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日本理学療法士協会の取り組みと提言

公益社団法人日本理学療法士協会

東日本大震災を経験して

 阪神・淡路大震災の教訓を受けて、本邦は支援体制を準備してきた。しかし、今回の災害の強さと広さは誰にも想像できるものではなかった。

 最大の問題は、災害救助法が古き時代のものであり、今日の高齢社会を反映したものでなかった点である。DMAT(災害派遣医療チーム)にしろJMAT(日本医師会災害医療チーム)にしろ、それは急性期外科治療的な支援が中心であり、高齢者の慢性期的問題に対する対応には十分とは言えなかった。その象徴が生活不活発病(廃用症候群)であり、避難所に始まって今日の仮設住宅においても、要介護度が上がったり、認知症が増えたり、あるいは脳梗塞患者が多発している。時代に即した支援法が望まれる。また、東日本大震災の被災地には、近い将来の日本の超高齢社会の姿があり、そういう意味からも支援体制について熟慮する必要がある。

 もう一つの特徴は、地方公共団体が壊滅的な被害を受け、その機能を果たすことが難しかったことである。これまでは、地方公共団体が受け入れ側の中心に座り、外部からの支援者をマネージすることを想定してきた。しかし、多くの市町村でその機能を奪われて、発災後しばらくの間は支援活動が混乱の極みであったことは残念なことだった。

 発災後、新聞で亡くなった方々の氏名や年齢が公表された。この年齢を見ると、社会的弱者と言われる高齢者や幼児が多く含まれており、社会的弱者を対象とした避難訓練の必要性も強く感じたところである。

本会の取り組み、対応

 3月11日の発災を受け、12日には対策本部を立ち上げ、14日には支援活動費捻出のために協会予算の大規模な組み換えを行った。この間、避難所等の高齢者に対する支援の必要性を感じつつも、具体的行動に移るには全く情報がないという状況だった。そこで、3月20日には秋田市から盛岡市を経由して宮古市に入り、岩手県を南へ下り、沿岸部の状況把握に努めた。その結果、余震等が続いているが理学療法士を組織的に派遣することを決定し、全国7万人の会員に支援活動参加を呼びかけた。しかし、この段階でも宿舎の確保が困難、避難所の正確な状況がつかめない、連絡相手が分からない、現地の交通手段がないなど、二次災害の可能性がある状況だった。本会では障がい者団体のご協力で宿舎を確保するとともに、交通手段として中古車を購入し移動手段を確立し、課題のいくつかは解決したが、避難所に関する連絡調整は最後まで困難だった。

 高齢者や震災前から移動する動作が困難だった方々にとって、物理的な移動範囲を増加し、健康増進をする対策が必要だった。そこで本会は政府や政党に対し、生活不活発病の予防のための対応策の必要性を要望し、避難所での生活で機能が低下しないよう働きかけた。

 発災後2か月の間は岩手県、宮城県、福島県の広範囲にわたり避難所生活が続いていた。避難所の中でも高齢者や障がいを持つ方の生活不活発病の保健・予防活動のため、生活機能や低下しないような運動や留意点を、ラジオや新聞などのメディアを活用して情報発信を続けた。ラジオで情報を得た避難所住民から電話で問い合わせがあると、生活不活発病の予防テキストを送付し、アドバイスなども行った。復興の進んだ地域ではインターネットへのアクセスも可能で、本会ホームページから必要な情報が得られるよう運動マニュアルなどのダウンロードを可能とした。

 また、被災した地域の理学療法士会を通じて、間接的に支援を行った。本会会員から寄せられた寄付金からの拠出のみならず、国内外から得たリハビリテーション関連物資や、企業の好意により低価格で購入したリハビリテーション専用靴、地方自治体や公的機関、NPO団体と協力して必要な地域へ適時送れるようにした。

 震災後半年間で岩手県山田町に68名、陸前高田市へ280名、気仙沼市周辺へ120名、石巻市周辺へ60名、仙台市内へ50名の会員を派遣したボランティア支援を行った(延べ数)。派遣においては、被災した方々の迷惑にならないよう、支援の開始方法を慎重に検討した。まずは被災地域の関連団体、理学療法士会、地方行政で勤務する医師、保健師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、ケアマネージャーおよび、NPO団体の職員とも情報を交換し、宮城県では仙台市若林区、岩手県では陸前高田市を復興支援の最初の場所に選択した。ボランティアを派遣した際には発災前には日常的に行っていた家事動作、近隣への買い物などを行う必要がなくなった方々や、支援により役割が減った方には自然に動くことができるよう環境整備を行った。

発災直後からの課題

 4月の中旬に宮城県のある病院から、急いで理学療法士の派遣をしてくれとの要請があり、本会では急遽派遣チームの編成に入った。ところが翌日、行政サイドの方に問い合わせると派遣の必要性は全くないとの回答だった。このような情報の混乱は決して初期の短い期間だけではなく、その後も続き、支援活動の円滑さに影響が大だった。正確な実態把握と情報の統一化、そして支援者および団体への情報伝達手段を確立することの重要性が改めて確認された。そして、この課題は仮設住宅へ生活拠点を移してからも深刻な状況に変わりがないことは悲しい現実である。

 私たち理学療法士は、障がい者や高齢者の基本的動作能力(座る・立つ・歩く等)の維持・回復を主な仕事としている。この基本的動作能力を低下させる要因の一つとして生活不活発病がある。発災直後の避難所生活では、多くの被災者は体育館にシートを張り、そこで横たわっている状況がみられた。床と布団の生活ではなく、椅子とベッドの生活を担保することによって、高齢者の生活範囲は大きな広がりを見せる。避難所にその準備がなかったことは、大きな反省としなければならない。

 今日でも、仮設住宅において、要介護度の上昇・認知症の増加・脳梗塞の増加等が言われている。これらは適切な運動とストレスの拡散によって予防することが十分に可能である。当初から指摘してきたこの課題が解決できていない現状は、自立生活の専門職として容認しがたい現実といえる。

今後の支援体制

 理学療法士という立場からすると、まず行いたいことは生活不活発病に対する国民教育と言える。災害時に慌てて、運動の必要性を訴えてもその声は届くものではない。高齢社会だからこそ、常日頃から、身体活動の必要性を常識化することが大切である。

 もう一つの教育は、医療職に対するサバイバル教育。今回の支援活動では、当初は寝る場所がない、食べ物がない、強い余震が続く等のリスクの高い状況が続いた。支援者の二次災害を防ぐための教育も必要である。

 災害救助法の改定も必要であろう。高齢者社会を想定した救助法を作り、仮設住宅でも生き生きとした生活を創造したり、サポートできる体制が必要である。言葉では簡単だが、これを具体化するためには多くの医療系専門職等のチームアプローチが必要となる。そして、このチームアプローチを可能にする、人材(マネージャー)の育成も必要になるだろう。

 2025年を目標年度とした地域包括ケアシステムが検討されているが、この「自助」「互助」「共助」「公助」という仕組みに災害時対応能力を組み込むことが可能と考えている。それは「地域包括ケアシステム」にしても災害時支援にしても高齢社会という同一背景だからである。