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質疑応答

会場:
 河村先生のおっしゃった1回目の会議に参加させていただき勉強させていただきました。今回発展があったと聞いて非常に嬉しく思います。 私は難民を助ける会の会員になっておりまして、報告書もいただいて写真も拝見したことがあります。今日、こうやって具体的な活動の内容を伺って会員になってよかったな、と思いました。

 お二人が強調していらした防災とメインストリームの重要性を改めて勉強させていただいて、特に思ったことは防災というと災害が起こる前のことで、災害に関る支援者が障害者のことを知らないというのは他の問題でもあることなんですけど、全く同じ問題で重要だなと、メインストリームにするためにはふだんの支援や活動が大事なんだなと思わさました。
また、復興のときにも新しく建てるときにアクセシブルなものということが非常に重要になってきますし、それをやるにしても災害が起こってからそれを訴えてもタイミングが遅いと感じましたので、そいうところもどうにかしていければと思いました。

 質問は、資金に関してですが、例えばスマトラの地震や今回のサイクロンのときは、国連機関やNGOから義援金や何かでいろいろと予算をつけて、政府の緊急支援ということで多額のお金が入るということを聞いているのですが、ただ一方でいきなり多額なお金を受けとっても使い道が難しいということも聞いています。実際にそれが余っているかどうかは知らないのですが、もし余っていたり、使い道に困っていたらそれを防災のほうに活用するとか転移するということはあるのでしょうか。国連や関係者でそういった確保はあるかどうかを伺いたいと思います。

野際:
 貴重なコメントありがとうございます。またご支援もいただき、ありがとうとざいます。資金についてなんですけど、ミャンマーに関しましては今全体的に資金が足りていない状況が続いておりまして、といいいますのもスマトラの地震のときは、インドネシアには日系企業がたくさん進出しているということがありまして、資金がわりとたくさん集まって、一部余っているという情報もあったのですが、今回はミャンマーの一週間後に中国の四川の大地震がありまして、日本の大企業でも支援の金額が例えばミャンマーでは百万円、中国には1千万円という、被災者の数と全く比例しない金額でいろんな利害がからんでいる中できておりまして、これはNGOのみならず国際機関も今アピールしているところで、緊急災害のときにはお金が一時的に集まるのですが、10年くらいを見越した復興をこれから考えていく上で、資金繰りに困っている団体が多く存在していまして、実は他のNGOさんなどで有名なハンディキャップ・インターナショナルさんも資金繰りが不足してミャンマーを出ざるを得ないという団体も出てきております。その苦しい中で働いているのが現状で、ただ先ほど素晴らしいアイデアで余ったお金を防災にまわすというのは本当に素晴らしいアイデアだと思います。なかなか災害の時には、防災支援や復興支援まで思いつかないところなんですけど、今回この勉強会を通じて防災の重要性を再認識できましたし、なんとか生かせていけたら素晴らしいと思います。

会場:
 意識の改革ということに関してですが、ミャンマーでは前世に悪いことをしたから障害を持つという、宗教や文化に根付いている考え方があるのですが、そのような意識をどいういうふうに変えていけるかということをお伺いしたいと思います。
河村さんには、プーケットのモーケン族の方々が民族全体でそんなにうまく避難できた理由をお伺いしたいと思いました。

野際:
 ミャンマーにおける意識の改革について私どもが取り組んでいることは、まず障害理解促進、啓発冊子というものを作りました。こちらはJICAの専門家の久野研二さんのアドバイスやご協力をいただきながら、「みんなのための社会」という、たくさん写真のある冊子で、それをたくさん印刷してワークショップなどで使っております。また、現地の当事者団体や障害者団体と協力しながら啓発活動を地道に続けております。もうひとつは私どもは障害者のための職業訓練校をヤンゴンで開いているのですが、そこの卒業生が町に出て理髪店や洋裁店を開店したりすると、その地域の人たちがお店にやってきて、「障害があってもできるんだ」という良いモデルとして一人ひとりが地域の皆さまにお店を通して啓発して下さっています。特にワークショップをやっていて、障害のない方が理解が深まったと思う瞬間は、説得力のある具体例を見たときです。例えばなかなか動きにくい方が、美容院にカットするときの椅子としてU字型の椅子を作って、そこを座りながら移動しながらカットするという、こうすれば障害のある方も支援によって仕事ができるんですよ、という写真があると、「ああ、そうすると障害のある人も仕事ができるんだ」という、そこで発想が変わるようで、そういう具体例、成功体験を広めながらやっています。そのように地道に草の根でやっているものがひとつと、あとは先ほどのサイクロン復興計画に障害分野を組み込んでいくということで、こちらも現地のNGOと連携しながらそういった会議に入れる必要があるんですということを地道に説得しながら、現地の調整会議などでずっと積極的に発言しながら計画に組み込んでいくということを同時に進めながらやっているところです。まだ模索中ですので何か他の国でも成功体験ですとか、またこういう勉強会を通して勉強していければと思っております。

河村:
 まず先住民族に関して基礎的な情報を共有しておきたいと思うのですが、障害と先住民族という関係で言いますと、カナダ政府の統計ですら、(先住民族の)障害の発生率は倍であると示しています。彼らは比較的社会保障の進んだ国であるわけですが、そこでも先住民族の障害の出現率は倍であると政府が公式に言っていることです。ということは他の各地では、それよりもさらに何倍も障害の出現率が高いというふうに私は推測してるということが第1点です。もう一つは障害が衛生あるいは栄養、医療、そういった面での貧困に伴うことで障害の出現率が高いということと、それプラス、アルコール依存がどこでも先住民族の男性の間で顕著に高い。ですから、親がアルコール依存になって家庭が崩壊して、子どもたちが精神的に不安になり、そこから発生する様々な精神的不安定による問題ということが少数民族と障害といったときにまずベーシックな事実として考えておかなければならないだろうというふうに思います。

 モーケン族の人たちはもともとアンダマン海からインドネシアにかけて、ちょうど津波がひどかった地域全体に伝統的に海上で船で暮らす人たちだったんです。文字がない、そしていろいろな独特な文化がありまして、その中にいろんな訳し方があるのですが、「7つの大波」という伝承があります。つまり、海がこういうふうになったときは、要するに津波のことなのですが、すぐに高いところに逃げなきゃだめだと、という伝承があるんですね。それをコミュニティの人たち全体が知っているんです。それが大前提で、伝承に書かれている通りのことが起こったので、もうみんな自分達の文化としてすりこまれている通り逃げた、ということで非常にスムーズに1200人ものコミュニティが全員20分間で脱出できたということが、被害を免れたという大きな根拠です。同じようにプーケット以外での島で暮らしている人たちも先住民族の人は助かったけど、そうでない人は亡くなったというところがあると聞いています。これはUNDPなどの報告書にも出ていますけど、先住民族の知恵は防災に役に立てるべきであるとなっていますし、伝統的な知識の活用ということは防災戦略の中でも非常に重要と考えられています。そういう点で大変重要なことを見せてくれているのですが、同時に障害の率の高さと、一度障害を持つと生きられないという社会の厳しさをプーケットのモーケンの人たちは見せてくれているわけです。津波から逃げれた障害者の数が20人と聞いていたのですが、その中の肢体不自由の人たちは私たちが訪れたときは全員亡くなっていました。肢体不自由になったらだいたい2年で死んでしまうというふうに言っています。これは深刻なことで、伝統的な知識を活用する担い手たちが生きていけなかったらどうするのかという、そこに実に深刻な問題があります。そういう意味で私たちは2重に学びながら伝統的な知識を生かし、先住民族の人たちの生活をきちんとみていくということが必要であろうと思います。 

 これはアイヌの人たちも同じで、私ども今回アイヌの人とモーケンの人たちの交流をやったのですが、べてるの家がある浦河にもともと精神科ができたということは、アイヌ民族の人たちの中にかなりアルコール依存その他で悲惨な状況が生まれていたということが精神科医療の施設の生まれる発端の一つであると歴史的に書かれています。実はべてるの家のスタッフで本人がアイヌ民族で今アイヌ語を勉強しているという人が今回会議に行って交流の中心になっているんですね。今北海道では500年間隔地震ということがごく最近わかって、500年前のいつ大きな地震があったかと正確によくわからないのです。その時津波がどこまで来たかということもよくわからないのです。当時書かれた歴史がないのです。アイヌの人たちが暮らしていた地域に大きな津波が来ても、本州のどこかであれば必ず神社とか寺などがどんな被害があったのか書かれたり残ったりしていますから推定できるのですけど、そういう地震に関しての調査は全然できない、そうなるとアイヌの人たちの伝承の中にやはり何か大事なことだから伝えるということが残されているものがあると。でも日本の政策でアイヌの民族文化というものは非常に疲弊してしまっているので掘り起こすのは容易ではないというところに直面しているんですね。でも今からでも遅くないからやはりそういう伝統的な、日本政府がやっと他民族国家というふうに認めたわけですから、そのひとつの文化であるアイヌ民族の文化にきちんとたどっていけばまだまだ掘り起こせるという重要な知識があるかもしれない。そこのところをアイヌとモーケンの人たちが交流をしながら次の一歩が出てくるのではないのかな、ということが今回の会議の意図のひとつだったんですけど、それは双方、今後も行ったり来たりしましょうということでとても仲良くなったのでスタートできるのではないかと思います。

 私が聞いている範囲では、アイヌの人たちは谷筋で暮らすときに絶対谷底に住んではいけない、これは水を汲むのは容易でも必ず山津波が来るからで、尾根は水がないので大変だ、必ず真ん中のほうに住むという伝承があると聞いていますので、やはり自然災害に関する重要なことは伝承の中に残っているという感触を持っています。それとアイヌの人たちが自分達の文化をさらに大事にして発展させていこうということがうまく結びついていけば日本でも、地質調査をやたら強引にするのは大変お金もかかるので、ある程度わかってくればここということを見当をつけて調査をして的確な科学的知識も得られるので、そういう伝統的な知識を尊重しながら科学的な調査を進めるというパートナーシップができるのではないかと考えています。そのことをモーケンの人たちから学べるのではないかと思っています。

会場:
 モーケンの人たちは何語をしゃべるのですか?

河村:
 モーケン語です。私たちは最初に英語からタイ語に通訳してもらって、タイ語からモーケン語に訳してもらいました。モーケンのコミュニティのコーディネーターはタイ語がわかる人で、その人に通訳してもらいました。中年以上人はタイ語もわからない、自分の名前を文字で書けないという人がほとんどです。ですから会った人に名前を書いてと言ってもどうにもならないんですね。子どもたちはタイ語の学校に行ってますからタイ語が書けるのですが、今度は世代間でコミュニケーションができなくなるという、昔のアイヌの人たちと同じ問題があります。ただ、インドネシア語を学んだスタッフが一緒に行っていて、インドネシアの人も一緒にいて、何気なくインドネシア語で話しかけたんです。そうしたら一部通じるというのですね、どうもマレー語に近いのではないのかと、マレー語で話せば半分くらい通じるのではないかということでした。

会場:
 今日は貴重なお話ありがとうございました。質問は野際さんになのですが、災害復興の障害部門でメインストリームの推進と、障害雇用の推進アプローチをCBRに焦点をあてていくということを大変興味深くお聞きしましたので、今後さらに注目させていただきたいと思っているのですけど、これは障害部門の中での計画ということで災害復興の計画全体の中にもあったわけですよね?その全体の中で障害部門の取り組みがどういうふうに注目されていたのかお聞かせいただければと思います。

野際:
 ご質問ありがとうございます。障害部門の取り組みの位置づけなのですが、最終的にはASEANと国連、ミャンマー政府の三者が文章化してウェブサイトでも公開されているPost-Nargis Recovery and Preparedness Plan、通称PONREPP(ポンレップ)と呼ばれていますが、(URL:http://www.reliefweb.int/rw/rwb.nsf/retrieveattachments?openagent&shortid=JBRN-7P4GFL&file=full_report.pdf )こちら全てのセクターをまたぐ復興計画の一部になっていますので、全体計画の中に組み込まれている状態です。位置付けとしては、全体の農業支援とか、食料支援、教育、住む場所の支援とか大きな分野が並んだあとに、最後に社会的弱者、女性や高齢者など支援の最後のところに障害者も一緒に入れていただいたような形になっています。わりとこの復興計画は支援関係者、政府関係者も全体に目を通しているはずですので、障害分野もさっと目を通しているはずです。あとは関係団体のみならず全体としてどのように進めていくか、障害分野も復興計画に入っていますよということを伝えながら、より広いセクター間に広めていくのが課題かなと思っております。ただこれを決める過程で、一応ASEANと国連とミャンマー政府の了解がとれたことは一定の達成ができたので、これからますます関係者で発言を強めていこうと思っております。

会場:
 日本障害者リハビリテーション協会の上野です。障害に特化した支援とメインストリーミングの両方を同時にやっていくというのは、頭の中で理解してそれが重要だということはほぼ理解されてきたと思うのですが、なかなかその実践を見させていただくという機会はあまりありませんでしたので、その点で注目していきたいし、なんらかの関わりができることがあれば広報などでぜひ加わらせていただきたいと思いました。  JANNETの研究会でも、メインストリーミングが重要だけどなかなか方法がわからないということでしたので、そちらのほうにどちらかというと重きをおきまして、開発全般の中に障害が組み込まれていくような地道な活動をこれからも追いかけていきたいと思いますので、いろいろな研究会を予定しております。皆様にもぜひ来ていただければと思っております。7月11日の午後は、バングラデシュのシャプラニールで長く支援をやってこられていますけれど、また最近サイクロンの影響が出て、ただちに支援活動を行っているようなのですが、そちらが障害者支援も行っているということで、シャプラニールのカウンターパートの開発への事業がどういうふうに導入部分から発展のプロセスを得て、障害者の事業をやってきているのかを、障害側の私たちがお聞きするという趣旨で研究会を予定しておりますので、ぜひお越しいただければと思います。

河村:
 今の議論に関してひとこと申し上げたいと思います。実は国連でも、Disaster Risk Reduction、DRRというのですが、防災戦略の本拠があります。DRRのウェブサイトにいくと、DRRをメインストリームにと言っているのですね。つまり、いろいろなところでみんな自分たちのやっていることがどうやったらメインストリームになるか、お互いに言っているのですね。先ほどありました、子どもとか婦人とか社会的に弱者と言われているグループがたくさんあります。障害というと「なんで障害だけ取り出しているのか」と言われる。議論していくとドキュメントに入れるには長くなりすぎるとバサッとカットされる。これをWSISで繰り返し繰り返し私どもはやって、最終的にどうしたかというと、「ユニバーサルデザイン」という言葉を出しました。「ユニバーサルデザインはできあがった製品のデザインじゃないよ、みんなが参加するプロセスなんだ」と。みんなが参加するプロセスを誰もがほんとに参加できるようにすることによって、ほんとうのユニバーサルデザインという産物ができる。それは繰り返しプロセスとして維持されなければならない、という訴えをしました。それから同時にユニバーサルなもので全部が足りるということはあり得ない。だから、個別のニーズというのが、ユニバーサルなものがあっても、それとうまく連携して動く個別のニーズに対応するモジュールが絶対必要で、それは障害のそれぞれの分野で必要だし、子ども用のモジュールも必要だし、高齢者用のモジュールも必要だし、でもみんなでお互いのモジュールが動くための共通プラットフォームをデザインしていかなくてはいけない。それが社会のしくみのデザインの仕方だし、みんなが参加していくときに何か名前をつけるとしたらそれをユニバーサルデザインと呼んだらどうかという提案をしました。そして、これは受け入れられました。だから、国連の世界情報社会サミットで、はじめて「ユニバーサルデザイン」という言葉が出てきます。それは障害者の権利条約の第2条にわざわざ定義が出てきます。それは障害者の権利条約に継承されました。だから少なくとも国連のレベルでユニバーサルデザインという言葉はメインストリームに入ったのです。これをやはりあらゆるところに入れていって、それぞれの、個々ではマイノリティとされているニーズをユニバーサルデザインが大事だよ、そして、自分たちもそれに参加していくんだと、それについては、こういうふうなデザインをユニバーサルデザインとして具体的に作っていく、あるいは作ろうというふうに言って、障害者セクターもユニバーサルデザインを推進する重要なセクターのひとつなのだ、というような理解が必要なのではと思います。

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