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JDF東日本大震災被災障害者総合支援本部の活動

JDF東日本大震災被災障害者総合支援本部

総合支援本部 設置と活動の経緯

 2011年3月11日の東日本大震災の発生を受け、JDFは被災障害者支援本部を同3月18日に設置した。JDFの構成団体ではいち早くそれぞれの支援活動を開始していたが、分野や地域を超えて共通する課題等についてもこの支援本部を通じて一致して取り組んでいくこととした。
 支援本部は、JDF代表を本部長、各構成団体の代表者会議メンバーを副本部長とし、報道対応も含む対外的な窓口機能、関係団体からの被災地への支援員派遣の調整、広域的な観点も含めた課題集約と政府等への要請、そして各方面からの支援金の窓口などの役割を、それぞれ担当体制を敷いて担った。
 そうした「本部機能」と併行して、宮城県、福島県、岩手県に順次被災地支援センターを設け(3月30日、4月6日、9月22日の順)、被災障害者の支援活動を行った。3つのセンターには、延べ8,000人を超える支援員を全国の関係団体に呼びかけて派遣した。3県のニーズはそれぞれに異なったため、現場の実情に応じた活動を展開したが、まず被災当初は、障害者団体会員等の安否確認、避難所や障害者支援事業所の訪問調査と支援、被災者への救援物資提供や清掃・引っ越しなどの支援、行政および各種支援組織との意見交換などが中心であった。特筆すべきは、福島県南相馬市および岩手県陸前高田市において、行政より障害者手帳保持者等の個人情報の開示を受け、障害者の訪問調査を行い、これを基に緊急支援につなげるとともに、地域行政の避難計画や福祉計画の基礎資料としたことである。また原発事故に見舞われた福島県においては、日本弁護士連合会および福島県弁護士会と協力し、被災障害者とその支援者を対象とした原発賠償に関わる学習会・相談会等も開催した。これらの取り組みについては、2013年3月に発行した第一次報告書に詳述している。

復旧・復興期における取り組み

 震災から1年ないし2年が経過したところで、3つの支援センターは、定期的に支援員を派遣しての支援活動を順次終結していった。震災発生からしばらくは、必然的に被災地への緊急支援の取り組みが中心であったが、一定の期間を経て、中長期的展望に基づく復興支援、生活支援へと移行していった。また被災地外からの救援援助の形から、地元の人材と組織を中心とする取り組みに移っていったと言える。
 宮城県においては、現地の障害者団体・関係団体が構成する「被災障害者を支援するみやぎの会」が発展的に解消して「JDF宮城」が結成され、「みやぎ支援センター」の機能を担うこととなった。JDF宮城では主として仮設住宅の訪問を行うとともに、そこに居住する障害者の確認と支援の取り組みを行った。福島県においては「支援センターふくしま」が、現地の法人を通じて県の事業を受託し、相談支援事業や交流サロンしんせいの運営などの取り組みを行った。「つながり∞ふくしま」など支援団体・企業・福祉事業所が連携した取り組みも進めた。岩手県においては、津波により交通機関が失われた中で、障害者・高齢者やその家族が、通院、通学を含む移動に大きな困難を抱えていたことから、陸前高田市に設置した「いわて支援センター」が、現地在住のスタッフの協力を得て車両による移動支援を行った。また市の福祉計画づくりにも参加した。これらの取り組みについては本報告書の別稿に記載されている。
 こうした取り組みの中で共通して感じられたのは、被災障害者が直面する困難の「見えづらさ」である。震災直後においても、被災障害者は避難所に行くことや滞在することが困難であったことなどから、被災地に障害者が「見当たらない」といった事態があったが、その後仮設住宅や見なし仮設が開設されてからも、やはりどこに居住していて、どのようなニーズがあるか、外部の支援者からは見えづらい状況が続いた。家族との離別や地域コミュニティが失われたことなどにより、従来得られていた支援が受けられなくなったうえ、時の経過とともに社会の関心も少しずつ薄れていき、障害者が直面する課題や困難がより深く潜み不可視化していく感があった。
 そこで支援本部では、被災地で障害者が体験したこと・していることを改めて検証し、このことを広く社会へアピールするとともに、国や国際的な防災に関わる施策にも提言を行い、障害者を含む「インクルーシブ」な防災や復興を実現していくことを目指した。このことを踏まえて、JDF支援本部が主として2013年以降に取り組んだ事柄を以下に概括する。

ドキュメンタリー映画の制作と上映

 大震災において障害者が直面する課題を社会へアピールする一つの手段として、JDFではドキュメンタリー映画「生命のことづけ ~死亡率2倍 障害のある人の3.11~」を共同制作した。制作はJDFおよび日本財団、製作はCS障害者放送統一機構 目で聴くテレビであり、監督・脚本は映画「ゆずり葉」などを手がけた早瀨憲太郎氏である。早瀬監督自身がろう者であるとともに、映画のナビゲーターは、盲ろう者で被災者でもある、早坂洋子氏(みやぎ盲ろう児・者友の会会長)が務め、障害当事者の視点から、この震災で何が生死を分けたか、その課題に迫ることを目指した。
 2013年3月5日に参議院議員会館で開催した支援本部「第三次報告会」において初上映を行うとともに、同年6月には渋谷・アップリンクにて一般上映を行った。また上映用のブルーレイ・DVDを発売し、各地の関係団体等により多数の自主上映会が行われている。
 さらに、英語版および多言語版(英語、ロシア語、中国語、スペイン語、ドイツ語)を制作し、後述する防災・障害関連の各種国際会議において上映、紹介、ディスクの配布を行っている。なお中国語字幕版は台湾の有志により制作され、2013年には台北および高雄において上映会が行われた。またロシア語版制作にあたっては、在日ロシア連邦大使館/ロシア連邦交流庁在日代表部のご協力をいただいた。

国への政策提言

 国に対しては、2015年までに十二次にわたる要望書を提出しているが、このうち第七次にあたる2012年7月の要望書は、内閣府特命担当大臣(防災・共生社会)に直接手渡し懇談を行っている。こうした経緯もあって、2012年10月から内閣府の所管により「災害時要援護者の避難支援に関する検討会」ならびに「避難所における良好な生活環境の確保に関する検討会」が開催され、JDFの推薦で複数の障害当事者がそれぞれの検討会に参加した。これらの検討会は、災害対策基本法のいわゆる「第二弾」の改正を見据えて開かれたもので、2013年8月には、検討報告を踏まえた形で「避難行動要支援者の避難行動支援に関する取組指針」ならびに「避難所における良好な生活環境の確保に向けた取組指針」が出された。改正災害対策基本法は2013年6月に可決成立したが、これに関わる指針の作成に当事者が参加したことの意義は評価できる。
同時期に、国土交通省の所管による「災害時・緊急時に対応した避難経路等のバリアフリー化と情報提供のあり方に関する調査研究」が行われ、この委員としてもJDF関係者を含む障害当事者が複数参加した。同調査研究報告書は2013年3月に公表された。今後はこれらの指針や研究報告に基づいて、どのように実践を進められるかが課題である。
 2014年1月には、国連障害者権利条約が日本で批准されたが、JDFではこれを受けて、2014年3月に「障害者権利条約批准記念特別フォーラム」を衆議院第一議員会館で開催した。JDFは、権利条約に基づくインクルーシブな防災と復興を継続的に訴えてきたことから、同特別フォーラムの第一部は超党派の「国連障害者の権利条約推進議員連盟」の総会、第二部はパメルディスカッション「批准への期待と課題」とし、そして第三部を、総合支援本部第四次報告会と位置づけて開催した。 なお次項で述べるように、2015年3月に第3回国連防災世界会議が仙台市で開催され、2015年以降の国際的な防災行動計画である「仙台防災枠組2015-2030」が採択されたが、JDFではこの新たな枠組に、東日本大震災の経験を踏まえて障害者の視点を位置づけることを、開催国である日本の政府に継続的に要請を行った。そのことがとりもなおさず国内の施策にも活かされていくことを見据えてのことであった。

国際社会への発信

 JDFでは障害と災害の問題について積極的に国際的な発信も行った。このことの背景には、一つには大震災で国際社会からさまざまな支援が寄せられたことがある。今一つは、前述の「仙台防災枠組2015-2030」が、第3回国連防災世界会議(2015年3月・仙台市)で採択されるとともに、これに先立って、2013年の国際防災の日(10月13日)のテーマが「障害とともに生きる人々と災害」とされたことがある。これらを踏まえて、東日本大震災の経験から得た教訓を、今後の国際的な防災戦略の中に活かせるよう、障害分野から発信していくことを目指した。
 国際的な発信にあたっては、笹川災害防止賞をはじめとする国際的な防災の取り組みを続けている日本財団の支援を受け、共同での取り組みをさせていただいた。
 まず2013年5月には、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)が、その戦略策定と実施について幅広いステークホルダーと話し合う「グローバルプラットフォーム会議」をスイス・ジュネーブで開催した折に、会議発言やブース展示を通じて日本の実情とJDFの取り組みについて報告するとともに、前述した映画「生命のことづけ」英語版の紹介・上映も行った。障害分野では諸外国からの参加者もあったが、ともにインクルーシブな防災戦略の重要性を訴えた。
 同じく2013年9月には、米国・ニューヨークの国連本部で「障害と開発に関するハイレベル会合」が開催された折に、そのサイドイベントとして、ニューヨーク市立大学ハンター校において「災害と障害者-日本からの教訓」を開催した。このイベントでは、国連会合に参加していた各国の障害分野・防災分野の関係者とともに、UNISDR代表で国連事務総長特別代表(防災担当)であるマルガレータ・ワルストロム氏、ならびに岩手県陸前高田市の久保田崇副市長(当時)に登壇いただいた。
 同年10月には、前述のワルストロム氏が来日した機会を捉え、陸前高田市において、「国際防災の日記念 障害者と防災シンポジウム 誰もが住みやすいまちづくりに向けて」を開催した。ワルストロム氏には開会スピーチをいただくとともに、パネルディスカッションのコメンテーターもお願いした。そして「被災地からの提言」を、同市の障がい福祉計画ワーキンググループメンバーで障害当事者の金子清子氏が読み上げ、ワルストロム氏に手渡した。こうした取り組みは、障害分野からの国際的発信であるとともに、世界の防災戦略を被災地につなぐ試みとしても位置づけた。
 2014年に入ると、第3回国連防災世界会議に向けた準備が本格化し、障害分野を含む各市民社会組織の連携も強化された。内外における準備会合などで活発な要請やロビイングが行われたが、JDFもこうした準備会合や連携の場に参加したほか、JDF単独でも、要望書の提出などを行った。
 そして2015年3月に開かれた第3回国連防災世界会議では、その関連イベントとして、国連経済社会局(UNDESA)によるDESAパブリックフォーラム(仙台市)、そして国連開発計画(UNDP)等による「高齢者・障がい者と防災シンポジウム 復興の力:ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくりに向けて」(陸前高田市)を共同開催するとともに、仙台市等が主催したパブリックフォーラム「障害者の視点からのコミュニティ全体で備える防災」(仙台市)に開催協力した。なおJDFと同時に、内外の複数の障害者団体・関係団体でも関連行事を開催している。
 同世界会議の本体会議(国連主催)においてにも、JDFを含む内外の障害者が多数参加し、発言等を行った。なおこの会議は、障害を主テーマとしない国連の会議としては初めて、物理面、情報面を含めたアクセシビリティの配慮が重点的に行われたが、この点については日本財団の報告をご一読願いたい。
 このような幅広い障害者団体、市民社会組織の取り組みもあって、同世界会議で採択された「仙台防災枠組2015-2030」では、障害者の課題が、従来の「兵庫行動枠組2005-2015」と比べても明確に位置付けられた(障害・障害者について直接言及されたところが5か所)とともに、障害者を含むステークホルダーが、政策・計画・基準の企画立案及び実施に参加することの必要性等が明記されることとなった。

さいごに

 東日本大震災の発生から5年を迎える。災害対策基本法の改正、障害者権利条約の批准、仙台防災枠組の採択を含む政策面での前進はあったが、被災地での課題はなお山積している。とりわけ津波被害のあった沿岸部や、原発事故の影響を受けた地域の展望はいまだ厳しいと言わざるを得ない。
 JDFでは、日本財団、NHKと共同で、震災5年を機に障害当事者アンケート調査を行い、約1か月半の期間で1,800件を超える回答を得た。本稿執筆時点ではその速報がようやく得られたところであるが、質問項目に含まれる、避難行動要支援者名簿への登録、各種防災用語の認知度、地域の防災施策や訓練等への参画などの状況は、いずれも低いものであった。調査結果の詳細は後日報告するが、今後は各種の政策を、どのように実践に結びつけていくかが問われている。
 本報告書においては、執筆いただいたそれぞれの分野や種別の観点から、さまざまな課題や提言が述べられているが、その最も重要なキーワードの1つは、当事者の参画であろう。どのような施策や計画が準備されても、その計画策定や実践の過程に当事者の参加がなければ机上の空論となり、結局多くの命が失われることにもつながる。
 今後予想される新たな災害に向けて、東日本大震災を含む過去の教訓をしっかり活かし、国、自治体、市民社会組織を含むすべての関係者が、どのような実践を行うことができるのか。
 JDFの被災障害者支援の活動は、震災5年目を一つの節目とし、今後は新たな形で取り組みを行っていくことを話し合っているが、引き続き、障害者権利条約に基づく防災と復興、誰もが安心して暮らせる社会の構築に力を尽くしていきたい。

(文責 JDF事務局 原田 潔)