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2. 届いた感想

 メールあるいは口頭でいただいたシートへの感想(3) は、「理解」という行為につなげようとするものと、シートへの「提案」の二つにわけることができる。

 

2-1 理解

<他者からの理解を求める当事者>
 たとえば、アスペルガー当事者は、こんな言葉を届けてくれた。「これ、会社にもってって通用するかな。とりあえず、仲のいい同僚にシートをやってみての結果を、みせようと思うんだけど」と。発達障害か否かにかかわらず、誰しも「自分のことをわかってほしい」という気持ちはもっているだろうが、とくに発達障害的傾向をもつ人は、その衝動性や多動性、あるいは興味関心のかたよりなどの特徴から「かわっている」とみなされやすい。そうした他者からの視線に気づいても、本人はどうしていいかわからないケースはあるだろう。このシートを使って、自分のことを周囲の人にわかってもらいたいと考える人は、おおいのではないだろうか。

<当事者の自己理解を願う他者>
 一方、その発達障害をとりまく人々は、私たちが当初の目的と同様、その当事者が周囲の状況をわかるようになってもらいたいとねがうケースがおおいようだ。 たとえば、ADHDと診断された小学校5年生の娘さんがいるある保護者は、「自分のこと、わかってくれるといいなって、うちの娘にやってみたけど、すごくたのしそうにやってたよ」という感想をよせてくれた。しかし、自身が担当している発達障害児とシートをやってみた臨床心理士は、「小学生相手には、ちょっと難しかったかも。どのくらい周囲の状況が理解できてるか知りたかったけど、『先生、こんなこと言ってるかな~』ってすごく考えこんでた」と話していた。 後者の感想は、私自身がアスペルガーと診断されている生徒とこのシートをやったときの感触ともかさなる。その生徒がシートにとりくむ姿勢は、ときに天井をにらみ、うでぐみし、真剣であった。そして、私はその回答をみて驚いた。回答内容が、すべてが前向きであったからだ。質問紙からうけるイメージは、「明るく学校生活をたのしんでいる自己肯定的な優等生」である。現実にもその通りではある。しかし、一方で担任教諭をはじめ多くの教科担当教員には「ういてしまっている」「いじめにあわないか」と心配されている。理由は、人一倍授業に熱心である。掃除など脇目もふらずにやる。教員の指示を率先して守る、冗談が通じないなどの特徴があるからである。その生徒には、そうした周囲の心配は視野にはいっていないことが、回答からよみとれた。 発達障害とされる子たちの間には、周囲の状況がみえにくい子がいること、だからこそ周囲の支援者たちは、その子たちが視野をひろげてくれるように、自己を客観視してくれるように、ねがうのであろう。このシートの質問紙では、周囲からふだんどんな声をかけられているかを問われる。こうした質問にむきあうことで、当事者がまたひとつ周囲の観察方法をみにつけてくれることをねがう。

<自己理解にむかった他者>
 やはり生徒の自己理解を促したいと考え、シートに関心をもった高校教員の感想である。「生徒にやらせる前に自分でやってみたら、なんだか思い当たることがおおくて『私も学校でつまずいてたこといっぱいあったな』って思い出しちゃった。生徒に、もっと自分のこと理解して、気をつけてほしいなんて思ってたけど、私ってこんなこと苦手だったんだとか、自分が生徒に出している指示の仕方どうなのかな~とか、いろんなこと考えた。自分をふりかえるいいきっかけになったよ」と感想をかえしてくれた。  この高校教員のシートへの当初の期待は、「生徒自身の自己理解」であった。しかし、自分自身がやってみることで①「発達障害ではないはずの自分の『学校不適応』(4)的傾向をみいだす」②「わからない/できない生徒の心情に共感する」③「生徒の視線で教員としての自分をふりかえる」というプロセスをへて、④「自分自身の自己/客観的理解」へと変容している。作成中から、「このシートで、自分の言動をふりかえってくれる先生がいたらいいね」とメンバーで話し合っていたが、実際にこうした感想がかえってきたのは、うれしい驚きである。

2-2 提案

 その他には、シートに対する具体的な提案をもらっている。

<質問の精選と相互の関連性>
 中学校勤務の教員からは、こんな感想をもらった。「幅広く捉えようとする気持ちはわかるが、ひろすぎて、つっこんできけていないので、焦点がさだまらない」。また、発達障害を専門とする医師からは、「『先生に注意される言葉』『そのときの気持ち』『長所』が5つぐらいずつ、場面わけで書いてあるんだけど、その相互の関連はわからないんだよね。実際患者さんにやってもらってみたけど、彼らもちょっと混乱してた。私も説明しにくかったし。あれ、ひとつの『言葉』に対して、それに対応する『気持ち』をいくつか、さらにそれらに対する長所ってチャートみたいにながれていけるといいのに」という意見だった。

<長所のあつかい>
 実際に、私が生徒に実施した際には、「それって長所!?」に対するコメントがもっともおおかった。「『注意される言葉』と『長所』の関係が、意味不明。関係をはっきりさせて。ってか、うちに長所なんてない!こんなのかかれても信じられない!」というものや「自分で『長所』に○つけるやつってどうなの?この質問、考えなおしたほうがいいよ」というものである。一方「『長所』って書いてあって、すくわれた。作った人のやさしさがみにしみた」というコメントもあった。自分のことを客観視したあと、それをどううけとめるか。思春期の生徒にとっては、大きな課題であろう。しかし、長所が文字としてせまってくるという経験は、今は否定的にとらえていても、将来的に肯定する契機となったのではないだろうか(そうであってほしい)。


(3) 感想を届けてくださったみなさん、ありがとうございます。 メンバー一同、はげまされています。

(4) 「発達障害」とは集団生活において不都合が生じているからこそ「障害」と認知された状態だと考えている。たとえば、学校で「発達障害」が問題になる。従来、それは個々人にある「障害/病理」が既存の学校制度にあわないからだと考えられてきた。こうした考え方のもとでは、「障害/病理」のあるこどもが治療/矯正対象となる。こうした現象こそが、「障害/病理」のあるこどもの自尊心を損ない、「健常児以下の存在」としての認知をうえつけてきたのではないか。そこで、私たちは、学校制度が「発達障害」の子どもを排除する装置になっている可能性を再検討すべきだと考えた。そうした意味での「学校不適応症候群」である。なお、こうした考え方は「障害学」におっている。