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眼に太陽は見えなくとも

その20年の軌跡 No.1

全国盲老人福祉施設連絡協議会

 この会は盲老人福祉施設間の緊密な連けいを保ちつつ施設運営の合理化と充実を図り、新設ホームの育成発展に相互協力し、もって盲老人福祉の向上に寄与することを目的とする。

序にかえて

全盲老連会長
三浦 昌武

 今から二昔前、呱呱の声をあげたこの会もわずか3法人4施設の発足でしたが、今や加盟施設56施設と発展して参りました。
 偉大な初代会長佐藤三蔵先生のご逝去に伴い、私が会長の職を汚すことになりましたが、この間厚生省をはじめとする関係方面の温かいご指導と、会員施設の力強いご協力に支えられ、「盲老人の幸せ」を目標に努力して参りました。特に秩父宮妃殿下には会員各施設をご訪問され、ご激励いただいた事は、盲老人福祉発展のために大きな原動力となりました。
 また、専門施設としての必要性は平均寿命の伸びとともに高齢失明者は増加し、ニーズが高まっていることは、否めない事実であります。そのため専門施設職員としての処遇技術の向上の必要と施設の専門性が認められるようになりました。
 本会としては職員の研修に最も力を入れ、いくらかの実績をあげたものと自負いたしております。各種刊行物による実績もまた見逃すことはできません。そして、各県に1施設の設置も漸くあと未設置県が9県と目標に一歩近づいて参りました。今後は更に高齢失明者の福祉を高めるために、会員施設とともに手を取りあって研鑚に励み、25年、30年への一歩を力強く歩んで参りたいと思います。
 記念誌を刊行するにあたり、思いを新たにしながら感謝の誠を捧げたいと思います。

眼に太陽は見えなくとも

-その20年の軌跡-

目次

序にかえて 全盲老連会長 三浦 昌武

祝辞:全盲老連創立20周年を記念して

回顧:全盲老連20年の歩み

展望:新しいかがやきを求めて

あとがき  創立20周年記念誌委員会委員長 吉田 孝志

資料

  1. 会則
  2. 歴代役員一覧表
  3. 盲老人ホーム開設状況
  4. 加盟施設一覧表
  5. 全国盲老人ホームマップ

祝辞

全盲老連創立20周年を記念して

  祝辞

厚生大臣
藤本 孝雄

 全国盲老人福祉施設連絡協議会が創立されてから本年をもって20周年を迎えることになりました。
 目が不自由でかつ高齢の老人の方々のための福祉施設は、老人福祉法制定2年前の昭和36年に奈良県において、慈母園が誕生したことに始まり、その後東京都において老人ホーム聖明園、第二聖明園、さらに広島県において白滝園が開園されました。
 これらの施設が中心となって全国盲老人福祉施設連絡協議会が設立され、現在56ケ所の老人ホームが加人するまでに発展して参りました。
 本会は設立以来今日まで、盲老人が明るく豊かなホーム生活を確保するため、全国の老人ホームに人所中の盲老人の実態調査及び盲老人を処遇するための専門的知識と技術を身につけるための施設職員に対する研修を行うなど盲老人福祉の向上のために大きく貢献されてきました。
 これもひとえに、関係各位のご努力の賜であり、この機会に深く敬意を表する次第であります。
 ご承知のとおり、わが国は、世界に例をみないスピードで高齢化が進みますが、「誰もが喜べる長寿社会の建設」を今後の厚生行政の基本的理念とし、お年寄りの経験や知識を社会の財産と考え、国民の1人1人が明るく健康で生きがいを持って暮せるような社会を確立していかなければならないと考えております。
 盲老人は、二重のハンディキャップをもった方々であり、これらの方々の日常生活をお世話し、心豊かなものとするための盲老人福祉施設の役割はさらに重要となり、また、これらの施設運営にあたってのご労苦は極めて大きなものがあると存じます。
 全国盲老人福祉施設連絡協議会が創立20周年を迎えたことを契機として、三浦会長をはじめ役職員並びに先達各位の盲老人福祉の向上にかけてこられた情熱と努力の足跡を想い、この20年の歳月のなかで培われた数多くの実りある経験と実績を糧として、今後一層、充実・発展されんことを心より祈念いたしてお祝いの言葉といたします。

  祝辞

東京都知事
鈴木 俊一

 本日は、全国盲老人福祉施設連絡協議会創立20周年記念式典が、このように盛大に開催されましたことを、心からお祝い申し上げます。
 全国盲老人福祉施設連絡協議会は、老人福祉法が成立して間もない昭和43年に、盲老人福祉施設間の緊密な連携と相互協力を図るため、3法人の4施設をもって創立されましたが、20年を経た今日では、43法人、56施設を会員とする協議会へと発展を遂げられました。
 この間、施設が全国に点在するなど、いろいろと困難な問題があるなかで、多くの施設と交流を深め、専門的な研修、研究の場としての実績を積まれるとともに、利用者の処遇の一層の充実を図るなど、多くの業績をあげてこられました。
 これは、ひとえに協議会会長をはじめ、関係者の強い熱意と、たゆまぬ努力によるものと、あらためて深く敬意を表するところであります。
 今、わが国は人口の急速な高齢化の進展により、人生80年時代にふさわしい社会システムの形成が求められています。
 東京都におきましても、高齢者が地域社会のなかで、いきいきと安心して生活できるよう、在宅福祉の充実を図るとともに、特別養護老人ホームをはじめとする老人福祉施設の増設に努めております。
 こうした福祉事業の推進に当たりましては、社会福祉事業関係者である皆様方のご理解、ご支援が不可欠であり、今後とも宜しくお願い申し上げる次第であります。
 おわりに、全国盲老人福祉施設連絡協議会の益々のご発展と、ご列席の皆様方のご健勝を祈念しまして、お祝いの言葉といたします。

  お祝いのことば

全国社会福祉協議会会長
太宰 博邦

 昭和43年4月に誕生した全国盲老人福祉施設連絡協議会が、今年は創立20周年を迎えられました。まことに喜ばしい限りであり、関係者のご努力に敬意を表するものであります。
 5年前、市ケ谷会館に秩父宮妃殿下の台臨を仰ぎ、創立15周年感謝の会が催され、私がお祝いにかけつけましたことも、ついこの間のような気がいたします。
 日本の高齢者問題は大きく揺れ動いています。まれにみる急速な高齢化、長寿化は、高齢失明者の増加をみています。昭和62年厚生省の発表によりますと、視覚障害で、18歳以上の在宅者は307,000人と発表され、昭和55年336,000人より29,000人の減少と喜ばしい数字となり、医学の進歩は確実に視覚障害者を減らしました。しかし60歳以上でみますと、昭和55年が206,000人で全体の61.3%でしたが、62年では201,000人と65.5%を占める結果となり、高齢失明者の増加がはっきりしました。
 今後もこうした傾向が予測されるため、さらに研究をすすめ、盲老人のより豊かな老後のために、全盲老連の果たすべき役割は大きいと思われます。
 この20周年という節目を機に団結を深め、ますますのご発展をお祈りし、お祝いのことばといたします。

  成人を迎えた全盲老連に

全盲老連顧問
板山 賢治

 全国盲老人福祉施設連絡協議会が結成されて20年になるという。いよいよ成人を迎えたというべきであり、終始その展開にかかわって来た者の一人として感慨深い。
 わが国の盲老人ホームは、今や56施設、3,300人余の盲老人がそこで暮らし、1,400人をこえる人々がそこで働いている。
 昭和44年の春ごろ4施設、250人の定員であったことを想えばこの間の発展には驚くべきものがある。
 こうした盲老人ホームの発展に主導的役割を果たして来られた「全盲老連」の御労苦に心からの敬意を表したいと思う。
 それにしても、20年は一つの「節目」である。こうした時に、「井戸を堀り」「橋を架けた」先人の労苦、知恵といったものに思いをはせ、時に原点にかえり、これからの展開に資することも必要なことであろう。
 この機会に、「盲老人ホーム」と私との出会いを含めて若干の感想を述べ、今後における一層の発展を祈念したいと思う。
 「盲老人ホーム」と私との出会いは、昭和34年の秋頃にはじまる。当時、奈良県、壼阪寺の青年住職、常盤勝憲師が持ちこんで来られた「盲老人に養老施設を」という計画がその発端であった。有名な「壼阪霊験記」に因んで全国から多くの盲老人が参詣し、この地に永住したいという願いをもっているのでそれに応えたいという発想であった。師の情熱と愛盲精神に共鳴して当時の瀬戸施設課長(現日赤会館社長)から「実験的モデル的施設」としての了承をとりつけ、奈良県当局の理解もあってわが国盲老人ホーム第一号としての壼阪寺慈母園の誕生をみたのは、昭和36年3月のことであった。
 そして、これが契機になって、東京・青梅の本間さん、広島の守下さんがあとに続くこととなったのである。
 私と「全盲老連」との出合いは、昭和44年の夏ごろである。10年ぶりに老人福祉課長補佐とし着任した私を待ち受けていたのは、「盲老人ホームに対する国庫補助の再開を」という「全盲老連」事務局長としての本間さんからの陳情であった。
 「盲老人も一般老人ホームで」という当時の理論的な立場からの行政方針を転換させるために払われた「全盲老連」の「第1回盲老人実態調査」(44年9月)を中心とする努力と工夫には、「実態を反映した行政を」という社会福祉現業からの強い情熱と説得力を感じたものであった。そうしたねばり強い事実にもとづく陳情が、44年12月の日比谷・松本楼における「懇談会」を経て45年度国庫補助再開へと結実していったのである。
 その後における「全盲老連」事業の歩みは「職員研修」や「予算対策」、さらには「ハンドブック」の刊行へと「専門性」と「資質の向上」を目指して着実に進められており、まことに心強いものがある。
 しかし、近時、時代の変化はピッチを早めている。「盲老人の福祉」もまた21世紀、「新しい社会」への対応を急がなければなるまい。そのポイントは何なのか? 20才、成人を迎えた全盲老連の真価が問われる時が近づいているように思われる。

(日本社会事業大学教授・専務理事)

  このごろ思うこと

全盲老連顧問
常盤 勝憲

 全盲老連が結成されて20年になるとか。
 十年ひと昔の喩えからすると、ふた昔も重ねたことになる。
 過ぎ去った跡を振り返ると、いろいろな思い出があるが、転換期を迎えている日本の社会事業の中にあって、全盲老連も、勇断をもって事に当たらねばならない時が来たのではないだろうか。
 そういう意味においても、過ぎ去った20年は大切な時期だったと考えている。
 わたしは現在、印度に滞在している。ひとつには、壼阪寺と印度が協力して行っている文化事業、いまひとつは、印度が今世紀のうちに克服したいハンセン氏病撲減のための事業にそれぞれ協力するために、長期にわたって滞印しているのである。
 印度はその歴史において古く、人口規模、国土の広さ、内に抱える問題の複雑さなど、いづれから見ても大国である。こんにちでも、中国についで七億五千万の人口を有するし、多民族、多言語、そして多宗教の共和国であり、その複雑さは、小さな争い事が流血の惨事を生じ、最後には首相が側近の衛兵の手で暗殺されるという悲劇すら演出する。生活の貧しさが民衆に宗教の救けを求めさせるのかもしれないが、日本人の想像を絶する貧困がこの国を広く支配し、また、国内における宗教や民族の対立は、国と国との紛争のありさまといっても過言ではない。
 貧しさとはなにか。
 過去のことではなく、こんにちでも、わが国においては、福祉の基準が貧しさそのものを物語ってきたのではないか。たとえば、老人ホームは「収容施設」と呼ばれてきた。3.3平方メートル、すなわち畳二枚が入園者ひとり当たりの居室の基準であった。こうしたことが老人ホームを暗いものとしてきたし、また、それらは防貧救貧時代の残照であった。世界中がこんにち、頭に描いている「豊かな日本」の陰にかくれた一面であった。
 福祉とは何か、日本の豊かさとは何か、日本の社会事業はこれらの論議を繰り返していかねばならない。
 わたしの、今滞在している印度に、日本の基準を当てはめようとしても、それは不可能であろう。
 GNP(国民総生産)は日本の何十分の一、それに比例する個人所得も何十分の一の印度に、求められるものは果たしてあるのだろうか。貧しさについての考え方、感じ方は日本人の認識の遙か遠い世界である。
 電気のない生活は国土の50パーセント以上におよび、井戸や川の水を汲むために遠くまで歩いて行かねばならない農村はまだまだ多いのである。それゆえ、人々にとって、狭くても雨や酷熱を防ぐ家屋があればそれは幸いであり、ベッドやテレビがなくとも、雨が降って農作物が実り、家畜が育ち、子供に病気を患う者がいないということが喜びであり、かつ幸なのである。
 こんな印度を基準にして福祉を考え、生活の貧しさを追究してゆくことはおかしなことと思えるかも知れないが、そんなとき、わたしは、印度人の中でもマハトマ・ガンジー翁の流れをくんだ数少ない友人たちの生き方を思うのである。そのひとたちは経済的には貧しいが、精神的にはわれわれをはるかに越えた豊かさを教えるのである。こんなとき、わたしは日本の社会事業が「物的充足を求める時代」から「精神的向上を目指す時代」に、転換しなければならないと感ずるのである。
 マハトマ・ガンジーが実践した社会福祉は、印度のおおいかぶさるような貧困の中では、なんら寄与するところがないように考えられるかもしれないが、あの難しい国情の中にあって、こんにちでも立派に翁の精神は経営に生かされているのを感じさせられる。
 たとえば、ガンジーは「共生」すなわち、「共に生きる」ということを福祉の原点とした。このことは、印度各地のハンセン氏病患者のコロニーなどにおいて、患者たちが、老人も子供も、男も女も、社会階級をこえて可能な限り共に農地を耕し、牛を飼い、糸を紡いでいる光景を見てもわかるような気がする。その「共生」は喜びと感謝の心を人々に教えるという。
 こんにちの日本では、なかなか難しい事になってきたが、21世紀に向かうわが国の福祉は、厚生省だけの発想を拠りどころとするのではなく、国民ひとりひとりの心の中に、豊かに育まれるようにならなくてはいけないと思う。
 福祉が国民の税金を主体とした措置費によるものから、国民の拠出する保険金を中心としたものに移行してゆくことは時間の問題であろう。その結果、措置費は障害者福祉など、ごく限定されたものだけを対象とするようになろう。
 くわえて、年金積立金の運用が80パーセント以上も民間に委託されることになるであろう。欧米諸国では十数年前から、国際的視野に立って年金が効率よく運用されている。
 また将来、福祉六法からいろいろな基準が消えていくと思う。それに代って福祉施設は経営者の「心」と「姿勢」によって創造されるものである、という考え方がゆきわたる時代が来ると思う。
 企業としてのシルバー産業が、一歩一歩前進している時代にこそ、「心」が、大きな存在価値を自ら表明するのだ。
 全盲老連の当初、聖明園の本間さんとわたしが、本間夫人の運転する車の中で結成のことを話し合ったのがその出発であった。
 本間さんが研修など多くの具体的行動を通じて、この団体を一本化し、引っぱってこられたことによって、20年歩んでくることが出来たのだ。
 わたしは、施設や法人の理事長、理事、園長などの役職に就任したことがないので、いつも外野席から見学させてもらってきたが、この20年は日本の社会福祉の小さな進歩の軌跡を示すものではないだろうか。
 それでは、21世紀に向かって、全盲老連に何を望むべきかと問えば、現在の在り方には一抹の不安をいだくものである。
 やがて社会の雇用不安は施設にも及んでくるであろう。措置費は30パーセント位カットされるであろうし、地域の福祉参加の情熱には格差があり、経営の主体はすべてにおいてそこに期待をかけることは出来ないであろう。
 そこで全盲老連は経営基金を創設しなければならないと考える。これは大きな印度的「共生」である。やれるかどうか論じるより、この20年間の結束を生かしてやり抜かねばならないと思う。
 その他にもまだまだやる事があろう。直ちに実行しておかなくては、と叫びたい事もある。20年間ご苦労さま、と祝意を表しておいた方がご無礼にならないのかもしれないが、わたしの目に見える現状は、とても厳しいものとなって迫ってきている。
 この拙文を遙か印度からお送りするとは、全盲老連の20年はわたしにとって忘れられない思い出となった。
 心から各施設のご発展を祈るものである。

 酷熱の南印度にて(壺阪寺長老)

全国盲老人福祉施設連絡協議会

役員

役職名 氏名
会長 三浦 昌武
副会長 小林 常蔵
理事 嘉悦 明治
理事 斉藤 洋一
理事 佐藤 正則
理事 東海林 清子
理事 藤谷 芳徳
理事(事務局長) 本間 昭雄
理事 水田 武夫
理事 山田 都企子
理事 吉田 孝志
監事 一之宮 佑幸
監事 野口 和一
顧問 板山 賢治
顧問 常盤 勝憲
参与 堀田 正元
参与 麻田 典夫
参与 佐々木 雄太郎
前会長 (故)佐藤 三蔵
元副会長 (故)大島 彦信
参与 (故)田村 敬男

回顧

全盲老連20年の歩み

 全盲老連の夜明け
  -思い起こすことども-

全盲老連参与
堀田 正元

 昭和43年4月に全国盲老人福祉施設連絡協議会と銘打って、当時の慈母園、聖明園、白滝園の三園が中心となって、新宿の中村屋で発会式を挙げてから早や20年の歳月が流れようとしている。誠に、まだ昨日のことのような気がしてならない。
 当時、この三園長は機会あるたびに寄り合って寮母定員の増員対策、職員の交流による研修、施設整備のための共同的募金対策など、いろいろ話合い互いに協調を重ねてきたこともあり、また、折しもナザレ園、恵明園など、次々に盲老人ホームが設立されようとする機運にめぐまれて、全盲老連の設立には、一層の拍車がかけられたように思う。
 その当時を振り返って、全盲老連発足当時の各施設が、共に体験した苦しみや困難というものを今思い出すままに列挙しておくことは、今後のためにも決して無駄ではないと考えるものである。

1.当時生活保護法に定める養老施設の創設費に対しては、国・県費の補助は全くなく、自己資金のみをもって、建設するほかなく、従ってこれが資金募集に大変な努力を払わなければならなかった。

2.盲老人のみの分類収容施設を認めることは、必然的に他の身心障害者についても勘考を要することとなるのみならず、施設運営上種々困難な事態を招く懸念から、容易に厚生省当局の承認が得られず、むしろ、同じく生活保護法に定める「救護施設」にしてはいかがかと慫慂(しょうよう)されたが、かくては、施設利用者のイメージに甚だしくそぐわないとして、種々論議を重ねて強く交渉した結果、ようやくテストケースとして認可を得るにいたった。

3.かくして慈母園などにおいて「養老施設」として発足したものの、一般施設並の扱いをうけるため、直接処遇職員である寮母定員をもってしては、最低限度の処遇すら到底行えない状況であって、これを補完するために、園長以下全職員のほとんどは、無休奉仕するほかなく、ときには慈母園などにおいては、壼阪寺職員の応援を受けなければならない状態であった。
 従って、盲老人ホームにおける特殊事情を具申することによって、寮母定員の増員を求めるため、寮母業務分析表を作成し、綿密に業務所要時間を割り出すとともに、あるいはまた、図表をもって、業務の配分を明らかにするなど、手数と時間をかけて、その実情を訴えた結果、逐次増員される方向に赴いた。

4.事務費、生活費別委託費交付基準には、地域差、等級差があって、下位に属する施設にあっては、経営の上においても相当困難を伴った。
 最近における経済の変遷は、過去に設けられた地域差も次第に圧縮されて、委託費の格差も修正されつつあるが、なお充分とは言えない。

5.盲老人ホーム創設時には勿論その設備基準なるものはなく、建築後も種々模索修正を行うほかなかった。

 以上つらつらと述べあげたが、全盲老連発足以来ちょうど20年目を迎え、幸いにも全国に加盟50数施設を数えるにいたり、多くの善意の人々から寄せられる物心両面にわたる支援のもとに、より良い経営を目指して日夜努力が払われていることは、誠に、感激に値すると言わねばならない。
 時代は移りゆき、わが国は今や高齢化社会を迎えつつあるが、時代の新たな福祉の要請には、これからの若い人たちが、これに必ずや対応していってくれることと信じまたそう希望してやまない。
 時代の変わり目にはいつも多くの試練がつきものであろうが、単に懐古の思いにかられて申すわけではないが、全盲老連創設期の困難と、それに対応した当時の数少ない施設間の協力を思い起こして頂きたい。そのように思うのは恐らく、わたしばかりではないであろう。
 おわりに、本会の発展のため陰に陽に奉仕された多くの方々に、いまさらながら、深甚の感謝を捧げるものである。

(元慈母園園長)

  全盲老連のあゆみ

全盲老連事務局長
本間 昭雄

1.夜明け
 わが国の養老事業は長い歴史をもっています。聖徳太子による四天王寺にみる悲田院が、その収容施設としてのはじまりであり、明治、大正、昭和と近代文化の導入によって、養老施設(収容の場)から老人ホームヘと発展してきました。この間、目の不自由な老人も、一般の老人と同じように養老施設でケアを受けてきました。
 急速な高齢化社会が想像以上の早さで到来することが予測された昭和38年に老人福祉法の成立をみたのでありますが、この法律の誕生の前昭和36年に、視覚障害者にとってゆかりのお寺であります、奈良県高市郡高取町の壼阪寺境内に、ぜひ視覚障害者のための養老施設を作って欲しいという要望が、常盤勝憲住職のもとに寄せられました。人道的な見地から、あるいは浄瑠璃「壼坂霊験記」でも知られるお寺であり、常盤住職は多くの盲老人からの願いに応えたいと、早速厚生省へ足を運ばれました。
 当時はまだ老人福祉課は設置されていない時代でしたから、施設課が所管をしており、常盤住職は盲老人からの要望について担当官に説明し、なんとかお寺の境内に盲人の心のよりどころとしての施設を作ってあげたい、と訴えられました。当時はまだ十分な理解を得られる時代ではなく、誰もこのことについて賛意を表する人はいませんでした。
 昭和30年代半ばといいますと、まだ戦後の社会情勢も経済状況も決して良い状況とはいえませんでした。
 こうした社会背景の中で、何回も足を運ばれた常盤住職の熱意に当局は、試験的に設置を認めてはどうかということで、当時施設課に勤務されていた板山賢治氏(現日本社会事業大学教授、専務理事)が上司の了解をとりつけ、昭和36年、当時は養老院といっていましたが、現在の盲老人ホーム慈母園が誕生したのであります。当時の資料によりますと、盲老人の施設など作っても入る人はいないだろうとされていました。従って協賛者も少なかった時代に決断し、施設を作られた常盤住職の熱意と実行力には感動を覚えずにはいられません。運営上も大変なご苦労があったと想像されますが、今日のような職員の配置基準もなく、お寺をあげての奉仕活動によって、わが国の盲老人福祉が誕生したのであります。

2.黎明期
 昭和38年に老人福祉法が誕生し、暗いイメージのある養老事業から、公的責任における老人福祉へと脱皮することになるわけでありますが、この頃東京都青梅市にわが国最初の軽費盲老人ホーム聖明園(定員50名)の建設が始められました。このホームは全室個室であり、プライバシーの確保されたホームとして、非常に期待された施設であります。費用も収入により一部負担の義務をおったもので、まったく新しいタイプのものでした。昭和39年4月1日に開園されたものであります。
 このホームは後に養護老人ホームの個室化が進み、全般的に収容の場から生活の場へ、雑居から個室化へ、無料から費用負担へという時代背景の中で、昭和57年11月30日をもって養護盲老人ホーム聖明園曙荘に転用され、現在まで定員100名として運用されております。
 昭和40年10月1日、養護盲老人ホーム第二聖明園(定員50名)が開園し、前記軽費盲老人ホーム聖明園とともに同一敷地内に、視覚障害者のための老人ホームとして運営されました。この頃は奈良の慈母園とともに、それぞれ暗中模索の状態でした。軽費老人ホームは4畳半に一人が利用し、養護老人ホームの場合は8畳に4人、もしくは10畳に4人というのが当時の基準でした。
 昭和41年8月1日には広島県三原市に白滝園(定員50名)が開園しました。漸く3法人4施設の誕生をみたのであります。この頃はまだまだ社会の十分な理解を得られるという状況ではありませんでした。従いまして厚生省当局においても、一般老人ホームからの分離、独立という方向には、かなり抵抗があったようです。
 常盤勝憲住職を中心に、時にふれ折にふれて会合をもち、それぞれ抱えている問題を話し合い、一般老人ホームと同じ職員の配置では、十分なお世話ができないことや、火災等防災の面からも安全対策上問題があるとして、各施設が個々に当局と折衝するのでは力が弱い、ぜひ一つの組織を作って当局との窓口としてはどうか、という常盤住職の助言もあって、昭和43年4月5日に「全国盲老人福祉施設連絡協議会」が結成される運びとなったのであります。初代会長には聖明福祉協会理事長の佐藤三蔵氏を迎え、活動を開始したのであります。

3.全盲老連の誕生と事業
 さて、全国盲老人福祉施設連絡協議会(以下全盲老連と略称)という名称はわずか4施設というあまりにも少数でありながら、いささかどうかという気持もありましたが、いずれは各県に最低1施設は誕生し、在宅盲老人のサービスの拠点となることも期待し、この名称を用い今日に至っています。この会の創立とともに、最も力を入れてきた事業に、1.機関紙の発行による広報活動、2.職員の研修、3.各種実態調査の実施と報告書の刊行、この3点に重点をおき、中でも職員研修では専門的な知識、技能を習得し、十分な専門施設職員としての技能を習得させることに努めました。
 ところで各種実態調査の実施は、今日まで5年ごとに行われ、専門家などの協力も得て分析し、刊行して参りました。職員の配置について当局に要望するときもまた、盲老人ホーム設置を認めてもらうためにも、この調査統計資料は大きな役割りをはたしました。
 昭和44年12月1日は盲老人福祉にとって歴史的な会談が開催された日であります。日比谷松本楼において、当時の厚生省社会局老人福祉課長永原勘栄氏、同課長補佐板山賢治氏、同老人福祉専門官森幹郎氏の出席をえて、盲老人ホーム関係者および、盲老人ホームの設置に反対の考えをもつメンバー数名の学者等がテーブルを囲み、将来の盲老人福祉施設の今後のあり方について議論したのであります。
 この時まさに行政当局を納得させたものは、実態調査に基づく統計資料でした。特に、板山賢治課長補佐は盲老人ホーム設置の必要性を強く訴えられ、当局は専門施設の必要性を認め、その実現をみたのであります。
 爾来職員の配置基準においても、次のような進展をみたのであります。
1. 昭和47年寮母の配置を順次増員
2. 昭和48年各施設に生活指導員1名を増配置
3. 昭和50年看護婦1名を各施設に増配置
4. 昭和52年利用者6名に対し寮母1名の基準配置
5. 昭和60年10月1日、宿直体制から夜勤体制への移行に伴う非常勤寮母1名の増員
というように、行政当局のご理解ある対応を得て来たのであります。

4.各地方に施設誕生
 歴史的な松本楼会談を契機として、わが国の盲老人ホームは次のような順に設置されていきました。これはいかに盲老人が待望していたかを物語るものと言えましょう。同時に実態調査の中で、一般のホームでは精神的な安定が得られなかったと回答した人が、90%にも達していた事実を率直に受け止め、人間としてやすらかな老後の保障を憲法で唱っていることの実践を認めた当局に感謝を捧げたいと思います。
 昭和45年4月、茨城県にナザレ園(定員55名)が開園、昭和46年2月、北海道に恵明園(定員50名)、4月には島根県に湯の川温泉盲老人ホーム(定員50名)、神奈川県に横須賀第一第二老人ホーム(定員50名)、6月には群馬県に明光園(定員60名)、7月には三重県に梨ノ木園(定員50名)、栃木県に松ケ丘葵荘(定員50名)、12月には大阪府に槻ノ木荘(定員50名)が誕生と続きました。
 そして、翌47年にも次の8施設が次々と開園しました。
 2月には熊本県に熊本めぐみの園(定員70名)、4月には青森県に弘前温清園併設ひかり寮(定員30名)、長野県に光の園(定員50名)、大分県に三重盲老人ホーム三国寮(定員50名)、鹿児島県に三宝園ひかり寮(定員50名)、5月には宮城県に松風荘(定員50名)、愛媛県に権現荘(定員50名)、7月には千葉県に猿田荘(定員50名)。
 昭和48年にも3施設が次の様な順序で関園しました。
 4月には兵庫県に五色園(定員50名)、5月には兵庫県に千山荘(定員50名)山梨県に青い鳥老人ホーム(定員50名)。
 続いて昭和49年には次の3施設が開園しました。
 1月秋田県に松峰園(定員55名)、6月福岡県に寿光園(定員50名)、京都府に船岡寮(定員50名)。
 昭和46年から4ケ年で21施設の誕生をみました。これは何よりも視力を失った高齢失明者の願いがあったということで、わが国の高齢化が進む中で、いよいよその需要は増大することを物語っていると言えましょう。
 平均寿命ののびは中高年失明者の増加と、決して無縁ではありません。このことについては、元都立養育院附属病院眼科部長戸張幾生博士の専門誌「老人福祉」にその論文が掲載されています。
 昭和50年に入りますと、日本の経済成長と共にわが国の福祉ものびた時代と言えましょう。
 1月福井県に第二光が丘ハウス(定員50名)、3月鹿児島県に啓明園(定員50名)、香川県に香東園盲老人ホーム(定員50名)の3施設が開園しました。
 昭和52年は4月に鹿児島県の阿久根市に蓮の実園(定員50名)、宮崎県に生目幸明荘(定員50名)、新潟県に胎内やすらぎの家(定員50名)、6月には岡山県に鶴海荘(定員50名)の4施設の誕生をみ、本会の願いであります“各県に1施設を”という願いに一歩近づきました。特に鹿児島県には3施設が開園し、当時注目をあつめました。
 昭和51年と53年には、開設した施設はありませんでした。
 昭和54年に入って次の2施設が開園し、合計34施設に達しました。
 4月、埼玉県にひとみ園(定員80名)、長崎県に光明荘(定員80名)。
 昭和55年には、4月に都立養育院の中に1フロアーを視覚障害者のための施設として、桜寮(定員50名)が開設しました。これは、東京都盲人福祉協会が会員の声を東京都に陳情し、開設をみたものです。同じく4月に北海道旭川に旭光園(定員50名)、12月に愛知県の温暖の地渥美半島に福寿園(定員50名)がそれぞれ開園しました。
 昭和56年には真言宗のお寺で有名な石川県の那谷寺が中心になって、小松市に6月、自生園(定員50名)が開園しました。
 昭和57年には次の2施設が誕生しました。
 4月、静岡県に第二静光園(定員50名)、福岡県に白藤の苑(定員50名)、5月には青森県の弘前温[情]園併設ひかり寮が独立し、津軽ひかり荘と改称されました(定員50名)。福岡県にも2施設の誕生ということになり、鹿児島県と兵庫県についで複数施設県となり、九州地区では佐賀県と沖縄県にのみ未設置となりました。
 昭和58年には4月に四国の徳島県に羽ノ浦荘(定員50名)が開園され、四国地方では高知県だけが未設置となりました。
 昭和59年4月、待望の佐賀県にも春秋園(定員50名)の誕生をみることになり、九州全県に整備されたことになります。
 昭和62年4月には山口県下関市に春光苑(定員50名)、7月には和歌山県和歌山市に喜望園(定員50名)の開園をみました。

5.未設置の県にも
 国としては、養護老人ホームは新設を認めないという方針で、ここ10数年推移してきました。特養施設整備が中心になってきました。しかし、盲老人ホームだけは別枠で設置が認められてきた経過があり、前述のとおり毎年のように開設をみてきたのであります。
 未設置の県は山形、岩手、福島、富山、岐阜、滋賀、鳥取、高知、沖縄の9県だけとなりました。漸く本会の願いも1桁となり、この中でも福島、滋賀、沖縄等は新設に向けていろいろ動きがあります。
 各県に1施設は近い将来必ず実現し、在宅盲老人の相談の場、施設利用者と在宅盲老人が共に交流のできる場として、その機能が活用されるものと思います。

6.盲特養の併設
 盲老人ホームも漸く10数年を経過し、施設がかなり増えて参りました。同時に施設利用者も次第に高齢化虚弱化してこられ、他の特別養護老人ホームヘの移し替えもままならず、人間関係も深まっている中で、やむなく盲老人ホームの中でお世話をしてきましたし、現在もしているのです。しかしながら畳の上での寝たきり老人のお世話は、大変なことであります。施設によっては、ベット室に改造してまで介護しているのが現状であります。余談ですが、失明というハンディがあるだけで病院への入院を拒否されたり、付添いをつけてくれなければ入院お断り、という事例が沢山あるのです。
 このような悪条件の中で、盲老人が生を全うできる施設を持ちたい、持たなければならないという内部からの要望もあって、敷地に余裕のある施設では特養を建設し、十分な人員配置と設備の適正な構造の中で、手厚いお世話をしなければならないとの趣旨から、盲を主体にお引受けする特養を併設する施設もでてきました。利用者を思えば、やむをえない当然の対応とも言えましょう。もちろん、養護盲老人ホームを特養に格付けして欲しいと要望する中で、矛盾するのではないかという意見もあります。しかし、純然たる寝たきり、あるいはボケのすすんだ人をお預りする実態では、特養の設備基準と職員配置の中でお世話をしなければ、十分な介護はできないというのが実態であります。
 一方、盲老人ホームは重介護を要する高齢失明者が多いので、日常生活訓練もまったくできていない高齢者がぞくぞくと入所されます。そこで特養の中をA型B型といったような分け方をして、A型は現在の特養で寝たきりの人達、B型は盲老人をはじめ高齢障害者を主体とする、というように分類して選択のできる施設体系にしてはどうかなど、会員施設間で議論されているところであります。
 盲を主体とする特養の開設状況は次のとおりです。

開設年月日 都道府県名 施設名 定員
昭和48年5月1日 愛知県 第二尾張荘 30名
昭和48年12月24日 北海道 静苑ホーム 150名
昭和50年6月1日 東京都 聖明園富士見荘 50名
昭和55年5月1日 愛媛県 第二権現荘 50名
昭和56年4月1日 三重県 第二梨ノ木園 50名
昭和56年5月1日 奈良県 光明園 50名
昭和57年12月1日 東京都 聖明園寿荘 100名
昭和59年9月27日 愛知県 第二福寿園 60名
昭和59年4月1日 宮城県 松陽苑 50名
昭和60年4月1日 石川県 自生園 50名
昭和60年6月15日 静岡県 第三静光園 50名
昭和62年4月1日 熊本県 バラ苑 50名
昭和63年3月2日 愛知県 豊田福寿園 100名

  秩父宮妃殿下と盲老人ホーム

全盲老連事務局長
本間 昭雄

 皇族方が国民の幸せを願い、それぞれのお立場で、障害者等の幸せのためにあたたかいお心をお寄せいただいていることは、周知のとおりであります。本会と特にご縁の深い皇族としては、なんといっても秩父宮妃勢津子殿下であります。東京の聖明福祉協会は昭和30年に設立され、初代会長に就任されたのが、松平俊子様であり、奈良の壼阪寺聚徳会の2代目理事長は柳沢尚子様でした。偶然とはいえ、お二人とも秩父宮妃殿下のおば様にあたられるのであります。
 そのような関係もあって、各地の盲老人ホームの落成式、あるいは創立記念事業にお成りいただきました。すでに10数施設の落成式、その他記念事業にお成りいただいた妃殿下についての思い出は限りなく、筆紙では十分意を尽せないかと思いますが、ほんの記録に留めるつもりで書いてみました。
 慈母園、五色園、光明園の3施設はご承知のように壼阪寺聚徳会の経営によるもので、この3施設の落成式に妃殿下がおでましになったことは、当然のことであります。東京という地の利もあって、聖明園にも落成式、記念式典等でたびたびお成りをいただきました。
 さて、地方へお成りいただいた思い出を記してみたいと思います。

1.三原市白滝園ヘ(昭和44年11月11目)
 ぬけるような青空の開園記念式典にお成りいただきました。駅前の旅館を全部借りきって、妃殿下はじめ女官の川津くにさんのお供でご宿泊になりました。多くの市民が歓迎の旗をふってお迎えしましたが、式場ではあたたかいお言葉をのべられ、関係者の感激もひとしおでした。祝宴後、臨済宗の総本山とテイジンの三原工場等をご視察されたあと、広島グランドホテルにお着きになり、お疲れを癒されました。
 翌朝は特に私共夫婦をお招きくださいまして、ご一緒に朝食をいただき、盲老人の現状等をご下問がありました。その後まもなく広島空港へ向かわれました。当時はまだプロペラ機だったので、私が下見に行った日はおおいに飛行機が揺れたお話を申し上げておりましたので、飛行機が無事羽田空港に着いた時は、タラップをお降りになる前私を振り返って、「無事着きましたね。」とにこやかにおっしゃられたのが私には特に印象深く、細かいご配慮の一面を忘れることができませんでした。

2.空路松山へ(昭和47年5月12目)
 権現荘創設者世良彰雄氏から落成式に妃殿下を是非お迎えし、県民を福祉の分野に目を向けさせたい、とのご依頼があり、妃殿下にお願いしたところ、心よくご日程をお定め下さいました。松山空港には元華族で県知事を務められた久松様もお出迎え下さり、久松邸でご昼食の後、バラ展示会場に向かわれました。妃殿下は久松様のご説明をお聞きになりながら、御所でたくさんバラをお作りになっているので、数多い新種のバラを興味深げにご鑑賞になりました。式典は学校の講堂を使用され、沿道にはかわいいお子さんの打ちふる日の丸の旗が鮮やかでした。今はなき世良彰雄氏の感激は、四国最初の盲老人ホームであり、温かく飾り気のない妃殿下をお迎えできた喜びでいっぱいだったようです。

3.お靴に砂がいっぱい
 南の鹿児島の吹上砂丘を背に、昭和47年10月25日三宝園が落成しました。
 雄大な砂丘に立って東支那海を臨む光景は一幅の絵であり、雄大そのものであります。落成式に臨まれた妃殿下は、ご昼食後砂丘に歩を運ばれました。途中私の靴には砂が容赦なく入りこみ、あまりいい感じではなく、脱いで砂を払いたい思いでした。前を歩まれる妃殿下はまったく意に介されず、「素晴しい景色ね。」と振り返っておっしゃいました。やはり私共とは異なり、常に国民の範たるご自覚をみた思いでした。この日のご昼食は、名産の甘えび等がテーブルをにぎわせ、大変おいしいとおっしゃっておられました。

4.近鉄での恩い出(昭和56年)
 6月1日~3日、三重県の梨ノ木園の落成式にお成りいただきました。
 榊原温泉にご宿泊。清少納言ゆかりの温泉です。
 10時24分の新幹線のため、ご昼食をどのようにしたらよいか、ご相談を申し上げていたところ、軽いものがよいとのおぼしめしで、アマンドのサンドイッチを用意していきました。あまりのボリュームにびっくりされたようでした。あい向かいのお席で、その他全国の盲老人福祉施設についてお話申し上げたことを思い出します。いつも知識を広く求めようとされる妃殿下にこの時も敬服を覚えました。今回のお成りは、割に気をおつかいいただかずにすむご日程で落成式終了後は、伊賀の忍者屋敷をご覧になり、大変珍しいと興味深くご視察になりました。またこの地域は組紐が有名で、その織元で実演もご覧になり、お土産にお買い上げになりました。焼き物でも有名で、伊賀焼の窯元もご覧になりました。妃殿下ご自身が御殿場の御所で、じきじきにお焼きになることもあって、ことのほかご関心もあったようです。こんなにたっぷり時間のとれたお成りは、めったにないことだと思います。お忙しいご日程の中、本当におくつろぎになられたことと思いました。当時の梨ノ木園園長麻田典夫氏を後日赤坂の御所にご案内した時、大変楽しかったとのお言葉をいただいて、麻田園長もホッとされたようで した。本会三浦会長はじめ出席した会員の施設長も、妃殿下とご一緒に記念写真をとり、夕食会には県知事他全盲老連の施設長さん方も出席され、和やかなご歓談がいつまでも続きました。大きな思い出に残る梨ノ木園10周年記念式典でした。
 この他まだまだ思い出はたくさんありますし、もっとおもしろい話題もありますが、稿を別にして書くことにいたします。
 このように秩父宮妃殿下は、時間の許す限り盲老人ホームをご視察あそばされ、盲老人一人ひとりの手をおとりになって、「お元気でね。」とお声をおかけになることをお忘れになりませんでした。尚、本会創立15年には、秩父宮妃殿下に感謝する会を市ケ谷会館において開催いたしました。当日はご来賓として、厚生省老人福祉課長古瀬徹氏、全社協会長太宰博邦氏、日本社会事業大学教授板山賢治氏等、関係の深い方々のご出席をいただいてとり行われ、常盤勝憲師も15年を振り返ってスピーチされました。夕食会では妃殿下を囲んで、本会会員施設長と共に楽しい時を過ごしました。
 昭和63年5月にも創立20周年をとり行う予定にしております。その時にも秩父宮妃殿下のお成りをいただく予定になっており、全国各地に盲老人ホームの設置されつつある現況をきっとお喜びいただけるものと思います。
 妃殿下に会員と共に感謝しつつこの稿を終ります。

秩父宮妃殿下ご訪問施設および訪問日一覧 

施設名 落成式 その他
慈母園 S.36.10.6 42.5.1
46.11.9(10周年)
52.6.15
五色園 48.6.22
光明園 56.6.17
聖明園 39.3.23 44.4.23(15周年)
45.11.7(静養棟落成式)
聖明園曙荘 40.10.21 49.4.20(20周年)
54.10.12(25周年)
60.6.8(30周年)
聖明園富士見荘 50.6.13
聖明園寿荘 57.11.8
白滝園 44.11.11
(3周年・聖光学園落成式)
弘前温[清]園ひかり寮 46.6.15
松ケ丘葵荘 46.6.22 53.5.16(和順荘落成式)
明光園 46.11.5
権現荘 47.5.12
三宝園 47.10.25
胎内やすらぎの家 52.5.10
第二梨ノ木園 56.6.2

  予算対策運動とその成果

全盲老連理事
水田 武夫

1.陳情(要望)活動
 盲老人ホームヘの理解を深めることが、全盲老連活動の一つの大きな柱であることから、入所者の実態、処遇の特殊性について、国会、厚生大臣、厚生省当局(社会局長、老人福祉課、更生課、庶務課、施設課)、全国老人福祉施設協議会に対する理解と寮母等職員の増員、特養への格付け等への協力を要請してきた。
 その状況については次のとおりである。
(1)昭和42年7月
 盲老人ホームの増設と盲老人ホームを特別養護老人ホームと認定するよう厚生大臣に陳情。
(2)昭和44年6月
 盲老人ホームの寮母配置を、利用者7人に寮母1人とするよう陳情。
(3)昭和44年12月1日
 東京都日比谷「松本楼」に厚生省担当官を招き盲老人ホームと一般老人ホームと分離することの是非についての懇談会を開催。
 12月から1月にかけ、医療費の無料化と盲老人ホームの整備など盲老人に対する福祉施策の実施について関係方面に陳情。
(4)昭和45年12月
 盲老人ホームの格付と盲老人ホームの寮母等職員定数を規定し、措置費に組み込むよう厚生省に陳情。
(5)昭和46年9月
 盲老人の福祉向上を目的とする施設の充実について陳情。その内容は、
 1.盲老人ホームを特養の範ちゅうに入れること。
 2.寮母定数を盲老人7名に対し1名とすること。
 3.生活指導員を盲老人25名につき1名とすること。
(6)昭和47年11月
 障害福祉年金及び指導員の増員について陳情。
(7)昭和48年5月
 70才をすぎ失明した者も、老令福祉年金から障害福祉年金に切換えできるよう陳情。
 盲老人25名に、生活指導員を1名配置するよう陳情。
 盲老人ホームの寮母を特養なみに増員配置するよう陳惰。
(8)昭和48年5月・12月
 盲老人ホームにおける生活指導員を1名増員するよう陳情。
(9)昭和49年7月
 盲老人ホームにおける看護婦を1名増員するよう陳情。
(10)昭和49年9月
 厚生省係官との懇談会実施。看護婦増員についての実情説明。盲老人ホームの特養格付について協力要請。
(11)昭和49年10月8日
 厚生省石本政務次官との懇談会実施。特養と同じ人員配置が必要なことにつき協力要請。
(12)昭和50年9月12日
 厚生省係官との懇談会の実施。職員配置基準の改正について要望。
(13)昭和51年4月9日
 厚生省係官との懇談会の実施。盲老人ホームの施設格付について陳情。
(14)昭和52年1月12日
 同年2月7日 厚生省係官との懇談会の実施。
(15)昭和53年6月25日
 各施設に介助員1名及び定員70名以下の施設にも栄養士を配置するよう関係方面に陳情。
(16)昭和54年5月10日
 次の3項について厚生省に要望、陳情。
 1.盲老人ホームは定員1割超過入所を認めること。
 2.盲老人ホームに小規模特養(定員20名~30名)の設置を認めること。
 3.盲老人ホームには、点字学習室、点字図書室、テープ編集保管室等必要で、施設設置基準を大巾に改訂すること。
(17)昭和55年2月20日
 費用徴集について厚生省に陳情。
 盲老人等障害者は、入院時の付添料、通院費(タクシー代)、盲人用日常生活用品器具、器材費等経費負担が大きいので、これが費用徴集基準に反映されるよう要望。
(18)昭和55年4月25日
 盲老人ホームの施設体系について厚生省に要望。
 盲老人ホームの入所者は、すべて常時濃厚な介護を必要とする者であり、盲老人ホームを特別養護老人ホームに格付するよう要望。
(19)昭和56年5月
 第14回総会の決議により、常設委員会として、5名の委員で構成する予算対策委員会が発足、予算対策運動を組織的に展開することとなる。
(20)昭和56年5月7日、同年7月20日
 次の2項目について国会議員、厚生大臣、社会局長など関係方面に陳情。
 1.寮母の定数を特養なみの入所者4.5人に対し、寮母1人とするよう配置基準を改訂すること。
 2.盲老人のリハビリのために歩行訓練士を配置すること。
(21)昭和57年7月9日
 盲老人ホームの寮母配置基準を入所者5人に対し1人とすること、及び歩行訓練士1名を配置するよう関係方面に陳情。
(22)昭和59年5月及び同年11月
 盲老人ホームの寮母の宿直体制を夜勤体制とするため、寮母の増員について関係方面に陳情。
(23)昭和60年7月30日
 寮母の夜間勤務体制改善資料を厚生省当局に提出。
(24)昭和61年12月8日
 盲老人ホームを、特別養護老人ホームの範ちゅうとし、施設体系に組み入れるよう、将来のあり方に関する要望書を提出、関係方面に陳情。
(25)昭和62年4月17日
 厚生省係官との懇談会の実施
(26)昭和62年12月10日
 盲老人ホームは、障害者福祉の立場から、特別養護老人ホームの施設体系に入れるよう関係方面に陳情。

2.陳情活動の成果
 全盲老連発足以来行ってきた厚生省当局をはじめ、関係方面への陳情活動は、盲老人ホームヘの理解、とりわけ盲老人ホームの設備、処遇の特殊性、専門性についての理解を深めるうえに大きな役割を果たし、職員の配置基準の改善など、大きな成果をあげてきた。
 その状況については次のとおりである。
(1)昭和44年12月1日
 東京都日比谷「松本楼」に厚生省担当官を招き盲老人ホームと一般老人ホームと分離することの是非についての懇談会を開催。この懇談会は厚生省が積極的に盲老人ホームの専門性を認め、その分離に踏み切る素因をつくった。
後に、昭和47年度から老人保護措置費国庫負担金交付基準の養護老人ホーム一般事務費基準額の中に新たに別表二として盲老人ホームの基準表ならびに定員規模別配置基準表が新設された。
(2)昭和47年1月
 寮母の配置基準が、利用者11人に寮母1人から、10人に1人に改善される。
(3)昭和48年12月
 盲老人ホームについて、各施設指導員1名の増員が認められる。
(4)昭和50年1月
 盲老人ホームについて、各施設看護婦1名の増員が認められる。
(5)昭和52年1月
 寮母配置基準が、利用者10人に寮母1人から、7人に1人の割合に改善される。
(6)昭和60年10月
 寮母夜間勤務体制改善のため、夜勤寮母(非常勤)1名の増員が認められる。

  研修事業の発展と経過

全盲老連理事
水田 武夫

1.職員研修の歩み

(1)全国盲老人福祉施設連絡協議会発足当初の研修
 昭和43年4月奈良県壼阪寺常盤勝憲住職を中心に3法人4施設、奈良県慈母園、東京都聖明園、第二聖明園、広島県白滝園により全国盲老人福祉施設連絡協議会(以下全盲老連)が結成された。盲老人ホームの必要性が厚生省当局に理解を得始めた時期ではあるが次のような諸点において盲老人ホームがまとまっていく必要があった。
・寮母の定数増等の問題で、各施設に共通する問題、要望をまとめ当局と折衝する窓口とする。
・職員相互の訪問、研修
・各種実態調査活動を通しての資料の作成、盲老人のニーズの把握
 これらの諸課題に共通する目標は、盲老人ホームの処遇の専門性、特殊性、独自性及び施設の整備という点にあった。
 昭和43年7月第1回寮母研修が東京都聖明園において開催された。3施設4名の相互交換研修でこの形は第3回の研修まで続けられる。寮母研修に次いで同年11月事務研修が開催された。この事務研修においては盲老人ホームとしての専門的位置付を明確にし、より処遇の向上を図るとの考えから寮母増員要求のための資料作成を主テーマとして研修会を開催している。
 この要求は、後の昭和47年度予算に行政上の配慮による措置費の特別基準の制定、即ち当時盲老人ホームが一般養護老人ホームと同じ利用者15人に対し寮母1名の配置基準を「盲老人10名に対し寮母1名の格付」という具体的成果をもたらしている。
 昭和47年に指導員研修が開催されるまでは、寮母交換研修、事務員研修の種別研修が実施されていた訳であるが共に4~5名の参加で本格的に研修計画に基き専門的研修が開始されたのは、全盲老連発足時の4施設に加え昭和45年、茨城県ナザレ園、昭和46年、北海道恵明園、島根県湯の川温泉盲老人ホーム、神奈川県横須賀第一第二老人ホーム、群馬県明光園、三重県梨ノ木園、大阪府槻ノ木荘の8施設誕生後の昭和47年以降である。

(2)研修会活動の充実と専門化
 昭和47年には盲老人ホームも20施設に増え、それに伴い寮母研修を中心に研修内容が充実していく。昭和47年第1回指導員研修、50年、看護婦研修、51年、栄養士、調理員研修、更に施設長研修が始まり各職種ごとに本格的研修に取り組む体制が出来上がる。
 特に寮母、指導員研修においては歩行訓練、点字、余暇活動等盲老人ホームにおいての直接援助場面に関わる専門的技術の習得を目的とする実務研修を主体に盲老人ホームの専門性確立のための基盤作りを行っている。
 又、昭和56年には第1回新任寮母研修が、全盲老連事務局を預る聖明園においてはじめられた。新任寮母の基礎訓練を充実させ、一日も早く専門的処遇にその力を発揮できるようにとのねらいから、アイマスクをつけての訓練、歩行訓練、寮母業務の実際、クラブ活動の実際等を体験、盲老人の立場を理解した上での処遇向上を図る意義深い研修となる。

2.研修会の計画化

(1)特別委員会の発足及び職員研修実施要綱の策定
 昭和53年三重県で開催された第11回総会において、職種別研修会のあり方について検討する委員会を設けたらどうかとの提案があり、特別委員会が発足した。第1回の特別委員会では
・参加の機会均等
・当番施設の積極的受人れ及び当番施設の負担減についての配慮
・研修委員会を設けてのテーマの設定、カリキュラムの作成
・全盲老連の法人化、研修の充実及び資格制度についての検討等が話し合われた。
 昭和55年に開催された特別委員会では更に内容が検討され
・全施設を6ブロックに分け、そのブロックにおいて、各種研修会の準備を行う。
・寮母交換研修を積極的に行う。
・新任寮母研修会を毎年行う。
・研修会開催回数については、全職種について毎年開催していたが、施設長、指導員及び寮母については毎年、その他の職種は隔年とする。等の具体的研修のあり方が示された。同年4月に開催された第13回総会(当番施設-広島県白滝園)においては特別委員会委員長より職員研修会のあり方についての答申が提出され、昭和56年度より答申案に従って、実施していくことを承認可決した。

《職員研修のあり方について》-特別委員会答申 昭和55年4月25日

 職員研修については、各都道府県及び関係団体に於ても、各種研修会が積極的に実施されているが盲老人ホームの特殊性、専門性が配慮されないため効果がうすい感がある。
 全盲老連の実施する研修は、この点配慮され違和感がなく仲間意識が強く、研修職員にとっても極めて有意義であるので、更に積極的に研修事業を推進する必要がある。しかしながら超過定員の解消等により事務費の節減、圧縮をはからなければならない客観情勢にあり、研修会日程の統一(2泊3日程度に)一部隔年開催とすることも止むを得ない。
 本委員会では、3回の委員会を開催、これまでの研修会について問題点を明らかにし、研修内容、研修参加の機会均等、当番施設等について検討、研修計画大綱を策定した。
 なお、下記事項について特に意見をつけ加える。

1.長期研修計画について
 職員(特に寮母)の長期研修計画については全盲老連の機能の中で現段階では無理と思われる。当面は、全社協老施協において実施される福祉寮母資格認定講習会等を積極的に利用すべきである。

2.研修内容について
 (1)毎年度各職種毎に研修テーマを設定し総会に諮り決定する。
 (2)当番施設は、決定された研修テーマにもとづき計画を立案実施する。
 (3)研修テーマの設定に当っては、各年度を通じできるだけ関連づけ、系統的一貫性のあるものとする。内容については、盲老人ホームの専門性・特殊性に係わるものとする。
 (4)昭和54年度新規事業である寮母交換留学研修は、画期的事業であり、処遇全般について効果が極めて高いと思われるので、更に積極的に実施する必要がある。
 実施要綱については別に策定した。

3.研修参加の機会均等について
 昭和55年度より超過定員が認められなくなったことにより弾力的運用ができた事務費(旅費)が窮屈になり配置職員数の少ない職種については、研修会の開催を隔年とすることも止むを得ない。但し寮母は人員が多いので寮母交換留学研修を積極的に利用することとし1施設3名程度の派遣を全盲老連の事業計画に組み入れるべきである。

4.当番施設について
 当番施設については、受入体制の難易(施設の事情)地理的条件(交通機関等)があるので、全国を6ブロックに分け当番施設を分担することとする。個々の当番施設の決定は全国施設長会議の席上受入可能施設を打診して決定し、その席上決まらない場合は、事務局において過去の実績をふまえ個別に接渉して決定する。

5.研修委員会の設置について
 今後よりよい研修計画を策定するために総会の諮問機関として研修委員会を常設機関として設置すべきである。

6.職員研修所の設置について
 職員研修については、将来全国盲老人福祉施設連絡協議会職員研修所を設置し、職員研修の実施に当たるべきである。

昭和55年には次のような内容が話し合われ実施されている。
・研修のための常設委員会を設ける。
・研修会の開催について
 1)指導員、寮母は毎年開催
 2)新任寮母研修は毎年東京で開催
 3)交換研修については、職員交換研修実施要綱を策定し、積極的に行う。
 4)研修会のテーマについては2年位、どの研修会も同一のメインテーマで行う。
・次年度の研修については総会で決定しておく
・施設長が交替で職種別研修に参加し、助言者となる。
 これらの話し合いのうち、常設委員会の設置については、昭和56年弘前市で開催された第14回総会において設置が決定され、研修委員会が発足する運びとなる。

研修計画

施設長研修会 事務職員研修会 指導員研修会 看護婦研修会
内容・
ねらい
盲老人ホームの当面する
入所者処週、
施設運営管理の
課題について、
研究討議し、問題の解決と
その充実を促進する。
措置費とその運用に対する
正しい理解と認識を深め、
職員資質の向上をはかる。
盲老人処遇に於ける
指導員の役割についての
認識を深め、
処遇計画の充実、
盲老人処遇の
専門性の確立を
はかる。
看護技術の向上と
盲老人ホームに於ける
リハビリや終末ケアの
あり方について
探求し、処遇の向上を
めざす。
研修
方法
対象 施設長
又はそれに準ずる者
事務(経理・庶務)職員 生活指導員 看護婦
人数 40名 40名 40名 38名
期間 2泊3日 2泊3日 2泊3日 2泊3日
会場 当番施設に於て設定 当番施設に於て設定 当番施設に於て設定 当番施設に於て設定
方法 意見発表を中心として、
研究をすすめる。
特別講演と意見・
情報交換を中心として
研修する。
生活指導のあり方について
意見発表を中心として
研究する。
体操、運動、リハビリ、
訓練等についての
意見交換を中心として
研修する。
研修課目
(テーマ)
大綱のみ
策定
「生活の場としての
施設運営は
どうあるべきか」
1.措置費制度とその運用
(100号・50号通知を
正確に理解する)
2.福祉の心
(福祉職員としての心構え)
1.指導員の業務と
その役割
2.処遇計画の策定
について
1.盲老人ホームに於ける
リハビリテーション
2.終末ケアー
(豊かな暮しと安らかな死)
問題点と
検討事項
講師と現場との
ずれがある。
会計、経理については、
研修を終ったので、
必要ない。
研修内容については、
高度なものでなく、
すぐ明日から間に合う
実務的なものにする。
今後の
ありかた
1.毎年度テーマを
設定する。
2.研修委員会を常設し
翌年度の計画を
立案する。
当番施設は、
具体的実施計画を
立案する。
3.研修委員会は
施設長参加で設置し、
将来は職種別職員代表を
参加させる。
予算並びに
当番施設の面から、
毎年開催は無理なので
隔年開催とする。
55年度は実施
研修会の開催は、
隔年とする。
但し55年度は実施
技術的・実技的なものに
重点をおく。
特にリハビリについての
研修を深める。
隔年おき実施
55年度は休み


栄養士・調理員研修会 寮母研修会 交換研修会(現任訓練) 新任寮母研修会
内容・
ねらい
盲老人の給食の
特殊性についての
理解と認識を深め、
豊かな楽しい
給食のあり方について
研修する。
盲老人の処遇のすすめ方や
介護上の問題点を
研究討議し、
専門的介護技術の習得と
向上をはかる。
実務的現任訓練により、
処遇技術の習得をはかる。
新任職員の
盲老人ホームに於げる
基礎的処遇技術と
理論の習得をめざす。
研修
方法
対象 栄養士・調理員 寮母 寮母(調理員・看護婦) 新任寮母
人数 40名 50名 40名 20名
期間 2泊3日 3泊4日 4泊5日 4泊5日
会場 当番施設に於て設定 当番施設に於て設定 参加施設 東京
方法 事例発表を中心として
研究する。
施設長を講師とした講習と
相互に問題提起して行う
相互研修による。
実務現任訓練として
実施する。
施設内で合宿をし、
実習と講習をおりまぜて
研修する。
研修課目
(テーマ)
大綱のみ
策定
1.楽しい集団給食
(嗜好調査・行事食)
2・福祉職員の心構え
1.生活の場としての
処遇のすすめ方
(処遇のすすめ方
介護上の問題点
ケースワーク、介護技術
観察技術)
2.福祉施設職員の心構え
処遇技術の習得 盲老人ホームにおける
基礎的処遇技術と
理論の習得
(原論、処遇論)
問題点と
検討事項
1.準備体制が不充分で
調整がむずかしい。
2.希望施設が一定の
施設に片寄りすぎる。
1.経費は参加施設で
負担する。
2.講師は施設長が
あたる。
今後の
ありかた
実技は中止する。
隔年おき実施
(2年に1回)
但し55年度は実施
1.専門的技術の習得を
目標とする。
2.研修課程の中に
実務研修を入れる。
3.成果のまとめ
(感想文)を必ず行う。
1.交換研修を積極的にする。
2.原則として完全交換とし、
事務局に於て調整する。
3.人数の少ない調理員、
看護婦については
完全交換する。
4.研修受入施設に於て
給食、宿舎を提供する。
5.交換研修参加職種を
寮母から他の職種に
拡大する。
職種は寮母のみとする。

職員交換研修実施要綱

1.目的
 毎年実施している職種別研修会では、実務による処遇技術の研鑚が不可能なため、施設間で研修職員を交換し、実務を通して盲老人の専門的処遇技術の習得と向上をはかり研修受入施設を含めた職員相互の資質向上と親睦をはかることを目的とする。

2.実施時期及び期間
 実施は年間を通じ随時とし、期間は4泊5日とする。

3.研修職員職種
 交換研修職員は寮母、看護婦、調理員とする。

4.派遣職員
 看護婦、調理員については完全交換とし、1施設に派遣する職員は3名以内とする。

5.交換施設の決定
 昭和55年度については、昭和55年5月末までに各施設より研修職員受入可能時期及び派遣希望5施設を調査し、調査結果により事務局で調整のうえ決定する。

6.費用負担
(1)職員派遣施設負担経費
 研修職員の交通費、日当は旅費規定により派遣施設において負担する。
(2)研修職員受入施設負担経費
 受入研修職員に係わる食費、宿泊費については、受入施設において全額負担する。但し、宿泊については施設内(職員寮含む)に宿泊するものとする。

7.研修内容
(1)研修テーマは派遣施設において決定する。
(2)研修内容は、実務研修とするが、派遣施設の希望をとりいれて受入施設において設定する。
(3)相互施設の資料交換や職員との情報交換、親睦行事などができるよう日程の中に配慮する。

8.研修担当者
 各施設においては、研修派遣、受入連絡窓口として研修担当者をおくこととする。

9.報告
 交換研修参加施設並びに職員は、研修終了後別に定める様式の「研修終了報告書」を事務局及び受入施設長宛提出するものとする。

(2)研修委員会活動の充実
 昭和56年に設けられた研修委員会はその後一貫してメインテーマを『盲老人ホームの専門性の確立』として、盲老人に対する処遇の専門性を模索し探求し続けてきた。この時期全国的テーマとしては「老人福祉施設を生活の場に」という内容が掲げられていた。盲老人ホームは老人の生活の場としての施設作りはむろんのこと、盲老人に対する生活、訓練の援助ということでの専門的役割を期待されている状況にあった。盲老人ホームにおける専門性とは何か。又、その専門性を研鑚し習得するためにはどのような内容、方法を歩むべきか。この時期のテーマは今日に至る迄、各職種別に追求され続けてきている。
 昭和60年の研修会テーマを職種別にみていくと
メインテーマ~盲老人ホームの専門性の確立のために(昭和58年度より継続)
サブテーマ
 施設長研修 ~1)新しい盲老人福祉の課題、2)中間施設論に対する反応、3)変革期の施設体系について
 指導員研修 ~盲老人ホームの専門性の確立と盲老人の心理、ニーズ
 寮母研修  ~盲老人の介護専門職を目指して、(介護技術の向上~障害を持つ痴呆老人への対応、高齢者レクリェーション、終末介護)
 看護婦研修 ~痴呆性老人研究、終末ケア
 栄養士、調理員研修~マンネリ化しがちな食生活の見直し、郷土色を生かした献立作り、中高年の健康に必要な食事
 新任寮母研修~盲老人ホームの専門性の確立のために、基礎的処遇技術の理論と実際、盲老人ホームで働くことの意義を考える
となっている。一口に専門性と言っても、施設の設備、整備、処遇の専門性、盲老人のニーズの特殊性、施設職員に求められる専門性等、多様にわたっている。これらを項目毎に、あるいは職種毎に、さらに時代の変化の中で適確に分析しテーマ設定をしていくことが研修委員会の役割であった。これらの内容は同委員会発足以来、確実にそして計画的に実施され各施設に大きな影響と処遇成果を生んでいる。全国的に数少ない盲老人ホームの職員研修は、一般養護、特養などとの合同研修では得られない、現場に密着した、専門的なものになっているのも同委員会の果たす役割の大きさを物語っているものである。

3.職種別研修会の意義について
 昭和43年度に東京都聖明園で実施された第1回寮母交換研修を皮切りに昭和51年には全職員が毎年、あるいは隔年で研修会を持つに至った。ここでは開催年の古い順に職種別に開催状況、研修内容を付表に基きみていくことにする。

研修会開催状況

                                    (昭和43年度~62年度) 

研修会名 開始年度 開催回数 延参加施設数 延参加者数
施設長研修会 昭和50年度 12 430 502
指導員研修会 47 16 413 496
看護婦研修会 50 9 172 208
寮母研修会 43 20 483 719
栄養士・調理員研修会 51 8 214 298
事務職員研修会 43 10 153 200
新任寮母研修会 56 7 196 262
交換研修 54 9 315 404
九州盲老人ホーム研修会 52 11 262 355
海外研修 51 3 29 36
合計 105 2,498 3,832

(1) 寮母研修会
 寮母研修は、全盲老連発足と同時に実施されたことは既に述べた。昭和43年7月の第1回研修会より昭和46年7月の第4回研修会までは、施設数も少なく、寮母交換研修として研修を実施していた。昭和46年度に全国で8施設開設されたので総数12施設と増え、更に各県で盲老人ホーム設立の動きも多くみられることから「交換」の2字を削除、寮母研修会として内容の充実を図った。
 日常業務の中でもっとも盲老人と接する機会の多い寮母の資質向上が、処遇の専門性を高める最大の要素であることは言うまでもないが、幅が広く、しかも1人1人が長期にわたり訓練、研修を継続していかなければならない点に困難さがある。20年間の寮母研修会の流れの中で蓄積された知識、技術が各施設で処遇に当る寮母あるいは施設全体の貴重な財産として受け継がれるよう努力すべきである。

寮母研修会実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和43年
7月15日~7月20日
聖明園 専門的な実務研修 実習
施設見学
第2回 昭和44年
7月22日~7月28日
慈母園 専門的な実務研修 実習
施設見学
第3回 昭和45年
7月20日~7月26日
白滝園 専門的な実務研修 実習
施設見学
第4回 昭和46年
7月19日~7月25日
慈母園
聖明園
専門的な実務研修 実習
講義
施設見学
第5回 昭和47年
7月31日~8月5日
慈母園
聖明園
専門的な実務研修 実習
講義
施設見学
第6回 昭和48年
8月6日~8月9日
慈母園
横須賀第一・第二
老人ホーム
専門的な実務研修 実習
情報交換
施設見学
第7回 昭和49年
8月5日~8月9日
梨ノ木園 1.寮母のあり方を研究
2.よりよい処遇の向上
3.施設間の親睦を深める
実習
講演
映画
討議
施設見学
第8回 昭和50年
10月6日~10月9日
横須賀第一・第二
老人ホーム
1.盲老人処遇についての知識の向上
2.寮母間の親睦を深める
実習
講義
座談会
施設見学
第9回 昭和51年
9月6日~9月8日
湯の川温泉
盲老人ホーム
盲老人処遇向上のための知識と
技術を習得する
講義
研究協議
施設見学
第10回 昭和52年
7月31日~8月3日
白滝園 盲老人ホームにおけるよりよい
処遇のあり方を考える
講義
研究協議
施設見学
第11回 昭和53年
10月31日~11月2日
熊本めぐみの園 各寮母間の親陸をはかり、
よりよい処遇を行うために
講義
研究協議
施設見学
第12回 昭和54年
10月29日~11月1日
聖明園
富士見園
盲老人のクラブ活動と
レクリェーションについて考える
講義
研究協議
施設見学
第13回 昭和55年
10月15日~10月17日
千山荘 盲老人ホームの社会化ついて
(1)処遇の専門性、特殊性について
(2)社会化のためどのような
事業にとり組めるか
講義
情報交換
施設見学
第14回 昭和56年
10月14日~10月16日
光の園 盲老人ホームにおける
生活の場としての処遇のすすめ方
講義
研究協議
施設見学
第15回 昭和57年
10月18日~10月20日
福寿園 盲老人処遇にかかわる専門的な
処遇のあり方を追求し、技能の習得、
向上をはかり、盲老人ホームの
専門性の確立をはかる
講義
研究協議
施設見学
第16回 昭和58年
9月28日~9月30日
松峰園 盲老人介護の特殊性をさぐる特に
夜間の処遇について
講義
研究協議
施設見学
第17回 昭和59年
9月26日~9月28日
明光園 1.盲老人介護の特殊性を探る
 特に夜間処遇について(養護)
 痴呆老人の介護について(特養)
講義
意見発表
研究討議
情報交換
施設見学
第18回 昭和60年
9月11日~9月13日
慈母園
光明園
盲老人の介護専門職をめざして

 盲老人の介護技術の向上と障害を
持つ痴呆老人への対応、
高齢者レクリェーション、
終末期における介護のあり方
講義
研究討議
実習
施設見学
第19回 昭和61年
9月24日~9月26日
(社)ひかりの園
第二静光園
盲老人ホームの専門性の確立のために

 盲老人ホーム寮母の専門職としての
資質の向上
 特養化の諸問題
 地域福祉と盲老人の自主性を
高めるには盲特養における処遇
-機能回復訓練と終末ケア-
講義
研究討議
施設見学
第20回 昭和62年
10月1日~10月3日
ひとみ園 盲老人処遇の専門的知識技能の
向上を目指して
1.盲老人処遇に関する
ケース・ワークの研究を深める
2.盲老人処遇に関する
グループワークの研究を深める
3.全国盲老人ホーム寮母の
親睦と交流をはかる
講義
研究討議
施設見学


講演 意見発表等 参加
施設
参加者
第1回 情報交換 3 4
第2回 情報交換 3 4
第3回 情報交換 5 6
第4回 施設で働く職員の心がまえ
 前浴風園園長 芦沢威夫
情報交換 4 4
第5回 盲老人ホームで働く職員の心がまえ
 壷阪寺住職 常盤 勝憲
 合掌苑苑長 市原 秀翁
情報交換 11 13
第6回 盲老人の処遇について
 富士見園副園長 安部トミヨ
情報交換 20 30
第7回 老人の健康 グループ討議
映画会
ケース研究会
記録会
20 30
第8回 俳句と短歌
 詩人 高木 黙童
老人福祉の現状とその周辺
 所長 永野 実
老人の精神衛生
 初声荘病院長 福井 東一
老人の健康管理について   
 同医務課長 熊谷 直俊
生活指導について
 生活指導員 平野 寿雄
看護の実際
 看護婦長 古賀 憲子
座談会
19 30
第9回 利用者の幸せを高めるための
処遇について
 所長 小林 常蔵
盲老人の心理について
 島根ライトハウス所長 高尾 正徳
グループ協議 24 31
第10回 映画と講演
盲人と出会う時あなたはどのように
接しますか
 講師 村越 芳男
研究協議
見学
 ろうあ者老人ホーム あすらや荘
27 46
第11回 盲老人の心理
 熊本教育大学教授 鈴木 康平
寮母の人間関係
 熊本ラジオキャスター 高千穂正史
小グループ研究協議
 ・集団生活の中の自由化について
 ・特養化が進む現実においての
今後のあり方
27 55
第12回 社会福祉の人間観
 上智大学教授 小林 純一
高齢者レクリエーションの理論と実態
 日本社会事業大学教授 垣内 芳子
研究協議 29 60
第13回 老人の健康処遇と施設の社会化
 大阪社会事業大学教授 奈倉 道隆
ヨーロッパの福祉事情
 千山荘指導員 鷲尾 邦夫
意見発表
 盲老人ホームの社会化について
情報交換
29 53
第14回 施設における精神障害者の処遇
 県立阿南病院神経科 花岡 秀人
社会福祉法人 萱垣会
 理事長 萱垣 幸道
研究協議 32 55
第15回 老人の病理・心理
 山本病院長 山本 孝之
職場における人間関係(チームワーク)
 福寿園園長 山田 都企子
老人福祉の現状と将来
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
グループ研究協議
 盲老人介護上の問題点
 盲老人の余暇活動
 夜間業務の問題点
36 52
第16回 見えるもの・見えざるもの
 医学博士 川口新助
わが生涯にかけるもの
 (社)松寿会常務理事 佐々木雄太郎
分科会研究討議
 盲老人介護上の問題について
 盲老人の余暇活動について
 夜間業務の問題点について
32 43
第17回 ボケを支えて
 群馬県ボケ老人を支える会
 代表 加藤 道子
上州の歴史と人情
 県史編さん委員 萩原 健
分科会研究討議
 盲老人の心と体の健康管理について
 盲老人の余暇活動について
 痴呆盲老人の介護について
38 49
第18回 盲老人の心理と老人性痴呆について
 奈良県立医科大学精神科
 教授 井川 玄朗
盲老人のレクリェーションについて
 (財)日本レクリェーション協会
 天野 勉
ビデオ鑑賞
 慈母園、光明園の一日
42 55
第19回 音楽を通してのリハビリテーション
 静岡県立浜松盲学校教諭
 邦楽教師 島津 祐策
障害者の健康について
(運動レクリェーション)
 静岡女子短期大学教授
 医学博士 中田 健次郎
分科会研究討議
意見発表
48 58
第20回 全盲老連の現状
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
盲人歩行訓練の理論と実際
 東京都心身障害者福祉センター
 歩行訓練士 村上 琢磨
我が国における盲人用具の現状
 日本点字図書館用具部長 花島 弘
レクリェーションについて
 日本社会事業大学名誉教授 垣内 芳子
事例発表
 各施設における盲老人の体力維持増進法
  (体操、スポーツ、運動会プログラム)
 生きがい活動に関する研究発表
 盲人演劇
  (ひとみ園 入園者・寮母)
43 55

(2)事務職員研修会
 寮母研修に次いで実施されたのが事務職員研修であった。当時の事務職員研修は、盲老人ホーム誕生初期の諸問題、特に盲老人ホームの格付けに伴う職員定数是正の問題、施設の特別事務費設定基準作り、関係機関に盲老人ホームの理解を仰ぐための資料作り等の実務上、早急に解決されなければならない課題と取組み解決の原動力となった点で高く評価される。昭和47年度には従来の特別基準から盲老人10名に対し1名の割合で寮母の配置が決定されそうだとの情報を得た昭和46年、全盲老連としての陳情7:1の要請を提出するために同研修会が開催された。研修会では、煩雑な寮母の勤務表、時間割を分刻みで作成、都道府県を通じ厚生省に提出する資料作りを行っている。
 さらに新規の施設に対しても特別基準の申請書作成から提出まで、事務的処理の問題についての協議も重ねた。この時期までは、事務職員研修も4~5施設5~6名の参加にすぎなかったが、今、何が全国の盲老人ホームにとって必要なのかという意志の統一が成されていた結果の表われと言えるだろう。昭和46年度を機に事務研修は昭和53年まで開催されていない。
これは創設期における盲老人ホームの体系作りが一応軌道に乗り、事務職本来の業務に専念することが出来るようになったということであろう。

(3) 指導員研修会
 昭和47年10月東京都聖明園において第1回指導員研修が開催された。その後毎年実施され着実に成果をもたらしている。指導員研修において着目すべき各大会においてさまざまな提言が提出され、事務局の熱意により種々の形で取り上げられてきていることである。第1回大会では指導員の定員1名増の要望。(昭和49年度より実現)。第2回の研修では、専門的技術習得のための研修実施。以後毎年、歩行訓練、アイマスク使用での訓練、点字学習、失明者リハビリテーションに対する技術指導という形での実務研修を取り入れている。第7回大会では、処遇の専門性研究委員会を作ることを提案。第12回総会において討議決定され、同委員会において盲老人ホームハンドブック出版という成果をみる。第14回大会においては各施設の指導員が集まっても情報交換に終始するだけでは意味がないとのことで、処遇実践集を各施設より持ちよった事例をもとに作成しては、との要望が出された。処遇実践集作成委員会が創設され昭和61年に「盲老人の豊かな生活を求めて-援助の手引き」の出版をみる。このような成果と共に、研修内容も専門化し、特にソーシャル・ワークや盲老人心理の理解に関する講演等 は数多く取り上げられてきている。今後盲老人ホームの処遇内容の充実に向けての指導員の果たす役割は大きい。より専門的技術の習得、豊かな人間性確立のための自己変革、個々の指導員が失明者リハビリを行えるよう資質向上を図る必要がある。

(4) 看護婦研修会
昭和50年看護婦の各施設定員1名増を認められたのを機会に、是非、看護婦研修を実施したいとの要望から、第1回の看護婦研修が東京都聖明園で開催された。参加者が少ないのではとの危倶から第1回は指導員と合同という形で開催。5施設6名の参加をみる。ここでは全員が、盲老人ホームという特殊性ゆえに、他の研修会では共通の問題点を話し合うことが少いので、盲老人ホームの専門性が問われている現在、全盲老連主催の看護婦研修会を是非開催して欲しいとの要望が出され、第2回以降看護婦研修会として定着する。

(5) 施設長研修会
昭和51年度、北海道恵明園を当番施設として第1回施設長研修会が開催されてから、毎年総会時に研修会が開かれるようになった。
研修会の目的は、施設長の資質の向上と施設運営管理の充実をめざしたものであるが、広く制度的問題や視力障害老人の処遇課題、職員の労務人事管理についても研修を深めてきた。
 とくに、昭和58年度の研修からは、講師による講演だけでなく、その時の問題を整理し、意見発表を中心として研究討議をすすめ、問題を堀り下げ、研修をいっそう効果的なものにしてきている。

(6) 栄養士、調理員研修会
昭和51年10月、第1回栄養士、調理員研修が、第2回看護婦研修会と同一テーマをもって開催された。第2回以降は単独で食生活に関する全般的知識及び調理実習を主体に研修会が実施される。調理実習後の試食では、全員アイマスクを着け、盲老人の、食べる側に立っての体験学習等も取り入れている。

(7)新任寮母研修会
同研修会は、全盲老連事務局を預かる東京都聖明園において、経験2年未満の寮母を対象に実施されることに決定された。主なねらいは、施設職員としての心構え、盲人福祉についての基礎知識、アイマスクを使用しての訓練、寮母業務の実際、歩行訓練等、盲老人ホームの寮母として、専門的処遇に直結するようにとの配慮が成されている。各施設からも同研修会の研修内容に高い評価と、尚一層の充実を望むとの声が寄せられている。
 各講議、実習もその道の専門家を招聘、聖明園での実際の生活場面の中で、実感を伴っての貴重な体験を行っている。

(8)職員交換研修
 昭和44年度から、昭和46年度までの3年間、慈母園、白滝園、聖明園の寮母による交換研修会が、1週間の日程で行われ、実務による専門的処遇技術の向上に大きく役立った。
 昭和51年度より各職種別の研修に力を入れて研修会を実施するようになったが、職種別研修会では、実務による処遇技術の研鑚が不可能なため、施設間で研修職員を交換し、実務を通して盲老人の専門的処遇技術の習得と向上をはかり、研修受入施設を含めた職員相互の資質向上と親睦をはかることを目的として、職員交換研修を積極的に行うようになった。
 昭和55年度には、職員交換研修実施要綱を制定、研修職種を寮母から看護婦、調理員に範囲を拡大するとともに、研修期間を4泊5日に統一、費用負担や研修内容の決定方法などについて決め、研修をより組織的に実施するようになった。
 昭和56年度からは、7月と11月の、前期、後期に分け研修時期を設定、交換研修を毎年実施してきている。
 毎年の交換研修参加施設は30施設から45施設、参加職員は30名から60名で、昭和54年度から昭和62年度まで約450名の職員が参加し、専門的実務研修に大きな成果を上げている。

(9) 海外研修

  1. 昭和52年9月26日~10月6日  ヨーロッパの盲老人ホーム視察
    参加者 11施設16名
  2. 昭和53年5月13日~5月17日  台湾の盲人福祉施設視察
    参加者 16施設18名
  3. その他海外研修への助成
    公的団体が主催する海外研修に派遣される加盟施設の職員に対し、助成金を交付。現在までに4施設6名に対し交付。

事務職員研修会実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和43年
11月28日
聖明園 特別基準の請求書式について
寮母の勤務時間分析について
協議
第2回 昭和44年
6月21日~6月22日
慈母園 特別基準請求についての
資料統一をはかる
協議
第3回 昭和45年
6月16日~6月17日
聖明園 特別基準請求についての
資料統一をはかる
協議
第4回 昭和46年
5月18日
聖明園 特別基準請求事務取扱いの
統一をはかる
協議
第5回 昭和53年
3月15日~3月16日
聖明園 新会計準則の解説と実務 講義
施設見学
第6回 昭和54年
3月22日~3月24日
松風荘 施設職員として老人福祉の
増進をはかるには
どうあるべきかをさぐる
講義
施設見学
第7回 昭和54年
10月22日~10月24日
慈母園 多様化する事務事業の
合理的すすめ方について
講義
施設見学
第8回 昭和58年
1月20日~1月22日
聖明園 1.措置費の適正な執行について
2.コンピューター導入について
講義
施設見学
第9回 昭和60年
1月23日~1月25日
槻ノ木荘 1.措置費の適正な執行について
2.コンピューター導入について
3.盲老人ホームにおける
防災対策の特殊性について
講義
意見発表
情報交換
施設見学
第10回 昭和61年
10月7日~10月9日
恵明園
静苑ホーム
盲老人の専門性の確立のために
1.事務の効率的運用について
2.コンピューターの導入について
3.法人及び施設の適正な
運営方法について
講義
意見発表
施設見学


講演 意見発表等 参加
施設
参加者
第1回 4 5
第2回 4 5
第3回 5 6
第4回 6 6
第5回 新会計準則の解説と実務について
 東京都民生局指導部
監査官からみた事務処理について
 厚生省社会局監査指導課
21 28
第6回 宮城県の福祉行政について
 宮城県老人福祉課長
会計実務について、決算書の作り方
 多賀城市泉保育園事務長
 伊藤 富之助
福祉の心
 山形大学講師 鈴木 道太
19 25
第7回 奈良県の福祉行政について
 奈良県老人福祉課長 奥田 一男
会計実務、措置費のしくみと運営について
 奈良県老人福祉課担当官
楽しくて健康で暮すために
 桜井保健所所長 南森 正友
19 27
第8回 コンピューター会計のしくみと導入について
 全社協 小林 義則
措置費のしくみと適切な運用について
 厚生省社会福祉監査官 長橋 茂
盲老人ホームの建物設備
 津軽ひかり荘 小野 与一
コンピューター導入経過
 熊本めぐみの園 青木 祐心
見学
 日本医学文化館
 日本点字図書館
23 28
第9回 老人福祉施設の監査結果より
 厚生省監査指導課  霞 稔
施設の防災について
 大阪市消防局 中野 郁三
29 39
第10回 全盲老連の現状と今後の課題
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
法人及び施設運営のチェックポイント
 厚生省社会局監査指導課
 監査官 本田 章博
事務の効率的運用について
 (株)調査開発センター
 福井 雄二
コンピューターの導入について
-実践内容とその問題点-
 恵明園・第二静光園・
 熊本めぐみの園・
 聖明園・白滝園
27 33

指導員研修期間実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和47年
10月12日~10月14日
聖明園 指導員の役割 講義
情報交換
施設見学
第2回 昭和48年
11月8日~11月10日
聖明園 専門的な実務研修 実務研修
講義
研究討議
施設見学
第3回 昭和49年
10月29日~10月31日
聖明園 専門的な実務研修 講義
研究討議
施設見学
第4回 昭和50年
10月27日~10月29日
聖明園 歩行訓練 講義
実技
研究討議
施設見学
第5回 昭和51年
10月4日~10月6日
聖明園 盲老人ホームにおける
処遇の向上
講義
研究討議
施設見学
第6回 昭和52年
9月6日~9月8日
恵明園 盲老人処遇の特殊性、専門性の追求 講義
実技
研究協議
施設見学
第7回 昭和53年
11月13日~11月15日
ナザレ園 専門的知識、技術と心の交流をはかる 講義
施設見学
第8回 昭和54年
11月6日~11月8日
梨ノ木園 入所対象老人の多様化にともない
指導員としていかに対応すべきか
講義
研究討議
情報交換
施設見学
第9回 昭和55年
7月16日~7月18日
生目幸明荘 盲老人ホームにおける
リハビリテーションと指導員の役割
講義
研究討議
情報交換
施設見学
第10回 昭和56年
11月16日~11月18日
船岡寮 “収容の場から生活の場へ”
という言葉ではなく、
真に盲老人にとっての幸福な
生活の場としての施設とは何かを考え、
施設体系の中で
盲老人ホームの在り方を追求し、
認識を深め専門性の確立をはかる。
講義
研究討議
情報交換
施設見学
第11回 昭和57年
11月10日~11月12日
湯の川温泉
盲老人ホーム
盲老人ホームの専門性を求めて 講義
討議
施設見学
第12回 昭和58年
10月6日~10月9日
熊本めぐみの園 盲老人処遇の特殊性と
処遇計画の策定について
講義
研究討議
実技
施設見学
第13回 昭和59年
10月29日~10月31日
自生園 1.盲老人処遇の特殊性と処遇計画の
策定について
2.指導員の職務と専門性について
講義
意見発表
研究討議
情報交換
施設見学
第14回 昭和60年
11月6日~11月8日
千山荘 盲老人ホームの専門性の確立
盲老人の心理とニーズ
講義
研究討議
施設見学
第15回 昭和61年
11月5日~11月7日
蓮の実園 盲老人ホームの専門性と確立
盲老人ホームにおける指導員の
専門性(理論と実践)を求めて
講義
研究討議
第16回 昭和62年
9月7日~9月9日
津軽ひかり荘 盲老人ホームの専門性の確立
盲老人ホームの社会化を考える
講義
研究討議
施設見学


講演 意見発表等





第1回 指導員の心がまえ
 特養 寿楽荘 施設長 佐藤 黙童
失明老人の生きがいについて
 聖明園園長 本間 昭雄
指導員の役割について
 聖明園指導員 森川 正雄
グループ活動参観
全体討議
指導員活動状況交換
8 9
第2回 盲老人ホームにおける
歩行訓練はいかにあるべきか
 講師 村越 芳男
韓国の老人福祉の現況と
オランダの盲老人ホーム
 聖明園園長 本間 昭雄
事例発表
 重複障害者の処遇についての事例
  第二聖明園 森川 正雄
事例研究討議
16 21
第3回 盲老人における歩行訓練と実技
 神奈川県総合リハビリーテーションセンター
 大槻 守
全体及びグループ討議
 盲老人の恋愛と性
 居室の問題
 喫煙、飲酒の指導
19 21
第4回 盲老人ホームにおける歩行訓練の意義
 日本盲人職能開発センター
 村越 芳男
盲老人ホームにおける歩行訓練の
理論と実際
 神奈川県総合 リハビリテーションセンター
 清水 学   
老人性痴呆について
 富士見園 安部 トミヨ
研究討議
 個室化と費用負担
 公的年金受給状況
 各施設の直面している諸問題
 情報交換
19 27
第5回 第18回国際社会福祉会議に参加して
 聖明園園長 本間 昭雄
アメリカの老人ホームを見学して
 富士見園園長 本間 麻子
欧米の盲老人ホーム
 聖明園 酒井 久江
グループ討議
 盲老人ホームの医療、
 特に入院通院の問題
22 27
第6回 盲人に接する時の13章
 北海道高等盲学校教諭 斉藤 績
おとしよりの心理
 特養 清幌園園長 小川 猛
高齢者のレクリェーションワーク
 日本社会事業大学助教授 垣内 芳子
アメリカにおける
失明者リハビリテーション事業の
動向と盲老人ホーム
 日本盲人職能開発センター 村越 芳男
研究討議
 盲老人ホームの
 専門性を高めるための諸条件
 指導員の業務について
23 29
第7回 人格主義カウンセリング
 愛知教育大学
 大阪市立大学教授 遠藤 勉
処遇の専門性研究委員会を
つくることが決定、委員が選出された
26 44
第8回 精神医学と老人の心理
 前上野病院長 辻岡 隆
研究討議
 処遇困難な老人について
情報交換
28 37
第9回 費用負担制度について
 県生活福祉部主幹 河野 通広
成人の脳血管損傷について
 宮崎温泉病院長 前田 正美
高齢者の日常生活における欲求を考える
 宮崎市老人福祉センター
 所長 田中 秀男
事例発表研究討議
 各施設における
 リハビリテーションの状況
情報交換
27 40
第10回 国際障害者年に当って
当面する行政上の諸問題
 京都市障害福祉課長
 勅使河原伯秀
社会福祉実践における
ソーシャルワーカーの役割
 同志社大学教授 岡本 民夫 
死生観について
 同志社大学教授 住谷 馨
研究討議
 問題老人の処遇について
 精神障害者に対する処遇について
32 38
第11回 老人ホームからの発想
(その転換のたたかい)
 長浜和光園園長 錦織 義宣
盲老人福祉の歴史と展望
 島根ライトハウス理事長 高尾 正徳
グループ討議 31 35
第12回 盲老人の心理
 熊本大学教授 鈴木 康平
歩行訓練の実際
 国立福岡視力障害センター
 川崎雅敏
パネルディスカッション
 「盲老人ホームの専門性の確立」
研究発表
 ・点字及びカセットの実際
 ・職員研修のあり方
 ・適切な処遇
 ・盲老人の体験入園
34 35
第13回 福祉制度の基盤にあるもの
 前厚生省老人福祉課長
 古瀬 徹
活力ある盲老人ホームにするには
 石川県視覚障害者協会理事長
 田辺 建雄
意見発表
 ナザレ園 沼田 幸一
 青い鳥老人ホーム 小林 久寿
 自生園 今井 要
34 35
第14回 中高年視覚障害者の心理とそのニーズ
 京都産業大学教授 田村 洋幸
意見発表
 静苑ホーム 川本 俊憲
 津軽ひかり荘 山口 俊吾
 船岡寮 木崎 保
 千山荘 芳川 義一
 白滝園 岡田 恭弘
29 31
第15回 現代社会の悩みと救い
 牧師 輿水 正人
盲老人の心に温もりを
 鹿児島経済大学教授 中島 充洋
意見発表
 熊本めぐみの園 広瀬 信一
 聖明園曙荘 鈴木 豊
32 43
第16回 社会福祉法人 弘前愛成園
 理事長 三浦 昌武
弘前愛成会病院
 院長 桜田 高
研究発表
 香東園 玉木 悟
 第二福寿園 中村 次夫
 聖明園曙荘 水村 広貴
 羽ノ浦荘 加藤 勇
36 33

看護婦研修会実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和50年
10月27日~10月29日
聖明園 専門的な知識技術の習得 講義
実技
施設見学
研究協議
第2回 昭和51年
10月25日~10月27日
青い鳥老人ホーム 盲老人の健康管理と
食生活の充実を目指して
講義
施設見学
研究協議
第3回 昭和52年
11月18日~11月20日
富士見園 老人ホームにおける痴呆者の介護 講義
研究協議
施設見学
第4回 昭和53年
9月20日~9月22日
恵明園 看護面からの処遇課題を研究協議し、
専門的知識技術の習得と研鑚に努め、
自らの資質の向上をはかる
講義
研究協議
施設見学
第5回 昭和54年
7月16日~7月18日
生目幸明園 老人に対するリハビリテーショ ンの実際を
学び、各施設の情報交換、
看護婦の親睦と連携を深める。
講義
研究協議
施設見学
第6回 昭和56年
10月27日~10月29日
香東園 盲老人ホームにおける看護の心づかいと
眼疾患及び老年性精神障害について
講義
研究協議
施設見学
第7回 昭和58年
11月24日~11月26日
梨ノ木園 盲老人ホームにおける望ましい
医療サービス
講義
研究討議
施設見学
第8回 昭和60年
10月16日~10月18日
第二光が丘ハウス 1.痴呆性老人に関する研究
2.痴呆判定スケールについて
3.園内治療の充実について
4.終末ケアについて
講義
意見発表
研究討議
情報交換
施設見学
第9回 昭和62年
10月21日~10月23日
猿田荘 1.眼疾患に関する理論的学習
2.痴呆老人への対応
3.盲老人特有の看護技術について
4.看護技術の経験交流と情報交換
5.他職種との連携のあり方
講義
研究討議
映画
施設見学


講演 意見発表等





第1回 盲老人ホームにおける歩行訓練の意義
 日本盲人職能開発センター
 村越 芳男
盲老人ホームにおける歩行訓練の理論と実際
 神奈川県総合リハビリテーションセンター
 清水 学
老人性痴呆について
 富士見園 安部 トミヨ
研究討議
 施設における看護の諸問題
8 8
第2回 欧米の盲老人ホームについて
 酒井 久江
老人の食生活と健康管理について
 山梨県厚生部予防課主幹
 藤巻 一雄
13 13
第3回 老人の精神的介護
 講師 羽生 りつ
グループ別研究討議
海外研修報告
 権現荘 中村 幸子
 富士見園 古川 茂美
 聖明園 米原 仁子
17 26
第4回 盲老人処遇の中の医療
 恵明園園長 水田 武夫
老人養護とリハビリテーション
 北湯沢リハビリセンター院長
 池田 憲彰
事例研究発表 14 24
第5回 老人に対するリハビリーテーションの実際
 宮崎温泉病院長 前田 正美
22 31
第6回 看護の心づかい
 日本赤十字社香川県支部 吉岡 真砂子
老人の眼疾患と看護の注意事項
 香川県立中央病院眼科部長
 片山 望
老年性精神障害と精神衛生管理について
 医療法人三船病院長 三船 通雄
24 27
第7回 成人病(特にガン)について
 上野総合市民病院長 高崎 浩
分科会研究討議
・生活の場における有病者の
療養指導と個人の権利との調和
・終末看護
・健康及び衛生管理
25 28
第8回 全盲老連の現況
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
老人病とその看護
 光道園嘱託医 伊部与右工門
老人に多い眼疾患
 南後眼科医院院長 南後 龍一
特別報告
 オーストラリアの盲人福祉
  全盲老連 酒井 久江
施設見学
 光道園、[鯖]江、丹生事業所
24 25
第9回 全盲老連の現状
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
老人の心を開く道
 銚子市社会福祉協議会会長
 真言宗智山派 川福寺住職
  西川 照幸
痴呆老人の行動を行動科学の視点から見れば
 猿田荘施設長 中村 暢美
映画
 すべての盲人が見えないと
言うわけではない
29 30

施設長研修会実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和51年
9月27日~2月29日
恵明園 施設長資質の向上と施設運営管理の充実 講義
施設見学
第2回 昭和52年
10月24日~10月26日
三宝園
啓明園
蓮の実園
施設長資質の向上と施設運営管理の充実 講義
研究討議
施設見学
第3回 昭和53年
6月19日~6月22日
梨ノ木園 激動する社会にいかに対応すべきか
という諸問題を研究討議する
講義
研究討議
施設見学
第4回 昭和54年
5月10日~5月12日
松峰園 視力障害老人の処遇課題を研究討議し、
施設運営管理の充実を促進する
講義
研究協議
施設見学
第5回 昭和55年
4月24日~4月26日
白滝園 80年代の社会福祉の諸問題を研究討議し、
対策の樹立とサービスの向上を図る
講義
研究討議
施設見学
第6回 昭和56年
5月6日~5月8日
弘前温[清]園光寮 施設における処遇向上と地域に開かれた
施設としての使命をいかに果していくか
講義
研究討議
施設見学
第7回 昭和57年
5月29日~5月31日
慈母園 盲老人ホームの専門性を求めて
 盲老人ホームの特殊性に対応できる
処遇の向上をめざすとともに、
利用施設としての使命をいかに果たすか
講義
研究協議
施設見学
第8回 昭和58年
5月10日~5月12日
生目幸明荘 盲老人ホームの専門性の確立のために
 盲老人ホームの入所者処遇と運営の課題
講義
研究協議
施設見学
第9回 昭和59年
5月10日~5月12日
光の園 1.老人ホームの体系について
2.職員勤務体系について
3.基本的処遇の見直しについて
講義
研究協議
意見発表
施設見学
第10回 昭和60年
5月21日~5月23日
松風荘 1.新しい盲老人福祉の課題
2.中間施設論に対する対応について
3.変革期の施設体系について
講義
意見発表
研究協議
施設見学
第11回 昭和61年
5月14日~5月16日
愛媛県
視覚障害者福祉会
(権現荘、
第二権現荘)
盲老人ホームの専門性の確立
 新しい盲老人の福祉を求めて
講義
研究協議
意見発表
施設見学
第12回 昭和62年
5月20日~5月22日
胎内やすらぎの家 盲老人ホームの専門性の確立
 地域に愛される盲老人ホームの
推進=新しい盲老人の福祉を求めて
講義
意見発表
パネル
ディス
カッション
施設見学


講演 意見発表等 参加
施設
参加者
第1回 施設運営を監査の立場からみて
 厚生省社会局監査課長
 板山 賢治
マスコミからみた施設運営管理の問題点
 福祉新聞社編集長 石橋 俊一
福祉施設のための実践的労務管理
 大阪四天王寺病院事務長
 大久保 才一
組織とリーダー管理職者の理想像
 日本マネージメント協会
 中尾 光弘
恵明園運営6年の実績と今後の課題
 恵明園園長 水田 武夫
21 24
第2回 今後の盲老人福祉
 厚生省老人福祉専門官
 田中荘司
福祉施設の労務管理
 鹿児島県労働基準監督署
 広森 秀夫
研究討議 21 24
第3回 講演
 厚生省社会局更生課長
 板山 賢治
忍術
 前上野市長 奥瀬 平七郎
研究討議 31 39
第4回 老人の健康
 秋田県立衛生看護学院長
 堀江 友男
研究協議 28 34
第5回 80年代における社会福祉の動向
 厚生省社会局更生課長
 板山 賢治
たった一度の人生
 松寿寺主管 村上 興宗
研究協議
施設見学
 白滝園
 あすらや荘
38 42
第6回 80年代の老人福祉を展望して
 厚生省老人福祉課長補佐
 戸口田 三千尋
研究協議
意見発表
生活の場としての施設を考える
 松風荘 吉田 孝志
 湯の川温泉盲老人ホーム 小林 常蔵
38 44
第7回 インド救ライヘの光をかかげて
 講師 中井 栄一
ガン克服への道
 講師 岡 益尚
研究協議 39 44
第8回 盲老人ホームの専門性の確立を
 日本社会事業大学教授
 板山 賢治
今後の老人福祉の諸問題
 厚生省老人福祉課長
 佐々木 典夫
意見発表と研究協議
 盲老人ホームの入所者処遇と運営の課題
   鶴海荘 柳島 信男
   恵明園 水田 武夫
   ひとみ園 茂木 幹央
38 42
第9回 今後の老人福祉の動向
 厚生省老人福祉課長
 古瀬 徹
施設をとりまく甘えの福祉の構図
 社会福祉法人萱垣会理事長
 萱垣 幸道
意見発表と研究協議
・老人ホームの体系について
 研修・予対委員長 水田 武夫
・職員勤務体系について
 研修・予対委員 吉田 孝志
基本的処遇の見直しについて
 調査委員 青木 祐心
39 52
第10回 変りゆく老人福祉の展望
 厚生省老人福祉課長補佐
 天内 邦喜
オーストラリアの盲老人福祉について
  全盲老連 酒井 久江
福祉の課題
 壷阪寺貫主 常盤 勝憲
意見発表と研究討議
・老人福祉施設の体系について
 白滝園 守下 正彦
・痴呆老人の処遇について
 福寿園 山田 都企子
・障害者に対する費用徴収上の問題について
 松峰園 北村 孝
39 42
第11回 21世紀の老人福祉を考える
 厚生省老人福祉専門官
 田中 荘司
盲老人ホームの専門性
 日本社会事業大学教授
 板山 賢治
盲老人ホームの現状と将来
 愛媛県視覚障害者福祉会
 理事長 野本 春幸
意見発表
 施設と在宅福祉について
  香東園園長 佐藤 正則
 入所盲老人の処遇について
  羽ノ浦荘園長 坂東 和幸
 盲老人ホームの設備と職員配置基準について
  ひとみ園園長 茂木 幹央
50 68
第12回 講演 老人福祉の課題
 厚生省老人福祉課長 真野 章
 全社協会長 岩田 克夫
激動期における盲老人ホームのあり方
 新潟県医師会会長 川上 清治
パネルディスカッション
 コーディネーター蓮の実園園長
 斉藤 洋三
 寮母の資格について
  ナザレ園園長 菊池 潔
 新しい盲老人のあり方をさぐる
  第二静光園園長 平野 綾子
 盲老人実態調査結果と今後の課題
  羽ノ浦荘園長 板東 和幸
44 53

栄養士・調理員研修会実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和51年
10月25日~10月27日
青い鳥老人ホーム 盲老人の食生活と健康管理 講義
研究協議
施設見学
第2回 昭和52年
11月10日~11月12日
船岡寮 盲老人の豊かな食生活 講義
研究協議
実習
施設見学
第3回 昭和54年
1月24日~1月26日
聖明園 盲老人の豊かな食生活 講義
研究協議
施設見学
第4回 昭和54年
10月17日~10月19日
船岡寮 盲老人の食生活を豊かに 講義
討議
実習
施設見学
第5回 昭和57年
1月18日~1月20日
横須賀第一・第二
老人ホーム
生活の場としての施設を考える
(食事時間と行事食)
講義
調理実習
映画
研究協議
施設見学
第6回 昭和58年
7月26日~7月28日
白滝園 盲老人ホームの給食の特殊性と
楽しい集団給食を求めて
講義
調理実習
研究協議
施設見学
第7回 昭和60年
7月11日~7月13日
松ヶ丘葵荘 ホームの中でマンネリ化しがちな
食生活を見直し、郷土色を生かした
献立による給食
中高年の健康に必要な食事
講義
実習
討議
施設見学
第8回 昭和62年
7月14日~7月16日
寿光園 盲老人ホームの専門性の確立
 盲老人により良い食事を提供するために
講義
実習
研究討議
施設見学


講演 意見発表等 参加
施設
参加者
第1回 欧米の盲老人ホームについて
 酒井 久江
山梨県の老人福祉について
 山梨県厚生部厚生援護課長
 岩田 伸
老人の食生活と健康管理
 山梨県厚生部予防課主幹
 藤巻 一雄
協議
 特別食、偏食
 食事時間
 代替食、肥満について
 外食、出前食
 勤務時間について
15 16
第2回 味と栄養の科学
 手近にある材料を如何に生かすか
   京都女子大学教授
   口羽 章子
料理実習
 講師
 学校法人大和学園長兼理事長
 田中 藤一
京料理の研究(試食)
 料亭 順正
  湯豆腐と精進料理
25 39
第3回 楽しい食生活
 女子栄養大学講師
 市川 佳代子
試食会
 テーブルマナーと試食会
 三笠会館レストラン
施設見学
 和佳苑
20 30
第4回 盲人と食事
 京都ライトハウス常務理事
 関野 光雄
調理の基礎技術
 京都栄養士調理師専門学校長
 前山 高輝
討議
 盲老人ホームの食生活について
調理実習
精進料理見学と試食
 老舗一休庵
26 43
第5回 老年期の栄養について
 神奈川県立栄養短大学長
 須川 豊
調理実習
 刺身の作り方について
  横浜栄養専門学校
  日本料理担当講師 鈴木辰男
映画会
 食中毒について(細菌性中毒とその予防)
事例発表と研究討議
24 32
第6回 楽しい集団給食を求めて
 広島文教女子大学助教授
 鎌田澄志江
調理実習
 老人向き食事
  さつきクッキングスクール
  崎高 科起代
意見発表
32 52
第7回 全盲老連の活動と現状
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
中高年の健康に必要な食事
 アサヒクッキングスクール校長
 吉野 昭子
調理実習「郷土食」
意見発表
34 38
第8回 食は愛なり、命なり
 栄養研究家 江崎 信子
盲老人向郷土食
 福岡県女子短期大学食物栄養学科
 助教授 西山 淑子
調理実習
 盲老人向郷土食
グループ討議テーマ
 1.選択食の実際
 2.特別食の作り方
 3.食事時間と勤務体制
 4.給食業務の業者委託について
38 48

新任寮母研修会実施状況

期間 当番施設 テーマ・ねらい 研修の
方法
第1回 昭和56年
6月22日~6月27日
聖明園 2年未満の寮母職を対象に盲老人処遇の
基礎を学習する
講義
実習
討議
施設見学
第2回 昭和57年
6月7日~6月12日
聖明園 2年未満の寮母職を対象に盲老人処遇の
基礎を学習する
講義
実習
ビデオ
施設見学
第3回 昭和58年
5月24日~5月28日
聖明福祉協会 盲老人ホームの専門性の確立のために

 基礎的処遇技術の理論と
実際盲老人ホームで働く職員の心構え
講義
実習
映画
施設見学
第4回 昭和59年
6月11日~6月16日
聖明福祉協会 盲老人ホームの専門性の確立のために
1.基本的心構え
2.基礎的処遇技術の理論と実際
講義
実習
研究討議
情報交換
施設見学
第5回 昭和60年
6月25日~6月29日
聖明福祉協会 盲老人ホームの専門性の確立のために

 基礎的処遇技術の理論と
実際盲老人ホームで働くことの意義を考える
講義
実習
映画
研究討議
情報交換
施設見学
第6回 昭和61年
6月16日~6月21日
聖明福祉協会 盲老人ホームの専門性の確立のために

 基礎的処遇技術の理論と
実際盲老人ホームで働くことの意義を考える
講義
実習
映画
研究討議
情報交換
施設見学
第7回 昭和62年
6月15日~6月18日
聖明福祉協会 盲老人ホームの専門性の確立のために

 基礎的処遇技術の理論と
実際盲老人ホームで働くことの意義を考える
講義
実習
映画
研究討議
施設見学
情報交換


講演 意見発表等 参加
施設
参加者
第1回 盲老人ホーム職員の心構え
職場における人間関係
盲老人の医療処遇
盲老人の心理と接し方
基本的な処遇記録の取り方
寮母業務について
アイマスクによる歩行訓練
盲人用具の使用と実技
盲老人の作業療法実技
グループ活動参観
討議
 盲老人のレクリエーション
 個別処遇のあり方 
 寮母業務とチーム実践
25 33
第2回 盲老人ホームの歴史と現状
盲老人ホーム職員の心構え
 聖明園園長 本間 昭雄
処遇の専門性と記録
 明治学院大学助教授 根本 博司
歩行訓練の基礎
 東京光の家 茂木 稔
高蛉者のレクリエーション
 日本社会事業大学教授
 垣内 芳子
寮母業務実習
点字指導 実技
グループ活動参観実技
 (アイマスク使用)
盲老人の作業療法 実技
老人ホーム介護の実際(ビデオ)
23 36
第3回 盲老人ホームの歴史と現状
盲老人ホーム職員の心構え
 聖明園園長 本間 昭雄
盲老人ホームにおける医療
 寿荘副園長 本間 麻子
寮母の心得
 サンホーム園長 藤島 はる
老人の心理について
 日本大学心理学研究室
 助教授 長嶋 紀一
歩行訓練の基礎(講義と実技)
 国立身体障害者リハビリテーションセンター
 大槻 守
盲人用具と点字図書館事業内容について
 日本点字図書館用具部長
 花島 弘
映画と懇談
 盲人の手引の仕方、白内障について
27 40
第4回 盲老人ホームの歴史と現状
盲老人ホーム職員の心構え
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
盲人の時間とともに20年
 NHK 川野 楠己
寮母のあり方
 明治学院大学
 教授 秋山 智久
盲老人の健康管理
 医師 市原 靖
老人の心理
 日本大学助教授 長嶋 紀一
歩行訓練
 国立身体障害者
 リハビリテーションセンター
 歩行訓練士 坂本 洋一
28 38
第5回 全盲老連の歴史と現状
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
老人の病気について
 医師 蓮村 幸兌
老人福祉の展望
 前厚生省老人福祉課長
 古瀬 徹
老人処遇に果す寮母の役割
 信愛泉苑園長 鈴木 絢子
老人の心理
 日本大学心理学研究室
 助教授 長嶋 紀一
盲老人ホーム職員の心構え
 蓮の実園園長 斉藤 洋三
実習
 アイマスク使用(歩行訓練、昼食)
 点字実習と盲人用具について
 盲老人とレクリエーション
映画
 盲人に接するとき
 海外の盲老人福祉
29 38
第6回 全盲老連の歴史と現状
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
盲老人ホームにおける寮母業務のあり方
 富士見園 本間 麻子
寮母の役割と心構え
 信愛泉苑苑長 鈴木 絢子
老人ホームにおける健康管理と老化防止について
 東京医科歯科大学助教授
 竹内 孝仁
老人の心理
 日本大学心理学研究室
 助教授 長嶋 紀一
盲老人ホーム職員に望む
 松陽苑施設長 吉田 孝志
実習
 アイマスク使用(歩行訓練、昼食)
 点字実習と盲人用具について
映画
 ばらの園
 盲人に接するとき
31 37
第7回 失明者を理解するために
 盲学生情報センター所長
 高橋 実
盲老人ホームにおける寮母業務のあり方
 富士見園園長 本間 麻子
福祉施設職員の心構え
 東京光の家理事長 田中 亮治
全盲老連の歴史と現状
 全盲老連事務局長 本間 昭雄
相手の心をとらえる話し方
 東京アナウンスセンター
 林田 みえ子
盲人の心理
 日本大学心理学研究室
 助教授 長嶋 紀一
実習
 アイマスク使用(歩行訓練、昼食)
 点字実習と盲人用具について
映画
 盲人に接するとき
33 40

主題:
眼に太陽は見えなくとも -その20年の軌跡- NO.1
1頁~78頁

著者名:
全国盲老人福祉施設連絡協議会
吉田孝志、小林常蔵、竹内和利、本間昭雄、水田武夫

発行者:
全国盲老人福祉施設連絡協議会
会長 三浦昌武

発行年月:
1988年5月

情報の種類:
その他(記念誌・20年の記録)

情報の分野:
社会福祉

文献に関する問い合わせ先:
全国盲老人福祉施設連絡協議会
青梅市根ケ布2-722
電話0428-21-0301