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創立20年史 財団法人日本身体障害者スポーツ協会

No.1

巻頭の言葉

財団法人日本身体障害者スポーツ協会
会長 葛西嘉資

わが国に於ても,レクリエーション的な身体障害者のスポーツ大会が以前から各地で行われていたことは勿論であるが,リハビリテーションとしてのそれが行われるようになったのは,昭和39年11月の国際身体障害者スポーツ大会(私共は当時からパラリンピックと呼んでいた)からのことである。
オリンピックをやった国では,その直後に,身体障害者オリンピックをやらねばならぬことになっていると,私共が聞かされたのは,昭和36,7年頃だった。
オリンピックは,昭和39年10月に,東京で挙行されることになっているので,時間的にも余裕が少ないうえに,リハビリテーションとしてのスポーツと言っても全く無経験であるし,随分当惑したのであったが,とに角そうなっている以上やらねばならぬと決め,若干の準備をして,財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会が設立されたのは,昭和38年4月5日のことである。
そしてこの大会は,皇太子殿下を大会名誉総裁に推戴することとなり,関係者を大いに奮い立たせると共に,このことが大会をいよいよ盛り上げ,成功に導いた大きな原動力になったことは誠に有難いことであった。
パラリンピックをやってみて,私共が大会を通じて得た最大のものは,先進諸国の人達が,身体の障害を克服し,力強く活躍し,実に明るく振舞う自信に満ちた姿をまのあたりに見せてくれたことであり,わが身体障害者は勿論,一般社会の人達も非常に驚きの目を見張ると共に,深い感銘を受けたことだった。
そんな訳で,大会開催中から,この大会をこれだけで終らせてはならない,日本でも身体障害者スポーツ大会を今後毎年の恒例行事としてやり,彼等に自信を持たせ,その社会復帰に資するようにしようじゃないかとの話が澎湃として起っていたし,名誉総裁の皇太子殿下も,大会終了直後大会役職員を御慰労の思召を以って東宮御所にお招き頂いた際,このような大会を国内で毎年行ってもらいたい旨の御言葉を頂戴した。
そんな次第でその翌40年国体が行われた岐阜県に於て,第1回の全国身体障害者スポーツ大会が行われたのを皮切りに,以来毎年この大会が行われており,この国際身体障害者スポーツ大会運営委員会も,昭和40年5月24日その名称を日本身体障害者スポーツ協会と改め,恒久的なものとし,その事業を引継いで今日に至っている次第である。
かくして全国身体障害者スポーツ大会は,昭和40年の岐阜の第1回大会以来毎年国体実施県で全国大会が行われ,昨年の奈良県大会で第20回を数え,参加選手は今日までで実に1万6千名の多数に上っており,その背後には各都道府県のスポーツ大会が毎年行われ,身体障害者のスポーツ人口も年毎に増え,わが国の身体障害者スポーツも20年前に比べて見ると飛躍的に進歩した。
また本協会は,身体障害者の国際スポーツ大会に極力わが選手団を派遣しているが,最近では昭和57年の第3回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会には,100名を越す選手団を香港に送ったが,東京パラリンピックに先立つこと2年前の昭和37年にロンドン郊外で行われた国際ストーク・マンデビル競技大会に少数の選手団を派遣してから今日まで,45選手団,約千名の選手等を国際競技大会に派遣している。
そして最近では国際大会に参加した選手諸君は,外国選手に伍して堂々と競技し,優秀な成績を収め,大いに国際親善に尽すようになったことは,心強い限りである。
かくして20年前まではとかく家に引きこもり勝ちで消極的だった人達も逐次積極的になり,われわれもやればやれるんだとの自信を掴むことが出来,大変明るくなり,社会復帰に大いに寄与して来ていることは事実である。
これは政府の諸施策が直接間接に影響していることは勿論であるが,私共日本身体障害者スポーツ協会の20年に亘る努力も預って力になっているものと自負している所であり,20年前の東京パラリンピック当時のわが国の身体障害者の状態を顧み,感慨無量のものがある。
本協会として創立以来いつも感激していることは,皇太子殿下並びに皇太子妃殿下が身体障害者スポーツに対し限りない御激励御支援を賜っていることである。
東京パラリンピックには,皇太子殿下には名誉総裁として大会を大いに盛り上げて頂いたことは,前述の通りであるが,以来毎年の全国身体障害者スポーツ大会には,妃殿下と共に欠かさず御臨席,毎回励ましの御言葉を賜り,広く参加選手には直接親しく御激励を賜っていることは,私共関係者の等しく感謝している所である。
また各種国際大会派遣の選手諸君に対しては,その都度東宮御所へお召し頂き両殿下には親しく一人一人から競技の模様等を御聴取頂くなどその御熱意には身障者諸君は勿論私共関係者一同も恐縮している所である。
わが国の身体障害者スポーツがこゝまで発展向上出来たことは,偏に両殿下のお蔭であり,私共はわが国の身体障害者スポーツの20年の歴史は両殿下と切り離しては全く考えられないと思っている。
わが国の身体障害者スポーツも20年の歴史を経て最近は大分進歩充実して来たと思うが,身体障害者スポーツの真の振興は数多くの身体障害者がスポーツに参加し,その体力の増進と残存能力の向上を図ると共に明るく社会生活を送るようにすることであり,将来とも広く身体障害者スポーツの普及と発展に更に一段と力を致さねばならないと考えている。
そのためには中核となるスポーツ指導員の養成研修が必要であり,協会としては毎年中央・地方を通じてその養成研修に力を入れ,中央研修に於ては約千人,地方研修に於ては約7千人の指導者の養成研修を行って来たが,今後とも更に一層力を入れて行かねばならぬと考えている。
日本身体障害者スポーツ協会は厚生省を始め関係各省庁及び多額の補助金の御援助を頂いている日本自転車振興会,日本船舶振興会など多くの助成団体や貴重な浄財をご寄付頂いている各位の善意に支えられて,今日まで発展を遂げて来ることが出来たことに対し,深甚の感謝を申し上げると共に,私共関係者一同は,このご厚志に副い感激を新たにし,更に将来の発展向上のため一層の努力をする所存であるので今後とも宜敷くお願い申し上げたい。

昭和60年3月31日

第3回全国大会 昭和42年 埼玉県
▲第3回全国大会 昭和42年 埼玉県


第18回全国大会 昭和57年 島根県
▲第18回全国大会 昭和57年 島根県

車椅子バスケットボール競技大会
車椅子バスケットボール競技大会

第3回フェスピック競技大会(香港)
第3回フェスピック競技大会(香港)

第7回世界車椅子競技大会(英国)
第7回世界車椅子競技大会(英国)

1984年国際身体障害者競技大会(米国)
1984年国際身体障害者競技大会(米国)

パラリンピック第1部開会式の模様

パラリンピック第1部開会式の模様 パラリンピック第1部開会式の模様
昭和39年11月8日パラリンピック東京大会
第1部開会式

パラリンピック閉会式の模様

パラリンピック閉会式の模様
昭和39年11月12日パラリンピック東京大会閉会式

目次

巻頭の言葉

1.身体障害者スポーツの発展

近代身体障害者スポーツの濫觴
国際身体障害者スポーツ東京大会への動き
準備委員会の結成
準備の進展と身体障害者体育大会山口大会の開催

2.パラリンピック東京大会
1)東京大会までの経過

2)東京大会ひらく

  1. 第1部国際大会のプログラム
  2. 第2部国内大会のプログラム
  3. 第1部国際大会の経過
  4. 第2部国内大会の経過
  5. 皇室の御激励

3.国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の解散と日本身体障害者スポーツ協会の創立

1)パラリンピック東京大会成功裡に終了
2)日本身体障害者スポーツ協会の発足 4.日本身体障害者スポーツ協会の各年度事業実施状況

  1. 昭和40年度事業
  2. 昭和41年度事業
  3. 昭和42年度事業
  4. 昭和43年度事業
  5. 昭和44年度事業
  6. 昭和45年度事業
  7. 昭和46年度事業
  8. 昭和47年度事業
  9. 昭和48年度事業
  10. 昭和49年度事業
  11. 昭和50年度事業
  12. 昭和51年度事業
  13. 昭和52年度事業
  14. 昭和53年度事業
    昭和53年度事業No.2
    昭和53年度事業No.3
  15. 昭和54年度事業
    昭和54年度事業No.2
  16. 昭和55年度事業
    昭和55年度事業No.2
  17. 昭和56年度事業
    昭和56年度事業No.2
    昭和56年度事業No.3
  18. 昭和57年度事業
    昭和57年度事業No.2
    昭和57年度事業No.3
    昭和57年度事業No.4
    昭和57年度事業No.5
  19. 昭和58年度事業
    昭和58年度事業No.2
    昭和58年度事業No.3

5.年表・資料

年表 資料

  1. 皇太子殿下同妃殿下ご接見
  2. 全国身体障害者スポーツ大会概要
  3. 都道府県・指定都市身体障害者スポーツ大会開催状況
  4. 国際身体障害者スポーツ大会選手団派遣状況
  5. 全国車椅子バスケットボール選手権大会
  6. 全国身体障害者アーチェリー選手権大会
  7. 全国身体障害者スキー大会
  8. 全国ろうあ者体育大会
  9. 身体障害者スポーツ指導員研修概要
  10. 財団法人日本身体障害者スポーツ協会寄附行為
  11. 身体障害者スポーツ関係経費
    1. 法人発足以前
    2. 日本身体障害者スポーツ協会予算決算の推移 その1
    3. 日本身体障害者スポーツ協会予算決算の推移 その2
    4. 日本身体障害者スポーツ協会予算決算の推移 その3
    5. 日本身体障害者スポーツ協会予算決算の推移 その4
    6. 日本身体障害者スポーツ協会予算決算の推移 その5
    7. 日本自転車振興会補助金対象事業予算額 その1
    8. 日本自転車振興会補助金対象事業予算額 その2
  12. 役員名簿
  13. 医学・技術専門委員会
  14. 競技用器具検定員名簿
  15. 財団法人日本身体障害者スポーツ協会概要(組織団)
  16. 寄附金受納状況
  17. 競技記録
    1. 全国身体障害者スポーツ大会最高記録
    2. 1984年国際身体障害者スポーツ大会記録
    3. 1984年国際身体障害者スポーツ大会記録 No.2
    4. 1984年国際身体障害者スポーツ大会記録 No.3
    5. 第7回世界車椅子競技大会記録
    6. 第7回世界車椅子競技大会記録 No.2
    7. 第3回身体障害者冬季オリンピック大会記録


1.身体障害者スポーツの発展

我が国の身体障害者スポーツの歴史は比較的新しい。
とくに急速に発展して来たのは,昭和39年に行なわれたパラリンピック東京大会を契機としたものであった。
その概況を展望してみよう。

 近代身体障害者スポーツの濫觴

イギリス,ロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センター所長で神経専門医であったグッドマン博士は,脊髄損傷の治療手段としてスポーツを早くからとり入れ,スポーツを主としたリハビリテーションに力を入れていた。
この治療成績はすばらしく,受傷から社会復帰まで6ケ月という短期間でその85%が,なんらかの形で有給就職していると言う状態であった。
このグッドマン博士の指導で,1948年始めて両下肢マヒ者の競技会が開かれ,そのスポーツ大会がストーク・マンデビルゲームとして知られるようになり,1952年に国際的な対マヒ者スポーツ競技会として発展してきた。

 国際身体障害者スポーツ東京大会への動き

ストーク・マンデビル競技大会は,毎年7月開催されるのが例であったが,1960年のローマオリンピック大会の開催を機会にオリンピック開催の年には同大会が終るとすぐ引きつゞいて同じ場所で国際身障者スポーツ大会を開催することになった。
1960年のローマ大会には,21カ国約400名のマヒ男女が参加する大会まで成長をし,1962年には,招きに応じて始めて我が国から2名の代表選手をロンドンに送り,各国選手の間に交って活躍をした。
これより先昭和36年に世界歴戦者連盟(W.V.F.)の日本理事沖野亦男氏は,世界歴戦者連盟本部から身体障害者スポーツに関する資料の提供を受け,国立身体障害者更生指導所長稗田正虎氏と冊子「身体障害者スポーツ」を刊行,関心をたかめた。また,同年4月ローマの第9回ストーク・マンデビル競技会を観た唯一人の日本人であった渡辺華子女史(共同通信社ローマ総局長夫人)は,身体障害者更生指導研究会で,その模様について説明があり身体障害者スポーツを推進する機運は高まったが,国際身障者スポーツ大会を日本でやることについては,全く体制が出来ていないという意見が強かった。
併し,国内の身体障害者スポーツを振興することについては,推進すべしとの意見が強く8月に身障関係団体が中心となり「身体障害者スポーツ振興会」を結成したが,実質的活動は殆んど行なわれなかった。
36年10月大分県で身体障害者体育大会が開かれたが,これは県民生部長平田準氏(体育官出身)と海外の身体障害者スポーツを視察して来た国立別府病院中村裕氏(前本協会理事)の努力により開かれたもので開催の促進に大きな役割を果たした。
昭和37年3月国際ライオンズ協会の幹部より朝日新聞厚生文化事業団寺田宗義氏に対し「国際身障者スポーツ大会をやるならライオンズクラブは全面的に支援する」旨の連絡があり,翌4月関係者が集まり次のことなどを決定した。
1.国内のスポーツ振興をはかりその結果をみて国際身障者スポーツ大会を引きうけるということは困難であるから,むしろ国際大会を引きうけるということで国内態勢をととのえることが早道であること。
2.国際身障者スポーツ大会を引受けるについては,脊髄損傷者のみでなく,肢体不自由,盲,ろうあの人たちのスポーツも同時に行なうことを条件とすること。
3.ライオンズクラブに強く働きかけること。

 準備委員会の結成

昭和37年5月10日,朝日新聞社六階の第1談話室で国際身障者スポーツ大会準備打合会を開き,
1.大会開催の趣旨の説明
2.大会準備委員会の結成について
3.委員会の構成について
4.本年度S・M・Gに選手団の派遣について
を議題として協議し,席上,国際身体障害者スポーツ大会準備委員会を結成することに決定,出席者全員を委員にあてることにした。
さらに,同月19日委員長に社会福祉事業振興会会長葛西嘉資氏の承諾を得た。
そして委員会の事業は1ライオンズクラブに強力に運動して資金のメドをつけること。
2 7月にイギリスで開催される第11回S・M・Gに日本から選手団を派遣する。
などに重点をおいた。
ライオンズクラブは,当時,全国を六地区に分け,各地区のガバナーが最高責任者となり,ガバナー会議を組織し,その年度の事業計画を決定していた。
そのため,5月30日に愛媛県松山市で開催されたガバナー会議に寺田,堀場の両氏が資料をもって出席,大会の趣旨を説明し協力を懇請した。また日本整形外科学会会長有原康次博士は,ライオンズクラブに国際身障者スポーツ大会開催のための財政的援助をしてほしい旨の要望書を送り,側面から支援した。
7月24日からイギリスで開催される第11回S・M・Gに派遣する選手団は,全国ではじめて身障者体育大会を開催した大分県から派遣して貰うことになったが,経費がないため朝日新聞,NHKの両事業団が保証し,準備委員会が大分県の銀行から借金してあてることになった。
選手団一行4名は7月16日羽田を出発した。
新聞,放送機関は「身障者五輪に日本初参加」「身障者が五輪開催,東京大会に引きつづき」と報道し,世間を大いにわかせた。
無事大任を果たして帰国した選手団は,8月5日三笠宮殿下,8月9日皇太子殿下にお目にかかり報告した際,引率の葛西委員長と,大山社会局長にそれぞれ「二年後の東京大会は,ぜひ開催して貰いたい」と希望をもらされ,また,池田首相,西村厚生大臣,大橋労働大臣も記者会見で「二年後は東京で国際大会が開催できるよう,政府もできるだけの援助をおしまない」と確約した。
そして,準備委員会の活動も,日ましに活発になり,法人化の必要にせまられてきたので,法人化の準備にうつり,翌38年2月12日財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の設立総会が開かれ,満場一致で諸議題を可決,設立認可申請書を提出し4月5日付で設立が認可された。
運営委員会の寄付行為は次のとおりである。

財団法人国際身体障害者スポーツ大会
運営委員会寄付行為

第1章 総則
(名 称)
第1条 この法人は,財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会という。
(事務所)
第2条 この法人は事務所を東京都新宿区戸山町一番地国立身体障害者更生指導所内におく。
(目的)
第3条 この法人は,昭和39年開催される国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」という)の円滑な準備および運営ならびに大会に備えての国内身体障害者の競技技術の向上をはかり,もって我が国身体障害者の福祉の増進と国際親善の強化に寄与することを目的とする。
(事業)
第4条 この法人は前条の目的を達成するため,次の事業を行う。
1.大会運営計画の立案およびその実施
2.大会に関する国内国外の宣伝
3.大会の会場その他諸施設の準備
4.参加代表団の受入れのあっせんおよび接待
5.単位競技団体の競技実施の奨励
6.地方および中央における競技会の開催の奨励
7.指導者の養成
8.国際大会へ役員および選手の派遣
9.身体障害者の競技および競技用具についての調査研究指導
10.大会運営に必要な資金の確保
11.大会運営予算の作成および運営経理の決算
12.その他本会の目的達成に必要な事業

第2章 資産および会計 (資産構成)
第5条 この法人の資産は,次のとおりとする。
1.この法人の設立当初寄付された財産目録記載の財産
2.寄付金
3.補助金および助成金
4.資産から生ずる果実
5.その他の収入
(資産の区分)
第6条 この法人の資産を分けて基本財産および運用財産の二種とする。
2 基本財産は財産目録のうち基本財産の部に記載する次の財団法人鉄道弘済会から寄付した資産および将来基本資産に編入される資産で構成する。
現金 1百万円
3 運用財産は基本財産以外の財産とする。
4 寄付金品については,寄付金の指定がある場合には,その指定に従って基本財産または運用財産に編入する。
(資産管理)
第7条 この法人の資産のうち,現金は確実な有価証券を購入するかまたは確実な銀行その他の金融機関に預金若しくは金銭信託として会長が保管する。
(基本財産の処分)
第8条 基本財産は消費しまたは担保に供してはならない。
ただし,この法人の事業遂行上やむを得ない事由があるときは理事会の議決を経て,その一部に限り処分することができる。
(経 費)
第9条 この法人の事業遂行に必要な経費は運用資産をもってあてる。
(予 算)
第10条 この法人の事業計画およびこれに伴う収支予算は,毎会計年度前会長が編成し,理事会の議決を経なければならない。
これを変更する場合も同様とする。
(決 算)
第11条 この法人の決算は毎会計年度終了後2カ月以内に会長が作成し,財産目録および事業報告書とともに監事の意見をつけて,理事会の承認を受けなければならない。
2 この法人の決算に剰余金が生じた時は,理事会の議決を経てその一部若しくは全部を基本財産に編入し,または翌年度に繰越すものとする。
(臨時措置)
第12条 収支予算で定めるものを除く外,新たに義務の負担をし,または権利の放棄をしようとするときは,理事会の議決を経なければならない。
ただし,当該年度内の収支をもって償還する一時借入金についてはこの限りでない。
2 前項ただし書の一時借入金の借入の限度額は,理事会の議決を経なければならない。
(会計年度)
第13条 この法人の会計年度は,毎年4月1日に始まり3月31日に終る。

第3章 役員 (役員)
第14条 この法人に次の役員を置く。
理事 35名以内
監事 3名
(選 任)
第15条 理事および監事は理事会の議決を経て会長が委嘱する。
理事は互選により会長1名,副会長3名,常務理事6名を定める。
(会長,副会長,常務理事)
第16条 会長はこの法人の事務を総理し,この法人を代表する。
2 副会長は会長を補佐し,会長に事故あるときまたは欠けたときはあらかじめ会長の定める順位により,その職務を代行する。
3 常務理事は,会長および副会長を補佐し,理事会の決議に基き日常の事務を処理する。
(理事の職務)
第17条 理事は理事会を組織し,この法人の業務を議決し,執行する。
(監事の職務)
第18条 監事は次の職務を行う。
1.法人の財産の状況を監査すること
2.理事の業務執行の状況を監査すること
3.財産の状況または業務の執行につき不正の点を発見したときは,これを厚生大臣に報告すること
(事務局および職員)
第19条 この法人の事務を処理するため,事務局を設け事務局長その他必要な職員を置く。
2 職員は,会長が任免する。
(企画委員会)
第20条 この法人に企画委員会を置く。
2 企画委員会は,この法人の業務の執行に関する企画調査を行なうものとする。
3 企画委員は会長が委嘱する。
(顧問)
第21条 この法人に顧問若干名を置く。
2 顧問は,理事会の議決を経て,会長が委嘱する。
3 顧問は会長の諮問に応じて意見を述べる。

第4章 理事会 (理事会)
第22条 理事会は,随時会長が招集する。
ただし,理事の3分の1以上から会議の目的事項を示して請求があったときは,理事会を招集しなければならない。
2 理事会の議長は会長がこれに当たる。
(決議方法)
第23条 理事会は,理事の3分の1以上が出席しなければ会議を開き議決することはできない。
ただし,当該議事につき書面をもってあらかじめ意思を表示した者は,出席者とみなす。
2 理事会の議事はこの寄付行為に別段の定めのある場合を除く外,出席理事の過半数で決し,可否同数のときは議長の決するところによる。

第5章 評議員会 (評議員会)
第24条 この法人50名以内の評議員をもって構成する評議員会を置く。
2 評議員は,理事会の議決を経て会長が委嘱する。
3 評議員会は,随時会長が招集してその議長となる。
4 評議員会は,この法人の業務に関する重要事項について,会長の諮問に応じて意見を述べる。

第6章 寄付行為の変更ならびに解散 (寄付行為の変更)
第25条 この寄付行為は,理事会における出席理事の3分の2以上の同意および厚生大臣の許可がなければ変更することができない。
(解 散)
第26条 この法人は,理事会における出席理事の3分の2以上の同意および厚生大臣の許可を受けて,解散するものとする。
(残余財産の帰属)
第27条 この法人の解散に伴う残余財産は,理事会の議決により選定された者に厚生大臣の許可を受けて寄付するものとする。

第7章 補則 第28条 この寄付行為施行についての細目は,理事会の議決を経て別に定める。
第29条 この法人設立当初の理事および監事は次のとおりとする。
理事(会長代理) 葛西 嘉資
理事(会長代理) 中西 実
理事(会長代理) 矢野 一郎
理事(会長代理) 高木 憲次
理事(会長代理) 沖野 亦男
理事(会長代理) 上田 常隆
理事(会長代理) 亀山 孝一
理事(会長代理) 長尾 頼隆
理事(会長代理) 矢島八州夫
理事(会長代理) 木村忠二郎
監事         水野 六郎
また,次のような事務局組織規程をつくり,具体的な活動に入ることになった。

財団法人国際身体障害者スポーツ大会 運営委員会事務局組織規程 (通 則)
第1条 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」という)の事務局の組織および事務分掌については,財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会寄付行為に定めるもののほか,この規程の定めるところによる。
(事務局の組織)
第2条 事務局に次の2部を置く。
総務部
経理部
(総務部の事務)
第3条 総務部においては,次の事務を処理する。
1.運営委員会の顧問,評議員,理事,監事および企画委員に関すること
2.職員の任免,服務および給与に関すること
3.公印の管守に関すること
4.文書の接受,発送,編集および保存に関すること
5.評議員会,理事会および企画委員会の庶務に関すること
6.国内,国外の関係機関に対する連絡,広報に関すること
7.国内,国外の選手団の案内,宿舎のあっせん,紹介等に関すること
8.輸送に関すること
9.大会の会場準備に関すること
10.その他運営委員会の目的達成に必要なこと
(経理部の事務)
第4条 経理部においては,次の事務を処理する。
1.運営委員会の予算,決算に関すること
2.契約,発注および検収に関すること
3.寄付金等の募集に関すること
4.補助金,助成金および寄付金の特別会計に関すること
5.その他運営委員会の経理に関すること
(事務局職員)
第5条 事務局に次の職員を置く。
局長 1名
部長 2名
主事 若干名
書記 若干名
2 業務運営上必要があると認められるときは,事務局に事務嘱託を置くことができる。
3 事務局長は,常務理事の命をうけて事務を処理する。
4 部長,主事および書記は,上司の命をうけて事務を処理する。
(付 則)
この規程は,昭和38年4月15日から施行する。

 準備の進展と身体障害者体育大会山口大会の開催

大会の開催に当って最も心配していたのは,運営資金の確保であった。
会長以下関係者は連日各方面へ懇請して資金の確保に努力した。
ライオンズ国際協会は,全国の会員から募金をしていたが,その第1回として昭和38年9月約700万円の資金が渡された。
本会に対する寄付金の第1号として会長以下関係者は大きな感謝とともに今後の資金調達に自信を得た。
また,大会運営資金の主体となる国庫補助金については2千万円,都補助金1千万円,自転車振興会補助金4千80万円がそれぞれ内定した。
将来,身体障害者スポーツを全国的かつ国民的行事として行うことを足がかりとするためこの年,国民体育大会を行なった山口県に対して身体障害者スポーツ大会の開催を依頼したところ,趣旨に賛同して引受けてもらえることとなり,山口市で国民体育大会で使われた競技場で1都8県からの参加選手約500名によって競技大会が盛大に挙行された。

●身体障害者体育大会 山口大会

昭和38年11月10日 山口市 山口県陸上競技場

[主催]
山口県 山口市
山口県身体障害者団体連合会
山口県社会福祉協議会
国際身体障害者スポーツ大会運営委員会

[後援]
山口県教育委員会 山口県市長会 山口県町村会
山口県体育協会 山口県医師会
山口県ライオンズクラブ 山口県ロータリークラブ
山口県青年会議所 日本赤十字社山口県支部
山口県済生会 山口労災病院 山口県共同募金会
山口県肢体不自由児協会 山口市医師会
山口市社会福祉協議会 鉄道弘済会下関福祉所

[協賛]
各報道機関

[大会役員]
大会会長
山口県知事 橋本 正之

大会副会長
国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長 葛西 嘉資
山口県身体障害者団体連合会会長 松永 憲太
山口県社会福祉協議会会長 中安 閑一
山口市長 兼行 恵雄

大会委員長
山口県労働民生部長 古谷 矗
大会副委員長
国際身体障害者スポーツ大会運営委員会事務局長 氏家 馨
山口県議会厚生委員長 朝枝 俊輔
山口労災病院長 石田 一夫

大会委員
山口県社会課長 小田 寿
日本赤十字社山口県支部事務局長 小田 寿
日本赤十字社山口県支部事務局長他 22名

[参加選手]
東京都 10人(肢5 視3 聴2)
岡山県 5人(肢5 - -)
広島県 5人(肢5 - -)
島根県 6人(肢3 視1 聴2)
福岡県 8人(肢5 視3 -)
大分県 20人(肢14 視3 聴3)
神奈川県6人(肢4 視2 -)
埼玉県 5人(肢3 - 聴2)
山口県 403人(肢195 視80 聴128)
計 468人(肢239 視92 聴137)

山口県知事あいさつ

全国初の試みとして第1回身体障害者体育大会山口大会を,東京都,埼玉県,神奈川県,岡山県,広島県,島根県,福岡県,大分県及び山口県の9都県から選手468名延820名の参加のもとに,第18回国民大会終了直後,同主会場を中心会場として開催したが,幸に各界から懇切な御指導と理解ある御協力をいただいたため,非常に盛大に又今後の発展のための極めて意義深い大会を実施し得たことは,誠に御同慶に堪えない。
御指導御協力を賜わった方々に心より感謝し,厚くお礼申し上げたい。
又当日遠路大会へ参加された選手諸君も終始真しに敢闘され,将来の身体障害者のスポーツ振興に明るい見透しを与えられたことも誠に喜びに堪えないところであり,いろいろ多くの目的をもつ身体障害者スポーツの今後の隆盛を祈念してやまない次第である。
以下は,当日敢闘された諸競技の記録であるが,この記録のうち水上競技の記録は,本来8月11日山口市山口県立山口中央高等学校プールに於いて開催した山口県身体障害者体育大会夏季水上大会のもので,何かの参考になればと考え,掲載したものである。
なお,明年の東京における国際大会を控え,日本の身体障害者のスポーツについて世界から深い関心がよせられているが,国際身体障害者スポーツ運営委員会並びに西ドイツスポーツ運営委員会より本大会に次のようなメッセージがよせられたので,併せて掲載しておく。

昭和38年11月20日
第1回身体障害者体育大会山口大会会長
山口県知事 橋本正之


山口大会に対する各国よりの反響

国際身体障害者スポーツ運営委員会の名において,国体を機会に日本における第1回身障者スポーツ全国大会が開催されるに当って,山口県当局並びに県民に対し御祝詞を申し上げます。
全国の又,山口県の権威者の方々の御努力によって,この歴史的な大会が実現し,全世界の身障者スポーツ大会の発展の一里塚となりましたことに対し感謝の意を表わします。
スポーツは真に国民間のまたは国際間の相互融和の手段であります。
身障者スポーツはこの目的を果すものであり,更に医学的,社会的リハビリテーションの重要な役を演ずるものであることを確信します。
この特殊な分野でスポーツほど精神的勝利,規律協力を示すものはありません。
国際身障者スポーツ運営委員会議長として,山口県身障者スポーツ大会の御成功を衷心より御祈り申し上げます。

パリー 1963年 10月31日
国際身体障害者スポーツ運営委員会議長
ノーマン・アクトン


山口県における身障者スポーツ大会に対し心からなる御挨拶を申し上げ度い。
日本における最初の全国大会を開催された方々に対し,御成功を衷心よりお慶び申し上げます。
あらゆる困難に打ち勝って,この歴史的な大会を実現に導かれた御尽力に対し,深甚の謝意を表わします。
全世界から,なるべく多数の身障者が参加して,来年の東京における大会が開催されますよう主催の方々に又,後援の方々に,御願い申し上げたい。
東京における大会が,あらゆる種類の身障者に愉快な試合が,進められる機会が与えられるように,吾々国際身障者スポーツ大会で,日本の友人にお会いできたことは,心からの喜びに堪えません。
この大会は大盛況でした。
来年東京における国際身障者スポーツ大会が,より盛大に開催されますことを深く希望し,且期待する次第であります。
山口県における全国大会開催に対する御尽力に対し深甚の敬意を表わし併せて御盛会を衷心より御祈り申し上げます。

バード・ゴーデスベルグ 1963年 10月29日
西ドイツスポーツ運営委員会書記
ゲルド・ブリンクマン
西ドイツスポーツ運営委員会議長
ハンス・ロレンチエン


大会次第
次第 時刻 備考
1役員集合 7:00 陸上競技場
2選手受付開始 7:30 陸上競技場前庭
3選手輸送開始 8:30 陸上競技場
4来賓受付開始 9:00 -
5選手受付終了 9:30 -
6選手役員集合開始 9:40 -
7集合完了 9:50 -
8開式通告 10:00 -
9開会宣言 10:00 大会運営委員長
10国旗掲揚 君が代斉唱 10:01 (1回)
11式辞 10:02 知事
12あいさつ 10:05 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会 会長代理
13祝辞 10:08 -
14歓迎のことば 10:15 山口市長
15選手代表宣誓 10:18 宣誓後「若い力」演奏合唱(1回)
16閉式通告 10:20 -
17退場 10:21 -
18マスゲーム 10:25 -
19選手役員競技準備 10:35 競技場・体育館
20競技開始 10:50 -
21競技終了 14:50 -
22選手役員集合開始 14:50 陸上競技場
23集合完了 14:59 -
24開式通告 15:00 -
25講評及び表彰 15:01 大会審判長・大会長
26歓送のことば 15:25 大会副委員長
27国旗降納 15:29 -
28閉会宣言 15:30 大会運営副委員長
29閉式通告 15:30 -
30解散 15:31 -
31選手輸送 15:40 各宿舎・駅関係


競技順序

(競技上の注意は審判員より各競技の前に行なう)

〔競技種目別競技進行順序〕

1 トラック競技
順序 種目 障害 出場人員
ロープ50m 視覚(1級~2級) 27人
100m 視覚(3級~4級) 18
100m 上肢 32
50m 大腿切断 3
50m 松葉杖 5
50m競歩 両下肢切断 2
50m 下肢 52
100m 聴覚(視5級~6級) 103


2 投てき競技
順序 種目 障害 出場人員
クラブ投げ 車椅子 5人
メジシンボール投げ 車椅子 10
砲丸投げ 車椅子 2
やり正確投げ 車椅子 5
砲丸投げ 視覚(1級~2級) 6
メジシンボール投げ 視覚(1級~2級) 7
砲丸投げ 上肢 23
メジシンボール投げ 上肢 5
メジシンボール投げ 体幹 2
10 砲丸投げ 下肢 16
11 メジシンボール投げ 下肢 10
12 やり投げ 下肢 5


3 跳躍の部
順序 種目 障害 出場人員
走巾飛び 上肢 43人
立巾飛び 視覚 39
立巾飛び 下肢 13


4 卓球 (A会場)
順序 種目 障害 出場人員
- 聴覚 54人
- 上肢 29


5 卓球 (B会場)
順序 種目 障害 出場人員
- 下肢 50人
- 車椅子 19
- 視覚(3級~4級) 4
- 体幹 4


6 洋弓
順序 種目 障害 出場人員
- 車椅子 10人
- 下肢 14


7 重量挙げ
順序 種目 障害 出場人員
- 聴覚 18人
- 視覚 20


8 相撲
順序 種目 障害 出場人員
- 聴覚(聴覚5級~6級) 20人
- 視覚(1級~2級) 8


9 車椅子障害競技
順序 種目 障害 出場人員
- 車椅子 -


10 団体競技
バスケット 山口県
大分県2チーム
福岡県


11
盲人野球 山口県3チーム



〔障害者別競技進行順序〕

1 車椅子
順序 競技名 出場人員 種目別順序
クラブ投げ 5人 投てき 1
メジシンボール投げ 10 投てき 2
砲丸投げ 2 投てき 3
槍正確投げ 5 投てき 4
洋弓 10 洋弓 1
卓球 19 卓球 2
車椅子障害 16 体育館 1
バスケットボール 3チーム 体育館 2


2 上肢障害
順序 競技名 出場人員 種目別順序
100m 32人 トラック 3
走り巾飛び 43 跳躍 1
砲丸投げ 23 投てき 7
メジシンボール投げ 5 投てき 8
卓球 29 A会場 2


3 下肢障害
順序 競技名 出場人員 種目別順序
卓球 50人 卓球B 1
大腿切断50m 3 トラック 4
50m 52 トラック 7
立巾飛 13 跳躍 3
砲丸投げ 16 投てき 10
メジシンボール投げ 10 投てき 11
やり投げ 5 投てき 12
洋弓 14 洋弓 2


4 聴覚障害
順序 競技名 出場人員 種目別順序
卓球 54人 卓球A 1
相撲(聴覚5~6) 20 相撲 1
重量挙げ 18 重量挙げ 1
100m(聴覚5~6) 103 トラック 8


5 視覚障害(1級~2級)
順序 競技名 出場人員 種目別順序
ロープ50m 27人 -
立巾飛び 21 跳躍 2
砲丸投げ 6 投てき 5
メジシンボール投げ 7 投てき 6
相撲 8 相撲 2
野球 3 チーム -


6 視覚障害(3級~6級)
順序 競技名 出場人員 種目別順序
100m 18人 トラック 2
立巾飛び 18 跳躍 2
重量挙げ 20 重量挙げ 2
卓球 4 卓球B 4


7 体幹
順序 競技名 出場人員 種目別順序
メジシンボール投げ 2人 投てき 9
卓球 4 卓球B 4


8 松葉杖
順序 競技名 出場人員 種目別順序
50m 5人 トラック 5


9 両下腿切断
順序 競技名 出場人員 種目別順序
50m競歩 2人 トラック 6



わが国へ身障者スポーツの導入

医法,白十字会弓張病院 稗田正虎
(当時国立身体障害センター所長)

昭和28年8月,私はコペンハーゲンで開かれた切断者と義肢に関するWHOの専門家会議に出席した帰途,ドイツのハンブルグに立寄り,本屋をあさって“労働と健康”叢書,ローレンチェン著“身障者の運動”を入手して帰った。
昭和32年,ロンドンで開かれた第7回国際肢体不自由協会世界大会の演者として出席し,デンマークを経てハンブルグに入り,ドイツ傷痍軍人会の賓客となった。
飛行場で小憩の後,午後6時から市営屋内プールに招かれ,ボランティアの協力指導による老幼男女の水泳訓練の実情をみた。
会社の勤めを終って参加する人であった。
毎週水曜の午後6時から身障者のみに開放されているということであった。
翌日,ハンブルグスタジアムでハンブルグ州の身障者スポーツ大会に招待された。
観客はすくなかったが家族と国防軍の協力で大会が進められていた。
開会演説で身障者スポーツを行う意義は「不幸にしてわれわれは不自由になった。
しかし長生きしなければならない。
そのためにわれわれはスポーツをやるのだ」とのことであった。
このことに私は感激し,帰国後写真などで国内に紹介した。
ローマオリンピックの直後,渡辺華子女史のパラリンピック観戦記が新聞に出た。
国立身体障害センターで今は亡き沖野亦男,宮崎音彦氏を混えて関係者が集り渡辺さんから話を聞いた。渡辺さんから紹介されたとのことで,パラリンピックの創始者,グッドマン博士から沖野と私に,東京オリンピック直後,同じオリンピックスタジアムと選手村を使用し,パラリンピックが東京で開催できるようにとの協力方依頼の文書が届いた。
私は時の社会局長太宰氏にこれを伝え,身障者スポーツのもつ社会的意義について進言し,大いに賛同を得た。
その後紆余曲折はあったが国際ストーク・マンデビル競技大会と第1回身体障害者スポーツ大会が大成功裡に行われ,社会の大きな注目と関心を集め,身障者の偉大な力を認識させるに至った。
この大会は本日まで20年,盛大に続いて高く評価されている。
発足当時の一部反対も消えた。
今にして思えば感無量である。


身体障害者スポーツとグッドマン博士

九州大学名誉教授 天児民和

脊髄損傷で両下肢が麻痺した重度の身体障害者に車椅子を利用してスポーツを楽しむことを教え,昔は只死を待つばかりであった重度身体障害者に残存機能を訓練し社会復帰の道を開き,更に世界各国の障害者が親しく交り,手をつないで共に生きる悦びを与えたのはグッドマン博士である。
さてグッドマン博士は1900年ドイツのポーランド国境に近いトストと言う小さな町に生れた。
フライブルグ大学を卒業し,ブレスロウ大学の神経病の大家であるフエルステル教授について勉強した。
此フエルステル教授は第一次世界大戦で多数の脊髄損傷者を取扱い,その研究論文は有名であるがグッドマン博士は此処で脊髄損傷の研究をした。
しかしドイツはヒットラーが政権をとりユダヤ人の排撃を始めた。
グッドマン博士の両親もユダヤ人であったので身辺の危険を感じ,英国に逃れた。
これは英国内にユダヤ人を救援する団体の助力によるためでオックスフォード大学で講師に迎えられた。
ところが,1939年ヒットラーはポーランドに侵入第二次世界大戦が始った。
1940年にはパリもドイツ軍に占領せられ,救援の英国軍も敗れ,武器を捨て,ダンケルクから英本国に逃げ帰った。
その後英政府のチャーチル首相等が欧洲侵攻を計画したが,このような大きな戦争には多くの戦傷者の出ることを覚悟して対策を立て,戦傷者を受け入れる病院も専門別に立案し,脊髄損傷専門病院はロンドンの少し北のストーク・マンデビルに建設し,その院長にグッドマン博士が選ばれた。
病院はバラックの質素なものであったが周到な準備をしてノルマンデイ侵攻を待ったのである。
英国の慎重な作戦にヒットラーも遂に破滅したが多数の脊髄損傷者が送られてきた。
グッドマン博士はその治療に全力を注いだが,脊髄が損傷を受けた場合はその恢復は容易ではないことを充分に知っているので残存機能の強化訓練に努力せられ,その手段としてスポーツを取り込んだのである。
そして1948年にはストーク・マンデビル病院で競技会を開いた。
これから英国のみでなく外国よりの参加者を受け入れ第一回国際競技会が開催せられた。
更に1960年ローマでオリンピック大会が開催せられた機会に全世界より多数の参加者を迎え車椅子生活をしている重度身体障害者の競技大会がパラリンピックの名の下に開催せられた。
これは両下肢麻痺のパラプレジアとオリンピックを組合わせてパラリンピックとしたのである。
ストーク・マンデビルでは毎年7月に行われたが1964年東京オリンピック後にも此競技大会即パラリンピックを開催することになった。
これには現在別府の太陽の家の理事長をしている中村裕君の熱意により厚生省を動かし,国際身体障害者スポーツ大会運営委員会が結成せられ準備して昭和39年11月3日より8日間盛大な競技会が開催せられた。
此大会は日本の身体障害者対策の促進に大きな力となったことは疑う余地もなく,日本のリハビリテーションは此時より急速に発展したと思う。
グッドマン博士の功績は偉大であるが1966年院長を引退して病院に接してスポーツ競技場を建設した。
又昭和50年(1975年)別府で開催せられたアジヤ身体障害者スポーツ大会に中村裕君の招きでグッドマン博士は来日した。
その前年奥様が交通事故で亡くなって少し淋しそうであった。
そして1980年3月18日80才で亡くなったのである。
英国政府もその功績を認めナイトの称号を授与した。グッドマン博士は身体障害者にスポーツを楽しませ,それを基底として社会復帰の可能性が重度身体障害者にもあると世界に示した。その偉業は永く歴史に書き残されるであろう。

グッドマン博士
昭和50年6月大分県で開催された極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会に於て
左より グッドマン博士
中央 中村裕博士
右 天児民和博士


2.パラリンピック東京大会


1)東京大会までの経過


東京大会の足がかり

身障者スポーツについては,欧米を視察した人たちから,その重要性がさけばれ,ことに,イギリスのストーク・マンデビル病院を訪れた人たちは,グッドマン博士から,1964年のオリンピック東京大会のあと,その施設を利用して国際ストーク・マンデビル競技大会(以下「S・M・G」という)をぜひ行なってほしいと要請されたので,だんだん,関係者の口の端にのぼるようになった。
昭和36年2月,世界歴戦者連盟(W・V・F)の日本理事の沖野亦男氏は,本部から身障者スポーツに関する資料の提供をうけ,これを活用して国内のスポーツ熱をたかめたいと念願して,国立身体障害者更生指導所長稗田正虎氏とはかり,冊子「身体障害者スポーツ(B5版157頁)」を刊行,関係方面に配布してその関心をたかめた。
また,同年4月13日,ローマの第9回S・M・G(ストーク・マンデビル競技大会)にただ1人の日本人観覧者として参加した渡辺華子女史が,身体障害者更生指導研究会(会長高木憲二博士)で,そのもようについて説明,つづいて沖野亦男氏が「日本における身障者スポーツの高揚について」と題して講演を行ない,終って座談会に移り,出席の厚生省社会局長太宰博邦氏から「身障者のため明るいニュースだが,受入態勢となると相当問題だ。
きょうは前向きの方向に結集する第1回の会合であることにしたらどうか」という発言があり,経費の点が問題になったが,結論として国際身障者スポーツ大会をやるかどうかは別にして,身障者スポーツはとにかくやった方がよいという意見が強かった。
さらに,同年5月,沖野氏がパリで開催されたW・V・F総会に出席してグッドマン博士に会い,いろいろ打ち合わせて帰京し,6月13日帰朝報告会を催した。
その結果として,身障スポーツについての組織を結成してその委員会で進めていくことに,出席者の賛同を得,とりあえず民間団体を中心にした準備会をつくり,ある程度の下相談,下準備をすることに決定した。
その後,数回にわたって会合をひらき協議した結果,現段階で国際身障者スポーツ大会をどうするかということは,まったく飛躍しすぎる。
まず国内のスポーツ振興を推進すべきだという意見が強く打ち出された。
そして8月10日,身障者関係の24団体が中心になり「身体障害者スポーツ振興会」を結成した。
しかし,この会は,身障者を1つに結集して活動するという方針を申し合わせ数十回の会合を開いたが,役員の人選,経費の出所の問題ばかりに時間を費やし,実質的活動にはいることができず開店休業の状態であった。
それまで,リクレーションとしての身障者運動会はあったが,36年10月22日に大分県で,身体障害者体育大会が行なわれた。
これは体育官出身の県民生部長平田準氏と海外の身障者スポーツを視察してきた国立別府病院中村裕氏の努力によって開かれたもので,わが国はじめての試みであり,全国の注目を浴びて,パラリンピック開催の促進に多大の役割を果たした。
翌37年3月,国際ライオンズ協会の幹部の人から朝日新聞厚生文化事業団の寺田宗義氏のところに「国際身障者スポーツ大会をやるのかどうか,やるのならライオンズクラブは全面的に援助する」という連絡があり,4月25日,朝日新聞社企画部長室に寺田宗義氏,堀場平八郎氏,松本征二氏,宮崎音彦氏,福永康夫氏,稗田正虎氏,氏家馨氏が集まり,
1.国内のスポーツ振興をはかり,その結果をみて,国際大会を引きうけるという線は,実際問題として困難であり,むしろ,国際大会を引きうけるという線を強く打ちだして国内態勢をつくりあげる方が早道であること
2.国際大会を引きうけるについては肢体不自由,盲,ろうあの人たちのスポーツも同時に行なうことを条件とすること
3.きたる5月10日に,小範囲の人たちで準備打合会を開催すること
4.ライオンズクラブに強力に働きかけることを決定した。
寺田氏は翌日太宰厚生事務次官と大山社会局長を個々にたずね,準備委員会結成に厚生省の協力を申し出たところ,肢体不自由,盲,ろうあの人たちを含めて行なうならば全面的に賛同する旨の了解を得た。
そこで,国際身体障害者スポーツ大会開催準備世話人として寺田氏,石島治志氏(NHK厚生文化事業団)の連名で,関係者に案内状が発送された。

東京大会実施計画の決定

運営委員会は,昭和38年4月5日,厚生大臣の設立許可をうけ,同月15日登記が完了したので,第1回理事会をひらき国際身体障害者スポーツ大会の実施計画に対する基本方針をきめた。
日 時
 昭和38年5月13日午後2時から3時30分まで
場 所
 東京都港区青山南町健保会館
出席者
 葛西,亀山,飯室,豊島,大島,大山,太田,川西,藤木,天児,島岡,沖野,岩原
(代理委任)中西,矢野,長尾,矢島,木村,曾野,東,生悦住
(委任状)上田,三木,武見,田辺各理事,今村,水野各監事
議 事

1.国際身体障害者スポーツ大会実施計画について(承認)
2.理事および監事の変更ならびに就任について
3.評議員の就任について
4.運営委員会の組織および会計規程案について
5.本年度の2つの国際身体障害者スポーツ大会参加について
6.資金の募集について
ついで,運営委員の役員を次のとおり決定した。

会 長
社会福祉事業振興会々長 葛西 嘉資
副会長
財団法人日本体育協会理事 東 俊郎
厚生団理事長 太宰 博邦
東京大学医学部整形外科教授 三木 威勇治
常任理事
厚生省社会局長 牛丸 義留
全国社会福祉協議会副会長 木村 忠二郎
東京都民生局長 北見 幸太郎
日本赤十字社副社長 田辺 繁雄
鉄道弘済会理事 長尾 頼隆
理 事
九州大学医学部整形外科教授 天児 民和
世界歴戦者連盟日本理事 有末 精三
ライオンズ国際協会302 東3地区国際カウンセラー 飯室 進
日本肢体不自由児協会会長 生悦住 求馬
東京都議会議員 板倉 弘典
慶応義塾大学医学部整形外科教授 岩原 寅猪
毎日新聞東京社会事業団理事長 上田 常隆
全日本ろうあ連盟長 大家 善一郎
WVF国際身体障害者スポーツ中央委員 沖野 亦男
厚生省医務局長 尾崎 嘉篤
学識経験者 小沢 辰男
東京都議会議員 小畑 マサエ
学識経験者 加藤 千太郎
学識経験者 亀山 孝一
厚生年金会館館長 川西 実三
日本身体障害者団体連合会長 小西 英雄
外務省情報文化局長 曾野 明
日本医師会会長 武見 太郎
東京都体育協会長 出口 林次郎
日本傷痍軍人会会長 豊島 房太郎
日本盲人福祉委員会理事長 鳥居 篤治郎
労働福祉事業団理事長 中西 実
東京都議会議員 中西 敏二
東京都議会議員 藤田 孝子
文部省体育局長 前田 充明
朝日新聞東京厚生文化事業団理事長 益田 豊彦
東京都副知事 御子柴 博見
大阪大学医学部整形外科教授 水野 祥太郎
労働省労働基準局長 村上 茂利
NHK厚生文化事業団理事長 矢野 一郎
監 事
厚生省大臣官房会計課長 戸沢 政方
評議員
東京都フェンシング協会理事長 飯田 雄久
東北大学医学部整形外科教授 飯野 三郎
東京慈恵会医科大学整形外科教授 伊丹 康人
東京都体育協会理事長 伊藤 滋郎
朝日新聞東京厚生文化事業団常務理事 衣奈 多喜男
朝日新聞名古屋厚生文化事業団常務理事 井の丸 喜久造
東京都財務局主計部長 今井 大
毎日新聞東京社会事業団常務理事 大野 理三郎
NHK厚生文化事業団常務理事 小比木 通孝
朝日新聞大阪厚生文化事業団常務理事 賀集 一
東京卓球連盟 川上 理三
社会福祉事業振興会常務理事 甲賀 春一
東京都体育協会副会長 小口 政雄
中部労災病院副院長 小菅 真一
岡山大学医学部整形外科教授 児玉 俊夫
東京都アーチェリー協会副会長 小沼 英治
厚生年金玉造整形外科病院 塩野 徳政
北海道大学医学部整形外科教授 島 啓吾
東京都民生局保護部長 高鍋 三千男
日本肢体不自由児協会常務理事 田波 幸男
九州労災病院長 内藤 三郎
全国社会福祉協議会事務局長 新国 康彦
全国社会福祉協議会身障部長 花田 更生
東京都バスケットボール協会会長 林 一夫
東京都総務局渉外部長 林田 重義
朝日新聞西部厚生文化事業団常務理事 上野 美夫
NHK厚生文化事業団常務理事 牧 真
厚生団常務理事 松原 久人
関東労災病院長 水町 四郎
東京都民生局総務部長 三宅 泰治
関西労災病院 宮本 孝男
東京都陸上競技協会会長 村木 武夫
東京都オリンピック準備局企画部長 森岡 一夫
医療金融公庫総裁 安田 巌
美唄労災病院長 若松 不二夫
日本ウェイトリフティング協会 西川 正一
財団法人交詢社 斉藤 憲蔵
企画委員
厚生省医務局総務課長 渥美 節夫
東京都フェッシング協会 伊藤 知恭
東京都アーチェリー協会 猪俣 与一
朝日新聞運輸部 小俣 寿雄
厚生省医務局国立療養所課長 大村 潤四郎
中央共同募金会広報部長 河村 定治
東京都水泳協会 菊地 章
整肢療護園長 小池 文英
東京都民生局保護部保護課長 河野 正孝
厚生省社会局更生課長 今野 恒雄
世界歴戦者連盟日本通信員 斉藤 博之
厚生省大臣官房連絡参事官 斉藤 勇一
国立聴力言語障害センター所長 颯田 琴次
東京都バスケットボール協会 鈴木 正三
厚生団事務局長 鈴木 正信
東京都民生局総務部庶務課長 杉山 竜
日本赤十字社社会部長 高木 武三郎
身体障害者更生指導研究会副会長 高瀬 安貞
国立東京視力障害センター所長 高田 秀道
広報技術評論家 高橋 春人
朝日新聞東京厚生文化事業団 寺田 宗義
国立箱根療養所長 富田 忠良
鉄道弘済会身体障害者福祉部長 中村 春吉
国立別府病院整形外科医長 中村 裕
厚生省医務局国立病院課長 浜田 彪
国立身体障害センター所長 稗田 正虎
大分県国体事務局長 平田 準
東京都身体障害者団体連合会事務局長 福永 康夫
NHK厚生文化事業団事務局長 堀場 平八郎
全国社会福祉協議会業務部長 牧 賢 一
労働福祉事業団事業部企画課長 真崎 徹
東京都民生局保護部監理課長 町田 英一
財団法人鉄道弘済会社会福祉部長 松本 征二
東京都民生局保護部厚生課長 松本 正
全国鉄身障者協会理事長 宮崎 音彦
東京厚生年金病院整形外科医長 森川 邦造
東京卓球連盟 矢尾板 弘
東京都民生局総務部普及課長 矢部 喜一
労働問題研究家 渡辺 華子
東京都体育協会 渡辺 政雄
東京陸上競技協会 渡辺 弥太郎
日本ウェイトリフティング協会常任理事 野中 義治
日本ビリヤード協会理事 野川 博孝
事務局長
国立身体障害センター次長 氏家 馨

広報活動に努力

法人の設立当初は,身体障害者スポーツ大会実施に必要な資金の確保に,葛西会長以下役職員一丸となって苦労した。
葛西会長,寺田,堀場両企画委員,氏家局長の4名は,特に連日経団連をはじめ財界の有力者をしらみつぶしに訪問して協力を求め,高瀬,稗田両企画委員も財界有力者に援助方を懇請して回ったが,財界はちょうどオリンピックに多額の割当をうけ四苦八苦している現状を逆に訴えられ,毎日重い足をひきずり回っている状態であった。
これも身障者スポーツに対する社会の認識不足の結果であるので,機会をとらえて広報活動を活発にすることになり,昭和38年5月14日,新宿区体育館で盛大な財団法人の発会式を挙行した。
発会式は,厚生省,東京都の後援を得て,700名の参会者を集め午後2時から4時まで次の次第で行なわれ,模範競技などのアトラクションで式を盛りあげた。

・・発会式次第・・
演 奏 海上自衛隊音楽隊
発表会

1.会長あいさつ
2.三笠宮殿下メッセージ
3.祝辞 西村厚生大臣,東都知事
NHKから関係施設へ車椅子交付
模範競技
1.洋弓 国立箱根療養所
2.卓球 国立身体障害者更生指導所,国立ろうあ者更生指導所
映画 ローマ大会記録
そして,昭和39年11月8日から7日間,代々木の選手村で国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)を開催する旨が宣言された。

外国の身障者スポーツ大会に参加

発会式が終ると当年度事業の1つである海外派遣の準備に忙殺された。
派遣事業の推進は企画委員会が中心になって行ない,必要の都度委員会を開催して事業を実施した。
まず,パリのWVF本部内に組織されている国際身体障害者スポーツ連盟(会長=ノーマン・アクトン氏)から37年7月16日から20日までの5日間,オーストリアのリンツ市で第1回国際身体障害者スポーツ大会を開催するので,日本からもぜひ参加してほしいと,会長宛に招請状がきたので,これに参加することに決定し選手の推せんを各都道府県に依頼し,選こう委員会で次の5名を決定した。

東京都 有富洋平太(17才)高校生 左下肢切断
〃  大槻  寛(16才)高校生 両下肢マヒ
埼玉県 浅野 正次(46才)会社員 右上肢切断
大分県 高崎 謙一(36才)施設職員 左上肢切断
神奈川県 岩井 良平(52才)会社々長 全盲

役員および付添いは葛西会長,寺田宗義,増田弥太郎,森川邦造,山崎晋,中村裕,小島宏子の諸氏に決定し,7月9日東京に集合,連日TV,ラジオなどの出演,総理大臣,厚生大臣,労働大臣訪問のあいさつが報道機関にとりあげられ,大きく世論の喚起に役立った。
一行は13日夜官民多数の見送りをうけ,元気に羽田を出発した。
大会は15ヵ国240名の選手が参加し,盛会のうちに終了したが海外の報道にも日本の参加が大きくとりあげられ,国際親善と翌年のパラリンピックの開催に大きな成果をあげた。
さらに,昭和38年7月24日から27日までの4日間,イギリスのロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院で開かれた競技大会に選手2名(神奈川県安藤徳次,大分県堤憲蔵)を送り,同時にパラリンピック東京大会の打合わせを行なうための役員として葛西会長,寺田宗義,堀場平八郎,氏家馨,森川邦造,小島宏子の諸氏が派遣され,競技大会中に開催された7月25日の会議に参加して,東京大会の詳細な打合わせを行ない,だいたいの構想を練り,さらに東京大会に必要な資料の収集や調査を行なって帰国した。

最後の準備段階に入る

海外派遣も一段落したので,いよいよ資金確保に力を傾注することになり,会長を先頭に,連日連夜,関係方面へ懇請して回った。
同時に大蔵省に申請中であった免税の取扱いがきまり大蔵省告示第258号(昭和38年8月21日官報登載)で,とくに「指定寄付金」にされることになった。
この扱いがきまったので,法人の場合,寄付金額に関係なく,その税金が免除され,個人の場合もその額によって所得税が軽減される特典が与えられることになった。

大蔵省告示第258号

所得税法施行規則(昭和22年勅令第110号)第6条の3第1項第2号および法人税法施行規則(昭和22年勅令第111号)第8条第1項の規定に基づき,寄付金控除の対象となる寄付金または法人の各事業年度の所得の計算上損金に算入する寄付金として,第1号に掲げるものに対する第2号に掲げる使途のための寄付金を指定し,個人または法人が第3号に掲げる期間内において支出した寄付金について適用する。
昭和38年8月21日
大蔵大臣 田 中 角 栄

1.寄付金を受けるべきものの名称(住所)財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(東京都新宿区戸山町1番地,国立身体障害者更生指導所内)
2.寄付金の使途 第13回国際身体障害者スポーツ大会準備および開催の費用
3.指定期間 昭和38年8月1日から昭和39年7月31日まで


一方,オリンピック組織委員会とも密接な連絡をとって,選手村の借用につき具体的な折衝をつづけた。
昭和38年9月19日葛西会長は,オリンピック担当大臣だった佐藤栄作国務大臣を私邸に訪ねて正式に了解を得た。
ライオンズ国際協会は,昭和37年のガバナー会議で決定した協賛金を全国の会員から募集していたが,その第1回分として集められた6,664,340円の贈呈式が昭和38年9月9日,厚生大臣室で小林厚相立会のもとにE1地区福島ガバナーから葛西会長に手渡された。
これは本会に対する寄付金の第1号であり,また多額であったので会長以下日夜努力していた役員の感激はひとしおであった。
パラリンピック東京大会の準備も,これまでは国立身障センターが事務局を引きうけていたが,関係方面の折衝も具体的になり,事務もふくそうしてきたので,11月7日に開催された企画委員会で,10の部会をつくり,おのおのの部会を関係団体に分担して貰うことにした。

企画調査部会 事務局
官庁連絡調整部会 厚生省社会局更生課
選手村運営部会 東京都
競技部会 国立身体障害更生指導所,国立東京光明寮,国立ろうあ者更生指導所
資金対策部会 社会福祉事業振興会
広報部会 全国社会福祉協議会広報部
通訳部会 日本赤十字社
サービス部会 鉄道弘済会
国内選手強化対策部会 全国社会福祉協議会
研究視察部会 厚生団
そして開会中の医療救護には日本赤十字社があたることになった。
部会を担当した団体は,その担当業務の企画,立案,準備を行なうことにし,毎週水曜日午前10時から11時まで横の連絡をはかるための定例会議をひらき,会長(不在のときは太宰副会長)が議長となって当面の問題を協議し,一回も欠かさず励行されたので,準備は急速に進んだ。
一方,11月8日の閣議で,本大会開催について,関係行政機関は協力と所要の便宜を供与するよう閣議了解が行なわれ,各官庁の協力も積極的になり,東京大会の準備は事務局から離れて各部会の活動に移行された。

対外交渉の経過

東京オリンピックのあとをうけて,日本で国際身体障害者スポーツ大会を開催する正式な承諾は,運営委員会が法人化して第一回理事会を開いた昭和38年5月13日付をもって,ストーク・マンデビルのグッドマン博士あてに通知された。
5月13日付文書は次のようなもので,まず国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の設立とそのメンバーを知らせ,国際身障者スポーツ大会の開催をひきうける旨と,それに対するストーク・マンデビル競技委員会本部の援助を希望したものである。


日本運営委員会からの通知
1963年5月13日 運営委員会
イギリス国立脊髄損傷センター所長L・グッドマン博士,WVF身障者スポーツ国際委員会事務局長G・ブリンクマン氏宛

SMGおよびリンツ大会への日本参加と1964年パラリンピックについて
私どもの委員会は,1953年4月5日に厚生省から財団法人として,公式に承認され,その発会式が5月14日に東京で,厚生省と東京都庁の後援をもって行われることをここにお伝えできることを非常にうれしく思います。
委員会のスタッフメンバーを下記に御紹介いたします。
運営委員会会長 葛西嘉資(日本赤十字社前副社長)
事務局長 氏家 馨(国立身障センター次長)
理事 29名をもって構成,下記を含む
政府役人=厚生省,労働省,文部省,東京都
民間組織=医療,整形外科,赤十字,アマチュア運動,社会福祉,身体障害者,肢体不自由児,盲ろうあ,傷病兵および世界歴戦者連盟(沖野亦男)
社会福祉事業=NHK,朝日,毎日,ライオンズ国際クラブ,ヤングマン商工会議所,鉄道弘済会
さしあたっての緊急活動は,
(1) 今年7月のSMGに2~3人の参加者を出す
(2) 同月リンツ大会に3~4人の代表を出す
(3) 来年,東京オリンピック後の国際身障者スポーツ大会の準備,特に11月3日~6日に予定されている第1部・・パラリンピック(SMG  )・・に全面的に協力をあおぎたい。
ひきつづき,第2部として脊損を除く,日本身障者の国内大会を11月7日~10日にする。
従って(3)の質問に関連して,日本にくるために,そちらで,前にしたようにSMG参加グループを組織して下さるか,あるいは,当方が各国別々にグループ毎に招待するべきかその点御回答下されば幸いです。
(1)と(2)に関しては詳細をできるだけ早くお知らせするつもりです。
みなさまの健康と繁栄を希望,また新しく生まれた組織にあたたかい御援助をたまわりますようにお願いして,私どもの最初のごあいさつといたします。


この通知に対し,5月21日付グットマン博士から,次のような返事がきた。


グットマン博士の返事
1963年5月21日
国際ストーク・マンデビル競技委員会会長
ルードイッヒ・グットマン

葛西嘉資 殿

13日付貴簡ありがとうございました。
承れば,貴殿が日本における国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長に御就任の由大慶に存じます。
ついてはわれわれができる限りの協力を惜しまない所存であることを申上げたいのであります。
おたずねの件について申上げますと,貴委員会,特に貴殿御自身が国際ストーク・マンデビル競技委員会と緊密な協力の上活動されることが必要であると存じます。
それは国際ストーク・マンデビル競技会は何処で開催されるにいたしましても,その責任は当国際ストーク・マンデビル競技委員会が持つわけであるからであります。
その詳細についてわれわれの間でお話合いをいたすことがきわめてたいせつなことでありますから日本における組織委員会の会長として貴殿御自身,当地に開催されるべき1963年度のストーク・マンデビル競技大会に御出席下され,その節,国際ストーク・マンデビル競技委員会内で全般にわたり,詳細に御相談いたす機会をもちたいものと思います。
切に御出席をお願い申上げます。


この書簡にあるストーク・マンデビル競技大会は,昭和38年7月24日から27日まで開かれ,前述のとおり,この大会には東京パラリンピック打合わせのため,特に葛西会長はじめ寺田,堀場,氏家,山崎,中村,森川,小島の諸役員がロンドンにわたって,7月25日に開催された委員会本部の会議に出席した。
会議は午後4時から開かれ日本代表の紹介,新委員への推せんなどがあり,東京パラリンピック開催に対する,日本派遣団と委員会本部との間で討議された事項は次のようなものである。

討 議 事 項

1.各選手団の到着=11月6日,7日
2.会期=11月8日から12日まで
3.日本国内競技会=11月13日,14日
4.各選手団帰国出発=11月15日
5.宿泊
a.選手と付添は同じ宿舎とし,選手は1階,付添は2階とする
b.便所は十分な数を用意し,かつ車椅子で入ることができなければならない
c.浴槽入浴よりもシャワーが望ましい
d.ベットは適切なものとする
e.食堂は1階とする
6.競技場=競技場,体育館および水泳プールの位置(宿舎との遠近関係を示す)と大きさの詳細を1カ月以内に知らせる。
7.競技規則および参加申込様式=国際ストーク・マンデビル競技委員会が既存のとりきめ方に基づき,これを処理する。
招集すべく国名表は日本委員会へ通知する。
8.審判員=審判員の手配については,現在と同様に国際ストーク・マンデビル競技委員会の技術顧問にこれをまかせる。
9.個人競技=日本側はスヌーカーに関する使用可能な設備について追って当委員会へ通知するものとする。
ボーリングについては設備がない。
その他のすべての競技についてはその設備がある。
10.開会式および閉会式=開会式8日,車椅子の行進および登壇(発言)者の順序はローマ大会の場合に準ずる。閉会式12日,登壇(発 言)者の順序はローマ大会の場合に準ずる。
11.授賞は毎日これを行ない,主要トロフィーだけについては最終日にこれを行なう。
12.メダル=日本委員会はメダルをつくることにしている。
国際ストーク・マンデビル競技委員会は,日本側に見本を示し,所要数を知らせるものとする。
13.競技に参加しない競技者が見物に出られるように日本側委員会は,毎日選手の外出について手配するものとする。

さらにグットマン博士は,7月27日付で,次のような希望や注意をあたえ,競技会前に代表者を東京へ派遣する旨を伝えた。


グットマン博士からの書簡

1963年7月27日

国際ストーク・マンデビル競技委員会会長 ルードイッヒ・グットマン

葛西嘉資 殿

国際ストーク・マンデビル競技委員会規約第3部第1項の規定に従い,1964年オリンピック競技会の直後東京において開催予定の1964年国際ストーク・マンデビル競技会に対し,日本が開催国としての資格をもってISMGFのメンバーになるよう招請されることを,私は大きな喜びをもって御通知申上げます。
私は,貴委員会から公式に御受諾いただくと同時に国際ストーク・マンデビル競技委員会に参画される貴殿の指名される代表者名を御通知下さるようお願い申上げます。
同封の写,規約第3部第1項の規定に従って,次の事項を決定いたしましたから御諒承下さい。
それは指名を受けた3名の代表者から構成される小委員会が競技会前に東京を訪問し,日本側実行委員の方とともに組織および手順の詳細について討議させてもらいたいということです。
1960年国際ストーク・マンデビル競技会をローマでオリンピック競技会の諸制約下にオリンピック後に行なった際,われわれはイタリアオリンピック委員会から緊密な接触ときわめて大きな協力を得たのでした。
私は東京において開催される下半身マヒ者のための国際ストーク・マンデビル競技会が輝かしい成功を収めるよう熱望するとともに,この機会に貴殿ならびに御いっしょに事に当っておられる方々に対し,その御熱心と御協力とに対し,感謝の意を表するものであります。

これで一応,イギリスの委員会本部との連絡もつき,東京大会へのメドもついたので,国内態勢を着々おし進めると同時に,昭和39年4月25日,34ヵ国39団体に招待状を発した。
アルゼンチン オーストラリア オーストリア ベルギー デンマーク フィンランド カナダ インド イタリア フランス イスラエル アイルランド インドネシア イラン ニュージーランド マルタ ノルウェー パキスタン オランダ フィリッピン 南ローデシア ポルトガル スウェーデン アメリカ スイス ユーゴスラビア 南アフリカ アラブ連合
以上28カ国(加盟団体宛)
レバノン ウルグァイ シンガポール イギリス 韓国 西ドイツ
以上6カ国(個人宛)


招待状 会長 葛西 嘉資

1964年度,下半身マヒ者国際ストーク・マンデビル大会を,オリンピック終了18日後の11月8日から12日迄の間に東京で開催されることは前もって国際ストーク・マンデビル大会委員会の会長であるドクター・L・グットマン氏から,一応の通知をおうけとりになったと思いますが,今日改めて,書面をもって日本国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長である私が,心からこのわれわれの重要な儀式の賓客として御招待申し上げます。
選手,付添い,関係役員等に付随する次の一切の費用は,主催側であるわが委員会が,すべてお世話することをお知らせいたします。

a.11月6日~15日迄の選手村での食事を含めて,日常の必要品
b.羽田空港から選手村迄の交通費

上記以外の洗濯料,間食費,私的観覧などのような個人的な費用は負担いたしません。
国際ストーク・マンデビル大会委員会の主催国を代表する日本運営委員会は,国際ストーク・マンデビル大会委員会と共同して働き,入場方法などのような関連したことがらすべてのものはストーク・マンデビルから発展した国際ストーク・マンデビル大会委員会の通例の手順によって行ないます。

グッドマン博士一行競技場等の準備状況を視察

グッドマン博士一行競技場等の準備状況を視察

この大会が貴下の十分な支持によって催されるならば大変に幸いであります。
そしてどうぞ,できるだけ早く,選手と付添いを含めて,貴下のチームの人数をお知らせ下さるようお願いいたします。
この招待状に対して,5月13日のイスラエルをはじめ各国団体から参加承知と不承知の返事が次々と送られてきた。
その2,3をあげる。


1964年5月13日 イスラエル,エ・ハーレル会長
私は東京で行なわれる最も重要な競技大会に参加するよう貴殿からの招待をうけとり感謝しております。
われわれのチームは,9人の脊髄損傷の選手と3人から4人の付添とトレーナーを含んでおります。
われわれは協力したら1964年ストーク・マンデビル競技大会は大成功になるだろうと確信しております。

1964年5月20日 ニュージーランド,エッチ・イ・ピァーズ会長
ジェ・キューリ嬢あての4月25日付の貴殿の手紙について,わたくしは11月に東京で開催されるストーク・マンデビル競技会に代表を送ることはわれわれにとっては,現在できないだろうということをお知らせしなければならない。
もちろん,競技会への不参加は,われわれニュージーランドの者すべてにとって,大きな失望である。
しかしながら,われわれは貴殿の親愛なる御招待に対して心から感謝するとともに最善をつくして,立派な競技会であらんことをお祈りいたします。

1964年5月28日 オーストラリア,脊髄損傷者協議会長
オーストラリア脊髄損傷者協議会会長として,付添を含めて15名か16名の選手団が大会参加のため,海を渡って東京に行くことを心から楽しみにしておりますと申し上げることを幸せに存じております。
現在われわれはこの面白くてたまらない冒険のために積極的に資金募集をやっております。
東京へ出発する予定のわれわれのチームの中には医師1人,看護婦1人,物療師1人およびおそらく1人のトレイナーと4人が付添として含まれると思います。
わたくしが現在予知している小さな問題があります。
それは航空路の時間表により,11月5日の夕刻か6日の午前中に東京におそらく到着するだろうということです。
選手村がこの時に開かれないとすると,われわれはこの1晩の間われわれのチームのための私的宿泊所を用意しなければならないのかどうかについて十分にお知らせいただきたいと存じます。

こうした各国からの返事が到着しつつある6月1日,グットマン博士一行が来日した。
一行はグットマン博士とジュアン・スクルートン嬢,チャーリー・アトキンソン氏3名で,東京大会援助のため5月31日ロンドンを出発,6月1日午後6時55分羽田に到着,6月9日までの次の日程で,在京の関係機関や競技場を訪問し,大分県をたずねた。
5月31日(日曜) 11時50分ロンドン発,日航機
6月1日(月曜) 18時55分東京着
6月2日(火曜) 関係機関代表訪問
6月3日(水曜) 会議
6月4日(木曜) オリンピック村および競技場見学
6月5日(金曜) 17時50分東京発,18時20分福岡着,日航機
6月6日(土曜) 午前九州大学で講演,12時5分福岡発,15時3分別府着
6月7日(日曜) 別府市内見学,23時別府発,船
6月8日(月曜) 12時神戸着,京都見学,午後京都発
6月9日(火曜) 午後東京着,22時30分東京発,日航機
6月10日(水曜) 8時45分ロンドン着

なお,一行中アトキンソン氏は九州に旅行せず,東京大会援助のため競技部会と打合せをつづけていた。

日本政府から出された通知

東京パラリンピックの開催に対する政府の協力は,昭和38年11月8日の閣議了解によって決定し,厚生省社会局から各都道府県知事および指定都市市長,琉球政府主席,関係団体などに協力を要請する通知が発せられた。
昭和38年11月8日の閣議了解
国際身体障害者スポーツ大会について
国際ストーク・マンデビル競技委員会および財団法人身体障害者スポーツ大会運営委員会の共催により,明年オリンピック東京大会の直後,11月8日から14日まで,東京において国際身体障害者スポーツ大会が開催されることになっているが,スポーツの実施が身体障害者の自立更生に寄与すること,きわめて大なる点にかんがみ,関係行政機関は,その開催準備に協力するとともに,所要の便宜を供与するものとする。


厚生省社会局通知
社発第83号
昭和39年2月10日

厚生省社会局長

各 都道府県知事 指定都市市長 殿

国際身体障害者スポーツ大会の開催について
本年オリンピック東京大会終了直後,国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」と略称)がわが国において開催されることについてすでに御承知のとおりであるが,この大会が身体障害者の自立更生とリハビリテーション技術の国際的交流の促進に寄与するところ大なる点にかんがみ,当局においては,その準備と運営の円滑化を図るため,国内における大会の実施責任者として,昭和38年4月,財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」と略称)の設立を許可し,じ来,その行なう業務に対して協力を行なってきたところである。
しかしながら,大会の性格および規模の点からみて,運営委員会を中心とする努力にのみ円滑な大会の開催を期待することは困難と思料されていたので,国をあげて大会に対する援助の態度を整えることを考慮し,客年12月8日「国際身体障害者スポーツ大会の開催について」により,閣議の了解がえられ,大会の開催準備につき,関係行政機関から所要の協力と便宜の供与とがなされる運びとなった次第である。
中央における経緯はおよそ以上のとおりであるが,さらに万全を期するためには,各都道府県および指定都市の十分な協力と援助を不可欠とすることはいうまでもなく,ついては,貴職におかれても,次に掲げる事項を了知し,この大会の意義をご理解のうえ,管下の各援護機関および関係諸団体ならびに身体障害者,一般住民等に対し広く周知徹底を図るとともに,参加者に対して積極的な接触ないし後援を行なう等,この大会の円滑な遂行について格段の御協力を賜わりたくお願いする。

1.大会の意義  大会の開催は,本人については精神的ないし身体的な更生を促進し,一般国民については身体障害者に係る関心と理解を高める等わが国における身体障害者のリハビリテーションに大きく寄与するのみではなく,世界的に高まりつつある身体障害者のリハビリテーションに占めるスポーツの重要性に係る諸問題の国際的な情報および経験の交換を盛んにするとともに,身体障害者の福祉の分野における各国所在の諸機関および団体の間の協力を促進し,あわせて一般的な国際間の親善にも寄与するところ大であること。

2.大会の主催者  大会は,国際競技である第1部については国際ストーク・マンデビル競技委員会と運営委員会との共催により,国内競技である第2部については運営委員会の主催により,それぞれ開催されるものであること。
ちなみに,国際ストーク・マンデビル競技委員会とは1952年以降,毎年国際的規模により英国ロンドン郊外の国立ストーク・マンデビル病院(オリンピック開催年においては,当該オリンピック開催地)で行なわれている脊髄損傷者のリハビリテーションの一環としてのスポーツ大会である国際ストーク・マンデビル競技会の実施責任団体であって,現在37ヵ国が参加している実情であること。
なお,わが国からは,昭和37年および同38年この国際競技会に参加したものであること。

3.中央官庁の協力  それぞれの事項について協議を了し,または折衝中の中央官庁としては,選手の輸送,通信等について防衛庁,出入国等について法務省,諸外国との連絡等について外務省,国有財産の使用等について大蔵省,競技の実施に対する援助等について文部省等であること。

4.大会実施の概要

(1) 開催期日 昭和39年11月8日から同年同月14日まで(8日から12日まで第1部,13日および14日第2部)
(2) 参加予定選手 外国選手360名,付添140名,計500名,国内選手500名,付添200名,計700名
(国内選手のうち50名は第1部に参加)
(3) 大会の区分
第1部 国際ストーク・マンデビル競技会(国際)
第2部 身体障害者スポーツ大会(国内)
(4) 競技種目 第1部,14種目,第2部,7競技群
(5) 施設

競技場  オリンピック東京大会選手村および同地内に建設される体育館,水泳場およびトラックを使用
宿 舎   上記選手村の1部を使用し,国外および国内選手ならびに付添につき,その全員を収容

5.大会の企画および実施に係る事務処理態勢

運営委員会内部の機関たる企画委員会に,別紙(3)「国際身体障害者スポーツ大会運 営委員会企画委員会業務分担表に掲げる10の部会を設け,それぞれ分担の業務について企画立案し,理事会の承認を得てこれを各部会の責任のもとに実施させることとしている。

6.資金計画  資金については国および東京都からの補助金,協賛団体その他一般からの寄付金等を予定し,これらをあわせ,大会準備費および開催費として予算総額7千万円の計画であること。
なお,昭和39年度国庫補助金として2千万円,同年度東京都補助金として1千万円の計上が見込まれていること。

7.大会の実施細目  大会実施に関する細目については,決定次第逐次通知する予定であるので,管下の各援護機関,関係諸団体および身体障害者等に対しすみやかに周知徹底させるとともに,貴職において所要の措置を講ずる等遺感のないよう配意されたいこと。

8.大会への参加  大会開催の趣旨に照らし,すべての都道府県および指定都市からの身体障害者の参加が期待されるところであるので,管内身体障害者の大会参加のための諸準備および参加費用の予算化については格段の考慮をされたいこと。
なお,選手の選考,訓練,大会への派遣等に関しては,貴管内に存する諸般の事情を十分考慮し,遺漏のないよう留意されたいこと。

準備状況の打合せ

準備状況の打合せ
準備状況の打合せ


社発第83号
昭和39年2月10日

各都道府県指定都市民生主管部(局)長殿

厚生省社会局更生課長

国際身体障害者スポーツ大会実施要領について

 本年わが国において国際身体障害者スポーツ大会(以下〈大会〉という)が開催されることになったので,本日別途都道府県知事及び指定都市市長あて社会局長通知「国際身体障害者スポーツ大会の開催について」をもって大会の開催に関する各種の協力要請がなされたところである。
ところで大会の開催準備にあたり,その実施要領の一部等について,別添のとおり,すでに決定をみたものもあるので,次に掲げる事項をあわせ了知のうえ何分のご協力を煩わしたい。

1.大会の実施要領について

大会の実施要領については,準備等の関係上一括して通知できないため決定次第その都度通知するので編綴のうえ,大会の実施要領とされたい。

2.大会の参加費用

大会の参加費用については,参加選手及び付添の滞在費(食費及び宿泊費)は大会主催者において負担するが,大会参加の旅費及び諸雑費(ユニホーム等)は大会参加者の負担となるので,必要な費用の予算化について格段の配慮をされたいこと。

国際身体障害者スポーツ大会実施要領(その1)

1.大会参加資格

大会に参加できるものは,次の各号に該当する者とする。
ただし,第1部国際ストーク・マンデビル競技会(以下「国際大会」という)に参加できる者は次の各号に該当する者であって下半身マヒのものとする。

  1. 身体障害者福祉法(昭和24年法律第283号)第15条の規定により身体障害者手帳の交付を受けた者
  2. 年令16才以上の者
  3. 大会参加前3ヵ月以内に競技参加について医師の診断(健康診断,運動の適否及び障害区分診断)を受け適当と認められた者

2.参加選手の決定

参加選手の決定については,各都道府県,指定都市の推せんに基づき,次の方法により行なうものとする。
なお,推せん及び決定の時期等については,別途通知するものとする。

  1. 国際大会に参加する日本選手の選考及び決定は,各都道府県,指定都市の推せんにより候補者を把握のうえ,各都道府県,指定都市単位に第1次,ブロック単位を第2次として 関係都道府県,指定都市と財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下〈法人〉という) と協議のうえ選考を行ない,決定するものとする。
  2. 第2部身体障害者スポーツ大会(以下「国内大会」という)の参加選手の決定は,各都道府県,指定都市の推せんに基づき,法人においてこれを行なうものとする。

3.参加選手及び付添の割当

  1. 国際大会
    国際大会の日本選手の参加人数は50人とし,これに対する付添は別途割り当てるものとする。
  2. 国内大会
    参加選手の総わくは,約450人とする。
    参加選手の都道府県,指定都市ごとの割当基準は,各都道府県,指定都市における身体障害者手帳交付台帳登録数を基準に割り当てるものとするが,大会開催地元都道府県については,追加割り当てを行なうものとする。

手帳登録数          選手割当数
4万人以上         18人
2万人以上4万人未満  11人
2万人未満         7人
開催地元分         20人

  1. 参加選手の付添のうち,選手村に選手とともに宿泊する付添は,各都道府県,指定都市2人とする。
  2. 障害別及び性別の割合については,おおむね肢体不自由者5,視覚障害者2,聴覚障害者2の比率とし,女性の参加選手は,各都道府県,指定都市において1人を参加させるものとする。

4.大会の競技種目

  1. 国際大会の競技種目については,前記2の通知の際詳細に示すものとする。
  2. 国内大会の競技種目については,別紙「国内大会競技種目及び障害別適用表」のとおりとする。

5.大会参加選手の競技条件

  1. 国内大会の参加選手は,別紙「国内大会競技種目及び障害別適用表」の陸上競技群のうちから,必ず2競技群の1種目に出場するものとする。
  2. 水泳競技の参加選手は,陸上競技参加選手の約半数を参加させることを目途とする。

6.大会の競技規則

  1. 国際大会の競技規則は,国際ストーク・マンデビル競技会競技規則とする。
  2. 国内大会の競技規則は,障害別に異なるので,おって配布する「国内大会競技規則の解説書」によるものとする。

7.大会参加費用負担

大会の参加費用のうち,法人が負担する経費は,参加選手及び付添の滞在費とする。

  1. 滞在費の内訳は,食費及び宿泊費とする。
  2. 滞在費の負担期間は,選手村への入村から退村までの期間とする。
  3. 国際大会入村(11月6日午後の予定)
    退村(11月12日中)
  4. 国内大会入村(11月11日午後の予定)
    退村(11月15日中)

滞在費を負担する対象者は,前記3による参加選手及び付添とする。

[別紙「国内大会競技種目及び障害別適用表」略]


社発第83号
昭和39年2月10日
琉球政府主席 大田政作殿

厚生省社会局長 国際身体障害者スポーツ大会の開催について

身体障害者のスポーツについては,すでに諸外国では機能回復その他心理的および健康保持等の面から更生上の効果がきわめて著しい点に着目し,広く実施されているところであります。
わが国においても,客年各都道府県,指定都市主催により身体障害者スポーツ大会を開催するなど身体障害者スポーツの振興を図ってきたところでありますが,本年オリンピック東京大会終了直後,国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」と略称)がわが国において開催されることになり,大会開催の準備を進めているところでありまして,この大会開催の趣旨から,同大会へ沖縄からも特別参加されるよう,何分の御高配をお願いする次第であります。


厚生省医務局長・財団法人厚生団理事長
労働福祉事業団理事長,文部省大学学術局長殿

 厚生省社会局長

国際身体障害者スポーツ大会の開催について

本年,オリンピック東京大会の終了直後,わが国で開催される国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」と略称)の開催準備につきましては,かねてより種々御高配を賜り,厚く御礼申し上げます。
ところで,大会の第1部である国際ストーク・マンデビル競技会(以下「国際大会」と略称)は,車椅子を使用する下半身麻ひ者を対象としております関係から下半身麻ひ者に係るリハビリテーションの一環としてのスポーツの導入後なお日の浅いわが国におきましては,参加選手の決定につき特に慎重を要するところであります。
しかしながら,開催期日(昭和39年11月8日から同年同月12日まで)との関係からみて,早急にこれを決定し,国際大会参加に必要な諸般の準備に着手することが緊要と考えられ,国際大会の国内における実施責任団体である財団法人身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」と略称)においては,先般来関係の諸機関,諸団体等から関係者の出席を求め,種々検討を行なった結果,第1部に参加する選手の決定に係る手続き等につき,一応の結論をえた次第であります。
ついては,ご多忙のところ誠に恐縮でありますが,結論をみた事項のうちには,貴職及び貴管下各施設等のご協力によらなければならない事項が数多くありますので,次の各事項にご留意のうえ,何分のご協力を賜わりますようお願いいたします。
なお,この通知の内容を貴管下各施設に周知くだされば幸いであります。
おって,参考として関係資料を同封しましたので申し添えます。

  1. 国際大会に参加する選手の決定は,各都道府県,指定都市(以下「各都道府県」と略称)の推せんに基づき,運営委員会内に設置予定の選考委員会の判定により最終的に行なわれることになるが,候補者に係る健康診断,競技実施の可能性の判定等は本人の症状を熟知している医師によって行なわれることが不可欠とされ,また,選手が競技に参加する期間中本人の特質を十分把握している医師等を付添わせる必要があるうえ,国際大会の競技種目については団体競技が少なくない等の事情にある等のことにかんがみ,これらの諸点について比較的対処し易い態勢にある国立重度障害者センター,国立病院,国立療養所,厚生年金病院,労災病院,大学付属病院等(以下「関係諸施設」と略称)においては,関係各都道府県と連絡を密にし,入所者の競技参加に進んで協力されたいこと。
  2. 居宅の者も含め,各都道府県からの参加候補選手の推せんに当っては,競技への出場が適当である旨の健康証明書を提出することとなっており,この作成については専門医の診断を必要とするので,関係各都道府県から健康証明書の作成方について要請のあったときは,貴管下関係施設において何分の協力を願いたいこと。
  3. 国際大会に参加する選手につき,各都道府県からの候補者の推せんの状況により代表選手決定のため実施が必要となることも予想される予選及び選手決定後各都道府県ごと現地において実施が見込まれる強化訓練(前者については,関係各都道府県及び関係施設と協議のうえ,運営委員会において実施計画を作成し,後者については,諸般の事情から全選手を特定の場所に集めることはせず,各関係施設ごとに当該都道府県と連絡をとり,適宜実施する)に関しては,関係諸施設所属のものが相当多数参加することが考えられるので,このような場合における医師等専門職員の協力,施設及び器具の提供等について協力されたいこと。
  4. 運営委員会において負担する選手関係経費は,予算の総わくとの関係から,選手及び付添の選手村入村後昭和39年11月15日まで同村滞在中に要する宿泊費及び食費に限られているので,やむを得ない実情をご了承のうえ,健康証明書の作成,予選ないし強化訓練の実施等に要する経費については,関係各都道府県と協議し,貴職において負担することとされたいこと。

社更第107号
昭和39年6月30日
各都道府県,指定都市,民生主管部局長殿

厚生省社会局更生課長  国際身体障害者スポーツ大会実施要領について
標記のことについては,本年2月10日社発第83号をもって本職より通知したところであるが,その後国際身体障害者スポーツ大会実施要領の一部が別添その2のとおり追加決定されたので次に掲げる事項にご留意のうえ,何分の協力を願いたい。
なお,国際大会たる第1部に出場する候補選手の推せん等に関し,下半身麻ひ者が多数収容されている関係諸施設を所管する中央の諸機関に対して別添写しのとおり協力方を依頼したので申し添える。

1.国際大会及び国内大会に係る共通事項について

  1. 選手の推せんに関しては,戦傷者,労災補償受給者等に係る各団体等にも広く働きかけること。
  2. 選手の推せんに際しては,医師による健康診断及び競技実施の可能性に関する判定に忠実に従うこと。
  3. 選手の推せんに際しては,身体障害者本人及び家族に対して,この大会の全貌を説明し,出場につき本人及び家族側の自主的了解をとりつけること。
  4. 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」と略称)が負担する選手関係経費は,選手及び付添の選手村入村後昭和39年11月15日まで同村滞在に要する宿泊費及び食費に限られており,従って,選手本人の健康診断の実施,各都道府県,指定都市(以下「各都道府県」と略称)から推せんされた国際大会出場候補者につき各都道府県間で行なわれることも予想される予選,選手の強化訓練等に要する経費は,各都道府県等地元で負担することとなること。

2.国際大会に係る事項について

  1. 候補選手の推せんにあたっては,一般居宅における者のほか,特に,下半身麻ひ者が多数収容されている施設,たとえば国立重度障害者センター,国立病院,国立療養所,厚生年金病院,労災病院,大学付属病院等(以下「関係諸施設」と略称)と密接に連絡のうえ,これら関係施設入所者から多数の参加がえられるよう配慮されたいこと。
  2. 候補選手の推せんに係る健康診断については,下半身麻ひ者の特性に照し,関係諸施設入所中の者及び一般居宅における者の双方につき,いずれも関係諸施設所属の専門医によってこれを行なうようにされたいこと。
  3. 選手が関係諸施設を出発し競技に参加して帰郷するまでの間,本人の症状を熟知している専門医を必要数必ず同行せしめられたいこと。

3.国内大会について

  1. この大会はリハビリテーションの一環として行なわれるものであるので,選手の決定に際し,若年者に偏ること,軽度の障害者を優先させること,男性のみで選手団を編成すること等のないようにされたいこと。
  2. 競技種目の申込みについては,特定の種目への集中を避けるため,各都道府県においては,平均してこれを行なうよう留意されたいこと。
  3. 競技種目の申込みについては,3つの異なる競技群から各1種目の計3種目に順位をつけて手続きを行なうこととされたので了知されたいこと。

主題:
創立20年史 No.1

発行者:
財団法人日本身体障害者スポーツ協会

発行年月:
昭和60年3月31日

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