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障害者と災害時の情報保障
~新潟中越地震の経験と今後の防災活動~
シンポジウム報告書

新潟県中越地震における実情と取組み

新潟県視覚障害者福祉協会 松永 秀夫

地震の詳しいことは、放送などでご存じかと思いますが、私の仲間たちの 様子についてまずお話しします。
地震が起こったのは10月23日土曜日。ちょうど夕方で、家庭でくつろがれていたり、 仕事をしていました。地震が起きて、皆さん大変驚かれていました。 そのとき皆がすぐに避難したかというと、実は避難しても無理なんだと、 あきらめて行かなかった方もたくさんおられました。

被災地域には、私たちの団体で約150人の会員がいました。地震直後から電話で安否確認に 入りましたが、なかなか通じませんでした。夜になってしまったので、週明けから事務局から 会員の安否確認をしました。全員の安否確認ができたのは1週間近くたった頃です。 というのは、電話回線の混雑や、避難されていて、お家が留守だったりで、安否がなかなか つかめなかったからです。

避難所の利用

避難所には、実はあまり行っていなかったのが現状だと思っています。というのは、 見えない者が避難所に行ってもどう対応していただけるか、自分自身で動けるのか、 広い体育館の真ん中に入ってしまったらトイレに行けるだろうか、そういう不安が皆さんの 頭をよぎったのです。

そのため、余震があっても家の中や車の中にいたという方々がおられました。 一時的には避難所に行ったかもしれませんが、基本的には避難所に行った人数は少ないと思います。
当時の様子を聞くと、逃げるのも大変だったそうです。逃げないで家の中に残っていたら、 ご近所の方々が心配して声をかけてくださったとか、大家さんが迎えに来てくださったとか、 自力ではなかなか避難することができなかったというのが現状でした。

障害者が多くの集団の中に入った場合、どういう対応をしたらいいのか。トイレや食料の 配給を受ける場合、自分で行けるかどうか、そういう不安が皆さんにはあったのです。 それは10年前の阪神・淡路大震災のときの話が記憶に残っていたからです。避難するとしても、 親戚などの家に避難した方が多かったようです。

発災直後の様子

発災直後にはどのような安否確認、対応がなされたのでしょうか。市町村の担当課が、 障害者を訪問して、安否確認をしてくださったところもありました。私たちの団体としても、 会員だけではなく、視覚障害者がどういう行動をとったのか心配で、安否確認したかったので、 県や市町村に電話してどういう状態かを聞きましたが、「まだ把握できていない」という返事でした。 われわれがもっているのは会員の名簿だけです。他の視覚障害者の仲間たちがどうしているかは、 心配でしたが、どうしようもなかったのが現状です。

それで私たちの団体に相談支援本部を設け、報道機関にお願いして、何か困ったことがあったら 事務所に電話してくださいと、広報していただきましたが、なかなか連絡がこないので、心配でした。 入ってきた電話を聞くと、視覚障害者にとって大事な白杖をもたずに避難してしまったとか、 食器棚などが倒れた家を、視覚障害者が整理するのは大変なので、ボランティアを紹介してくれないか、 という内容でした。

それから一番問題だったのは、避難所に行ったことによって、周りの皆さんに迷惑をかけるのでは ないかと視覚障害者が感じていたことです。避難所は、それぞれの地域に小中学校の体育館など いろいろありましたが、障害者が避難する場所があらかじめ設定されていればよかったと思います。 その後、県に質したら、全部で41ヶ所の避難所があったと言うのですが、私たちはどこにあるのかを 把握していませんでした。

後で調べてみると、重度の障害者の入所施設が避難所に指定されていたようです。 在宅の視覚障害者の立場から言うと、はたしてそういうところが避難所として適切なのでしょうか。 できることなら、各地域にある福祉会館や、われわれが活動する拠点を一時的な避難所にして いただければよかったのではないかと思っています。いざというときの避難所の問題は、 大きな問題だと思います。

情報伝達について

今回、地震のあった地域と、昨年7月13日に水害があった地域は一部重なっています。その中で、 災害時要支援者へどのように情報を伝達していくかお話ししたいと思います。
水害の場合は、天気を見れば、前触れは情報として伝えることはできますが、地震となる とそうはいきません。それを考えると、日頃からどのような体制をとっておかなければいけないかと 考えなければいけませんが、このことは私たちにとって、大きな反省でした。

10年前に阪神・淡路大震災が起き、昨年12月4日、神戸で10年後のシンポジウムがあり、出席しました。 その中で思ったことは、日頃の準備をどのようにやっていくかということです。
よく災害時のマニュアルをつくる、という話が出ます。日本盲人福祉委員会が、1996年につくった 視覚障害者用の地震の避難マニュアルがあります。

神戸の地震の後でつくられたものです。これは日本盲人会連合から、私たちの団体や全国の 都道府県に送られたということですが、時間がたつ中で、忘れ去られていました。 今、改めてそれを読んでみると、なぜこれを生かせなかったのか、非常に残念に思います。

ただ、今読んでみて当時と違うのは、情報の伝達方法が10年経つと違っているということです。 当時は携帯電話はあまり普及していませんでした。 また、インターネット、メールなども少なかったと思います。現在であれば、携帯電話でも メール交換ができます。時代の流れの中で、情報の伝達方法が変わってくるので、その時々に 合わせて考えなければなりません。

日頃からの近所づき合い・訓練が大切

中越地区で視覚障害者の手帳をもつ方が、2,177人いました。そのうち、家が全壊したのは25人、 半壊が98人、一部損壊が626人です。被災者の合計は約35%の749人です。 ただ、この数字の中には山古志村は入っていません。山古志村には視覚障害者が13人おられますので、 この方が全部避難されたとなると、人数が増えます。実際に避難された方は、数字上は271人です。 ただ、この方たちは皆、避難所には行っていません。

今申し上げた数字は、県が義援金を配布した37地域の中の視覚障害者の数と、家屋などの 被害を受けた方の数で、なかなか市町村が発表してくれなかったので、一昨日の夕方にようやく わかった数字です。

このように仲間のことを把握することは困難でした。そうした中でどうすればいいかを考えると、 今回避難された方々、被災された地域の会員の話を聞くと、一番助かったのは、ご近所の方々が 声をかけてくれて、避難所でも手を貸してくれたということでした。ですから日頃からのご近所の つながり、つき合いが一番大切だと思います。災害が起きたからといって、ガイドヘルパーを呼んで 逃げるわけにはいきません。

一時的には、家族や近所の支援が必要なので、自分が何を手伝ってほしいのかを日頃から ご近所などに話しておくことが必要だと思います。自分は視覚障害者なのだから、 これをお願いしたい、と自分から声をあげることが一番大切だと思いました。 時間がたてばそれなりの対策も出てきますが、災害が起きた直後が一番大変なので、 そう感じています。

また、避難所は41ヶ所ありましたが、視覚障害者が入っても対応できたか、一人で行動ができるか どうか、点字案内があるかなど、身近な避難所がバリアフリー対応になっているかなどを日頃から きちんと把握をしていくことが大切です。
避難訓練は防災の日に行いますが、団体での訓練ではなく、視覚障害者独自の訓練を地域できちんと やっておく必要があります。自分の家から避難所にどうやって行くのか、その道が一人でも行けるのか、 日頃からの訓練が必要だと思いました。

私たち団体としても、もう少し情報提供することがあったのではないかという反省があります。
たとえば、厚生労働省が日盲連から委託をうけている「電話ナビゲーション」というシステムが あります。毎日、新聞情報と福祉情報が各地域に送られてきて、それを電話で確認できるシステムです。 このシステムを、もう少し音声を明瞭にするとか、操作しやすい形にしてもらえば、県からでも 中央からでも、どんどん情報が入れられます。

それを日々、われわれが電話で確認できるという形になれば、もう少しリアルタイムに必要な情報を きめ細かく伝えられたと思います。今回のこの地震がわれわれには大きな反省になりました。 今後の対応を考えていかなくてはと思っています。

発行
2005年3月
編集・発行人
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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