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平成17年度 マルチメディアDAISY図書製作普及事業 総括報告書

【著作権の動向】海外におけるマルチメディアDAISYと著作権の動向

国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所 障害福祉研究部長 河村宏

ご紹介いただきました河村です。ただいま、日本の国内法について非常に詳しく説明いただきましたので、私は基本的な違いのある海外の状況について申し上げます。

まず、北米とヨーロッパ、特に北欧というように、日本と顕著に違いのある地域を挙げたいと思います。北米から申し上げますと、世界でいちばん大きな視覚障害者に向けた図書館サービスのシステムがあります米国議会図書館のサービス範囲は、点字及び録音図書の場合には、視覚障害者とその他の身体障害者というように明確に法律に規定してあります。
そのほかの身体障害者というのは、例示によりますと、両手がない人で本が持てない、あるいは肢体不自由で本を持てない、さらには交通事故などで脳外傷によって読めなくなるという現象は、北米では早くから指摘されていまして、その方々も含めてそのほかの身体障害者という法律上の括りになっています。

大体カナダとアメリカは同じような状況ですので、現状、録音図書の利用者で考えますと、大体7割ぐらいが視覚障害者以外という統計が出ている団体があります。ディスレクシア及び視覚障害者に対する図書館サービス(Recording for the blind and Dislexic)という団体がアメリカにありまして、主に教科書を提供していますが、そこでの統計が公表されています。
大体7、8割が視覚障害者以外であると言われています。つまり利用者数でいいますと、全体のサービスとしての視覚障害者と、それ以外の人口の比率が、どちらかというと視覚障害者でない方たちが録音図書を利用しているケースのほうが多いと、北米の場合典型的に言われているわけです。

もう1つ北欧の場合ですが、非常に具体的な統計で出ていますのは、スウェーデンの国立録音点字図書館です。大学生あるいは高等教育でDAISYを利用している人たちということでの統計では、約2,000人の利用者のうち、これも7割ぐらいが視覚障害者以外であるという報告がされています。そして、法律の上ではこれらの現実を踏まえまして、双方が対等に扱われる法律的な制度、特に著作権法が整備されているというのが、北欧と北米におけるスタンダードと言っていいと思います。

それと比べますと、日本の著作権法というのは極めてユニークといいますか。比較的社会保障においては北欧や北米に引けを取らないという位置づけを目標にしてきたかと思うのですが、残念ながらこの分野においては全く切り捨てられている利用者、潜在的な利用者の方たちが多くいる、しかも非常に数多くいるということが実態であろうかと思います。

先ほどの井上さんのお話にちょっと補足します。

実は2000年に著作権法の改正をするときに私も参加して障害者放送協議会と文化庁著作権課との交渉をやっていたのです。そのときに文化庁側がそのほかの読書のできない人たちを含むことに難色を示した理由というのは、厚生労働省も認知障害あるいは知的障害で読めない人たちをきちんと定義してないではないか、だから、きちんと定義できない対象を著作権法に含むことはできない、と著作権課長が回答していた訳です。これは、たしかリハ協の当時のウェブにある記録にもはっきり残っているかと思います。

その後、専門家委員会で文部科学省が独自に研究を進めまして、そして特別支援教育というカテゴライズをして、文部科学省が自ら特別支援教育の対象を定義したわけです。
やはりここで文部学省が自ら定義した対象のグループの人たちについて著作権法上の支援策とを考えなくていいのかと、改めて問題提起する必要があるのではないかと思います。そこがはっきりすれば、いま教科書等の問題で皆さんが非常な困難を抱えておられるところが整理される可能性があると考えます。

もう少し大きく著作権問題を知的所有権全体の国際的な動向ということで、見てみたいと思います。皆さんのご記憶にあるかもしれませんが、AIDSの特効薬の特許を巡るWTO(世界貿易機構)での大きな論争がありました。南アフリカやブラジルでは、多数のAIDSの患者さんが安い特効薬が手に入らなければ死んでしまう。したがって、その特許を独占している状況の下では安く製造できないので、違法とはわかっているけれども安い特許に触れる製薬、薬剤を作って、それでやっと命を維持している人たちがいるのだと。それに対して、特許料を払えという訴訟があったのが、最終的にWTOの決着は、これは緊急事態、あるいは途上国の状況といったものを考慮して、必ずしも特許が最優先するべきではないというのが国際的な合意になりました。

同じことが今、言われていますのは、鳥インフルエンザの特効薬です。
これは、特許を持っている会社が値段をつり上げて、合意に達しなければ製法をライセンスしないということを言い張ると、非常に多くの国でたくさんの方が命を失う危険がある。
それに対しては、特許というのは公表しますから、ライセンスしないのなら緊急対応でもう自ら作って配るしかないという国がいくつも出ています。それに対して、製薬会社のほうは、いや、供給を保障します、できるだけ早くライセンス契約を結びますという対応をせざるを得なくなっています。つまり、人の命あるいは疫病が蔓延しそうであるときには、特許が万能ではない、というのが常識的な国際的スタンダードになっているわけです。

翻って著作権を考えてみます。配られた教科書が読めない生徒が、もう授業が目の前に迫っている。出版者に許諾を求めて許諾はしてもらえなかったけれども、やむを得ず、どうしても授業が始まるまでにそれを読める形で提供したいと。いまの著作権法では認められていないかもしれないけれども、緊急避難的にやらざるを得ない。しかも、教科書は自ら持っているけれどもそれが読めない、という場合には、私は違法性はないと考えます。  これは、ある意味で出版者あるいは教材提供側が担うべき責任がそこにあると思います。

つまり、このような窓口を設けて、そこにこのように届け出てくれれば、このようなケースはもう自動的に許可しますと言っておかしくない問題だと思います。これは、自分は教科書を既に消費者として持っている前提があります。持っているものが読めない、だからそれを読める形にしたい。

同じ教科書をいちいち作り直していたのではとても作り手の数が足りなくて、全国でいろいろな教材を使っている生徒に教材が行き渡らないわけです。したがって、緊急避難的にそこにどうしてもその教科書を使わなければならなくて、当然持っているわけですから、それの代わりに自分の分だけコピーをするというのは、出版社にとって得べかりし利益は侵害されていないと考えられますし、さらにそこで著者の人格権や主張がねじ曲げられて伝えられないかということについても、内容を読めるようにするという変換ですから、何も抵触することはない。

むしろ、そこに制度的な欠陥があって、その犠牲になって授業を受けられない子どもが出る、それをどうやって緊急に解決するのかという問題変異であろうかと思います。

そういう意味で、私は法は尊重すべきだと思いますが、同時にそこで障害があって読めないという事態をきちんと解決する、そうしないと義務教育が受けられないという状況を解決することは優先されるべき課題であろうと考えます。

このことを巡っては、おそらくいろいろな議論があるかと思います。出版社の方たちも、やはりそこに一緒に入って合意を形成していただく必要があるし、最終的にはどのように出版があるべきなのか、出版というのは最終的には読者に読んでもらうために出版されるのだと思います。

そこの基本的なところを踏まえながら、同時に企業としての利益も確保するし、著者が生活をしていくという権利も確保する。それをどう調和させていくかという土台に置き直すことが必要だと思います。

これまでは、あまりにも一方的に読む側の権利が侵害されてきたと私には見えるわけです。その点で、DAISYが果たす役割というのは、やはりそこで出版物と同じように蓄積をし、皆で共同利用して次の世代に伝えていく、さらにいま図書館にあるように蓄積したものがずっと後世にも文化的な遺産として、アクセス可能な文化的な遺産として伝えられる、その国際的な標準規格としてDAISYが存在していることが重要だろうと思います。

その意味で、確かにいろいろな新しいものには、いいものがたくさんあります。その中で、次の世代に伝えていけるその核心をどのようなところに求めていくのかを踏まえながら、皆で手分けをして製作をし、あるいは出版者の方も出版をしていただく、DAISYによる出版を手がけていただくといったことが、いまの著作権問題の泥沼を解決する道ではないのかと思います。その際に、いま国連の本部でやっている障害者の権利に関する国際条約の動きも非常に重要だろうと思います。その中に、はっきりとこういう情報にアクセスする権利を明記して、このような技術あるいは蓄積した知識を使うことによって今後、問題を根本的に解決していく道筋を明らかにできるというところが、DAISYが今後担っていかなければいけない技術的な課題であろうと考えます。以上です。