかりしなければならないという覚悟を決めた。

 しかし、未熟な会であり、人、金、物がないという致命的欠陥があり、その後JDFが設立した支援センターへの人材派遣や車の堤供ができないので、せめて救援金を全国の会員団体に募って拠出することは出来ると考え取り組んだ。

 あっという間に多額の救援金が集まり、JDFに協力することができた。また、新幹線の復旧開通後直ちに、宮城、福島に赴き、直接、高次脳機能障害関連団体に支援金を手渡し、被災状況を把握することができた。

 岩手の「脳外傷友の会イーハトーヴ」は、全国に救援物資の提供を呼びかけたので、続々と集まった物資を会長、副会長が自ら沿岸の被災地に届けるという役割を担ってくれたので、高次脳機能障害関係者のみならず、山田町、陸前高田市等の被災者避難所へ多くの物資を提供することができた。

 また、彼女たちが、その都度報告してくれる現地情報を私が全国に広報することにより、各地の友の会が街頭募金に立ってくれたり、毎月行うチャリテイバザーの売上を未だに全額救援金として送り続けてくれる会もある。

 香川県から自ら収穫した米を何十キロも送ってくれた会員もあった。

 昨年9月末までに集められた救援金は総額360万円にも上った。すべて現地の被災者・家族会に寄託することができたが、岩手の会は昨年、盛岡市内に新しい「生生学舎・アダージョ」を開設し、就労支援B型作業所となっていることから、寄託金160万円を有効活用して販売できる製品を作り、その1割を被災地に今後とも長期継続拠出するという復興支援事業に乗り出している。

 大槌町のワカメや根昆布の味噌漬け、キムチ漬けなど等であり、過日も豊橋の団体から大量注文があったと聞く。私自身も地元のバザーで、取り寄せ販売した。

 宮城の会は就労支援を積極的に取り組んでいる「NPO法人ほっぷの森」であるが、仙台市内長町で運営しているレストラン「びすたーり」のほか、無農薬野菜の販売拠点「フードマーケット」を経営し、事務局を駅近くに移転させ全県を視野に入れた高次脳機能障害支援「どんまいネット」を今年6月にたちあげている。

2.今日までに見えてきた課題

 両県では「ピンチをチャンスに」新しい、連携と事業展開が始まっている。

 原発事故の影響が強い福島県は残念ながら、もともと会活動が活発ではなかった。会員数も少なく、拠点機関は郡山市の民間病院総合南東北病院であり、広い県域をカバーできていなかった。今回、拠点病院が深刻な被災を受け、職員家族からも死亡者が出ているとのことで、福島県の今後の復興にも大きな問題である原発処理が高次脳機能障害者の生活にも大きな影響を生じていると言えるであろう。会員13家族のうち1家族が青森県に避難しているということであるが、帰県は困難で、すべての問題が未解決のままである。

 被災3県の状況把握の過程で分かってきた問題点、例えば避難所に入ったが、「いい若い者が何も手伝わずにいる」など言われて家族がいたたまれなくなったり、配給物資を並んで受け取ることができないとか、トイレに行ったあと元の場に戻れないとか、当事者も家族も深刻なストレスを抱えているという[SOS]が出された。リハビリテーション心理職会のご協力を得て、岩手から臨床心理士を派遣して家族へのカウンセリングをしていただいたりした。

 都内や神奈川県内の家族からも、また起こる可能性のある非常時に備えての対策を講じておくべきとの声が上がっていた。

 運よく昨年度4月から公募が始まった公益社団法人日本理学療法士会の助成金申請に合格し「3.11、その時あなたはどうした?」の調査を実施することができた。調査項目の作成にはリハビリテーション心理職会のご協力をいただき、神奈川以北の高次脳機能障害者と家族に各500件配布し、心理状況、行動特性の把握に努めた。回収率は52.3%であった。

 調査項目、調査の目的、結果のまとめなどは24年3月報告書にまとめ、日本理学療法士会に提出したほか当会ホームページ、リハビリテーション心理職会ホームページに公開されているので、参照されたい。

3.今後に向けての提言

 今年度は引き続き助成金を受けることができたので、この調査結果に基づき、

 ① 非常時安心カードの作成

 ② 災害時対応マニュアルの作成

 に取り組んでいる。目下原案は完成しているので、完成間近である。

 ①については常時当事者が携帯して、財布や手帳などに入れておき、外出時に事故等に遭ったときにも、連絡先や、服用している薬、かかりつけ医療機関などの情報が支援者に得られるように、というものである。

 ②については外見からはどこに障害があるのか分かりにくい高次脳機能障害の特性としてコミュニュケーションの問題点。記憶障害、注意障害、遂行機能障害、失語症や社会的行動障害について配慮をしていただきたい対応マニュアルであり、全国の家族会、高次脳機能障害支援拠点機関等に配布するリーフレットである。

 この2点ともに、日本理学療法士会への報告がすみ次第、当会のホームページリハビリテーション心理職会のホームページに公開し、ダウンロード自由にどうぞという形で提供し、広く会員以外の高次脳機能障害当事者家族・支援者に役立てていただきたいと考えている。

 関係各位のご協力に感謝するとともに、今後ともご助言をいただければありがたい。災害は忘れた頃にやって来るを肝に銘じ、被災地の早期復興を祈念しつつ、ネットワークの強化を図りたい。

(2012年8月執筆)

※編集者注:2013年3月時点で、「非常時安心カード」、「災害時対応マニュアル」は完成し、全国に配布済みである。