社会の中で働く自閉症者 -就労事例集-
池田輝子記念福祉基金障がい者ジョブコーチ支援事業
事例10 従業員の接し方の成功例や失敗例をマニュアルに
~Aさんのヒストリーを共有するためのしくみ作り ~
小松 邦明
(財)杉並区障害者雇用支援事業団
1.本人の状況
(1)性別
男性
(2)年齢
29歳(平成17年10月末現在)
(3)障がいの特徴
愛の手帳3度、知的障がいを伴う自閉症。ことばでのコミュニケーションがむずかしく、質問に関係ない話を延々と続けるとこがありました。失敗に対して萎縮しやすいタイプです。
(4)教育歴
小、中学校の普通学級を経て、普通高校定時制を卒業
(5)福祉施設の利用歴
高校卒業して2年後に杉並区障害者雇用支援センターに入所して、就職をめざすことになりました。
(6)職歴
なし
(7)本人の収入
- 労働条件:時給制(最低賃金はクリア)。週30時間勤務。社会保険にも加入しています。
- 障害基礎年金:受給(2級)
(8)居住の場所
自宅
2.受け入れ先の状況
(1)業種
飲食業。ファーストフード店を経営している会社です。Aさんは杉並区にあるお店で働いています。
(2)規模
企業全体は約6,000人。Aさんのお店は40人の人が働いています。そのほとんどがパート、アルバイトです。
(3)協力体制
Aさんは教えていけばどんどんできるようになるので、教えてもらうのを楽しんでくれている感じがしました。マニュアルがしっかりしているので、教え方にブレがほとんどないことも、Aさんが作業を理解しやすかった大きな要因でした。
従業員の方が徐々にわかりやすくかみくだいてAさんに説明してくれるようになりました。高校生や大学生の若い従業員の方はいったん接し方が分かると、覚えてもらえるように積極的に関わろうとしてくれました。また、彼にとってキーパーソンとなっている年配のパート従業員の方は、毅然とした態度でしかも暖かく接してくれています。
(4)障がい者雇用の動機
以前より障がい者雇用には積極的に取り組んでいる会社です。毎年の応募の時期に合わせて申込みをしました。
3.支援のプロセス
(1)利用者のアセスメント
作業の理解力や遂行力は比較的良好でした。手指の動きは比較的スムーズで、指示通りの手順でできます。判断要素の少ない作業であれば、標準比8割程度の作業量を期待することができます。
しかし、これまで就労や職場実習の経験がなく、働くことについて具体的にイメージできないようでした。どこに就職したいかを聞くと、公園清掃・喫茶Tなど現在訓練している仕事を話していました。
また、言葉でのコミュニケーションが難しいので、職種について考慮することと上司や同僚など職場の配慮を求めることが不可欠であると思われました。失敗するとすぐに謝るところがあり、素直というよりは失敗に対して萎縮しやすいタイプでした。また、質問に関係ない話を延々と続けるなど、自閉症ゆえの対人関係の取りにくさがありました。
同じ作業でもほめると約1分30秒でできることが、「急いで」と言うと自分のペースを守ろうとするのか、約3分と2倍の時間がかかったことがありました。
(2)職場における集中的支援
当初行なった作業は見本を見せてもらうことで、1回または数回で理解できました。課題はスピードでした。当初40分かかったモップ掛けも1週間後には半分以下の時間でできるようになりました。ジョブコーチが「急いでやっている様子を、従業員の方がまず見本を見せてください。」と説明して従業員の方にやってもらうことで、少しイメージがつかめたことも大きいと思います。
英語で飛び交う指示に最初は混乱をしていましたが、徐々に慣れていきました。また、5セット作るということが25個準備をすることだということと掛け算がなかなか理解しにくかったようでした。
ある日、従業員の方をAさんがたたいてしまうという事件が発生。その方はAさんと一緒に働きたくないとおっしゃっていました。店長さんとも話し合って、しばらく訪問頻度を上げて様子を見ることにしました。その従業員の方と休憩時間に電車や車の話などをたまたますることができて、やや緊張が解けた感じはしましたが、Aさんはその従業員の行く先が気になるなど、どこか意識している様子でした。
新システムが導入されて、今まで行なっていた仕事がなくなることになりました。「新システムで行う3つのメインの作業はAさんには難しい。その中の一部の作業ならできるかもしれない。勤務時間も仕事量の関係から短縮される可能性もある」とのことでした。新システムを導入していない他店への異動も検討され、保護者の方が異動を希望された時期もありました。しかし、「異動した先のお店に、Aさんを押しつけられた感が残ってしまう。そのお店も数年先には新しいシステムが導入されることが確実だし、その場しのぎの対応にはしたくない」と保護者や従業員の方との数回の話し合いをしました。知的障がいがある人でも新しいシステムで働くことができることを証明していきたいと、今のお店で取り組んでみるということになりました。従業員の方から新しい仕事の提案があり、仕事内容が変更になりました。食材を作ってストックしておく作業と道具を洗う作業、そして、ある曜日は食材を搬入する作業です。洗い物の作業は今のままでは洗う量が少ないので、同じ備品をもう1セット買い足して、夜のシフトの人が洗うものもAさんの仕事にするということになりました。
洗い物の仕事はお店の予想以上にできました。結果的に勤務時間は減らずにすみました。ただ、他
の人のシフトにあわせるため、勤務時間が不規則になりました。
就職後1年して、従業員の方から「Aさんがいないと困ります」言われるほどになりました。あまり忙しくないときには、最初は難しいと言われたメイン作業の一部をするようにもなりました。
(3)フォローアップ
ある日ジョブコーチがフォローアップの定期訪問をすると、店長さんからこんな相談を受けました。「新しく入ってきた従業員や異動してきた従業員が、Aさんとの接し方がわからないと言っている。知的障がい者の特性や接し方のマニュアルを作ってほしい」。職場実習開始のときに伝えたことが引き継がれていないこと、しくみになっていないことに問題があったのだと思いました。きちんとしたしくみにしておくためにも、改めてマニュアルを作成することにしました。
ただ、Aさんが就職したときから一緒に仕事をしているパートさんもいるし、店長さんも「接し方がわかっている人もいるんだけどねえ」とおっしゃっていました。そんな状況で「知的障がいは・・・」「接し方は・・・」など一般的なマニュアルを作っても役に立ちません。Aさんのことは日々接しているお店の従業員の方が一番よく知っているはずです。そこでAさんと接してきた従業員の経験が生きる形にしたいと思いました。それにはお店での成功例や失敗例をマニュアルとしてまとめるのが最適だという結論に達しました。
まず、最初に従業員にアンケートをとることにしました。店長さんも快く引き受けてくださいました。打合せの結果、1)協力依頼文は店長さんと支援センターの連名にする。2)アンケート用紙は支援センターが作成してお店に持参する。3)店長さんから従業員に配布してもらう。4)アンケートを店長さんが回収する。5)支援センターがアンケートをまとめる。という流れで進めていくことになりました。
【質問項目の一例】
- Aさんと接していて困ったなあと思ったことは何ですか?
- それはどんなときですか?
- Aさんと接していてうまくいったなあと思ったことはどんなことですか?
- それはどんなときですか?
みなさんのおかげでとても素晴らしいマニュアルができました。というより、Aさんと従業員のヒストリーが出来上がりました。あとから入った従業員は、就職時の従業員に比べて、できなかった仕事ができるようになったという場面や気持ちを共有しにくいのです。このような成功例や失敗例がマニュアルというカタチでストックされていれば、それを見ることで成長過程や気持ちを共有することができます。店長さんや従業員からも「これから入ってくる従業員にとってとても素晴らしいツールになると思う」とおっしゃってくださいました。その一部をご紹介すると次のとおりです。
1) 一度に2つはNG
頼みたいことがあるときは、「これやってください」といきなりお願いせずに、「それが終わったら○○してください。」と言った方がいいです。次々にお願いすると彼はわからなくなってしまうときがありましたので。
2) 忙しいときほど、ゆっくり、やさしく
忙しいときに大声で叫ぶように頼んでしまって、依頼どおりにストックしてもらえなかったことがありました。忙しいときほど、ゆっくり、やさしく、説明する必要があるんだと思いました。「やさしく頼むと、お願いしたことを素直にやってくれます」
3) アクションがあると伝わりやすい
言葉だけではなくて両手を広げるなどアクションをつけて頼むと、伝わりやすいことがありました。
4) 急いでほしいときには「特急で、行こう」
「急いで」と言うと、彼はパニックになりやすくなります。とっさに電車が好きなことを思い出して、「特急で行こう」と言ったら、いつもと違って「サンキュー」と言って急いでやってくれました。
5) 「今何をしたのか?」を尋ねるよりも、「次に何をするのか」を伝える
「今いくつ作ったの?」と尋ねただけで、失敗したのだと思ってパニックになってしまいます。「ありがとう」とまず肯定したあとに、「足りないからあと3つ作って」と伝えるようにしています。
6) 大切なのはパニックを長引かせないこと
パニックになることは避けられません。それよりもパニックを長引かせないこと、エスカレートさせないことが大切です。彼がパニックになったら彼のところに行って、目を見て「大丈夫」と言います。行く時間を惜しんだりいいかげんに対応したりすると、かえってパニックを長引かせてしまったことがありました。
私もマニュアルを作りながら、どれをとってみても素晴らしい対応だと思いました。失敗や成功を積み重ねて自分なりの接し方を獲得されたのだと思います。その元にあるのはきっと彼の一生懸命さと、何より従業員の方が彼を好きなことだと思います。それは次のような言葉に凝縮されていると思います。
ほぼ2年経った頃に、あるパートの方から言われたことです。「Aさんは私の2倍の仕事をしている。一生懸命で見ていて涙が出そうになる。みんな彼のことを好きだと思う」。
よく考えてみるとこのマニュアルにある接し方は、障がいのある人、自閉症の人だけに有効なわけではありません。成功例や失敗例が追加されながら、従業員の方に引き継がれていき、これからも今まで同様みんなが働きやすい職場であってほしいと思います。