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発達臨床-人間関係の領野から-

NO.7

2.人間関係の発達段階

 発達臨床の主要な関心のひとつは、特定の個人(状況)のもつ独自性の理解に基づいたアプローチを行いつつ、その過程にひそむ法則性を発見することにもある。その方法は発達研究における事例的方法などと呼ばれているが、三宅和夫(1985)も、“個別事例的な研究によって新しい問題が発見され、それが多数の対象を用いて行われる研究によって検討されるということはよくあり、個別事例的方法と法則定位的方法とが相補的に用いられることは行動の理解にとって有効である”と述べている。本項では、その見識に依存して、まず、1)で、ある子ども(I夫)との臨床過程における分析から、幼児期における人間関係の発達段階を定式的に設定し、次に、2)で、それを、保育園における2歳児から6歳児において、試みに検討した結果について述べていく。
事例的研究方法は、発達臨床に関する限り、治療者自らが研究の対象である治療過程に参入し、その発展の一端を被治療者としての子どもとともに担うことになる。指導的な手法を強調しなくとも、相互に働きかけあい影響しあう関係が基盤にあり、その研究手法においては、エリクソン(1982)が述べているように、“観察者としての彼の「反応式」ともいうべき主観的解釈が実は彼の観察の道具そのもの”であり、それは‘参加者の手法’として学間的に体系づけられてきたものであり、またそうあるべきであろう。「反応式」とは、それまでの幾多の子どもとの活動から、交錯しつつも印象づけられ織り込まれた鮮明な結び目によって導かれた、被観察者である子どもに対する自分自身の反応の意識化を背景としており、その意味では、事例研究は、対象とする事例が個別性に富んでいるというだけでなく、エリクソンのいう、臨床者自身の‘一個人の概念的探求の道程’というとらえ方がもっともふさわしいのかもしれない。いずれにしても、「個別事例」は、客観的な諸科学の手法による「1ケース」とは次元を異にして論じられなければならないことをつけ加えておきたい。

(1)描画にみる五つの発達段階

1)I夫との1年
医師より「自閉傾向」を指摘され、保育園に通いつつ、5歳で‘言葉および対人行動のおくれ’を主訴に母親と相談治療を開始したときのI夫は、要求時の単語はみられたが、視線の回避、対人的緊張が著しく、人が(母親でさえ)近づく気配を敏感に察知してすっとそれていき、いわゆる多動の状態であった。しかし、彼の、その人を避けるタイミングにはかえって和合性があり、対人指向性をむしろ感じさせたし、また、積み木・ミニチュア玩具など小さな遊具を常に手放さず、他からは無意味に見える様式で熱心にもてあそぶ様子は、自己をとりまく空間内に核と順序性を必死に見いだそうとしているようにも見えて、彼の認知とその表現の発達に期待をもたせるものがあった。
相談は、I夫の指導は言語治療士が、そして母親の面接は私が担当して始められたが、母子間の関係の発達を基軸とし、さらにI夫にとって力動的な人間関係の体験がなされていくこと重視して、意図的に母子同室にて相談活動が展開したので、担当の役割分担は固定的ではなかった。
半年を過ぎたあたりから、相談場面のみならず日常生活全般に渡り、人や物との関係においてさまざな変化が見られはじめると同時に、彼は、急速に描画の世界にのめり込むようにして描き続けるようになる。それは主に家庭においてであったので、一週間ごとに母親から「この頃こんな絵を描くようになったんですよ」とドサッと持ち込まれる、広告の裏やそこいらの紙に書きつけたといった絵の束を前にして、彼があらわそうとしている内なる世界を理解しようとする私たちの作業は、最初は混沌としつつも次第に小さないくつもの筋が合わさり、ある大きな流れの渦中にあることを実感させるものとなっていった。
I夫の1年後は、ことばの発達も簡単な対話が成立する程度であったし、保育園でも、友達と細かいやりとりをして遊ぶというわけにはいかなかったが、描画能力において見る限り、通常の幼児期に経験する4~5年間分の過程を、わずか1年間で駆け抜けた。一体、彼が急いで描きあらわしてきたものは何だったのだろうか。
発達臨床において、幼児期の描画表現をいかに観るかということについては、たとえぱ、顔や身体の部位め位置関係が把握されているかなど、とかく、それを認知指標とする側面ばかりが強調される傾向がある。しかし、長い経過をともにして、はじめて電車の絵を描き始めたのち、何か月もそこに必ずトンネルを描きそえる6歳の子どもとか、第7章で紹介するK子のように、一貫して動物の絵を描き続ける子どもなどの描画表現について、それを、発達の遅れとか特翼な面を見いだす手がかりとしようとしたり、また、生活経験の反映という視点だけではとても説明しきれない何かを感じることが多い。一人ひとりの子どもたちが、描くことによって、情緒面も含めて、何を象徴的にあらわしながら育っているのかという、人格全体としての発達の様相を読みとることが大切に思われる。
私たちは、特に幼児の場合、子どもの臨床的あるいは発達的な変化を子ども自身に語ってもらうことを多く期待していないし、またそのような方法もほとんどもたない。しかし、I夫の描画表現の変化に着目し、類型化してとらえてみると、私がそれまでに経験し、段階の構成も試みてきた、人間関係の発達に困難を示す多くの子どもたちの臨床発達的な発展過程(1982)が対応的に表現されてきているように考えられた。つまり、彼が描きあらわしてきたものは、彼をとりまく人間関係網にあって、働きかけ働きかけられる関係をいかに認知し、そして秩序づけ、自己の世界を構築していったかという自己においてとらえられた人間関係の発達のプロセスなのである。そこで、I夫の事例を基軸に、人間関係の発達の段階を構成することを試みたので次に紹介したい。段階の構成は、もちろん描画のみによるものではなく、母親や保育園の保母など日常生活からの情報や、相談場面におけるかかわりにおいてとらえられた様子などが考察の基盤にある。
この事例の描画の解釈に関しては、先に述べた‘観察の道具’である‘主観的解釈’は、治療者としての私から、むしろ母親の方へ、その主導権が移っていったような気がする。最後の数か月では、母親は、選んで何枚かを携えてきて、そのうちの1枚を私に示しながら、たとえばこのように話し始めるのである。「先生、はじめて正面を向いている絵を描きましたよ。この頃、よく視線を合わせてくれるようになったなって思ってたんだけど、そのことと関係があるかしらね」(描画6、p.99)。このようにして、自身の仕事のやりくりをしながら来談を欠かさなかった母親は、1年後に子どもの最大の理解者となって、自ら相談の終結宣言をして去っていった。
なお、本事例は心身障害児総合医療療育センター言語治療士杉本恵子さんとの協同治療関係のもとにすすめられたことを付記する。

2)五つの段階
関係定位期 停泊点を求める時期・なぞる時期
関係の特性:他者を自己の行動の停泊点とする。
自己の構造:「みている自分」と「みられている自分」の二重性をとおして他者の存在を確かめる。
I夫の発達経過:最初の6か月がこの時期にあたる。人との対面を極端にさけ、母に用事ありげに近づいてきてもスッとそれて母の表情を強ばらせていたI夫が、次第に‘グルグルまわし’や、特に‘イナイイナイバア’様の感覚運動的な遊びを人と一緒にすることを好むようになり、それを自分から動作で催促することが多くなった。
世界中の乳児期の子どもが繰り返す‘イナイイナイバア’様の遊びには、さまざまな発達的意味が検討されている(Gervey,C.、1977.武藤、1983)。まず、表象発生の兆候として、人への安定した内的な表象(心的イメージ)を形成する行動系列に位置づいているとともに、一連の運動の儀式化が、外界のさまざまな事象への感覚、運動、情緒の意識的整合、つまり状況に適合した身構えをつくる準備ともいわれている。さらに特徴的なのは、他者とかかわるときの相対性、つまり「みている自分」と「みられている自分」という二重性が、コミュニケーション行動の能動と受動という基本的構造を備えているものとして人間関係の発達における大切な指標と考えられているのである。
そのことを象徴するかのように、それまでI夫は、気が向いたときにマジックやクレヨンで点を打ったり、なぐり描き様に紙に記す程度であったのが(描画1)、たとえば私が顔などの絵を描いていると、パッと走り寄ってきて、大急ぎで口や顔の輪郭をなぞることを好んでするようになった(描画2)。

描画1(画像)
描画1

描画2(画像)
描画2

 関係基応期 囲まれる時期
関係の特性:自己-他者間の定式化
自己の構造:行為によって引き起こされた他者の反応とフィードバックから「自分に属する部分」と「そうでない部分」に気づく。
I夫の発達過程:積み木や大きな人形を倒して、人が「アーア」などと驚いてみせたり、大げさに反応してくれることを喜び、それを期待して繰り返すようになる。人に対しても、近寄ってきてドンと押し、「アーア」と自分で言って、相手が「アーア」と言いながら大げさに倒れるまねをするよう催促をしたり、「ヨーイドン」という合図をしてから手をつなぐなど、人や物との随伴性のある関係体験の中から、自ら定めた枠や定式にそって人とかかわったり、またそれを遊びとして楽しむようになる。つまり、随伴性のある状況下で、作用主体である自己の適合領域を、他者の反応において確認しながら行動し始めているのである。
母親との関係においても、ほめられると嬉しそうに抱かれに行き、叱られたり催促してもすぐに応じてくれなかったりすると、怒って母を叩いたりなど、行為の結果や感情を母に受けとめてもらうことで、それを自らの行動の標識としている様子がうかがわれた。痛いときだけではなく、困った事態に出会ったり慰めてもらいたいときに、大げさに「イタイイタイ」と訴えにいくようにもなり、母親に用事があるときは、父親がそうするのだろうか、「オイオイ」と呼びかけるようにもなった。
興味深いのは、ミニチュア玩具などの扱い方の変化であるが、遊戯室にあったミニチュア玩具や小さなぬいぐるみ、積み木などを、自分の回りにきちんと正方形に並べて囲い、その中に座ってしばらくの間静かにまわりを見回すということをよくしていた。もちろん、うっかり誰かが「クマチャンお出かけしたいな」などとそのひとつに触れようものなら、血相を変えてそれを元のように戻し、大声で抗議をした。
この時期は2か月あまりの間であるが、最初に描きだしたのが、描画3のような何やら事物らしきものの輪郭が鋭く強調されたラインの連なりであり、それ以来、堰を切ったように紙に向かい、描くことを始めたのである。ラインによって閉じた囲みが、輪郭線をもった実体として対応させてとらえられるものが増えてきたなと思っているうちに、兄達に混ざって見ているテレビの影響か、描画4のような怪獣とも動物ともつかない姿を描きあらわすことにしばらく凝っていた。それからしばらくして、それらをさらに円で囲む描画が続いた(描画5)。

描画3(画像)
描画3

描画4(画像)
描画4

描画5(画像)
描画5

 津守眞(1987)は、2歳6か月の女児の、曲線の囲みの中に円を描いたり、囲みの外に円をつけたりする描画について「内と外のモチーフ」との表現をしているが、I夫にとっては、自己領域を世界の中心に定めつつ、同時に外界においてあるべきものがあるべきポジションや役割をもつことの意味について何かを感じとろうとしているかのようにもみえた。

関像分化期 向かいあう時期
関係の特性:自己-他者領域の分極化
自己の構造:「する役割」と「される役割」、あるいは相対する役割の両義性に気づく。
I夫の発達過程:続く2か月あまりの間に、I夫は、「ハッケヨイ」と自分からしかけてきて、向かいあって押し合う‘相撲遊び’を好んでするようになった。ただし、すぐに「タスケテー」とゴロンと倒れ、負け役に徹し、相手が先にわざと倒れると怒って止めてしまうなど、定式化の適用は相変わらずであったが。左右両側に人を立たせて手をつなぎ、正面にいる他の人と「花いちもんめ」と近づいたり離れたりする遊びも好んだ。子どもが好んでする遊びの構造は、その発達の段階において体得することが必然な人間関係における心理的構造を、最もシンプルに、しかも社会文化的な装飾を満面に施しながら展開していく。I夫も、このような遊びを通して、並ぶとか向かいあうという、物理的距離や位置関係の変化の認知と対応させるようにして、複雑な刺激や情報に対するコントロールをしながら、人間関係における心理的関係の変化に対する構えを、自己の経験においてリハーサルしつつ体制化しているように思えた。他者との内接的関係を前提にして、自己に心理的に適合する領域、自己領域の伸縮をさまざまに試みながら他者領域との境界を確かめているかのようなI夫の行動は、人と人とがかかわるということの彼にとっての緊張に満ちたゾーンを感じさせた。
I夫の言葉の習得に関しても興味深いプロセスがみられた。人が出会ったり別れたりする折りに、関係における心理的交渉の開始や終結を相互に確かめあう目的で習慣的に用いている「オカエリ」「タダイマ」「イッテキマス」「オハヨウ」などの言葉を頻繁に発するようになった。ただし、これらの言葉が、「戻ってきた人」が「ただいま」といい、「迎える人」が「おかえり」というというように、関係において分化した役割に即して、しかも、両者が心理的に共有する限られた領域の周辺において用いられる言葉であるという、対人的、社会的脈絡における了解が伴って使われるのは後のことで、まだこの時期には、同室で話をしている母のところに「オカエリ」と寄ってきたり、座っている人を「オハヨウオハヨウ」と引き起こすなどの混乱がみられた。しかし、会話へと続く前段階で体験されるといわれているところの、構文的側面に相当するような対人行動の構築に付随しながら言葉の獲得がなされていっていることがうかがわれる彼の行動であった。
ミニチュアの人形を全部自分と向きうように一列にズラッと並べてその前に座っていたり、あるいは、人形を両手に持ち、「コンニチワ」とおじぎさせてみたかと思うと、壊れるまで激しく闘わせてみたりもしていた。
この時期の描画の中で象徴的なのが、先にも述べた「正面を向いた動物」(描画6)と、「向かいあう二人の人」(描画7)である。自己と他者の分化がすすみ、人と人との関係における役割の両義性に気づいて、二者的関係における関係体験が、勢いのあるタッチで迫ってくるように描出されている。

描画6(画像)
描画6

描画7(画像)
描画7

 関係交差期 追いつ追われつの時期
関係の特性:自己-他者領域の交差
自己の構造:役割交替をして「自分の役割」と「他者の役割」あるいは「自分ともうひとりの自分」の相互性に気づく。
I夫の発達過程:その後の1か月の間に、I夫は、‘おにごっこ’様の遊びを好むようになった。はじめは、自分が追いかけるぞという素振りを示し、相手を逃げさせてから嬉しそうに追っていき、抱きついてから、捕まえられたその人に「エーンエーン」と泣きまねをさせるという手順の「追う役割」をとった。しばらくして、相手に「ニャー、マテマテ」と言ってから追いかけるように促し、そのように言うと喜々として逃げるという「追われる役割」に徹する遊びが続いた。定式化された手順はなかなか崩れにくかったが、このような手順は年長の子どもにはかえって新鮮で、保育園でも子ども同士で遊ぶ手がかりとなっていったようである。
人間関係における異なる役割の分化、たとえば「働きかける」(能動性)「働きかけられる」(受動性)の機能は、それが社会的役割として機能する場合は別として、一方向的あるいは固定的なものではなく、相互的なものとしてあるのが本来である。そのような機能の獲得は、ヒトである限り生得的に備わっていると考えるのはあたらないし、また教えられて学習するというものでもなく、誕生以来、営々として積み重ねられていく人間的社会的な相互交渉の体験の賜であると考えられていて、‘やりとり’といわれている体験の中から相手の立場を理解したり情緒的に交流したりすることがスムーズに行われていくものらしい。しかし、実際には、物理的に相手の立場に立つということはあり得ないわけで、I夫が図らずも示してくれたように、一時的に関係における役割を交替し、他者の立場に自分をおき、他者の目を通して自らを見るという経験を繰り返しながら、その視点を自己領域と他者領域の間に忙しく移し変え、関係役割機能の両義性を超えてその相互性を確認しながら相手の立場の理解へとすすむのであろう。ということは、自己の役割視点とそれとは異なるもうひとつの視点-他者の視点を自己において成立させるという認知構造の形成がそれに関与してくることが考えられ、したがって、自己の発達と自己が機能している関係の発達の統合的視点が必要とされるのである。
I夫の言葉の発達にも、変化してきた役割構造がよくあらわれていて、父親が出かけるときに「イッテラッシャイ」と手をふったり、また簡単な問い、たとえば「猫ってなんてなくの?」には「ニャー」などと答えることができるようになってきた。また、家族の誰かの歯を磨きたがったり、靴を履かせるのを手伝ったり、それまで自分が人からしてもらっていたことを人にしたがる、いわゆる‘お世話やき’の様子もみせていた。
この時期には、「オシッコ、ナミダと言いながら描いていましたよ。」と母が言うように、改めて自分自身に目が向けられているような人間くさい描画(描画8)、そして関係における、異なる役割機能の分化を象徴するような描画(描画9)などがある。

描画8(画像)
描画8

描画9(画像)
描画9

 関係統合期 やりとりの時期
関係の特性:自己-他者領域の統合
自己の構造:「関係統合的役割」に気づく。
I夫の発達過程:I夫の発達経過だけからは、関係においてこのような役割機能が主体的に果たせているとは言いがたい。時期的には前段階とほとんど前後しているのだが、なだらかな変化というよりは質的な変換を思わせるいくつかのエピソードもある。それまでは、女性はすべて「オカアサン」であったのが、「オカアサン」「オバアチャン」と呼び分けるようになったこと、しかも、人に呼びかけるということがほとんどなかったのが、それが頻繁になってきたこと、簡単な会話が成立し、保育園で他の園児のする事をまねして日常的に繰り返される集団行動がとれるようになってきたことなど、自己をとりまく関係状況に事象が位置づいて、自分なりの定式的なやりかたを媒介にではあるが、関係状況が要講する、つまり、状況に応じ、その必要に応えて適切な役割がとれるということも可能になってきた。
I夫にとって、人間関係が輻鞍して展開する生活空間は、もはや、曲線やミニチュア玩具の助けをかりて境界や布置を確かめなければならない無機的空間ではなく、さまざまな人間的意味が充満する小宇宙として意識されてきた様子が遊びや描画にもあらわれている(描画10)。ミニチュアの人形に布団をかぶせて寝かしつけたり、スプーンで食べさせるまねをして‘人形ごっこ’をするようになる。そして、この頃、母親とする最も親密な遊びは、彼の住むアパートの外階段を2、3段登って、そこからやや見おろすような位置に面して開いている台所の窓の外から、内にいる母親に「オ・カ・ア・サ・ン」と呼びかけることであった。「なーに」と返事をすると、面白がって何回でも繰り返したという。描画11は、母親がまさに家の台所ですと説明していたが、いまのところ彼の視界にすっぽり入り、そして最もお気に入りの小宇宙をあらわした描画であろう。

描画10(画像)
描画10

描画11(画像)
描画11

 以上、五つの段階を人間関係の発達モデルとして模式的に表したのが表5-1である。

表5-1 描画にみる人間関係の発達段階
関係の発達的変化 関係における自己構造 構造図
第1段階 関係融合→関係定位:
他者を自己の行動の定位点とする
「見ている自分と見られている自分」の二重性を通して自己の存在に気付く 構造図 画一的段階(画像)
第2段階 関係共応:
自己-他者領域の定式化
行為によって引き起こされた対象の反応とフィードバックから「自分に属する部分とそうでない部分」に気付く 構造図 一者関係(画像)
第3段階 関係分化:
自己-他者領域の分極化
「する役割とされる役割」「観る役割と演じる役割」の両義性に気付く 構造図 前二者関係(画像)
第4段階 関係交差:
自己-他者領域の交差
一方から他方へと役制交替して「自分の立場と相手の立場」「自分ともうひとりの自分」の相互性に気付く 構造図 二者関係(画像)
第5段階 関係統合:
自己-他者領域の統合
状況に対応する役割がとれて「状況統合的自己」に気付く 構造図 三者関係(画像)

S:Self P:Person O:Object Situ:Situation

(2)保育園児の描画にみられる関係の発達的変化

 描画表現は、個々人の特徴を反映するものであるが、同時に個人を超えた普遍性をもつと考えられてきたため、それらをパターンとして類型化し、一般の発達段階と対応させて発達診断的な視点から観るという研究は、洋の東西を問わずこれまで多くなされてきた。しかし、私がこれまで述べてきたような「五つの発達段階」を明らかにしようとした目的はそこにはなく、次のような点にあった。第一には、乳幼児期の人間関係の発達に対する関心がかつてないほど高まっている今、その発達にさまざまな困難な条件をかかえて育つ子どもたちの変化の過程にみられる法則性が、運動や認知などの側面と同様に、人間関係の発達の順序性やメカニズムに関し、拡大鏡の役目を果たしてくれるのではないかということである。第二には、しかし、発達臨床の臨床過程は、子どもがいかに幼くとも、発達過程に集約されてしまうことなく、いわゆる心理療法における治療過程にも相当するような、主体性をもった者同士の、人間関係における内からの内容的理解の過程を深める臨床方法をもつことが必要であること。そして、第三には、その過程において体験されたことの意味が、治療者の側からの言葉だけではなく、描画によって子ども自身により語られていることにより、関係における共感的事実として変化の本質をより公式化できるのではないかということである。
しかし、思いがけないことであったが、子どもの描画表現の発達的変化に関心をもっていた、それまで面識のなかった埼玉大学の学生横田清美さんが私の論文(1987)を読み、この発達的変化について、内容的な経緯だけでなく、時間的経緯にも意味があるのではないか、つまり、I夫の場合は1年間の出来事であるが、この変化が、一般の発達過程の段階に対応するのではないかということに興味をもち、保育園児の描画で検討して卒業論文としてまとめたものを見せていただくという機会を得た。私自身が、5つの段階基準をスケールとして明確にしていたわけではないので、他の関係学の論文も参考しながら彼女の独自の解釈によるスケールを設定し、2~6歳の園児55名の描画の分析を行っており、そのエネルギーと研究への独創的な意欲に敬意を表しつつ、ご了解を得て、その結果だけここに掲載させていただく(結果1~3)。なお、彼女は、他に養護学校の通う生徒の描画の比較検討も行っている。
結論的にいえば、関係の発達という視点から描画の発達的変化に着目した類似研究はなく、子どもの描画には発達的にある特徴的な傾向を見せながら変化していくという従来の考え方を深めていくうえで、検討の余地を多く残している魅力ある研究領域であることが示唆されたことは意義深いと考える。

結果1:年齢別にみた1の被験児の発達段階
段階 第1段階 第2段階 第3段階 第4段階 第5段階
CA
2歳児 57%(3人) 43%(3人) 0%(0人) 0%(0人) 0%(0人)
3歳児 21%(8人) 58%(8人) 21%(3人) 0%(0人) 0%(0人)
4歳児 7%(3人) 23%(3人) 55%(7人) 15%(2人) 0%(0人)
5歳児 0%(0人) 0%(0人) 15%(2人) 7%(1人) 78%(10人)
6歳児 0%(0人) 0%(0人) 0%(0人) 0%(0人) 100%(8人)
結果2:年齢別にみた1の被験児の発遣段階の分布
結果3:描画の5段階の発達段階

主題(副題):発達臨床-人間関係の領野から-
第2部 第5章-2 91頁~103頁