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国際身体障害者スポーツ競技会 東京パラリンピック大会 報告書

No.2

THE TOKYO GAMES FOR THE PHYSICALLY HANDICAPPED
PARALYMPIC TOKYO 1964

東京大会ひらく

東京オリンピックは、昭和39年10月10日から24日まで、94ヵ国7千余名の選手を東京に集めてスポーツの祭典をくりひろげ、成功りに終了した。そしてパラリンピックが開催された。

第一部の経過

 国際身体障害者スポーツ大会、東京パラリンピックは、昭和39年11月8日から5日間、代々木の選手村織田フィールドでひらかれた。この大会には22ヵ国からはるばる369名の選手たちが参加、同じ身体上の障害をのりこえて、平素の訓練を競い、励まし合い、いたわり合って、スポーツによる親睦をふかめた。

第一日

 11月8日は、朝からからりと晴れわたり、開会式場である織田フィールドには初冬の日ざしがいっぱい、大会名誉総裁の皇太子殿下、同妃殿下をはじめ、一般の観衆4千人が仮設スタンドを埋めつくし、心からの声援を送った。午前10時、太鼓がなって、まず、黄色いユニフォーム姿の全日本バトン鼓笛連盟の小中学生100名が行進、つづいて陸上自衛隊のバンドがマーチを演奏してつづき、選手が入場した。先頭は黒色のブレザーコートを着た大会技術顧問のアトキンソン氏、赤と緑地に地球を車椅子の輸でとりまいたSMG(ストーク・マンデビル)旗がつづく、旗手は関東労災病院の船田中選手と神奈川県身体障害者更生指導所の小笠原文代選手の2人、選手団のトップは、この競技を開始したイギリス代表103名の選手が、おそろいのグリーンのトレーニングシャツ、胸にユニオンジャックのマークをつけて入場、つづいてアルゼンチン、オーストラリアとアルファベット順に、選手はみんな車椅子ですべるように進行する。14番目はメキシコが、次期開催地として役員3名だけが参加、マーチが「上を向いて歩こう」に変わり、しんがりの日本選手が入場、エビ茶のトレーニングシャツを着けた53名が元気に進行する。トラックを半周した選手団はフィールド正面、ロィヤルボックスに向って整列、厳かな君が代演奏のうちに日の丸とSMG旗、大会旗が掲揚され、太宰大会副会長の開会宣言が告げられると同時に、ファンファーレが高らかに鳴りひびき、葛西大会会長あいさつが行なわれた。

会長あいさつ

 菊花咲き誇る今日、名誉総裁皇太子殿下および皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ、ここに国際身体障害者スポーツ大会を開催できましたことを、全国民のみなさんとともに、無上の光栄に存じます。
親愛なる外国選手はじめ役員、関係者の皆さん、遠路はるばる、ようこそおいで下さいました。
日本の選手はじめ役員、関係者のみなさん、ようこそ御参加下さいました。
本日、御参会の世界22ヵ国、369名の選手諸君は、平素、スポーツを通じて一身体の障害を克服し、すでに社会復帰をされ、あるいはされようとする方々であります。なにとぞこの機会に、平素鍛錬された成果を競われ、お互いに励ましあい、誼を深め、そしてまた、国際親善の実を挙げられますよう願ってやみません。
御承知のとおり、このストーク・マンデビル競技大会は、回を重ねること、既に13回目に当りますが、アジアの地で開催されるのは今回がはじめてで、その意義はまことに大きいと存じます。
全参加選手諸君の公明真摯な競技態度と、役員はじめ全関係者の御協力によって、本大会がみごとな成功を納め、身体障害者の福祉向上に、画期的な貢献をするものと信じて疑いません。
終りに、本大会の開催にあたり、施設の利用等万般の便宜をはかって下さいましたオリピック関係の方々、厚生省はじめ政府の関係諸機関、東京都および各地方公共団体、諸団体ならびに関係職員の方々の、献身的な御奉仕、御協力に対して、衷心謝意を表して、御あいさつといたします。ついで、この競技会の生みの親であるグットマン博士が、日本語で次のようなあいさつを行なった。

グットマン博士のあいさつ

 皇太子殿下、大臣、東京都知事、御来賓の皆さま、御参会者の皆さま、国際身体障害者競技大会委員会を代表し、皇太子殿下に対し奉り、下肢マヒ者のための1964年国際競技大会に、御来臨の栄を賜り、東京で開会の運びに至りましたことを衷心から感謝申し上げます。
日本の皇室が、このスポーツと人道の祭典に示された温い御関心に対し組織委員会と、ことに世界中から、この東京に於ける第13回国際身体障害者競技会で親しい仲間と競技するために集まった下肢マヒ者は深く感謝し、感銘するところであります。
日本運営委員会は、葛西氏を会長としてこの大会を組織するために、非常な努力をされました。その御熱意と成果と友情は、われわれの賞讃と感謝をほしいままにするところであります。その仕事の遂行に当っては、政府および東京都ならびに日本の代表的諸団体の全面的御支援を受けまして、この国際競技大会は1948年にささやかな出発を遂げてから世界的なスポーツ運動にまで発展してきましたが、その基本は常に3つの原則、即ち、友情、結合、スポーツマン精神にのっとっています。これらの理想はいまやわたくしたちの旗に示された3つの車輪に象徴されています。1964年の国際身体障害者競技大会が、これらの理想に忠実に運営されることであり、この東京大会が肢体不自由者のためのスポーツ発展史上一紀元を画するものであり、人道の、世にも美しい功績の一つとして歴史に長くとどまるよう切望するものであります。あいさつが終るとグットマン博土はロイヤルボックスに向い、皇太子殿下に記念メダルを贈呈、葛西会長、神田厚相、東都知事にも同じメダルを贈った。ついで、名誉総裁皇太子殿下から次のようなおことばがあった。

皇太子殿下のおことば

 国際競技大会の開会式にあたり、わが国を含め、各国から参加された選手諸君の、心身ともに元気な姿に接し、一言あいさつすることを、たいへんうれしく思います。
わたくしは、みなさんが日頃の努力によって健康をとりもどし、はるばるこの大会に参加されたことを知っています。また、この中の多くの人たちが、社会の一員として、りっぱに活躍されていることも知っていますが、そうした努力のうちには、スポーツがあなた方の心身のささえとなり、社会復帰される早道であったと確信いたします。
わたくしは、世界中の身体障害者に希望と価値ある生活をもたらすストーク・マンデビル大会の業績と精神に敬意を表します。わたくしは、この名誉ある大会の主催者側であることをうれしく思います。それは、この大会が、わが国の身体障害者に大きな希望と激励を与えてくれると思うからであります。どうぞこの競技会のすべてに全力を発揮するようにして下さい。
第18回東京オリンピック大会のスローガンであった「世界は一つ」という理想をあなた方のスポーツマンシップを通じてなしとげることができましたら、みなさんとともによろこびに堪えないところであります。
終わりに、世界のすべての身体障害者の上に、希望と幸福がもたらされることを念願し、この大会が、あなた方に、楽しく意義あるものになることを望みます。

 つづいて参加選手を代表し日本選手団の青野繁夫(国立箱根療養所)選手が右手をあげて宣誓を行ない、同時に500羽のハトが放たれ大会を祝福した。このあと皇太子殿下、同妃殿下はフィールドに降り、22ヵ国の代表選手にひとしく握手をたまわって激励、11時三木大会副会長が閉式の辞をのべ、剣道野試合のアトラクションに移り、正午、100発の花火を合図に式を終え、午後1時30分から洋弓、ヤリ正確投げ、5種競技など6種目がそれぞれの会場にわかれて開始された。昼の部では、織田フィールドでヤリ正確投げ、車椅子回転競技、5種競技のうちの円盤投げ、砲丸投げ、コン棒投げ、第5会場ではダーチャリーが行なわれ、また夜は第2会場でフェンシング女子フルーレ、重量あげウェザー級、卓球が行なわれ、選手たちが精神を集中して行なう競技は、観るものの心を緊張させた。

第二日

 9日は、ヤリ投げ、砲丸投げなどのフィールド競技をはじめ、この日からはじまった水泳、スヌーカ(玉つき)など12競技が行なわれた。午前中は快晴であったが、午後からは北風の曇り空になり、悪コンデションの中にゲームがつづけられた。午後3時から皇太子ご夫妻はフィールド競技、バスケットボール、洋弓をごらんになり、各国選手の奮戦ぶりに熱心な拍手をおくられた。また午後5時50分から、大会はじめての表彰式が代々木体育館別館で行なわれた。表彰は車椅子スラローム(男子)重量あげに対するもので、自衛隊音楽隊のファンファーレにつづいて優勝者に金、2位に銀、3位に銅のメダルがおくられ、国旗掲揚と国歌吹奏が行なわれた。

第三日

 10日、午前は卓球など5競技、午後はスヌーカーなど3競技、夜は水泳など2競技が行なわれ、午後6時すぎには常陸宮ご夫妻も男子競泳の自由型、平泳ぎ、背泳をごらんになった。一方午後5時30分から屋内競技場別館で第二日目のフィード競技で入賞した選手の表彰式が行なわれ、やり投げ、円盤なげなどの入賞者にそれぞれメダルが与えられた。

第四日

 11日は、朝から快晴にめぐまれ、織田フィールドを中心に4つの会場で卓球など8つの競技が行なわれた。皇后陛下もはじめて会場におみえになり皇太子殿下ご夫妻の御案内で、午後3時ころからバスケットボールやアーチェリー(洋弓)をごらんになった。また常陸宮ご夫妻も午後7時から重量あげとフェンシングをごらんになった。一方、午後5時30分から体育館別館で、この日の午後まで競技を終えた種目の表彰式が行なわれ、ダーチャリーで銅メダルの日本チームにはじめて日の丸があがり、水泳も銀メダル、銅メダル各1個を獲得した。ダーチャリーは10、11日の試合でベルギーと並んで3位を分けあった松本毅、安藤徳次両選手組に銅メダル、10日夜の男子50メートル背泳2位の青野繁夫選手に銀メダル、同自由型3位の牧岡節美選手に銅メダルが与えられたわけである。

第五日

 12日午前は車椅子リレーなど7競技、午後はバスケットボールなど9競技が行なわれ、5つの会場で、最後の日を飾る選手の奮戦がつづけられた。
第一部の閉会式は12日午後5時から、代々木総合体育館で、約4千人の参加者を集めて行なわれた。名誉総裁皇太子殿下、同妃殿下を会場にお迎えして、音楽隊のマーチに合わせて各国旗の入場があり、上野学園の女子学生約100名の合唱「パラリンピック讃歌」が力づよく会場を流れると、美智子妃殿下がロイヤルボックスからフロアに降りたたれ6個のトロフィーを各国選手に手ずから渡される。まず男子フェンシング・サーブル優勝チーム、フランスにトロフィーを授け激励のことばをかけられると、選手は力強く妃殿下の手をにぎり金色のサーべルを右手に高くかかげ、場内の拍手にこたえた。5番目に、日本の卓球男子ダブルスC級優勝の猪狩靖典選手がトロフィーを受けとると、ひときわ大きな拍手がわき起った。
つづいて、葛西会長から次のような閉会のことばが述べられた。

閉会のあいさつ

 御参会のみなさん、開会式から5日間、今日、再び一堂に会し、名誉総裁皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ、この閉会式を開き得ますことを、みなさんとともに、お喜び申上げます。
5日間にわたり、世界22ヵ国369名の選手諸君は、友好と国際親善の空気につつまれつつ、平素鍛錬された技をいかんなく発揮され、幾多の好記録を作られ、世人の注目を集めました。
しかし、申すまでもなく、この大会はただ単に記録を競うだけのものでなく、身体障害者がスポーツを通じ機能の回復増進を図り、旺盛な意欲をかきたて、社会復帰に役立てるところにこの使命があります。
5日間にわたる堂々たる選手諸君の競技ぶりによって、諸君の優秀な機能と、強じんな意欲は、大いに社会一般の認識をたかめ、身体障害者の福祉向上に資するところ実に大なるものがあったと信じます。
いま、ここに、あらためて世界各国選手諸君の5日間にわたる健斗をたたえ、心から拍手をおくりたいと思います。
外国の選手諸君とは、これをもってお別れになりますが、どうかお体をたいせつにされ、今後とも相携えて、身体障害者の福祉向上に邁進しようではありませんか。
最後に、本大会を、こうして盛大に、有効に終了することを得ましたことは、名誉総裁殿下の御統督と、グットマン博土はじめ遠来の役員諸氏ならびに日本側役職員諸氏の昼夜を分かたぬ献身的な御努力と、関係各方面の方々からの絶大な御支援の賜物であります。ここに厚く謝意を述べて、閉会のあいさつといたします。

 感激のグッドマン博士は「東京大会がこれだけりっぱに行なわれたのは、日本国民全体のお力添えによるものである」と感謝のあいさつを行ない、次期開催地メキシコの紹介があって、日章旗、SMG旗、東京大会旗の降納、皇太子ご夫妻退場、各国旗退場して閉会が宣せられ、会場に「ホタルの光」が流れると、観客も選手もいっしょになって大合唱、しばらくは、その場を動こうともしなかった。

第二部の経過

 パラリンピック第一部のあとをうけ、13、14日の両日、東京代々木の選手村を中心にして第二部がひらかれた。第一部国際大会の下半身マヒ者の競技と違い、第二部の国内大会は盲、ろうあ者などすべての身障者が参加する競技会なので、46都道府県および沖縄代表の選手480名が、特別参加の西ドイツ選手を加えて元気いっぱいに腕技をくりひろげた。

第一日

 13日は、午前10時から織田フィールドに皇太子ご夫妻をお迎えして開会式が行なわれた。全日本バント鼓笛連盟の小中学生100名による演奏によって開幕、花火をあいずに大会名誉総裁の皇丸子ご夫妻がロイヤルボックスにお着きになり、あいにくの曇り空であったが、元気いっぱいの選手団は、陸上自衛隊音楽隊の「上を向いて歩こう」にあわせ、北海道チームを先頭に、青森、秋田とつづき沖縄の選手も盛んな拍手を浴びて行進、主催地東京チームのあと西ドイツの選手団が入場行進した。「君が代」演奏のうちに日章旗、大会旗、東京都旗の掲揚が行なわれファンファーレが響きわたる。ついで葛西会長の、次のようなあいさつがあった。

会長あいさつ

 秋色いよいよたけなわな今日、ここに名誉総裁皇太子殿下および皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ、国際身体障害者スポーツ大会第二部が開催できましたことは、身体障害者の社会復帰と、その福祉向上に寄与するところ大なるものがあると存じ、誠に御同慶のいたりに存じます。
御承知のとおり、本大会の第一部は、きのうをもって無事、成功りに終了いたしました。
世界22ヵ国、369名の選手諸君が平素鍛錬された妙技を十二分に発揮され、お互いに励まし合い、友情を深め、国際親善の実を挙げられましたことは、誠に壮観でありました。
これによって、身体障害者は、大いに更生の意欲をたかめたでありましょうし、また、関係者はもちろん全国民、いや全世界の人々は、身体障害者の福祉向上に関する認識を、さらに深められたことと思います。
これからいよいよ国内選手お待ちかねの第二部の開催でありますが、これにはドイツの選手諸君が、番外参加されることになっております。選手諸君は、常日ごろスポーツに親しまれ、これを通じて障害を乗り越え、既に社会復帰をされ、あるいはされようとしておられる方々であります。この機会に、選手諸君は、第一部にまけずに、平素鍛錬の技を十分発揮されて、意気けんこうたるところを披露され、満天下に、身体障害者の壮志と更生の意気とをお示し下さるよう願ってやみません。
これによって、一般社会の身体障害に対する関心は、さらに深まり、身体障害者の福祉向上に、期して待つべきものがあると信じます。
終りに、本大会開催にあたり、施設の利用等万般の便宜をお与え下さいましたオリンピック関係の方々、厚生省はじめ政府関係の各機関、東京都および各地方公共団体、諸団体、諸機関ならびに役職員の方々のなみなみならぬ御協力、御奉仕に対し、心から厚く謝意を表して、御あいさつを終ります。

 ついで神田厚生大臣の祝辞のあと皇太子殿下が立たれ「この大会がみなさん自身にも、その友人にも必ず大きな自信と勇気、希望を与えることを信じます。同時にわが国でなお不十分といわれる身障者に対する理解をふかめ、関心を強めるのに良い機会と思います」と激励され、選手団を代表して金口泰三選手(国立東京視力障害センター訓練生)が力強く宣誓を行ない、300羽のハトが大空に舞いあがった。開会式が終わると、皇太子ご夫妻はフィールドに降りられ、北海道から西ドイツまで各都道府県代表をはげまされた。
競技は、午前11時から織田フィールドで開始され、肢体不自由者の100メートル競走を皮切りに、午前中は、フィールド競技6種目、午後はハンドボール、卓球などを交えた14種目、夜は都体育館屋内水泳場で水泳競技14種目が行なわれた。いったん御所にお帰りになった皇太子ご夫妻も、午前11時すぎ再びロイヤルボックスにおみえになり、砲丸投げ、三段とびなどの競技を約30分にわたってごらんになった。

第二日

 14日は、朝から快晴にめぐまれ、午前中は織田フィールドの60メートル競走をはじめ洋弓などを含め14種目が行なわれ、午後は第2会場で卓球、第1会場で400メートル競走など5種目が行われた。この日午後1時、佐藤首相が神田厚相の案内で織田フィールドに姿をみせた。
2日間の競技を終わり、午後5時から閉会式が行なわれた。ファンファーレが鳴ってあかあかと照明がともり、大会名誉総裁皇太子殿下、同妃殿下がロイヤルボックスに着かれ、行進曲にのって参加46都道府県と沖縄の旗が会場両側から入場、パラリンピック讃歌の女性コーラスがあって、葛西会長の次のようなあいさつが行なわれた。

閉会のことば

 選手のみなさん、御参会のみなさん、今日再び名誉総裁皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ、こうして盛大な閉会式を開き得ますことを、みなさんとともに誠に光栄に存じます。
本大会の成功は、数次にわたり御臨席を腸りました名誉総裁皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下の御激励のたまものと存じ、誠に恐くにたえません。
2日間にわたり、全国475名の諸君と、はるばるドイツから参加下さった選手諸君が、真摯、敢斗、34種目の競技に妙技をふるわれましたことには、いい知れぬ感激を覚えました。
しかし、本大会の成果は、ただ単にこれだけで終るものではありません。
申すまでもなく、身体障害者のスポーツは、単に競技のためのスポーツではなく、スポーツを通じその機能の増進回復と、さらにスポーツによって旺盛な意欲を燃え上らせようとするところに真のねらいがあります。
この2日間にわたる選手諸君の活躍は、十二分にその本旨を発輝して下さいました。
この大会を目のあたりにされた方々はもとより、新聞、ラジオ、テレビ等々マスコミを通じ、これに接しられた社会一般の方々には身体障害者の優秀な能力と、盛んな意欲を感得され、身障者福祉に関する認識をさらに深めていただいたことと信じます。
ここにあらためて選手諸君の御健斗を讃え、今後とも、おからだを大切にされ、相ともに身障者の福祉向上のため御努力あらんことを切望いたします。
最後に、本大会を無事終了することができましたのは、ひとえに名誉総裁殿下の御統督と、大会役職員、全関係者の寝食を忘れた御尽力と、全国各方面からの御支援の賜物であります。会を閉ずるにあたり、心から感謝を捧げてあいさつを終ります。

 ついで、特別参加したドイツ代表がドイツ身障者スポーツ連盟旗と栄誉杯を葛西会長におくった。君が代吹秦のうちに日章旗、大会旗、東京都旗が降納され、皇太子ご夫妻は選手団に手をふりながら退場され、選手たちは「ホタルの光」に合わせ、帽子や手をふりながら去って行った。

パラリンピック競技

 車椅子に乗った下半身マヒの人々が、自分の身体的能力の最善をつくして技を競いあったパラリンピックは、身体障害者のすばらしいスポーツをみせた。たとえば、ほとんどが車椅子の競技だから転倒する選手も多い。転倒すれば、くずれるように倒れてどうしょうもない。ボーイスカウトがかけつけて抱きおこし、椅子にすわらせる。選手は再び競技する。その表情は非常にあかるく、競技のみ関心があるかのようである。再三転倒したイギリスのある女性選手は、車椅子から投げ出されたままトラックの上に大の字にひっくりかえり、ひっくりかえったことがおかしいらしく、大口をあいて笑いだした。こういう底抜けのたのしさは、ほかのスポーツ大会では、絶対にみることはできない。寝たままバーベルを持ちあげる重量あげは、みるものに感動を与えずにはおかないだろう。バスケットボールでは、倒れかかる椅子を、相手チームの選手がささえてやるというシーンも、しばしばみうけられた。特に水泳は、足を全く動かせない人々が、上体の力だけで懸命に泳いだ。オリンピックのように、ハデに水しぶきをあげて、分秒を競うのがパラリンピックではない。ある外国の女性選手。ご主人に抱きかかえられてプールに入り、スタート、彼女は一所懸命に泳ぐが、先頭の選手がゴールインしたとき、まだ5メートルしか泳いでいない。ブクブク沈みかけては浮かぶ、2メートルくらいうしろから救助員が、万一に備えてついていて、何度目かのブクブクを助けようとすると、プールサイドのご主人は手を振って助けないようにという。あと2メートル、1メートル、なかなか進まない。25メートル泳ぐのに3分以上かかったが、とうとう泳ぎきり、観衆の盛んな拍手を浴びた。パラリンピックは勝つことが目的ではない、最善をつくすことがいかにたいせつであるかを、教えるものであった。

グットマン博土に勲章伝達

昭和39年11月18日正午、神田厚生大臣室で、グットマン博士に勲三等旭日章がおくられた。これは同博土の身障者スポーツ振興の功労に対して、とくに日本からおくることになったものである。

グットマン博士の功績調書
氏はイギリス国立ストーク・マンデビル病院の院長として、下半身マヒの重度障害の人々の社会復帰に強い関心をもち、リハビリテーションの一環として、つとにスポーツを導入することに着目、ストーク・マンデビル競技会を開催し、これを国際的なものに高めた。その成果はわが国にも導入され、身体障害者本人および更生指導業務関係者に、著しい影響を与えることとなり、国際身体障害者スポーツ大会が、わが国で開催される機運をじよう成することになった。

第13回脊髄損傷学会

 パラリンピック開催中、必ず開かれることになっている国際脊髄損傷学会専門家会議は、昭和39年11月10日午前9時30分から東京プリンスホテル2階プロビデンスホールで開催された。集まった専門医学者はオーストラリア、オーストリア、イギリス、スコットランド、アメリカ、イタリア、アルゼンチン、西ドイツ、ボリビア、日本の代表者300名で、まず午前中の第一部は日本の岩原博士が議長となり、脊髄損傷についての最初の取扱い方、午後の第二部は辻博士議長の下に、付随する症状について、第三部は水野博士議長の下に物理的回復について、それぞれ議題と提案理由の説明があり、午後5時50分まで研究討議がつづけられた。なお、閉会後一行は椿山荘における日本医師会長の歓迎レセプションに出席した。

部会報告

式典部会
選手村運営部会
競技部会
サービス部会
研究視察部会
選手強化対策部会
通訳部会
広報部会
医療救護について
自衛隊の支援
決算報告

式典部会

本格的準備に着手

 式典の計画は、競技部会において既に昭和39年4月には一応のプログラムが立案されたが、具体的な実施方法、演出等については、式典部会に分れて分担することになり、織田フィールドの整備を待つことにして、以後は競技のルール、編成に関しての計画、折衝を進めた。そして織田フィールドの外形が整った9月に入ってからも、観客収容、入場行進、諸設備の観点から駒沢に会場を移す方が適当であるとの意見もでて、結局は葛西会長の帰国後、すなわち開会式約1ヵ月前の10月になって、ようやく本格的な実施計画の立案に着手したのである。アトラクションについては、純日本調のものを適当と考え、神楽、出初式、民踊、やぶさめ、弓技、武技等を、他にはマスゲーム、ダンス、体操、コテキリズム等も一応念頭におき、これら団体の事務所、代表者を訪問して依頼、折衝、打合せを行なったが、規模、時間、費用等から剣道野試合とバトン鼓笛隊の行進に決定した。
10月7日にいたり、第一部、第二部とも開閉会式の進行案を決定、プログラムは、第一部、第二部とも晴雨両面の2案ずつを必要とした。また中旬には式典部の組織を上記のとおり細分化し、担当者の人選を終え、これによりそれぞれが関係各方面と連日打合せあるいは折衝を続け、28日図上研究を行なって問題点を浮きぼりし、実行上の準備態勢に入った。
式典の計画にあたって最も腐心したことは、この期間中にオリンピックが開催され、これが有形無形の刺激になって、パラリンピックも式典の演出を、整然たる厳粛ムードにするか、和やかな祭典ムードにもってゆくかという点であった。具体的には開会式の行進方法とか音響効果、閉会式場の室内装飾や照明の仕方等がふんいきを大きく左右するものとして、またこれに当然付随して細部にわたった多様の意見がだされ、時日の切迫と経費面の制約等から、計画を変更しなければならない場合がしばしば生じた。
さらに、国際的見地から国旗の扱い方、国歌の吹奏については特に留意し、開会式前日の団長会議まで保留した。
こうして、規律のとれるものと、自由に行動させることができるものとをはっきりさせ、基本的態度は、明るくかつ親善ムードを失わぬことに中心を置くことにした。たとえば、開会式場の行進の際は舞台として規律正しく、反面、集合、諸準備は楽屋とみて自由に行動させ、また、行進曲には「上を向いて歩こう」、「鉄腕アトム」、「クワイガワーマーチ」等の変曲を利用することにしたのである。
11月6日リハーサルを実施し、7日には式典部のほとんどが選手村に入った。同日夕刻、各国選手団長会議に式典プログラムを提示して要領を説明、各国旗の奉持者は選手団長にという各国の希望があったが、原案通り自衛隊員とすることにしてすべて了承され、開会式を待つばかりになった。
以上が決定するまでの間、式典部は、委員会の定期会合における各部会、支援、協力団体等との連絡調整のほか、名誉総裁ご夫妻を奉迎するに当っての東宮御所、宮内庁、警視庁、自衛隊等との打合せおよび現地踏査をはじめ、日赤通訳奉仕団のオリエンテーション、NHK厚生文化事業団とテレビ放送に関する打合せやアナウンサーの委嘱、広報部会との報道関係者に対する現地説明ならびに意見調整等を行なった。このほか、OOC事務局にはオリンピックの経験による参考意見の聴取、物品の借用等について頗繁に接触し、また10月下旬には式典部会を再三開催して細部の検討を行ない準備を進めた。他方、外部に対する協力要請は、計画の具体化のためにも、きわめて多岐にわたり、かつ奉仕を原則とするために、折衝には十分の配慮と時間を必要とした。ちなみに、式典部として直接交渉をもった団体等をあげれば次のとおりである。

東京都教育庁社会教育課、同じく体育課、文化課、東京都剣道連盟、全日本剣道連盟、東京都弓道連盟、東京都民踊連盟、江戸消防記念会、六郷神社、社団法人ガール・スカウト日本連盟、同じく東京都支部、埼玉県支部、学校法人上野学園、全日本愛鳩連盟、東京生花商協同組合、尾崎花火工場、楽団青い鳥、野花の会、渋谷消防署、全日本鼓笛バンド連盟、河村光陽を偲ぶ会

 さいわい、これら各団体の理解を得て、前述のアトラクションは全日本鼓笛バンド連盟と全日本剣道連盟が参加、合唱には上野学園学生が、作詩、作曲と150余人の学生が、その他、全日本愛鳩連盟、東京生花商協同組合、尾崎花火工場が、大会に全面的に参加することになり、またガール・スカウトはプラカード、賞品授与の捧持に協力してくれた。

式典部組織

部長
副部長
式典部付

  • 演出班
    • 照明係
    • 特演係
    • アトラクション係
  • 音楽・旗プラカード班
    • 旗係
    • 音楽係
    • プラカード係
  • 会場整理班
    • 会場整理係
    • 用具係
    • 入退場整理係
  • 連絡班
    • 表彰係
    • 連絡係
    • 通信保守係
    • 放送係
    • 通訳管理係

活動と主な行事

 11月8日午前9時40分、式典本部席において副部長は、放送係に大会趣旨等の場内放送開始を指示、48分白手袋の右手を挙げてバトン鼓笛隊担当に行進合図を送る。10時花火打上げの合図。同じく2分、名誉総裁ご夫妻の御来場放送を指示した。
このように、式典進行は、式典本部がプログラムの順序と時間、そして進行状況を把握して合図を発し、放送を指示し、かつこの場内放送をもって司会とすることにして実施された。放送司会は日英両国語で行なわれた。
しかし、「本格的準備に着手」に記述したように、諸計画と準備がほとんど併行的に行なわれ、リハーサルも部分的練習程度のものであり、また、プログラムおよび団長会議によって選手団への配慮がなされたとはいえ、前後4回の式典は、極言すれば平面図を片手に建築にとりかかったようなものであった。
従って、選手団の誘導、場内整理、放送、国旗、プラカードの捧持、音楽吹秦、アトラクションの演技、合唱、放鳩、花火打上げ、また選手の介補、式場内外の警備等々、これらはその業務担当者がそれぞれの立場で状況を判断し、単独あるいは共同で、すべて慎重にかつ臨機応変に行動したことによって、大過なくなし遂げられたのである。
さて、第一部国際大会の開会式は、テレビ中継開始までに、選手団入場行進で約5分の時差を生じたが、これ以外は概ね予定時分に進行することができた。ただ、名誉総裁ご夫妻が選手御激励の際、両殿下の御進路に写真撮影者が群がって、一般観客の目をさえぎったことは遺感であった。
閉会式では、選手団の会場集合が、前夜になって各国別に整列することに変更されたために、プラカード要員のガール・スカウトが当日朝の連絡で急拠招集され、また式典半ばから降雨激しく、選手全員をバスで帰村させるための介添、式場フロア保全のシート敷等の適切な作業が、式典を順調に実施し得た蔭の力となっている。
第二部の場合は、第一部の経験もあり、要領の周知も比較的容易であったが、第一部の閉会式と併せ3日連続の式典となるので、あわただしく時間が経過した。
開会式には、選手団行進が大きく予定と狂い、その調整を案じていたが、両殿下の御熱心な選手御激励によって結果的に予定時分に終了できたことはまことにありがたく、幸運であった。閉会式は第一部に比し問題はなく、予定通り実施された。
以上、プログラムの可否は別として、進行に2、3の狂いがあったものの、一応計画通り式典が実施できたことは、各部会ならびに支援、協力団体等の絶大な援助の賜であり、また、選手団、観客の協力によるものであることに敬意を表したい。
式典部は開閉会式のほかに、表彰を担当したが、これは第一部については9日を第1日目として毎日一定時刻に実施することにし、第二部は、それぞれの競技場において当該競技の終了の都度行なう計画であった。
第二部はすべて予定通り進捗終了したが、第一部は第3日目(11日)以後は実施しなかった。この中止の主たる原因はコントロールセンターからの連絡が、表彰式の諸準備に適合しなかったためである。
すなわち、式典部の実施計画では、遅くとも当日の正午までに表彰種目、被表彰者名、記録等を確認し、これによって順次国旗、国歌(楽符)、メダルを整理するとともに、選手団、広報関係に対しても周知することにしていた。しかし、コントロールセンターは表彰式開始時間が切迫してからも、しばしば記録を変更したり、さらには式開始直前に選手団長から表彰選手の異議申したてが行なわれたりした。このような状態のため式典部では、国旗掲揚、国歌吹奏等に万全を期し難いと判断し、国際的な紛きゅうをおそれ、表彰式実行不可能の旨を本部に申し入れたのである。団長会議で国旗の確認と、国歌を吹込んだテープの試聴を願い、また旗係はその取扱いに十二分の検討と練習を積んで、入賞者の栄誉を讃える配慮に努力を傾けたのであるが、これを中止せざるを得なかったことは残念であった。上野学園作詩・作曲の「パラリンピック讃歌」は次のようなものである。

パラリンピック讃歌

門えりお 作詞
田中信昭 作曲

パラリンピック パラリンピック
高らかにたたえん
世界の友輩ここに集いて
共に示さん精神と技を
健やかなる心もて
来る日日にまことを尽す
我等の願い 集い溢れ
結ばれし友情は
大いなる力となりて
地球を包み
世界の平和を育てゆかん

選手村運営部会

準備編

 東京パラリンピック大会の、選手村運営管理は東京都民生局が担当することになり、まず運営委員会会長葛西嘉資氏と東京都が、同大会の支援に関する協定書を結ぶに至るまでの経過を列記すれば、次のとおりである。

1.昭和38年4月20日 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長代理葛西嘉資氏から東京都知事東竜太郎あて、同法人の事業を後援されたい旨の依頼を受く。

2.昭和38年5月13日 同法人の後援について、主管局を民生局とすることに庁議決定。

3.昭和38年5月20日 当時の民生局担当太田園副知事および島岡静二郎民生局長が、同法人の理事に就任。

4.昭和38年11月14日 同法人会長代理名をもって、選手村の運営管理を、東京都が全面的に担当されたい旨の依頼を受く。

5.昭和38年11月30日 選手村運営管理を本部が分担する件について、法人側に内諾の意を伝える。

6.昭和38年12月1日 職員1名をもって、選手村運営管理に関する情報、資料の収集を開始する。

7.昭和39年7月31日 昭和38年11月14日付の選手村運営管理に関する分担要請に対し受諾する旨を文書で回答するとともに、8月1日付で、次の内容の協定を締結し、協定書を交換する。

財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会企画委員会選手村運営部会支援に関する協定書

 東京都(以下「甲」という。)は財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「乙」という。)の企画する「国際身体障害者スポーツ大会」を支援するについて、「乙」との間に本協定を締結する。

(支援)
第一条 
甲は、乙が行なう国際身体障害者スポーツ大会について、甲所属の職員をして、乙の職員に兼職のうえ、その業務の執行を支援させるものとする。

(支援業務の範囲)
第二条 
前条の職員の行なう業務は、原則として国際身体障害者スポーツ大会選手村開村期間中、同選手村内における選手団の宿泊、給食及び日常生活に直接必要な付属施設から成る選手村の管理業務と、それに伴う事前事後業務とする。

(経費負担分)
第三条

第一条の職員の業務に係る経費はすべて乙が負担する。

(最終責任の所在)
第四条 
第一条の職員が、善良なる管理者としての注意をもって選手村の管理運営に当っている時に生じた物品の毀損、火災、第三者に及ぼした損害等についての賠償責任及びその他についての責任は乙が負う。

(協議)
第五条 
本協定に定めのない事項については、そのつど甲乙協議のうえ定めるものとする。この協定の証として本書を二通作成し、双方記名押印のうえ、各一通を所持するものとする。
昭和39年8月1日
甲 東京都 代表者東京都知事 東 竜太郎
乙 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会 代表者 会長 葛西 嘉資

8.昭和39年8月1日 選手村の運営管理に関し、次のとおりの組織から成る「選手村運営本部」を編成し、具体的な準備事務をいっせいに開始することになった。

選手村運営本部分掌事務

庶務部 部長大河保護課長

 庶務係
(1)公印管守に関すること、(2)文書の収受、整理保存に関すること、(3)選手村規則書、案内書の作成に関すること、(4)選手宛郵便物の配付に関すること、(5)人事管理に関すること、(6)臨時職員の服務に関すること、(7)賃金、時間外勤務手当、旅費に関すること、(8)出勤簿の整理に関すること、(9)準備事務および運営事務の進行管理に関すること、(10)自衛隊、警視庁、消防庁、運営委員会事務局、関係部会との連絡調整に関すること、(11)劇場、売店運営者との運営準備連絡に関すること、(12)予算に関すること、(13)専門通訳、奉仕通訳、臨時職員の確保に関すること、(14)奉仕団の確保に関すること、(15)その他、他に属さぬ事務に関すること
 工事契約係
(1)宿舎等建造物改築工事の請負契約締結に関すること、(2)ゲート、アーチ等屋外工作物設置の請負契約締結に関すること、(3)宿舎等応急修理工事の請負契約締結に関すること
 用度係
(1)ベット、毛布、ふとん等の賃貸借契約締結に関すること、(2)給食、清掃、リネンサプライ等委託契約締結に関すること、(3)無料借用備品の貸借契約締結に関すること、(4)借用備品毀損減失等の補償金に関すること、(5)物品の調達、分配に関すること、(6)請負工事契約の準備に関すること、(7)その他請負工事契約以外の諸契約事務の締結に関すること、(8)備品の管理に関すること
 会計係
(1)現金出納および現金出納簿の記帳に関すること、(2)指定銀行との連絡調整に関すること

渉外連絡部 部長町田監理課長

 インフォーメーション係
(1)インフォーメーションに関すること、(2)専門通訳、奉仕通訳の指導に関すること、(3)入退村者の受付に関すること、(4)面会者の取りつぎに関すること、(5)面会所の運営に関すること、(6)銀行、電々公社、郵便局等との連絡に関すること、(7)クラブ運営管理に関すること、(8)サービスセンター、クラブ入ロスロープの設置工事依頼に関すること、(9)その他サービスセンターの運営管理に関すること
 行事係
(1)運営協議会の運営に関すること、(2)代表者会議の運営に関すること、(3)知事レセプションの開催に関すること、(4)開閉村式の開催に関すること、(5)広報に関すること、(6)ホステスの管理に関すること、(7)その他の行事に関すること
 記録係
(1)選手団の入退村に関すること、(2)村内記録に関すること、(3)その他諸記録の整理に関すること

運営部 部長寺島厚生課長 

 食堂係
(1)食券、食種調査票の作成に関すること、(2)食券の配付に関すること、(3)給食数の決定、食種数の決定に関すること、(4)給食の清算報告に関すること、(5)委託業者の指導連絡に関すること、(6)食事に関する苦情要望処理に関すること、(7)選手団所属ホステスとの連絡に関すること、(8)食器の受払、毀損減失の確認ならびにその清算報告に関すること、(9)夜間勤務職員に対する夜食の提供に関すること、(10)食堂内改造工事および入ロスロープ設置工事の依頼に関すること、(11)食堂内の整理清掃に関すること、(12)その他食堂の運営に関すること
 宿舎係
(1)選手団の配室に関すること、(2)宿舎内備品の受払に関すること、(3)宿舎内備品の毀損減失の確認ならびにその清算報告に関すること、(4)宿舎清算の確認ならびに報告に関すること、(5)リネン・サプライの確認ならびに報告に関すること、(6)委託業者の指導、連絡に関すること、(7)宿舎用消耗品の配付に関すること、(8)宿舎用生花の配付に関すること、(9)宿舎に関する苦情、要望処理に関すること、(10)宿舎内改造工事および人口スロープ設置工事に関すること、(11)その他宿舎の運営管理に関すること
 屋外管理係
(1)屋外清掃の実施に関すること、(2)屋外警護、消防の連絡に関すること、(3)屋外工作物の整備、管理に関すること、(4)屋外美化に関すること、(5)他の部会の付属施設との連絡調整に関すること、(6)循環バスの運行に関すること、(7)その他屋外管理全般に関すること
 営繕係
(1)各係からの工事依頼に対する設計見積りに関すること、(2)各種工事の施行監督に関すること、(3)その他営繕に関すること
 現場
(1)サービスセンター、(2)食堂、(3)クラブ

選手村運営組織本部

 村長(保護部長)高鍋三千雄
選手村運営協議会

  • 消防庁
  • 清掃局
  • 衛生局
  • 主催法人関係部会
  • 代表者会議
  • 次長 保護部厚生課長 松本正
    • 庶務部長 保護部保護課長 河野正孝
      • 庶務係 7名
      • 工事契約係 3名
      • 用度係 7名
      • 会計係 2名
    • 渉外連絡部長 保護部監理課長 町田英一
      • インフォメイション係 2名
      • 行事係 2名
      • 記録係 2名
    • 運営部長 松本厚生課長
      • 食堂係 3名
      • 宿舎係 6名
      • 屋外管理係 8名
      • 営繕係 2名

  • 自衛隊
  • 警視庁
  • 各業務受託業者

準備事務の具体的内容

 選手村運営本部が、選手村開村前に完了すべきこととして、同本部が決定した事項は次のとおりであり、すべて開村前日には準備を終わった。

 1.諸規程
(1)庶務規程、(2)職員心得、(3)ゲート規則、(4)選手村案内、(5)執務要領
 2.会計制度
(1)出納員、(2)富士銀行
 3.宿舎
(1)工事場所の決定(スロープの改修、出入口、便所の改修)、(2)宿舎数の決定と割当(S・M・G、診療所、自衛隊委員会本部、車イス引取所、事務所、選手村運営本部、他の部会事務所、来賓控室)、(3)ベッド、毛布の賃貸借、(4)宿舎の清掃契約、(5)枕カバー、シキフの洗濯委託契約、(6)家具調度品の無償借受、(7)茶、コーヒー等消耗品の無償寄付
 4.食堂
(1)工事場所の決定と契約(スロープの改修、手洗い所設置)、(2)食事の決定と食堂経営の契約、(3)ウェイトレスの確保と契約、(4)テーブル、食器類等の有償、無償貸付契約、(5)他部会の食事数の決定
 5.クラブ
(1)喫茶室の経営委託、(2)家具、備品類の無償借受、(3)旅行案内所の設置と委託、(4)無償飲食物の寄付依頼
 6.売店
(1)業者の委託とその契約、(2)通産省の許可、(3)関東財務局の許可
 7.インフォー・メイション
(1)銀行の依頼、(2)郵便局の依頼、(3)国際電信電話依頼
 8.通訳部会との協定
(1)配置場所と各国別人数、(2)所属職員の待遇
 9.自衛隊との協定
(1)警備の内容、(2)ゲートの取扱、(3)宿舎、(4)食事、(5)O・C・C物品管理の問題について
 10.診療所
(1)改修場所、(2)宿舎と人数
 11.車イス修理所
(1)改修場所、(2)宿舎と人数
 12.劇場
 (1)改修場所、(2)宿舎と人数
 13.生花
(1)生花、(2)華道
 14.屋外清掃
15.屋外展示板等
16.競技場と宿舎との境界設定について
17.電話の架設について(外線と内線数の決定と依頼)
18.自動車の無償借受
19.バスの運行について(サービス部会との協定)
20.理事等の追加決定
21.一般寄付申し出
22.必要職員と賃金職員

選手村内宿舎等の改造計画

 オリンピックの選手村は、一般健常者用の建物ばかりであるため、これを車イス利用者をはじめとする身体障害者に、たとえ十数日という短日数でも、快適な生活をおくって貰うためには、宿舎などの改造が必要である。そこで次のような基本的改造計画をたて、業者の選定などの準備を行なった。

1.宿舎など玄関口に階段をもつ施設
車イス利用者の利便を図るため、宿舎については平屋建103戸をはじめ食堂、クラブ、診療所等に、勾配8分の1程度の鋼鉄製スロープを設置する。

2.浴室入口、103戸
車イスのままで出入可能のように、ドアーを撤去し、さらにドアー枠をもとり去る。

3.便器、103戸
車イスからの移動が容易に可能のように便器に手すりを設置する。

4.ハンドシャワー、103戸
バス、タブの中で、下半身マヒ者が容易にからだを流せるように、ハンドシャワーを設置する。

5.劇場内の改造、320平方メートル
車イスのままで観覧可能のように、座席の一部を撤去する。

6.電話、203基
一般健常者に比較すれば移動力に欠けるため、車イス利用者の宿舎には最少限一基の電話器を設置する。

7.暖房設備、182戸
宿舎内の電燈を全部つけると、余剰電力が500W程度になるので、2.5KWまでの電熱器の使用が可能となるよう電線の補強工事を行なう。

8.食堂手洗所の設置、4基
村内の食堂の玄関口は地面との差が1.4mの階段を一度降りたところに洗面所があり、ここから2.5m階段を上って食堂フロアーになるため、車イス用のスロープの設置は困難なため、スポーツ裏側バルコンに設置するわけだが、前記したような構造のため、ここには洗面設備がないので、これを設置する。

9.食堂バルコンの板張り、320平方メートル
食堂バルコンは、巾約9㎝の板が1㎝の間隔をもって張ってあり、車イスの車輪が落ち込むおそれがあるので、全面をベニヤ板で覆うための工事をする。

支援、協力などの要請

 オリンピック東京大会の選手村の一部を利用する関係上、財団法人オリンピック東京大会組織委員会をはじめとし、同委員会に協力した官公庁、民間企業体その他一般民間団体などに、次のような支援、協力の要請を行なった。

1.財団法人オリンピック東京大会組織委員会関係
十数回にわたる準備折衝のうち、昭和39年9月5日、組織委員会選手村運営本部幹部に対し、パラリンピック選手村運営本部側から、土地および建物の使用、改造などについて協力要請を行ない、これが全面的に受け入れられることになった。

2.自衛隊関係
オリンピック選手村がそうであったように、パラリンピック選手村の村内警護も陸上自衛隊の支援をうけることになった。しかし、オリンピック選手村の警護は、約70ヘクタールという敷地全域の警護であったのに対し、パラリンピック選手村は50ヘクタールを使用し、陸上自衛隊側でも、隊員の訓練等の関係から全域の警護が困難で、残る20ヘクタールは、警護補償会社が担当することになり、この両者の警護の調整をめぐって、最後まで調整が行なわれた。全体会議から個別会議、さらには現地打合せなどを含めると、パラリンピック選手村と自衛隊側の打合せは32回におよんだ。

3.警視庁関係
警視庁側には、主として選手村の村外警備について支援を受けることになった。オリンピック選手村当事と違う点は、オリンピック憲章で、警察官の村内立入りが、原則的に禁止されていたのに反し、パラリンピックでは、そのような規制がなかったため陸上自衛隊、警察官との警備上の調整に集約され、両者協調のうえこれを実施することになった。警察官の村外警備の中心は、ゲート前のポリスボックス3ヵ所の終日立哨である。

4.消防庁関係
村内の防火、消火活動には消防庁の支援をうけ、常時村内に2台の消防自動車の待機を求め、さらに、防火査察指導には特別の配慮をうけることになった。

5.東京都衛生局関係
選手村食堂の食品衛生指導および村内環境衛生指導の支援。

6.東京都清掃局関係
村内雑塵芥物の収集処理および移動便所車、道路清掃車の配車支援。

7.東京電力株式会社関係
村内の配電。

8.東京ガス株式会社関係
都内ガスの供給。

9.東京都水道局関係
村内の給水。

10.国際電信電話株式会社関係
村内の国際電報、電話の取扱い。

11.日本電信電話公社関係
村内の国内電報、電話の取扱い。

12.日本交通公社関係
村内の旅行案内。

13.日本勧業銀行関係
村内のドル・ポンドなど換金の取扱い。

14.渋谷郵便局関係
村内の一般郵便物の取り扱い。

15.渋谷区役所関係
村内道路の補修工事。

16.東京都理容環境衛生同業組合関係
村内の理髪店の開設。

17.株式会社西武百貨店関係
村内の売店の開設。

18.東洋大学短期大学関係
村内食堂における配膳等のサービス業務。

19.村内清掃労力奉仕
日本赤十字社東京都支部世田谷、文京、港、新宿、千代田、中央、品川、大田、台東、渋谷、杉並、目黒、中野、北、江戸川、葛飾、荒川の17区、武蔵野、三鷹、調布の3市と、千葉県支部の計21奉仕団、豊鳥、錦糸、大妻、荒川第一の4中学校、女子学園、都立杉並、山脇学園、海城、立正学園、芝学園、東海電波、都立工芸、昭和女子大付属、大妻、吉祥女子、大森工業、芝浦工業、関東学園女子、家政学院、都立八潮、鴎友学園、武蔵工業大学付属、駿台学園、武蔵野女子、都立駒場の21高等学校、拓殖、日本体育の2大学

20.物品寄付および物品の無償貸与
株式会社高島屋、ブラジル政府コーヒー院、株式会社東横、渋谷東横百貨店、株式会社伊勢丹、株式会社松屋銀座店、日本製薬株式会社、東京都観光連盟、東亜マッチ販売株式会社、朝日徽章工芸社、株式会社ジャパンタイムズ、株式会社アサヒ・イブニング・ニュース社、デイリー毎日、東洋カット織物株式会社、カゴメ株式会社東京支店、東京果物商業株式会社、富士写真フイルム株式会社、リコー株式会社、ニュージーランド・プロデューサーズ・ミートボート、株式会社小田急百貨店、佐々木硝子株式会社、日立家庭電気販売株式会社、株式会社小沢商店、サンエックス化工株式会社、シチズン商事株式会社、東京飲用牛乳協会、全国牛乳協会、米国酪農協会、明治乳業株式会社、株式会社大丸東京支店、太洋ホールセール株式会社、株式会社資生堂、クスダ事務機株式会社、東京生花商協同組合、株式会社日本リサーチ、全日本人形師範会、三洋電機株式会社東京支店、カルピス食品工業株式会社、株式会社東食、松下電器産業株式会社、丸金自転車工業株式会社、株式会社ヤクルト本社、株式会社三越本店、株式会社日本コカ・コーラ本社、プリンス自動車販売株式会社、森永乳業株式会社、ポッカレモン株式会社、全国茶商工業組合連合会、日清紡績株式会社、大日本製糖株式会社、明治製糖株式会社、台糖株式会社、東京コカ・コーラ・ボトリング株式会社、三共株式会社、新日本電気株式会社、株式会社アサヒ製作所総本所、井上図書株式会社、昭和産業株式会社、昭和アルミニューム東京営業所、森永製菓株式会社、富士紡績株式会社、株式会社毎日新聞社、雪印乳業株式会社、協同乳業株式会社、小柴資子、三谷茂子、吉住一浦、日本花道茶道連盟

運営管理篇

 昭和39年11月1日、選手村運営本部は、千代田区丸の内3丁目1番地東京都庁第2本庁舎から、渋谷区オリンピック選手村内選手村運営本部別館に移転し、11月5日開村のため、総力をあげて運営管理の実地訓練と、準備の総仕上げを開始した。以下、各部門毎に11月6日の開村以降、11月20日の閉村までに取り扱った実績を示す。

選手村運営本部関係

 選手村運営のための中枢機関である運営本部は、前述したように11月1日、村内に移転し、村長以下次のような組織をもって運営全般にあたった。

庶務部

 庶務係
(1)文書事務、(2)人事管理、(3)臨時職員の調整、(4)賃金、時間外勤務手当、旅費、(5)出勤簿整理、(6)予算調整、(7)進行管理、(8)通行証、臨時入村証、ステッカーおよび臨時ステッカーの発行、(9)生け花奉仕の統轄、(10)運営委員会との連絡事務、(11)他の部会、S・M・Gとの連絡、(12)寄贈物資の払出、(13)そのほか他に属さぬこと
 工事契約係
(1)請負工事契約の締結
 用度係
(1)請負工事以外の契約締結、(2)借用備品、(3)備品管理、(4)寄付物品、消耗品の受入れ配分、(5)屋内清掃の監督、(6)営繕工事の準備、(7)ガラス、電球の補充、(8)選手退村に伴う、物品搬出の連絡、(9)3千円未満の補修工事
 会計係
(1)現金出納事務

渉外連絡部

 インフォーメーション係
(1)インフォーメーションに関すること、(2)サービスセンター運営
 行事、記録係
(1)村内速報の作成、(2)劇場運営の打合、(3)クラブ内の催物の打合、(4)村内の写真記録の作成、(5)知事レセプション、(6)公式行事、(7)入退村

施設部

 食堂係
(1)食堂運営、(2)監視、監督、(3)苦情処理、(4)消耗品の補完
 宿舎係
(1)宿舎運営、(2)宿舎内清掃業者およびリネン・サプライ業者の監督、(3)選手団所属ホステスの管理、(4)S・M・G運営委員会事務室等の整備、(5)宿舎別の人名簿の作成、(6)退村の連絡、(7)宿舎内の植木の給水、(8)荷造の世話
 屋外管理係
(1)屋外清掃の実施、(2)屋外工作物等の整備、(3)そのほか屋外管理全般、(4)清掃奉仕者の出迎え、(5)清掃場所日時の計画作成、(6)清掃用具の整備、(7)残飯の清掃、(8)ベンチの配置替、(9)村内の道路、工作物の破損ヵ所、清掃不備の発見連絡
 営繕係
(1)営繕

 なお、11月7日には、東京都知事主催のレセプションが、選手村に皇太子殿下ご夫妻をお迎えして、第一部競技会参加選手をはじめ、国際身体障害者スポーツ大会運営委員会役員など約700名が参加して盛大に行なわれた。

選手団の入村

 第一部選手団は、11月5日午後11時10分、イギリスなど5ヵ国の混合選手団の到着以降、11月7日午前6時50分までの間に22ヵ国567名の選手、役員が入村したが、その国別人員は次のとおりである。

選手村入村状況
国別 選手 役員、付添 合計
アルゼンチン 17 5 22 5 1 6 28
オーストラリア 11 4 15 8 2 10 25
オーストリア 4 3 7 5 0 5 12
ベルギー 1 1 2 0 0 0 2
セイロン 1 0 1 0 0 0 1
フイジイー 1 0 1 0 0 0 1
フランス 20 1 21 9 1 10 31
ドイツ 21 3 24 8 2 10 34
イギリス 52 18 70 27 8 35 105
イスラエル 17 3 20 6 1 7 27
アイルランド 4 1 5 3 0 3 8
イタリア 24 4 28 19 1 20 48
マルタ 2 0 2 0 0 0 2
メキシコ 0 0 0 3 0 3 3
オランダ 9 3 12 3 2 5 17
フィリッピン 8 0 8 7 4 11 19
ローデシア 4 2 6 3 0 3 9
スイス 2 1 3 0 1 1 4
スェーデン 2 0 2 0 1 1 3
南アフリカ 5 4 9 4 2 6 15
アメリカ 47 20 67 12 10 22 89
日本 51 2 53 27 4 31 84
303 75 378 149 40 189 567
参加人数
区分
選手 303 75 378
付添 149 40 189
452 115 567

第二部の選手団は、11月10日午後10時10分、西ドイツ選手団が到着したのをはじめとし、国内選手は11日早朝から夕方にかけて全員入村したが、その都道府県別人員は次のとおりである。

宿舎関係

 第一部関係の各国選手団宿舎は、次のとおりであった。

イギリス(19戸)マルタ(1戸=イギリスと同宿)アイルランド(2戸)イスラエル(5戸)ベルギー(1戸)スエーデン(1戸)スイス(1戸)フランス(7戸)南アフリカ(3戸)メキシコ(1戸)ドイツ(1戸)イギリス(1戸=役員)オーストラリア(4戸)セイロン(1戸=オーストリアと同宿)フイジー(オーストラリアと同宿)ローデシア(2戸)アメリカ(16戸)アルゼンチン(3戸)オランダ(3戸)日本(14戸)イタリア(9戸)ドイツ(6戸)オーストリア(2戸)フィリッピン(3戸)アルゼンチン(2戸)

これらの宿舎はすべて平屋建物であった。

 第二部関係の選手は2階建物53戸に入った。
各宿舎に配備した備品類はベットをはじめ毛布、ベットサイドラグ、整理箱、ハンガー(1人5本平均)観葉植物、小物干、ベットサイドランプなどのほか暖房のための電気ストーブを1人1個あて配置するとともに浴室にカ-テンをとりつけたり、ロッカーがない各部屋にL型クギをとりつけた。また村内案内図、非常連絡先の表をとりつけた。
宿舎に配付した消耗品類は歯ブラシ、歯みがきチューブ、シャンプー、粉せっけん、固型せっけん、タオル、レーンコート、オシボリ、クリンナー、クレンザーである。また宿舎には、コーヒー、紅茶、砂糖、クリープ、レモンをそなえ、いつでも自分でのめるようにコーヒーカップ、スプーン、紅茶コシ、コーヒーポットを配置した。特に注意した点は、宿舎内の事故防止のため、ガス取扱方法、電気ストーブの備付場所など、選手団付ホステスを通じ選手各自に注意をうながした。また各宿舎に消火器をそなえつけると同時に火災予防、事故防止のため、終夜パトロールを実施した。従事職員の宿舎係は係長以下正規職員6名で構成したが、開村中、拓殖大学洋弓部員によって次のとおり協力をえた。6日(13人)7日(11人)8日(13人)9日(11人)10日(11人)11日(10人)12日(12人)13日(13人)14日(11人)15日(9人)16日(9人)17日(11人)18日(9人)以上計延143人。

第二部競技参加者入村人員
都道府県都市名 選手 役員、付添 合計
北海道 16 2 18 2 0 2 20
青森 6 1 7 2 0 2 9
岩手 5 2 7 1 1 2 9
宮城 6 1 7 2 0 2 9
秋田 6 1 7 2 0 2 9
山形 6 1 7 2 0 2 9
福島 10 1 11 2 0 2 13
茨城 5 2 7 2 0 2 9
栃木 6 1 7 2 0 2 9
群馬 6 1 7 2 0 2 9
埼玉 10 1 11 2 0 2 13
千葉 6 1 7 2 0 2 9
東京 29 8 37 4 2 6 43
神奈川 6 1 7 2 0 2 9
新潟 10 1 - 2 0 2 13
富山 6 1 - 2 0 2 9
石川 6 1 7 2 0 2 9
福井 6 1 7 2 0 2 9
山梨 6 1 7 2 0 2 9
長野 8 3 11 2 0 2 13
岐阜 6 1 7 2 0 2 9
静岡 10 1 11 2 0 2 13
愛知 11 0 11 2 0 2 13
三重 6 1 7 2 0 2 9
滋賀 6 1 7 2 0 2 9
京都 5 0 5 2 0 2 7
大阪 6 1 7 2 0 2 9
兵庫 9 2 11 2 0 2 13
奈良 5 2 7 2 0 2 9
和歌山 6 1 7 1 1 2 9
鳥取 6 1 7 2 0 2 9
島根 6 1 7 2 0 2 9
岡山 10 1 11 2 0 2 13
広島 10 1 11 2 0 2 13
山口 6 1 7 0 2 2 9
徳島 6 1 7 2 0 2 9
香川 6 1 7 2 0 2 9
愛媛 9 1 10 2 0 2 12
高知 6 1 7 2 0 2 9
福岡 13 5 18 2 0 2 20
佐賀 6 1 7 2 0 2 9
長崎 6 1 7 2 0 2 9
熊本 10 1 11 2 0 2 13
大分 10 1 11 2 0 2 13
宮崎 6 1 7 2 0 2 9
鹿児島 10 0 10 2 0 2 12
沖縄 6 1 7 2 0 2 9
横浜 6 1 7 2 0 2 9
名古屋 6 1 7 2 0 2 9
京都市 6 1 7 2 0 2 9
大阪市 10 1 11 2 0 2 13
神戸 6 1 7 1 1 2 9
北九州 5 2 7 2 0 2 9
406 69 475 103 7 110 585
ドイツ 6 0 6 1 0 1 7
合計 412 69 481 104 7 111 592

食堂関係

 選手村内富士食堂の運営は、調理業務を日本給食指導協会(豊島区巣鴨6の1344、大塚ビル内、代表者木村忠二郎)に委託し、配膳などのサービスは、学校法人東洋大学短期大学(文京区原町17、代表者佐瀬恒)に委託し、さらに東京都衛生局の支援を得て、食中毒の発生などの不祥事が起こらぬよう細心の注意を払った。給食数、実施献立等は別表のとおりである。

日本給食指導協会

給食明細書
月日 食別 第一部関係 第二部,職員
従業員関係
合計
食数 金額 食数 金額 総食数 合計金額
11月5日 夕食 113 33,900 735 110,250 848 144,150
6日 朝食 113 22,600 816 81,600 929 104,200
昼食 214 64,200 1,102 165,300 1,316 229,500
夕食 581 174,300 1,097 164,550 1,678 338,850
その他弁当 - - 200 20,000 200 20,000
7日 朝食 560 112,000 850 85,000 1,410 197,000
昼食 560 168,000 1,230 184,500 1,790 352,500
夕食 560 168,000 1,165 174,750 1,725 342,750
その他弁当 - - 200 20,000 200 20,000
8日 朝食 560 112,000 944 94,400 1,504 206,400
昼食 560 168,000 2,700 405,000 3,260 573,000
夕食 560 168,000 1,600 240,000 2,160 408,000
9日 朝食 575 115,000 900 90,000 1,475 205,000
昼食 575 172,000 1,200 180,000 1,775 352,500
夕食 575 172,500 1,200 180,000 1,775 352,500
10日 朝食 575 115,000 850 85,000 1,425 200,000
昼食 575 172,500 1,300 195,000 1,875 367,500
夕食 575 172,500 1,130 169,500 1,705 342,000
11日 朝食 580 116,000 800 80,000 1,380 196,000
昼食 580 174,000 1,250 187,500 1,830 361,500
夕食 580 174,000 1,904 285,600 2,484 459,600
12日 朝食 580 116,000 1,383 138,300 1,963 254,300
昼食 580 174,000 1,818 272,700 2,398 446,700
夕食 580 174,000 1,818 272,700 2,398 446,700
13日 朝食 580 116,000 1,333 133,300 1,913 249,300
昼食 580 174,000 1,773 265,950 2,353 439,950
夕食 580 174,000 1,773 265,950 2,353 439,950
14日 朝食 381 76,200 1,285 128,500 1,666 204,700
昼食 276 82,800 1,575 236,250 1,851 319,050
夕食 371 111,300 1,515 227,250 1,886 338,550
15日 朝食 470 94,000 1,250 125,000 1,720 219,000
昼食 460 138,000 1,700 255,000 2,160 393,000
夕食 400 120,000 900 135,000 1,300 255,000
16日 朝食 398 79,600 680 68,000 1,078 147,600
昼食 350 105,000 970 145,500 1,320 250,500
夕食 350 105,000 860 129,000 1,210 234,000
17日 朝食 180 36,000 580 58,000 760 94,000
昼食 170 51,000 920 138,000 1,090 189,000
夕食 160 48,000 880 132,000 1,040 180,000
18日 朝食 160 32,000 551 55,100 711 87,100
昼食 150 45,000 876 131,400 1,026 176,400
夕食 140 42,000 790 118,500 930 160,500
19日 朝食 - - 530 53,000 530 53,000
昼食 - - 720 108,000 720 108,000
夕食 - - 630 94,500 630 94,500
20日 朝食 - - 490 49,000 490 49,000
昼食 - - 330 49,500 330 49,500
夕食 - - 0 0 0 0
追加分 朝食 19 3,800 - 0 19 3,800
昼食 20 6,000 181 27,150 201 33,150
夕食 5 1,500 82 12,300 87 13,800
合計 17,511 4,680,200 51,366 7,032,800 68,877 11,703,000
第一部関係献立表 11月5日(木曜)夕食
 食数 : 113食
1人当たり金額 : 231.63円
熱量 : 1,528カロリー
蛋白質 : 59.9グラム
脂肪 : 94.0グラム
献立名 食品名 総使用量
(キログラム)
1人当り使用量
(グラム)
総金額
(円)
バタロール
バター
バタロール 6,780 60 1,084
バター 4,000 35 1,968
アスパラスープ 小麦粉 3,000 27 165
バター 700 6 344
グルタミン 100 1 78
牛乳 14,000 124 960
アスパラ 4,000 35 875
グロンキューブ 15個 - 105
ビフテキ 牛ラン肉 16,000 142 15,200
サラダ油 1,000 8 200
メキシカンソース 人参 600 5 60
オニオン 1,000 8 30
セロリ 600 5 150
ピーマン 400 4 52
トマト 1,000 8 180
トマトジュース 2,000 16 -
トマトペースト 1,000 8 -
ガーリック 10 - -
スポロツソテー スポロツ 9,000 80 2,250
バター 600 5 295
150 1 8
バター 10 - 4
フライポテト ポテト 12,000 106 -
オイル 1,500 13 212
バター 600 5 295
150 1 -
コショー 10 - 4
コンビネーションサラダ レタス 14,000 124 -
トマト 5,000 44 900
ブラックオリーブ 230個 10 -
アスパラ 5,000 44 -
サラダオイル 2,000 16 400
クインビネガー 1,000 8 -
150 1 4
コショー 10 - -
フルーツ リンゴ 113個 180 -
ペットシュガー ペットシュガー - - -
部関係献立表 11月5日(木曜)夕食
 食数 : 735食
1人当たり金額 : 95,5円
熱量 : 1,670カロリー
蛋白質 : 34.0グラム
脂肪 : 62.5グラム
献立名 食品名 総使用量
(キログラム)
1人当り使用量
(グラム)
総金額
(円)
ポークカツ 豚肉切身 51.5 70 31,598
小麦粉 22.0 30 1,220
パン粉 28.0 38 2,440
9.0 12 1,278
玉子 5.0 7 875
ラード 9.0 12 1,021
サラダ菜 サラダ菜 7.7 11 1,386
コールスロー キャベツ 32.0 43 1,856
レッドキャベツ 3.0 4 300
サラダ マカロニ 16.0 20 2,640
りんご 8.0 10 (寄)
胡瓜 11.0 15 1,760
レーズン - - -
玉葱 5.0 7 150
玉子 8.0 11 1,400
サラダ油 1缶 22 3,250
パセリ パセリ 1.6 2 560
スープ 玉葱 22.0 30 660
人参 11.0 15 1,100
グロンキューブ 400g×3ヶ - 2,100
150.0 - 14,625
果物 りんご 160.0 220 (寄)
- - - 70,219

第一部の選手、役員給食

1人当1日平均材料費、598円40銭

1人当1日給食栄養量
食種 熱量 蛋白質 脂肪
洋食 4393カロリー 150.7g 264.6g
和食 4639カロリー 259.8g 189.0g

第二部の選手、役員給食

1人当1日平均材料、299円10銭

1人当1日給食栄養量
熱量 蛋白質 脂肪
3214カロリー 99.8g 95.2g

 また、各部会別給食数は第一部役員17,511食(4,680,200円)第二部選手役員7,250食(967,500円)選手村13,113食(1,871,450円)自衛隊22,667食(3,019,350円)競技実施本部6,762食(946,400円)救護本部966(134,300円)サービス部会106食(14,500円)広報部会500食(69,000円)研究視察部会2食(300円)計68,877食(11,703,000円)

用度関係

 選手村整備のため、用度係が取扱った物品はベット1,400台から、ハンガー5355本にいたるまで約120品目3万点にのぼる。宿舎等への物品配備は、オリンピック選手村の閉村(5日)を待たずオリンピック選手団の帰国次第順次空いた宿舎から、その物品の在数を調査し、不要物品の搬出と必要物品の搬入計画をたて、3日から一部分ではあったが、実際の作業にはいり、5日朝から6日午前3時までの作業で、一応当日入村予定の役員、選手宿舎および公的機関、共用施設などの設備を終り、6日朝から7日夕刻までの作業で、第一部選手宿舎全部の整備を完了し、翌8日から直ちに第二部選手宿舎の物品配置状況を調査し、10日からその搬入、搬出作業を開始し、11日これを完了した。14日から、各国選手団の帰国を待って、撤収作業にとりかかった。16日から自衛隊の支援を得て、19日には全宿舎の物品の撤収を終り20日公的機関、共用施設の撤収を完了した。

従事職員調
-  職員 学生 日通 自衛隊
5日 13 30 30
(4)
0
6日 13 30 20
(6)
0
7日 10 30 34
(4)
0
8日 10 15 14
(4)
0
9日 10 15 5
(1)
0
10日 13 30 0 0
11日 13 30 0 0
12日 10 0 0 0
13日 10 0 0 0
14日 10 15 0 0
15日 29 15 2
(2)
0
16日 22 38 0 21
(6)
17日 15 30 0 28
(4)
18日 14 15 0 20
(3)
19日 25 15 0 80
(8)
20日 14 15 0 8
(2)
延人数 221 323 105
(21)
157
(23)
取扱い物品一覧
品名 数量 摘要
片袖机 43 宿舎共用施設用
平机 593 宿舎共用施設用
テーブル(大) 72 宿舎共用施設用
テーブル(小) 57 宿舎共用施設用
テーブル(B) 9 宿舎共用施設用
脇机 5 宿舎共用施設用
会議用テーブル 22 宿舎共用施設用
長机 51 宿舎共用施設用
鉄製、肘なし回転椅子 27 宿舎共用施設用
折たたみ椅子 2,143 宿舎共用施設用
安楽椅子 64 宿舎共用施設用
肘掛椅子 352 宿舎共用施設用
長椅子 17 宿舎共用施設用
長椅子 83 宿舎共用施設用
わん曲椅子 2 宿舎共用施設用
カウンター用回転椅子 34 宿舎共用施設用
フロアスタンド 20 宿舎共用施設用
整理箱 1,227 宿舎共用施設用
衝立 8 宿舎共用施設用
衝立 20 宿舎共用施設用
傘立 10 宿舎共用施設用
新聞掛 7 宿舎共用施設用
書架 1 宿舎共用施設用
電気スタンド 1,351 宿舎共用施設用
電気ストーブ 816 宿舎共用施設用
電気コンロ 3 宿舎共用施設用
ガス器具 258 宿舎共用施設用
掲示板 4 宿舎共用施設用
黒板 6 宿舎共用施設用
ガス台 258 宿舎共用施設用
スタンド灰皿 50 宿舎共用施設用
灰皿 806 宿舎共用施設用
卓球台 2 宿舎共用施設用
配膳車 25 食堂用
薬品戸棚 1 診療所用
ハンガー 5,354 宿舎用
紅茶セット 1,524 茶わん皿スプン
屑籠 958 宿舎用
小干物 739 宿舎用
コーヒーポット 237 宿舎用
やかん 148 宿舎用
洗いおけ 244 宿舎用
お盆 255 宿舎用
コップ 1,035 宿舎用
観葉植物 778 宿舎用
バスマット 239 宿舎用
紅茶こし 251 宿舎用
出入口マット 247 宿舎用
ベッドサイドラグ 336 宿舎用
洗濯ピン (納)2,000 宿舎用
ポリバケツ 12 宿舎用
食堂用椅子 788 宿舎用
茶わん 26 宿舎用
洗面器 6 宿舎用
マッサージ台 1 サウナ風呂用
作業台 42 食堂用
抽出付作業台 6 食堂用
ペンラック 18 食堂用
卓上用調理機 3 食堂用
冷蔵庫 12 食堂用
ガスレンヂ 6 食堂用
スープケルト 6 食堂用
洗米機 3 食堂用
洗浄機 6 食堂用
流し付テーブル 6 食堂用
流し 18 食堂用
スライザー 3 食堂用
炊飯器 3 食堂用
戸棚 6 食堂用
コーヒーアン 6 食堂用
ポテトカッター 6 食堂用
ガス式料理機 6 食堂用
トースター 6 食堂用
ポテトピーラー 3 食堂用
クリーンテーブル 12 食堂用
ダストテーブル 6 食堂用
2槽シンク 6 食堂用
6 食堂用
チケットカウンター 6 食堂用
ザプライセンター 6 食堂用
トレースタンド 6 食堂用
ゴールドテーブル 6 食堂用
スチームテーブル 12 食堂用
デザートテーブル 6 食堂用
アンテーブル 6 食堂用
サービステーブル 6 食堂用
トレースライド 6 食堂用
瞬間湯沸器 12 食堂用
イカリガ式瞬間湯沸器 2 ザプライセンター
ケースミキサー 2 ザプライセンター
スライサー 2 ザプライセンター
フードカッター 1 ザプライセンター
ミートチョッパー 2 ザプライセンター
ポテトピーラー 3 ザプライセンター
小型冷凍機FW4 1 ザプライセンター
小型冷凍機FV2 1 ザプライセンター
ユニットクーラーA4 6 ザプライセンター
ユニットクーラーB4 4 ザプライセンター
台No.1 10 ザプライセンター
台No.2 27 ザプライセンター
台No.3 11 ザプライセンター
冷凍水槽 1 ザプライセンター
ベッド 2,500 宿泊用
毛布 3,200 宿泊用
布団(組) 920 宿泊用

サービスセンター係

 受付業務、インフォメーションのほか、勧業銀行の換金、国際電報電話、国内電報電話、郵便等の業務が行われたが、主な取扱実績は次のとおりである。

受付け業務
月日 職員 臨時入村証交付数 臨時ステッカー交付数 伝言 電話応接数 交付のみ
通訳 職員 業務 面会 その他
11/5 6 8 108 5 26 139 32 18 45 105
11/6 6 8 459 103 113 675 325 27 71 147
11/7 6 8 375 126 147 648 416 41 98 191
11/8 6 8 261 180 67 508 29 36 103 202
11/9 6 8 274 209 72 555 101 26 87 179
11/10 6 8 329 243 57 629 93 47 71 193
11/11 6 8 205 364 215 784 78 52 96 218
11/12 6 8 734 272 116 1,122 120 31 184 186
11/13 6 8 298 132 108 538 119 24 142 134
11/14 6 8 215 123 75 413 71 21 114 115
11/15 6 8 115 172 36 323 83 26 106 121
11/16 6 4 91 66 43 200 98 15 64 94
11/17 6 4 112 33 21 166 85 12 72 66
11/18 6 4 78 33 55 166 65 16 43 43
11/19 0 4 102 4 34 140 64 7 21 73
11/20 0 8 15 0 13 28 81 3 16 39
84 116 3,771 2,065 1,698 7,034 1,799 402 1,333 2,106

インフォーメーション業務

区分 電話応接 来所者応接 電報配布 選手団連絡 メッセージ伝達 他機関連絡 遺失物取扱照会 プレゼント その他 日計 通訳
村内 村外 競技 行事 その他 村内 村外 競技 競技 その他 外国 日本 外国 日本 外国 日本
11/5 入村 入村 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
11/6 入村 入村 0 21 14 7 11 0 7 0 0 9 425 6
78 43 48 71 (263)
23
22 27 14 17 (93)
13
11/7 93 69 23 62 (278)
31
28 33 18 21 (119)
19
4 29 9 6 8 3 19 0 0 11 486 6
11/8 129 88 32 37 (309)
23
13 29 16 12 (86)
16
15 51 22 8 14 0 16 3 7 7 538 8
11/9 103 92 49 25 (295)
26
19 23 1 8 (75)
24
13 79 18 0 19 0 23 9 12 1 544 10
11/10 136 125 31 17 (329)
20
11 35 8 12 (87)
21
26 190 36 14 34 8 20 1 19 16 780 8
11/11 133 114 34 21 (325)
23
10 39 5 10 (92)
28
31 219 44 18 31 12 16 3 13 13 817 10
11/12 128 96 52 66 (361)
19
17 21 0 13 (67)
16
7 275 38 9 24 11 18 2 8 10 830 10
11/13 73 87 41 18 (225)
6
4 18 13 9 (56)
12
17 130 14 8 9 4 5 3 3 6 480 9
11/14 49 42 39 28 (159)
1
8 13 0 11 (39)
7
10 112 11 19 13 21 1 2 0 0 387 6
11/15 41 36 4 13 (97)
3
9 0 0 0 (13)
4
4 返送
32
13 0 5 6 3 0 0 0 173 5
11/16 37 32 0 0 (77)
8
11 0 0 0 (17)
6
0 11 7 0 0 0 5 1 0 0 118 4
11/17 33 25 2 0 (79)
19
5 0 0 0 (16)
11
3 0 8 0 3 0 0 0 0 0 109 2
11/18 49 32 0 0 (159)
78
7 0 0 0 (15)
8
1 0 5 0 3 0 0 0 0 0 183 1
合計 1,082 881 355 358 (2,956)
280
164 238 75 113 (775)
185
131 1,149 239 89 174 65 133 24 62 73 5,870 85

受付業務表中の「業務」は村運営に関する一切の業務で、業者の納品、日赤等の奉仕を含む、ただしオリンピック関係はその他に分類。「面会」は従業員、選手団に対する面会のほか、業者以外のものによる物品の届け、連絡なども含む。「その他」は上のものを除くすべてのもので、オリンピック関係、報道関係、選手付添のため入村、金品寄贈(ただし人を対象としない)などである。
また第二部面会者取扱いは次のとおり492人であった。

12日 正面受付(115人)原宿口(130人)計245人
13日 正面受付(130人)原宿口(117人)計247人

換金業務

 換金のとり扱いは次のとおりであった。(日本勧業銀行)

種別 金額
アメリカドル 30,217.44
カナダドル 5.0
イギリスポンド 4,403.18
オーストラリアポンド 17.0
オーストラリアシリング 2,650.0
ドイツマルク 1,935.0
フランスフラン 29,645.0
スイスフラン 200.0
ベルギーフラン 7,000.0
オランダギルダ 300.0
イタリアリラ 48,400.0

インター・ナショナルクラブ関係

 インター・ナショナルクラブには、アイスクリーム、牛乳などの飲物、ピアノ、ステレオ、ギターなどの楽器を用意し、選手役員等の交歓の場として大いに活用されたが、これを盛り上げたのは、次のような大学および職場の軽音楽クラブの奉仕出演に負うところが大きかった。

11月10日
東大ブルーコースターズ、慶大ヒローアイランダース、観衆約200人

11月11日
慶大KBRタンゴアンサンブル、東大ブルーコースターズ、共立女子大プアアイランダース、観衆約300人

11月12日
立大スペインギタークラブ、立大ローヤルアイランダース、早大グリークラブ、観衆約350人

11月13日
青大スイングコンボ、東大コーラルアイランダース、早大ニューオルリンズジャズ、観衆約400人

11月14日
共立女子大プアアイランダース、安田生命マンドリンクラブ、共立女子大モアナアイランダース、観衆約400人

11月15日
サニー飯田とミュージックエコー、西武デパートジャズバンド、観衆約250人

11月16日
法大ウェスタンプレーボーイズ、共立女子大モアナアイランダース、観衆約100人

ショッピングセンター

 ショッピングセンター内には、株式会社西武百貨店が、わが国固有の生産品をはじめとし、日用品、運動用品、貴金属製品、オリンピック記念メダルなど数多くの種類と品物の販売を行なったほか、東京都理容環境衛生同業組合が理髪店を設置し、多数の選手、役員の利便に供した。また、このほかに富士写真フィルム株式会社のフィルム販売所も設置し、写真の現象、焼付、引伸を行なった。

屋外管理関係

 約70ヘクタールという拡大な敷地内に点在する宿舎など多くの施設の警護は、パトロールおよび警視庁隊員の敷地外からの監視が完ぺきであったため、開村中、盗難、暴行など皆無という好成績を収めた。また、消防庁職員による防火査察指導も入念で、失火等皆無であったことは特筆に値するであろう。また、競技施設が選手村内にある関係上、観客整理には、オリンピック大会当時、マラソン観客整理用の鉄柵を1,900m、ロープ2,500mを使用した。その他、清掃、装飾等については次のとおりである。

清掃奉仕員日別人員

6日80人、7日113人、8日117人、9日60人、10日96人、11日60人、12日215人、13日65人、14日106人、15日103人、16日35人、17日37人、18日50人

清掃局関係延車輌数

一般収集車32台、ロードスィーパー4台

国旗、県旗等掲揚数

東京広場78、正面ゲート78、織田フィールド26、合計202、所要人員延40人

一般掲示物

案内板9 方向標示板9、国別標示板10、建物案内板25、立入禁止板12、事務所標示板22、その他60、合計147

装飾物件

香港フラワー・アーチ1、菊の小鉢2,000、プラスチック箱入バラ100、植木7

その他

ベンチ400、屋外くずかご120

選手村内電気等消費量

 11月6日から20日までの15日間における、選手村内電気、ガス水道の消費量は次のとおりである。

 電気
192,320キロワット
1日平均 13,821.4キロワット

水道
44,424立方メートル
1日平均 2,961.6立方メートル

ガス
68,370立方メートル
1日平均 4,558立方メートル

選手村退村

 第二部競技大会に参加した国内選手は、11月15日早朝から夕方にかけて退村したが、外国選手は、14日の南アフリカ選手団をトップに、次表(127頁)のように退村し、離日した。

選手村退村状況
日付 国名 選手村発 空港発
14日 南アフリカ 9.00 11.15
オーストラリア
セイロン
フイジー
15.00 17.30
アメリカ 20.00 23.05
メキシコ パレスホテルヘ
南アフリカ
アメリカ
19.00
日光
第一ホテルヘ
13.00
15日 ローデシア 8.00 10.30
ドイツ 9.00 11.00
アイルランド 16.00 18.30
アメリカ 16.00 19.10
メキシコ 20.35
ヒリッピン 20.00 22.00
大分 10.00 12.35
16日 イタリア 7.30 10.35
オーストリア
イスラエル
アイルランド
イギリス
オランダ
19.30 22.30
17日 アルゼンチン 7.45 10.00
18日 ヒリッピン 9.30 12.00
アルゼンチン 15.00 18.30
スエーデン
オーストリア
イギリス
ドイツ
ベルギー
スイス
フランス
マルタ
19.30 22.30
13日
14日
15日
日本 - 669.

従事人員

11月5日の開村から20日までの16日間に、選手村の業務に従事した人員は延5,278人におよび、その内訳は次のとおりである。
民生局職員(選手村運営業務)65人、日本体育大学(労力奉仕)30人、拓殖大学(労力奉仕)15人、東洋大学(食堂のウェイトレス、ウェイター)100人、日本赤十字社(語学・清掃奉仕)160人、奉仕者(英文タイプ)2人、同(労力奉仕)1人、計(除委託業者関係)373人

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主題:
パラリンピック 東京大会報告書 No.2
80頁~127頁

発行者:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会

発行年月:
昭和40年8月1日

文献に関する問い合わせ先:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会