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日本てんかん協会宮城県支部からの報告

公益社団法人日本てんかん協会
宮城県支部代表  萩原 せつ子

1.東日本大震災に関わる支援活動の概要

 宮城県支部の支援活動は、被災者に直接関わる活動と被災者を取り巻く状況への取り組みの活動と二通りである。

(1) てんかん電話相談

 震災時、「てんかん」のある人の多くが、「抗てんかん薬の入手方法」や「診察してもらえる病院」の情報が得られず、困難を強いられた。特に「てんかん」を隠して生活していた人々は、どこにも助けを求められずにいた。
 そこで、震災直後から、「てんかん電話相談」を続けている。
 初めは、支部代表と事務局の自宅の電話番号を公表して開始、2011年4月からは、相談専用の携帯電話も準備し、相談を受けている。主に相談に当たっているのは、代表の萩原と事務局の山下の二人である。
 現在も、月に10件から20件ほどの相談がある。被災した方からの相談だけではなく、その他の相談も増えている。相談内容は、医療、就職、生活、学校、病名告知、車の運転、家族の問題など多岐にわたっている。「これまで、どこにも相談する場所がなかった。」という方がほとんどで、「てんかん」のある人が孤立している状況がうかがわれる。
 電話相談が中心ではあるが、「仙台市市民活動サポートセンター」にブースも借りて、そこでの面談も実施している。じっくり話を聞いてほしいと思っている方、「てんかん」関連の書籍や資料を必要としている方などが訪れている。

(2) 「てんかん」についての啓発活動

 被災者支援の直接的な活動ではないが、被災者を支援することにつながる重要な活動と考えている。
 社会の中にある、根強い「てんかん」に対する誤解や偏見が震災のときも被害や困難をより大きくしたと思われる。「てんかん」を隠していたために、避難所に行けなかった方たち、「抗てんかん薬」が無くなってしまっているのに、言い出せずにいた方たち、避難所で発作を起こして居られなくなった方たち。
 「てんかん」に対する正しい理解があれば、状況が変わっていただろうと悔やまれてならない。
 震災後の生活再建にも、「てんかん」への無理解が大きな壁になっている。
 震災で職を失った方が、なかなか、次の仕事をみつけられなかったり、新しいコミュニティの中に入れずにいたりしている。
 チラシやポスターでの広報啓発、イベントや講演会などでの発信活動、施設や事業所に出向いての出前講座などを実施している。
 震災時に、障害についての理解があったらと悔やまれるのは、「てんかん」だけの問題ではなく、他の病気や障害のある方々も同じ状況であった。「JDF宮城」や「みやぎアピール大行動」の仲間と連携し、「障害理解」についての活動も行っている。

(3) 行政などへの要望活動

 震災時の被害を大きくしてしまった要因には、震災時の支援体制や避難所の問題などもあった。何が問題で、どう変えていかなければならないのか整理して、要望していかなければならない。
 私たち宮城県支部も、「みやぎアピール大行動」の仲間とともに、宮城県や仙台市に対して、震災関連の要望活動を続けている。
 主な内容は次の通りである。ここでは、「てんかん」関係のものだけを挙げる。

  • 災害時の指定避難所となる学校などのバリアフリー化
  • 災害時における住民への「病院」や「薬の入手方法」などの情報提供について、宮城県が主体となるセンター的な機能のある所の設置を
  • 災害時に向けて備蓄している非常災害用医薬品の見直し。外科の医薬品だけでなく、慢性疾患用の薬や精神疾患の薬の備蓄も
  • 職員に向けた「障害理解」の研修

2.これまでの成果や課題

 被災していまだに困難な状況にある方に対して、成果と言えるべき支援ができていないのが現状であるが、ここまでのことをまとめてみたい。

(1) 成果と課題

 電話相談を続けてきたことで、一人で悩んできた方々の声を受け止めてこられたことは、一定の成果であると考える。年間200件ほどの相談を受けてきたが、治らないと諦めていた方、自立支援医療などの福祉サービスも知らずにいた方などに情報を伝え、たった一人で悩んできた方々の相談を受けてきたことに意義があると思う。
 ただ、私たち宮城県支部は小さな団体であるため、限界を感じることも多い。予算が十分でなく、スタッフも限られているため、電話相談から先の支援ができないのである。悩みを聞くだけならできるのだが、専門家ではないため、具体的な医療や福祉のアドバイスができないのである。私たちが受けた相談をつなぐ場所を作らなければならないと考えている。行政に対しても公的な機関で「てんかん相談」ができる場を作ってほしいと要望しているところである。
 また、被災した方からの相談は、いろいろな問題が絡み合っており、すぐに答えが出ないものが多く、支援が難しい。
 てんかんがあっても、自営の農業や漁業に従事していた方々の中で、被災した後生活が一変した方が多い。それまでは、家族の中で守られ、てんかんの発作があっても、仕事をして生活することができていた。しかし、家が流され、船や田畑も流され、農業や漁業も続けられなくなった今、改めて「てんかん」という大きな壁が立ちはだかっている。「てんかん」があっても雇ってくれる所はあるのだろうかという相談が今年度も続いている。生活再建のためには、早く仕事に就かなければならないのに、仕事が見つからないのである。
 同じように、家族と一緒に住んでいた家や作業所などが流され、「居場所」がいまだに見つからないままの方もいる。狭い仮設住宅では、家族で住むことができず、「てんかん発作」も丸ごと受け入れてくれる場所がないのである。
 このような方々には、近くで寄り添い継続的に支援する必要があるのだが、電話相談の次の支援先としてつなげる場所が少ないというのが大きな課題である。
 中には、「てんかん」を隠したままでという方もいるため、公的な機関などへも紹介できないのである。

(2) てんかんの啓発活動

 障害者権利条約、障害者差別解消法、そして仙台市での差別解消条例制定に向けた動きの中で、「てんかん」の啓発活動に耳を傾けてくれる人は確実に多くなっていると感じる。
 しかし、まだまだである。就職、アパートへの入居、グループホーム、学校などで「てんかん」が正しく理解されていないための問題が続いている。長い歴史の中で作られた誤解や偏見は、簡単には覆せない。あきらめずに一歩一歩進むしかないと考えている。
 私たちが発信し続けないかぎり、何も変わらないからである。

(3) 行政などへの要望活動

 継続中である。
 すぐに答えが出ないものもあるので、とにかく継続していきたい。
 非常災害用医薬品は、その後見直しがなされ、内科の慢性疾患用の医薬品が追加され、現在はてんかんの薬も追加された。
 災害時の情報提供については、被災した方に重要な情報が届くような手立てを私たちも考えていきたい。
 震災の時は、障害のない人も情報がなく大変だったが、とりわけ視覚障害や聴覚障害の方に情報が届かなかった。また、病院も被災したが、診療している病院についての情報も届かなかったのである。

3.将来への展望や提言

 災害への備えは、すなわち、「障害があってもなくても暮らしやすいまちづくり」と考える。そのときのことだけを考えて備えるのではなく、その人らしい生活を保障するためには、どんなことが必要かを考えなければならないのではないだろうか。
 社会の中で障害や病気に対しての理解があり、多様な人のことを考えて社会のシステムが作られていたら、震災のときも、障害のある人があれだけの困難を強いられなかったに違いない。震災前と同じようにしてはならないのである。震災前からあった課題に目を向け、変えていかなければならない。
てんかんや障害理解の啓発活動にも力を入れ、状況を変えていきたい。