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国際身体障害者スポーツ競技会 東京パラリンピック大会 報告書

No.3

THE TOKYO GAMES FOR THE PHYSICALLY HANDICAPPED
PARALYMPIC TOKYO 1964

競技部会

競技部会の組織

 競技部会の組織としては、第一部、第二部の区別なく、連続してことにあたった。しかし、競技の実施、運営については、第一部の国際競技は、国際ストーク・マンデビル競技委員会が主催者ということで、運営計画の中核となり、あらかじめ暫定プログラムをつくって、これをわが方に示し、かつ所要競技要員、競技場および競技用具の整備についても要請してきていた。第二部は、国内競技であるため、すべてこちらの既定方針に従って計画を進めることができた。
第一部は、国際ストーク・マンデビル競技委員会会長エル・グットマン博土が全体を統轄することになり、同会名誉主事ジェー・スクルートン女史がセクレタリーとして会長を補佐し、技術顧問シー・アトキンンンソ氏がコントロールセンターおよびスコアリングセンターにあり、日本側から斉藤博之氏(WVF)がこれをたすけて競技の進行、競技記録の整理を受け持った。なお、別にアイルランドのギュラ氏、オランダのテッベス少佐および日本の増田氏らで構成されたトリビュナルが設けられ、競技進行中に起ったいざこざの解決にあたることになった。
競技の実施については、各競技種目毎に後述するようにそれぞれの競技団体の協力によって、さきに東京オリンピック大会に活躍した競技人を中心に、ほぼ十分なスタッフを得て、審判をはじめ必要なあらゆる役割を遂行することができた。とくに第一部では各国チームに付添ってきた役員がボランティアとして、審判その他に働いてくれた。

競技部会組織

本部長
本部長付 競技部長
競技副部長
競技部付

  • トラック・フイールド班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • 卓球班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • 重量挙班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • フェンシング班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • スヌーカー班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • 弓班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • 水泳班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係
  • パスケットボール班
    • 記録係
    • 設備用具係
    • 招集誘導係
    • 庶務進行係

競技部係員の業務内容

1.庶務進行係
(1) 本部、コントロール・センター、セクレタリアトヘの連絡
(2) 審判団との連絡調整
(3) 競技進行および会場整理
(4) 競技中に起った事故(審判等)の処理、コントロール・センター、トリビュナルヘの連絡

2.招集誘導係
(1) 編成の確認
(2) 選手誘導
(3) 選手に起った事故(傷病)の処理、医療班への連絡

3.設備、用具係
(1) 競技場の整備
(2) 競技用具の準備、片づけ、保管

4.記録係
(1) 競技結果の整理
(2) 本部、スコアリング・センターへの記録提出
(3) 競技結果の通告

競技部役員名簿(第一部)

競技本部長
(係員)高田秀道

競技副本部長
(係員)園師光男(視)増田弥太郎(身)藤原敏雄(視)

競技本部付
(係員)村越芳男(視)藤本道雄(身)船山純夫(言)玉木修(言)金沢重助(視)衣川福二(身)樋口正純(社)

トラック・フイールド
(班長)橋本喜尚(身)庶務進行(係員)室木洋一、橋本喜尚(身)招集誘導(係員)飯島昇三(視)設備用具(係員)高橋正悟(視)橋谷俊胤(視)記録(係員)小泉八重子(視)江原和江(塩)

バスケットボール
(班長)松下淑(言)庶務進行(係員)前島秀男(言)松下淑(言)設備用具(係員)佐藤勲(身)三松房子(社)招集誘導(係員)三沢義一(身)高塩重光(言)記録(係員)原田美奈子(言)山田麗子(言)

水泳
(班長)滝沢寛一(身)庶務進行(係員)古荘喜一(身)招集誘導(係員)竹内寛正(函)斎藤義一(塩)設備用具(係員)上沢輝男(社)石倉寛治(社)記録(係員)市川文昭(視)代田勉(言)


(班長)大宮清司(身)庶務進行(係員)森村重夫(身)大宮清司(身)招集誘導(係員)梶浦毅夫(社)森野肇(社)設備用具(係員)石井由彦(社)羽田正俊(社)記録(係員)山本典子(身)

スヌーカー
(班長)今村利明(視)庶務進行(係員)松本尚之(視)招集誘導(係員)中津良三(塩)設備用具(係員)大庭正子(視)記録(係員)芥川倫子(視)

フェンシング
(班長)星宗夫(身)庶務進行(係員)君島末吾(身)星宗夫(身)招集誘導(係員)青木重幸(身)石倉満行(身)設備用具(係員)塩崎信男(社)中康守(社)記録(係員)古村紘一郎(社)中川義宣(身)

重量挙
(班長)片山富夫(身)庶務進行(係員)中川義宣(身)招集誘導(係員)萩原千代子(社)設備用具(係員)鈴木護(社)記録(係員)山田昌之(社)

卓球
(班長)竹之内康(身)庶務進行(係員)中礼順信(身)竹之内康(身)設備用具(係員)橋口哲男(社)久保田集士(社)招集誘導(係員)佐伯万三(社)中津良三(塩)記録(係員)倉田伸吾(塩)針生寅吉(塩)

競技部役員名簿(第二部)

競技本部長
(班長)高田秀道

副本部長
(班長)増田弥太郎(身)(係員)図師光男(視)藤原敏雄(視)

本部付
(班長)村越芳男(視)(係員)藤本道雄(身)船山純夫(言)金沢重助(視)

トラック
(班長)藤本道雄(身)庶務進行(係員)藤本道雄(身)金沢重助(視)前島秀男(言)招集誘導(係員)星宗夫(身)多田威夫(言)久保田憂生(言)森村重夫(身)設備用具(係員)塩崎信男(社)仲康守(社)記録(係員)萩原千代子(社)佐伯万三(社)橋口哲男(社)

フィールド
(班長)橋本喜尚(身)庶務進行(係員)橋本喜尚(身)松本尚之(視)船山純夫(言)招集誘導(係員)今村利明(視)近藤英夫(身)石倉満行(身)片山富夫(身)高塩重光(言)設備用具(係員)久保田集士(社)田中克三(社)石倉寛治(社〉上沢輝男(社)古村紘一郎(社)梶浦毅夫(社)記録(係員)森野肇(社)石井由彦(社)羽田正俊(社)山田昌之(社)三松房子(社)

卓球・肢体
(班長)藤本道雄(身)庶務進行(係員)藤本道雄(身)招集誘導(係員)竹之内康(身)星宗夫(身)設備用具(係員)中礼順信(身)君島末吾(身)記録(係員)山本典子(身)沢治子(身)

卓球・視力
(班長)松本尚之(視)庶務進行(係員)松本尚之(視)招集誘導(係員)倉田伸吾(塩)中津良二(塩)江原和江(塩)


(班長)大宮清司(身)庶務進行(係員)大宮清司(兼)招集誘導(係員)三沢義一(身)市川文昭(視)設備用具(係員)高橋正悟(視)佐藤勲(身)記録(係員)大庭正子(視)

水泳
(班長)滝沢寛一(身)庶務進行(係員)大宮清司(身)招集誘導(係員)竹之内康(身)市川文昭(視)今村利明(視)安東徳博(言)設備用具(係員)竹之内康(身)君島末吾(身)片山富夫(身)中礼順信(身)記録(係員)石倉満行(身)佐藤勲(身)高橋正悟(視)

卓球・聴力
(班長)船山純夫(言)庶務進行(係員)船山純夫(言)久保田愛生(言)招集誘導(係員)坂田幸夫(言)小川仁(言)設備用具、(係員)芥川倫子(言)

編成
(班長)玉木修(言)(係員)松下淑(言)古荘喜一(身)原田美奈子(言)山田麗子(言)(通訳)貞広邦彦ほか4名

競技場

 競技場の選定は、競技部として、いちばん大きな問題であって、昭和38年4月ころから体育関係者ともよく相談のうえ、いろいろ検討を加え、ほぼ決定されていた。しかし、開催期日が迫るに従い、問題点が多く、二転三転し、競技部会、選手村部会は、オリンピックのために建設された駒沢競技場が最適であると、9月30日、開会式を目前に控えて企画委員会に提案した。さっそく葛西会長はじめ関係者25名は、揃って駒沢競技場を視察したが、参加選手の移動に制限をうけるので、結局選手村と競技場が遠く離れないで、しかも分散しないことが条件になるので、オリンピック大会の際練習用として選手村内につくられた織田フィールドを主競技場とし、水泳だけはやむを得ず選手村からバスで十分の東京都屋内プールで行なうことになった。最初はオリンピックプールを使用するはずであったが、同プールの水温、室温が身障者には低すぎるので、都の屋内プールに変更したのである。また国立屋内総合体育館では重量挙、スヌーカー、卓球、選手村内のショッピングセンターでフェンシング、選手村内草地で弓などを行なうことになったが、これらはそれぞれの競技場としてつくられたものではないので、遅まきながら各競技場の設備に本腰を入れることになった。

一、各種競技場のおもな設備概要

 第1会場(織田グランド)

 1.おもな競技種目
第一部、第二部開会式場、陸上競技の全般

 2.おもな設備
(1) 観客席(仮設スタンド)設置
(2) 大会旗掲揚ポール、参加国国旗掲揚ポールの設置
(3) 特別来賓席の設置
(4) 放送設備
(5) 装飾塔、観客案内板、立看板の設置
(6) 通信(電話)設備
(7) 照明設備
(8) 選手出入口のスロープ改造
(9) 衛生設備(トイレカー)の配置

 第2会場(国立屋内総合競技場)

 1.おもな競技種目
南口ロビー(卓球)原宿口ロビー(スヌーカー)渋谷口ロビー(重量挙げ)
この競技場は、屋内水泳競技場であるが、水温調節ができないので、水泳競技には使用できず、それ以外の競技に各ロビーを使用することになった。

 2.おもな設備
(1) 照明が暗いので補強
(2) 選手出入口のスロープ改造

 第3会場(同別館)

 1.おもな競技種目
第一部、第二部閉会式場、車イスバスケットボール

 2.おもな設備
(1) 選手出入口のスロープ改造
(2) 閉会式用にフロアに敷物を敷く

 第4会場(屋外練習用バスケットコート)

 1.おもな競技種目
車イスバスケットボール

 2.おもな設備 (1) 選手出入口のスロープ改造
(2) コートの周囲に柵をめぐらした
(3) 放送設備

 第5会場(明治神宮寄りの広場)

 1.おもな競技種目 洋弓(アーチャリー、ダーチャリー、盲人用円周走)

 2.おもな設備
(1) 会場の整地および穴埋め
(2) 車イスの安定を図るため鉄板を敷く
(3) 障害物の撤去(水銀灯その他)
(4) 放送設備
(5) テント張り(八張り)
(6) 衛生設備(トイレカーの配置および仮設便所柵)

 第6会場(東京都体育館水泳プール)

 1.おもな競技種目
水泳競技全般

 2.おもな設備
(1) 通信(電話)設備
(2) 選手の出入口スロープ改造
(3) 衛生設備(便器、尿器の準備)

 第7会場(ショッピングセンター1階)

 1.おもな競技種目
フェンシング

 2.おもな設備
(1) 螢光灯の移設

二、設備工事の諸問題

 1.工事期間の制約
第一会場(織田グランド)をはじめとして各会場は、オリンピック東京大会に使用されているので、オリンピックが終了して11月5日の閉村式終了後でなければ改装工事ができないという悪条件で、再三、組織委員会と折衝して、この問題の解決に努力した。

 2.観客収容設備(仮設スタンド)の設置
パラリンピック開催は、わが国ではじめてのことであり、また国内大会も、各都道府県指定都市の代表選手が参加する関係で、相当の観客や応援が殺到することが予想され、当初予定した1千名くらいの仮設スタンドではとうてい収容できそうもなく、厚生省では、8日と13日の開会式に限って整理券を発行し制限することにした。しかし、最少限度4千名くらいの収容設備は考慮しなければならないので、オリンピック戸田漕艇場で使った組立式仮設スタンド(長さ153メートル、巾5.6メートル、高さ3.7メートル、九段式、3千60人収容)の賃貸設置契約を結び、突貰作業で、開会式の前夜、ようやく完成することができた。なお3千60名のスタンドでは、観客席が不足するので、グランドの西側トラックを利用して、8日と13日の開会式には、臨時に長さ150メートル、巾7.6メートルに折たたみイス2千脚を配列した。このイスは、競技開始前に撤去した。

 3.参加国国旗、大会旗掲揚ポール設置
当初、東京広場に設置されているポールをそのまま使って、参加国国旗を掲揚する予定であったが、開会式の入場行進などを考えると支障があるので、組織委員会に依頼して東京広場にあるポール100本のうち28本だけ移設の許可を得た。ところが、選手村でも参加国国旗と各県旗を掲揚する必要があり、本数が不足するので、やむを得ず正面ゲートのポールの移設と基礎工事をすることになった。しかし、これについても工事期間がやはり問題で、7日の夜遅くようやく完成した。とくに問題になったのは、大会旗掲揚ポール3本のうち真中の1本は、オリンピックでも長いものを使用しているので、1メートルほど高いものを必要としたが、予算などを考えて、真中の1本をうまくつぎたし、どうやら間に合わせることができた。

 4.特別来賓席(ロイヤルボックス)の設置
皇太子殿下ご夫妻をはじめ、各宮さまが再三にわたっておいでになるので、設備、構造などについても十分に研究し、警視庁警衛課はもちろん各方面の意見をきいて、最終的には東宮御所の了承をえて工事に着手した。
(A)面積=横12メートル、縦6メートル、72平方メートル
(B)構造=屋根、テント張り、床板張り(ビニール敷き)周囲は木製の手すり、出入口は階段、式台の左右に階段、トラックの昇降用として左右に階段、皇太子、宮家の机、イス(テーブルクロスを含む)は、日本赤十字社から借用

 5.各競技場の階段をスロープに改造
各競技場への出入口用の階段は、車イスの通行が困難なので、全部で7ヵ所、スロープに改造し通行を可能にした。

 6.装飾塔などの設置
各ゲートならびに各競技場に、装飾塔8本、案内整理板5枚、立看板8枚を設置した。

 7.トイレカー(移動便所)の設置
東京都衛生局の協力を得て、オリンピックで使用済みのトイレカー(移動便所)を第1会場に1台、第5会場に1台を配置した。

 8.通信設備(電話器架設)
自衛隊支援群の協力を得て、各競技場と大会本部(コントロール・センター、スコアリング・センター)、各競技場間の連絡のため直通電話を架設した。

 9.その他
各競技場毎に、必要に応じ、種々細部にわたる諸設備を施し、また必要器具を配置した。

三、工事期間

 オリンピック組織委員会に、厚生省を通じ、再三折衝を重ねた結果、当初の予定11月6日よりも2日早い、11月4日から入村着工の許可を得た。もし最初の予定であったら、8日の開村式寸前まで設備に追われ、スムースには運ばなかったであろう。
設備工事および借用、購入物品(競技用具を除く)

第1会場(織田グランド)

仮設スタンド 1式 長さ153m、巾5.6m、高さ3.7m九段式
大会旗掲揚ポール 3本 13m1本、12m2本
参加国旗掲揚ポール 25本 12m
特別来賓席工事 1式 床板張、階段5ヵ所、照明装置螢光灯取付
放送設備 1式 アンプ1組、マイク7、スピーカー3
装飾塔 2本 選手入退場
電話 1式 外線2、自衛隊内線4
テント 3張 特別来賓席、用具置場、イス格納、湯沸場
スロープ 1組 巾2.5m、長10m
非常ハシゴ 2組 1m×20m
境界ロープ 3本 150m(トラック両側、スタンド前道路)
紅白幕 20m 特別来賓席
立看板 1枚
場内整理掲示板 10枚
プラカード 75枚 1部23枚、2部53枚
宣誓台 1台
表彰台 5台 1部1台、2部4台
式台 1台
六尺机 25脚
折たたみイス 2,300脚 来賓30、自衛隊50、係員200、一般観客2,000、その他20
携帯用マイク 3個
ごみ箱 3個 ポリ製
イス 6個 来賓
4個 来賓
プロパン 1組 コンロ含む
湯のみ 300個 一般
やかん 5個 一般
ジャー 2個 湯用1、水用1
テーブルかけ 20枚
風船 500個 閉会式
花火 40発
トイレカー 1台

第2会場(屋内総合競技場)

装飾塔 1本
六尺机 7脚
折たたみイス 50脚

南口ロビー

携帯マイク 1個
スロープ 1式 2m×6m
看板 1枚
電話 2本 内線
照明 1式 投光器
境界用ロープ 1式
茶道具 1式 やかん、茶わん、ジャー

原宿口ロビー

六尺机 1脚
折たたみイス 30脚
携帯マイク 1個
照明 1式 投光器
境界ロープ 1式
茶道具 1式 やかん、ゆのみ

渋谷口ロビー

六尺机 2脚
折たたみイス 30脚
看板 1枚
携帯マイク 1個
境界ロープ 1式
電話 2本 内線
茶道具 1式 やかん、ゆのみ、ジャー

第3会場(屋内総合競技場別館)

立看板 1枚
スロープ 1式 2m×4m
電話 2本 内線
六尺机 6脚
折たたみイス 20脚
茶道具 1式 やかん、ゆのみ、ジャー

第4会場(別館仮設コート)

六尺机 8脚
折たたみイス 20脚
スロープ 1式 1.5m×4m
テント 2張 役員、湯沸所
放送設備 1式 アンプ1、マイク2、スピーカー2
電話 2本 内線
ロープ 1式

第5会場(広場)

テント 8張 来賓1、係員3、選手3、湯沸場1
六尺机 8脚 テーブルかけを含む
折たたみイス 150脚
椅子 2脚 貴賓席
放送設備 1式 マイク2、アンプ1、スピーカー2
紅白幕 10m
たたみ 10枚
鉄板敷き 16枚 4尺×8尺
水銀灯取こわし 1式 終了後復原する
物干場取こわし 1式
穴埋 18所 整地
電話 2本 内線
境界ロープ 1式
プロパン 1式 コンロを含む
茶道具 1式 やかん、ゆのみ、ジャー
仮設便所柵 1式
トイレカー 1台

第6会場(都屋内プール)

スノコ 2枚
スロープ 2式
装飾塔 1式
看板 1式
表彰台 1台 二部
電話 2本 外線用
10脚
イス 112脚
靴カバー 70足
ゴムぞうり 30足
便器 2個
尿器 10個 男子5、女子5

第7会場(ショピングセンター)

六尺机 4脚
折たたみイス 30脚
看板 1枚
携帯マイク 1個
照明 1式 螢光灯の移動
電話 2本 内線
境界ロープ 1式
茶道具 1式 やかん、ゆのみ

競技実施本部

電話 4本
リヤカー 2台
竹製かご 5個
竹ほうき 100本
ちりとり 30個
くまで 50本
ポリばけつ 30個
ぞうきん 500枚
その他消耗品

競技用具

 オリンピック東京大会組織委員会では、主競技場としての織田フィールドをはじめ選手村、ショッピンセンターなどを貸してくれるとともに、トラック、フィールド競技用具の大部分、バスケットボール用具、フェンシング用具、重量挙用具、水泳用具などを、好意的に無償で貸してくれた。これら用具の貸借事務に直接当ってくれた同組織委員会競技部の緑川貞男氏の労には感謝しなければならない。国立競技場からはバスケットボールコートをはじめ、とくに競技場として使用すべきでないロビーを貸してくれて、バスケットボール用具、卓球用具などを貸してくれた。また、日本ではきわめて数の少ない競技用具スヌーカー台および付属用具を財団法人交詢社が貸してくれ、さらに服部時計店は競技用時計を数多く、しかも操作要員までつけて貸してくれたことに感謝すべきであろう。

競技プログラム

 第一部のプログラムについては、すでに昭和39年6月、グットマン博士一行が来日して、打合わせを行ない、まだ完成していなかった部分が多かったとはいえ、競技場の下見もすませていた。しかし、暫定プログラムはきまっていても、各競技種目に対する参加人数が全然わからず、大会がはじまってから新たに加わったものさえあるような状態で、実施プログラムの編成や実施には苦労した。とくに競技の組合せ、競技時間の設定ができず、出動役員の数も決定することができなかった。それにひきかえ、第二部の方は国内競技であるため計画も適切で、きわめて円滑にことが進んで、第一部のように競技遂行に外国人役員が加わって、かえってしぼしば運行が渋滞したのに比較し、実に順調に進行した。しかし、第一部の運行の困難も、日がたつにつれて、相互の理解、互譲によって言葉の不便も克服して、まずまず有終の美を収めることができた。これには、日赤語学奉仕団の人たちの労が多くあったことを知らなければならない。

競技役員

1.準備段階
パラリンピック運営委員会は、つとに競技実施にあたっては専門の知識、技能をもつ経験者の協力を得なければならないとし、東京都体育協会(会長出口林次郎氏)のあっせんで、東京都の各競技団体に協力方を依頼した。こうして別掲のような評議員、企画委員が決定し、競技の実施にあたることになった。しかも、これらの人々は、いずれも東京オリンピック大会の重要な役員であったため、同大会準傭のための劇務と重なり、きわめて苦しい立場にあったことは明りょうであった。それにも拘わらず、好意的に誠意をもってことにあたり、あるいは会員の会合に、あるいは競技団体別に、それぞれ数次にわたり協議、検討をつづけ、競技の実施計画、競技場の問題、用具、プログラムなどについて、あるいはストーク・マンデビル競技委員会当局と直接の話合に臨むなど、準備の完全をはかってくれた。

2.実施段階
準備段階で各競技団体代表者たちによって、可能な範囲で暫定プログラムの検討、競技規則の研究、競技場との関連における用具の調達についての示唆などがなされたが、最も重要な参加者の数がわからない。数次にわたって通知してくれるよう督促したが、ついにストーク・マンデビル委員会本部からは知らせてこなかった。そのため、いよいよ実施段階に入ろうとしているのに、競技時間の算定、準備する用具の数、出動する役員の割当てがつかずに困った。競技役員はすべてアマチュアスポーツ人であって、別に本務をもっている上に、オリンピックで既に長期間の勤務を欠いているのちなので、前もって出動をきめることが必要であった。ところが、前述のように予定がつかないので、多数の役員に少なからず迷惑をかける結果になった。
しかし、きわめて多忙な間にも、各競技団体役員は、熱心な奉仕の精神を発揮し、身障者特有の競技種目や身障者であるというために変更した競技方法の研究などにも心魂をかたむけ、いよいよ実施の段階に入っては、不十分な競技場、競技種目であったにも拘らず、順調に進行させることができた。さすがに東京オリンピックに活躍した人々であるという感を深くした。また審判助手をつとめてくれたボーイ・スカウトの諸君の協力も忘れることはできない。

準備段階における各関係競技団体役員

評議員

小口政雄 東京都体育協会副会長
伊藤滋朗 東京都体育協会副会長
村木武夫 東京都陸上競技協会長
林 一夫 東京都バスケットボール協会長
川上理三 東京都卓球連盟会長
小沼英治 東京アーチャリー協会副会長
松沢一鶴 東京都水泳協会長
矢沢善太郎 東京都フェンシング協会理事長

企画委員

渡辺政雄 東京都体育協会
渡辺弥太郎 東京都陸上競技協会
鈴木正三 東京都バスケットボール協会
矢尾板弘 東京卓球連盟
猪俣与一 東京アーチャリー協会
菊地 章 東京都水泳協会
伊藤知恭 東京フェンシング協会

実施段階における各関係競技団体役員

弓およびダーチャリー
千島基嗣、小林藤左衛門、猪俣与一、加藤寿一郎、馬淵徹、小沼英治、細井英彦、ほか計60名

バスケットボール
河田重、浅野延秋、野村瞳、三ツ木哲夫、妹尾堅吉、鈴木正三、ほか計85名

フェンシング
佐野雅之、矢沢善太郎、伊藤知恭、ほか計60名

トラック、フィールド
渋谷寿光、藤木勲、渡辺弥太郎、三柳将雄、永田安之輔、加藤慎蔵、木入喜八郎、はか計113名

重量挙
西川正一、野中義治、飯田勝康、船越征雄、浅野一昭、計5名

スヌーカー
斉藤憲蔵、厨川博孝、宮本知勇、計3名

卓球
川上理三、矢尾板弘、野村堯、望月常義、長沢義高、島崎林蔵、ほか計97名

水泳
勝村肇、菊地章、福山信義、荒木昭好、杉山明男、竹本克彦、木本彰、ほか計80名

競技記録について

 昭和39年6月来日したグットマン博土は、羽田空港の記者会見で、オリンピックとパラリンピックの違いについての質問に対し、こう答えている。

「オリンピックでは、最もすぐれた記録をもつものでなければ出られないが、パラリンピックでは、ほんとうに参加することを重視し、スポーツに対する、いわゆる初心者によって行なわれる種目を設定しているほどで、身体障害者のスポーツにおいても、よい記録はもとより貴く望ましいけれども、決してそれは競技の目的ではない。ここにもわれわれは身体障害者のスポーツの特質を強調したい。」

 選手が記録に対して挑戦することは、スポーツとして当然であり、重要なことであるが、とくに身体障害者のスポーツでは、常に厳重な医学的管理下に置いて行なうよう、考慮を怠ってはならない。
第ニ部では、大部分の競技を第1次予選、すなわち決勝競技として行なったのも、単にプログラム編成上、多数のものを短時間に行なわせなければならないばかりでなく、同一選手が重ねて競技に出場することによる過労を避けたい理由も重要視したからである。

サービス部会

送迎計画の大綱決定

 サービス部会は、財団法人鉄道弘済会が担当することになり、その業務の内容は

1.選手の輸送に関すること
2.選手の羽田空港における出迎え、見送りに関すること

であった。業務の大綱が以上のことであったので鉄道弘済会としては、部内の、再三再四の研究打合せの結果、運営方針として、国外選手団の羽田空港その他における送迎輸送計画については、その前程となる各国別到着、出国の予定、日時、人員、交通機関(たとえば旅客機か軍用機かまたは船舶利用者がどの程度あるかなど)の詳細が、39年1月にはまだ不明であったため、送迎計画の樹立は、羽田空港におけるその大綱にとどめ逐次情報の入り次第計画の修正追加をしてゆかなげればならない実情であった。運営方針の項目としてあげられるものは次のようなものである。

 1.国外選手について
(1) 輸送期間、(2) 輸送区間、(3) 輸送方法、(4) 入出国者確認

 

 2.国内選手について
(1) 輸送期間、(2) 輸送区間、(3) 輸送方法

 3.従事員について

 4.その他

以上の項目について部内の検討と研究をつづげたが、主となる外国選手の入国日時や人員が不明のままなので、少なからず悩まされた。

羽田関係機関と協定

 昭和39年1月17日、東京都庁でパラリンピック企画委員会が開催され、サービス部会からは、のちに送迎部会事務局長になった石田氏ほか2名が出席した。2月27日には部会内スポーツ大会打合せ、3月18日同じく打合会をひらき、大会委員会事務局長氏家氏を招き話を聞いたが、氏はすでに前回ストーク・マンデビル競技に参列しているので非常に有意義であった。さらに5月8日参加外国選手の送迎について現地羽田空港で関係機関すなわち税関、検疫所、入国管理事務所、羽田保安事務所、空港警察、空港ビル会社、その他各航空会社などとの打合会を催した。つづいて5月21日、人員輸送関係について、防衛庁会議室で輸送の打合せをするとともに、その結果に基いて羽田空港での現地打合せを行ない、さらに7月24日には羽田空港に赴き現地関係機関と打合せ、選手団の入国および出国に際しての法規のゆるす最大限の便宜供与を強く要請した。7月27日企画委員会における打合せ事項の進行状況について、部内各員への徹底を図るため関係役員を招集して対策の検討を重ね、8月17日には羽田空港の現地打合せの結果、次のような協定を行なった。

羽田における関係機関との協議決定事項

一、選手団の入出国について

 1.選手の乗降(飛行機)
(1) リフトを使用
(2) 乗降補助業務はAGS等の業者扱にする。(必要により自衛隊の補助)

 2.入出国手続(役員は原則として代理申請をしない。ただし、選手の介護役員は選手の扱いに準ずる。
(1) 検疫 係官に前もって名簿を提出し代表者が関係書類の代理申請をする。
(2) 出入国管理 (1)と同じ
(3) 税関

イ、選手および介護員は機側から特殊バスに乗車
ロ、選手団の荷物は代理者による代理通関を認める
ハ、代理申請手統は一定箇所を指定する
ニ、外国選手の荷物については内容証明書を提出
ホ、荷物にはすべてラベルを添付する、別送品の場合は別送品の書面申告する

 3.輸送方法
(1) 選手のリフト付バス乗降は各ゲートの近く
(2) 役員のバス乗車および入国荷物の積込は入国ロビー前

二、その他(係員について)空港内の出入者数は必要最少限度とし、腕章をつける

 9月9日には企画委員会に引きつづき、はじめて選手村を視察、10月6日、26日は羽田空港の最終的打合せなど、活発な準備活動が展開されていった。

入出国の準備ととのう

 これと前後して、外国選手および付添に対してパラリンピックタッグのとりつけ方と特別税関申告、その他注意事項の発送について準備した。すなわち、オリンピック事務局輸送部に物品の取扱方について種々照会を重ね、また羽田空港の税関関係者との打合せと併行して、大蔵省関税局に要請をした結果、滞在中の使用品の種類・数量について、最大限の免税取扱が行なわれることになった。そして早速、外国参加国に対し必要量のタッグ発送を終った。選手および付添者あてには、パラリンピックタッグのとりつけ方、特別税関申告その他注意事項を併せて同封し、入出国にいささかも支障のないよう細心の配慮をした。
また、400名近い下半身マヒの車椅子使用選手を、いかにして飛行機からゲートに降ろし、代々木の選手村まで運搬するかは、大きな問題であった。これは、いろいろ考慮された結果、リフト付特殊バス9台を、パラリンピックのため新造することになった。超大型バスの後尾が必要に応じて開閉し、特殊な装置で外部にとびだした鉄板が随時上下し、選手を車椅子に乗せたまま地上からこの台に移行し、バスの床と同じ高さまでリフトでひきあげ、そのまま車ごとバスの中に入れ、選手17または12名、付添4、5名を固定して移送するしくみである。これは、諸外国にも、きわめて数少い特殊バスで、このバス9台が飛行場のゲートから選手村、あるいは都内観光、箱根観光に重要な役割を果たした。また航空機の高い出入口からの昇降については、各航空会社と折衝の結果ハイリフトを使用し自衛隊員の介助を得て、ゲートに待期の特殊バスに導入する方法が、主としてとられた。しかし、検疫、税関、入国管理その他の諸手続きについては、各国の代表が選手分と付添分を一括代理審査を受け、極力便宜供与が図られたわけである。

送迎本部を編成

 これら一連の送迎輸送計画を推進する鉄道弘済会では、万全の準備活動を終わり、送迎実施期問の切迫とともに、次のような組織を完了した。
すなわち、長尾理事を送迎本部長に、松本身障部長を副本部長、石田身障部次長を本部事務局長とし、この下に総務、送迎、介助、輸送、配車、国内選手の6班を編成、身障部、福祉部、関東地方福祉所および本部各部の要員の応援を得て本部長以下60名の陣容の編成を完了し、それぞれ送迎の実務にあたった。
これに併行して、弘済会の要請に応じて空港における選手団の乗降、輸送の介助、また荷物輸送の介助のため自衛隊百余名が出動し、活発な活動を開始した。また、日本赤十字社が救護班を編成し、救急車に医師1、看護会婦3、職員3を乗り込ませ、各飛行機の発着ごとに待機することにした。(しかし、幸いなんらの負傷も病気もなく、待機だけに終った。)また、輸送途上では必ず警視庁のパトカーが前後を警備し、不測の事態に備え、交通通規制その他に対処する支援態勢を完了した。つづいて11月4日、パラリンピック送迎本部を羽田空港に移行した。予定では、11月5日、最初に到着する筈であったアルゼンチンの第1班とイタリアが、11月4日に到着することになり、選手村の受入れ態勢も整わず、関係者は、宿泊その他に非常な苦労をした。そして、5、6日には、外国選手到着の飛行便も決定したが、日本の鉄道の正確な時刻表のようにはゆかず、いつ着くか分らない飛行機の到着を待って、部会の従事員は夜を徹しての輸送に大きな苦労をなめさせられながらも国際スポーツ大会の完遂を願い、一丸となっての奉仕活動を行なった。

送迎本部編成表

送迎本部長 長尾理事
送迎副本部長 松本身障部長

事務局長 石田次長
事務次長 吉原調査役
事務    中島係長、小坂職員、井上職員

  • 救護班
  • 報道班
  • 通訳班
  • 自衛隊輸送支援隊
  • 配車班
    • 運行係・燃料係・整備係
  • 輸送班
    • 特殊バス係・普通バス係・トラック係
  • 介助班
    • 介助係
      • 村関係・空港関係

    • 荷物係
      • 村関係・空港関係

  • 送迎班
    • 受付係
      • 村関係・空港関係

    • 空港機関係
      • 検疫・税関・出入国管理・連絡

  • 総務班
    • 庶務係
    • 渉外連絡係
    • 経理係
  • 国内選手班
    • 国内輸送係
      • 東京駅関係
      • 上野駅関係

    • 国内大会
      • 国鉄・会関係
      • 出場選手係

選手団続々到着

 いよいよ11月4日、第1陣アルゼンチン第1班の日航ジェット機18時35分到着を皮切りとして、同20時30分にはイタリア一行49名、つづいて翌5日は、日本大分県選手団13名が全日空で到着、19時30分には、オランダ航空の特別チャーター機によるグットマン会長引卒のイギリス、イスラエル、オランダ、アイルランドの117名、同じく21時30分にはアルゼンチン第2班が到着、6日は13時30分にカンタス274便によるオーストラリア、セイロン、フイジー、18時BOAC機によるアメリカ89名、18時45分エアー・フランスのチャーター機によるオーストリア、ドイツ、フランス、ベルギー、スイス、スェーデン、イギリス第2班、計120名、さらに別便ではローデシア、南アフリカが到着、7日には、ヒリッピン、アルゼンチン第3班、最後に10日18時ルフトハンザー機で西独第ニ部選手が到着した。
これら、陸続として入国する各国選手団の巨大なジェット機が、異常な爆音とともにゲートに到着すると、待ちかまえた要員が、直ちに、機体の下、ハイリフト、タラップにかけつけ、そして人の受付、選手の介助、荷物の整理介助、さらに検疫、入国管理、税関の手続き協力など、各部所ごとの懸命の歓迎事務が進められた。その間選手団一行は元気はつらつとして、日本到着の喜びを現わしていた。こうして手厚く迎えられた一行はリフト付バス、付添は一般バスに乗車、荷物はトラックに積まれ、それぞれ宿舎に向った。こうして、入国時の送迎輸送は、各班の表面に出ない苦労はあったけれども、おおむね無事に行なわれたが、帰国のスケジュールが未定のため、帰路歓送計画がなかなかきまらなかった。すなわち、都内および箱根の観光などのため、各国選手団の帰国希望が直前まで予定されず、関係者は、それぞれ各国のチームリーダーに直接聞いて歩かねばならぬという苦労を重ねた。出国は、11月14日から18日まで、おおむね、入国のときと同じことがくりかえされ、最後は18日エアーフランスのチャーター機によるグットマン会長以下8ヵ国の一行であった。その際一行の感想として、異口同音に、日本の好意と手厚いもてなしに心から感謝し、別れを惜しみながら機上の人となった。国境をこえたあたたかいたましいのふれあい、まさに、飛行場を圧する螢の光の大合唱こそ、この感激を最高調に具現したものといえよう。

研究視察部会

選手輸送の問題

1.業務

 研究視察部会の担当は、財団法人厚生団がこれにあたることになった。研究視察部会のおもな業務は、この大会に参加した各国の選手、役員に、わが国の身体障害者関係諸施設を紹介し、併せて観光視察旅行を行なうことであった。

2.実施上の問題

 身体障害者の療養、訓練、施設の紹介については、具体的に、各施設の内容掌握をどの程度にするかということで、進行上困惑を生ずることはなかったが、都内および箱根視察観光旅行については、健康者とはまったく異なる下半身マヒのため自分の行動を車椅子にたくしている人々を対象に行なうということから、実施計画立案には次の問題を解決する必要があった。

 (1) 選手のバス乗降のほか、遠距離旅行のため、車内の用便、食事、休息をどうするか。
(2) 都内、箱根旅行ともに交通量のはげしい折、十数台と予想されるバスをいかに所定時間内に走らせるか。

 (1)の選手のバス乗降について考えられたことは、普通のバスを使用した場合、介添を配置し、選手を車椅子から抱き上げて乗車させ、同様の方法で降車させなければならず、外人の大きなからだを考えるとき、介添人の配置数、バス出入口の大きさ、そして車椅子の処置などから、とうてい普通バスでは実施不可能だというくらい見通しになるので、選手全員を収容し得ないまでも大多数を収容できるよう、車椅子のまま乗降できる特殊バスの製作と、介添人として自衛隊の支援を得ることにした。(2)のバスの走行については、参加選手の予想数からみて、バスが相当の台数になると見込まれるので都内、都外を問わず交通事情が非常に混雑している実情からして、目的地を観光し、予定時間内に走行するには、道路の選定、パトカーの援助を得る必要があったので、警視庁の支援を得ることにした。なお、用便については関係者が十分注意して乗車するよう連絡し、車中の食事や休憩はしないかわり、ノンストップで早く目的地に到着するよう、措置をとることにした。

研究視察部会組織

部会長
副部会長

  • 受付班…観光申込カードの作成、配布、受付の業務
  • 車輛班…選手役員等用のバス、車椅子移送用トラック等の配車業務
  • 乗員班…受付、バス同乗の通訳の配置の業務
  • 乗降班…選手の乗降車に関し自衛隊支援との連絡および補助者配置の業務
  • 食糧班…箱根観光当日の昼食関係の業務
  • 資料班…身障者の療養施設の紹介書の作成配付の業務

3.計画および準備経過

(1) 班の編成
視察観光案内の作成、バスの配車計画、その他種々の計画準備のため、次のように班の編成を行ない、各班には班長を置き、毎週木曜日定例的に班長会議を開催し準備の進行状況の報告と調整を行なった。

(2) 都内、箱根視察観光コースの決定
都内および箱根視察観光コースの決定にあたっては、どちらも試走を行ない、一応観光コースの原案を作成し、警視庁、神奈川県警および特に支援を受ける自衛隊に協議したところ、警視庁では特にパトカーで試走を行ない、交通量が比較的少ない道路の選定とこまかい指示を与えてくれた、また白衛隊でも同様、実施上の要点とみられる新宿御苑の観菊、箱根観光の際の昼食場所である箱根園について実地調査を行なった結果、新宿御苑の大木戸横にバスを駐車した場合、この場所から車椅子で日本庭園まで行くには相当の距離があり、しかも、路上に敷きつめられた玉砂利のため、選手1名毎に介添を配置する必要があるとみられるが、介添数にも限度があり、駐車場での選手の乗降も考えるとき、予定の時間で観賞を終わり定刻に出発することは不可能である。もし予定どおり実施しようとすれば、バスの乗入れが可能である御苑内の日本庭園に近い中央休憩所近くまで乗入れる必要があるという示唆があった。そこで、再三御苑管理事務所に行ってこの旨を説明、懇請した結果、中央休憩所横までのバス乗入れの了諾を得た。
これらの注意事項を集約し、さらに都内視察観光の場合は大会参加選手、役員数からみて1回の実施ではバスも相当多い台数を使用することになるので午前、午後の2回に分けて実施する方がよいということになり、都内は、午前午後の2回に実施することにし、次のように視察観光コースと時間を決定した。

(イ)都内視察観光コース
原宿口(9.00発)~神宮橋左~補24号線~明治通り左~新宿4丁目(旭町)右~大木戸門(9.30着)大木戸右(11.00発)~四谷見附~半蔵門左~九段上~九段境内に入る(11.15)~九段PB前左~九段上右~三番町左~代官町~竹橋右~大手門前~皇居前通(11.30)~祝田橋右~国会正門前(12.00)~首相官邸前右~参院通用門前左~永田小学校左~見附陸橋~青山一丁目~青山口右~外苑~国立競技場千駄谷門前~千駄谷4~北参道~西参道~正面ゲート(12.30着)
注:(   )内は午前実施時間

(ロ)箱根視察観光コース
集合(7.30)~出発(8.30)原宿ゲート口より~山手通~大橋立体交叉~玉川通~上馬~環状7号線~第2京浜国道~横浜バイパス~江の島遊歩道路~平塚~小田原~箱根新道~箱根園(12.30着~14.00発)~湖尻~芦の湖スカイライン~箱根新道~小田原~平塚~大磯~茅ケ崎~横浜バイパス~玉川通~立体交叉~山手通~選手村原宿ゲート(18.30)

(3) 視察観光案内、申込カードの作成

 都内、箱根視察観光案内については、観光地、コース時間および申込方法などの注意事項を記載した次のような案内書を作った。

視察観光の御案内

1964年国際身体障害者スポーツ大会御参加のため遙々御来日下されましたことを心から歓迎申し上げます。さて、本大会終了後の11月13日及び14日別紙のとおり観光を実施致しますので是非御参加下さいますよう御案内申し上げます。(以下略)
1964年国際身体障害者スポーツ大会御参加のため遙々御来日下されましたことを心から歓迎申し上げます。さて、本大会終了後の11月13日及び14日別紙のとおり観を実施致しますので是非御参加下さいますよう御案内申し上げます。(以下略)

 また、視察観光参加申込カードは、都内と箱根に分けてつくり、希望者をつのった。
この案内書、申込カードの訳語は英語によることにしたが、この配付方法については、選手個々に配付すべきだという説と参加国別に一括して役員に配付すべきであるという説の両論に分れたが、すべて英語を使用してある点と、のちの連絡などの関係を考慮し役員に一括配付することにした。

(4) 視察観光バスの配車
都内観光バスの配車は2回に分け、大会参加選手数378名、役員、付添189名の半数を収容し得るようリフト付特殊バス17人乗り4台、12人乗り5台、24人乗り普通バス5台を配車することにした。また箱根観光は全員を収容するだけの配車が必要なので、リフト付特殊バス24人乗8台を配車することにしたが、これだけでは収容しきれないため藤田観光に依頼して外人専用バス6台(40人乗)を加えることにした。藤田観光では、この6台分のバス代半額と箱根の有料道路通行料金(通過した台数全部)を寄付してくれた。
普通バスに乗った選手の車椅子移送用トラックは、自衛隊に依頼して都内観光時各2台、箱根観光時4台を配車することにした。箱根観光当日は、特に病人発生にそなえ、日本赤十字社に救護車2台の派遣を依頼した。

(5) 通訳および補助員の配置
通訳はすべて日赤に依頼し、観光案内、申込受付、身障者の療養訓練施設紹介の窓口に英、独、仏各1名を配置することにした。また観光には1台に通訳2名ずつとし、都内27名、箱根28名(英、独、仏、伊、ス)を配置することにした。そしてこの人達の補助者として、当部会から1名ずつ各車に同乗することにしたが、人員が10名ほど足りないため厚生年金会館に依頼しその職員を配置した。

(6) 介添人の配置および車椅子の処理
自衛隊員の介添は、リフト付特殊バスのほかに普通バスを使用するので、相当人数を配置しなければ、予定時間内に終らないのではないかという疑問があったので、支援隊本部で、具体的に乗降車の実地訓練を見、協議し、両日とも60名の隊員を配置することにした。特に、普通バスに乗車する選手の車椅子がいつでも各人毎に判別出来るような処理方法をとる必要があるということから、走車順位番号別に一連の番号を記入し、一方を本人に、一方を車椅子に取りつける方法を用いることにした。

(7) 箱根観光当日の昼食
目的地箱根にはちょうど昼ころに到着するので、箱根のどこかで昼食をとることになったが、このことについては神奈川県庁に依頼し、場所、食事の手配をして貰ったところ、箱根園で指定の食事を提供すること、また、記念品として竹細工の灰皿、ライター1組を贈呈したいとの好意ある連絡があった。場所は富士山を正面に眺めることが出来るまことに恵まれたところで、食事は各国選手だれでも食べられるようにポタージュ、サンドウイッチ、牛乳、コーヒー、果物を出すことにした。

(8) 身体障害者療養訓練施設の選定および紹介書の作成
療養訓練施設の選定にあたっては、東京近辺に所在し、きわめて近代的経営を行なっている次の施設を紹介することにした。

(イ) 国立身体障害センター
(ロ) 神奈川県身体障害センター
(ハ) 国立箱根背髄療養所
(ニ) 整肢療護園
(ホ) 東京視力障害センター
(ヘ) 国立聴力言語障害センター
(ト)  関東労災病院
(チ) 東京身体障害者職業訓練所

 これらの各施設からは資料の提出を求め、その規模、設備、患者収容数など、こまかい点まで知らせる紹介書をつくり、日赤にほんやくを依頼し、各施設毎に300部ずつ印刷することにした。

4.実施

 準備段階も一段落ついた大会開催の2日前、先発隊として、都内および箱根視察観光案内申込受付担当班と、身体障害者の療養訓練施設紹介担当班が選手村に入り、インターナショナルクラブの一隅に業務を開始し、翌々日各担当班全員も入村、それぞれの業務を開始した。視察観光申込受付は実施日の2日前に締切り、翌日正午までに参加希望者を国別に乗車バスの決定をし、乗車バスの番号を本人手渡しのカードに記入して午後配付した。この都内観光の際、午前と午後の変更、乗車バスの変更等相当数あったが、23カ国の人を相手の仕事で、締切後の変更には種々混乱を生ずるので、当初はこれを受付けない方針であったが、国際親善の趣旨から、申し出を受けることにし、だいたい希望どおり処理した。
都内視察観光当日は午前、午後ともに出発1時間前ころから集まってくる選手を自衛隊の介添により乗車させ、警視庁の指導の下に編成したバス4台を1組とし、警視庁第1交機隊の白バイに前後を守られ、4梯団が予定の時刻に出発し、新宿御苑内を十分に観賞して予定時刻に帰村した。
箱根視察観光は、観光当日の夕にアメリカ選手が帰国するため、予定時刻には必らず帰村しなければならなかったので、いささか心配させられたが、当日の出発時間を30分繰上げ出発することにした。当日も同様、バスを4梯団に編成し、警視庁第2交機隊の白バイに前後を守られて出発、多摩川大橋前から神奈川県警の白バイに守られて箱根に直行し、昼食の後帰途につき、同様に白バイの先導により予定時刻に全員帰村した。
都内、箱根視察観光は両日ともに幸い晴天に恵まれ、日本特有の庭園と咲きほこる菊の香にこもごも嘆声を上げ、また、富士の雄姿に感嘆の声を発し、子供のようにたわむれていたことは、遠い日本という国がよい思い出として各人に残ったであろうと推察される。当視察観光旅行が、大禍なく遂行出来たことは関係者各位の惜みない協力の賜であると深く感謝している。

選手強化対策部会

 選手強化対策部会は、全国社会福祉協議会が担当し、主に参考資料の作成に重点をおいて活動をおこなった。資料は、先進国における身障スポーツの歴史を解説して日本の立おくれを指摘し、身障スポーツのあるべき姿や協力者の組織化を必要とする現状、その機能についての効果などを内容にしたB6判92頁のパンフレットを5000部作成した。
この資料を都道府県庁、全国(郡市町村を合む)の社協関係者、主要報道機関に提供したほか、大会当日の来賓、関係者用資料として活用した。そのほか、国内運営委員会の決定事項や情況などを都道府県社協に流して体制の強化につとめた。

通訳部会

結団式まで

 東京パラリンピックの通訳部会は、日本赤十字社の青少年課が担当することになった。昭和38年11月24日の午後、運営委員会の会合に招かれて、東京大会の通訳部門を依頼されたときには、赤十字の青少年課こそ、この大任を果すことができるのだという自負と、責任の重大さを痛感した。これを引きうけるのには、相当の勇気が必要であった。22カ国から来る、日本語をしゃべれない人たちを相手に、その要求や意志の疏通をはかり、世界が注目している国際大会をスムースに運営する縁の下の力もちになって、立派に任務を果さなければならないのである。それにはまず、相当の人員を確保しなければならない。そして配置と訓練も必要である。
最初、語学奉仕のグループは、日赤で青少年赤十字のアルバムをほんやくしていた6人の学生でスタートした。6人はそれぞれ10人ずつの仲間を獲得する使命が与えられ、2ヵ月もたたない昭和39年1月7日、9つの大学から参加した60名の若人を集めて、「日本赤十字社パラリンピック語学奉仕団」の結成をかねた第1回総会をひらいた。参加校は青山学院、成蹊、明治、早稲田、慶応(医)、東京外語、日本女子、共立薬科、日大の学生で、委員長は福田浩顕君(成蹊4年生)副委員長は常見喜一君(明大3年生)がきまり、ここで問題になったのは、団員を訓練する場所をどこに求めるかということと、インストラクターをどうして得るかということであった。さいわい、訓練の場所は池袋、高井戸、荻窪、渋谷A、渋谷B、青山、横浜に住む団員の家庭を開放して貰うことになり、この7つのグループに分かれて、毎週1回2時間の英会話練習が行なわれた。インストラクターには、手あたり次第、そばを通過する英語のしゃべれる人を掴えて、各グループに配置した。はじめの4ヵ月は、ほんとうに苦労した。このとき救けてくれたインストラクターには心から感謝をささげたい。
訓練内容は、各グループで発案、工夫することになっていたが、その主流となるものはパラリンピックの対象となる脊髄損傷者リハビリテーションに関する問題を中心に、身障者に対する知識、パラリンピックの競技に関する知識、日本に関する知識などを英語で討議、研究した。そして4月18日には、午後1時30分から本社講堂で、パラリンピック通訳奉仕団結成式を、日本赤十字社名誉副総裁の皇太子妃殿下をお迎えして行なった。会場には通訳奉仕団、赤十字国際委員会、アメリカ赤十字社極東本部、厚生省、国際身体障害者スポーツ大会運営委員会関係者のほか、青少年赤十字団員、青年奉仕団員など約300名が出席した。式は高木社会部長の経過報告会ではじまり、島津社長のあいさつにつづいて語学奉仕団章が団員代表に手渡された。そのあと、皇太子妃殿下から次のようなおことばがあった。

「今年の11月、東京オリンピックに引つづいて、身体障害者のオリンピック、パラリンピックが、日本で開かれることになり、多数の外国の方々をお迎えすることになりました。この方々の通訳のため、日本赤十字社の若い方々が中心となって、今回、通訳奉仕団を結成されることになりましたことは、まことに意義深い、よい企てと喜こんでおります。今日集まられた皆様方が、すでに果された学業に加えて、さらに毎週1回、外国訳通の方々を招いて、勉強をつづけていられますことをうかがい、きたる日にあげられる成果に、私共は大きな期待をかけております。各国から参加される選手は、いずれも身体の不自由な方々でありますので、言葉の上での奉仕とともに、どうぞ終始赤十字の暖かい行きとどいた心で接してあげて下さい。そして、参加される多くの方々が、自分たちのうちにひそむ、新たな可能性に喜びを持たれ、明るい希望を未来に託される上に、この大会が、何かの役割を果せますよう、運営に携わるすべての方々が結集されることを望んでおります。まだ開催までに、数ヵ月が残されております。その期間の皆様の努力が、美しい実を結び、東京パラリンピックが若い工夫と、暖かい心のゆきわたった大会になりますよう祈っております。」

 ついで厚生大臣、大会運営委員会会長のあいさつがあり、語学奉仕団福田委員長の宣誓が行なわれ同50分閉会した。ひきつづき英語によるパネル・ディスカッションに移り、午後4時から妃殿下を囲んでパーテーがひらかれた。
この結成式が報道されると、アメリカ赤十字社から反響があって、多くのインストラクターの申し込みが殺到し、うれしい悲鳴をあげた。これらのインストラクターたちは横田、立川、成増などの基地から長い道のりをガソリン自弁で自動車を運転し、8つの訓練所(あとから1ヵ所ふえた)を訪間、団員の指導にあたってくれた。また、学生たちを自分の家へ招待して外国的ふんい気の中で、語学の向上をはかってくれた。5月31日には国立箱根療養所を見学して、はじめて身障者と接し、フェンシング、水泳、洋弓などの練習をみた。さらに6月7日と14日には東京視力障害センターの見学によって身障者の厳しい訓練と、それにたえる精神力に感激、自分たちも努力しなければならないと思った。
7月13日から16日まで、神奈川県相模湖のユース・ホステルを借りきって、60名の学生と20名のアメリカ人を加えた夏期強化訓練の合宿を行なった。この合宿の目的は、ボランティア精神を養うことと、身障者に対する広はんな知識を、英語をとおして学ぶことにあった。主な訓練内容は「話し方」「議事法」「赤十字の一般的知識」「ジュネーブ条約」「身障者の心理とわれわれの態度」「身障者の器具の実際の勉強」「ボランティアとは」など盛りだくさんの研修と医学用語集、スポーツ用語集の作成であった。

メンバーを配置

 このころになると、気づかわれていた団員の数もふえる一方で、ついには、希望者を整理するための試験制度を設け、ちょうど、北朝鮮帰還問題で、日本赤十字社に派遣されている赤十字国際委員会の代表に、試験的にインタビューをして貰ってきめるようにさえなった。こうして団員は女子69名、男子50名の学生、計119名と、会社員23名、家庭婦人14名、合せて156名になった。
8月から9月にかけて、救急法の修得や用語集の暗記につとめ、10月18日には第2回総会をひらいた。午後1時から運営委員会の氏家事務局長をはじめ出席の各部会代表者から説明をきき、語学奉仕団メンバーの各部会配置を決定、それぞれ必要な訓練を行なった。たとえば選手村関係は、選手村地図の暗記、任務の把握、参加選手の人員配置などをおぼえる。受付関係は入村、退村の手続、方法を習得し、競技に対する研究を行なって、どんな質問、どんな注文にも応じられるようにしておく。ホスト・ホステスは運営委員会、競技関係などについて知っておくようにする。そして、次のように、しごとの種類によってメンバーをふりあてた。

仕事の種類

選手村本部
語学奉仕団を統轄。他の部会の連絡、注意を団員に伝達。団員の配置と変更。依頼された書類のほん訳。ストック用通訳の配置。宿直(配車奉仕の統轄)

案内係
選手村内、競技関係の案内。内、外部の各種問合わせの応答

受付係
選手村入村、退村手統き。面会者の問い合わせおよび手続き

クラブ
案内。催し物のアナウンス。選手団間の通訳

守衛
道案内。村内問い合わせ

食堂
食事に関する質問、注文のとりつぎ

ホスト、ホステス
選手団長につき、村内および競技関係の伝達事項を連絡。専務手続きの手伝い。各種公用事務。その他手伝い(原則として私用は引きうけない。)

コントロール・センター
各種競技関係のコンプレインの調整。競技運営に関すること

セクレタリアット
グットマン博士のセクレタリー、スクルートン女史の下に書記事務

スコアリング・センター
競技のスコアーを受信、整理

場内アナウンサー
6競技場における各種アナウンス。表彰式アナウンス。

式典
表彰式。開、閉式

診療所
診療関係

観光ガイド
2日間のガイド

観光受付、連絡
観光旅行申込み受付事務。観光旅行中の連絡

羽田の送迎
税関手続。選手村への輸送。自衛隊の輸送手助け

その他
各団長会議の通訳。臨時の公式通訳

語学奉仕団メンバー(アルファベット順)

英語

(男子)阿部徹、期倉正、秋山健一、江幡広太郎、古田淳一郎、福田豊紀、舟久保昭雄、藤田浩二、郡司強三、原野安伸、南風原英允、池田哲、飯田十秋、板野昌夫、木村建一、黒田清彦、蔵本博行、栗原照幸、森井克比古、麦倉正勝、三友宏、丸山一郎、宮脇弘幸、松崎松平、名牛孝之、西川浩一郎、仁杉知正、太田純、大滝茂、関島輝和、曾世田勲、沢野泰裕、境野功、佐々木一喜、外山雅章、斉藤正広、竜村豊、高野始、常見喜一、常見修二、山田史、葉■祐、(女子)阿部千草、荒蒔靖子、尾藤郁代、千葉陽子、千葉昌美、江沢玲子、枝文子、江中由紀、長谷美代子、広瀬彬子、萩谷寿子、服部保子、逸見素子、石田敏子、石川万里子、井上睦子、井上和子、生駒柞子、石沢よし子、鴻野修子、川瀬聡子、久保井智子、熊谷郁子、京免綾子、金子由美、加藤真子、河合南都子、北村美代子、清重和子、松原安子、松村真規子、門奈逸代、森隆子、夏目洋子、中村順子、長山倫子、太田勝子、大戸紗栄子、小山浄子、大橋純子、大内文子、柴田佐登子、佐藤登美子、志田敬子、斉藤明子、斉藤雅子、斉藤佑子、佐藤文江、島田節子、宍戸万起子、志村彩子、高岡沙代子、高木玲子、高間和子、田中園江、土橋敏子、辻道子、塚本京子、富田京子、豊田郁子、多田秀子、上原素子、請日出子、湯沢恵子、山形友紀恵、吉川静美、山田百合子、山中章子、山崎怜子、山崎良子、柳原陽子、吉野貴美子

フランス語

浅川元之、江口法子、堀川昤子、磯崎和江、笠原恵子、三浦千栄子、永山征矢、野田国子、大田美那子、大木正子、大村百合子、管原伊津、塩谷佳代子、塩崎栄子、富岡道子

ドイツ語

天羽邦子、萩谷敦、星野達夫、堀部英代、小島千鶴子、中山和子、北村治子、馬越康恭、内藤倫子、中山行彦、大森和子、坂田史男、関口素子、関口英臣、横山雅夫

イタリア語

雨夜盈、原田和夫、鈴木裕次

スペイン語

和泉圭亮、金井重秀、峰松好雄、谷正喜

英独語

エルザ・カザール 英仏語 リン・ベリル

広報部会

準備期間の活動

 広報部会は、中央共同募金会と全国社会福祉協議会の広報部がその主力になり、新聞、放送、出版関係などマスコミ機関をはじめ全国主要商社の社内報、自治体広報紙、各種団体機関紙などに対するパブリシティと写真や映画などの記録作成を担当した。
とくにこの大会を通じて、身障者問題に対する世の理解、関心を高めるとともに、社会復帰のための施策促進についての世論喚起をはかることに主眼をおき、準備期問中は専らムードづくりに、また、期間中は報道機関の取材協力につとめた。
事業は各部会に先がけて昭和38年1月から開始し、規定の文字やマークの制定、東京大会旗の作成に引きつづき、ポスターやリーフレットなどPRの媒体づくりからはじめた。製作はすべて二科会所属の高橋春人氏に依頼し、ポスターは別掲(口絵)のような図柄によるB判全紙大カラー8色刷のもの1万5千枚、B判半切大グラビア5色刷のもの3万枚の2種類を、また、リーフレットは、大会の意義や競技の概要を解説した国内版20万枚と海外版5千枚をそれぞれ作成し、全国の関係方面に配布した。
報道機関への働きかけについては、厚生省広報室の協力を得て、同省記者クラブを窓口にして態勢をかためるとともに、8月上旬には全国各新聞社の社会、論説、学芸、婦人など各関係部門に、また、テレビ、ラジオなど放送関係の編成部門に対して広報資料(ポスター、リーフレット、規定マーク、パブリシテイ用パンフレットなど)を直送して事前に理解を深めた。
準備態勢がすすむにつれて、これら機関との連絡を一段と緊密化するため、厚生省記者クラブとの定期的な連絡会をひらくとともに、取材活動の便宜をはかるため”プレスガイドブック”を作成して各社(局)に配布した。さらにカメラ関係の取材については、東京新聞通信放送、写真記者会、日本ニュース映画協会、民放報道協議会、日本外人記者協会などの代表者による現地打合せを2回にわたってひらき当日の混乱をふせぐための取材協定をおこなった。
出版関係は、日本雑誌協会と児童雑誌編集者会の協力を得て、それぞれの加盟各社(78社)を対象に、また、全国主要商社(420社)の社内報、全国各市(630市)の広報紙、労組、婦人、青年団体、関係中央団体をはじめ、教育、文化団体機関紙(320社)各業界紙(80社)などの編集部門に対して、資料(報道機関むけと同じもの)の提供をおこない、記事掲載を依頼した。
幸い報道機関の好意的な協力もあって、各社(局)の扱いも日ましに活発になり、パラリンピックに対する特集記事や番組が競ってとりあげられるようになったため予期以上の反響をよんで、ムードは次第に盛りあげられていった。
一方、開催時期の切迫にともなって、運営委員会内部のコミュニケーションの強化が必要になり、8月20日から参加各国の情報や、とくに各部会の活動状況を中心にした国内委員会の動きを特集した機関紙を旬刊で発行し、関係官庁、団体、運営委員、各部会に配布した。

実施期間の活動

 実施期間中の広報態勢は、部長を本部長とし、本部要員と各競技場配置要員など36名で任務に当った。本部には、部長はじめ報道係、庶務、通訳、連絡員をおいて全般的な連絡調整や報道機関への発表事項を、また、各競技場にそれぞれ4名(責任者、連絡員、撮影)を配置し、競技部会の広報担当者と緊密な連絡をとりながら取材の協力に当った。なお、広報本部を11月6日から織田フィールド寄りのプレスセンターに移し、朝日、毎日、読売、共同、産経、日経、北海道、中日、西日本、NHKなど各社のクラブを別建物に設営した。
報道機関などの取材活動について、極力便宜をはかることにつとめ、所定の腕章だけで自由に出はいりできるようにとりはからった。また、取材活動についても特に制限しない方針をたて、競技の進行に支障をきたさない範囲において取材を依頼した。
ただし、開閉式や表彰式、各宮様の競技観覧については、整理上撮影位置を指定した。特に屋外でおこなわれた開会式では関係機関と協定して代表撮影制をとったが、第一部の開会式で一部の外人関係者が場内に立入ったため、一時混乱をおこしたほかは、協定どおり整然と取材がおこなわれた。なお、第一部開会式の実況が、NHKのテレビで全国中継されたほか、民間各局からも放送された。

広報部会組織

本部 (報道・庶務・通訳連絡要員など10名)

  • 空港班
    • 班長 1
    • 連絡員 2
    • 撮影 2
  • 開閉会式班
    • 部長以下全員
      受付・資料・誘導・整理
  • 織田フィールド班
    • 班長 1
    • 連絡員 1
    • 撮影 2
  • 綜合体育館班
    • 班長 1
    • 連絡員 1
    • 撮影 2
  • 小体育班
    • 班長 1
    • 連絡員 1
    • 撮影 2
  • 洋弓場班
    • 班長 1
    • 連絡員 1
    • 撮影 2
  • 都立体育館班
    • 班長 1
    • 連絡員 1
    • 撮影 2

 記録写真の作成は、日大芸術科出身の写真家を中心にして、プロ作家、学生など13名の要員を広報部で編成し、作業に当った。写真班は広報本部に暗室、水洗その他の設備を整え、現像、焼付、引伸しなどの作業が一貰しておこなわれるようにした。
取材は事前の関係行事である選手の第1陣到着から最後の帰国まで、また、競技は全種目を対象にしておこない、その記録原版は1万数千枚に達した。
取材活動は深夜におよぶものがかなり多く、要員の大半が2週間にわたって泊り込みの徹夜作業をつづけた。記録のうち代表的なものをキャビネ版に引き伸ばし、約300枚程度をアルバムに、また、150枚程度をスライドに作成した。さらに期間中競技場内のインターナショナルクラブにおいて写真を展示し、希望者に実費で販布した。
なお、大会終了後写真班で奉仕した慶応大学生の記録が東京六大学写真展に、また、日大生の作品が同校卒業制作展で入選してそれぞれ一般公開された。
記録映画の作成は、費用の一切をスポンサーの協力に期待して企画をすすめたが、資金の獲得ができなかったため、運営委員会としての作品を製作することができなかった。しかし、NHKはじめ、各機関の白主製作による記録映画が数種類みられ、記録として活用された。主なものは次のとおりである。
”愛と栄光の祭典”白黒、ワイド版=大映系、”パラリンピック東京大会”白黒16ミリ、45分=NHK、”パラリンピック”カラー16ミリ、30分=ブローバー時計、”リハビリテーション”16ミリ=学習研究社、”パラリンピック”白黒16ミリ、15分=東京都、”東京パラリンピック”カラー16ミリ、30分=箱根療養所・厚生省

広報部会員

河村定治(部長)荒井賢太郎(副部長)小林芳之、小野顕、木村貴資雄、柳橋準三、鶴田喜代恵、小池嘉夫、辰岩美代子、磯村光男、山本信孝、佐藤幸輝、夏秋嘉治、高橋八重子、更井重宣、石橋俊一、宮決義彦、安斉芳高、松寺庶、三本杉国興、梶原静、田村孝也、萬野正夫
(写真班)山田重寿、岩城史朗、渡辺勇、大沢高明、一花茂、西山卓也、玉野祐晋、畠田君明、筒井巴一、児玉房子、高杉多美枝、児玉典子、石村登美子

東京パラリンピックの歌

小林  潤 作詩
井上宣一 作曲
原  賢一 編曲
フォーコインズ 歌

  1. 日の丸掲げ 世界の友を
    菊の日本に 迎えるこの日
    東京 東京パラリンピック
    愛の力 つなぐ力
    皆んなの光りの輝く力
  2. 聖火は燃えて 歓声あがり
    揃う笑顔に 心はおどる東京
    東京パラリンピック
    励む力 むすぶ力
    明るく強くも伸びゆく力
  3. 五輪の旗が みどりに映えて
    明日の世界の 平和を讃う
    東京 東京パラリンピック
    若い力 すすむ力
    希望に燃えてる生きぬく力
    テイチクレコード吹込
    制作担当 菅野 暢
    オシドリプロ提供

身体障害者体育大会の歌

不自由をのり越えて

木村 竜平 作詩
小林 潤   補作
井上 宣一 作曲
原 賢一   編曲
小林 潤 高橋 京子 歌

  1. 山なみ遠く 雲暗れて
    光みなぎる 空のもと
    競うゲームの 花の輪に
    ああ 不自由をのり越えて
    燃やせ我等の 意気と熱
  2. 額に汗を にじませて
    この手この足 その力
    友と鍛えりや 血が通う
    ああ そよ風に頼そめて
    たてよ我等の 新記録
  3. 眼を借り足を 耳を借り
    助け励まし 最後まで
    ねばるレースに 湧くファイト
    ああ 喜びの手をつなぎ
    謳え我等の 感激を!
    テイチクレコード吹込
    オシドリプロ作品
    制作担当 菅野 鴨

医療救護について

 パラリンピックに際しての医療救護については、参加選手が下半身不随者をはじめとして、その全員が身体障害者であるのにかんがみ、大会運営本部としては特に、救護本部の責任者を東京厚生年金病院整形外科部長森川邦造博士に委嘱し、医療救護の実際活動は全面的に日本赤十字社が担当することになった。
日本赤十字社では、救護活動の万全を期するため、次の3回にわたる事前打合会議をひらき、関係者をあつめ対策を検討した。

 第1回打合会議 39年7月31日 本社会議室
第2回打合会議 日赤中央病院会議室
第3回打合会議 日赤本部産院会議室

 その結果、特にパラリンピックのため医療救護班を3コ班編成することになり、第1班は日赤中央病院から派遣して、主として選手村診療所を担当する。第2班は日赤東京都支部から派遣して、主に競技会場を担当する。第3班は日赤本部産院から派遣して、主に競技会場を担当することにして、次の派遣人員をきめた。

 第1班(選手村診療所班)日赤中央病院担当

医師

矢島慶之助(内)柳田公之(外)宮本利策(泌尿)川崎富作(小児)島谷純二(外)森久保裕(内)久保倫生(小児)高野章(外)松田小鳳子(内)井手次郎(泌尿)青木芳郎(小児)三国和雄(外)新津和良(内)阿部実(外)窪田誠一(小児)内田法光(外)坂田堯(小児)前田潤(内)松下克己(泌尿)浅沼哲雄(外)竹内洋子(小児)山本亮二(内)

看護婦

田中しげ、戸塚宣子、本屋敷君江、奈良麻子、古賀やさ子、堀口節子、藤村定子、福島鎮子、大串晃子、稲田美和、佐藤道子、宮ノ原ミサエ、筒井裕子、水政愛子、山田美都、福沢隆子、横倉弘子、深沢栄子、涌井治子、大網啓子、山根純子、野村淑子、片岡加津子、辛島佐代子、三浦規、前原正子、入江ハルミ、田中恵子、(以下東京厚生年金病院)八田成子、村本徳子、岩倉宣子、上田たか子、佐々木覚美、田沢甲子、佐々ヨシ、堤孝代

主事

荒井長光、村松行彦、小林吉蔵、会沢克夫、小野■郎、大沢竜二、石川清吉、佐生猪之助、高橋春吉、柴田千太郎、越川康雄、小川幸継、水野一郎

運転手

佐藤要之助、野口勝太郎

通訳

池田哲(英)蔵本博行(英)東冬彦(独)福田豊紀(英)松崎松平(英)

第2班(競技会場班)日赤東京都支部

医師

佐々木真三、春山清高、高橋秀雄、荒木威、玉置允、余祥淑、今関英六、早川秀雄

看護婦

小沢みつ、泰泉寺久美、伊藤貞子、大河原美知、今城慶、伊藤末子、村田正子、山口富美子、今井公子、内藤いち、小沼高子、宮島広江、天野日出子、伊藤二三子、駒ケ嶺佐久子、小林桂子、安田由紀子、岡田芳子

主事

若山義郎、前島幸男、榊原雅邦、片岡藤太、飯田和男、細川弘、早坂義夫

運転手

三杭芳弘、若林国市、王村起雄、淵上健二、原田勉

第3班(競技会場班)日赤本部産院

医師

丸山英一、村瀬道雄、柳下晃、奥村裕正、松原義江、北村益、井美昭一郎、茂木昭子、森田清

看護婦

山本由王恵、利府ミツ、沢弘子、上原麗子、三好靖子、加藤正子、飯酒盃ヨウ、上垣外喜久子、鈴木富士子、青木桂子、本井幸枝、小谷静恵、隅内佳江、下田醇子、鈴木悦子、前岨まさゑ

主事

岩岡和泉、菅沼義之、野沢繁、塩原清司、坪松義、北川智久

運転手

田沢正暢、為我井勲

 なお、このほかに、外国選手の羽田国際空港における送迎の際の医療救護についても、日赤中央病院と日赤東京都支部の各救護班が担当した。
昭和39年11月5日から18日までの14日間に派遣した救護班は延50コ班におよび、救護に動員された要員の内訳延数は、医師65名、看護婦86名、主事、運転手87名、合計238名で、このほかに九州医大の医師10名が診療所の宿直勤務に奉仕した。これら医療救護班が選手村診療所、各競技会場その他で取扱った患者は338名で、そのうちわけは上表のとおりである。

診療所および競技会場の取扱患者疾病別一覧表
疾病名 選手 係員 観客 その他 摘要
内科 頭痛 4 8 1 - 13 うち2名中央病院送致
発熱 1 - - - 1
感冒 12 53 1 7 73
咽頭炎、扁桃腺炎 - 11 1 1 13
胃炎 8 14 1 3 26
下痢、腸炎 2 5 - - 7
その他内科的疾患 9 13 2 2 26
外科 切挫創 42 25 4 4 75
東京厚生年金病院送1
骨折 1 1 - - 2
捻挫 13 6 - 3 22
筋肉痛 18 2 - - 20
肉ばなれ 3 - - - 3
腰痛 - - - - -
関節炎、関節痛 2 - - 1 3
1 - - - 1
まめ、靴ずれ 4 6 - 3 13
皮膚炎、湿疹 4 7 - - 11
水虫 - 1 - - 1
頭部外傷 - - - - -
その他外科的疾患 6 5 3 1 15
その他 眼科疾患 1 6 - - 7 中央病院送致2件
耳鼻科疾患 - - - - -
歯科疾患 3 1 - 2 6
その他の疾患 - - - - -
合計 134 164 13 27 338
使用した医療品一覧表
品名 容量 数量 単価 金額 摘要
バイエル・アスピリン 20T 5 138 690 -
バイエル・アスピリン 10T 2 77 154 -
シノミン 20T 12 245 2,940 -
サリドン 100T 1 2,000 2,000 -
サリドン 10T 2 240 480 -
タカジヤスターゼ 100T 4 128 512 -
ホミカロート 100T 3 80 240 -
アイロゾン 100mg 100T 3 4,700 14,100 -
クロマイ 250mg 100T 1 5,950 5,950 -
レダマイシン 150mg 100T 1 8,000 8,000 -
胃健錠 100T 2 80 200 -
胃健錠 200T 2 105 210 -
コレトール 10mg 100T 1 1,550 1,550 -
ハイアミンT 500g 1 240 240 -
ロートジナス 100T 1 120 120 -
注用蒸留水 20ml×10 1 120 120 -
ノベクタン 100ml 7 960 6,720 -
油紙 100入 3 270 810 -
繃帯止 100入 4 80 320 -
アリナミン 25mg 200T 2 3,000 6,000 -
アリナミン 25mg 100T 1 1,540 1,540 -
アリナミン 25mg 30T 4 500 2,000 -
ラボナール 0.3×5A 2 460 920 -
エフェードリン注 10A 1 140 140 -
1%キシロカイン 20m×5A 1 950 950 -
VB/注 10mg 10A 9 145 1,305 -
ロヂノン 20%20m×10A 1 140 140 -
局エターノール 500g 2 330 660 -
オキシドール 100g 5 40 200 -
コルゲンS 500T 2 1,850 3,700 -
サロメチール 20g 2 150 300 -
絆創膏 No.25 5 75 375 -
局方エタノール 500g 1 370 370 -
フラボール注 10mg 10A 1 300 300 -
救急絆 - 8 40 320 -
ザルダン注 5A 4 235 940 -
繃帯止 - 1 80 80 -
繃帯 4列 3 40 120 -
繃帯 反巻 3列 1 80 80 -
紙絆創膏 - 10 18 180 -
キシロカインガリー 100g 1 780 780 -
フェノバール注 10%×10A 1 270 270 -
アズフルチン注 100mg 10A 1 125 125 -
- - - 67,191 -

自衛隊の支援

 東京パラリンピック大会に対する自衛隊の支援は、ほとんど全面にわたった。とくに開閉会式の音楽、参加選手の送迎、輸送、式典の参加は、規律正しい団体行動による自衛隊の支援によって、すばらしい効果をあげた。オリンピック支援の準備にいそがしい昭和39年10月1日、陸上自衛隊東部方面総監野尻徳雄陸将と運営委員会葛西嘉資会長の間に次のような支援に関する協定書が結ばれ、第1師団を中心とした支援群を編成して、本格的な協力態勢に入ることになった。

国際身体障害者スポーツ大会実施協力に関する協定書

 国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」という)の実施にあたり、主催者財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長葛西嘉資(以下「甲」という)と、これに協力する東部方面総監陸将野尻徳雄(以下「乙」という)とは、この協力にあたり必要とする事項について、この協定書を締結する。

 (協力事項および範囲等)

第1条 大会の運営について、乙が甲に協力する事項は次のとおりとする。

 (1) 音楽支援
(2) 競技支援
(3) 警衛支援
(4) 送迎支援
(5) 輸送支援

2 協力範囲については、別紙のとおりとする。
3 協力期間は11月5日~11月20日の間とする。(ただし、オリンピックの閉会準備状況によっては協力開始日時を若干変更することがある。)
4 協力の人員および装備は別表のとおりとする。

 (責任区分)

第2条 乙が協力するにあたり必要とし、または乙の協力により発生する次の各号に掲げるものの処理は、甲の責任とする。

 (1) 関係機関、民間団体および地元住民等に対する折衝ならびに苦情処理
(2) 前号のほか明らかに乙の責任に帰すると認め難い事項。

 (費用の負担区分)

第3条 乙の協力のため必要とする経費のうち、次の告号に掲げるもの以外は、甲の負担とする。

 (1) 自隊輸送による支援隊員の旅費
(2) 乙が派遣する支援隊員の給与および糧食費(自衛隊の定額)
(3) 乙が使用する車輛、機材、器具その他の物品の修理費
(4) 輸送用燃料
(5) 隊員の衛生管理

2 事前の偵察、計画の打合せ、実施の監督、指導の旅費等は、甲の負担とし陸上自衛隊内国旅費規則の定めるところにより必要の都度甲の指定する責任者と当事者間において受払いを行なう。
3 宿泊施設、警衛その他の支援のため、甲は村内の宿泊施設を乙に提供する。

 (損害賠償)

第4条 乙が第1条に定める協力を行なうにあたり、発生した損害の賠償については、次の各号により処理する。

 (1) 乙の責に帰すべき事由による場合は、乙がその責に任ずる。ただし、乙が協力のため使用する甲の物品および施設について生じた損害に関しては、乙の故意または重大な過失であった場合に限る。
(2) 甲の責に帰すべき事由による場合は、甲がその責に任ずる。
(3) 甲乙双方の責に帰すべき事由があるときは、甲乙協議のうえ賠償の責に任ずる。

 (協力の取消等)

第5条 協力を担当する部隊等に災害派遣等緊急事態が発生した場合には、乙は協力を取消し、または協力を一時中止することができる。

2 前項により協力を取消しまたは一時中止した場合における費用の負担その他の事項は、乙と甲が協議して定める。

 (細部協定)

第6条 この協定の実施に関し必要な細部事項については、乙の指定する協力部隊の長(第1師団長)と甲の指定する者との間において協定を締結することができる。

 (有効期間)

第7条 この協定の有効期間は、締結の日から、乙が協定の終了を通告した日までとする。

2 本協定発効以前において、乙が協力のため実施した事項についても本協定を適用するものとする。

 (その他)

第8条 本協定書は、2部を作成し、各1部を所持するものとする。

昭和39年10月1日

甲 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会 会長 葛西嘉資
乙 陸上自衛隊東部方面総監 陸将 野尻徳雄

この協定にもとづいて、陸上自衛隊では、次のような支援計画を定め、部内に徹底した。

国際身体障害者スポーツ大会支援計画

1 状況

 (1) 国際身体障害者スポーツ大会(以下パラリンピックと称する)の状況

  ア 意義

(ア) オリンピックに引続いて行なわれる国際行事であり、22ヵ国が参加する予定
(イ) この大会は「パラリンピック」(パラブレジア-下半身マヒとオリンピックと合せたもの)と通称する

  イ 名誉総裁 皇太子殿下

  ウ 大会の区分および規模

(ア) 第一部 下半身マヒ者国際競技会
(イ) 第ニ部 国内一般身体障害者競技会
(ウ) 参加人員
第一部国際競技、選手約370名、付添等約175名
第ニ部国内競技、選手約480名、付添等約110名

  エ 日時、場所

(ア) 日時
第一部 11月8日~12日
第ニ部 11月13日~14日
(イ) 場所
a 代々木選手村(水泳のみ東京都屋内プール)
b 付録第1 代々木選手村配置図

  オ 主催 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会

 (2) パラリンピック運営のための組織
付録第2 パラリンピック運営のための組織図

2 パラリンピックに関する第1師団の任務および編成基準等

 (1) 任務 1Dは、パラリンピックの実施に際し、運営委員会等と密に調整しつつ、12D、1AbnB等の増援を得て、競技、警衛、送迎、輸送および音楽の支援を行なう

(2) 編成基準および支援内容

  ア 編成基準

付録第3-1 支援群編成基準
付録第3-2 企画調整部の編成組織内容

  イ 支援内容 付録第5 細部協定書

 (3) 指揮および調整等

  ア 12D・1AbnB,EABandの各1部を配属
イ OOCとの関係

(ア) パラリンピックの選手村使用は、11月6日以降とする。ただし、一部地域(自衛隊宿舎地域)は11月5日1200以降の予定
(イ) 選手村の警衛は、11月6日1000以降とする

  ウ 協定等

(ア) 基本協定・付録第4 基本協定書
(イ) 細部協定、付録第5、細部協定書
(ウ) 覚書 支援群長は、パラリンピック運営委員会会長の指定する者との間に覚書を交換する(別途作成)
(エ) ID長とオリンピック支援集団長との調整、ID長が支援群に対し、準備命令等を示す必要のある場合は、EA長を通じオリンピック支援集団長と調整する

  エ 調整系統 付録第6 支援調整系統図

3 構想

 (1) 方針

  ア 1Dは、パラリンピックの支援にあたり12D・AbnB等の増援を得て32Iを基幹とする支援群を編成し、主催者および上級部隊と密に調整しつつ周到に準備を整え、積極確実な支援により本大会の実施を整斉円滑ならしめるとともに、自衛隊の威信を国の内外に昂揚する
イ 特に身体障害者に対して「親身の労りと力強い激励」の心構えをもって支援することを隊員の指標とする

 (2) 指導要領

  ア 期別および期日

(ア) 準備期間(9月30日~11月4日)
(イ) 支援期間(11月5日~11月18日)

a 開村 11月5日
b 第一部 国際競技 11月8日~12日
c 第ニ部 国内競技 11月13日~14日
d 閉村 11月18日

(ウ) 撤収期間(11月19日~11月20日)

  イ 準備期間編成

(ア) 編成

a 支援群編成完結(13I差出要員を除く)は、10月30日1200(原所属駐とん地)とし、細部については次のとおりとする

(a) 群本部編成完結 10月3日1200(ただし、IMed差出し救急車の配属時機は11月6日1000選手村とする
(b) 競技支援隊編成完結(Isig差出し要員を除く) 10月3日1200
(c) 送迎支援隊編成完結 10月3日1200
(d) パトロール隊編成完結 10月3日1200
(e) 音楽支援隊編成完結 10月27日1200
(f) 通信隊編成完結 10月30日1200
(g) 輸送支援隊編成完結 10月30日1200
(h) 整備班編成完結 10月30日1200
(i) 警衛支援隊編成完結(パトロール隊を合む) 11月6日1000(選手村)

b 支援隊編成完結式 11月6日1300(選手村)

c 本編成にかかわらず、中央記念式典および浜松記念式典に関しては、本属指揮系統による

(イ) 調整会議

a 運営委員会との定例調整会議(厚生省内)毎週水曜日予定
b 師団内調整会議(司令部会議室)

(a) 第1回(準備通達についての説明調整要領、準備訓練要領等の調整)9月30日
(b) 第2回(実施計画説明)10月15日
(c) 第3回(支援実施前の調整)10月31日

(ウ) 訓練

a 各個訓練(9月30日~11月4日)
(a) 記録映画による
(b) 教育パラリンピック支援の心得の徹底、付録第7パラリンピック支援の心得
(c) 規律、躾訓練 I師3第256号(39・10・6)規律、躾訓練基準および参考資料参照
(d) 音楽隊、旗章要員の各個訓練
(e) 警衛要領特に守則の研究
(f) 送迎要領の現地研究

b 総合訓練(11月5日~11月7日)
(a) 主催者側の予行に参加
(b) 各個訓練の補備

c 訓練の実施
(a) 各個訓練については支援群長および各支援隊長において計画実施
(b) 総合訓練については別に示す

  ウ 支援期間

(ア) 特に自衛隊の支援内容と、主催者側の行なう行事内容との調和に注意するとともに、事前の準備訓練、予行の実施を周到にし、かつ支援の心得の具現に努力する
(イ) 実施の細部要領は、支援群長において計画する

  エ 撤収期間

(ア) 大会終了後、状況に応じ一部の撤収を行なうとともに、諸施設の撤収、支援貸借物品の掌握、返納等を行ない11月20日までに、全支援任務を終了する
(イ) 細部は別に示す

  オ 支援業務予定および支援隊行動予定
付録第8(1~2)支援業務予定表および支援隊行動予定表

  カ 師団長検閲 10月28日 市ケ谷

  キ その他

(ア) 自衛隊記念式典行事、浜松記念式典行事および準備訓練に参加する
(イ) 支援群は11月1日~20日の間、災害派遣の対象外とする

4 各隊の任務

 (1) 企画調整部 全般に関する企画調整および方面、部外等との調整
(2) 13i(12D差出し部隊)

ア オリンピック選手村警衛支援群の一部および32i配属部隊をもって支援隊を編成し、支援群に配属
イ 配属前の準備訓練および選手村警衛支援担当の準備および実施

 (3) 1AbnB(1AbnB差出し部隊)

ア 送迎支援隊を編成し、支援群に配属
イ 配属前の準備訓練および送迎支援担当の準備および実施

 (4) 31i 所要の人員、車輛を企画調整部に差出し支援
(5) 32i

ア 32i長は各部隊差出しの人員、車輛等を併せ指揮し支援群を編成
イ パラリンピック支援準備および実施に関する調整、統制の実施
ウ 警衛支援隊のうちパトロール隊を編成し、13iの警衛支援隊に配属

 (6) 1sig

ア 通信隊を編成、支援群(競技支援隊)に配属
イ 配属前の準備訓練および通信支援担当の準備および実施

 (7) 1Qm 所要の人員、車輛を企画調整部に差出し支援
(8) 10rd 整備班を編成、支援群に対し直接支援
(9) 1Med救急車X1(操縦手を含む)を支援群に配属、主として支援群の救護
(10) 1PHQU

ア 1DBandおよびEABand配属部隊をもって音楽支援隊を編成し支援群に配属
イ 所要の人員、車輛を差出し、企画調整部の支援
ウ 配属前の準備訓練および音楽支援担当の準備および実施

5 後方計画 付録第9 後方計画
6 広報計画 付録第10 広報計画
7 通信計画 付録第11 通信計画
8 報告、通報 次の事項をD長(G13長気付)に報告、通報
(1) 支援群支援実施計画 3部10月30日まで
(2) 成果報告 3部10月30日まで
(3) 編成完結は編成担当部隊ごとに電報をもって報告、通報
また、東部方面隊が行なった、具体的な支援範囲は次のようなものであった。

1.音楽支援
(1) 開、閉会式の国旗掲揚時の国歌演奏およびファンファーレ吹奏
(2) 第一部表彰式時の国歌演奏
(3) 競技間アトラクションの音楽演奏

2.競技支援
(1) 通信支援

ア 大会本部と各競技場間の通信
イ 競技記録の連絡

(2) 旗章支援

ア 第一部開閉会式入場行進時の大会旗および各国旗の奉持
イ 第一部表彰式における国旗掲揚
ウ 第1、2部開閉会式時のS・M・G旗、国旗、大会旗の掲揚
エ 第一部開閉会式時参加国の国旗掲揚、降下

(3) 競技場内外のパトロール警衛
(4) 選手の誘導、見物人の案内整理

3.警衛支援
(1) ゲート支援

ア 選手村の警衛
イ 各門通行者および物品の点検
ウ 各門付近の警戒

(2) パトロール支援

ア 選手村内を巡察による警衛

4.送迎支援
(1) 介添支援

ア 羽田空港、東京駅、上野駅における選手の介添、荷物の積載、卸下
イ 選手村到着および出発時の介添、荷物の積載、卸下
ウ 第一部選手等の観光(都内、箱根)時の乗降車介添

5.輸送支援
選手、付添者の荷物の空港、駅と選手村間の輸送

介添え訓練

 パラリンピック支援隊(隊長笹島穣三佐)を編成した自衛隊は10月12日から2週間、千葉県船橋市楽園台の隊内で介添え訓練を行なつた。隊員101人は介添え、輸送の2隊にわかれ、国立箱根療養所の松林忠徳医務課長の指導で、兵舎の窓を利用して、乗りもの、階段、座イスなどを使って選手の取扱いをみっちり訓練した。また、食卓につく選手のつき添いとしてのマナーの勉強も、なれない手つきで一生懸命に習った。

パラリンピック東京大会收入支出決算報告

 収入

                     単位(円)
補助金 70,830,000
国庫補助金 20,000,000
都補助金 10,000,000
日本自転車振興会 40,830,000
協賛金(国際ライオンズ協会) 9,650、708
寄付金 41,950,688
合計 122,431,396

 支出

                         単位(円)
国際大会準備費 17,444,368
改造費 7,903,800
印刷製本費 4,216,800
備品費 500,000
通訳員講習費 103,947
部会会議費 412,769
交通費 2,220,275
消耗品費 1,341,846
通信運搬費 442,685
雑費 302,246
国際大会開催費 104,987,028
賃金 6,851,536
会議費 251,946
借料損料 13,800,397
光熱水料  2,523,925
備品費 138,400
被服費 1,713,400
印刷製本費 2,605,150
委託費 2,004,464
消耗品費 6,685,216
通信運搬費 2,236,916
食糧費 12,346,092
広報宣伝費 3,840,163
補償費 2,280,436
式典費 100,000
自動車購入費 25,000,000
交通費 1,770,068
国際大会派遣資金 20,044,730
雑費 794,189
合計 122,431,396

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主題:
パラリンピック 東京大会報告書 No.3
128頁~193頁

発行者:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会

発行年月:
昭和40年8月1日

文献に関する問い合わせ先:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会