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第2回障害者の災害準備国際会議報告
-弱さを防災のユニバーサルデザインに生かす-

河村宏
DAISYコンソーシアム会長
NPO法人支援技術開発機構
国立障害者リハビリテーションセンター研究所

河村宏氏の写真

こんばんは。河村です。今日はレジメをお配りしておりますが、前回のアップデートという形でお話しようと思っていましたが、前回聞いていない方もいらっしゃいますので、少し経過を振り返りながら今回何が行われたのかをお話しようと思います。

プーケット前史

なぜプーケットで2回も国際会議をやったのかということからお話したいと思います。当然皆様、ご承知のようにインド洋の大津波はプーケットやカウラックなどのタイの沿岸地方を襲い、非常に大勢の命を奪うとともに、タイ以外の多くの方々の命も奪ったというのが特徴です。国際的に障害者の防災を考えるときに、例えばスウェーデンなどはあまり災害がないと自分達で思っています。ところがいっぺんに数百人もインドネシアの津波で自分の国民が亡くなり、災害は人ごとではないと学ぶということで北欧、中欧、オーストリアからも大勢プーケットに行って亡くなっています。オーストリア政府が支援した今後の津波対策の施設などがプーケットにあったりします。そういう意味で、いろいろなところで災害があるのですが、国際的にいろいろな政府が本気になって、災害は人ごとではないというふうに思うインパクトの大きさからいうとプーケットの災害は大きかったのだと思います。

障害者・高齢者は災害でなぜ逃げ遅れるのか?

もうひとつあります。これは私がずっと前から特に障害のある人がなぜ災害のときに大勢犠牲になるのか。常識的には逃げにくいし、情報がわからないし、逃げようと思っても段差があって逃げられないということなのですが、でも実際には逃げようと思えば逃げられたはずのお年寄りとか精神障害者、自閉症の方、見えて聞こえて動けて無事に逃げられそうな方もかなり犠牲になったんですね。やはり障害のある人すべてが災害のあるときに安全を確保するにはどうしたらいいかというときに、モビリティに障害がある人とともに、モビリティ上は問題ない、あるいは見える聞こえるということは問題がないけれど、孤立しているために逃げ遅れる、あるいは逃げたときに取り残される、そういう人たちも含めて一人の命も失わないような対策を立てるということは、実は最終的には一人ひとり、みんなその地域住民の命を救うことにつながっていく、あるいはつながらざるを得ない。ふだんから障害のある人は、自分の障害を生きているわけですから当然そこにノウハウがある。そのノウハウを地域で結集すれば地域防災に生かせると考えられるのではないかということがもともとの問題意識の中にありまして、そのためにITをどいういふうに活用するのかということが私のテーマであったわけです。

アジア太平洋障害者10年の取り組みの中で、タイのモンティエン・ブンタンさんたちとICTのワーキンググループを作って、20世紀の終わりごろから取り組んできたわけですが、2002年にタイに行って、ICTのアクセシビリティこそが障害者の参加を決めるとても重要な要素になるという国際会議をしてきました。そのとき以来、タイの政府関係者と比較的友好な関係を結びながらICTのアクセシビリティ、ひいては障害者の社会参加の発展ということを一緒にやってきたという経緯がありまして、残念ながらタイの津波で自閉症の王室の方が一人亡くなっておりまして、スポーツマンでとても有名なみんなの人気者だった方なのですが、津波のときに亡くなっておられるということもありまして、国際的に悲惨な思い出とともにタイ国民にもそういう思い出があり、同時にICTのアクセシビリティを世界中にキャンペーンするためには最初の拠点だったタイでやってみようということでプーケットで第1回の会議をやりました。

第1回プーケット会議の成果

プーケット宣言:事前の取り組み(Preparedness)が肝心

第1回の会議はちょうど直前にありました国連の世界情報社会サミット(WSIS)と深い関りがあります。世界情報社会サミットの情報源を(財)日本障害者リハビリテーション協会のウェブサイトから紹介します。第1回までのプーケットの会議は「世界の動き」の「WSIS」の「WSIS後の動き」に掲載されています。(http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prompt/ws_after.html) 非常に内容が詳細に出ていますので、ぜひこのときの宣言を含めてご覧いただきたいと思います。 第1回のプーケット会議では津波を具体的に標的にしました。基本的には津波による人命の犠牲はなくせるはずだと。なくせることが実現できていない理由を一つひとつ攻めていって、誰ももう津波では命をなくさない、そういう防災体制を作るということが結論です。そのときに一番重要なことは、津波は正しく逃げれば助かるわけです。逃げるときに高さがあります。正確な知識、何メートルまで逃げれば助かるのかということを事前に頭に入れておかなければ、助かるものも助からない。海のほうから一目散に陸のほうへ逃げても、高さがかせげなければ逃げられないので、そういう正確な知識が必要であるということ。そして、今逃げなれれば危ないという警報が届かなければいけない。ここに見えなかったり、聞こえなかったりする人のアクセスの問題が当然出てくるわけです。わかったとしても避難経路が確保されていなければどうどこへ逃げたらいいのかわからない。ですから事前にプランがあって、そこがバリアフリーになっていなければいけない、ということになります。
それから自力では動けない人は、すぐとなりにいる人が、何がその人に必要なのかを知っていて一緒に逃げる。一人だけパッーと逃げて、わかっていれば一緒に逃げられたのに、ということではなく、お互いに何ができて何ができないかがわかっていて、それでプランどおりに実行する。

もう一つは情報が肝心なのですが、その人がアクセスできるフォーマットというだけではく、わかる形で得ることができなければわからない。つまり、理解できる情報でなくてはならない。そこで、プーケットの意義が出てくるんです。プーケットには大勢外国人がいました。タイ語で「逃げろ」と言われてもわからない。もう一方で、津波の前に海の底がずーっと引いていったわけですね。今まで見えなかった海底が見えたので、みんな興味津々でそこに入っていった。でも、実はプーケットでもわかっている人たちがいて、あるコミュニティ、モーケンとかモーガンとか言いますが、先住民族のコミュニティがあるんですね。その先住民族のコミュニティはわかっていまして、全員が無事に逃げることができたということがわかっています。これはセミナーの写真です。

セミナーの写真 モーケン族の子供たちの写真

この方はモーケン族で、お化粧ではなく、伝統的な日差しをよけるものをつけていらっしゃいます。そしてモーケンの子どもたちです。モーケンのコミュニティを訪問して、みんながどういうふうに津波が来ることを知っていて無事に逃げたのか、そのルートをたどろうということを一緒にさせてもらいました。そのときに1200人のコミュニティの中に障害のある人が20人いたのですが、全員一緒に逃げたんですね。20分前に予測して余裕があったということです。そのときに大勢近所の海岸にいた人が犠牲になっているので、その人たちが同様に情報を理解できていれば、みんな助かったはずです。同じようにそういう情報がちゃんと理解されていれば、あるいは事前に津波というものがあるということがわかっていれば、ずいぶん犠牲は少なくてすんだのではないか。そのような生き証人と言われるような方々と今回交流をして参りました。

第2回プーケット会議の成果

プーケットで第1回目の会議をして、その結果、絶対にフォローアップをやろう、障害のある人たちのことをじっくり掘り下げていくことはやはりコミュニティ全体を安全にしていくということにつながるので、その方向をもう少し進めてみよう、その中でICTはどんな役割を持つのかということを、実践を積んでみようということで、ほぼ2年後の5月に集まりました。

島村英紀氏の写真

ここにいらっしゃる方は島村英紀先生と言いまして、世界中の海に観測機を沈めて海底地震の観測しておられる方です。ナンバーワンの方です。その島村先生から海底地震についての正確な科学的な知識と、そこから得られる対策について基調講演をしてもらいました。そして、これはタイの政府関係のいろいろな取り組みを報告してもらい、さらにタイが中心になってアジア太平洋地域の障害に対する備え、ADPC(The Asian Disaster Preparedness Center)の所長さんに来ていただいて、講演をしてもらいました。そういうふうにタイの国、あるいは周辺諸国と一緒になってどのように取り組んでいるのかという大きな枠組みの話もしてもらいました。それとともに、各地でどんな実践が行われたのかということを報告しあいました。

セミナーの写真

今出している写真はバングラデッシュでの取り組みです。真ん中にいるのがバシコルさんという方で、日本で一年間ダスキンの研修生で来ていました。今、イプサ、YPSA(Young Power in Social Action)という障害者団体ではないですれど、ソーシャル・インクルージョンに対する非常に活動的な団体でコンピューターアクセスを広める役割をしています。彼の報告では、非常にその後いろいろな知識が蓄積できて、1970年代に数十万人から百万人亡くなったと言われるサイクロンがありましたけれど、それに匹敵するようなサイクロンが来ても非常に犠牲者の数が少なくなった、2桁から3桁少なくなった。それでも数千人という規模で犠牲者が出ているので、日本の常識からいったらものすごい犠牲ですけれども、昔が昔だっただけに大きな進歩があった。それにはやはりみんなの知識の前進が大きいということが一つと、それにも関らず自分たちはさらにそれを進めるために、もっと障害者の視点でアクセシビリティをモビリティの点からも情報アクセスの点からも高めていくという努力をしていくということでした。
その中で特に私が注目したのは、彼はチッタゴンにいるんですけれども、チッタゴン近郊の先住民族の人たちがかなり危ない状況にあるので、その先住民族語のマニュアルもDAISYで作ったということです。その先住民族は文字を持たないと思うのですけど、DAISYは音でマニュアルを作れるので、先住民族の言葉で理解できる避難マニュアルを作ったというふうに思います。
同じ技術を使って彼はUNDPから今まで英語で配っていたセックスワーカー向けの権利に関するパンフレットを英語のパンフレットでは読めないということでDAISY化して配ったということも聞いています。

セミナーの写真

あとこれは、浦河べてるの家から参加していただいた2人の当事者メンバーの方です。あとで聞いたら、一人ずつ一晩ずつパニックになって大変だったということですが、なんとかやれてとても満足ですと言ってくれました。この2人はべてるの家でもう4年越しになるのですが、浦河町全体に波及している自分たちの精神障害のグループホームを中心に、津波の避難訓練を夏と冬、日中と夜と、4ラウンドで行い、手作りのマルチメディアDAISYのマニュアルを作って、精神障害の方は薬を飲んでいると非常に集中しにくいんですが、その人たちが5分くらい集中すると内容がわかるようなマニュアルになっています。 写真は自分たちの家とその周りの写真だし、ナレーターは知っている人の声だし、出てくる文章はほんの短い1行くらいの文章です。そういうマニュアルを作って繰り返し、地震が来たら4分以内に10メートル以上の高さのところに逃げるんだという目標をたてて、その通りのマニュアルを作ってみんなでそれを見たら さあ訓練だと言ってストップウォッチを持って実際に避難する。そうやって頭で理解して体で覚えるということを繰り返しているんですね。そうすることによって、ものすごい地震が来たときにパニックになってうろたえたり、あるいは何か急に幻聴幻覚が来て身動きが取れなくなるという心配があるのでその心配をなくすためにふだんからそういうふうにして備えているから、もうこれで大丈夫という、認知行動療法と言っておりますが、認知行動療法の一環としてこういう取り組みをして、今さらに町全体に、あるいは 他の障害者施設にも津波に対する備えは大事だよといってそれが広がっているという報告をしてくれました。
お二人は自己紹介をしていたんですが、大変な困難を体験されています。今まで仕事をしていて楽しいと思えたことは一度もなかったそうなんですが、このマニュアルを作る仕事を担当しているのですが、それを自分の仕事としてやってきてはじめて楽しいなと思ったということです。それは、これからプーケットに行って発表するんだって言ったら、みんなが「それはどういうこと?」って聞いて話の輪が広がったりして、おもしろさ、楽しさが出てきたとおっしゃってました。でも実際プーケットに来てみるとパニクって大変だったとおっしゃってました。長い飛行はいやだと言ってました。でもこうやって2人で来ていたからなんとかできたというふうに言っていました。これはかなり重度の精神障害のある当事者の方たちもこうやって国際的なところで発表できるし、地域で頑張ってひとつの柱としてやっていけるということを非常に良く示してくれたということで、みんな大きな拍手をしておりました。

セミナーの写真

ここに写っているのはAPCDの所長のカニタさんで、これがモンティエン・ブンタン上院議員です。この2人に記念品を渡しているところです。

交流会の写真

今写っている写真はモーケン民族の人たちと、アイヌ民族の人たちも一緒に行ってもらって、アイヌ民族も防災に関るいろんな伝承を持っておりまして、これから交流していきましょうという話と何よりもやっぱり食べ物の交流がいいよね、ということでアイヌの人はアイヌの伝統的な料理を作り、モーケンの人はモーケンの料理を作って出すという交流をやりました。その時の写真です。

まとめですけど、障害のある人たちはそれぞれ様々な困難があるんですけれども、普段からその困難に向き合って、知恵を重ねている人はまさにリソースパーソンなんですね。災害のときは、まずドカーンとものすごい地震が起きたとすれば、みんなパニックになります。頭が真っ白になります。ふだんだったらしないようなことをやります。それから電話番号のような数字は全然出てこなくなるということは、阪神淡路のときに多くの人が体験しているそうです。女性は結構覚えているそうですが、男性はかなりとんでしまったそうです。そのとき一番大事なのは次に何をしなくてはいけないのかということです。津波の危険地域ではすぐ次にやならければならないことは逃げることです。周りで倒壊家屋があったら、そこに人がいるかどうか確認して掘り出さなくてはならない。これは隣近所でしかできない。だから本当に重度の災害のときに、やはり障害がある人もない人もみんなが力を合わせて、事前に障害がなかった人もドサっと家がつぶれて下に埋まってれば動けないわけですから、それこそ周りにいる人は障害があってもなくてもみんなでその人を掘り出さなくてはいけないわけです。みんなが持っている力や知恵を合わせて、そういう時どうするということを事前にイメージしておいて、時にはそれを訓練してその通り体が動くようにしてはじめてコミュニティでの防災ということが成り立つわけですね。この事前の備え、これこそがこれからの防災戦略の中心にならなければならない、ということを国際防災戦略のメインストリームに訴えようということがひとつの今回の大きな成果です。 先進国も途上国も全ての防災戦略に基づいてそれぞれ防災計画を立てていますから、まだまだ事前の備え、英語で言うとpreparednessですが、その重要性の認識が低い、それからそれを障害者セクターが一緒に参加することによって、それをほんとうにユニバーサルなものにしていけるということに改めて確信を持ったということが一番の成果だったというふうに思います。

次の一歩

次の一歩は世界の国際防災戦略のメインストリームにこういった視点を入れていくことがみんなの次の目標となると確信いたしました。 全部の文献はこれから(財)日本障害者リハビリテーション協会にお渡しして、第2回障害者の災害準備国際会議をウェブサイトに掲載していただこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。以上、駆け足ですが、報告を終わります。

参考URL

べてる防災プロジェクトについて
・べてるの家 http://18.ocn.ne.jp/~bethel/
DAISYについて
・DAISY 研究センター http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/