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発達臨床-人間関係の領野から-

NO.6

第5章 人間関係の発達

~三者関係の発展~

1.「自己」の発展的形成過程

(1)「自己」の臨床研究

 近年、乳幼児精神医学とよばれる分野では、発達理論研究と臨床経験の両者を結ぶ方法論について、スターン(Stern.D.N)らの経験に関心がよせられているようである。つまり、母-乳幼児間の関係を臨床観察するとともに、ビデオなどで直接観察する設定と方法を用いることにより、乳幼児における心的機能の成り立ちを解明し、母-乳幼児治療をすすめていこうとする臨床研究法であるが、その流れに関し、小此木啓吾は次のように述べている(スターン、1991)。
“フロイト以来の伝統的な成人との精神病的治療経験において成り立ってきた壊れた心的機能の治療をしながら、健康な心的機能の成り立ちと、それを育てる母親の機能を臨床的-論理的に再構成する手法”を改革しながら、“乳幼児および母子関係そのものを「客観的…」にではなく、むしろ観察者それ自身の内的なものがどんなふうにそこに投影されるかを解明の課題とする”
このような考え方は、従来の精神医学や臨床心理学においても、また発達心理学においてもみられない、いわば「発達臨床観」として、私にとっても模索中のものであり、興味深いものである。
発達臨床の分野においても、私たちは、関係的存在である子どもたちの発達の途上における未熟さや混乱が、母(親)-子-臨床者との治療的関係の発展により、「治療的変化」と呼ばれるような変換をたどる臨床過程と、そして発達的事実として観察される発達過程とをあわせて考察することにより、子ども自身のいわば主観的体験がどのように組み立てられていくのかについてさまざまに推論し、心的機能の成り立ちについて理論構成をしていくという作業をつみ重ねてきた。そこでの中核的概念は子どもにおける「自己」の世界であり、子どもの主観的体験の発達的変化とは、子どもが外界とかかわりながら「自己」というものをどのように形成していくかという課題として置きかえて考えることもできよう。
従来より、子どもにおける「自己」の発達を「客観的」に研究しようとする試みがさまざまに進められてきたが、それは、主として認識の対象としての「自己」であり、自己覚知、自己概念のような「自己の知識についての知識」という側面に集約されているように思われる。乳幼児期における「自己」の出現に関する実証にしても、鏡に写る像に対する反応や、他者と区別する「私」や「私のもの」をあらわす表象機能の出現といった、「自己」を外界において対象化する観察可能な行動上の機能に多く焦点が当てられてきた。
しかし、特に乳幼児の場合、「自己」に迫る方法論の限界を突破すべく、いかに客観的なデータを駆使するにしても、究極的には、子どもが関係状況において体験する主観的世界をまわりで客観的にとらえ得るような形-行動や言語、描画など-で自ら表出する内容を大人がどのように読みとるか、つまり、大人自身の内的なものがそこにどうかかわるかという従来の臨床的手法が、複雑で個性的な「自己」というものへのアプローチに欠かせない。
私たちは、乳児の「自己」の出現にまつわる発達初期の人間関係的経験として、母-子間の心理的一体関係を前提とし、次のようなプロセスを採用するのが一般的である。乳児の不快の状態が察知されてとりのぞかれ、快の状態が充足される関係において母-子間の愛着が活性化され、絶対的信頼関係が形成される。その後、母-子関係において乳児におけるこの「快体験」と「不快体験」のズレや不一致が体験的に覚知されてくると、「自己」と異なる「他者」としての母の存在に気づき、自-他の分化の過程が促される。このように「自己」の発達と発達早期の人間関係的経験との深いかかわりは推測されても、‘どのような経験…’と‘どのような「自己」…’という関連を論議しようとする場合には、長期的、縦断的研究成果が必要であるとともに、母-子間の「関係」に関する多くの臨床的考察を、その「関係」にかかわる臨床者の視線も交えて力動的に積み上げていく努力も重ねていかなければならない。

(2)「自己-他者」関係の臨床的理解

 発達の早期、たとえば生後数か月のうちに発達の遅れや障害が疑われるような場合に、子どもの側の要因、育てる側の事情などさまざまな条件の輻鞍により、通常の母-子間の関係のカテゴリーをべースにしながらも、それがどのような臨床的意味合いを含みながらすすんでいくかについて特色ある事例に接することも多い。次の事例から、臨床的考察を深めていきたい。
H夫は、生後まもなくよりてんかん発作が頻発し、母親はその病的なサインヘの対応のためほとんど目が離せないという状態の乳児期であった。2歳を過ぎても、H夫は何かに関心を示したり、母親の‘あやし行動’を快の状態として反応する、つまり喜ぶというようなことがあまりなく、むしろ不快そうに視線を回避したり身を硬くする‘おとなしい’乳児であったが、反面、不快な状態に対する感情の表出は激しく、痛い思いをしたり、身体を無理に動かされたり(彼はまだ‘寝たきり’であったが)、しつこい‘あやし’をされたりすると大声で泣き、その意味ではきわめて‘文句の多い’乳児でもあった。つまり、彼の「快」と「不快」のレンジはきわめて狭い空間にあり、しかも、耐えられる刺激の上限は通常了解し得るよりはるかに過敏であったようだ。
母親は、むしろ活発で感性にとみ、H夫の不快のサインを鋭くキャッチし、それを取り除くやりかたも彼の好むような手順とタイミングを心得ていたので、H夫は早いうちに母親を他の人から弁別し、その意味では、この母-子間の関係は、むしろ適合的であるということもできた。しかし、母親は-どの母親もそう望むものだが-彼がもっと感情を表現し、愛着の活性化を共有したいと願っていたあまり、彼の不快の状態をぎりぎりのレベルまでひきのばし、あるいは、時には故意にその状態を引き起こすこともして、そのきわめて緊張感に満ちた狭いゾーンにおいて母-子間の交流の充足感を得ようとすることが多くみられるようになっていた。
快的な体験をバックに呼び起こされる人との経験世界において、「自己」の発達が促されるという仮説を支持するとしたら、このようなケースにおいては、どのようなことが考えられるだろうか。
H夫は、まもなく不快へと進行するような状態と、それが取り除かれようとする状態(快の状態への方向)が同時進行するような二重性における緊張感にも不快を覚えるようになり、あるいはそれを察知し、それまでよくみせていた‘気を引く’ための不快の表出-それほど痛くもないのに大げさに泣くなど、それはこの母子の唯一の‘遊び’でもあったが-をもあまりしなくなり、そのようなときにのみ見せる特有な無表情の表情をするようになった。つまり「自己」に対して何らかの意図をもつものとしての「他者」を心に抱き始めた良好な「自己」の発達へのきざしではあったが、それはあきらかに肯定的とはいいがたい関係における主観的体験として引き継がれていく気配が濃厚であった。
子どもたちのなかには、このような体験が、母親以外の人との間でも一般化して引き継がれていくケースにも出会うことがたまにはある。たとえば、お気に入りのものを人に示すとき、「いいものもってるね」とほめられることよりは、むしろ「先生それもらっちゃおうかな。ちょうだい、ちょうだい」と言われて、身を引く素振りをしながらみせることの方がより肯定的な自己感が確かめられるような…。
H夫の示した変化-無表情をよそおう-は、実は彼の健康的な抗議であり、私たちが「快」「不快」などと感じ方や体験を勝手に二分して、一方的に侵入しようとする「他者」への「自己」領域の境界の主張でもあった。もちろん、敏感な母親は、このことに気がつきはじめるわけであるが、不快な状態を喚起してのち、その反応を確かめることでしか充足感が得られにくい、手ごたえの少ないH夫との交流に、自身に「母親」としての肯定的なイメージがもてないジレンマにも閉じこめられていくようでもあった。
この母子がその後、どのようにして安定性のある関係を構築し、H夫の「自己」の発達が促されていったかの過程をなぞってみると、実に興味深い示唆に富んだテーマが浮かび上がってくる。まず、発達初期における人間関係のありよう(愛着関係の質)の変化と「自己」の発達との関係というテーマについて考えてみよう。障害などいわゆる育てにくい条件をかかえながら育児をはじめている母親によくみられるのだが、H夫の母親の場合も、もしも、母親が目を離したら子どもの命さえも危険にさらされるような近さの関係において‘母役割’の絶対感を育てつつ、一方では、期待するような子どもの反応を引き出そうとする関係において味わう‘母役割’の不全感も形成されやすいという、分極化した役割の不一致感が生じやすく、どうしても、母親にとっても、子どもにとっても安定した肯定的な自己感が育ちにくい状態が固定化する。
このような場合、安定して役だつのが、母親自身が他者(専門の治療者や、障害をもつ子を育てている他の母親など)において出会うカウンセリングあるいは治療的機能である。興味深いのは、ただ悩みを聞いてもらうとか、情緒的な面で受容を求めるというだけでなく、母親自身が、子どもとの関係におけるかかわり方をダブらせるようにして、あるいは投影させるようにして治療者とかかわろうとすることである。H夫の母親の場合は、自分がいかに‘ひどい’やり方でH夫の不快を喚起させようとしているかを誇張して語り、「あの子ったらね、すごっくいやーな顔するのよね」と笑いながらつけ加える。そして、治療者の反応を確かめようとする。しかし、治療者に期待しているのは、イエスでもノーでもない。治療者との関係が、いわば自分と子どもとの関係の鏡であり、母親にとっては、治療者との応答によってそこに映し出される、子どもとの関係において自身が演じている分極化した‘母役割’に気づき、あるいは客観視しながら、そして、H夫が、侵入的でない状態を保持してくれる統合的な‘母役割’をもどんなに「快体験」として受け入れているかにも思いいたる。自ら‘母役割’を再構成していくプロセスが、治療者との関係において保証され、共有される関係体験が必要なのである。
感性豊かな母親は、まもなく他の人なら見逃すようなH夫のわずかな表情-瞬きや唇の曲げ方など-から「快」の表出を読みとって肯定的に応えるようになり、H夫にとっては、この微細ともいえる他者からのフィードバックが、他者に対する社会的反応性を高め、「他者」の存在を意識し、他者との関係において肯定的な「自己」感が育つ基盤を確かなものとしていったのである。
「自己」の発達の研究を、子どもをとりまくネットワークを重視しながらすすめているルーウィス(Lewis.M、1989)は、乳児の行為に随伴して人が反応を返してくることが「自己」の発達に中心的位置を占めること、養育者が行う応答の一貫性、タイミングと質が乳児のコントロール感や有能感を生み、その相互作用が「自己」についてのスキーマの形成に役立つことなどを述べながら、次のような興味ある考察をも加えている。すなわち、きめ細かな養育が、乳児の自他の区別に大切だが、乳児がストレスを受けるような、周囲の混乱からあまり身を守られていない養育下でも、早くから自分を対処しなければならないため、自他の区別を早くからするようになる。しかし、その場合、よい自己像をもっていないのではないかと。
発達の早い時期に病気や障害があきらかになり、早期治療や早期療育など、発達臨床において母親(的存在)の参加が不可欠といわれてきているが、それは、まだ治療を円滑にすすめるための条件として考えられている場合が多い。すべての人間の基本的発達課題ではあるが、とりわけ、発達に困難な条件を抱えて育つ障害をもつ子どもの「自己」の発達においては、いかに豊かな関係のネットワーク、関係状況において生きていても、ちょうど知覚にたとえていう地(めだたなくてあるもの)に対して、図(めだってあるもの)のような、自らの生きていく手がかりとなりうるような関係の軸をしっかりと形成していくようなブロセスが、どこかの段階で必要なのである。その意味で、「自己-他者」関係の原型としての、主たる養育者としての母と子どもとの関係に関する臨床的理解と援助は、依然として現実的な課題なのである。

(3)「三者関係」の顕在化

 さて、H夫の事例についてもう少し先までフォローしてみることにしよう。
H夫が4歳の頃、母親が、H夫の「自己」の発達について興味ある過程をうかがわせる次のようなエピソードを話してくれた。
H夫が-彼の障害は重く、まだ‘寝たきり’であったが-テレビの野球の画面に見入ることが多いことに母親は気がつきはじめる。とりわけある外国人選手の大げさな動作を喜ぶことを発見した母親は、そのチームが行ったある日のゲームをビデオにとって家事の合間などに見せることをしていた。そこから先がこの親子らしいパターンで納得されるのであるが、母親は、彼が、興味を示すからといって次々と新しいものを示されることを好まないことを十分に知っているので、同じビデオを素知らぬ顔で毎日繰り返し見せて様子を見る。何日目かに、彼は明らかに不満の表情をみせて、母親とテレビを交互に見て、視線でアレを替えるようにと促したというのである。
このような現象に出会うと、おおかたは、発達心理学の一般基準を適用し、指さし行動に対応する目指しによる、認知の発達に裏付けられた表象行動のあらわれとして、遅れながらも順調な発達を喜び合うことで終わることが常である。しかし、発達臨床的にはもう一歩立ち入って、その子どもが独自の発達条件を有しながら、あるいは、むしろそれを生かして、どのようにして、どの子どもにも共通な発達のみちすじを獲得していくのかということを検討していくと、実に興味深い重要なことにつきあたることが多い。
H夫は運動上の制限が著しく、生活上の行動のほとんどすべての面で人に依存せざるをえないわけであるが、そのような‘人にしてもらっている’状況においてさえ、あるいはそのような状況においてなお、‘自分がしていないで、人がしている’あるいは‘人がしていても、自分がしている’という自己意識、あるいは自己機能の分化の意識が、どのように成立していくのだろうかということは、障害の重いといわれる子どもたちの発達過程における自己の成長の重要な、しかも興味深い課題である。この意味で、H夫が視線でテレビを替えることを母親に促したという事態は、単純に自己主張や人への要求行動が強まったのだという、一般でいう乳児期的な発達の状況と対応させて理解するだけでは不十分である。では、どのように理解しうるのか。
この事態については、H夫の、意志主体としての自己が、‘テレビヘ働きかけそれを変化させる’という、物との関係における自己の操作機能を対象化し、そして、それを母親の行為をとおして、つまり、人のある側面を自己の機能の一部として対象化して(利用して)実現させるという、自己機能の三層構造的な分化が自己内において成立したと解釈することができるのではないか。さらに別な見方をすれば、主体としての「自己」が、対象化した、あるいは表象化した自己の機能を「媒体」として介在させ、他者すなわち母という「客体」に向けて働きかけるという、H夫の関係状況における三者関係的なかかわり方、担い方が顕在化してきた様相がここにはっきりうかがえるのである。
「三者関係」とは、いま述べてきたように、人あるいは人的機能の項(たとえば、父・母・子のように)、あるいは関係の構成要素(自己・人・物)の数のみをあらわす言葉ではない。一者関係、二者関係、三者関係というように表現される言葉は、自己が人や物とかかわる関係の構造の類型、あるいは、自己の関係状況における担い方、存在の仕方の種類の内容をあらわす関係概念である。H夫の場合は、自己と物(テレビ)と人(母親)とがかかわりあう根源的な生活状況としての三者関係状況において、自己が、物(テレビ)を介して人(母)とかかわったり、人を介して物とかかわるという相互媒介的、三者接在的な関係の担い方が体験的に可能になり、それに対応する3つの異なる自己体験の領域が自己において三層構造的、統合的に成立、機能しはじめたということができるのではないだろうか。
模式的な図5-1を参照されたい。三つの異なる自己体験の領域とは、ひとつは、自分自身に感じる自分、意志をもち外界へ働きかける主体としての自己の関係体験により成立する領域(自己的自己の領域)、ふたつは、固有の性質をもち、働きかければ法則性をもって変化する物との関係体験により成立する領域(物的自己の領域)、三つは、柔軟に変化し情緒交流を伴う人との関係体験により成立する領域(人的自己の領域)である。H夫の、関係状況における自己の機能を分化させ、他者のある側面を自己の機能の一部として利用するという行為が可能になるという状態は、このような三つの領域がかかわりあう「三者関係」構造が自己内において顕在化し、「関係統合的存在としての自己」の領域、「物的・人的・自己的な存域の関係統合的・機能的存在としての自己」の領域が成立し、機能するようになった状態として説明することができるのである。これについては、図5-2のような「関係構造図」に抽象化して表記することにより、より概念が整理される。

図5-1 統合的自己の成立

図5-2 関係統合的存在としての自己構造

 障害の重い子どもは、めまぐるしく動く関係状況において何をみつめ、そして何を伝えようとしているのかをとらえることが困難であることが少なくない。おそらくその内面に多様な意味をひそませていても、あらわす機会がなければまた内へと消えてしまうに違いない。この項に述べられたH夫の自己の発達に関しては、彼の母親に、例外的ともいえる、発達援助へのきめ細かな努力をする能力があったことは明白であろう。しかし、それはこの母子が例外的という意味ではない。このような努力は、人間関係や、「自己」の発達に関するまだ未知ともいえる領域における探求には必須の条件であると考える。
最後に、発達臨床的に検討を加えておく必要のある、あるいは課題となることについて二点述べておきたい。
第一に、自己の発達における「他者」の機能をどうとらえるかということである。従来より、自己-他者関係という連鎖で述べられる場合は、「他者」を主に「人」の機能に限定して、あるいは時にはそれを強調して、または顕在化させて用いられることが多い。私もある場合にはそのように用いてきた。しかし、当然のことながら、自己は人とのみかかわって成長していくわけではない。自己と人と物とがかかわりあう根源的な三者関係状況を担って、そのどれともかかわりながら自己が形成されていくわけで、その意味で、「他者」の機能とは、「自己」であり、「人」であり、「物」でもありうる。自己の発達に関する研究は、関係状況において自己・人・物が統合的に機能し、変化しながら形成される三者関係的把握に基づく「自己」構造モデルが基礎にあることが必要に思われる。
第二には、関係における子どもの自己の発達がどのようなプロセスを経ながらすすんでいくのかということについてである。
スターン(1991)は、’同じスペクトル上の両極端’としながらも、論争されているふたつの考え方、‘他者との未分化期を想定し、自己が成熟して他者から独立するという概念(たとえば分離-個体化論などに代表される伝統的な精神分析論)’と、それに対して、自説の‘自己-他者というずっと大規模な作業上の装置working setを絶え間なく構築し、再構築するのが成熟に伴う目標であるとする概念’の各々の相違点、共通点について次のように論じている。つまり、前者の「未分化」理論は、人間存在の「共にある」状態における結合感、愛着感など基本的な感覚を所与として扱い、それを発展、獲得するのに積極的な過程を必要としない。それに対して、後者の観点では、そのような感覚が、乳児期のある時期に起こり、それが人間的結合の情緒的貯蔵器としての機能を果たすという考えに変わりはないが、その過程は、受け身的なものや先駆的にあたえられたものととらえず、自己を制御する他者との交流の表象の、乳児による積極的な構築の結果であり、自己感と他者感の形成にそって形をなしていくものであると強調している。そして、その始まりにおいて、他者は、意識的にしろ、無意識的にしろ、他者と共にある自己の体験の記憶ないしイメージというかたちでのみわれわれの「内部」に存在するとも論じている。
それならば、その過程は発達的事実に即してどのように説明されうるかという点については、多くの発達研究においても関心のもたれているところであり、さまざまな立場から仮説的な理論が提示されている段階であろう。
関係学により体系化された理論基盤において、松村は次のような「自己」の発達過程を提示している(1991)。
“人間の発達は、「接在共存状況」の発展的志向過程であり、自己の発達は、根源的な自己・人・物の接在共存関係状況における自己において「接在共存状況」を構造化していく過程である。この「自己」の「構造化」は接在共存関係状況における存在の仕方によってすすめられる”
そして、その過程を次の5つに類型化している。
“1 同心的存在の仕方により構造化する自己、2 共接的存在の仕方により構造化する自己、3 接在(交叉)的存在の仕方により構造化する自己、4 外接的存在の仕方により構造化する自己、5 外在的存在の仕方により構造化する自己”
さて、次項にて、私も、仮設的な理論の展開を試みるべく、他者と共にある自己の関係体験を描画にて克明に綴り、その「内部」を表出しながら成長した子どもの事例を紹介し、「自己」の発達過程をとおして人間関係の発達の様相を概観しようと思う。
そして、どのような発達過程においても、接在的存在の仕方による自己の構造化は、基本的に必要とされることを強調している。


主題(副題):発達臨床-人間関係の領野から-
第2部 第5章-1 81頁~91頁